util

ユーザ名:

パスワード:



パスワード紛失

新規登録

関連リンク





Project:Simunations
箱庭諸島のスススス島

メインメニュー

オンライン状況

1 人のユーザが現在オンラインです。 (1 人のユーザが 貿箱Wiki を参照しています。)

登録ユーザ: 0
ゲスト: 1

もっと...
国名République de Lacustre Lomeray
(英訳)Lakeside Republic of Lomeray
標語Liberté et Patrie(自由と祖国)
国歌Ô monts indépendants(おお自由なる山々よ)
公用語スイスフランス語
宗教カルヴァン派(国教)、キリスト教他教派、無宗教、その他
政体議会主義・代議制共和国
通貨ロムレー・フラン
建国フリューゲル暦 611年 5月 15日

概要 anchor.png

スイス西部、主にヌーシャテル湖畔を出自とする移民団によって、故郷に似たフリューゲルの高地の湖畔に建設された国家。

Page Top

地理 anchor.png

本土は台地状の島であり、国土に占める高地の割合が高い。ただし干拓地や離島など、ある程度は低地も存在する。
いずれの地域においても自然環境は厳しい環境基準の下でよく保護されると同時に、自然享受権が法的に広く認められている。

Page Top

中央高地 anchor.png

島の大部分を占める高地地域。氷食湖が散在している。気候は冷涼な山岳性。
以下の三大都市が存在しているが、近年は実態としては分散化が進んでいる。しかし行政区分においても住民意識においても現在でも三大都市という区分は厳然たるものである。

Page Top

ロムレー Lomeray anchor.png

(9,11)近郊。共和国最初の都市にして法令上の首都。中央議会とそれに関連する政府機関の施設が存在する。建国の契約が交わされた丘もそのまま記念碑として残っている。
建国最初期のごく数ヶ月間の間、共和国はロムレー・コミューヌと一体の事実上の都市国家であり、その名残で都市名は国名と同じである。外国から見ると紛らわしいことこの上ないが、ロムレー人は自国のことを「(湖畔)共和国République(de Lacustre)」と呼ぶのが普通なので、国民の間ではあまり気にされていない。一応、特に区別が必要な場合にはロムレー市Ville de Lomerayと呼ぶ。

Page Top

ポワンクール Poincourt anchor.png

(13,9)近郊。共和国の最大都市(ゲーム的には首都)。中央高地の中では最大の盆地に位置し、また建築上の規制が他のコミューヌに比べ緩やかなことから国内では珍しく高層ビルが林立する景観がみられるが、それでも他国の大都市ほどの密度はない。
631年11月に巨大隕石の直撃により壊滅的な被害を受けたが、現在は復興、その後の都市計画の巧みさもあり、インフラのよく整備された都市として商業上の中心地の地位を守り続けている。郊外には墓地を中心とする巨大隕石災害のメモリアルパークが所在する。

Page Top

サン=トゥルミエール Saint-tourmielle anchor.png

(9,14)近郊。同名の大聖堂の所在地であり、ロムレーにおける宗教上の中心地。移民船が着陸した地点であり、その船体の一部がそのまま大聖堂の建物に使われている。
観光地・保養地としての発展が共和国内でも最も早かった地域であり、現在でもこの都市の郊外に共和国最大のリゾート地が広がっている。第一回ソサエティはこの都市で開催された。

