国名 | ヴェールヌイ社会主義共和国 |
国旗 | |
国章 | |
標語 | 信頼・平和 |
国歌 | 民衆の歌[添付] |
首都 | サンサルバシオン |
元首 | 閣僚評議会議長(首相) |
政体 | 社会主義共和制 |
概要
564年7月に建国された社会主義共和制国家。(590年10月以降、国際経済指数上の先進国となる)
建国以来途切れること無く社会主義体制を継続しており、現存する単独の主権国家としては最古の社会主義国。
他先進各国と比べ、人口・経済規模共に抑制されているにも関わらず、経済指数や幸福度が比較的高水準かつ完全自給体制(*経済の項を参照のこと)を構築しており、590年台から600年台後半まで政治・社会・経済的な安定度で世界随一を誇った。700年台に入り、事実上の一党独裁体制の中で、政治における硬直化が顕著になるにつれ、国内経済の衰退と貿易不均衡化が進んだ。外交安全保障政策においても、堅持していた平等・平和主義に反する姿勢が多々見られ、国内外で混乱を生みつつある。
長く休んでおりましたので以下殆どが古い情報です。今後ゆっくりですが更新してまいります。(2018/1/15)
政治制度は世俗主義に基づく議会制民主主義を採用。
経済政策は社会主義を標榜し、社会政策においては社会民主主義的である。
国家建設の主な手段と目的が「純粋社会主義」という独自の方針に依拠しており、経済政策のみならず、政治や外交にも影響を与えている。この事が社会主義国を自称する所以となっている。
フリューゲル経済諸国同盟(FENA)準加盟国入りに始まり、新興諸国経済理事会(ENEC)の発起(設立後はオブザーバー参加)、SEACOMを通してレゲロ社会主義人民共和国を事実上の経済領土とするなど、自身の安定経済を武器に経済外交を展開、国際的地位を強化してきた。
国際外交上の所謂"主要国"としてソサエティ発足以来の参加国でもある。
国民
- 民族
地球における東スラヴ系に属する多民族の乗り合いでフリューゲル移民を敢行した船団に起源を持つ。現在のヴェールヌイ人は、これらが緩やかに同化したものだと考えられている。なお社会主義に根差した国家主義を形成する上で、これと対立する可能性のある民族主義の発揚を防止する為、民族比率や同化の実態調査は行われていない。国籍別にみた住人の割合はヴェールヌイ人が99.8%、その他外国人が0.2%である。
+
| | ヴェールヌイにおけるシベリア人 |
565年6月のシベリア共和国崩壊の際、ヴェールヌイは世界で最も多くのシベリア人難民を受け入れ、無条件に永住権を付与した。最盛期は全人口の15%以上をシベリア人が占め、現在でも5%以上が難民を起源とするシベリア系である。シベリア人は東スラヴ系に属する同系民族であり、言語もほぼ共通していた事に加え、元々ヴェールヌイにおいては民族主義的な意識が元々希薄であったことも幸いし、目立った混乱は発生しなかった。政府は、シベリア人を南部の離島であるベイクラント島に住まわせ、同島内で一部国内法の適用を免除し、独自の教育、経済活動を許すなどの自治権を与えた。
582年10月、自治区で発生した隕石災害による混乱を受け、区の安定運営と復興事業の円滑化を目的に、自治権の一部が停止され、政府の直轄となった。シベリア共和国消滅から60年目となる625年6月には、各種の優遇処置の解除と共に、自治区はシベリア行政区として一地方自治体に再編された。現在に至るもシベリア行政区(ベイクラント島)はシベリア系が住民の大半を占め、行政区長をはじめ、同区内から選出される代議員の殆どがシベリア系である。
|
- 言語
法令上、公用語は規定されていない。
公用文はヴェールヌイ語で記述されており、多くの国民が日常的に用いている。
ヴェールヌイ語はロシア語を主体としながら、その他の東スラヴ語群の影響を受け独自に変化した言語。表記にはキリル文字を使用する。フリューゲルにおいては、同じくロシア語を祖語とするシベリア語、ガトーヴィチ語、ヴォルネスク諸語と多くの点で共通する。
国名
正式名称 | ヴェールヌイ社会主義共和国 |
キリル文字表記 | Верный Социалистическая Республика |
英語表記 | Socialist Republic of Verniy |
略称はキリル文字で"Верный"又は"ВеСР"。
英語表記では"Verniy"であり国コードは"SRV"。
漢字では「別府」とされ、外国の報道などで「別国」と表記する例も見られる。
ヴェールヌイは地球におけるロシア語で「信頼」「着実」「頼もしい」などの意味を持つ。
地名や民族に由来しない国名であり、その為か国内において普段自国を指しヴェールヌイと呼称することはまず無く、単に共和国と呼ぶ事が多い。対外的にはヴェールヌイを使用することもあり、決まった法則はない。
国旗
583年6月に行われた現行憲法への改正を機に制定された。比率は3:5。
革命あるいは革命思想である社会主義や共産主義を象徴する赤色が使われていないのが特徴。これは、多くの社会主義・共産主義国において、国家が一般大衆を不当に抑圧してきた歴史を踏まえ、そういった旧来のイメージとの決別を誓って意図的に排されたものである。
上下のパウダーブルーは空と海、国の自然と惑星フリューゲルに対する敬意、中央の白に近いパウダーブルーは信頼・平和・潔白性、「鎌と槌」は農民と労働者の団結。星は独立と輝かしい未来。「鎌と槌」「星」のピンクゴールドは"博愛的で富み栄える豊かな社会主義国"を表している。
国歌
[添付](演奏:国家人民軍中央軍楽隊)
建国から間もなくの564年8月に制定されたもの。
国営放送であるヴェールヌイ公共放送のオープニング等でも使用されている。
歌詞は、封建的・絶対主義的国家体制に反対し団結して戦う民衆を表現した市民革命賛歌となっている。
+
| | 歌詞 |
※繰り返し1
戦う者の歌が聞こえるか?
鼓動があのドラムと 響き合えば
新たに熱い 命が始まる
明日が来たとき そうさ明日が!
列に入れよ 我らの味方に
砦の向こうに 世界がある
戦え それが自由への道
※繰り返し1
悔いはしないな たとえ倒れても
流す血潮が 潤す祖国を
屍越えて拓け 明日のヴェールヌイ!
※繰り返し1
民衆の歌が聴こえるか?
光り求め 高まる歌の声が
世に苦しみの 炎は消えないが
どんな 暗夜もやがて朝が
我ら主の国で 自由に生きる
鋤や鍬を取り 剣を捨てる
鎖は切れて みな救われる
※繰り返し2
列に入れよ 我らの味方に
砦の向こうに 憧れの世界
みな聴こえるか ドラムの響きが
我ら夢見た 明日が来るよ
※繰り返し2
ああ 明日は
|
歴史
+
| | 建国序史 |
現在のヴェールヌイの地は、所謂スラヴ圏の連合によって組織された移民船団により開墾された。彼らは、汎スラヴ主義的側面を持つ緩やかなコミュニティを形成していた。この連帯は、時の流れとともに消極的な多文化主義(エスノセントリズムを否定しながらも、同化を恐れない立場)へと変質し、5世紀もの月日が経過する頃には、狭い民族主義的概念と地球における確執は、完全に一掃されていた。彼らは、自身とコミュニティの生活に必要な富を、農耕と家内制手工業によって賄っていたが、5世紀中盤になると、より豊かな生活を求めて社会組織の隆盛を目指すべきとの考えを表すようになった。農民の息子として育ったユーリ・ノルシュテインは、生産の統合によってコミュニティ全体が等しく富を増大させるべきだと説き、域内の組織化を図った。この試みは、幾多の困難を乗り越えて、ヴェールヌイ社会主義共和国の建国をもたらした。
|
+
| | 黎明期~ノルシュテイン政権の時代(564年7月~579年6月) |
- 政治
建国初期におけるヴェールヌイの政治は複数政党政治を標榜しながらも、法によりヴェールヌイ労働党が指導政党として国権の一切を握った。最高指導者であったノルシュテインは、穏健かつ将来的な民主化を強く約束していたが、それでも民衆の不満は蓄積されたほか、570年代初頭まで反社会主義勢力や共産主義勢力による反乱が頻発した。
労働党の党規上、書記長であるノルシュテインの権力は絶大であった反面、本人が何事にも強い姿勢を示さなかった為、各分野における派閥化が進み、体系的な政策を策定、実施に移すことの足枷となった。この状況は次のスヴィトラーナ政権初期まで続いた。ノルシュテイン政権における政治指導上の成果は、第一に建国そのもの、第二に575年10月に党中央委員会でノルシュテインが提唱した「国家建設最終案」であった。この「国家建設最終案」は、ヴェールヌイが目指すべき社会主義国家像を、政治・経済・外交・軍事の各分野別に示したもので、政治においては"強力な指導母体を有する現状は過渡期であると再確認し、将来的にあらゆる権利を人民に信託する、真の民主主義体制に移行すること"、経済においては"交易による収益や統計上の指数が圧縮されようとも、国家の維持と国民生活に必要な原資を国内で自給すること"、外交や軍事においては"新興国を始めとした世界との対等な協力関係の構築を推進して、貧困撲滅に貢献する。世界革命論的な共産主義、社会主義思想は不支持。軍国主義に反対し、国軍の規模拡充を必要最低限に抑えること"となっており、これが現在に至るまで「ヴェールヌイの基本ルール」として機能している。
- 外交
外交政策の基本方針は、既に現在のものを確立していた。すなわち、国力に関係なく相互対等を基本として、資本主義国と対決しない平和共存路線である。また、あまりに非民主的な国家や、宗教が支配している教権主義国家とは距離を置いた。
また当時の社会主義勢力(香麗、レゲロ、北ヴォルネスク等)から、建国間もなく招致を受けたことで、指導政党の労働党と、当時存在した衛星政党の二党が第二フリューゲルインターナショナルに加盟した。しかし、ヴェールヌイは世界革命の方針に積極的でなく、先行する既存の社会主義国の殆どに対して、社会主義理論の欠如、脆弱性や虚偽性を感じており、ほどなくしてインターナショナルの会議に代表を送らなくなっている。一方で、治安問題などで協力関係にあったレゲロとは、570年8月に友好相互協力条約を締結するなど、社会主義を共通項として、一定に関係強化を図った。しかし576年には、北ヴォルネスクのノイエクルス連邦編入の動きにレゲロが反発、北ウォルネスク・レゲロ間の対立が決定的となった際、ヴェールヌイは平和的努力を行うよう声明を発したが無視されており、これが社会主義世界に対する失望感を一層強めることに繋がった。
社会主義諸国へ不信感が強める一方、軍国主義的な国々に対しても苦言を呈した。特に昭栄国がクシミニャール侯国に対して軍事力を背景に恫喝した問題では、党機関紙上で昭栄国を痛烈に批判している。
一方、いくつかの国々との友好関係構築には積極的姿勢を示した。成蘭連邦王国との友好関係樹立によって、経済的にも大きく安定したほか、570年代以降の経済政策においてはクシミニャール侯国をモデル国家に指定して、同国からも支援を受けている。
