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Re: 社会主義のお話

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ヴェールヌイ社会主義共和国

なし Re: 社会主義のお話

msg# 1.3
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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2015/3/22 12:50 | 最終変更

Здравствуйте!
ヴェールヌイだ。
こんなシリーズを書いてると心配になってくるのだけれど、私はコミュニストでもなんでもないからね。
ただの共産趣味者のはしくれ、誤解がないように、一応ね。

今回は「社会主義とは何か」についての総まとめになるよ。以降は歴史の話に入って行くことになるけど、とりあえず基礎部分は今回でおしまいになる。



前回は、19世紀ヨーロッパにおける資本主義への異議申立てが、思想面では社会主義理論、実践面では労働運動として台頭したけれども、社会主義運動と労働運動は同じものではなかったし、社会主義理論と社会主義運動も同じではなかったというお話だったね。
それと同様、あたりまえのことだけれど、社会主義を掲げる国家の誕生は、社会主義を実現した国家の誕生と同じではなかった。そうであるはずなのに、歴史を振り返れば「社会主義理論」「労働運動」「社会主義運動」「社会主義国」といった事柄が、切り離しづらく錯綜していて、現代でも誤解の温床となっているんだ。その意味で、純粋な形での社会主義は観念の中にしか存在しないものなのかもしれないね。

けど、社会主義が観念であるならば、資本主義もまた観念でしかないんだ。
現実の世界に、完全な形での資本主義が存在していないことがその証拠だよ。警察や軍隊が国営や公営であることを除いても、近代化した文明社会において、貨幣や兵器や麻薬などの製造を、バケツやスリッパの製造と同列視して、それらを全て自由な資本主義経済に委ねるような事態は、まず起こりえないもんね。教育や医療の、交通等に関しても同じようなことが言えるんじゃないかな。

社会主義は資本主義を打倒し、乗り越えようとする。けど、そもそも乗り越えようとする対象が、観念的な存在に過ぎない。異なる観念を打倒できるのは、結局のところ、別の観念だけだ。それを現実世界で実行しようとするわけだから、事態が錯綜しないわけがないんだ。もうめちゃくちゃなことになる。
資本主義であれ、社会主義であれ、その完全な姿を現実社会に見つけることは、絶対に不可能なんだ。これをまず認識しなくてはならないよ。

社会主義は、資本主義と同じく、信奉すべき理想ではないにしても、単なる妄想や空論ではない。逆にどちらかを絶対的な善として信奉してしまうと、妄想や暴走の世界に迷い込んでしまう。そんな歴史もいっぱい存在しているね。

社会主義は、完全な形で実現できる制度ではない。現実世界を地上の楽園に変える魔法ではないんだ。だから、社会主義の理論や思想を、実現不可能な理念だと非難したところで、実のところ、あまり意味はないんだよね。だって当たり前のことすぎるんだもの。現実の資本主義にしても、ツギハギだらけの資本主義に過ぎないのだから。

それでもなお、社会主義には、それなりの根拠と存在理由があった。
ベルリンの壁が崩壊し、ソビエト連邦が解体されようとも、社会主義が提起した問題意識は、そう簡単に却下され得るものではない。実際、21世紀に入って以後も、ヨーロッパの国々の多くでは、社会主義を掲げる諸政党が(程度に差はあるけど)脈々と一定の勢力を保ち続けているよね。いかにツギハギを施そうとも、資本主義が抱える難点は、少なくとも根本的次元において、何一つ解決していないんだから、突然のことなんだ。

自由競争、自由経済、自由市場、自由貿易、金融自由化などの実現によって、さらには飛躍的な経済発展によって、飢餓人口や貧困や生活苦が減少しただろうか?
人々の多くが富を生産することに比例して、人々の社会生活が安楽なものになっただろうか?
そうでないのなら、現行の社会システムは、皆で懸命に維持すべきものでなく、やはり改変すべきものではないのか?
数々の挫折や敗北を越えて、社会主義を支え続けているのは、このような問題意識に他ならない。
そして、それは断じて机上の空論に属するものではなく、多くの矛盾や葛藤を抱えながらも、極めて率直で、論理的な問題意識だといえるんじゃないかな。
率直で論理的な問題意識と、矛盾と混乱に満ちた展開。実在する社会主義は、これらを合わせたものであって、それ以上でも以下でもない。だから、社会主義を理解するためには、それが辿ってきた歴史を知る必要がでてくる。

現実の社会主義を知ることは、マルクスの著作を知ることと同じではないし、社会主義の歴史を知ることは、有名な社会主義者の奮戦記を知ることと同じでは断じて無いんだ。



はい、というわけで今回はこれだけで終わりです!

個人的には、書き始めた動機にあたる部分、つまり言いたかったことは実はこれでおしまいなんだよね。このフリューゲル世界をはじめ、箱国系の社会主義や共産主義というのは、程度に差はあれ、現実に存在した多種多様な社会主義運動のキメラでしかない。そして、実践面においては歴史のなぞり返しばかりだ。これに相対する側も、個別の社会主義者や共産主義者に対して、実際の歴史がどのように対応したのか、その表面部分をなぞることをする。
だから私は、たまには地球での実践での歴史展開を無視し、理論面だけをなぞって独自に武装した社会主義国があってもいいんじゃないかと思って、そんなプレイを心がけているよ。これはただの自己満足の話だからどうでもいいんだけどね。ごめんなさい。

さて、この「社会主義の話」は書きながら自分の勉強のし直し、整理にも役立つものだからみんなの興味のあるなしを完全に無視してまだまだ続けていくよ!暴走するよ!

次回からは本格的に歴史を辿って、社会主義の輪郭形成について、その草分けとなった「空想的社会主義者」の話から続けていこうかなと思うよ。オーウェン、サン・サンシモン、フーリエとかその辺だね。
もうどこで区切りをつけて終わればいいのかわからなくなってるよ。


それじゃあまたよろしく。
До свидания!

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