Page Top

北西干拓地 anchor.png

低地ではあるが北方に位置するため冷涼であり、同時に海からの風が卓越し湿潤。主に酪農と混合農業が営まれる。

Page Top

南東干拓地 anchor.png

中央の高地から吹き降ろす風が卓越し、ロムレー国内では珍しく温暖な地域。主に花卉・野菜などの園芸農業が行われる。

Page Top

周辺島嶼 anchor.png

周辺に点在する島々。国立公園指定のなされた自然保護地や対着上陸侵攻用の防衛陣地が多くを占めるが、本島と同様に多数の観光地が存在する。

Page Top

歴史 anchor.png

Page Top

610年代 自給的共和国の時代 anchor.png

611年5月、現在のサン=トゥルミエールに降り立ったロムレー移民団は、ロムレーの地にはひとまず牧牛に食ませる草と暖を取るための炭が充分あることを確認し、入植を開始した。一般にロムレーの建国は5月15日14時にロムレーの丘で交わされた建国の誓約によってなされたとされ、この日が建国記念日となっている。そして同時期にフリューゲル国際社会との接触も図られ、また、独自に行われた資源調査でウラン鉱を発見、613年から始められた資源輸出により、国家として安定して経営できる状態を確立した。ウラン鉱の開発において他国の投資を受けずに行われたのには、以後のロムレーにおける他国への経済的依存を回避しようとする傾向の原型を見出すことができる。
この時期においては共和国はカルヴァン主義共和政を理念とし、また政府の機能は抑制され、ある程度各種産物の商業的な輸出をし、形式的にはレンティア国家的でありつつも基本的には独立自営農民を中心とする社会が築かれていたといえる。この時代のロムレーの、当時の表現では「ピューリタン的理想郷」と呼ばれる社会は現在のロムレーでも「古き良き国制」として理想化され根強い支持を集めている。
しかし610年代も後期に差し掛かると国際社会への理解が進展、フリューゲルで広がっていた学問を国内に浸透させるには移民船時代の徒弟制的な技術伝承・教育の形態では不十分との考えが広まって618年ごろから公教育制度の整備や海外への留学生の送り出しが始められるほか、619年ごろから大々的な保養地の整備が行われて長期滞在観光客の呼び込みが始まるなど、610年代末の時点で既に後のロムレー社会の原型は形成されつつあった。
その国際社会への理解の進展をもたらしたものとして最も大きいのは、時期は若干遅いが619年に行われたウィリーツェン会談であろう。この会談でのウェールリズセ代表の弁が国内で伝えられると、共和国民はその内容に大いに興味を持ち、国際政治への関心が高まった。これは公教育制度拡充の直接的原因ではないがそれに拍車をかけたのは間違いない。

Page Top

620年代 観光大国化の時代 anchor.png

風光明媚な景観に助けられつつ留学組の持ち帰った技術を用いて振興された観光業は620年代には年率二桁の高成長を続け、628年ごろにロムレーの滞在者数はそれまで滞在者数世界一であったエルツ帝国を抜いて世界一に到達した。基本的にロムレーはこの年代に観光大国の地位を確立したといえる。一方で観光業に土地と労働力を奪われて農業生産については後退し、この時代には食料自給能力が失われることになった。
また、資源輸出と観光業を両輪とする経済が確立されたことで経済的にも好況が訪れ、627年に設置された福祉医療局を中心に留学組のなかでも社会自由主義者を中心とした勢力がヴェールヌイをモデルとした福祉国家化を図る運動を始め、この時代に幸福度も国際指標上で大幅に向上した。
この時代の後半は安全保障・宇宙開発においても進展があった。627年末に気象衛星の打ち上げに成功したほか、629年にレゴリス帝国との相互安保条約を締結している。もっともそれが本格化するのは630年代になってからのことになる。

Page Top

630年代 防衛力拡充の時代 anchor.png

この時期にも引き続き観光業は成長を続けているが、ロムレー人にはこの時代はなによりもポワンクールへの巨大隕石落下、そして対レゴリス相互安保を受けての防衛力拡充の時代として記憶されている。
631年11月に起きた最大都市ポワンクールへの巨大隕石の落下はロムレー史上最大の大災害であり、これにより共和国のほとんどの官僚機構が機能停止する危機的状況に陥った。このときに効力を発揮したのが3年前に締結したばかりのレゴリスとの相互安保であり、そこではレゴリスからの救助隊が活躍した。
この巨大隕石の衝撃はロムレーに軍隊の機能を認識させる結果となり、それまで「軍服を着た観光案内所係員」と評される状態だったロムレー軍はレゴリスからの軍事顧問であるルーミヤ・グドリャンの下で改革されて主に山岳戦を中心とした実戦能力を身につけ、また635年10月には安全保障局が迎撃衛星の打ち上げにも成功している。
なお、634年のクイーンズによる対全国家宣戦を受けた際、直接的な影響はなかったものの、これを受けて行われた海防力向上のための調査の結果を活用して、沿岸部の干拓が行われ、干拓地での酪農などによって食料自給能力を回復した。これも中央政府が大きな役割を振るうというこの時代の特徴的な出来事でもあるかもしれない。
この年代の起こった外交上のできごととしては、カルセドニー島共和国が提唱する資源輸出国機構創設を目指す9ヶ国会議への出席もあったが、この交渉参加にあたっては議会を始めとする諸勢力の激しい抵抗にあって代表団派遣が遅れるなど、当時のロムレー人の経済的な国際機構への抵抗感があらわになった。なお資源輸出国機構構想自体は会議中断後音沙汰はなく、事実上頓挫している。尤も、仮にこれが成立していた場合、中央議会での批准に失敗するか、あるいは政変に至っていた可能性が高い状況であり、共和国にとってはこの構想の挫折は好ましかったと語られることがほとんどである。

