util
パスワード紛失新規登録
関連リンク
メインメニュー
ホーム 旧貿箱掲示板 貿箱ヘッドライン XOOPS検索 貿箱Wiki 最新ページ一覧 全ページ一覧 ヘルプ » 関連ページ » Wikiソース » 編集履歴 » バックアップ一覧 » 添付ファイル一覧 貿箱フォーラム 各国報道機関 Links |
オンライン状況
6 人のユーザが現在オンラインです。 (2 人のユーザが 貿箱Wiki を参照しています。)登録ユーザ: 0
ゲスト: 6
もっと...
石動第三帝国
石動第三帝国 いするぎだいさんていこく/いするぎのみたびのみかどのくに 英名:The Third Empire of Isulugi 正字:石動第參帝國 | ||
国旗 | 国章 | |
国の標語 | 億兆一心 | |
---|---|---|
国歌 | 海ゆかば | |
公用語 | 日本語 韓国語 中国語 英語 | |
首都 | 室満京市 | |
最大の都市 | 高橋市 | |
政府 | 政体 | 立憲君主制・身分代表制民主主義 |
皇帝 | 烏帽子宮(第八代) | |
大御所 | 足利滿子(第二代) | |
征夷大将軍 | 足利持子(第四代) | |
面積 | 265000㎢ | |
人口 | 総計 | 7137万3千人(660年3月調べ) |
人口密度 | 269.3人/㎢ | |
建国 | フリューゲル暦411年5月14日 | |
通貨 | 石動貫(ISK) | |
国の象徴 | 国花 | 桃 |
国鳥 | 雉子 | |
ccTLD | .is |
概要
石動第三帝国はフリューゲル東方地域の南方に位置する商業立国の君主国家である。地球時代の日本国の西日本地域の日本人、分けても岡山県に居住していた人々をルーツとしており、独特の文化や風習を色濃く残している。
また、「君主」である「皇帝」と「第一の臣下」(文武両官のトップ)である征夷大将軍の世襲統治による二重権威主義や・武官貴族合議制を核とし、大衆層である平民に制限的に参政権を付与した部分的民主主義体制など、政治面においても独特の文化・慣習を有している。
国名
国号「石動」の初出は以下に示すものとされる。
「石動書紀 駿河宮皇帝即位前期(成立年不明)」
落着希望號而四十五日條
西方、亞奇都人在。彼人共欲海幸山幸強求幸々以銃類。當干時皇帝祈言曰「若天津神欲救正道者、悉払給彼人共」乃天照大御神曰「可也」乃國内之大石悉動、潰殺亞奇都人共。以此亞奇都人共不来。故、謂石動使本朝、是其縁也。
~現代語訳~
「西の方に亞奇都人という人達が居た。彼らは我が国の漁労と鉱山資源を狙い銃で脅して強奪しようとした。その時皇帝は「もし天の神が正しき者を救おうとお考えなら、あの者たちを追い払ってください」と祈られた。するとその祈りに天照大御神が応えて「よろしい」とおっしゃった。すると国中の大きな石が動き出し、亞奇都人たちを圧殺してしまった。それ以降亞奇都人達は来なかった。この様な所以から、我が国を「石動」と呼ぶようになったのだ。」
文中の亞奇都人とは当時滅亡して近海で海賊行為を行っていた秋津人と思われる。またこの記事に於ける「大石悉動」とは地震による落盤ではないかとされている。石動書紀は建国以前の石動史に於ける一級資料とされているが、誇張表現や計算の合わない紀年記述が多く、紀年体資料としての信憑性は薄いとされている。
国歌「海ゆかば」
『万葉集』巻十八にある大伴宅持作の長歌「賀陸奥国出金詔書歌」の一部を詩とする歌曲。地球時代の大日本帝国において戦意高揚を目的として作曲された。「君主に殉ずる精神性を謡う歌曲であり、石動帝国の国歌として相応しい」として、第一帝政期に国家として制定された。
- 歌詞
海行かば 水漬く屍
山行かば 草生す屍
大君の 辺にこそ死なめ
かへりみはせじ
国旗
現在の国旗は第三帝政成立時の523年に制定されたもの。第一帝政期には石動皇帝家が日本国天皇家の後裔であることを示すために、石動皇帝家が有していた日本国天皇家の皇族旗がそのまま使用されていた。第二帝政期にはこのデザインを改変したものが使用されていたが、第三帝政期に現在の国旗に落ち着いた。現在の国旗は紅地に石動皇帝家の文様である「八重十六花弁三房囲菊花紋」をあしらったデザインだが、これは第一帝政期から皇帝旗として使用されていた旗とまったく同じデザインであったため、宮内省は皇室典範を修正し、皇帝旗を「綾地紅色の絹に金糸で菊花紋を刺繍したもの」と定義した。またこれは皇帝旗以外の皇族の旗にも適用された。
