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この記事は7世紀後半時点でのカルセドニー島共和国について解説している。
現在の状況はカルセドニー連合やカルセドニー革命、カルセドニー史に詳しい。
正式国名 | カルセドニー島共和国 |
英名 | Republic of Chalcedony Island |
国旗 | |
首都 | クリソプレーズ |
最大の都市 | ウエストカーネリアン |
建国 | 616年11月初旬 |
現政体確立 | 621年5月中旬 |
崩壊 | 703年7月初旬 |
言語 | 英語、日本語 |
元首 | リヨネ・アメシスト大統領(675年~703年) |
政体 | 大統領制 |
通貨 | Va |
国歌 | 進め、勝利は我にあり! |
所属同盟 | ナウラ条約 |
概要
旧世界「連邦」からの移民が祖となって成立した国家。旧世界のことは現在はほぼ忘れ去られているが、一部の地名などに影響がみられる。建国直後は旧世界への望郷の念から、「カルセドニー島入植地」と名乗り、正式な独立国家ではなく旧連邦の構成区画であることを強調していた。大統領となったリヨン・ジャスパーにより、国名が「共和国」に変更されたが、この「共和国」が独立国家としての意味なのか、旧連邦の構成区画として共和国を名乗っているのかについては現在でもまれに議論の対象となる。とは言え、旧連邦がもはや亡国であることはだれの目にも明らかなので、この点に実質的な差異はない。
市
共和国の地方行政区画は「市」を単位に成り立っており、中心都市が形成された地域が順に市として扱われることとなっていた。また、中心都市が存在しない地域に関しては開発途上区とされ、共和国政府の直接の管轄のもと開発を進めることになっていた。627年の憲法では、市も「指定都市」とそれ以外の都市に分けられ、指定都市には選挙上の優遇が認められることとなった。しかし、659年に制度が改定され、現代都市が建設されていない地域も市として対等の扱いを受けるようになり、また、開発途上区は周辺の市へ編入され消滅した。
659年の法律改正で、指定都市の制度はなくなり、各市には人口に比例した議席が与えられることになった。議席数はおおむね人口50万人につき1人である。以下に市として定められている地域を示す。人口などのデータは659年11月のものである。順番は旧制度化において指定都市として認められた順である。
市 |
歴史
カルセドニー史も参照のこと。
前史
旧世界北極海域の諸島を束ねていた国家(フリューゲル世界では単に”連邦”と呼ばれる)の政府が、世界全体の急速な衰退を憂慮し、恒星間移民プロジェクト「カルセドニー計画」を実施、それに参加した連邦住民が入植した場所がカルセドニー島である。連邦は有人宇宙船の打ち上げ経験がなく、気象・観測衛星等と同様のロケットを若干改良しただけの物で実施したため、計画に参加した多くの人々のうち、無事にフリューゲルまでたどり着いたのはごく一部に過ぎなかった。
連邦と移民船団との通信はロケット打ち上げ後まもなくして途絶(連邦はこの時点で滅亡したと考えられている)、計画参加者は連邦の指示なくしての独自行動を強いられることになったが、国民の連邦の一員としての意識は強かったため、初期の国名には「入植地」をつけ、独立国家ではなく連邦の構成区画であることを強調していた。
リヨル・カーネリアン暫定総督政権(616年11月~620年9月)
移民計画に参加した者のうち、文官で唯一旧連邦で大臣を務めた経験のあるリヨルが暫定総督に就任し、初期開発の指揮を取った。最初の2年余りは順調に推移したが、首都が建設され周辺地域が一気に都市化した際に住環境が悪化、首都クリソプレーズ周辺で暴動が発生した(都市化闘争)。619年10月~11月に発生した第1次の暴動は総督府が陸軍を派遣、強引に鎮圧することとなった。その後1年弱小康状態が続くも、620年7月に第2次の暴動が発生、一時は政府機能が停止するほどの大被害を引き起こした。このときリヨル暫定総督が暴徒に襲撃され重傷を負ったため、リヨル政権は継続不能となりハギワ・サードオニクス暫定総督代行に地位が引き継がれた。
また、リヨルは635年に死去したが、この際に大規模な葬儀を拒否する遺言を残し、国内での報道もRB通信社が1行報じたのみであった。
ハギワ・サードオニクス暫定総督代行政権(620年9月~621年5月)
リヨル政権下で防衛委員長を務めていたハギワは、リヨルが倒れた後の総督府委員長会議において総督府陸軍の支持を背景にイニシアチブを握り、暫定総督代行に就任した。この際に治安を乱す暴動を徹底して取り締まる方針を国内に発表、直ちに暴動を起こした民衆を陸軍を派遣して鎮圧したが、この際に反政府組織の中でも特に過激な一団が武装蜂起を起こし、アゲート入植地郊外の総督府陸軍駐屯地を襲撃、その装備を奪取する事態が発生した(アゲート反乱)。反乱軍はノホ・ヘレコ連邦軍の攻撃により撃滅されたが、第2次都市化闘争に始まる一連の混乱による死者数は250万人近くに上ると推定されている。これは当時の人口の3分の1に相当する。
ハギワはその後も暴動に対し強硬な態度を取り続けたが、その強引なやり方が総督府内で反感を買い、621年5月に辞職を余儀なくされた。その後も防衛委員長の座にはとどまったが、635年以降のセビーリャ動乱の際に同国に深入りしすぎたことを理由に辞職、政界を引退した。
リヨン・ジャスパー大統領政権(621年5月~630年12月)
ハギワが辞意を表明した際、総督府内では委員長会議の互選で新たな暫定総督代行を決定するべきだという主張が根強かった。しかし、その方法では国内の混乱を収められないと静養中だったリヨル・カーネリアン暫定総督が発言したため、民衆の投票によって首長を決定する方針が定められた。621年5月4日に公示され、5月19日投開票というかなりの強行日程で行われた第1回首長選挙ではリヨン・ジャスパー外務委員長が他を引き離す得票数で当選した。首長の肩書は当初暫定総督代行とする予定であったが、リヨルがもはや暫定総督として国政に復帰する意思がなかったため、リヨンの提案で大統領とすることになった。これに伴い、国名も新時代にふさわしい「共和国」へと変更された。
大統領就任後は無難に業務をこなし、627年に公布された憲法により行われた630年の選挙でも勝利をおさめた。
リヨン・ジャスパー政権【国民党】(631年1月~650年12月)
630年12月に行われた第1回大統領選挙の結果、リヨン・ジャスパーは正式に初代大統領として国民の支持を得ることとなった。国内、特に南部では発展が抑えられているとしてリヨンに否定的な見方も強いが、中西部の人口過密地帯ではリヨンの指示が厚く、これが結果的に大統領としての地位を盤石にしている。リヨンは憲法の制定にもかかわっており、自分の当選に有利な選挙制度を作ったと一部の強硬派は非難している。
大統領就任後は積極的な内政・外交政策を展開、任期満了に伴う640年の第2回大統領選挙において再選を果たした。ただ、2期目となった640年代の外交政策では問題が目立ち、健康状態の悪化もあってリヨンは次期大統領選に出馬しないことを表明した。その結果、650年末をもって大統領職を引いたが、その後も大統領府の「ご意見番」的な立場で今だそれなりの発言力を有していた。660年代に入って完全に政界から引退、669年に死去した。
621年から30年にわたり国家指導者を務めたリヨン・ジャスパーは「共和国発展の父」として永遠にその名が記憶されることだろう。
第1次リヨネ・アメシスト政権【民政党・社会民主党】(651年1月~670年12月)
リヨン大統領が出馬しなかった第3回大統領選挙において、リヨネ・アメシストは現職の外務委員長としての経験の豊富さなどが評価され、当時の野党民政・社会民主両党の推薦を受けて大統領選挙に出馬、与党勢力を破り大統領に就任した。おりしもヴァノミス危機など国際情勢が極めて不安定であり、ENECの盟主であるウェールリズセ連邦共和国、その対抗勢力の中で最も影響力のあるエルツ帝国双方と外相会談を行った経験のあるリヨネは大きな期待を内外から寄せられることになった。
リヨネ大統領はアルドラド・ヨリクシ両国とのナウラ条約調印など、外交面で大きな成果を挙げたとみなされ、660年の大統領選挙で再選を果たしたが、その直前に経済委員長が辞任に追い込まれる*2など、経済分野では比較的弱みが目立っている。
666年の社会保障改革の際は民政党の社会保障改革反対派を支持し、次回大統領選挙の際には左右分裂した民政党のうち、右派の支援で立候補することを表明した。これに対し社会民主党は次期大統領選挙で異なる候補を擁立することを表明するなど、議会と大統領の溝が広がっている。
670年の大統領選挙でリヨネは社会民主党のレハシ・ウェストカーネリアンに敗れ退任した。
レハシ・ウェストカーネリアン政権【社会民主党】(671年1月~675年2月)
660年代後半のリヨネ政権と社会民主党の不和は第5回大統領選挙における社会民主党の独自候補擁立につながった。社会民主党はその社会保障政策などで国内の労働者から高い支持を受け、レハシ・ウェストカーネリアン代表を大統領の座に送り込んだ。
レハシは大統領就任直後に将来的な「自主管理社会主義政策」の導入を宣言、国内に衝撃を与えた。しかし、議会の過半数を社会主義に否定的な勢力が占める状況でレハシ大統領は効果的な政策を行うことができず、次第にその評価は下がっていった。そして、最後には無政府共産主義者により暗殺されることとなった。