Page Top

640年代 相対的安定期 anchor.png

この時期にはもはや観光業の成長はひと段落し、滞在者は2000万人弱、観光収入は200兆Va/年強でその成長は極めて緩やかであった。
641年に創設されたソサエティには共和国は原参加国として参加し、645年にサン=トゥルミエールで行われた第一回ソサエティにおいて議長国の役目を果たしたほか、ソサエティによるトロピコ査察団に人員を送り出した。
この年代のロムレーはあらゆる意味で安定し、繁栄を享受した。第一回ソサエティの成功はその結実であった。
しかし、この時期にトロピコ問題やヴァノミス問題は水面下で進行しつつあった。第一回ソサエティの共同声明の第一項がトロピコ問題を扱うものであったことは示唆的である。

Page Top

650年代 戦争と共和国の変質の時代 anchor.png

650年に入り、トロピコやヴァノミスを巡って国際関係は急速に緊迫したが、共和国はこれまでの外交姿勢を継続し、同盟国のレゴリス帝国を支持してENEC諸国と協調する立場をとり、結果としてヴァノミス危機とトロピコ戦役に身を投じることとなった。
ヴァノミス危機は大戦の危惧を抱かせたものの、ぎりぎりで回避された。しかし、これによって建国以来最大の資源輸出先であったアルドラド帝国との関係は断絶され、トロピコ戦役直前にアルドラドによって行われたトロピコへの砲弾納入のためにそれはもはや修復不能なものとなった。
トロピコ戦役はその有志連合の軍事力に反して3年以上にも及ぶ長い戦いとなった。その中でロムレーの民間人や観光客が被害を受けることはなかったものの、トロピコ軍によってロムレー軍は大きな損害を被ったし、戦費や経済的な負担も膨大なものとなった。典型的なピュロスの勝利といえる。
多くの戦争に言えることだが、例に漏れずこの戦争を通じてロムレーは変質を被ることとなった。それは建国以来の共和政のシステムも議会主義の理念にも手をつけず、変質したのは政府と軍のみであったが、ともあれここにおいて共和国は620年前後に匹敵する変質を遂げた。
ロムレー軍は大規模に動員され、建国以来主要産業として大きな影響力を持った鉱業は、いまや戦時体制の下で動かされる存在となった。
なお、この戦争の戦訓は多く、それを活用して654年3月には防衛衛星の打ち上げに成功している。また、656年からレゴリス資本の兵器整備拠点がロムレー軍基地周辺に建設され、軍備の国内完結性が高められることになる。
戦後の一時期には政府や軍の無策な戦争遂行への非難が盛り上がり、激しい議論が交わされたこともあったが、最終的にはうやむやのうちに終わり、650年代の後半はロムレーは再び平穏な日々を過ごすこととなった。
657年にはENECにオブザーバー加盟し、トロピコ戦役以来の国際的立ち位置はここで完全に確定されたといえる。

Page Top

660年代 再結晶化の時代 anchor.png

661年に共和国は建国50周年を迎え、各地で式典が開催された。戦後の内向き意識の中で積極的な外国代表の招待は行わなかったものの、中央議会の記念式典ではレゴリス帝国総統が演説を行っており、レゴリスとの同盟関係が再確認された。この年代にはレゴリスの国際的地位は低下傾向にあったが、ロムレーは良好な対レゴリス感情からあくまでレゴリスを支援しつづけている。
なお、666年の連合国によるセビーリャ作戦において共和国軍はウェールリズセ側に立ち支援兵力を派遣しているが、この作戦の間、本土は一貫して平時体制を維持したままであった。平時体制の状態で派兵ができるようになったことは、650年代の共和国の変質の結果であり、セビーリャ派兵を通じてそれが新しい共和国の体制として定着した。セビーリャ作戦完了後は占領委員会の一員として占領政策にも一定程度関与しているが、共和国はセビーリャに対しなんらの利害関係もなく、またセビーリャになんらの利益も期待しなかったため、共和国はそこでは専らセビーリャの安定化だけを追求する姿勢にある。

Page Top

670年代 沈潜の時代 anchor.png

673年の石動・アルビオンによるサン・ピエルへの九ヶ条要求に端を発する一連の外交問題において、ソサエティはこれに反対する姿勢を見せた。ここでは共和国はソサエティ諸国との協調を優先したが、国民的にはそれほど大きな関心を集めず、むしろロムレー史における「古き良き国制」の再検討のような国内的で学術的な議論に終始した傾向がある。
一方で軍事的なENEC諸国との連携は引き続き深化させられ、678年にPDECに加盟した。

Page Top

680・690年代 休眠期 anchor.png

この時期には国際社会も比較的平静であったが、国内はそれに輪をかけて静かであった。とはいえ、ヴァノミスでは内戦が発生しているのだが、これについては前述の通り当時の共和国では不干渉主義が強まっており、ロムレー軍はこれに出兵はせず、内戦終了後に復興支援を行うに留まった。
一方で、この時期のコーデクスの統治機構改革の試みは合理的紀律を重視する勢力を中心に大きな影響を与え、国制の議論に新しい局面を出現させることになる。