石動の旗の一覧 |
国民
石動・秋津民族などの日系民族と、和寧民族・中夏民族などの東方民族が大部分を構成し、分けても日系民族は全体の約七割を占めている。また西洋系の人種としてはスオミ民族の割合が最も高い。647年現在の民族構成は石動人59%、幹国人19%、中夏人5%、スオミ人5%、秋津人4%、ベルサリエーレ人4%、その他4%となっている。
石動民族
旧地球時代の西日本の人々がそのルーツとされている。濃い味よりも薄味を好む、角餅を用いず丸餅を用いるなど、東日本系の秋津人と比して文化的な違いが多く存在するとされている。仏教宗派に関しては真言宗が多数派だったが、将軍家により禅宗が保護されてからは禅宗への転向が目立っている。
基本的に穏和で温厚な国民性を持つとされていたが、南北動乱以降の深刻な社会不安と動乱終結後の苛烈な成長競争社会の煽りにより、こうした国民性は完全に失われているとされている。現在の石動人の国民性として「短気」「大雑把」「好戦的」「自分に甘く他人に厳しい」「実用性よりロマン重視」「アトモスフィアに弱い」などが挙げられている。
秋津民族
旧地球時代の東日本の人々をルーツとしている。濃い味を好む、角餅を用いるなど、独自の風習があるとされていたが、昨今では殆ど石動人と同化しており、国内で秋津民族であることを主張する人々はかなり少なくなっている。石動人との風習的な大きな違いとして、彼らが「紋付羽織」「振袖」などの、石動に於いて「江戸期政権簒奪荒廃時代的」として忌み嫌われている衣装を民族衣装として重用している点が挙げられる。石動に於いて地球時代の日本民族の伝統的文化とは「室町時代以前の文化」と明言されており、特に公の場でそうした服装をする人は「秋津の人か、さもなければ教養のない人」と唾棄される対象となると言われる。
和寧民族
旧大和寧帝国の崩壊に伴い多くの和寧の人々が石動へと移住した。およそ一千万人近くの人々が移住しており、日本語を使用してはいるが、言語や衣装・宗教に関する多くの伝統文化を護っている。ルーツは地球時代の韓民族とされている。性質としては「気性が激しい」「気が短い」というややマイナスな印象も挙げられてはいるが、「おおらかで融和的」「人情に篤い」などの面も良く知られており、石動人との関係性も非常に良好であるとされている。
第三帝政の中心を担った在幹系石動人は大部分が彼らとの混血を経ており、文化は別として民族としての性質や国民性は彼らと非常に通じるものがあるとされている。特に石動人の権威信奉主義的な政体や社会構造は彼らの文化・思想に瓜二つであるとも指摘されている。現在では主要都市の多くに「幹国人街」が存在し、彼らの文化の拠り所として機能しているほか、辛みの強い幹国系料理は石動人にも非常に人気で、グルメ雑誌でも必ず取り上げられるほどに石動人の食文化にも浸透している。
中夏民族
かつて中夏人民共和国が治めていた中夏大陸に住んでいた人々。現在無主地状態となっている中夏大陸の無法ぶりを嫌う人々の多くが石動に移住している。ルーツは地球時代の漢民族とされている。信仰として道教と仏教が知られており、特に中夏仏教の流入は石動仏教界からも歓迎されており、仏教界隈においては相互に深い交流がある。また非常に勤勉な一面が知られており、今では多くの企業で中夏人の人材が活躍している。一方で大陸との重要なパイプ役となる様な者もいる反面、彼らの生活拠点として知られる中夏街はマフィア・武器商人・薬物密売人などの犯罪者流入の温床として問題視されている一面もある。また和寧民族に比べて石動への帰化に積極的でない点も指摘されており、石動国籍を有さず特例移住外国人の扱いを受けている彼らが石動の社会保障を享受し、石動人から働き口を奪うという問題が保守層からは盛んに指摘されている。
スオミ人
スオミ王国崩壊に伴い、同国のメロディック・デスメタルバンド「Children Of Botom」が移住してきたことを皮切りに、全世界に散らばったスオミ人のうちかなりの部分が石動へ移住することとなった。ルーツは地球時代のフィン人とされている。現在では石動在住の白色人種の中で最も割合の多い人々として知られている。スオミ人自体多くの民族で構成されているため、一概にスオミ民族と括ることはできないが、多くの伝統文化を継承している。信仰としてスオミ正教会、カトリック、スオムス・ネオペイガニズムなどが知られている。
