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Re: 社会主義のお話

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ヴェールヌイ社会主義共和国

なし Re: 社会主義のお話

msg# 1.12
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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2015/8/2 18:53 | 最終変更

社会主義のお話
社会民主主義と共産主義の復活

590年台初頭、格差是正や労働者目線を是とする時の潮流は、反共主義のエルツ帝国で、左派的議論を許容するまでになり、帝国政府公認の新聞に「労働者」「平等」の文言が並んだ。そんな帝国内部でも、元来、革新派大学とされていたエルトウェルプ大学は、ヴェールヌイ社会主義共和国で教鞭を執っていたステパーシン氏を客員教授として招聘し、社会主義を歴史と科学的見地に基いて分析していた。

ステパーシン「ぇー・・・つまりは、20世紀の半ば、社会民主主義という語は、主に「穏健社会主義」や「中道左派」といった意味で用いられるようになったわけですね。これ自体は間違いではないのですが、東西冷戦という時代の中で、東側陣営に与しない社会主義思想が――えーこれは主に西側諸国の内部において、という意味ですけれどもー、社会民主主義と総称されるようになったということです。実際、旧東ドイツで共産党系の「ドイツ統一社会党(SED)」が政権を独占していた頃、旧西ドイツでは、1966年から16年に亘って「ドイツ社会民主党(SPD)」が政権与党の一角を占め続けていました。言うまでもありませんが、名前がいくら似ていたとしても、東の社会主義政党と西の社会民主主義政党は異質の勢力でありますから、両者の間に同盟関係があったわけではありません。」

学生「先生!ひとつよろしいですか。先生は今、東の社会主義政党と西の社会民主主義政党は異質の勢力だとのことですが、たしか先生は、社会主義の本質は「生産活動の統制と組織化」だと仰られていましたよね」

ステパーシン「その通り、より誤解がないように言うならば「国民が選んだ公権力による正統な統治によって、生産活動を人々の生活を豊かな方向に統制すること」ということです」

学生「では、西の社会民主主義は、その社会主義の本質から乖離しているということなのでしょうか?」

【複雑な用語法】

ステパーシン「なるほど。これはよく聞いてくれていないとできない質問だ。嬉しいですよ。実を言うと、社会主義と社会民主主義の区別というのは、古いものではないのです。むしろ19世紀の末頃までは差が曖昧で、同義語のように使われていました。例をあげるなら、1898年、獄中のレーニンらを主軸にロシアで創立された組織は「社会民主労働党」という名前を冠していたというものがあります。しかし、その「社会民主」というのは、戦後のスウェーデンで発展した「社会民主労働党(SAP)」や旧西ドイツの「社会民主党(SPD)」と同じ意図を持つものでは無かった・・・そしてみなさんも周知のように、レーニンらの側は、やがて「共産党」を名乗るようになります。これはつまり、レーニンの主張が変わったのではなくて、旗印の用語法が大きく変わった、ということなのです」

学生「用語法の問題なのですね。ではなぜレーニンたちは初めから「共産」を用いなかったのでしょう?マルクスエンゲルスの「共産党宣言」は1848年の時点で著しているはずですよね。・・・ということはまてよ、1848年には共産党宣言が出ていて、そのマルクス主義者だったレーニンは、先生が今おっしゃった1898年、つまり50年後にもなって社会民主労働党で、その20年後には共産党の指導者になっているってことですよね・・・?用語法が変わったとの事ですけど、つまりどういうことなんですか」

ステパーシン「そう、レーニンは共産党宣言から70年後にもなって共産党を旗揚げし、おまけに共産主義は社会主義の高次元段階とまで言い出すわけですね。これには歴史的事情があったんです。まず第一に、1948年頃には社会主義と共産主義の区別が明確に意識されていなかったということがあります。両者とも、自由競争経済やブルジョワ支配に異義を唱え、労働者の立場に立つという点で、時流に抗する主張を共有していたからです。そんな中で、マルクスやエンゲルスが共産党宣言、つまり共産主義という言葉を選んだのは、社会主義を掲げるフーリエ派に対抗し、自分たちを区別するために過ぎなかった。(第五回空想的社会主義者たちを参照)要するに、共産主義が社会主義より次元が高いとか低いとかいう話ではないわけです。

ちなみに元来の社会主義と共産主義の区別については第六回共産主義ってなんぞや?を読んでくださいね。社会主義と共産主義の弁別が徐々に進んでいきますと、現実的な社会変革を目指すのならば「共産」という言葉はむしろ使えなくなってきます。事実、共産党宣言が出版されて以後しばらくは、共産を掲げる政治勢力が発展することはなかったわけです。こうした中で、レーニンもはじめは「社会民主労働党」に参加し、彼のみならず、19世紀後半の左派の主流は、いずれも「社会」あるいは「労働」を名乗る勢力になりました。

ただし、多くの左派勢力が、社会や労働の看板を共有していたからといって、その陣営の思想が一枚岩になったわけではありませんね。細かな対立を度外視しても、マルクス流の革命主義とフェビアン教会型の改良主義(議会主義)が、相容れ難い2大潮流として同居していたわけです。このような状況が長続きするわけもなく、原則論を貫こうとする革命派が袂を分かち独立していく際に、社会や労働とは別名の看板を見つける必要が生まれたわけです。それで掘り出されたのが、半世紀以上にも前に書かれた共産党宣言だったと。かつてマルクスとエンゲルスが、自らをフーリエ派の社会主義と区別するために「共産党」という名辞を選び、その70年後、レーニンはドイツの社会民主党やイギリスの労働党と区別するために、「共産党」を名乗った。このことからもわかるように、元来の理想郷願望としての共産主義以外の、近代社会主義としての共産主義という名は、政治的理由で無理やり使用されたに過ぎない」

【非民主国家で起こった革命】

学生「しかし先生、社会主義と共産主義の区別の話をされましたが、つまりそれだとレーニンは社会主義側ということですよね。世界初の社会主義国は、そのレーニンのソビエト連邦。いくら西側の社会民主主義だなんだといっても、私達が日常用いる共産主義を含めた社会主義の本流は、ソ連を中心とした東側ということになりませんか」

ステパーシン「たしかに、世界初の社会主義国を誕生させたのは、マルクス・レーニン主義の名の下で遂行されたロシア革命です。ですが、そのことは、マルクス・レーニン主義が社会主義の本家本元として広く認知されたことと同じではないのです。ロシア革命は、いかに大きな歴史的事実であれ、あくまでも一つの出来事であって、理論や思想の妥当性を判断する基準にはならないのではないでしょうか?もちろん、だからと言って、イギリスの労働党やドイツの社会民主党が正統であるということにもなりません。いずれにしても、マルクス主義的な革命は、英独仏などの国々では起こらず、ロマノフ王朝の世襲支配が続くロシアで実現したものだったという事実があります。いち早く労働問題が顕在化したイギリスでもなく、二月革命やパリコミューンを経験したフランスでもなく、そしてマルクスやエンゲルスの母国ドイツでもなく、前近代的な農村を多く抱えるロシアにおいて、近代資本主義の打倒を旨とする革命がはじまったのです。つまり、早くから社会主義的な運動が始まっていた国々では、マルクス主義型の革命思想が主流化することはなかったということです」

学生「それは英独仏で革命派が弾圧されたからなのではないですか」

ステパーシン「たしかに、革命派が大なり小なり弾圧されたという歴史的事実はあります。しかしながら、ロマノフ王朝下のロシアが、英独仏よりマルクス主義に寛大であったわけではありませんよ。むしろ1917年以前のロシアは、英独仏よりも非民主的な世襲支配国だったのですから。ただし、革命派からすれば、第一次世界大戦で苦悶し、国民の求心力を失いつつあった当時のロシア帝国政府は、非常に倒しやすい相手だったということが言えます。国民が社会主義を求めた国ではなく、一部の社会主義者が政権奪取に成功した国において、世界で初めて社会主義を看板とする国家が誕生することになった・・・それだけのことです」

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