Page Top

700年代 anchor.png

Page Top

政治 anchor.png

中央議会に政府機関としては最も大きく権限が与えられている議会主義体制国家。他のフリューゲル諸国(主にレゴリス帝国)への留学者が学んできた各国の国制からも一定の影響を受け、民主主義の体裁を保っている。
建国以来政変や暴動の経験はなく、632年初頭の世界同時社会不安や650年代前半のトロピコ戦役出兵の最中においても安定を保った。ここ数十年はフリューゲル最高水準の支持率と満足度を維持しており、治安・支持率・財政などの指標も建国以来恒常的に健全な状況を保ち続けている。

Page Top

内政 anchor.png

実務においては各コミューヌへの権限委譲の程度など、かなり分権的な体制であり、また、医療制度や社会保障制度が非常に充実させられた現在でも未だに夜警国家的な理念を持っているところがある。

Page Top

中央議会 anchor.png

ロムレーの議会。移民船内で地球出発直後から行われてきた船全体の方針決定会議を継承するとされる。
共和国は議会主義を掲げているが、その議会主義はロムレー人に伝わるところのスイスの議会制度を基にした特殊なもので、移民船時代から建国期にかけての党派対立の存在しなかった時期の無政党政治が建前の上では維持されていることになっている。
とはいえ事実上はカルヴァン主義共和派、合理的規律派、重農=環境派、自由思想派、社会自由派という五つの主要な党派が存在しており、歴史資料から再建されたマジック・フォーミュラー的な方法で閣僚が選出される。閣外の党派として復古的無政府主義者や評議会共産主義者などが存在するが、これらの議席はごく少数である。
なお中央議会議員選挙においては各コミューンによる州主権的な理論が採用されており、各コミューンごとに議席の定数が割り当てられ、コミューン毎にそれぞれの定めた選出方式により議員を選出し中央議会に送る形式をとっている。そのため選挙方式は一様ではないが、ほとんどのコミューンでは単記移譲式を初めとして何らかの選好投票が用いられている。

Page Top

行政局 anchor.png

共和国には中央政府の行政組織としては外交局・通商局・安全保障局・大気海洋局・教育局・観光局・社会基盤局・福祉医療局・公安局・監査委員会の9局と1委員会が存在する。
共和国の官僚組織は形式としては中央議会の各部会ごとに付属する事務局に過ぎず、そのために最上位の官庁が省ではなく局を名乗っている。
なお、共和国の雇用における公的セクターの比率はかなり高いが、ほとんどは各コミューヌに属する公務員であり、中央政府の官吏はごく少数にすぎない。

Page Top

政策スライダー anchor.png

地方分権-◆-----中央集権結局のところ、コミューヌごとに任せるのが一番効率が良い
貴族中心----◆--富豪中心私利に拘泥せずにすむだけの資産と論説を際立たせる広く深い教養、議員には両方が必要なのだ
農奴制------◆自由農民スイス農民の子らよ、我らの自由と権利と独立を永遠に守り通そうではないか
保守主義--◆----革新主義『伝統』には観光客を楽しませる力がある
重商主義------◆自由貿易知識、あるいは資産。その果実を我らに与えてくれる者が通るのを妨げる理由などあるまい
攻撃主義-----◆-防御主義共和国と盟邦を守る。それ以上のことが必要なのだろうか?
陸軍重視---◆---海軍重視陸軍と海空軍、それぞれにはそれぞれの役割があるのだ
精鋭---◆---大軍国家規模からすると軍事力は量的にはこれが限界だろう
Page Top

その他 anchor.png

  • 国旗
    ロムレーの故郷、スイス国旗の元になったとされるシュヴィーツ州旗をもとに作られた旗。シュヴィーツ州旗にない白地の領域は自由・新天地・万年雪の意味を表しているとされる。
    なお、縦に掲揚する場合でもロムレー国旗では十字が左上に来るのが正式である。そのため垂直掲揚の場合は90度回転させた後に裏返して掲げる。
  • 国歌“Ô monts indépendants”
    本来は19世紀後半から20世紀中葉まで使われていたかつてのスイス国歌。
    共和主義の精神が感じられるために建国期の中央議会の議員に好まれ、湖畔共和国の国歌として採用された。
    1番2番3番4番
    Ô monts indépendants,
    Répétez nos accents,
    Nos libres chants.
    A toi patrie,
    Suisse chérie,
    A toi la vie le sang
    De tes enfants.
    Nous voulons nous unir,
    Nous voulons tous mourir
    Pour te servir.
    Ô notre mère!
    De nous sois fière,
    Sous ta bannière
    Tous vont partir.
    Gardons avec fierté
    L’arbre au Grütli planté
    La liberté!
    Que d’âge en âge,
    Malgré l’orage,
    Cet héritage
    Soit toujours respecté.
    Dieu soutins nos aïeux,
    Il nous rendra comme eux,
    Victorieux!
    Vers lui s'élance
    Notre espérance,
    La délivrance
    Viendra des cieux.
Page Top