Children Of Botomに代表されるように、スオミ人のうち石動に移住した人々の殆どは同国で盛んだったとされるハードロック/ヘヴィーメタルを愛好する人々とされている。現在フリューゲルの中でも顕著にハードロック/ヘヴィーメタルが盛んであると知られている我が国は彼らにとっては新天地と言っても過言ではなく、すでに多くの優秀なスオミ人アーティストが石動国内に於いてデビューを果たしている。
国土
石動本州及びその周辺諸島は旧秋津州から見て南東に位置し、非常に低緯度に位置する。ケッペンの気候区分によれば熱帯サバナ気候に属する常夏の国である。
合藩連合の藩領を基本に、山岡府、敷倉県、備前県、津山県、高橋県、埴輪県、美作県、新見県、嘉川道、播淡道、福水道、因城道、鳥島道の十三道府県に分けられている。
道府県一覧 |
身分制度
帝国には皇族以外に公家、武家、平民の三つの身分制度が存在する。本来公家が武家よりも尊いとされていたが、第二帝政ごろから武力革命により積極的に地位向上・政治参加を行ってきた武家が石動人社会の大部分でその政治的権力を持つようになり、今では武家こそが政治権力と化しており、またそれをよく思っていない公家・公家寄りの皇族も多い。
公家・武家ともに第一帝政の頃から皇帝家に習い女系化する傾向が強い。公家・武家の女系化は皇帝家の許しを得なければ行うことができない為、女系を高貴なる一族のステイタスと見る文化が浸透している。それでも武家の赤松氏や公家の近衛氏の様に、女系化を許される力を十分に持ちながら男系を貫く公家・武家も少なからず存在する。
有力武家一覧 |
有力公家一覧 |
断絶した武家・公家 |
政治
第三帝政初頭の公方府体制への移行により、事実上の将軍専制国家となった。ただしその後の南北動乱終結後の経済発展に伴い、非民主的体制は国家経済に歯止めをかけ成長を阻害するとの晶子二代将軍の判断により、立法会議設立をはじめとする積極的な民主化が行われ、659年現在では、国民の大半を占める平民層が閣僚人事にまで関節関与することが出来る「身分代表制民主主義」が確立されるに至った。貴種であり国権の代表であり皇帝に並ぶ国民の象徴である将軍の権威と共存する形で国民の参政権が保障されており、公方府は「石動独自の政治文化に即し、西洋的法原則や慣習に捕らわれる事なく確立された究めて民主的な体制」という見解を示している。
政策スライダー |
民主的 | --◆---- | 独裁的 | 身分代表制議会 |
政治的左派 | ------◆ | 政治的右派 | 皇帝・将軍による二重権威主義 |
開放社会 | --◆---- | 閉鎖社会 | 情報開示には積極的 |
自由経済 | ◆------ | 中央計画経済 | 市場経済は石動経済の根幹 |
常備軍 | ------◆ | 徴兵軍 | 現在ではほぼ国民皆兵 |
タカ派 | -◆----- | ハト派 | 貴種たる武家閣僚は軍人が多い |
介入主義 | --◆---- | 孤立主義 | 関係国の情勢には関心を示す |
不文律憲法
第一帝政期には立憲君主国家の枠組みを定めた「大石動帝国憲法」が存在したが、第二帝政期における「内閣委任統治法」成立による同憲法の失効以降、石動には成文憲法が存在しないことになっている。第二帝政期に於いては「国家社会主義労働者党が憲法に代わる存在」とされていたが、第三帝政に於いては、立法会議成立以降、「いくつかの法令がいわゆる不文律憲法を構成している」という態度が取られている。こうした背景には「将軍と皇帝という二つの権威が併存する石動の複雑な政治構造は成文憲法で規定することはできない」という公方府側の主張が存在する。
- 不文律憲法を構成する諸法令
- 皇室典範
- 征夷大将軍設置の令
- 大御所設置の令
- 征夷大将軍永代足利氏の詔勅
- 公方府法
- 宮内省設立の令
- 立法会議法
征夷大将軍
南北朝状態にあたって真備宮皇帝陛下が足利尊子総統を「征夷大将軍」に任命したのが初出。内閣制度下では陸海親衛三軍の全指揮権を掌握する国家最高軍事指導者であったが、公方府体制の成立により事実上軍事行政の最高指導者となった。尊称は「大樹」「大君」「将軍殿下」「公方殿下」(一見武官の様で、内情は武官と文官の頂点に立つ官職であるため、地球時代の「関白」の例に倣い尊称は殿下である。無論陸海宙親衛四軍の将官とも明確に差別化されている)