就任時の圧倒的な民衆の歓声からは想像できなかった鮮血の結末をレハシ大統領は迎えることとなってしまった。
第2次リヨネ・アメシスト政権【国民党・民政党】(675年3月~703年6月)
レハシ大統領の暗殺を受けて急きょ行われた第6回大統領選挙は、事実上の挙国一致候補となったリヨネ前大統領が圧倒的得票で当選を果たした。その後、リヨネはレハシ政権ほどの活発な外交活動は見せなくなったものの、それでもアウクシリア条約の締結など成果を上げ、680年に三選(4回目の当選)を果たした。この際に社会民主党は独自候補を擁立して敗れたため、651年からの社会民主党の政権参加は680年をもって終了した。
社会主義革命
カルセドニー革命を参照。
人口
人口は建国以降都市化闘争の時期を除いて一貫して伸び続け、621年8月に人口1000万人、626年5月に人口2000万人、628年8月に人口3000万人、633年3月に人口4000万人、641年4月に人口5000万人、650年11月に人口6000万人、667年7月に人口7000万人、680年5月に人口7500万人、687年9月に人口8000万人、695年2月に人口8500万人を達成した。
人口の推移*12
691年時点
カルセドニー島共和国:自由経済派 | |||
---|---|---|---|
民主的 | ---◆------ | 独裁的 | 議会制民主主義だが大統領の権限が大きい |
政治的左派 | -----◆---- | 政治的右派 | 左派の勢力は蘇りつつある |
解放社会 | --◆------- | 閉鎖社会 | セビーリャ・アルドラドとの関係消滅で若干閉鎖社会に寄った |
自由経済 | ---◆------ | 中央計画経済 | 675年以降次第に自由経済に戻った |
常備軍 | ◆--------- | 徴兵軍 | いつの間にか国際社会一の大軍を常備している |
タカ派 | ------◆--- | ハト派 | 国際情勢の変化を反映しややタカ派寄りに |
介入主義 | -------◆-- | 孤立主義 | 経済を維持するだけの勢力は必要だが、地雷は踏みたくない |
※中の人はHoIのプレイ経験がありません(EU2はあります)。
大統領
大統領は国民の直接選挙によって選出される。任期は10年で*13、4選は禁止される。大統領は大統領府を設置し、各種委員会の委員長を任命する。大統領には議会の解散権、議会を通過した法案への拒否権*14、市議会が指名した市知事の拒否権、条約の締結権などが認められている。第1回大統領選挙*15は630年10月に公示され、12月に投開票が行われた。
歴代大統領 | 所属政党 | 在任期間 | |
初代大統領 | リヨン・ジャスパー | 国民党 | 631年~650年(20年間) |
第2代大統領 | リヨネ・アメシスト | 民政党・社会民主党 | 651年~670年(20年間) |
第3代大統領 | レハシ・ウェストカーネリアン | 社会民主党 | 671年~675年(4年強) |
第4代大統領 | リヨネ・アメシスト | 挙国一致政権 | 675年~680年(6年弱) |
国民党・民政党 | 680年~703年(23年半) |
大統領府
大統領府は各種の委員会からなる。委員長の任命・罷免権は大統領に与えられているが、長い間各委員会のトップ事務官が委員長に任命されることが慣例化しており、大統領の任命によるものはなかった。だが、レハシ政権は自身の側近を積極的に委員長のポストにつけ、議論を巻き起こしていた。
684年現在の委員長はレハシ政権期のものをおおむね引き継いでいる。これは670年までの第1次リヨネ政権期の委員長が大部分高齢で引退したことが要因である。
共和国議会
入植地時代の住民議会が発展的解消を遂げて成立した機関で、憲法では立法権が認められている。議会は一院制で、中選挙区比例代表並立制を採用している。中選挙区は人口が200万人を超え、政府に指定都市として定められた市*19は8、定められていない市は3の定数で候補者に直接投票する形で選挙が行われる。比例代表制は全国集計で、中選挙区として割り当てられていない議席が比例代表制で争われる。議員の任期は10年とされている。
議会定数は共和国議会の設置後長らく100議席とされてきたが、指定都市の増加に伴い比例代表議席が減少、652年のヘリオトロープ市の指定都市化に伴い比例代表議席が消滅してしまったため、660年の第5回共和国議会選挙以降総議席数が250へと増加した。また、この際に指定都市制度が廃され、中選挙区1つあたりの議席数は純粋な人口比例となっている。
第1回共和国議会選挙後(~630年) |
第2回共和国議会選挙後(631年~640年) |
第3回共和国議会選挙後(641年~650年) |
第4回共和国議会選挙後(651年~660年) |
第5回共和国議会選挙後(661年~666年) |
民政党左右分裂後(666年~670年) |
第6回共和国議会選挙後(671年~680年) |
第7回共和国議会選挙後(681年~690年) |
第8回共和国議会選挙後(691年~700年) |
第9回共和国議会選挙後(700年~) |
大統領府委員会委員長評議会
レハシ・ウェストカーネリアンは選挙時から「大統領権限の縮小」を公約に掲げ、大統領の権利であった「議会の立法に対する拒否権」を廃止する改憲を主張していた。レハシは大統領当選後、「大統領委員会委員長評議会」を設置、法案への拒否権を評議会に移管した。
評議会の定員は22名で、8名は大統領府委員会委員長*20、14名は各市から1名ずつ公選で選ばれた市自治委員長(後述)が務める。
市
市の長は市知事で、公選制ではなく市議会の指名と大統領の承認によって任命される。現行の627年憲法では大統領に市議会(任期4年、定数100)が指名した市知事を拒否する権利が与えられているが、今までに大統領がこの権利を拒否したことはない。
また、市知事とは別に、中央政府に対する市の代表者として「市自治委員長」を1名市の住民の直接投票により選出する。市自治委員長は大統領府委員会委員長評議会に議席を有し、国政への参加が可能となる。ただし、現在市自治委員長を大統領府委員会委員長評議会に派遣しているのは685年の国土再開発計画より前から市制を認められていた14市のみである。
共和国行政区
カルセドニー本島外の周辺諸島(近年「ガーネット諸島」という呼称が浸透している)は共和国行政区とされ、市と比べ自治権が限定的である。共和国行政区のトップは行政区長で、大統領が任命権を有している。各行政区内の都市地域(現代都市が所在するHEX)については限定的な市制(市議会・知事の制度はあるが市自治委員長はなし)が認められているが、周辺地域については防災都市住民を含めて市制への参加が認められていない。
現在政府は共和国行政区を段階的に解体、これらの地域に本土の市と同様な高いレベルの自治権を与えることを決定、具体策を検討中である。
国民党
旧世界の保守派が中心となって結成した、建国以来の長い歴史を持つ政党。カルセドニー島が「入植地」から「共和国」となり、共和国議会に政党が進出して以降、リヨン・ジャスパー初代大統領の支持政党として勢力を保った。共和国の経済発展を党是の第一に掲げており、特に北部の商工業者からの高い支持を集めている。一方で、東南部の発展が遅れた原因の多くは国民党の政策によるとみなされており、これらの地域からの支持は薄い。そのため、この地域に地盤を持つ民政党との連立を現在は選択している。
国民党:社会保守派 | ||
---|---|---|
民主的 | -◆--- | 独裁的 |
政治的左派 | ---◆- | 政治的右派 |
自由経済 | ◆---- | 中央計画経済 |
介入主義 | --◆-- | 孤立主義 |
民政党
建国当初から存在し、東南部の農村地帯を支持基盤としていた政党。左派政党としては当初からかなり穏健・中道路線を行っていたが、国民党と協調することが多くなった670年以降はもはや右派政党と化している。
リヨネ・アメシスト大統領との関係は国民党より深く、議席数で大きく国民党に水をあけられながらも政府内での発言権を維持しているのはこれが原因である。
民政党:自由経済派 | ||
---|---|---|
民主的 | ◆---- | 独裁的 |
政治的左派 | --◆-- | 政治的右派 |
自由経済 | --◆-- | 中央計画経済 |
介入主義 | ---◆- | 孤立主義 |
労働党
かつては共産党を名乗っていた。国民党・民政党と並ぶ長い歴史を持つが、675年のレハシ大統領暗殺の際に実行犯に資金を流していたことが判明、20年間の選挙への候補者擁立を禁止された。しかし、そのことがかえって中央政界と離れた労働組合などとの関係を強化することにつながり、地方政治での発言力は無視できないものとなりつつある。レハシ暗殺の負の歴史を払拭するため、695年に選挙への参加が再び可能になった際に党名を労働党へと変更した。
労働党:急進的左翼 | ||
---|---|---|
民主的 | ---◆- | 独裁的 |
政治的左派 | ◆---- | 政治的右派 |
自由経済 | ----◆ | 中央計画経済 |
介入主義 | ----◆ | 孤立主義 |
保守党