外交 anchor.png

特に安全保障の面でレゴリスとの安保を軸とし、ENEC諸国を始めとしたソサエティとの国際協調を基本方針とする外交政策をとっている。他国の勢力圏下にあるとみなした国への干渉は何らかの特別な事案のない限りは避ける傾向があり、ソサエティ外の大国とも没交渉的である。
経済的には特定の国に偏ることなく観光客を誘致しており、ある一国への経済的依存というものは存在しない。

Page Top

国交のある国家(樹立順) anchor.png

※各国への論評は中央議会における評価意見の大勢であり、公的な効果を持つものではありません。
国名に打ち消し線のある場合はかつて国交があったが現在はないことを意味している。

  • エーラーン教皇国(滅亡)
    宗教の浮沈も帝国の浮沈も分からぬものだ。大国といえども、かような最期を遂げることがありうるらしい。
  • フランドル共和国(滅亡)
    どうも政治経済共に混迷している地域であったらしく、最終的には崩壊してしまったが、建国期の共和国に援助物資を提供してくれた国でもある。…厳しい情勢な中で援助をしてくれたことに、なおのこと感謝するのが筋であろう。
  • ベルサリエーレ共和国(滅亡)
    かくて柱を失った国が一つ崩れ落ちた。瓦辺戦争の戦後処理は、彼の国に我々が思っていた以上に壊滅的な衝撃を与えていたのだ、ということか。
  • 石動第三帝国(滅亡)
    FuCoSTOを主導していた国であったが、共和国を含めたソサエティ諸国とのサン・ピエル問題以後の敵対関係の正常化は果たされないままに開国後の経済体制の再構築に失敗して崩壊した。
  • ウェールリズセ連邦共和国(滅亡)
    ENEC、ソサエティなどの国際組織の創設を主導するなど常に国際外交の場の中心にあった国家。その滅亡は残念でならない。
  • シェロジア共和国(滅亡)
    アクロバティックな外交をしていた謎の国。あの放送は最初はチューナーの故障かと思ったほどだ。
  • ヴァノミス連邦
    建国当初の我々に資金を援助してくれた国。内乱や巨大隕石など、なかなか休まる時の来ない国である。
  • レゴリス帝国
    世界第三位の大国。世界最大の商業国でもあるが、その大きすぎる規模のために経済危機に陥っていることもある。早い段階から留学が可能になったこともあってロムレー人の最も主要な留学先であり、政治的・軍事的に大きな影響を受けてきた。現在でも親レゴリス政策は概ね誰の反対もなく一致して支持されている。
    相互安全保障条約を締結し、現在まで軍事同盟関係を維持している(実質的にはPDECにその役割を譲ったが)。共和国とレゴリスとの同盟は信義に基づくものであって、たとえレゴリスが超大国でなくなるとしても、それは問題ではない。
  • 成蘭連邦王国(滅亡)
    安定していたはずの国での、震災を契機に発生した恐るべき混乱は、我々にとっても驚きであった。
  • アルドラド帝国(滅亡)
    かの国がトロピコ戦争直前にトロピコに持ち込んだ砲弾のために我らの部隊はどれほどの損耗を被ることになったのであろうか。
  • エルツ帝国(滅亡)
    長い歴史を持つ貴族的な古い大国。しかしそれらは今や全て過去の話だ。
  • テークサット連合
    ENEC加盟国。なぜかよく燃料不足に直面している印象がある。別にいつも燃料を切らしているわけではないとは思うのだが。
  • ヴェールヌイ社会主義共和国
    共和国の福祉政策はこの国の純粋社会主義の影響を受けて発展してきたものだが、ヴォルネスク戦争への参戦によりロムレーの社会自由派からの好感は霧散してしまっている。
  • コーデクス共和国(滅亡)
    科学主義を掲げていた国家。CDXによる統治や統御民主主義の試みは常にロムレー人の関心を惹き続け、共和国国内には「コーデクス主義者」を自称する狂信的な支持層も存在した。
    国家解散時に膨大な研究資料の提供を受けており、ロムレー国内においては幅広い学問領域でその後を継ぐ研究が今なお続けられている。
  • カルセドニー連合
    カルセドニー島共和国政府への歴史的な不信感の裏返しとして、カルセドニー革命の成就は国内では概ね是認されている。尤も、カルセドニー連合は成立直後から鎖国政策をとっているため、実際の交流はない。
  • アリア連邦
    先進国と新興国の境界線あたりにいるが、あまり積極的な外交をしているのは見かけない。
  • フリスラーン帝国(滅亡)
    強大な皇帝権に先進的な兵器、それらは決して国家の永遠の安定を保障してくれるものではないのだ。
  • ヘルトジブリール社会主義共和国
    共和国よりも数年遅れて建国され急成長した国で、ストリーダと双璧をなす世界最大の国家の一つ。社会主義を掲げるものの急進的ではなく、その生産力から膨大な商品を世界中に輸出している。
  • ノホ・ヘレコ連邦(滅亡)
    ENEC加盟国の中ではあまり共和国との交流の多くない国ではあったものの、セビーリャ作戦での協同など、実績がないわけではなかった。
  • ガトーヴィチ帝国
    長らくの鎖国体制から国際社会に復帰したスラヴ系の国。彼の国の掲げるスラヴ主義はヴォルネスク戦争以来ロムレーの一般国民には白眼視されているようだ。
  • ヨリクシ共和国
    各地で積極的な災害救援活動や交流活動を行っている国であり、国際的に一定の存在感を持っている。カルセドニー革命と同時期に鎖国体制に移行した。
  • コムニタス・マリアナ(滅亡)
    同じフランコフォニーの入植者の国…だったのだが、気付けば崩壊していた。言語が同じというだからといってそれが特に何か保障してくれるわけではないのだ。
  • 西岸州独立連合共和国
    平和的な分離独立を果たした新興国。特に社会主義国というわけではないようだが、なぜかSSPactに加盟している。
  • ストリーダ王国
    ソサエティなどにおける穏健な外交方針でも知られている世界最大の大国。膨大な人口を抱えつつも幸福度は世界最高である。
  • (共同管理区域セビーリャ)
    安定化というのは時間がかかるものだ。その過程に官僚主義的な非能率性があるのも、多少は致し方ないことなのであろう。
Page Top