征夷大将軍設置の令・公方府法・立法会議法やその他慣例などにより以下の権限が規定されている。
- 公方府閣僚級職員、その他要職の任命権
- 独立命令である将軍御教書の発令
- 帝国四軍の統帥権
- 戒厳令・非常事態宣言の発令
- あらゆる弾劾裁判に掛けられない
- 臨済宗五山の決定権(大御所不在時のみ)
- 上奏文内覧権
- 重要な政治決定に関する国民投票の実施権
歴代征夷大将軍
代 | 姓名 | 写真 | 任期 | 概要 |
初代 | 足利尊子 | 532年~578年 | 石動南北動乱を決起として、真備宮皇帝により石動において初めて「征夷大将軍」に任命された人物。石動武家の名門である足利氏の当主であるため、実質「武家の棟梁」の様な地位にあった事や、非常に人望に厚かったという点がその理由とされているが、「武家側のゴリ押しによって担ぎ上げられたのだ」とも評されている。公方府設立による征夷大将軍への権力集中や、真備宮帝による「征夷大将軍永代足利氏の勅」による世襲体制確立に成功するが、南朝と和睦し「大吉備帝国」を成立させるもすぐに破綻してしまうなどの混乱もあった。最終的に南朝側和睦派の南朝掌握により、在任中に南北統一を為す事が出来た。CAME脱退後に将軍位を返上。長女晶子に譲る。 | |
二代 | 足利晶子 | 578~608 | 尊子将軍の辞任を受け将軍に就任。一見飄々とした人物だったが、南北朝以来の重臣らをまとめ上げ、首都警解体と立法会議設立による部分的民主化、さらにこれによる圧倒的な経済成長を一代にして成し遂げた。しかしその裏では相当なストレスをため込んでいたらしく、暴飲の末急性肝炎によって逝去。 | |
三代 | 足利滿子 | 608~653 | 晶子将軍の逝去を受け就任。エーラーン防衛大学校卒業。統合参謀本部主席参謀を歴任。出世も早く国民からの人気も高い。在任中は立法会議法改正による民主体制の確立と国内経済の発展に精力を注ぎ、石動を世界屈指の商業国へとのし上がらせた。また将軍位返上前に「大御所」を職分化しその権限を確立させる立法措置を行い、653年の将軍位返上後も国家権力の最高峰として君臨している。 | |
四代 | 足利持子 | 653~ | 滿子将軍の退位を受け就任。現在は滿子将軍の陰に隠れる形となっており、影が薄い。 |
大御所
足利尊子初代征夷大将軍が将軍位を返上した後の尊称が「大御所」であったことが初出。当初は単なる尊称であり明確な権限は無く、初代大御所である尊子殿下も退位後は政治関与をほとんど行わなかったことから「生前退位した前将軍」という程度の意味しか持たなかったが、滿子将軍退位3年前の650年に当時の滿子将軍が「大御所設置の令」を評定院で可決させ、同法によりその職分が明文化された。大御所たる資格を持つ者は「現将軍の実母」と定義され、将軍の後見として為政諮問ならびに人事諮問を行うことができる。さらに将軍の独立命令である将軍御教書より高い効果を持ち、場合によっては将軍御教書を無効化することが出来る「大御所御教書」を発令することができる。尊称は「仙洞大樹」「仙洞大君」「大御所殿下」
大御所設置の令・公方府法その他慣例により以下の権限が規定されている。
- 将軍に対する強制権のある為政に関する諮問
- 将軍に対する強制権のある閣僚・要職人事に関する諮問
- 独立命令であり将軍御教書を無効化することができるできる大御所御教書の発令
- あらゆる弾劾裁判に掛けられない
- 臨済宗五山の決定権
- 上奏文内覧権
- 重要な政治決定に関する国民投票の実施権
司法
立憲君主制であった第一帝政期は、帝国憲法および帝国六法に基づいた裁判が行われていたが、第二帝政以降「内閣委任統治法」により「憲法」が事実上失効してからは「違憲」という概念が失われ、刑事・民事裁判が司法機関の主な役割となった。刑事・民事裁判の制度や法令そのものは第一帝政期からさして変わらない。最高裁判所である弾正院長は民選で選ばれており、現在では第二帝政期や第三帝政期初頭の様な政府の露骨な介入も少なく、(多くの石動人がその概念を「西洋的」として軽視してはいるが)司法と行政の分離は保たれている。
区分 | 所在地 | 概要 |
弾正院 | 満室京市 | 最高裁判所。三審を下す。 |
問注院 | 満室京市・敷倉市・津山市 | 高等裁判所。二審を下す。 |