- 治安
国内外の反社会主義勢力や共産主義勢力に対し、政府はMнB(国家保衛省)という秘密警察を組織してこれらを監視、規制した。しかし、大規模な武装蜂起(反乱軍)に対しては対処不能であった。
567年1月には、国軍である国家人民軍が組織されたが、練度や備蓄弾薬の不足から、反乱軍の制圧については困難な状況が継続した。この為、支援の為レゲロ社会主義人民共和国が義勇軍を派遣するなどした。570年代中盤には、国内の治安を独力で維持できるレベルに達し、また社会的にも安定期を迎え始めたことで、大規模な反乱などは見られなくなった。
- 経済・交易
建国当初、経済開発のノウハウ習得の為、外国から多数の顧問を招致した。特にシベリア共和国が派遣した国際協力隊による技術支援は大いに参考とされた。不安定な治安状況が長期に渡った為、経済成長率そのものは非常に低調なものであった。当時、石材産出国が少なかったこともあり、国土拡張に必要な石材確保については自給が決定され、以降長きに渡って石材輸出国の地位にあった。国内商工業は、失業者を出さない程度に確保されるに留まった為、国内生産は貧弱の一言に尽き、生活財が慢性的に不足していた為、国民の多くが貧しい暮らしを送った。
565年6月、シベリア共和国が事故により消滅する事件が発生。シベリアから流出した資産の大半が、派遣されていた国際協力隊を頼ってヴェールヌイに流入した為、貧しい経済状況とは裏腹に、多くの余剰資産を抱えることになった。またこの事件をきっかけとして、成蘭連邦王国との交流が始まり、はじめての定期契約を結ぶに至るなど、財政状況が飛躍的に改善された。シベリア共和国に関連した一連の出来事は、ヴェールヌイ経済の歴史を語るにおいて、外すことのできない事象である。
新興国でありながら、574年には後発国のフランドル共和国へ、石材の断続的な無償供給を主とした開発支援を通して、将来の鉄鋼輸入路確保を図るなどの施策を講じている。ただし、このフランドルへの支援は、結果として収益のない石鉱山の維持を長期化させたや、同国の度重なる契約不履行などによって事実上失敗しており、後年のフランドルに関連する国際的な諸問題の遠因となった。
575年10月に、ノルシュテインの「国家建設最終案」が党中央委員会で発せられ、この中で自給経済についてはじめて言及。経済構造や近代化についての研究が活発に行われ、579年にはクシミニャール侯国に視察団を派遣するなどして、同国の産業について調査が行われた。
|
+
| | 民主化と経済発展~スヴィトラーナ政権の時代(579年7月~599年6月) |
まとめ中
|
+
| | サロート政権(599年7月~614年6月) |
まとめ中
|
地理
本島のヴォロドィームィル島(人口約4500万人)、南部のベイクラント島(人口約250万人)、北部のアジノーチェストヴァ島(人口約70万人)の3島で構成される。地域全体を指す古称としてベルーサ(Беру́сса)があるが、公式には用いられていない。
気候
比較的温和である。降雨は年間を通してあり、特に夏季に多い。冬季は温暖で夏季は冷涼になる傾向がある。以上のように、国土の大部分は海洋性気候で占められるが、一方で本土北端の山間部地域は低温で、降水量が多いのが特徴。
主要都市・施設
行政区画として、包括区分の"行政区"と基礎区分の"市"が存在し、行政区における行政中枢が存在する市を"中核市"と呼ぶ。
現在6区45市が存在する。
+
| | 行政区と中核市 |
上図は6つの行政区と各区における中核市の一覧。
- 中央行政区
首都サンサルバシオンを中心に設定された行政区。独自の地方自治権を持たない政府直轄地である。
- 東行政区
国内で最も広域な都市圏(ウメェールイ市及びカニェーク市)を有し、商業中枢として機能している。
ウメェールイ市及びカニェーク市の隣接する二つの都市圏を一つの中核市として扱っている事から、行政区のほぼ全域が中核市のような状態になっている。法令上は同一に扱われる事の多いウメェールイ市とカニェーク市であるが、東行政区の雄を競って一種のライバル意識がある。ヴェールヌイでは唯一と言っていい都会的な雰囲気を持つ地域であり、住民も東行政区以外は全て田舎だと思っている節がある。
- 西行政区
中核市であるグムラク市をはじめとした多くの工業都市からなる生産拠点であり、国際貿易港や、国内唯一の国際空港を有する物流拠点でもある一方、最西部には国内最大の森林地域が広がるなど、その多様性が特徴。これは建国後の経済開発の中でも最初期に手が付けられた地域であり、言わば自給経済構築のテストベッドであった事に起因している。
- 南行政区
- 北行政区
他行政区と比べ人口密度が最も低い。半分が山間部(ヴァストーク山脈)に覆われている。冬季には山々から吹き下りる寒冷で乾燥した地方風が、地域全体を厳しい寒さで覆う。作物の栽培が困難であったことから、歴史的に貧しい地域であった。建国後は近代化が進むにつれ工業が発展した。
- シベリア行政区
ベイクラント島全域に設定された行政区。ヴェールヌイの本島を除く島では一番大きく、世界的にも比較的大きめの離島。また国内で最も気候が温暖である。シベリア共和国難民の避難、移住先として拓かれ、582年までシベリア人による特別自治区であったが、現在は一般の行政区と同じ扱いになっている。農畜産業が盛んで、国内で消費される食料、食肉の生産を一手に賄っている。また温暖な気候を活かした観光業も発展しており、国民の余暇地としても重宝されている。
|
+
| | 都市 |
サンサルバシオン:(10,10)周辺の都市圏
中央行政区の中核市であり首都。
人民議会堂や政府庁舎が点在する政治中枢である。
バロック建築を主とした町並みが形成されており、政府の景観保護規制もあって、諸外国の首都に見られるようなモダンな高層ビルなどが極端に少ない。
ヴェールヌイを代表するスナックである「ボイルド・クラウ・フィッシュ」(香草やニンニクで香り付したザリガニの塩茹で)の発祥地でもある。市内各地で露店が見られ、ビールと共に供されるのが一般的。
グムラク:(6,9)周辺工業都市・港設備
西行政区の中核市。国を代表する港町であり工業都市である。
人口地として最西端、ピトムニク半島と平原部の境、ピトムニク湾の付け根に位置する。国際貿易港として建国初期に開港し、湾に沿って国営工場が計画整備された事で、グムラクは貿易・造船・製造等の産業を中心に、有数の重工業都市として成長した。
中心街における飲食店の規模と密度が国内第一位である。これは工場労働者の外食率が高く、最もその需要が集中する地域だからである。
ウミェールイ:(16,11)周辺現代都市圏
東行政区の中核市で国内最大の商業都市。民主化後、スヴィトラーナ政権下での経済政策によって、東部の中核市として急速に発展した。ウミェールイは、南東部の都市カニェークと都市圏が隣接しており、行政区画上でも一つの扱いを受ける。この2つの都市圏を合わせて全人口の四分の一を占め、名実ともに経済の中心地となっている。
バイウリェーニャ:(13,5)周辺
北行政区の中核市。ヴァストーク山脈の麓に位置する。
長い間、国の開発事業における実施対象地域とならず、農村が点在するばかりであり、国内では一番の低温地帯であることもあって、作物の露地栽培が難しく、貧しい地域の代名詞であった。軍需産業新興地域として国の投資が行われ、ようやく社会資本の整備が実施された。570年からはレゲロ軍駐屯の指定区となったが581年に撤収させている。現在は北部最大の商工業都市として、かつてに比べ豊かになった。
ノヴィ・ノヴォシビルスク:(18,17)周辺
シベリア行政区の中核市で、最大の離島であるベイクラント島に位置する。
かつてはその全域がシベリア人自治区だった。名称の由来はシベリア共和国首都であったノヴォシビルスクにノヴィ(「新しい」の意)を加えたもので、シベリア人の望郷の念が込められている。ベイクラント島はシベリア共和国が豊かな農業大国であった事を反映し、シベリア人の持つ進んだ農業畜産技術を登用、吸収する事を目的とした集団農業区でもあり、国内では唯一農業施設や牧場が存在する。最南端に位置することもあって気候も温暖であり、保養地としても人気が高く、本土から多くの観光客が訪れる。毎年5月にはシベリア人の祭「和解と同意の日」(元々は旧シベリア共和国連邦の成立を記念したもの)が開催され、島中が独特の装飾で彩られる。
|
政治
政治体制
+
| | 憲法と内閣・議会 |
現在の国政制度は583年6月の憲法改正から施行されているもの。
簡潔に表すなら、権力分立は限定的だが、憲法の優越を大前提とした"憲法保証型の国政制度"である。
複数政党による議会制民主主義で、国会にあたる「人民議会」が存在する。定員500名からなる一院制。
人民議会の議員は代議員と呼ばれ、地域及び企業単位にて区割りされた選挙によって任命される。立候補には100名以上の推薦が必要で、無所属で代議員になることは事実上不可能となっている。
人民議会は、専門委員会によって付託案件を討論する議会委員会制である。
人民議会の承認により、「閣僚評議会(内閣)」の長である「閣僚評議会議長(首相)」が任命される。閣僚評議会は人民議会の信任によって成立するものの、議会は不信任決議権を与えられていない為、厳密には議院内閣制ではない。
閣僚評議会は司法省を通じて裁判所の人事権を行使する立場にあり、行政権と司法権は一体のものとして存在する。その性格上、政府の力が非常に強い。
違憲審査権のみ独立した特別裁判所である「社会主義憲法委員会」が有している。憲法委員会のメンバーは閣僚評議会議長によって任命されるが、人民議会はこれを罷免することができる。
憲法は法律に優越しており、政府の法規執行に対して憲法との矛盾が指摘される場合には、違憲審査を請求することができる。請求は人民議会が行う事が想定されるが、個人でも手続きを踏めば申立を行う事は可能である。
憲法改正は、人民議会の3分の2以上による議決、国民投票で投票率90%以上、賛成95%以上が要件となっており、改正を行うのは現実的に非常に困難である。
|
+
| | 社会主義憲法の概要 |
社会主義憲法の概要
現行の社会主義憲法は全4章(35条)で構成される。以下にその概要を示す。
前文では、ヴェールヌイが、域内の労働者階級の統合とその権力によって国家という枠組みを成している事を確認し、その統合の目的は、純粋社会主義社会の発展によって、労働者階級の共通の利益と平等、国家の自由と独立を保障するために存在するとしている。また世界の平和と平等、民主主義の発展に資することによる人類進歩への努力も謳っている。
第一章「政治」