条約・国際機関等(締結順) anchor.png

Page Top

経済 anchor.png

極端に観光業に指向した産業構造を持ち、その観光客滞在数は世界一で他国と比べても突出して多い。
建国後十年程度は資源輸出によるところも大きかったが、それ以降は恒常的に突出して巨大な観光業が主導する経済であり続けている。
いずれにせよ、外貨獲得能力は高く、国民所得水準は極めて高いといえる。
なお、製造業はほとんど行われておらず、ロムレー軍に兵器を供給するレゴリス系の軍需工場を除けば職人的な工場における木製品や乳製品の一部がコミューヌの枠を超えて国内市場で出回る程度に留まる。

Page Top

産業 anchor.png

Page Top

農業 anchor.png

干拓地で酪農・園芸農業などの高付加価値農業が行われているほか、高地では畜産業が営まれている。主に観光客向けではあるが、その生産力は輸出するだけの余力がある。

Page Top

鉱業 anchor.png

ウラン鉱が存在し、その輸出による収入は建国期の共和国を支えた。現在ではもはや収入源としての存在感は皆無に等しいものの、燃料自給により経済を安定させることには貢献している。
鉄鉱も存在するが、トロピコ戦役直前に急遽整備されたことから分かるように専ら軍需向けである。

Page Top

林業 anchor.png

広大な森林が広がり、その環境を維持する範囲内で林業が行われている。

Page Top

工業 anchor.png

木製品や乳製品が主に伝統的・職人的な製法で生産され、日用や土産物として流通している。
産業的な大工場というものは著しく厳格な環境基準のために軍需を除いてほぼ存在しない。

Page Top

商業 anchor.png

観光業が高度に発展しており、観光客向けに様々なサービスが提供されている。
本来の観光業のターゲットが長期滞在の富裕層であったことから、充分な所持金さえあればサービス業関連で困ることはないといえる。

Page Top

通貨 anchor.png

通貨は独自の法貨として移民船時代以前から続くロムレー・フラン(Fr.,LRF)が使われているが、観光業の発展に伴い、他国の通貨の流通も一般化している。
国際通貨であるVaはロムレー・フランと並んで価格表記にも使われ、また主要な通貨は概ね通用する。

Page Top

交通 anchor.png

鉄道が比較的発達しており、山がちな地形ながら登山鉄道などによって国中が結ばれている。

Page Top

国民 anchor.png

主流文化はスイスフランス語かつカルヴァン派のものであり、民族的・宗教的な類縁の民族がフリューゲルには存在しない。

Page Top

言語 anchor.png

スイスフランス語が公用語となっているが、一般的なフランス語でも充分通じる(尤もフリューゲル世界であえてフランシアンを学ぶことはそうそうないと思われるが)。
英独伊語あたりもそれぞれの母語話者が一定数いるほか、レゴリス語やコーデクス語を初めとした友好国の言語も広く学ばれており、これらの一つだけでも話せれば何の支障もなく観光できる。