地方院 | 各府県県庁所在地 | 地方裁判所。一審を下す。 |
立法会議
足利晶子二代将軍によって590年に設立された、石動第三帝国に於ける立法機関。他国の国会に相当。上級武家・上級公家の当主などから成る評定院と、平民の民選議員から成る民評院による二院制の形を取っている。当初は評定院にのみ法案可決の他に管領の弾劾権、予算審議権、民評院で可決された法案の棄却権などが付与されているが、民評院には法案可決の権利しか与えられておらず、評定院が民評院に対し圧倒的な優越を誇っていた。しかしこの機関は第二帝政による憲法停止以降、実に140年ぶりに石動に成立した立法機関であり、本機関の成立こそ、石動に於ける全体主義体制からの転換とも言える事件であった。
650年代までのの三回にわたる立法会議法改正に伴い、大幅にその民主化が図られ、公方府は「(不文律憲法を戴く)立憲君主国家としては申し分のない民主的議会制度」であるとしている。
- 現在の両院の権限比較
評定院 権限 民評院 〇 管領弾劾 〇 × 副管領弾劾 〇 〇 条約批准 〇 〇 予算審議 〇 〇 他院の法案否決 〇
評定院
・議席:75(状況によって空席あり)
上級武家(足利・赤松・名和・今川・細川・山名・斯波・畠山・一色・宇喜多・池田・大工・上杉・京極・渋川の十五家)および上級公家(近衛・土御門・北畠・甘露寺・九条・二条・三条・勧修寺・五辻・坊城)の当主、前当主、次期当主候補によって構成される(このため現任の公方府閣僚級職員と多くの議員が重複する)。任期は無期限である。法案可決権、管領の弾劾権、予算審議権、民評院で可決された法令案の棄却権を有する。評定院で可決された法案は民評院で可決されて初めて征夷大将軍に上申され、将軍・皇帝の承認を経て施行される。「平民を導き庇護すべき武家が平民と椅子を同じくしてはならない」という理念のもと、民評院の様な政党の結党を許可されていない。
民評院
・議席:350
全国民評院選挙で選ばれた平民により構成される。任期は10年である。法案可決以外の権限を持たない。民評院で可決された法案は評定院の可決を以て初めて征夷大将軍へ上申され、将軍・皇帝の承認を経て施行される。結党の自由が認められている。
政党一覧 |
皇帝・皇室
「こうてい」「すめらみかど」などと読み、帝(みかど)、主上(しゅじょう)ともお呼びする。皇室典範において女系の女性皇帝と規定されている。皇帝家は元々地球時代の日本国岡山県の天皇家の末裔の一族であり、祖神は石動楚々日百戸姫尊。この神は記紀神話に登場する「倭迹迹日百襲媛命」ではないかと言われている。
皇帝家の子女は皇位継承権を有し、ご生誕なさると代々○○宮という寝室を宮城の一角に持たれ、この寝室の名が即ち皇女殿下、皇帝陛下の御名前となるのである。
歴代皇帝 |
- 考寧君太上皇婿陛下
先帝神凪宮皇帝陛下の正婿。考寧君は君号で、本名は朴慶成。幹国2代皇帝「太宗」陛下の弟君、朴亘哲(414年~489年)の子。3代「高宗」陛下のいとこ。
礼学者で「論語」「春秋」などの経書の解説本を多く執筆しておられる。
礼学者として礼儀を重んじる性格だが、幹国人の多分に漏れず、気性の激しい面もある。
- 考寧君太上皇婿陛下
国交を有する国とその関係。
表示 |
エルツ帝国・アルビオン連盟王国・大明帝國・ラシニア社会共和国・成蘭連邦王国・レゴリス帝国・ストリーダ王国・エーラーン教皇国・アルドラド帝国・ガトーヴィチ帝国・ノホ・ヘレコ連邦・テークサット連合・コーデクス共和国・アリア連邦・タヂカラオ国・カルセドニー島共和国・ロムレー湖畔共和国・トリヴェント連邦・ヨリクシ共和国・ヘルトジブリール社会主義共和国・辺境日ノ本人皇国・ヴェールヌイ社会主義共和国・エノテーク、以上23ヶ国に大使を派遣し大使館を設置している。フリュー帝国に関しては在レゴリス大使館が、セビーリャ自由共和国・ボァーズィチィ合州国に関しては在エルツ大使館が、ビザ発給や邦人保護などの大使館諸業務を代行している。
農業
石動人がフリューゲルに移住した頃から稲作が盛んに行われ、その為現在でも清酒作りが盛んで、臣民にも好んでよく飲まれる。コメヒカリ、旭日米、ヒサカタなどの品種が栽培されている。
また、第二帝政の頃から名産品として栽培されているマスカットの栽培も開始された。
煙草栽培も盛んで、我が国の煙草は天然でも微かな甘味を帯びたまろやかで美味な味である。
