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Re: 社会主義のお話

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ヴェールヌイ社会主義共和国

なし Re: 社会主義のお話

msg# 1.4
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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2015/3/23 18:55 | 最終変更

Здравствуйте
ヴェールヌイだ。
社会主義と共産主義の違いについて早く説明したくて仕方がない今日この頃だよ。
その前に、前回の予告通り、今回は社会主義理論と思想の草分け的存在である、空想的社会主義者について見ていくことにしよう。



【<<空想的>>社会主義者】

社会主義という考え方は、1830年代、まずはイギリス、次いでフランスで姿を現したと言われているよ。
そこで鍵になる人物は、イギリスではロバート・オーウェン、フランスではアンリ・ド・サン・シモンとシャルル・フーリエだ。
この三人の人物を、日本で有名にしたのはマルクスとエンゲルスの「共産党宣言」だろうね。
その中で、オーウェン、サン・シモン、フーリエの三人は、いわゆる「空想的社会主義者」のレッテルを貼られたんだ。
となると、まるで1830年代の社会主義思想が、空想や妄想レベルのものだったって言ってるように取れるよね。
けどこれは大きな間違い、誤解のひとつだ。

マルクスは「空想的」という修飾辞を、必ずしも妄想や空論を断罪する意味で使ったわけじゃないんだよ。むしろマルクスは、共産党宣言の第三章において、この三人を実は高く評価しているんだ。

ただ、マルクスやエンゲルスにとって、この三人は古い世代の社会主義者だった。特に、実践面において古く感じたんだろうね。この三人の「空想的社会主義者」の中で、一番若いのは1772年生まれのフーリエなんだけど、それでも1818年生まれのマルクスに比べれば、その年齢差は坂本竜馬と吉田茂よりも大きいんだからね。そう考えると「空想的」のニュアンスもわかってくるでしょ?

新しい日本の夜明けを夢見た坂本竜馬にとって、近代化した日本の姿は「空想」するものでしかなかった。同様に「空想的社会主義者」達の思想もまた、未来社会の空想的描写にならざるをえないにきまってるんだ。
その意味で、マルクスから見れば、三人の「空想的社会主義者」の思想や理論は、すでに現実味を失ったものに映ったんだろうね。たしかに両者の間には、世代の違いもあって、いくつもの対立点が存在する。それでも、あえて巨視的に見れば、「空想的社会主義者」の三人も、マルクスも、全て19世紀に活躍した社会主義者なのであって、根本的な次元では多くの論点を共有しているんだよ。とりわけサン・シモンとマルクスは、理論面で接点が多く見出せるんじゃないかな。



【マルクスもエンゲルスも社会主義者に分類される】

よくあるけど、マルクスを絶対視したり、全否定する態度は利口じゃないね。素直に考えれば、マルクスだって、社会主義の世の中など実在しない時代に、それを空想したにすぎない。だからと言って、その思想や理論が輝きを失ってしまったわけではないでしょう。ただそれだけのことだよ。

そのことを理解するために、もう一度社会主義の基本定義を思い出してみよう。
社会主義とは、生産活動が私的な金儲けの手段と化さないよう、それを理性的な意思決定のもとに統制することである、だったよね。
これに照らすと、マルクスとサン・シモンに決定的な違いはない。両者とも、生産活動の理性的な統制を基本に置いた点では大差ないんだよね。

ちなみにサン・シモンは、フランス社会主義の創始者とされる思想家で、その著書である「産業体制論」や「産業者の教理問答」は、国民の大多数を成した貧困層の境遇改善を強く訴えた作品として知られているよ。たしかに、サン・シモン自体は、エリート層(世襲為政者ではなく産業指導者や知識人)による統治を支持していたし、ユートピア的な平等社会を肯定していた。だけど、主眼はあくまで統制経済による貧困の解消と豊かさの実現であって、エリート統治は手段に過ぎないし、平等社会もまた、その帰結にすぎなかった。マルクスよりも60歳近くも歳上のサン・シモンにとって、労働者階級が政治の主役となり、自らの力で望ましい社会を実現することなど、空想することもできなかったに違いない。当時、生産活動を理性的に統制する能力を持つのは、エリート層であって、労働者大衆ではなかったんだね。まぁその認識が、マルクスの時点からみれば古臭いってことだったんだろうけどさ。

けどマルクスにしたって、労働者大衆の政権担当能力を「空想」したに過ぎない。マルクスの著書を読み、その理論を理解し、その主張を真に実現する能力を持っていたのは、結果的にどのような人々だったのか・・・その現実を直視しなくちゃいけないね・・・。
ともあれ、サン・シモンの思考は、生産活動の統制と組織化という発想に関する限りでは、完全に社会主義の本質を突いていた。

フランスの社会学者、デュルケムは、オーウェン、サン・シモン、フーリエ、マルクスの四人を全て「社会主義者」だと規定した。この規定は、デュルケムが「社会主義」と「共産主義」を区別した上で分類したものだ。これは要するに、自ら共産党を宣言したマルクスを、共産主義者ではなく、あえて社会主義者に分類したってことだよ。この判断は、政治的立場上の都合ではなく、真に学問的なものだ。デュルケムは、政争に巻き込まれて混乱した用語法を、改めて整理し直そうとしたんだ。



では、共産主義とは何なのか。共産主義者とは誰なのか。
次回はついに、この問題について見ていくことになるよ!



つづく!
До свидания!

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