Page Top

宗教 anchor.png

宗教の構成比率はカルヴァン派68%、その他プロテスタント9%、カトリック7%、その他のキリスト教諸宗派3%、その他の宗教1%、無宗教12%。
信教の自由はもちろん認められているが、カルヴァン派は事実上の国教の地位にある。ゾロアスター教などを始めとする国際的な宗教勢力は国内にほとんど地歩を持っていないとされ、ロムレー教会評議会に参加しているキリスト教の宗派と無宗教だけで国民の99.4%以上に達する。

Page Top

ロムレー教会評議会 anchor.png

移民船時代に行われたロムレー内部でのキリスト教のエキュメニズム運動に端を発する組織。
ロムレー国内のほぼ全てのキリスト教組織から構成され、国内の宗教間平和と協調を目的としている。
教義上の統一は特に図らず、キリスト者アイデンティティの統合を図ろうとしており、このためにロムレーキリスト教コミュニティは独自性を維持している部分がある。

Page Top

ロムレー改革派教会 anchor.png

ロムレーにおいて最も多数派を占め、事実上の国教の地位を持つカルヴァン派の宗派。

Page Top

カトリック anchor.png

ロムレーのカトリック教会は地球上のバチカン以外の教皇座を認めておらず、その長はあくまで大司教位である。カルヴァン派との差別化の都合上、ラテン語による典礼を重視する傾向がある。

Page Top

教育・学術 anchor.png

Page Top

学術文化 anchor.png

ロムレーは国家規模が小さい割には学術文化は比較的発達している。特に言語学に関する成果が知られているが、広く人文・社会・自然問わず基礎科学分野一般に豊富な蓄積がある。なお、その割には実学分野では海外の研究に比べての優位はあまりみられない。
これには中央議会の弁論の場において教養主義が重んじられていることや、観光客とのやり取りの中で幅広い知識が必要とされたこと、極めて高い所得水準ゆえの充分な余暇の存在などが考えられているが、はっきりとした理由は明らかではない。

Page Top

大学 anchor.png

  • アンゼロット記念大学
    移民船時代に余暇を用いて行われていた学術サークルに由来し、612年に法人格を取得、619年に法令上も大学となった共和国最古の大学。カレッジ制で、多数の学寮が存在する。
  • ロムレー大学
    618年に設立された共和国唯一の国立大学。主に官僚養成を旨とする。
    理学部・工学部・法学部・医学部・社会経済学部・人文学部が存在する。
Page Top

軍事 anchor.png

ロムレー軍はその国家規模の小ささに反してイレギュラーを保有し、また海外への航空戦力投射能力も備えている。これは実戦経験としてはトロピコ戦役とセビーリャ作戦という二つの派兵経験を通じて形成されたものである。ただし常設の在外部隊などは基本的に持たない。
一方で地上部隊は大規模な派兵を経験しておらず、むしろ国土防衛を主眼とする編制のままであり、多数の民兵といくらかの山岳戦特化の部隊を主体とする。これらは「ロムレー軍はスイス軍の制度を引き継いでいる」という軍を観光資源に使うための建前(移民船期に実質が失われているということは国民の間では公然の秘密である)がそのまま引き継がれたものである。そのために民兵はトロピコ派兵以前のロムレー軍の評価としてよく用いられたフレーズである「軍服を着た観光案内人」的な軍のあり方を今でも保っている。
なお、兵器に関しては基本的にレゴリス・ミリタリー・インダストリーズ社をはじめとするレゴリスの軍需産業の在ロムレー工場で生産されるものが使われておりレゴリス帝国軍の装備体系とほぼ完全な互換性を持つが、生産・整備ラインはロムレー国内で完結している。

Page Top

人物 anchor.png

Page Top

中央議会歴代議長 anchor.png

Page Top

プロスペール・アルベリク・ジャンベール anchor.png

中央議会初代議長。
移民船の船内環境を専門とする優れた工学者であり、船内において発生した重大な機械故障に際しての復旧を強い指導力によって指揮し、移民船のフリューゲル到達をどうにか実現した。
その際の手腕から入植直後の共和国においても一定の人気と権威があったが、本人は重力下での環境は専門外であるとして直接手腕を振るうことなく、一貫して中央議会の決定を支持した。
彼の時代のロムレーでは土地との共生が重視され、アーミッシュ的な古き良き理想郷と評される社会を築いたが、その後期にはレゴリス留学組を始めとするフリューゲル諸外国からの影響で公教育制度の整備が進んだ。
移民船時代の活躍についてはいまや歴史上のこととして再評価が進んでいる人物ではあるが、最初期の共和国において議会主義体制を確立した立役者であることは確かである。

Page Top

アンドレ・フィールズ anchor.png

中央議会第二代議長。
レゴリス留学組を中心に教育分野などの必要性から官僚組織が拡充されていく中で、ジャンベール引退後の共和国の主導権をレゴリス留学組が握ることを危惧した中央議会の議員たちによって選出された。
本人はこれといった強い主義主張は持っていないが、調整能力に優れ、レゴリス留学組と旧来の議員層を巧妙に調停して教育政策とインフラ整備を推進し、共和国は彼の在任中に世界最大の観光国となった。生まれ育った時期が移民船時代のため高等教育にあたる学歴は持っていないが、学術サークル時代のアンゼロット記念大学に属しており、その学識はフリューゲルの学問の取り入れに貢献したといわれる。
なお、独自に打ち出した政策はあまりないが、唯一例外的に鉄道振興にはこだわりがあるらしく、道路網よりも鉄道網を中心とした交通インフラ整備を強力に推し進めた。この政策は観光業の発展には貢献したようである。
彼の在任期間の終わりごろにはヴァノミス危機やトロピコ戦役が発生、その中で中央議会の権限は一時低下したが、それもあって戦後の平時体制復帰後は議会の権威の再確立に奔走した。ENECオブザーバー加盟の際の演説を行い、それが承認されるのを見届けて中央議会の職を引退。

Page Top

オロール・オーブ・トリベール anchor.png

中央議会第三代議長。
第一期のレゴリス留学組の中でも最年少であった人物。最終学歴はレゴリス帝国大学法学部(首席)。レゴリスからの軍事顧問としてロムレーにいたことのあるルーミヤ・グドリャンとは友人。
キャリア官僚であるが、その出自もあいまって同期の中でも一番の出世頭であり、官僚としては監査委員会でキャリアを積む。
トロピコ戦役中の戦時体制では形式上は通商局の役割である鉄鋼資源の管理について、その実務を集約させられた鉄鋼資源管理セクションのリーダーを担当。ロムレーの行政機関としては動員体制を完璧にこなせたのは彼女のセクションぐらいである。戦後はその成果を認められ、監査委員会委員長(行政官としては最高位)に出世した後、二年ほどで慣例に従い退職。中央議会議員に転身、そしてフィールズ議長の退任後の中央議会議長に就任した。
レゴリス留学組の中でも最も有能な人物であることは間違いなく、官僚の影響が大きくなりすぎると渋る議員もいないではなかったが、その能吏ぶりが広く認められていたことは確かである。
680年代を前にして引退、現在はレゴリスとロムレーを行き来しつつ悠々自適の老後生活を送っている。

Page Top

ノエル・ヴァロン anchor.png

中央議会第四代議長。
ロムレー大学で工学を修めた後、サン=トゥルミエールのリゾート地でエンジニアとして活躍、後に経営者にもなり周辺島嶼での観光地開発に参入し成功、その後中央議会議員になった。
経歴から観光業への造詣が深く、治安と社会インフラの維持を重視しているとされる。
また、海空軍に対し否定的な見解を抱いている(一説には周辺島嶼の土地収用で海空軍と一悶着あったとも、海外にリゾートを広告する際にトロピコ戦役の悪評に直面したともいわれる)とされ、海外派兵にも消極的な態度をとり、国防予算も抑制された。
690年代末の北東島嶼部の油田開発を巡る論争を抑えきれずに議長職を辞職、現在は一議員に戻り観光政策を中心課題として活動している。

Page Top

クレマン・フィリップ・アベラール anchor.png

中央議会第五代議長。
安全保障局のキャリア官僚。合理的規律派に属する議員で、コーデクス主義者。軍に抑制的な政策に対する不満の中から中央議会議長に選出された。ノエルとは一転して軍事力の強化を主張し、軍事訓練に努めた。
彼の目指す軍事力増強政策が一応達成されたため705年に退職。その後は軍事コンサルタントとして在野で活躍している。

Page Top

クレピュスキューレ・トリベール=スィジィニョレ anchor.png

中央議会第六代議長。
オロール・オーブ・トリベールの孫娘。その容姿も才能も祖母の鏡写しで、物理学と言語学で博士号を持っている才媛。ロムレーやレゴリスの複数の大学で研究員・教授職を歴任してきた。中央議会議員になったのは祖母を超えるためらしいが、実務能力を認められ結局祖母と同じ中央議会議長になってしまった。


トップ   凍結 差分 バックアップ 複製 名前変更 リロード   ページ新規作成 全ページ一覧 単語検索 最新ページの一覧   ヘルプ   最新ページのRSS 1.0 最新ページのRSS 2.0 最新ページのRSS Atom
Counter: 1327, today: 1, yesterday: 1
最終更新: 2017-07-13 (木) 22:03:55 (JST) (156d) by sellafie