商業
帝都での小売業、金融業、先物取引、証券取引、国営市場での卸売等の取引が行われている。第三帝政以来の商業奨励政策により、今や国の根幹産業となっている。主に成蘭連邦王国製製品、フリュー帝国製製品、エーラーン教皇国製製品を取引している。
宗教
おもに石動人の間で仏教・神道・天理教などの宗教が信仰されており、また石動在住の東方系の人々により道教・舟君信仰などが伝えられ、定着している。また在石動スオミ人によるスオミ正教やカトリック信仰なども広がりを見せている。647年現在の宗教構成は仏教66%、舟君信仰12%、神道7%、天理教6%、道教5%、その他4%となっている。
仏教
石動に於いて圧倒的多数派にあたる信仰。第三帝政初頭までは真言宗・天台宗の二大宗派を主軸とする顕密体制が確立されており、中でも真言宗が多数派であったが、足利尊子初代将軍が禅宗、とくに臨済宗へ傾倒したことから、公方府側でも臨済宗を手厚く保護する動きが見られ、今では真言宗に匹敵する勢力を有している。逆に真言宗は南朝が保護していたため、現在ではその権勢を潜めつつある。また民衆レベルでは天台宗の広がりも無視できない。
- 臨済宗
禅宗の一宗派。文字・言葉の上には真実の仏法がないとする「不立文字」を原則とする禅宗の中でも、特に師から弟子への伝道を極めて秘密化しているという特徴があり、密教的性格を有している。いわゆる「禅問答」として知られる「公案」という特殊な問答が知られている。
足利滿子将軍が同宗に深く傾倒したことから、本宗派は手厚く保護されており、中でも室満京市内の五つの寺院が「五山」と称され本宗の中心的寺院として位置付けられている。
「管長」を宗全体の代表と位置付けており、現在は天竜寺住職が歴任している。- 天竜寺
五山第一位。山号は宝亀山。足利尊子初代将軍が、夭折した南朝の後明日香宮皇帝の菩提を弔うために建立した臨済宗寺院。美しい伽藍と庭園は重要文化財として指定されているほか、絹本著色夢窓国師像などの地球時代から伝えられている貴重な国宝を有している。 - 大樹寺
五山第二位。山号は億年山。足利滿子第三代将軍の発願により建立された臨済宗寺院。国家予算を投じて建立された非常に壮大な伽藍を誇る。 - 建和寺
五山第三位。山号は東山。第一帝政期に石動に於ける臨済宗復興の祖とされる賀陽栄在を開山とする。五山の中でも最も古い歴史を有し、伽藍は重要文化財として指定され、多数の国宝を有している。 - 堂福寺
五山第四位。山号は慧日山。第一帝政期末期に佐々木爾円を開山とし建立された。建和寺に次ぐ古い歴史を持つ。 - 万華寺
五山第五位。第一帝政期末期に駿河宮初代皇帝の菩提を弔うために明日香宮皇帝により建立された。非公開であり参拝は出来ない。
- 天竜寺
- 真言宗
即身成仏と密厳国土をその教義とし、本尊である大日如来を絶対の真理とする。大乗仏教における密教を基盤としており、悟りや教義に対する神秘性を重視している。民衆への教化を重視する天台宗などの顕教に対してしばしば「密教」と称される。 - 天台宗
妙法蓮華経を根本経典とする。他宗の受容と民衆への布教を重視することから、真言宗と対比ししばしば顕教と称されるが、天台宗に於いても天台密教が存在している。昨今では民衆における支持が根強い。
神道
君主たる皇帝が地球時代の日本国天皇家の正統後継者を自称する石動に於いて、国家祭祀の中心を成す宗教。その性格上国家祭祀としては広く取り入れられているものの、一族レベルで冠婚葬祭を神道式に執り行う「純粋な」神道徒は極めて少ない。それでも国家祭祀の中心的存在としての地位は不動のものであり、天照大神と石動楚々日百戸姫を祀る參社皇大神宮はその中心地として深い信仰を集めている。
天理教
地球時代の江戸時代に神道から分派した独自の宗教であり、神道・仏教を除いては最大の信者数を誇っている。かつて第二帝政以前には菜良島を占拠し天理教国として独立した過去を持つが、現在では公式にも「教義に反する行動であった」とされており、規模は大きいもののあまり過激な動向は無い。
舟君信仰
旧大和寧帝国の開祖、舟君を祀る和寧民族の民間信仰。在石動和寧人の間で広く信仰されている。
スオミ正教
在石動スオミ人の間で信仰されるキリスト教の教派。スオミ人の間で最も多数派である。
通貨