「国家の最高権力は人民によって選ばれた公権力であること」「公権力は特定の宗教権威・権力に支配・左右されてはならないこと」「公権力は憲法の支配を受けること」といった諸原則が列挙され、続いて「選挙」「人民議会」「政府」の諸規定によって構成される。
第二章「社会主義経済」
生産手段の私的所有の禁止と統制、また経済活動によって得られる利益の社会への還元について規定している。利益の還元は平等に行われるが、個人の役割と貢献度合いに応じた正当な対価としての利益享受も、この平等の観点に含まれることから、一定の範囲内で所得格差が発生することを暗に認める内容となっている。
第三章「人民の自由と権利と義務」
全ての人民の自由は、社会主義の利益によってのみ制限をうけ、また他人の自由と権利を尊重する責任を負う。ヴェールヌイ人民は、人種・性別・宗教・教育又は社会的身分の如何に拘らず、その権利と義務において平等であるとされる。細部の規定としては基本的人権の尊重に加えて「教育と就労の自由と機会均等」「義務教育」「労働の安全と健康の保障」「創造活動(科学・学術・芸術など)の自由」「宗教の分離と信仰の自由」「報道の公正性と公開の原則」等がある。
第四章「憲法の改正」
憲法改正は、人民議会の3分の2以上による議決、国民投票で投票率90%以上、賛成95%以上を要件としている
|
+
| | 旧憲法下における政治体制 |
建国された564年7月から、現憲法へ改正されるまでの期間を、俗に「労働党民主独裁体制」と呼ぶ。
国会にあたる「労働者評議会」があり、その長である「労働者評議会議長」が国家元首に当たる。評議会議長は原則として労働党書記長が兼務し、議員は各地方の労働党支部に設置された政治局からの推薦で任命される他、一定数(議席数の三分の一ほど)が衛星政党に割り振られる。また内閣に相当する機関として閣僚評議会が置かれ、閣僚評議会議長が首相に当たった。
旧憲法は「社会主義制度堅持」を謳っていたが、何をもって社会主義制度とするのかについては言及されていなかった。また複数政党制による議会制民主制度でありながら「労働者評議会はヴェールヌイ労働党の指導をうける」と、ヴェールヌイ労働党が指導政党として指導権を有しており、その他の党は衛星政党の性格が強い、所謂ヘゲモニー政党制であった。事実上の労働党による一党独裁体制といえ、国政の実権を握るのは労働党書記長、実質的な政策決定機関は労働党中央委員会となっていた。
一方で、労働党書記長は5年3期までの任期制であり、書記長は労働党所属の労働者評議会議員及びヴェールヌイ国籍を有する党員による公選である。入党希望者は思想身分の調査を受けることで、党員資格を得ることが可能であり、地方支部の党職員は毎年一定数を試験による成績順で採用している為、党職に就くことは実力が伴えば難しくない。イデオロギー指向型のヘゲモニー政党内部に直接選挙制が存在している希有な例であり、社会主義体制堅持を最大公約数的に保護しながら、限定的な民主制度を確立しようと試みていたのである。こうした労働党の民主主義を重視する姿勢は、自ら指導政党としての地位を失うことになる現憲法への改正実行によって、その真実性が示された形となった。
|
歴代の国家元首
+
| | 歴代国家元首一覧 |
(特別な事象がない限り15年で交代します)
オベルタス・スヴィトラーナ(労働者評議会議長579年7月~583年6月/評議会議長583年6月~現職)
第二代ヴェールヌイ労働党書記長であり、党内直接選挙制によって選出された初の国家元首となる。
貧しい街で生まれ育ち、職業訓練校を出て労働者として従事、苦学の末党専従職員になった経歴を持つ。女性であり、党最高指導者としては勿論だが、党地方支部の部局長以上に女性が専任される事自体がはじめてのことであった。
就任当初、女性であることや、その経歴の凡庸さから、強力な指導力を発揮することないだろうと軽んじられ、労働党幹部が囲い込む形で集団指導体制になっていくのではないかと考えられた。しかし、彼女は社会主義と民主主義建設という党理念の「初志貫徹」を掲げて、本人すら行わなかった反ノルシュテイン派の排除を強行し、権力を掌握した後に憲法改正による民主化を断行するなど、強硬に自身の政策を推し進める豪胆さを見せた。また当初の公約どおり、地方の近代化や、企業の計画における自主性を認めるなどの施策によって、就任10年目を待たずして、経済規模を倍以上に飛躍させることに成功している。経済政策での成功を背景に、社会保障やインフラ整備を加速させ、国民所得の増大や社会環境の改善を実現し、共和国を安定成長期に乗せた。FENA加盟やレゲロ編入、フランドルへの派兵なども、彼女の指示によって推し進められた経緯があり、いまや強力な指導者として国民から絶大な支持を得ている。
ユーリ・ノルシュテイン(労働者評議会議長 564年7月~579年6月)
「信頼と平和」を掲げヴェールヌイ労働党を結党。地域における革命運動を主導し国家樹立を果たした。
重度の宥和主義者であり、いかなる勢力に対しても対話による相互理解を主張して憚らない。
自身の思想を反映した、軽武装経済重視政策を推し進め、脱最貧国を実現。その政治信念と国家建設の理想像から、国民や地方党員からの支持は絶大であり、表立って批判されることはまずなかった。しかし、元来権力欲が無かった事と、前述の融和主義もあり、建国以来、党組織が肥大化していく中で、影響力は弱まる一方であった。最たる例が国家保衛省の存在であり、秘密警察による国民監視社会は、彼の信条に本来相容れないものであった。
任期満了まで4年をきった575年10月には「社会主義強国の最終勝利段階について」と題した国家方針に関る提言を党中央委員会で行った。これは自身の退任後に、民主化への取り組みに代わって、多くの社会主義国に見られるような全体主義や恐怖政治に侵されないことを企図してのことであった。
579年7月に任期満了の為退任。退任時には政府より最高勲章である「国家英雄勲章」が授与された。(この勲章は、後に「ユーリノルシュテイン勲章」と改名されているが、本人は反対だったという)また周囲から党要職に残るよう懇願されたものの、これを固辞している。現在は政治から身を引いており、党内でも無役職。本人の強い希望により、動静が伝えられることはほぼ無い。
建国に尽力し、平和・平等・民主という国家としての方向性を決定づけた、名実ともにヴェールヌイの父であり、このため神格化して語られる風潮がある。一方で、在任期間中に政治制度の改善や経済発展において、目立った成果をあげていないことから、「ノルシュテインは思想家であって政治家ではなかった」という現実的な評価も存在する。
|
政党
+
| | 政党一覧 |
労働党/Лейбористская Партия Верный(ЛПВ) | 旧憲法下においては指導政党であり、あらゆる分野において絶大な指導権を持っていた。自党の独裁体制下においても民主主義を推進し憲法改正を実行したことから、以後も国民からの支持が衰えず、最大与党として国政を担っている。「純粋社会主義」の建設を党の最大目的と規程し、これによる経済の発展と民主化の促進、同時に国家主導の重福祉制度構築を目指している。外交においては歴史的に平和・人道主義路線であるが、国家の権益や社会主義制度に対する侵犯行為には強硬に反発する。 | 民主農民党/Демократическая Крестьянская Партия(ДКП) | 新憲法による現行国政制度施行に伴って政治活動が自由化したことを受け、旧社会農民党や労働党の一部により結成された。旧ヴェールヌイ社会農民党の流れを汲む政党であり、旧党が有していた地方農村部での勢力を引き継いでいる。初期には、農業分野における主導政党を自任し、開発政策における集団農業化の推進など、基幹産業としての農業の地位向上と、地方の富の増大を掲げた。外交・安全保障分野では、中立政策の推進を唱えるなど、労働党に比べても穏健路線であった。しかし、現在においては農業拡大路線が現実的でなくなり、外交においても労働党と大きな差異がなく、支持率が低下し続けている。 | 文化自由連盟/Лига за Свободу Культура(ЛСК) | 知識人や芸術家により結成された政党で、多様で超党派的、ヒューマニズム的な関心に基づいた活動を行う。「正しい社会主義文化を広く定着させ、国家の精神的・文化的隆盛を図ることが最大の役割である」と規定している。教育制度の拡充、宗教活動の規制緩和や、民主主義促進の観点からの既存法令の見直しなどについての研究が盛んで、各党に働きかけを行っている。各党との相互協力にも積極的で存在感を随所で示している。 | 共産党/Коммунистическая Партия Верный(КПВ) | 黎明期の非合法な共産主義運動、地下活動家らのうち、新憲法施行を受けて合法的な政治活動へと路線変更したグループにより結成された共産主義政党。国際的な共産主義潮流の連帯、統合を主張し、先立って国内における政治、経済体制を変革を訴えている。外交においては積極的な革命支援、資本主義陣営との対決を見据えた軍備拡張など、強硬な主張が目立つ。共有財産性などの共産主義的政策は憲法違反であるため、究極的には憲法改正が目標ということになるが、国民からの支持は薄い。 |
|
+
| | 過去に存在した政党 |
・ヴェールヌイ社会農民党
旧憲法下においては、労働党への参加が難しい地域(党職採用試験突破が難しく専従者の割合が著しく落ちる地域)を補完する目的で結成された衛星政党であった。その名の通り農村部での所属割合が高かった。地方におけるインフラ整備、一律の教育制度体制の確立を目指し、将来的には労働党へ合流する事を前提としていた。583年6月の憲法改正に際し、党として労働党への合流を決め、公式には解党となった。しかし実際には半数以上が労働党へ合流せず、逆に労働党を離脱した一部勢力と合流し、現在の「ヴェールヌイ民主農民党」を結成した。
・社会主義国民戦線
正式な建国以前に労働党と勢力を二分していた社会主義政党であり「行政指令型の徹底的な計画経済」「行動する反帝国主義」など、過激な主張が特徴であったが、他勢力への襲撃事件や内部粛清などで次第に一般層の支持を失い急激に弱体化した。
労働党の指導を受け入れ衛星政党として体制に取り込まれて以後、あえて労働党よりも急進的な主張を行わせることで、相対的に見せる役割を担っている。ヘゲモニー政党制における衛星政党であった為、583年6月の憲法改正により存在意義を失い、その多くが労働党に合流したことにより解党となった。
|
行政機関
|
ヴェールヌイの中央行政官庁(625年以降) |
詳細
+
| | 閣僚評議会 |
人民議会が任命する閣僚評議会議長と、議長によって指名される他の国務大臣から構成される内閣。ヴェールヌイで「政府」や「評議会」という場合、この閣僚評議会のことを指しており、閣僚評議会議長は普段「首相」と呼称される。閣僚評議会議長は、他の国務大臣の任免権をはじめとする指導的・統制的な権限、並びに国家人民軍の最高指揮権を有している。
閣僚評議会は、一般の行政事務に加え、法律の執行、外交関係の処理(国交開設・条約の締結)、政令の制定、人民裁判所の裁判官や憲法委員会の任命、予算案作成などの職務を遂行し、また必要に応じて国家人民軍の出動を命令する。
|
+
| | 国土省 |
国土省は、社会資本の整備及び国内の安全と治安の確保を任務とする行政機関。国土の利用、開発及び保全、そのための社会資本の整合的な整備、交通政策の推進、気象業務に加え、警察と消防を所管する。
625年7月の省庁再編で、内務省の一部機能(警察、消防)と交通省(インフラ、気象)が統合されたもの。
|
+
| | 工商計画省 |
工商計画省は、純粋社会主義に基づく完全自給経済の維持向上と、対外経済関係の円滑な発展を任務とする行政機関。
工業と商業の需給関係調整を中心として、国内経済及び産業の発展と、鉱物資源(エネルギー)の供給の確保を図っている。また国庫の管理及び税関業務についても所管し、外国の交易機関との交渉窓口を担当する。この為"第二の外務省"とも呼ばれる。国家の経済関係全般を取り仕切ることから、その名の通り社会主義計画経済の本丸的行政機関である。また工商計画相は、必要に応じて国土省、労働福祉省を統括することができ(この場合国土相と労働福祉相は工商計画相の補佐役として工商計画省副大臣と同格と見なされる)非常に強力な地位にある為、評議会議長についで最重要ポストと見なされている。
625年7月の省庁再編で、工商行政管理総局、財務省、化学工業省、農務省が統合されたもの。
|
+
| | 労働福祉省 |
労働福祉省は、生活の保障と向上、社会福祉と社会保障増進、労働環境の整備及び職業の調整、教育の振興による人材の育成、学術、スポーツおよび文化の振興を任務とする行政機関。
625年7月の省庁再編で、内務省の一部機能(教育、福祉)と文化省が統合されたもの。
|
+
| | 司法省 |
司法省は、基本法制の維持及び整備、人民裁判所の監督、法秩序の維持、国民の権利擁護、国の利害に関係のある争訟の処理、出入国の公正な管理を任務とする行政機関。憲法委員会(違憲審査を担当する特別裁判所)は任命権を行政府が、罷免権を立法府が有することで分離されているが、違憲審査を除く司法権の大半は司法省、つまり政府に帰属している。
625年7月の省庁再編で名称を法務省より変更となった。
|
+
| | 外務省 |
外務省は、主体的に良好な国際環境の整備を図ることで、国際における社会主義共和国の国益を維持、発展させることを任務とする行政機関。外交政策、外交使節、条約等の国際法規の締結・運用、外国政府との交渉、在留邦人の保護および文化広報活動など国の対外関係事務全般を担当している。
|
+
| | 国防省 |
国防省は、他国による侵略やテロリストによるテロから国家および国民を防衛する為、国軍である国家人民軍を統制する事を任務とする行政機関。地上軍・防空軍・国境軍・打撃投射軍の四軍の指揮、需品管理、士官の養成、有事・緊急事態における関連機関との調整、広報等を担当している。
625年7月の省庁再編で、軍作戦総局(指揮)と軍務省(需品管理)が統合されたもの。
|
+
| | 国家保衛省(MнB) |
| MнBの紋章 |
国家保衛省(МинистерствоНациональнойБезопасности 略号:MнB 英:MNB-エムエヌベー)は、ヴェールヌイ社会主義共和国の情報機関。過去には政治警察(秘密警察)であった。
職員は、軍隊式(国家人民軍)の階級を持ち、法律上の地位も軍人である。一般国民や敵性勢力のみならず、行政組織や党内部をも監視対象として、他省庁と一線を隔した影響力を持っていた。
583年6月の憲法改正により、一般国民に対する監視活動が規制されたことに伴ない、政治警察としての役割を終えた。やむ無き事情があったとはいえ、国民監視社会を象徴する組織であったが、それに反して国民からの人気は高い。これは、建国当初の黎明期に、反政府過激派(その多くは共産主義者や教権主義者であった)による蜂起(反乱軍発生)が、一般国民にとっても生活を脅かす存在であり、これを規制、取り締まっていたMнBを支持声援する世論が存在したからである。また対外的な諜報、工作活動においても、表向きの発表はないが、成果をあげているとされる。この功績が認められ、再編を翌月に控えた583年5月に、「国家功労勲章」を組織として受章した。現在は情報機関として、対外諜報、各種工作、政府への助言等を行っている。また通信の保証や要人警護も受け持つ。軽武装政策を維持する中で、インテリジェンス機能はヴェールヌイにとって安全保障と国益確保の根幹を成す重要分野と見なされており、MнBが担っている役割は非常に大きいといえる。625年7月には行政機関の大規模な統廃合が行われたが、MнBは依然として単独の中央行政機関として存続した。(建国時から存続しているのは外務省と国家保衛省のみ)
|
外交
「対等・平和」を基本方針として外交を行う。
基本的に国際協調路線であるが、国家の主体性をより重要視しており、外的な圧力(受けること、与えることの両方)を極端に嫌っている。政治的な問題から一部の国家に対して国交を締結しない処置を取っていることも特徴である。
経済政策において反資本主義的であるにも関わらず、外交交渉において資本主義国家を問題視したり批判したことはない。経済体制ではなく、民主制が確立しているか否かを重要視している。たとえば王政であっても、君主権が一定の水準で制限され、国民主権が十分に守られていると判断されれば問題にならないとしている。
これは「人間は本質的に合理主義であり、民主主義が確立した社会において資本主義が選択されているのであれば、その国の人民にとって、少なくとも現段階では合理的だからである」という考えに基づいたものである。要約すれば「論理的に資本主義の社会が少数者の利益だけに奉仕するならば、大多数の人民は現行の体制に貢献する意思を失うはずであって、自身を冷遇する社会体制を進んで維持しようというのは非合理的な態度である。自身の力によって社会を変革する機会が与えられた民主主義制度下にあって資本主義が維持されているのであれば、それは過渡期であるか、社会主義が打倒すべき本質、すなわち近視眼的利己主義に侵されていない事を意味する」というもので、社会主義国であるヴェールヌイが外交においては多数の資本主義国家と交流し、経済的結びつきを有する事に対する回答として用いられる。
よって国交締結の拒否対象は、民主主義が確立していない、もしくは過度に抑圧されている国に限られる。
(こうした国交を有さない国に対しても、国際協力や人道の観点から交易関係を一時的に認めることもある)
諸外国との関係
以下にヴェールヌイ社会主義共和国と諸外国との関係を示す。
何かしらの外交、交易が生じた国に限り記載している。
印象は国内世論を反映したもので、政府見解とは異なる場合がある。
尊敬 | 良好 | 普通 | 不審 | 嫌悪 |
---|
←良―――――――――――――――――――――悪→ |
+
| | 各国との関係 |
ここでは国交有無とは別に、ヴェールヌイとの関係について特別に記載する必要がある国々について補足する。
- シベリア共和国
ヴェールヌイの建国期を語る上で外すことのできない最も重要な国家である。
ヴェールヌイは建国から間もなく、外国から顧問を招致して、その助言を受けながら国土整備計画の策定を図った。特にシベリア共和国から派遣された国際協力隊の各種技術に関する指導は大いに参考とされた。人種や言語といった部分で近しかったこともあり、一般の国民は国際協力隊との関わりを通じて、初めて外国人との交流を持つ事になり、シベリア共和国は政治的にも世論的にも、建国黎明期において唯一の友好国であった。
このような経緯もあり、565年6月にシベリア共和国が消滅すると、政府はいち早く難民の受け入れを表明しており、残留していた国際協力隊の存在を頼りに、シベリア国民の多くがヴェールヌイに逃れた。これは成蘭連邦王国との国交・交易関係樹立の要因ともなっている。この時、資金換算にして200兆Vaを優に超えるシベリアの国内資産がヴェールヌイに流入しており、これが後の経済発展の主要な原動力となった。以降60年間に渡って、シベリア人は限定的な自治権が付与される等、特別な地位にあった。消滅同年に開催された第1回国際スポーツ大会(大幹帝国仁河大会)へは、ヴェールヌイ・シベリア連合チームとして参加している。
- 成蘭連邦王国
FENA加盟国であったシベリア共和国が消滅した事を受け、政府はシベリア難民の受け入れと平行し、FENA議長国である成蘭連邦王国に対して協力を求めた。これをきっかけとして、両国は国交を樹立した。
この時期、成蘭は隕石災害の影響によりエネルギー事情が不安定化し、燃料の輸入拡大を図っていた為、ヴェールヌイが燃料の定期輸出に応じた。これがヴェールヌイの海外交易第一号となった。(グムラク港にはそのことを記したモニュメントがある)この燃料交易は現在に至るまで継続されている事から、最も古い経済関係国ともなっている。ヴェールヌイは国際交易において歴史的にFENAレートを準用し続けており、584年3月には成蘭との入念な事前協議を経て、FENA準加盟を果たした。
592年8月には成蘭国王(当時)の黒石治家が、外国元首としては世界で初めてヴェールヌイを訪問している。(ヴェールヌイが国賓待遇を行った現在まで唯一の例でもある)
穏健で理知的な成蘭は、一貫して信用できる外交関係国であると認識されているのである。
|
+
| | 査証政策 |
| ヴェールヌイの出入国スタンプ(成蘭人渡航者のパスポート) |
外国人がヴェールヌイに入国する場合、当該国政府によって発給されたパスポートにヴェールヌイ政府によって発給された査証を受けたものを所持しなければならない。国交の有無に限らず査証発行のための審査が極めて厳格で、発効までに数か月を要することも珍しくない。ただし下記の国の国籍者については、短期滞在に限り査証免除措置を講じている。
|
+
| | 開発援助政策 |
黎明期に多数の国々から援助を受けた経験もあり、発展途上国の経済発展や福祉の向上を目的として、政府主導による開発援助を実施している。借款形式を用いることが多く、これは「大規模な無償援助を建国間もない国に実施すれば、当該国民の自主性や勤労意欲の減退につながる可能性がある」としているからである。
ヴェールヌイが行う援助を目的とした借款は、成蘭連邦王国が度々実施している対外融資を参考に、独自に制度化されたもの。対象国に固定額の国債を償還期限無期限で発行させ、それを保有した上で、保有国債の価値に関わらず、安定するまで随時援助を実施するという形式で、無償協力に近いものとなっている。対象国は返済期限のない国債を発行して譲り渡すことで、国債額以上の支援を受けることができ、またヴェールヌイ側にとっても(償還確実性は低いものの)債権国化を進めることで、名目上の財政基盤強化に繫げることができるメリットがある。
|
締結・加盟している条約・国際機構等
並びは加盟・締結順
+
| | 第2フリューゲルインターナショナル(565年2月加盟~590年以降不参加) |
プロレタリア国際主義に基づく労働者・労働運動・社会主義運動の国際組織。
香麗労働党より招致を受け、労働党と衛星政党の2党が加盟した。583年6月以降、民主化に伴って衛星政党が解党、再編されたことで、労働党のみの参加に変わった。労働党は、FSIそのものに懐疑的であるが、各国における社会主義・共産主義勢力の状況把握の為、しばらく加盟を継続した。この間、有名無実となっている体制の改善について言及することもあった。590年代に入り、労働党も代表を派遣しなくなった為、実質的に脱退状態にある。
|
+
| | レゲロ・ヴェールヌイ友好相互協力条約(570年8月批准~581年5月失効) |
レゲロ社会主義人民共和国とヴェールヌイ社会主義共和国間の友好及び相互協力条約
社会主義国同士の相互扶助を謳った条約。
当時、両国共に治安が安定せず断続して発生する反乱軍に悩まされており、特に軍備を持たないヴェールヌイは砲弾の輸入や直接対処をレゲロに頼る状態が続いていた。レゲロはかねてより社会主義国との連帯強化、独自の経済圏の構築や延いては社会主義連合国家建設までも画策しており、ヴェールヌイの現状はレゲロにとって好機であった。状況に対応するという名目により、軍事援助を明文化した条約を締結することで、事実上の軍事同盟関係を、自国が優位な状況下で結ぶことができると考えたのである。事実、レゲロ側が示した条約草案には相互防衛義務に類する記述があり、さらには草案提出以前の準備協議段階では、レゲロ側の交渉担当が「連邦制」を口にするほどであった。一方で、ヴェールヌイはレゲロを当初から個人崇拝、全体主義国家として認識しており、このような条約は到底受け入れられるものではなかった。しかし現実として継続した軍事援助は必要であったため、条約の修正を強く要望すると同時に、レゲロ側が条約を修正する間を与えず、訂正案を連続して送付し続けた。最終的には「両国がより安定期に入り次第、条約を発展させる協議を行えば良い」との理屈にレゲロが折れた形となった。
「ヴェールヌイ・レゲロ統制条約」(581年5月)の締結により自然失効した。
|
+
| | ヴェールヌイ・フランドル・フランセーズ開発協定(574年10月批准~581年10月失効) |
ヴェールヌイ社会主義共和国によるフランドル・フランセーズ共和政府領域内における開発と両国協力に関する協定
途上国や新興国への包括援助と、必要資源の確保を企図して立案された開発協定。
シベリア共和国がナードヴァイ革進同盟との間に締結したウラン鉱山開発協定(シベリア共和国の滅亡により自然失効した)に影響をうけて考案されたものだが、オリジナルと異なり「輸出量を援助量を元に事後協議で決定」「国土拡張に用途を限定して石材を無償提供」等、被援助国の得られる恩恵がより増しており、新しい外交戦略に合わせた実験的意味合いが強い内容となっている。
また、フランドルの経済開発をより円滑化する支援策として、軍の派兵や駐屯が、双方の事前確認を要さずに実施可能とする覚書が取り交わされた。主に反乱軍を想定しており、対処にタイムラグを生じさせない事を目的としたものだった。
ウラン鉱脈発見が難航し、最終的に数年間を要したことで、この間の各種維持費用や物資の支援が倍増したことや、石材を無償給与し続けるなど、開発支援の範疇を遥かに超えた支援が続いた。これは当時のヴェールヌイの経済能力の限界を越えており、実際に、自身の経済開発が著しく停滞するという事態に陥っている。また物的支援に留まらず、定期交易契約の斡旋なども行われた。この結果、協定期間中に経済指数でフランドルがヴェールヌイを追い抜いている。
581年10月に規定の開発、輸出入が終了したことで協定満了となり失効。
この際、満了を祝す記念式典が執り行われ、協定の満了記念と両国の友好を願った記念碑がヴェールヌイからフランドルに贈られることが発表された。この記念碑は、フランドルの(4.20)地点に聖なる女神像として建設された。
|
+
| | ヴェールヌイ・レゲロ統制条約(581年5月批准~620年9月失効) |
ヴェールヌイ・レゲロ統制条約
レゲロ社会主義人民共和国によって、ノイエクルス連邦ヴォルネスク自治共和国に向けたミサイル発射が敢行されると、同国は強い国際的非難を浴びることとなった。友好相互協力条約を締結していたヴェールヌイは、遺憾の意を表しながらも、友好国としての立場から、独自の説得外交を展開し、連絡体制を維持強化した。そのような情勢下、579年12月にレゲロで軍部によるクーデターが発生、平和穏健路線を掲げる「国家改造委員会」が旧政権を倒すと、新政権はヴェールヌイに対して政務顧問の派遣を要請。政務顧問の権限について各種交渉がなされた後、本条約が締結された。内容はヴェールヌイがレゲロの国権に係る一切について統制権を得るものとなった。またヴェールヌイの意向により、本条約の締結と同時に、ミサイル問題当事国であるノイエクルス連邦に向けた全面的な謝罪声明も発表された。SEACOM協定の発効により失効。
|
+
| | フリューゲル経済諸国同盟(584年3月加盟) |
フリューゲル経済諸国同盟(以下FENA)に、投票権を有さない準加盟国として参加しており、付随する各議定書も批准している。また「FENAが共和国の社会主義自主経済に対して不当な干渉を加えたり、軍国主義や帝国主義を助けるようなことがあるなら、我々は椅子を蹴ることを躊躇しないだろう」(加盟当時の外務大臣の答弁)とされるように、協調できる限りにおいて協調するという立場であり、可能であっても正式加盟しないという方針を採っている。(594年以降、準加盟国から正式加盟国へ移行するための審査を要求する権利を有しているが、あえて行使していない状態にある)
加盟の経緯
ヴェールヌイは建国以来、FENAが定める交易レートを「国際的に公正性が求められる指標としては最も妥当で、その地位を有している」と位置づけており、事実上の公定レートとして運用してきた。経済発展に伴い、自国の経済政策及び対外交易レートの信頼性を確保し、また国際における経済秩序への限定的な参画を模索する中で、成蘭連邦王国との意見交換が繰り返され、580年1月のFENA臨時総会には、非加盟国としては初めてオブザーバー国として参加するに至った。この総会に出席したヴェールヌイの政府代表は、現状の準加盟国制度の不備について指摘すると共に、平和・民主主義・反軍国主義の立場から正式加盟を求めない立場を鮮明にした。FENAへの限定参加(準加盟国入り)を念頭に、社会主義国としての経済上の特性と、政治的問題について加盟各国に周知するものであった。これらはFENAの正式加盟各国(成蘭連邦王国・ティユリア連合王国・アドミラル王国)からの支持を獲得すると共に、準加盟国制度はヴェールヌイ案がほぼ全面的に採用されることとなり、ヴェールヌイ自身も準加盟国入りを果たした。
|
+
| | SEACOM協定(620年9月批准) |
レゲロの主権回復に伴う社会主義経済支援調整会議設置についての協定(SEACOM協定)
レゲロ社会主義人民共和国が普通選挙を実施して一応の民主化を達した事を受け、ヴェールヌイはヴェールヌイ・レゲロ統制条約に沿って、同条約の解消を目指した。レゲロ新政府は、主権回復以後の経済活動についても、引き続きヴェールヌイによる庇護を求めた。交渉の結果、両国の代表からなる社会主義調整支援会議を設置し、双方の協議に基づいて協調を図ることとなった。ヴェールヌイは議長国として最終的な決裁権を有しており、規定上は一方的優位な立場となる。実態としてレゲロはヴェールヌイの立場から見れば自治国のようなものとなったが、レゲロが協定の破棄について希望すれば、無条件に応じることも併せて表明している。協定の発効以後、仲介貿易を通じて両国ともに貿易収支が大きく増加するなど、当初の予想を上回る成果を発揮している。
|
経済
ヴェールヌイ最大の特徴がその経済体制にある。国庫収益の大半は余剰燃料の輸出によるものだが、国の維持費については原資も含め、全て国内の産業と消費で支えられており、外国との交易を必要としない閉鎖的な自給経済を有している。また高水準な自給経済を構築した結果として、世界最大の純軽工業国ともなっている。
建国以来「純粋社会主義」経済の建設を国是とする。
純粋社会主義はヴェールヌイ労働党によって作られた造語であるが、その方法については現憲法で明文化されており、すなわち『「生産手段の私的所有」を認めず「生産手段を社会化」し、生産量、価格、労働時間、賃金等の全てを私的な自由意志や市場原理に委ねず、人民の参政権が及ぶ機関が統制する。これにより全ての生産活動を、社会全体の利益に奉仕させる』というものである。これに基いて、主要な生産手段を統制する為に、国内の全ての企業活動は、各行政機関によって間接的に監督されている。この統制は「自主独立の担保」と「人民生活の向上」の目的によってのみ行われるものとされる。
なお、この憲法では、個人が正当に獲得した所有物は、その個人の私的財産として定義され、すなわち生活手段の私的所有は認められている。故に私有財産制を否定する共産主義に反対する考え方である。
世界最高レベルの自給経済
|
"主人公は君だ!!社会主義経済を守れ" プロパガンダポスターの一例 |
ヴェールヌイは、自主独立した国体を永続させることと、国民生活の豊かさを追求することの両立の為、経済活動における利潤及びその源泉を国内に求めており、外国との交易は副次的なものであると位置づけられる。経済活動を統制することの根幹は、この考えに基づく各産業規模のバランス調整にあるといえる。具体的には、海外交易による収入を考慮せず、国民生活、社会保障や各種維持費用を高度なレベルで維持し続けるだけの国内経済の建設を目指し、これに逸脱するような開発は認められていない。つまり、豊かな国民生活と充実した社会保障を実現すると同時に、経済封鎖による影響を最大限に排除し、いかなる状況にあっても政治、外交における自主独立を維持し続けようというのである。(社会保障・インフラ・教育の全てが100の状態で、外国との交易が一切ない状態でも、国の維持に支障がない状態を指す)
ヴェールヌイは、外国の資本主義経済を問題視せず、国家間の対等と尊重の立場から、革命を煽動したり、社会主義制度の過度な輸出攻勢に反対している。よって「社会主義経済圏」に対する期待や構築に係る意識は皆無である。一方で、自国の社会主義体制を防衛する観点から、資本主義国と経済的な依存を深める事は避けられている。こうした制約の中で、国民が不満を感じることなく、民主的に社会主義制度が維持される為には、豊かで高いレベルの自給自足体制を確立するしかないという必然があった。結果として、進んだインフラを備え、国家主導による教育も含めた高福祉を実現しながら、原資も含めて国内経済のみで完結させることに成功しており、世界最高水準の完全自給自足経済を有する国家となっている。
体制を確立したのは、580年台後半。590年3月の世界的な軽工業の生産力低下(いわゆる軽工業ショック)により、工業生産力が著しく低下したが、軽工業単一の体制を維持したまま、工業の拡充と効率化を推し進めた結果、5年後の595年3月には軽工業ショック前の水準を回復。多くの軽工業国が重工業や先端工業への転換ないし併用を模索、実施したが、ヴェールヌイは既存の経済構造を改編することなく事態を乗り切ることに成功している。体制確立から軽工業ショック、また現在(700年代前半)に至るまで単一軽工業国として世界最大の商品生産高を記録している。
604年1月に発表された外国の民間シンクタンクによる投資信頼性評価(ノホ・ヘレコ政治研究所格付け報告書)では、その経済体制上の制約から、指標においては凡庸な結果が示されるも、寸評において「極めて安定した国内完結経済であり、指標の低さは問題にすべきでない」と特筆された。
計画と企業
ヴェールヌイにおける企業は「自主的に計画を作成する」「企業長を自ら選出する」といった権限が与えられている。自主計画は「公益性の面から肯定される消費者のニーズ」を充足するもの(少なくとも計画上では)でなくてはならない。
企業は野心的な計画を作成し、省の管理局に送る。省は財の需給関係、国家財政、謳われている公益性の妥当性を評価、調整して、企業に修正した計画を下ろす。企業はこれに対応して計画を更に修正する。こうしたやり取りを繰り返して、最終的に短期的な年次計画を策定する。国によって中長期計画が策定されている場合は、これの達成に寄与するものであるのかも、年次計画の作成、修正における評価項目の一つとなる。中長期計画は具体的数字目標であることは少なく、分野別の規模比率や需給バランスの調整が目的の内容であることが大半である。企業は、最終的に計画が承認されるまで、資材・機械補給等、必要な資材を手に入れることができない。
必要資材は、企業が技術的・組織的革新を導入する準備に欠けぬよう、技術進歩や新製品開発に対しても投入を可能とする為、年次計画とは別に一定量を企業の求めに応じて支給する。使用目的について事前の承認は必要としないが、消費状況については報告する義務がある。企業の求めに対して、満量支給するのか削減するのかは、企業の実績や信用状況、その時点での中長期計画に即するよう変動する。
+
| | 主な企業 |
ウゴリョーク貿易会社(Уголёк)
外国貿易を司る輸出入会社。交易について、取引相手が相手国の企業である場合に、国内行政とを仲介し、双方と交渉、調整を図る。また国交のない国との貿易に関しては、国として直接交渉を行わない建前から、ウゴリョークが全面的に対応することになっており、政治性の高い企業であるといえる。
余談であるが、名称となっているウゴリョークは「石炭」の意味で、建国直後の唯一の産出資源が石炭であったことに由来している。
設計開発企業体(Разработка и дизайн команды)
「設計開発団」「企業連合」とも。兵器などを設計・開発する事業体で、必要に応じて各企業や科学アカデミー等から専門家や技術者を招集し組織される。例えば、航空機の開発が必要とされれば「航空設計開発団」が組織され、開発が終了すれば、召集された技術者は本来の専従先企業に戻る。これにより、技術やノウハウを各企業に還元するという方式である。初めから民生転用を念頭においた運用であるが、優秀な技術を持つ社員を、国によって「徴用」されてしまう企業の立場からしてみれば、当然の見返りであるともいえる。
設計開発企業体は、設計開発においては時限的に活動する「制度」であるが、製造や運営に関して常設の法人格が存在するため、完全国営の特殊企業でもある。
ヴェールヌイ鉄道(Верный железные дороги)
英名VernianRailways、略称はВЖД。ヴェールヌイ人民航空と並んで二大交通インフラ企業とされる。鉄道事業を中心に、付随して自動車事業(トロリーバス)、船舶事業(離島への連絡船)も手掛ける。自家用車の普及台数があまり高くなく、本島以外の離島人口が少ないヴェールヌイでは、鉄道は人の移動や物流を担う最大の交通インフラである。ゆえに鉄道は、国家としての生産性を目標水準に到達させる「計画経済の基本的担保」であると定義され、安全性と正確性を重視する傾向にある。一方で、運行本数自体はあまり多くなく、首都圏をはじめとした大都市圏でも30分に1本、比較的田舎とされる北部になると、中核都市のバイウリェーニャですら2時間に1本(正午すぎ付近のダイヤ)である。ただしこれは、社会主義計画経済の中で、国民の住居、職場、就労時間などがある程度管理されている中での必要数として設定されていることに留意が必要である。
ヴェールヌイ人民航空(Верный народный авиации)
略称はВНАで、英名としては単にVerniyAirlines(ヴェールヌイ航空)と設定している。ヴェールヌイ鉄道と並んで二大交通インフラ企業とされる。民間航空輸送を担う唯一の事業者であり、必然的にヴェールヌイのフラッグキャリアでもある。航空会社コードは3レターでVAL、2レターではVE。ハブ空港は国内唯一の国際空港であるベェリャヂィ国際空港。先進国のフラッグキャリアとしては異常なほど小規模で、国内線、国際線を合わせても一日の運行本数が30に満たない。本島以外の離島人口が少ないうえ、都市間移動も鉄道に大きく依存しており、また鉄道と比べて運賃が割高で、運行本数からも利便性があまりない。自国が完全自給経済であることから、国民が経済活動を目的に海外渡航することが皆無であることに加え、出国許可を受けるための申請が煩雑で厳しいため、海外旅行もあまり一般的でない。国際線は、他国首都への直通路線がわずかに4本の1日5便存在するだけで、うち2便が成蘭首都国際空港(成蘭連邦王国)との往復便である。このため、国民が飛行機で海外に渡航しようとする場合、乗り入れている外国の航空会社を利用するか、成蘭を経由して目的国への路線に乗り換えなければならない事が多い。保有する旅客機は大半が小型から中型のターボプロップ機であるが、国際線用に少数のジェット旅客機も保有する。
| | ジェット旅客機「コミェータ」 | 中型ターボプロップ機「ТВ-2」 |
ストレルカ時計工場(Стрелка)
時計製造メーカー。時計メーカーは数社存在するが、その中でもストレルカは、はじめて国産機械式ムーブメントの設計・製造を行った実績を持ち、そのノウハウと、厳しい品質管理体制もあって、品質は比較的高い。この事から、政府の公式な納入業者に指定されており、官公庁での使用、国からの褒章用、軍には防塵・防水性に優れるステンレス製の腕時計を納入している。官公庁向けに支給される時計にはПмо-ВеСР(ヴェールヌイ社会主義共和国発注品)という刻印がされる。(褒章品に時計が用いられるのは、ヴェールヌイの標語のひとつである「信頼」を象徴するものであるとされているからである)
民生用も多く手掛け、生産モデルは女性用宝飾腕時計からミリタリー風の男性用腕時計まで幅広い。女性用宝飾時計は「ペイングヴィン(пингвин)」のブランド名を用いて展開している。
| ストレルカの時計(国の褒章品モデル) |
エレナ・タバコ生産(Елена табак)
ヴェールヌイは成人男性の約半数が喫煙者という喫煙大国である。現在では数少なくなった農家の大半が葉たばこを生産しているほど需要がある。エレナ・タバコ生産は、国内でたばこの製造販売を手がける唯一の企業であり、法律によって、葉たばこ農家によって生産される葉タバコの全量購入を義務付けられている。販売する銘柄は20種類以上にもなるが、基本的にどれも鈍重で荒々しい喫味をもつ。代表的な銘柄に「ハイライト」(中の人が愛喫)「ヴァーザ」(花瓶の意)「ニェーパ」(空の意)などがある。特にハイライトは、ヴェールヌイ製たばこ特有の重厚さと、ラムフレーバーの香料を用いた香味のバランスに優れ、癖はあるが根強い人気を誇る。
|
交易レート
584年3月以降、フリューゲル経済諸国同盟(FENA)の準加盟国となったことに伴い、FENA加盟国に対してはFENA内優遇レートを全面的に適用している。また域外交易に関しては、FENA標準レートを基本にしつつ独自関税を設けている。国交を有する国に対しては優遇レートに近いものを適用し、それ以外には標準レートの50%から200%の範疇で、都度価格が決定されている。
以下の表は、国交有の場合の輸出品目ごとの現在レートである。
輸出品目 | 単位 | 資金換算 |
---|
燃料 | 1億ガロン | 1.5兆Va |
---|
銀 | 1万トン | 10兆Va |
---|
商品 | 1兆Va相当 | 0.5兆Va |
---|
食肉 | 5万トン | 1兆Va |
---|
石油 | 1億バレル | 1兆Va |
---|
砲弾 | 1億メガトン | 2.5兆Va |
---|
*砲弾輸出は国交有かつ所定の審査を経て人民議会での承認が必要となっている。
経済史
+
| | 建国とシベリア特需(564年~570年初頭) |
建国後まもなく、労働者評議会の決議により、政府は向こう数十年間に及ぶ国土開発計画を取りまとめる作業に取り掛かった。
しかし、元来土着の農業文化しか持たなかった事から、現代的な経済開発を進めるにおいて知識を持つ人材が圧倒的に不足しており、計画の策定は大幅に遅れることとなる。
打開策として、諸外国から技術顧問の招致、視察団の派遣等が検討、一部実施された。特に、シベリア共和国から派遣された国際協力隊の経済・各種技術に関する指導は大いに参考とされ、また内政面については、共通の政体を標榜するレゲロ社会主義人民共和国から助言を受けている。
各国からの支援を元手として、基本資源である燃料確保の為、炭鉱をウラン採掘場に転換、合わせて採石場の整備が行われる。採石場開発は、建国間もない国ほど国土拡張に石材が必要であること、そして当時、世界的に石材産出国が減少していたことが背景となり、自給が決定されたものであった。
国土拡張に並行して、工場及び市場が人口増加に合わせ整備された。失業者を出さないための受動的な処置であり、生産及び商利益は僅かなものであった。
シベリア共和国の消滅によって、同国の資産が大量に流入した。国土近代化が飛躍的に進展、伴って国内経済規模も拡大した。同じくして、経済大国である成蘭連邦王国と、シベリア消滅による各種問題の意見交換を機に国交を樹立。同国は隕石災害の影響により燃料不足が発生、輸入拡大を図っていた事から、燃料の定期輸出契約を結んだ。この輸出契約は、それまで確固たる収入源を持たず、シベリアの財産を切り崩すことで名目上の成長を続けていた状況を変えるに十分なものであった。
成蘭連邦との契約も含め、一連の経済発展は全てシベリア共和国の消滅に端を発する事から「シベリア特需」と呼ばれた。同国が消滅し、多大な人命が失われた中、莫大な恩恵を享受した事に、シベリア人からは「同胞の死体の上に他人の国が築かれた」と論じられる事も多い。
以下は主に建国当初、各国より受けた援助の内訳である。
【シベリア共和国】
資金 50000億Va + 同国消滅時の流入750000億Va
燃料 50000万gal + 同国消滅時の流入900000万gal
建材 10000万t + 同国消滅時の流入150000万t
食糧 300000万t
*同国消滅に伴ない返還不能となる
【香麗民主連邦】
資金 10000億Va
建材 10000万t
|
軍事
| |
国家人民軍の軍旗 | 行軍する地上軍の兵士(儀礼用の服装) |
軍事政策
建国以来、社会主義経済の発展及び社会福祉重点主義により、一貫して軽武装政策を採り続けており、政治的目的の達成や強制外交の為の軍事力整備に否定的である。政治的にも軍隊の地位は低く、国防大臣は主要閣僚の中でも比較的小職と見なされる傾向がある。
防衛に重きが置かれ、主権国家に対しての先制攻撃(予防攻撃も含む)は考慮されない為、戦力投射能力は低く抑えられている。また外国から直接侵略を受けた場合、単体で軍事的に勝利することが不可能であることから、相手の経済になるべく長期的な損害を与え、占領された場合には相手に利益を与えぬよう、鉱山や港湾を自発的に破壊する、いわゆる焦土作戦も辞さない姿勢を鮮明にしている。一方で、主権が明確でない混乱地域に対しての保護活動や、軍事力が整備途上の国々を対象とした哨戒や対処の負担など、国際貢献を軸にした海外での活動にはある程度積極的である。
国家人民軍
国家人民軍(НациональНая народнаяАрмия-ННА 英:NNA)は、反乱軍や怪獣に対する対処を目的として、建国から2年半後の567年1月に組織されたヴェールヌイの国軍。法律により徴兵制が禁じられているため志願兵のみで構成される。人員規模は70万人以下に制限されており、創建以来60万人を超えていない。(陸空軍の値のみで、海外部隊はこれに内包されていると解釈)これは主要先進国と比べて最小級、サンサルバシオン条約機構を構成するそれぞれの加盟国軍隊の半分かそれ以下の水準となる。
建国50周年(614年7月)には創建以来初となる軍事パレードを挙行し、その整備状況を内外に示した。641年10月のサンサルバシオン条約機構発足以降、国家人民軍は社会主義集団安全保障体制の一翼を担う事になったが、最低限度の自国防衛組織としての性格は堅持している。
+
| | Нна марш(国家人民軍行進曲) |
Национальной народной армии марш для ВеСР(国家人民軍行進曲)は、国家人民軍の軍歌であり、全軍の公式楽曲である。575年9月に作曲された。567年1月の健軍以降、国内治安維持もままならず、国民のみならず、健軍の当事者である労働党からも軽視されていた中、ようやく一定の規模が整備され、改めて軍の地位向上を図る一環として作曲、制定されたものである。歌の中で「労働者と農民の軍隊」を自称しているように、歌詞全般にわたって労働者と農民への目配せが行われいる。また防衛組織であることも並んで強調されている。
Нна_марш.mp3(演奏と歌:国家人民軍中央軍楽隊)
1.
誰が背後にある工場、村々や鍛冶場を
自ら歩哨に立ち、君達の為に見張っているのか?
誰が砲門と共に人民と平和を護り
君達を襲おうとする刑吏と殺人鬼を詰みに追いやるのか?
繰り返し:
これぞ我ら、準備万端にして決然と
陸から海までを監視する
これぞ我ら、諸君らの同志である
労働者と農民の軍隊だ
これぞ我ら、諸君らの同志である
労働者と農民の軍隊だ
2.
誰が工場と労働者達を護るのか?
誰が地主が多くの収穫を独占せぬようにするのか?
誰が爆弾の炸裂による脅しごときに驚いたりするのか?
誰が君達の善良性と人権を護るのか?
繰り返し:
|
装備(軍事技術)
装備の国産化、軍事資源の自給には積極的である。
軍事関連物資を海外からの輸入に頼ることを避け、自国の実情や、時の情勢に即した装備体系(砲弾備蓄)を目指すという、防衛戦略上の理由とされる。このため、現在まで兵器輸入やライセンス生産、共同開発を他国と行っておらず、自力開発(全量国内生産砲弾による軍事訓練の実施)を貫いている。国家人民軍への配備のみならず、輸出を意識してのコストパフォーマンスにも重きがおかれており、安価で大量導入が可能な点をセールスしている。輸出が可能と判断される友好国に対して、迅速・多量・安価に兵器を供給することを可能とすることも、独自の安全保障政策の一環とされた。
(砲弾輸出レートが超安価に設定されているのはこれを反映しており、世界有数の砲弾生産能力を有している)
宇宙開発
ヴェールヌイの宇宙開発政策は、建国以来長らく予算処置が殆ど行われてこなかった。その為、各大学や企業が基礎研究を小規模に行うに留まり、列国との格差が発生していた。しかし、596年12月、ヴェールヌイ史上最大の被害となった巨大隕石災害(900万人以上の死傷者が発生した)に至り、政府は人口衛星の運用よる警戒態勢の整備を決定。半年後には射場の建設に着手、並行して打ち上げ用ロケットの設計開発も行われた。606年5月にはラードゥガ・ロケットA1試験1号機の打ち上げと、初の人工衛星となる観測衛星ゼムリャの軌道投入に成功し、衛星保有国の仲間入りを果たした。気象衛星の段階を踏まず、いきなり観測衛星を保有した点が、諸外国の宇宙開発の歴史と比べても特異である。これは少ない予算の中で、より必要性の高い衛星の開発を優先した結果であった。もともと少ない宇宙開発予算は年々削減の傾向にあり、626年3月には新規の衛星やロケットの開発は行われなくなった。現在は最低限度の技術と衛星を維持する為、定期的に保守機材の打ち上げを行うにとどまっている。
+
| | 打ち上げ用ロケット |
| ラードゥガ計画の表象と各構成図 左からA1,A2,A3となる |
- 打ち上げ用ロケット
ラードゥガ・ロケット (英:Raduga キリル:радуга) はヴェールヌイが開発・運用している人工衛星打ち上げ用ロケットシリーズ。名称のラードゥガは"虹"を意味する。規格化された設計により共通モジュールを各バージョンで使用し、必要に応じて構成を変えることで2,500から10,000kgの貨物を低軌道に投入できる。気象観測から対隕石用まで、各種の衛星打上げをラードゥガ・ロケット一種のみで賄うことで、開発費を低減すると同時に生産性とメンテナンス性を向上させるという野心的な計画に基づくものだったが、拡大型で問題が多発し、期待された様なコストパフォーマンスを発揮できなかった。
構成名 | 詳細 |
---|
A1 | 最小構成。気象・観測衛星に対応。各種衛星の保守機材打ち上げにも用いられる為、現在も運用が続く。 | A2(A2M) | 補助ブースターを2つ取り付けた中型構成。迎撃衛星の打ち上げに使用された。 | A3(A3M) | 補助ブースター4つの大型構成。軍事衛星と防衛衛星の打ち上げに使用された。 |
- 実績と問題点
606年5月に最小構成タイプとなるラードゥガA1が初飛行し、小型の実証観測衛星の軌道投入に成功した。しかし610年から612年にかけて行われた中型構成のラードゥガA2は打ち上げに四度にわたり失敗。度重なる失敗による費用増加に加え、基本設計そのものの欠陥が指摘され、新規の打ち上げ計画が暫く凍結された。建国50周年を間近に控えた614年3月に、A2の改善型となるA2Mが打ち上げられ、悲願であった迎撃衛星の軌道投入に成功した。大型構成となるA3は、620年に打ち上げに二度失敗。その後設計の見直しが行われ、2年後の622年2月には軍事衛星を搭載した改善型A3Mが打ち上げに成功、626年3月には防衛衛星の軌道投入にも成功した。このように、A1が初回成功、その後も衛星保守機材の打ち上げで安定した運用実績を積み重ねている事に比べ、拡大構成型のA2、A3は幾度も失敗している。この事から、素体となるA1部分の一段目と二段目ロケットよりも、増設される補助ブースターとその切離し装置等、またはペイロード増による姿勢制御系に問題を抱えているのではないかと予想される。予算上の都合から各モジュールごとの検証実験を十分に経ずして、はじめから打ち上げ本番に臨むことも少なくなかった。失敗すれば一度に全ての部品を喪失する為、問題の未然防止や改善の為の検証をより困難なものにしている。結果として、作り直す建造費も重なって、少ない予算を浪費せざるを得ない悪循環を生んだ。
|
+
| | 射場施設 |
[添付]
- プログレス宇宙基地
全てのロケット打ち上げはプログレス宇宙基地 (英:Progress Cosmodrome キリル:Космодром Прогресс)で行われる。惑星の自転を利用したロケットの打ち上げは赤道に近いほど有利になる為、本島最南端となるマルチェロ半島先端部地区が選定され、安全性を考慮して打ち上げ台は海岸沿いに建設された。597年6月に建設開始、599年10月に主要設備の施工が完了し、601年4月から実験運用を開始した、
基地周辺の住宅地と工場は、宇宙基地建設事業関係者用に先行して開発された都市型集落で、現在も主に宇宙事業関係者が暮らしている。原則として地元住民以外は訪問することができない。
|
+
| | 衛星 |
衛星種別 | 名称 | 状態 | 内容 |
---|
観測衛星 | ゼムリャ(земля-大地) | 運用中 | 地殻変動を観測し、地震・津波を事前予測 | 迎撃衛星 | グラス(глаз-目) | 運用中 | 小惑星帯から飛来する隕石に対しての警戒監視 | 軍事衛星 | ルーク(лук-弓) | 運用中 | 詳細不明。化学レーザーの一種を搭載し、地表攻撃が可能らしい。 | 防衛衛星 | シチート(щит-盾) | 運用中 | 詳細不明。弾道ミサイルに対する何らかの電子妨害を行うらしい。 |
|
社会
ヴェールヌイは世界でも国民幸福度が高い国の一つに数えられる。これには国民性、国の規模、社会システムなど様々な要因によって成り立っている。
社会保障と生活
大学までの教育(現役まで)と医療、一部交通機関の利用費用の全てが国の負担によって賄われている。住宅も80%以上が国営によるものであり、特別な環境を求めない限りにおいて、購入代金や家賃を払う必要がない。年金制度はないが、就労が不可能となった者は国が生活費を支給する。結婚式や葬儀費用も無料。
また税金が存在しない。ただし、生活に必要な消費財の価格や、購入の元手となる賃金を国が調整しているため、最低限必要な生活費×1.3前後を最低限の支給ラインとして保証した上で、それ以上の利潤については国が天引きする形をとっている。実質的には高負担といえるが、引き換えに享受できる社会保障と、汚職が極めて少ないクリーンな政治も相まって、制度に対する不満が表明されることは稀である。また必要がないため、多くの世帯が貯蓄を殆ど行っていない。
一般労働職(役所関係や軍隊以外)は一律で完全週休二日制、加えて年間4週間の休日も保証される。就労時間は9時から17時が基本で、夕飯を家族で囲むことを常識とする。
煙草とアルコールの消費が諸外国と比べてもかなり高いが、平均寿命は高福祉の影響からそれなりに高い水準を維持しており、男性で75.9歳、女性が80.2歳となっている。
上記のように「意識させない高負担」を基盤にした高福祉で、全ての国民が一定水準の生活を営むことができる。しかし、生産された分をそのまま消費する自給経済システムは「一国社会主義唯一の成功例」と喧伝される一方で、国民の選択の余地を制限する結果となり、娯楽の幅も少ない。たとえば、嗜好品であるコーヒーの生産は限定的で、インスタントが僅かに2銘柄存在するだけ、衣料品は必ずしも自分の好みに合う柄が生産されているとは限らないし、サイズも細かく分けられていないなど、多くの消費財において幅がない。一般的なレジャーといえば、家族友人を連れたって郊外にピクニック行くくらいのものである。多くの出費を要し手続きも煩雑な海外への旅行は、貯蓄のない多くの国民にとって高嶺の花で「海外に旅行するために政治家か官僚になる」(公務で海外出張の可能性がある為。事実、年間の海外渡航の半数が公務員)というジョークがあるほど。
教育
+
| | 教育制度の詳細 |
憲法により、6歳から16歳までの10年間が義務教育期間として定められており、全ての国民が一般教育学校に7年、総合技術上級学校に3年通うことになる。その後、職業訓練校と、上級高等学校に分かれる。(18歳までの2年間)職業訓練校に進んだ場合は、そのまま職場への配置を受けるか、本人の希望や能力により、専門学校や大学へ行くこともある。上級高等学校へ進む場合も2年間の18歳までで、基本的にその殆どが大学へ進学する。一部の専門学校を除いて、教育費は全て国家負担となり、大学生を擁する世帯には手当が支給される。
|
国民性
政府が実施している国民に対する意識調査の統計によれば、ヴェールヌイ人の国民性は概ね以下のようになる。
・真面目
規則や法律に厳しく、規律を厳格に守ろうとするが、時に融通がきかない。
・寛容的
貧富に差がなく平等、競争もないため、規律の範囲内の物事に関しては寛容的。
・謙虚
平等の概念を曲解している節があり、自身が他人より秀でることを嫌う。向上心や自己主張が、新しい格差を生むのではないかと恐れており、他人に褒められると困惑するケースが多々ある。ゆえに流されやすく、稀に強いリーダーシップを発揮する者が現れると従順になってしまう。
総論
統制により効率化された労働環境により余暇が十分に与えられ、将来を心配することのない社会保障システムを完備しているが、一方で物質的にはけして裕福ではない。国民の幸福度が高いのは、これらに満足しているというより、ルールに従順かつ寛容な国民性からくる「不満を持たない事を良しとする風潮」が大きく影響している。こうした国民性は、他人を気遣う心と、理性的で落ち着いた振る舞いを保つことに貢献しているともいえるが、一方で主体性に欠け、夢を持ち大きな変化を望むことへの足枷ともなっているという指摘もある。
文化
食
肉や魚などを丸ごと焼くような塊の料理と、野菜や穀物を粥のようにする粥の料理の二種に大別される。ヴェールヌイでは、塊の料理にあてはまらないスープ類などで食材が形を残しているのを好まない傾向にある。
肉類は保存用に加工することが多く、塩漬け肉やソーセージやハムを作って貯蔵する。魚はあまり好まれず、調理法も発達していないが、一部甲殻類は好まれており、酒のあてとして茹でたザリガニを食べる習慣がある。
また砂糖の生産量が少なく高級品扱いとなり殆ど使用されない一方、甘味料として蜂蜜を多用する。ヴェールヌイの紅茶は、多くが黒茶色に濁った見栄えの悪いものであるが、これは蜂蜜が混ぜられているのが原因である。(紅茶のタンニンが蜂蜜の鉄分と化合して「タンニン鉄」になりタンパク質とタンニンが結合して沈殿物になる為。人体には無害。)
芸術
美術・音楽・文学等の芸術活動は、明確な反社会主義的意図をもって行われない限りにおいて、表現の自由が保証されている。
一方で「多くの大衆を芸術を通じて社会主義建設に目覚めさせ、鼓舞しなければならない」という政治主導的な芸術(純粋社会主義芸術と称される)が礼賛されており、労働福祉省の推薦があれば創作活動への助成を受けることが出来る。国内の多くの芸術家が、自己本位の作品制作を行う傍らで、助成を受けるために程度に差はあるものの、政治的作品を発表している。特に音楽には力を入れており、高頻度で新曲が発表され、国営ラジオで盛んに放送される。ジャンルはポピュラー音楽調から軍歌まで多岐に渡る。工場、農場、商店など全ての職場では、思想意識の強化とレクリエーションを兼ね、就業時間中に歌の時間が設けられていることも少なくない。こうした場ではアコーディオンが盛んに用いられ、各職場に一人は弾きこなす人物がいる。
こうした音楽に対する強い関心に加えて、グラフィック面(wikiや報道で使用される画像関係)での隆盛を図ることにも余念がなく、国家としての一種のブランド戦略となっている。外国への画像提供やリファイン作業の請負も度々行っているほか、世界初(実態があるという意味で)の国際文化イベントとして国際友好音楽祭を実施している。
+
| | 絵画「ヴェールヌイ人」 |
純粋社会主義芸術の代表作とされる絵画。
男性と比べ肉体的に劣るものの、どこか力強さを感じる女性が、社会主義の象徴である鎌と槌を手にしながら、それを振り上げるでもなく黙している姿は、ヴェールヌイという国家そのものを表現しているとして高い評価を得た。ミハイル・カレリンはこの作品の発表により名を挙げ「人民芸術家」称号を得ている。
|
+
| | 新興諸国経済理事会(ENEC)ロゴ&組織旗 |
608年1月に結成された新興諸国経済理事会は、ロゴ及び組織旗を選定するコンペンションを開催し、加盟国とオブザーバー国から応募を募った。各国審査官による選定作業の結果、ヴェールヌイのカニェーク芸術大学の学生(当時)であるレフ・グリンカの提出作品が当選し正式採用された。後にレフ・グリンカはENEC事務局公認デザイナーに就任しており、加盟各国内で文化活動に従事している。
|
スポーツ
建国以来、長年に渡り行政がスポーツ振興に積極的でなく、設備や道具を必要とする競技の人口が少ない傾向がみられた。しかし580年代から590年代にかけての飛躍的な経済成長を背景に、行政主導のスポーツ振興策が実施されるようになると、国民がスポーツに興じる機会も増え、愛好者の裾野が広がるようになった。
+
| | 第1回国際スポーツ大会(大幹帝国仁河大会) |
100m走(金) 4×100mリレー(金) ボート競技(銀) ボクシング(銅) 体操(銅)
565年に開催された国際スポーツ大会へは、この年に消滅したシベリア共和国への哀悼の意と、難民として世界に散ったシベリア人を鼓舞する事を目的として、ヴェールヌイ・シベリア連合チームとして急遽参加を申請、事前準備が行われないまま選手団が派遣された。ボクシングはシベリア人選手(シベリア軍人で国際協力隊員としてヴェールヌイに派遣されていた)によるものであり、リレー競技は両国から2人づつ選出された。特筆すべきは2つの金メダルが短距離競技だった事だろう。選手の一人が「途上国代表の私たちが何かやれるとすれば、それはもう我武者羅に走ることしかないと思った」とコメントを残している。ボートは南部タチアナ河で古くから親しまれており、健闘が喜ばれた。
|
+
| | 第2回国際スポーツ大会(石動第三帝国山岡大会) |
野球(金) レスリング(金) ウエイトリフティング(金)
射撃(銀) 柔道(銅) ホッケー(銅) ボート競技(銅)
609年3月に開催された第2回国際スポーツ大会は、第1回大会から40年以上ぶりの開催であった。参加は20ヵ国。この頃には先進国としてスポーツ振興も一定水準に達していた為、国内でも結果が期待された大会だった。また前回はシベリアとの合同チームによる参加であった為、ヴェールヌイとしての参加は本大会が初めてのものとなった。
ヴェールヌイは全29競技中20競技に選手を派遣し、メダル総獲得数で4位タイ、金メダル獲得数に限れば1位タイと期待を上回る活躍を見せた。特に(実際に協議が行われるという意味で)大会一番の目玉競技である野球において、ヴェールヌイチームは組織性を発揮した徹底した守備戦略を展開、堅実なプレーで見事優勝を飾った。
|
栄典制度
|
左から『ユーリノルシュテイン勲章』『国家功労勲章』『国家労働勲章(一級)』 |
国家や社会主義の発展に対して特段の功績があった者を褒賞するため、「国家勲章」という名の栄典制度が設けられており、全て政府の名で授与される。勲章の授与は、純粋に栄誉を称えるもので、何かしらの特権の付与を伴わないものとなっている。
- ユーリノルシュテイン勲章
ヴェールヌイ最高位の勲章で、社会主義の発展に尽くした功績に対して授与される。下記の国家功労勲章の上位版であるといえ、あらゆる分野での功績が対象となっている。
- 国家功労勲章
各分野での抜群の業績ならびに国家の重要問題の解決に尽くした功績に対して授与される。軍事、科学、学術、労働生産、労働者運動、平和運動等のあらゆる分野での功績を称える目的で制定されている。個人のほかに企業、組織も授与対象となる。
- 国家労働勲章
優れた仕事を成したヴェールヌイの労働者・農民・技術者の個人に授与される。国民の勤労意欲を鼓舞する目的で制定されており、比較的多く排出される。この勲章にのみ1級から4級までの等級がある。例として、一般労働者であれば10年間の皆勤を達成すると、工場の推薦で4級が授与される。
その他
社会主義のお話
社会主義のお話は、共産趣味者であるヴェールヌイの中の人が、フォーラム上で連載している駄文の集合体である。社会主義(および共産主義)という思想や制度について、あくまで客観的に解説、紹介することを目的としている。
当初は連載予定もなく、適当な一人語り形式だったが、第六回より小芝居形式となっている。
けして社会主義への支持を訴えるものではないことに注意!
お客さん!良かったら読んでって!