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セビーリャ戦争とは、636年、665年の2回にわたって発生したセビーリャ共和国及びその後継政権の国内政策に端を発した動乱である。なお、本稿では時系列が複雑なため、フリューゲル歴と現実時間を併記している部分がある。
本項はカルセドニー島共和国の中の人の視点で書かれているので、誤解・説明不足などがあると思われます。関係各国の加筆修正を期待します。
第1次セビーリャ戦争(636年)
第1次セビーリャ戦争 | |
---|---|
年月日:636年7月下旬から638年2月14日まで | |
結果:新興諸国経済理事会諸国・エルツ帝国の勝利 | |
交戦勢力 | |
新興諸国経済理事会 エルツ帝国 | セビーリャ民主共和国 |
背景
626年に建国されたセビーリャ共和国はサルバドール・プラダ・ルシエンテス大元帥のもと、きわめて非民主的なファシスト党1党独裁体制が敷かれていた。カルセドニー島共和国の経済・軍事両面における多大な支援を受けた同国は経済成長を続けていたが、警察国家体制とたびたび発生する不可解な事件(特に産業通商大臣の失踪事件とセビーリャ共和国に宣戦布告した旧クイーンズ連邦大使の公開処刑)は国際的に極めて危険視されていた。
そんな中、635年9月16日(現実時間2月2日~2月3日)にセビーリャの最大の後援国であったカルセドニー島共和国がウェールリズセ連邦共和国とセビーリャ問題を案件の一つとする外相会談を行ったが、物別れに終わることとなった。
ウェールリズセに対する通信
セビーリャ共和国の内外政策が国際的な不信感を呼び起こす中、セビーリャ共和国外務省が「我が国で民間人虐殺が行われたなどという事実は一切ございません。虚偽の情報の削除を求めます」とする通信をウェールリズセ連邦共和国に対し送信した。
しかし、ウェールリズセ連邦共和国政府がこのような情報を公式に発表した事実は存在せず*1、ウェールリズセ側は名誉棄損としてセビーリャ共和国に対し謝罪と説明責任を果たすことを求める通告を現実時間2月5日20時に発した。
セビーリャ共和国内の政変
セビーリャ共和国ではウェールリズセ連邦共和国の通告直後である636年5月(現実時間2月6日23時)、国家保衛警察がクーデターを起こしサルバドール大元帥及びバルドメロ・エンシーナ・レイバ外務大臣、その他政権関係者計5万2783人を逮捕、セビーリャ民主共和国への政体移行を宣言した。その後、セビーリャの政権を握った国家保衛警察は「全責任は外務大臣個人にある」という趣旨の説明を行ったが、ウェールリズセ連邦共和国は「無責任」とし、セビーリャ民主共和国政府に最後通牒を発した。
セビーリャ民主共和国は最後通牒を無条件に受け入れ、いったん戦争は回避された。
4か国協議
セビーリャ共和国内がウェールリズセ連邦共和国に通信を送る直前(2月5日13時)、カルセドニー島共和国はセビーリャ情勢を憂慮し、セビーリャと貿易関係にあったすべての国(エルツ帝国、成蘭連邦王国、石動第三帝国*2)に呼びかけ、セビーリャ問題に関する4か国協議を開催した。その直後にウェールリズセ連邦共和国のセビーリャ共和国に対する通告が行われたが、カルセドニー島共和国は協議を終了することもウェールリズセ連邦共和国を協議に呼ぶこともせずに独自の外交交渉を続けた。
結果、ウェールリズセ連邦共和国は現実時間2月7日21時、カルセドニー島共和国の活動を「強硬的かつ無責任な介入方針」と断じ、カルセドニー島共和国に対しセビーリャ情勢への不介入を宣誓を要求する最後通牒を発した。
ウェールリズセ連邦共和国の宣戦布告
ウェールリズセ連邦共和国がカルセドニー島共和国に最後通牒を発した直後(現実時間2月7日22時54分)にセビーリャ民主共和国が「我が国の問題は貿易関係にあったすべての国で話し合うべきであると考えている。」と発言、直後(22時59分)にウェールリズセ連邦共和国は「内政顧問の指導を受ける気がないらしい」としてセビーリャ民主共和国に宣戦布告した。
カルセドニー島共和国はこの直後(23時14分)にウェールリズセ連邦共和国の最後通牒を受け入れ、ウェールリズセ・カルセドニー間の戦争は回避された。
エルツ帝国の参戦