中部~北部の都市圏にかけて支持を集めていた政党。国民党と比較的政策は似ているが、都市圏の経済強化を国民党よりも強力に推進している。東南部における支持はないも同然だが、640年の選挙では多くの議席を獲得した。次第に党の独自色を見せられなくなり、第4回共和国議会選挙では壊滅的な議席減となった。その後660年の選挙を控え、保守党は国民党に合流、解散した。
保守党:社会保守派 | ||
---|---|---|
民主的 | --◆-- | 独裁的 |
政治的左派 | ---◆- | 政治的右派 |
自由経済 | ---◆- | 中央計画経済 |
介入主義 | ----◆ | 孤立主義 |
十字教民主連合
634年~635年に実施された東部の宗教地域の建設において、市民による署名をあつめ政府を動かした市民団体が母体の政党。ゾロアスター教、キリスト教など国内で少数派の宗教を信仰する人々から広く支持を集めている。
しかし、エーラーン教皇国の滅亡に端を発した国内の宗教不信の影響で支持が落ち込み、それを回復するためにセビーリャ民族同盟と合体し、移民を相手に「抑圧された環境にある地域の解放」を訴えはじめた。セビーリャ地域の解放が現実的でないからか、現在はヴァノミス連邦情勢への介入をしきりに訴えている。
十字教民主連合:専制独裁 | ||
---|---|---|
民主的 | ---◆- | 独裁的 |
政治的左派 | ----◆ | 政治的右派 |
自由経済 | --◆-- | 中央計画経済 |
介入主義 | ◆---- | 孤立主義 |
社会民主党
共産党(現労働党)の穏健派が党を離脱して結成した社会主義政党だが、レハシ政権期を経て現在ではかなり急進的な政策を訴えている。レハシ・ウェストカーネリアンを大統領の座に送り込んだのがその人気の頂点で、現在は次第に勢力を労働党などに奪われつつある。
とはいえ、現実的な社会主義を訴える政党としては現在でも最も有力であることは変わりない。
社会民主党:社会民主派 | ||
---|---|---|
民主的 | -◆--- | 独裁的 |
政治的左派 | -◆--- | 政治的右派 |
自由経済 | ----◆ | 中央計画経済 |
介入主義 | -◆--- | 孤立主義 |
民族
国民の大部分は「カルセドニー計画」により旧世界から移住してきた“パームグラネット民族”と呼ばれる民族とその子孫であり、単一民族国家に近い。ただ、建国後の海外からの人口流入で次第に異なる民族の国民の割合が上がってきた。現在最も多いのはセビーリャ系で、国民全体の3%を占める。続いてヴァノミス動乱の際に難民として流入したヴァノミス系が2%ほどで、以下ヨリクシ系、アルドラド系と続く。
パームグラネット民族の名前は基本的に3音から成り立っており、初めの2音が属する氏族、最後の1音が個人名を表している。しかし、カルセドニー島入植地の成立以降、移住者は移住後に入植した地域の名称を、新世界で生まれた者は生まれた地域の名称を名字として名乗る習慣が生まれ、これが法制化されて現在に至る。そのため、名字が同じであることは単に同郷であることを示すにすぎず、親族関係を表すのは名前の初めの2音である。
宗教
旧世界で一般に“宗教”として認知されるような信仰を持つものは少なく、現在でも少数派である。ただ、民族全体に特定の氏族に特別な能力があると信じ、その一族に権力を与える習慣が根付いていた。特に、ルナ、リヨ、ラノ、レハ、ロニの5族が「5大氏族」として尊重されることが多く、旧連邦の4共和国はそれぞれリヨ、ラノ、レハ、ロニの4族の支配地域により成り立っていた。ルナ一族はこれらの氏族の頂点に君臨する存在とされ、領地などと結びつくことは少なかったものの旧連邦の2人の大統領がどちらもルナ一族の出であるなど、その影響力は大きい。
ただし、これらの氏族の優越は旧連邦の成立以降“法律的には”認められなくなっており、旧連邦の大統領が特に世襲されたという事実はない。また、氏族信仰は表面的には認められなくなりつつあり、氏族の優劣が直接経済・政治的な利益に結びつくことはない。ただ、これまでの共和国の大統領が全て5大氏族の出である(レハシ・ウェストカーネリアンは一族との縁をほぼ切っていたが)ことなどを考慮すると共和国における氏族信仰が完全に失われたとは言えない。
一方、諸外国の影響を受けゾロアスター教やキリスト教を信仰する者も少しずつ増加している。現在、ゾロアスター教徒は国内に400万人(人口の4%程度)、キリスト教徒は国内に100万人(人口の1%程度)存在するとされている。634年後半から635年にかけて政府が整備した宗教設備中心の国立公園は主にこの2つの宗教の施設によって構成されている。これらの宗教を信仰する人々は「ともに国内で少数派である」という考えのためか、宗教的な対立はほぼ見られない。
660年代のエーラーン教皇国の政府機能停止~滅亡、キリスト教徒の多いセビーリャ自由共和国の惨状の影響で、国内でこれらの宗教に対する懐疑的な見方が広がっている。その結果として、旧来からの氏族信仰が再び勢力を盛り返しつつある。
外交関係を有する国家
国名 | 備考 |
---|---|
レゴリス帝国 | 今でも世界最大の商業大国であり、商業生産高はカルセドニーの倍近い。 |
ヴァノミス連邦(旧王国) | 他民族の分断国家で、情勢は常に不安定である。 |
ガトーヴィチ帝国 | 鎖国直前に警察国家体制に移行している。 |
ノホ・ヘレコ連邦 | 蒼鋼国への工業化支援を共同で行った。 |
ヘルトジブリール社会主義共和国 | 今では世界最大の経済大国である。新興国支援に積極的な国の1つ。 |
トリヴェント連邦 | 定期取引を一切行わない貿易政策は国際的に支持されている。 |
テークサット連合 | 国内の防火対策が一切行われていないことで知られている。 |
コーデクス共和国 | コンピューター「CDX」が強い影響力を持つ国家。 |
ヴェールヌイ社会主義共和国 | 民主主義の砦にして社会主義国家の盟主。 |
ロムレー湖畔共和国 | 観光立国だが、軍事力は世界有数である。 |
アルビオン連盟王国 | 平和友好条約を締結している。警察国家への移行は共和国の重大な懸念である。 |
昭栄国 | FENAの議長国だが、この同盟が国際社会に大きな役割を果たすことはあるのだろうか? |
アリア連邦 | 資金・食料と燃料・商品の定期貿易を行っている。 |
石動第三帝国 | 世界第2位の商業大国だが、ソサエティとの関係はどうなるのだろうか。 |
ストリーダ王国 | 世界最大級の工業大国だが、商業規模も大きい。 |
トルキー社会主義共和国 | 経済規模が大きくなってきたが、財政は不安定な模様。 |
タヂカラオ国 | 悠久の歴史を持つ大国で、アリア連邦と共に中立的な立場にいる。 |
ノイエクルス連邦 | 世界最古の国家で、最近は経済も安定している。 |
フリュー第二帝政(フリュー帝国) | 石動第三帝国からの銀が止まり、経済力が一気に低下したようだ。 |
ヨリクシ共和国 | ナウラ条約における同盟国。カルセドニーの命綱。 |
ラシニア社会共和国 | FuCoSTOに加盟しているが、ヘルトジブリールとの経済関係も強い。 |
西岸州独立連合共和国 | 社会主義国ではないが、SSPactに加盟している。 |
サン・ピエル共和国 | 同盟国となった。これで他国の侵略を受けることはないだろう。 |
蒼鋼国 | 暁城条約に基づく同盟国。貴重な新興工業国。 |
御岳山諸島自治巫女共和国 | エンディバラ条約に基づく同盟国。議会の力は弱いようだ。 |
ローレル共和国 | 極めて多くの陣営から支援を受けている。世界で最も開かれた地ではなかろうか。 |
大明帝國 | 萬州・和寧民主共和国崩壊以降関係がなかったが、近年外交関係が開設された。 |
共和国が締結した条約等の一覧(締結順)
- 現在も有効なもの
・カルセドニー島共和国によるヨリクシ共和国に於ける工業化支援協定
637年11月中旬発効
ヨリクシ共和国の工業化支援について定めた協定。
654年頃発効
昭栄国と発した農業国間の経済的な連帯を定めた共同声明だが、共和国の産業構造が商業重視に触れていくにつれて意義を失いつつある。
655年4月初旬発効
ヨリクシ共和国・アルドラド帝国との相互防衛条約。アルドラド帝国滅亡により、現在はヨリクシ共和国と2国間で運用されている。
・アルビオン及びアイレランド立憲連盟王国とカルセドニー島共和国の友好及び平和条約
669年頃発効
アルビオン連盟王国との相互不可侵・貿易関係について定めた条約。
・アルビオン及びアイレランド立憲連盟王国とカルセドニー島共和国との共同宣言
669年頃発効
アルビオン連盟王国と発した「世界の紛争を平和的に解決すべき」という趣旨の共同宣言だが、サン・ピエル危機などの影響で実効性は低い。
・カルセドニー島共和国及びノホ・ヘレコ連邦による蒼鋼国に於ける工業化支援協定
669年10月初旬発効
ノホ・ヘレコ連邦と共同で実施した蒼鋼国への工業化支援について定めた協定。
674年2月中旬発効
御岳山諸島自治巫女共和国との相互防衛関係について定めた条約。御岳山諸島自治巫女共和国はそれ以前国内が混乱しており、その影響でこの交渉はアルビオン連盟王国の仲介で行われた。条約がスコッチランドの都市エンディバラで行われたのもその影響である。
・暁城条約
674年3月下旬発効
蒼鋼国との相互防衛関係について定めた条約。
678年6月初旬発効
サン・ピエル共和国との相互防衛関係について定めた条約。同国は“サン・ピエル危機”と呼ばれる外交的な問題の渦中にあったが、この条約で完全な外交的自立を取り戻している。
678年9月下旬発効
ローレル共和国に於ける怪獣討伐支援(反乱軍は含まない)を定めた協定。付属議定書に基づき同国に陸空軍部隊を派遣している。
- 効力が失われたもの
・ノホ・ヘレコ連邦とカルセドニー島入植地に於けるウラン鉱山開発支援協定
617年頃発効、620年3月下旬、「カルセドニー島入植地で産出する燃料の定期取引に関する公開入札」完了をもって満了、失効。
建国直後、ノホ・ヘレコ連邦から受けたウラン鉱山開発支援協定。この協定でカルセドニー島入植地は資金90兆Va、建材5億トンという莫大な支援を受け取り、しかも燃料定期取引の公開入札に入札国が現れなかったため結果的に一切対価を支払う必要がなかった。
・カルセドニー島共和国とセビーリャ共和国に於けるウラン鉱山開発支援協定
・カルセドニー島共和国とセビーリャ共和国に於ける銀鉱山開発支援協定
ともに630年頃発効、636年5月下旬、セビーリャ共和国内の国家保衛警察のクーデターによる政権掌握をもって失効。
商業を主産業として定め、商品供給を獲得する必要が生じた共和国は、当時建国されたセビーリャ共和国に対し鉱山開発支援を行った。しかし、同国の内情を考慮せずに行われたこの支援は結果的にセビーリャ戦争とそれに伴うウェールリズセ連邦共和国との外交関係悪化を引き起こした。
・カルセドニー島共和国とトルキー臨時社会主義連合に於けるウラン鉱山並びに採石場開発支援協定
636年7月中旬発効、642年頃(現実時間2016年3月17日)、トルキー臨時社会主義連合における「燃料輸出に関する公開入札」完了をもって満了、失効。
トルキー臨時社会主義連合に行った鉱山開発支援について定めた協定。同国はこの鉱山開発から順調に経済発展を続け、最終的に世界有数の経済大国に成長したが、本協定は「共和国に何の利益ももたらさなかった」などとする批判もある。
643年11月初旬発効、655年4月初旬、両国間の破棄合意によって失効。
ヨリクシ共和国における治安維持支援について定めた協定。640年にヨリクシ共和国で発生した「蜂起軍」事件の際に同国とは共同で鎮圧にあたっており、それ以降同国との軍事関係が深まっていた。治安維持協定はナウラ条約が締結された655年4月初旬に失効したが、結局この協定に基づいた治安維持活動は一度も行われなかった。
・カルセドニー島共和国とラシニア社会共和国に於ける銀鉱山開発支援協定
644年頃発効、646年4月頃、「セビーリャ自由共和国とラシニア社会共和国間の銀取引契約」の成立によって満了、失効。
ラシニア社会共和国において行った銀鉱山開発支援について定めた協定。同国情勢は現在に至るまで安定しているとはいえず、この投資は「失敗だった」とする声が国内では大半である。
676年1月初旬発効、677年頃、協定第5条に基づき満了、失効。
ローレル共和国の幸福度向上のための各種設備の建設費用支援について定めた協定。協定に定められた施設全ての建設完了に合わせて失効した。
・カルセドニー島共和国と蒼鋼国に於けるウラン鉱山開発支援協定
669年6月中旬発効、670年11月下旬より開始された燃料定期輸送契約が675年11月下旬に満了、定期取引自体も683年4月初旬に終了した。
鉱山開発支援としては4例目で、「これまでで最もうまくいった」と評されている。蒼鋼国はこの鉱山開発で得た資金で産業化に成功し、今では共和国の商品供給のかなりの割合を同国産の製品が占めている。
概説
旧来、共和国が入植地であったころには総督府陸軍と呼ばれる軍隊が存在したが、実質的に治安維持部隊に過ぎなかった上、総督府の私兵という扱いであった。また、必要性がなかったため当時は空海軍は存在しなかった。
第2次都市化闘争の真っただ中であった620年9月中旬、首都から東方に150km離れたアゲート市郊外*21で総督府陸軍の駐屯地が暴徒に襲撃され、装備が奪われる事態が発生した。この反乱はノホ・ヘレコ連邦軍による攻撃によりすぐに鎮圧されたが、自国内で発生した反乱を鎮圧できずに他国を頼みとせざるを得ない状況に危機感を覚えた総督府は国防軍の創設を決定、直ちに近代的な軍隊の建設に着手した。この姿勢は共和国大統領府にも受け継がれている。
国防軍の創設後10年余を経て、共和国は他国への軍事支援を実施できるほどの軍隊を有するに至った。
国防軍の実施した主要な軍事作戦 |
軍事詳細 |
経済
共和国は農業を除いて国営企業の規模が小さく、民間企業に発展を任せる形を取っている。その影響で長らく失業率が高かったが、民間企業の規模拡大につれ失業率は低下、現在は逆に職場が余る状況になっている。
農業
商業の発達以前、農業は国内の最大産業であった。本土の農村地帯に多くの農場が存在していたが、今は本土での農業は行われていない。現在スペサルタイト島行政区に巨大な国営農場が整備されている。同地の農業規模は1800万人に達し、国内の農場が全て集中している。中心に巨大隕石が落ちたらカルセドニーは死ぬだろう。
しかしながら、685年の国土再開発計画により国内の農業労働人口は減る見通しとなった。食料自給を維持できるかが危ぶまれている。
商業
国内の主力産業で、年間の商業売上高は700兆Va(678年)に達している。後述するように工業がほぼ行われていないため、取引される商品はほぼ外国産である。商品の輸入先はかつてはガトーヴィチ帝国・アリア連邦が主だったが、一時はヨリクシ共和国からの輸入が全体の80%近くを占めていた。
次第に商品輸入先も多角化し、現在はヨリクシ工業に依存しているほどではない。とはいえ、輸入の約半分がヨリクシ製商品であることも事実である。
商業収入の年別推移
工業
国内の工業は現代都市に付随する小規模なものである。旧来共和国は軽工業政策を取っており、工業生産高もそれに見合う程度だったが、630年7月に重工業化が実施され、工業生産高は大幅に向上した。
しかしながら、原料の鋼鉄が不足するようになったため、現在重工業政策は終了している。そのため、工業生産力は極めて低い。
建材製造
木材・石材を原料にした建材の生産は共和国の主力資金獲得源だが、西岸州独立連合共和国以降、政府機能の高い新興国が出現していなかったため、輸出が生産に追いつかず、倉庫には売れ残りの建材が山と積まれている。蒼鋼国との開発支援協定締結で建材の大規模消費が発生した。
砲弾製造
共和国の砲弾製造能力は世界的に見ても高い。基本的に同盟国以外への砲弾輸出は許可されていなかったが、近年ノイエクルス連邦への砲弾輸出が行われた。
カルセドニー島共和国の成分分析
カルセドニー島共和国の62%は怨念で出来ています
カルセドニー島共和国の36%は気の迷いで出来ています
カルセドニー島共和国の1%はお菓子で出来ています
カルセドニー島共和国の1%は理論で出来ています
怨念…………建国初期の外交の失敗を引きずっている
気の迷い……敵を作りたくない優柔不断さ
お菓子………エルツ先生には「肉」扱いされていたおいしいカルセドニー
理論…………あちこちに分散しているマニュアルを読み比べて開発計画を決めている
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*1 現代都市・防災都市・近郊住宅地5か所でこの人口になる。
*2 これに関しては「セビーリャに国家順位を抜かれたせいだ」という憶測が広まっている。
*3 当時大フリューゲル帝国を名乗っていたが、共和国はこの名称を認めず、公式の外交文書以外では旧ク連と呼称している
*4 13800ターン杯獲得
*5 旧連邦が13900ターン杯を獲得することはなかった
*6 住民側に100人以上の死者が出たことが後の調査で判明した
*7 共和国は究極災難賞を受賞していない
*8 システム的には社会保障指数1あたりの幸福度向上効果が0.35から0.2に引き下げられたのが原因
*9 ゴルカ連邦共和国及びエウシウワンジャ共和国
*10 フリューゲルアンソロジー「ウェールリズセ外務省マニュアル」にセビーリャが民間人を虐殺していると(事実に反する)記載がされていたが、本件はゲーム内の外交や政策には無関係である。
*11 鉱脈探査を一発で引き当てる幸運があった。
*12 データは各年1、7月のもの。破線となっている時期は国内の要因のためデータなし、推定値。
*13 639年の国民投票により20年から改正された。
*14 大統領が拒否した法案は議会の4分の3以上の多数で再可決されない限り、法律とはならない。
*15 621年に行われた第1回首長選挙とは異なる。
*16 セビーリャ系
*17 教育社会保障委員会と名乗っていたが、教育関連の権限は文部科学委員会へ移された。
*18 スポーツ委員会から改称された。
*19 現代都市が建設された都市
*20 大統領府委員会委員長の任命権は大統領にあるので、実質的に大統領の任命枠である。
*21 1HEXの面積は0.1万km^2なので1HEXの長さは√1000km≒31km、当該事件発生地点はクリソプレーズ市の東方5HEXの位置にある
*22 画像は旧世界で運用されていた一番艦パラスのもので、こちらはヘリコプターの搭載が可能である。
*23 潜航時
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