643年まではVaを兌換した石動Vaを自国通貨と位置付けていたが、643年に独自通貨として貫を制定。Va本位制として100Va=1貫の固定レートを採用した。現在石動第三帝国のほか、スコッチランド共産主義同盟に於いて通用している。
教育
6・4・3制の学校制度を導入しており、中学校までの10年間を義務教育としている。公立高校は学費が無料であるほか、帝国大学など国立の大学も学費が無料となっており、中でも下宿学生に限り就学支援金が給付される。またその他公立・私立を含む大学生は一律に国立機関の学業奨励基金より無利子奨学金を借り受ることができる。
国内の著名大学 |
軍事
石動第三帝国には陸軍・海軍・航空宇宙軍・直参親衛軍の四軍が存在し、各々国防の任に就いている。かつての内閣総統の直接指揮下にあったのは親衛軍の前身である武装親衛隊のみで、陸海軍は皇帝が統帥権を握っていたが、足利尊子初代征夷大将軍以降、すべての兵権を征夷大将軍が「皇帝陛下から賜る」という建前の下に掌握する形となった。
基本的に直参親衛軍・航空宇宙軍は完全志願制で、陸海軍も欠員がでない限りは徴兵を行わない方針だが、昨今では陸海軍の定員増大と裏腹に志願者数は激減し、多くの人員を徴兵に頼らざるをえない形となっている。徴兵対象者は高校三年生の若者が師団管区での抽選によて無作為に選ばれる。大学合格者の場合は退役まで進学が持ち越される形となる。
詳細は石動第三帝国の軍事を参照
憲兵隊
警察権を有する陸軍卿直轄の部隊。各道府県ごとに司令部が置かれる。陸軍に所属するが、軍内部での警察権のほか、テロ等重大事件への介入も任とし、所謂国家憲兵隊としての役割も担っている。陸軍卿・内務卿双方が指揮権を有する。
公方府前広場で立駐する憲兵。
各府県警察(自治体警察)
各府県ごとに府県警察が置かれている。内務省警保局監督下には置かれているが、予算決定権・指揮権などは全て府県庁側にあり、所謂自治体警察の形を採っている。その性格上地方のコネ・癒着・汚職の温床で、自治体警察官の98%は縁故採用と言われている。
消防警察
各府県ごとに設置された消防・救急活動を行う警察。第二帝政期まで警察が担っていた消防活動を第三帝政期に分離させ新たに組織された。失火や放火に関する逮捕権を有しているなど、警察的性格を色濃く残している。こちらも内務省警保局消防部の監督下にあるが、予算決定権・指揮権は自治体に握られている。
防火服姿で消火活動にあたる消防警察官
特別検断警察
通称「特検」。各府県ごとに置かれているが、完全に内務省警保局指揮下にある国家警察。全国各地であらゆる思想、運動を調査し、反体制運動を摘発する思想警察。場合によっては自治体警察を動員する権限も与えられている。
交通
石動本州では車と電車が主な移動手段となっており、本州八県を環状の本州高速道と省営鉄道本州線・高速鉄道が網羅している。一方で本州と外縁五道との連絡に於いては、旅客機国内線も存在してはいるが、いまだフェリーが現役として活躍している。
本州及び瀬田大橋で本州と結ばれた嘉川道には高速鉄道が整備されており、時速605キロメートルを誇るリニアモータカーが運航している。
工芸
- 桐箪笥
建国期から桐箪笥が石動文化とされており、その技術は幹国亡命時代から現在にかけても受け継がれている。
- 刀剣
石動人の地球時代の故郷岡山では中世の頃から刀剣作りが盛んであった。現在も一文字派と長船派の職人達が刀剣作りに勤しんでいる。
地球時代の武家宇喜多家の所蔵とされる脇差「備前吉岡一文字」。帝国国立博物館蔵。 | 上の写真は帝国国立博物館蔵、備前長船紫備太刀。他の刀とは明らかに異する奇異な装丁が施されており、地球時代の21世紀初頭に作られた作品と思われる。地球史学者によると、20世紀末の日本国に於いて社会現象を巻き起こしたアニメーション作品「新世紀エヴァンゲリオン」をイメージして作られたのではないかと言われる。 |
- 備前焼
地球時代の平安ごろに作られた須恵器から発展し、日本国岡山県の地域で盛んに作られた陶器。
釉薬を一切使わず「酸化焔焼成」によって堅く締められた赤みの強い味わいや、「窯変」によって生み出され一つとして同じ模様にはならないのが特徴。「使い込むほどに味が出る」と言われ、派手さはないが飽きがこないのが特色である。
備前焼・緋襷徳利
食文化
- 清酒
石動人は米から醸造した清酒を非常に好む(焼酎などアルコール度数の高いものはあまり好まれていない)。現在は「備中幻」「賀茂みどり」などが人気である。