ウェールリズセがセビーリャに宣戦した直後(現実時間2月8日0時)、エルツ帝国がセビーリャ民主共和国に宣戦布告した。それに至る外交交渉の経過は不明である。
交戦経過
セビーリャ民主共和国の軍事力は極めて弱体で、戦争は終始ウェールリズセ側の優位に進んだ。セビーリャには数千発のミサイルが着弾し、同国は壊滅的な被害を受けた。セビーリャ民主共和国軍はミサイル数発をウェールリズセの防災都市に命中させたが、すぐに砲弾が払底、それ以上の反撃は不可能だった。
終戦
637年6月中旬(現実時間2月12日0時~1時)、ウェールリズセの友好国であるテークサット連合及びコーデクス共和国がセビーリャ民主共和国に宣戦布告、これを受け現実時間2月12日23時にセビーリャ民主共和国は無条件降伏を宣言した。
その後638年2月14日(現実時間2月16日)、ENEC3国、エルツ帝国、セビーリャ民主共和国の間でデルタ・ベルン講和条約が締結され、第1次セビーリャ戦争は終結した。
セビーリャ民主共和国
セビーリャ民主共和国政府は解体され、新たに民主的なセビーリャ自由共和国が建国された。セビーリャはこの後経済成長を遂げるが、結果的にそれが自らにとどめを刺すことになる。
エルツ帝国
エルツ帝国とENECはこの後セビーリャの統治方針についてしばしば対立することになる。同時期に発生したヴァノミス危機などもあり、最終的にエルツ帝国を中心とした陣営とENECを中心とする陣営は世界大戦を引き起こしかねないほどの対立が発生した。
カルセドニー島共和国
ウェールリズセ連邦共和国との戦争はぎりぎりで回避されたものの、カルセドニー島共和国はウェールリズセ連邦共和国との関係を大きく損ねた。この後長い間カルセドニー島共和国はそれ以前より外交に消極的となり、孤立主義に走ることとなる。
第2次セビーリャ戦争(665年)
第2次セビーリャ戦争 | |
---|---|
年月日:665年10月中旬から668年5月24日まで | |
結果:新興諸国経済理事会諸国・エルツ帝国の勝利 | |
交戦勢力 | |
新興諸国経済理事会 エルツ帝国 | セビーリャ自由共和国 |
背景
セビーリャ自由共和国は成立後、驚くほどの経済成長を達成した。しかし、その不安定な開発(工業国にしては多すぎる現代都市、レベル5首都による莫大な維持費)は同国の経済を破綻させ、セビーリャ自由共和国を巨大債務国にした。最終的に、セビーリャ自由共和国はコーデクス共和国から400兆Va、ノホ・ヘレコ連邦から250兆Vaなどの莫大な債務を抱え込んでいた。
しかし、セビーリャ政府はその放漫な政策を改めなかった。
開戦
そのような状況の中、665年10月中旬、セビーリャ統治委員会関係国(エルツ帝国・コーデクス共和国・エルツ帝国)は「(セビーリャ政府が)セビーリャ人民の信託を裏切った」「講和条約の精神を踏み躙った」と通告、デルタ・ベルン講和条約の無効を宣言、セビーリャ自由共和国に宣戦布告した。さらにウェールリズセ連邦共和国の要請を受けたENEC関係国(ロムレー湖畔共和国、ノホ・ヘレコ連邦)がセビーリャ自由共和国に宣戦布告した。
交戦経過
デルタ・ベルン講和条約で軍備が禁止されていたセビーリャ自由共和国は一切抵抗することができず、第1次戦争と同様数千発のミサイルを被弾し壊滅した。この際に首都メトロポリスがSPPミサイル(自由共和国政府はレーザー攻撃と発表)により自由共和国政府ごと壊滅した。直後セビージャ北部臨時政府が設置され、これ以降の外交交渉にあたった。
終戦
セビージャ北部臨時政府は無条件降伏を667年2月初旬頃に宣言、国際司法(管理人)からの勧告もあり、直後に戦闘は終了した。
その後交戦各国はセビーリャの降伏及び解体に関する条約を締結、セビージャ北部臨時政府は解体され戦争は668年5月24日に終結した。
セビーリャ自由共和国
今度こそ完全に灰になったセビーリャは条約で農業地形・鉱山・港・森・国立公園・記念碑・議事堂以外の保有を禁じられ、完全に戦勝国の支配下に置かれることになった。
*1 フリューゲルアンソロジー「ウェールリズセ外務省マニュアル」に記載があったが、本件はゲーム内の外交や政策には無関係である。
*2 石動第三帝国は事態の展開が急だったため結局出席が間に合わなかった。
添付ファイル: