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Re: 社会主義のお話
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社会主義のお話 (ヴェールヌイ社会主義共和国, 2015/3/14 1:10)
- Re: 社会主義のお話 (ヴェールヌイ社会主義共和国, 2015/3/18 20:47)
- Re: 社会主義のお話 (ヴェールヌイ社会主義共和国, 2015/3/19 19:57)
- Re: 社会主義のお話 (ヴェールヌイ社会主義共和国, 2015/3/22 12:50)
- Re: 社会主義のお話 (ヴェールヌイ社会主義共和国, 2015/3/23 18:55)
- Re: 社会主義のお話 (ヴェールヌイ社会主義共和国, 2015/3/24 19:37)
- Re: 社会主義のお話 (ヴェールヌイ社会主義共和国, 2015/3/31 23:00)
- Re: 社会主義のお話 (ヴェールヌイ社会主義共和国, 2015/4/1 22:40)
- Re: 社会主義のお話 (ヴェールヌイ社会主義共和国, 2015/4/3 21:04)
- Re: 社会主義のお話 (ヴェールヌイ社会主義共和国, 2015/4/13 2:33)
- Re: 社会主義のお話 (ヴェールヌイ社会主義共和国, 2015/5/8 22:43)
- Re: 社会主義のお話 (ヴェールヌイ社会主義共和国, 2015/5/11 0:47)
- Re: 社会主義のお話 (ヴェールヌイ社会主義共和国, 2015/8/2 18:53)
- Re: 社会主義のお話 (ヴェールヌイ社会主義共和国, 2015/10/25 13:48)
- Re: 社会主義のお話 (ヴェールヌイ社会主義共和国, 2015/12/5 23:05)
Здравствуйте!
ヴェールヌイだ。
資本主義なくして社会主義なし!
前回は、そもそも資本主義とは何かというお話を簡単にさせてもらったよ。
さて、そんなわけで資本主義が抱える矛盾が顕在化するにつれて、変革を求める声が上がりはじめることになるよ。労働運動のはじまりだ。
今回は19世紀のヨーロッパでの例から、労働運動と社会主義の関係性について整理していこう。
その前に前回のおさらい、というか補足だけさせてもらうね。
マルクスは、実際に物やサービスを生産する労働者が、金儲けを目論む資本家に従属し、さらには搾取されるような事態は矛盾していると考えた。生産によって得られた利益は、それを実際に生産した者に享受されるのが当然じゃないのか?それなのに、労働によって、実際に富を生み出している者が、どうして貧しいのか・・・。
この単純明快な矛盾の源泉を「生産手段の私的所有」と「労働力の商品化」に求めたんだね。
重要な点は、資本主義社会において、労働によって生み出される財やサービスだけでなく、労働力そのものもまた1つの商品だという事実だよ。衣服だろうが、食物だろうが、労働力だろうが、それが商品である限り、買う側からすれば、値段が安いに越したことはないよね。しかし売る側の立場は、もちろん全く逆になる。それを調節するとされるのが、市場原理だというわけ。要するに、万人に等しく開かれた透明な市場が、その自動調整機能を通じて、適正価格への指向性を発揮するという理屈なんだ。
うーん、たしかに売り手と買い手の立場がまったくの対等なのであれば、その理屈も成り立つのかもしれないよ?だけど、少なくとも労働力の売買においては、決して対等では無いんだ。買い手は、金儲けのために生産手段を私的に所有する資本家で、売り手は生産手段を持たず、生きていくために労働力を売るしかない賃金労働者だ。この二者は別々の階級に所属する人間であって、対等な当事者ではない。一方は「資本家階級」他方は「労働者階級」ということだね。
マルクスが捉える階級社会というのは、単なる格差社会や階層社会の事ではなくて、客観的、二分法的なもので、究極のところ、生産手段を私有するか否か、それだけを基準にしているんだよ。
労働市場が不平等であることの根源は「等価交換のトリック」つまり労働力の価格が、その労働の持つ価値によってではなく、労働者の生活費によって決められていることにある。一ヶ月の生活費が10万円なら、その労働者が100万円分の価値を生み出す働きをしても、資本家は10万円支払うだけで、等価交換が成立してしまう。これが利潤の源泉だ。資本家は、自分に有利な買い物ができる時だけ労働力を買えば良いけれど、労働者は、いかに不利な売買条件であれ、ともかく労働力を売らねばならない。こうして賃金は常に買い叩かれ、労働者の生み出した利益の大半が、生産手段の所有者に渡るという事態が発生するんだね。資本主義的な生産様式が、利潤の獲得を目的にしている以上、この現象は避けられないものなんだ。
さて、やっと今回のテーマに入っていくよ。
労働に携わる人間は、労働によって、以前にもまして多くの財やサービスを生み出しているのに、なぜ豊かになるどころか、逆に貧しくなるんだろう。豊かな人間よりも、貧しい人間を多く生み出すような生産様式は、目指すべきものではなく、むしろゴミ箱に放り投げるべきものじゃないのか・・・?このような疑問が、19世紀ヨーロッパで芽生え始めたんだ。
言うまでもなく、この発想の背後にあるのは、市民革命の経験だ。絶対王政を打ち倒し、封建的な奴隷状態から解放されたという歴史的経験が、ヨーロッパの人々に対して、世の中は自分たちの力で変革できるのだという確信を植え付けていたんだ。
この異議申し立ては、思想面では社会主義として、実践面では労働運動として台頭して来ることになるよ。その発祥の地は、どちらもイギリスだ。当然だよね。資本主義があってこその社会主義。世界に先駆けて資本主義的生産様式を実践した国で、それに対する最初の抵抗が発生したってことだもんね。
ただし、社会主義理論と労働運動は、重複する部分は多いけれど、必ずしも相互に連動していたわけでは無いんだよね。歴史的に見れば、社会主義と無関係な労働運動も数多いんだ。
労働運動の直接的な目的は、労働者階級の具体的な利益に他ならない。労働者は、思想や信条の殉教者ではないのだから、これもまた当然のことだった。そこでは未来の理想よりも、今日の生活の方が重要だから、妥協であれ、対処療法的であれ、常に現実的な問題解決を志向する傾向にならざるを得なかったんだよ。
他方、社会主義の理論や思想は、働く人間の利益や権利を肯定するとはいえ、必ずしもすぐさま実利に直結するものじゃない。むしろ逆に、目先の利益がどうあれ、問題の根本的解決を志向している。
そもそも、社会主義を生み出したのは労働者ではなくて、知識人(19世紀においては上流階層)の中から生まれたものなんだ。だからそれを広めようとする運動は、労働運動とは別の文脈で展開されることも多かった。社会主義と無関係な労働運動が数多く存在したように、労働者のいない社会主義運動も数多く存在したんだよ。
ところが結局のところ、労働者のいない社会主義運動は、大きな政治勢力を構成できないわけであって、社会主義運動が実を結ぶためには、労働運動と連帯し、その支持を得ることが不可欠だということがわかってくる。となると、現実問題として、社会主義運動は、労働者階級の具体的な利益にも配慮しなくてはいけなくなっちゃう。こうして社会主義運動は、社会主義の原則や理論がどうあれ、労働者を味方につけることが、運動の重要課題となっていったんだ。
あちらを立てればこちらが立たず。こうなってくると、社会主義運動と社会主義理論の間に、微妙な亀裂が生じ始める。社会主義理論と矛盾するような社会主義運動もまた、増えていくことになるんだ。
前途多難なところで今回はおしまい。
どうも戦争がはじまりそうだし(投稿時期は20969期582年6月)次回はちょっと間を空けてから投稿することにするよ
みんなに幸せが訪れますように
それじゃДо свидания!