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Re: 社会主義のお話
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社会主義のお話 (ヴェールヌイ社会主義共和国, 2015/3/14 1:10)
- Re: 社会主義のお話 (ヴェールヌイ社会主義共和国, 2015/3/18 20:47)
- Re: 社会主義のお話 (ヴェールヌイ社会主義共和国, 2015/3/19 19:57)
- Re: 社会主義のお話 (ヴェールヌイ社会主義共和国, 2015/3/22 12:50)
- Re: 社会主義のお話 (ヴェールヌイ社会主義共和国, 2015/3/23 18:55)
- Re: 社会主義のお話 (ヴェールヌイ社会主義共和国, 2015/3/24 19:37)
- Re: 社会主義のお話 (ヴェールヌイ社会主義共和国, 2015/3/31 23:00)
- Re: 社会主義のお話 (ヴェールヌイ社会主義共和国, 2015/4/1 22:40)
- Re: 社会主義のお話 (ヴェールヌイ社会主義共和国, 2015/4/3 21:04)
- Re: 社会主義のお話 (ヴェールヌイ社会主義共和国, 2015/4/13 2:33)
- Re: 社会主義のお話 (ヴェールヌイ社会主義共和国, 2015/5/8 22:43)
- Re: 社会主義のお話 (ヴェールヌイ社会主義共和国, 2015/5/11 0:47)
- Re: 社会主義のお話 (ヴェールヌイ社会主義共和国, 2015/8/2 18:53)
- Re: 社会主義のお話 (ヴェールヌイ社会主義共和国, 2015/10/25 13:48)
- Re: 社会主義のお話 (ヴェールヌイ社会主義共和国, 2015/12/5 23:05)
Здравствуйте!
ヴェールヌイだ。
今回は、皆さんおまちかね?の「共産主義」について紐解いていこう。
ちょっと長くなるけど、一気に説明していくよ。
フリューゲルの共産主義勢力諸氏は心して読みなさい!
【日常会話で誤用される共産主義】
共産主義とは何か。お手元の辞書で調べてみてほしい。
ちなみに広辞苑で共産主義を引いてみると、以下のように記載されている。
(1)私有財産制の否定と共有財産制の実現によって、貧富の差をなくそうとする思想・運動。古くはプラトンなどにも見られるが、主としてマルクスエンゲルスによって体系づけられたものを指す。
(2)プロレタリア革命を通じて実現される、生産手段の社会的所有に立脚する社会体制。
?????wwwwww
突然草を生やしてごめんなさい。
いや、この広辞苑による説明は、日本語の中で現に使われている「共産主義」という単語の意味としては、まったく正しい。だから怒らないでね岩波書店さん。
しかし、社会科学に照らした場合、広辞苑によるこの説明は、相当混乱していると言わざるを得ないんだ。ここまでこのシリーズを読み進めてくれた方なら、もうこのおかしさに気づけるんじゃないかな?
前回触れた、デュルケムが整理しようとしたのも、まさしくこの混乱に他ならなかった。
この(1)に登場する「主としてマルクスエンゲルスによって体系づけられたものを指す」を、そっくり(2)の方に持っていけば、わりと収まるんだけどねぇ・・・。怒らないでね岩波書店さん。
つまり、マルクスの基本姿勢は「古くはプラトンなどにも見られる」(1)の方にあるのではなくて、「生産手段の社会的所有に立脚する」(2)の方にあるってことだ。
デュルケムは、(1)の「私有財産制の否定と共有財産制の実現によって、貧富の差をなくそうとする思想・運動」を共産主義と呼び、(2)の「生産手段の社会的所有に立脚する社会体制」を社会主義と呼んだんだ。この定義でいけば、マルクスは当然(2)の社会主義に分類されるということだね。少なくともデュルケムにとっては、だけどさ。
しかしながら、共産主義という用語は、プラトンの時代から通用していたわけではない。共産主義という言葉が、現在と同等の意味で使われるようになったのは、社会主義より少し遅く、1840年代に入ってからの事だった。ただし、コミュニスト(現在では共産主義者の意)やコミュニズム(現在では共産主義の意)といった単語そのものは中世から存在していたので、どこからが近代的な用法なのか、判断するのは非常に難しい。ラテン語のコムムニス(communis)という言葉にまで遡れば・・・・あーもうこれわかんないな。
ま、まぁともあれ、共産主義という語を、近代的な意味で用いた最初期の事例として広く知られているのは、エチエンヌ・カベーの「共産主義的信条」という書物ということになっている。これは先出の広辞苑の説明に照らせば、明らかに(1)の系列に属する内容となっているよ。すなわち、カベーの思想は、私有財産のないユートピア社会を基本的な準拠点とするものだったんだ。ただし、カベーは、古代や中世の人物ではない。カベーの「共産主義的信条」と、マルクスとエンゲルスによる「共産党宣言」は、ともに1840年代の出版物だ。その差はわずか5~6年だった。これはいったい・・・?
【混乱の真犯人~二つの共産主義~】
同じ1840年代に、同じく共産主義を標榜したマルクスとカベーは、本質面で別種の考えをもっていた。これが混乱の源泉となっている。それにしても、なぜマルクスとエンゲルスは、自ら共産主義者を名乗ったのだろう?後世、デュルケムに整理されて、完全に社会主義者の側に分類されるというのに。カベーが「共産主義的信条」を出した数年後に、それとは別系列の主義に立つマルクスとエンゲルスが「共産党宣言」を著したのは、素直に考えて奇妙な話だよね。
さて、この疑問を解くカギは、学問的な次元にはなく、むしろ政治的な次元にあるんだ。そもそも「共産党宣言」は、共産主義者同盟という政治組織の綱領だということを忘れちゃいけないよ。組織の名前が共産主義なんだから、その綱領に「社会党宣言」なんて名前は付けないもんね。しかも、この共産主義者同盟という組織は、それ以前の社会主義運動から分派した組織なのだ。だから、マルクスとエンゲルスは、自分たちの方針を既存の社会主義運動と区別するために、社会主義とは別の名称を必要としていたんだ。マルクスやエンゲルスは、単なる学者ではなかった。彼らの最優先課題は、学問的な探究ではなく、現実の社会改革だ。マルクスは、カベー流の共産主義を強く非難していた。それなのに、マルクスはカベーと同じ共産主義者を名乗った。マルクスにとって、カベー(あとはモーアやカンパネラとか)と自らを区別することよりも、既存の社会主義運動と自らを区分することの方が、ずっと重要だったんだろうね。その辺の事情を酌んであげないと、マルクスの言動を正しく理解することは難しいというわけ。まったく困ったもんだ。
【共産主義とは理想郷願望である】
社会主義と共産主義を、政治的な事情を抜きにして、社会科学的見地から分類してくれたデュルケムは、徹底した学者だった。デュルケムは、プラトン、トマス・モーア(1478年生まれ)、トマーゾ・カンパネラ(1566年生まれ)といった人々を、共産主義者に分類した。見ればわかるとおり、古い人たちばかりだね。すなわち、デュルケムが共産主義者と見なしたのは、共産主義という語が、未だ今日的な意味を獲得していなかった時代の人々だった。そんなわけで当然のことながら、プラトンもモーアもカンパネラも、自らを共産主義者だと名乗ってはいないよ。だけど、カベーの思想を共産主義と見なすならば、上の三人は、同類、もしくはその先駆者といえるね。「私有財産制の否定と共有財産制の実現」という基準を遡及的に適用すれば、プラトンやモーアやカンパネラもまた、共産主義者の側に分類できるんだろう、という事だ。
そんなわけで、共産主義に含まれるのは、プラトンの説いた理想国家に始まり、トマス・モーアの「ユートピア」やトマーゾ・カンパネラの「太陽の都」、そしてエチエンヌ・カベーの「共産主義的信条」や「イカリア旅行記」に至る思想系列ということになる。それらに通底する着眼点は、「理想」や「ユートピア」だ。だけど、金儲けの私利私欲から解放された汚れなき理想郷など、この下界には実在しないよね。だからカベーは「イカリア」という架空の国を持ち出した。(イカリア旅行記の初版は1940年に刊行されたもの)
元来の共産主義は、私有財産なき理想郷を夢見るような思考を指す。だけど、後に社会主義勢力が大きく二つに分裂したとき、一方の党派が共産主義の旗印を掲げるようになった。マルクスの共産主義はこれにあたるわけなんだ。この事情を勘案すれば、マルクスの思想の中身自体は、あくまでも社会主義の一種だと見なす方が自然だね。
しかしながら、マルクスとカベーが、同じ時代に同じ共産主義という語を使ったことで、人々の理解は大いに混乱してしまった。1970年代になってさえ、カンボジアの旧ポル・ポト政権は近代的な共産主義と伝統的な理想郷願望とを混同し、通貨の廃止や私有財産の禁止という無茶苦茶な政策を打ち出したわけで、この種の混乱はまだ終わっていないということさ。現に広辞苑は混同していたわけだからね。
古い系列の共産主義が、内容的にサン・シモンやマルクスの主張と似ているように見える人も、たしかにいるかもしれない。ところが、両者は似ているどころか正反対の思想だよ。古い共産主義は、その根底において、禁欲的な清貧の道徳を旨としていた。物欲は、不道徳の根源だというんだ。一方で、サン・シモンやマルクスは、物質的な豊かさを否定しない。それどころか、生産活動を人々の生活を豊かな方向に統制することが、両者の理論の主眼なんだから。これこそが社会主義だ。
ただ・・・マルクスの共産主義を社会主義と同類だとするならば、逆もまた然りなのも事実だよ。
すなわち、社会主義はマルクスの共産主義と同類だってね。
それなら、区別に意味なんて無い、かもしれない。
だから究極のところは、どちらの語を用いるのかは恣意的なものだ、といえるのかもしれない。
ただ、夢物語的な共産主義が、現実に存在する以上、それとの区別を明確にするため、社会主義という語を中心的に用いた方が、誤解や混乱が少なくなるはずなんだ。
次回は何にしようかちょっと迷ってるので間が空くかもね。
そろそろ終わろうか?
それじゃあまた会う日まで!
До свидания!
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え?共産主義は社会主義の高次元段階だって?
わかったわかった。もう少しだけ補足しよう。
かつて旧ソビエト連邦では、資本主義を克服した未来社会の第一段階が社会主義であり、さらに発展した高次の段階が共産主義だという説明が広く使われていた。すなわち、資本主義→社会主義→共産主義という、段階的な発展図式だね。
しかしながら、こんな筋書きは、創作的な空想物語の見本だとしか言いようがないほど、荒唐無稽な主張だ。
そもそも、この種の段階的発展論は、ロシア革命に際してレーニンが著した「国家と革命」に端を発するものだね。この「国家と革命」は、きわめて党派的かつ政治的な著作であって、学問や教養を深めるために書かれたものではない。
細かな詳細や経緯については、今後歴史を追っていく中で説明できると思うけど、いずれにせよ、共産主義が社会主義の高次元段階であるといった論法には、はじめから大した根拠なんてなかったんだよ。