- 吉備団子
石動人の地球時代の故郷である日本国岡山県の銘菓。現在の石動にも受け継がれている。黍入り求肥に白桃やマスカットのシロップ包んだやわらかな食感はえも言われぬものがある。
- ちらし寿司
地球時代の徳川政権下の岡山藩に於いて倹約令が下された際、庶民たちが藩主に隠れて寿司を食べるために、ご飯の中に寿司のネタを隠して一見白飯のような弁当を作っていたことが発祥と言われている。寿司のネタが美しく配置された華やかな料理である。
- ぶっかけうどん
地球時代20世紀末の日本国岡山県倉敷市に於いてある飲食店が考案した麺料理。汁は、秋津や神桜の「うどん」より味が濃いのが特長。特に甘味が強く、蕎麦つゆの影響が強く伺える。一般家庭においても、市販の麺つゆに甘味等を加えて使用する場合がある。現在でも石動の名物料理として有名。
芸術・娯楽
- 漫画・アニメ
第一帝政期より現在にかけて漫画・アニメは貴重な石動文化とされている。内紛や流浪で多くの石動人の心が疲れている為か、「非日常」や「ぬんぬん日和」などのほのぼのした漫画・アニメが流行する傾向が強い。一方シリアスな作品はロボットものやSF、ミリタリー調の強い作品などハードな作品が目立ち、特に女系皇帝と女系将軍を戴き、女系武家・公家の社会進出が目まぐるしい現代石動では、「強い女性」を描いたキャラクターが男女双方から強い支持を得る傾向が強い。
- 音楽
クラシックやオペラは「崇高すぎる」と敬遠され、伝統文化である雅楽や能楽などは宮中や武家・公家では持て囃されるものの、一般人の間での関心は皆無である。
10代から40代までの若年層の間ではポピュラー音楽が非常に人気だが、ポップスやアイドルソングなどのライトな音楽は「商業主義」「馬鹿にしている」などと唾棄される対象となり、パンクロック、ハードロック、ヘヴィメタル、ハードコアなどの激しい系統の音楽が非常に持て囃されている。こうした背景には南北動乱以降の石動人の気性が非常に荒くなり、音楽においてもよりハードで攻撃的な性格のものを好むようになった為ではないかと分析されている。中でもメロディックハードコア(メロコア)、グラインドミュージック、プログレッシブロック(プログレ)、プログレッシブメタル、メロディックデスメタル(メロデス)、メタルコアなど、他国ではどちらかといえばマイナーなジャンルに分類されるようなジャンルが非常に隆盛であることも特徴の一つとされている。分けても「メロディックスピードメタル(メロスピ)」は、石動でしか通用しない音楽ジャンルとして有名である。
また、石動のメタルファンの間で使われる特徴的なスラングに「クサい」という表現があり、これは「メロディラインが叙情的で哀愁がありすぎる」ことを意味する表現であり、決して侮蔑の辞などではなく、むしろ褒め言葉とされている。発展系として「異臭注意」という表現もあるが、これも褒め言葉である。
代表的な国内アーティスト |
スポーツ
伝統的なスポーツとして柔道・剣道・銃剣道・弓道・薙刀道・相撲などの武道・格闘技が盛んである。特に南北朝時代以降は全国の中学・高校で銃剣道と柔道が必修とされた。
また娯楽的なスポーツとしては野球とサッカーが二大双璧を為しており、様々な企業・団体が球団・チームを経営し、多大な興行収入を生み出している。またバレーボールも盛んで、春の高等学校バレー全国大会は夏の高等学校選抜野球大会(通称「甲楽園」)と並び国民の一大イベントとして名高い。
また公営賭博として競馬が盛んな事から、乗馬においても優秀な騎手が多数存在する。
言語
- 石動弁
地球時代の岡山弁を基調とした石動の方言である。似たような言語を話す秋津人や神桜人も、独特のイントネーションに思わず面食らうことがある。
例文
石動語
・「早くしてください」
石動弁
・「はよーしねえ」
石動語
・「いい加減働いてください」「うるさい馬鹿」
石動弁
・「ええかげん働けぇやホンマ」「うるせえわあんごう」
石動語
・「前髪が長すぎますよ。鬱陶しいですね」
石動弁
・「前髪長すぎじゃろー。やげろーしーわー」
(内務省観光局監修、豪胆社刊「ぼっけーよーわかる石動弁」より)
おまけ
貿箱用に書いた絵その他のPixiv公開版(高解像度)です。よかったらどうぞ。
※外部リンクは最大10までの上限があったため、「貿箱」タグを着けてまとめました。今後私以外の方の作品も出てくるかも?
一覧
添付ファイル: