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旗 | |
---|---|
標 語 | - |
歌 | 科学の光よ、セビーリャに輝け |
政 治 体 制 | - |
代 表 | ホセ・ペドラサ・バルデルラ自治政府代表(764年4月1日-) |
首 都 | (中部新首都) |
言 語 | 【第一公用語】コーデクス語 【第二公用語】ロムレー・フランス語、スペイン語 |
自治の開始 | フリューゲル暦764年4月1日- |
概要
セビーリャ地域は、626年にサルバドール元帥率いるスペイン系の住民が移住して開発された地域である。
その後、数々の政変、混乱、戦争を経て、リアライン条約(セビーリャの降伏及び解体に関する条約)をもって連合国の管理下に置かれた(共同管理区域セビーリャ)。
セビーリャ自治政府は、764年の自治拡大によって設置され、これらの定める範囲で一部の自治が委任された。
歴史
ここでは、764年4月の自治拡大以降の自治政府の沿革について扱う。それ以前のセビーリャ地域の政権の詳細な歴史については、下記のリンクに記されてある。なお、下記のリンクのページは、当時の政権による記録であり自治政府の歴史認識とは異なることがある。
第二次セビーリャ戦争前 |
リアライン条約以降 |
セビーリャ自治政府時代(764年~)の歴史
年 | 月 | 出来事 |
---|---|---|
764年 | 4月 | セビーリャ自治政府の設置と権限委任に関する宣言により自治政府が設置される。 |
ホセ・ペドラサ・バルデルラ氏が自治政府代表に就任 | ||
8月 | カルセドニー社会主義連邦共和国との銀貿易を開始 | |
765年 | 4月 | カルセドニー社会主義連邦共和国、ヘルトジブリール社会主義共和国、レゴリス帝国との燃料貿易を開始 |
9月 | 警察予備隊発足。北西部に駐屯地を設置。 | |
768年 | 10月 | ユリウス王国が報道で「宣戦布告」 統治委員会による一時的措置により警察予備隊の人員制限を撤廃、7基地28万人規模に増強 |
11月 | ユリウス王国陸上部隊の揚陸艇がセビーリャ海域に出現。 ロムレー湖畔共和国による攻撃により直ちに撃破される。 | |
776年 | 5月 | レゴリス帝国との銀貿易を開始 |
777年 | 5月 | カルセドニー共和国及びレゴリス帝国に対し銀貿易量を増量 |
783年 | 3月 | レゴリス帝国との食料貿易を開始 |
784年 | 4月 | 自治開始から20周年。司法権の独立など |
785年 | 11月 | ペドロ・プリド・トルヒジョ行政長官就任 |
787年 | 6月 | ヘルトジブール社会主義共和国と食料貿易を開始。 |
788年 | 3月 | ストリーダ王国と食料貿易を開始。 |
792年 | 1月 | 面積制限の上限を、24.0万㎢に緩和 |
4月 | アントニオ・レオン・パレス行政長官就任 | |
7月 | トラハト=ラシュハ連合王国と食料貿易を開始。 | |
793年 | 1月 | 普藍共和国と食料貿易を開始。 |
4月 | カルセドニー社会主義連邦共和国と食料貿易を開始。 | |
800年 | 5月 | リアライン条約違反の面積上限の一時超過事案の発生。 |
814年 | 4月 | 自治50周年記念式典が開催される。 |
833年 | 9月 | アントニオ行政長官死去。セレドニオ副長官が職務を代行。 |
暴動・大規模な住民逃亡が発生、非常事態宣言発令。(インフラ危機) | ||
議会派サルバドール氏、自由党を結成 |
体制
セビーリャ地域では、第2次セビーリャ戦争後にリアライン条約に基づき連合国占領委員会をトップとする共同管理区域セビーリャ設置された。764年のセビーリャ自治政府の設置と権限委任に関する宣言以後には、占領委員会に代わり統治委員会と、大幅に権限を委任された自治政府が設置されている。
統治委員会
共同管理区域セビーリャ時代の連合国占領委員会に代わり設置された。
統治委員会はセビーリャ戦争に参加した連合国によって構成されており、セビーリャ地域で主権的権利を保有している。
なお、現存する連合国はロムレー湖畔共和国のみである。
自治政府
764年の自治拡大以降、行政府として自治政府によって一定の自治が行われている。
司法府(裁判所)
最高裁判所と8つの地方裁判所が置かれている。第2次自治拡大によってセビーリャ人法曹による司法府の独立の地位が認められた。ただし、この司法府の判決について国際公法あるいは国際私法・準国際私法上の観点からの異議がある場合に限り、統治委員会に対する上訴が認められうる。
CDX-Sシステム
旧コーデクス共和国が導入していた行政、司法、立法府への助言を行う量子コンピュータ「CDX」を目指し開発が進められているコンピュータシステム。統計や経済計画部門で成果を上げている。CDX-SのSはSevillaのS。コーデクス共和国のものとは違い、古典コンピュータでプログラミング言語「Python3」で開発されている。
政治
668年の共同管理区域設置後、連合国の一つであるコーデクス共和国から派遣されたヤン・リンウェン博士の影響でコーデクス主義に基づいた統治が行われ、以後もセビーリャにおける支配的な思想となった。
764年の自治権拡大以降のセビーリャにおけるコーデクス主義は、CDXと評議会による政治と計画経済を目指す評議会派と、CDXを補助的な諮問機関とみなし議会政治と市場経済を重視する議会派の二つの派閥わかれ、行政府内や議会で両者の勢力が交互に政権を握る状態が続いている。
・ホセ代表時代(764-785)
ホセ氏は764年の自治開始とともに自治政府代表(現在の行政長官に相当)に就任。国土の開発や社会保障の充実により極めて高い生活水準と幸福度を実現したとして高い評価と支持を得た。また、警察予備隊の設置にも携わりセビーリャの安定を確立した。一方で原理主義的なコーデクス主義者として知られ、計画経済の追求を目指したものの農業生産の予測に失敗し、大量の食料を海に投棄し続けるなど非効率な資源配分に非難が出た。785年に退任した。
・ペドロ行政長官時代(785-792)
785年の試験において行政長官に就任した。元自治政府通商部長で経済・貿易分野に明るかったが、計画経済を志向するホセ氏とは対立することが多かった。議会派の有力者としても知られており自由な経済を目指し、経済分野での改革を行った。
ペドロ行政長官による農業生産の算出方式の変更、国内商品市場の開拓により、農業輸出と国内経済が拡大した。経済界を中心に支持が根強かったが、792年の試験で落選し職を追われ、政界を引退した。
・アントニオ行政長官時代(792-833)
792年の試験で行政長官に就任。都市開発の分野での功績が広く知られていたほか、積極的なメディアへの出演で市民の人気も強かった。
中立に近い穏健な評議会派で就任前期には、ペドロ行政長官時代の路線を踏襲し食糧輸出を拡大するなど現実的な政策運営が行われていたが、800年のリアライン条約違反の不祥事以降、政府内で議会派が勢力を増し互いに対立するなど政治的に不安定な状況が発生した。この間アントニオ行政長官は、評議会派へと傾倒していき、814年の自治50周年式典での演説では評議会派としての立場を明確にした。
814年以降、CDX権の強化と計画経済の実行を目指したが、政府内の対立が深まる結果に終わり行政能率は更に落ち暴動や市民の逃亡が発生するなど、セビーリャは混乱状態に陥った。833年8月、93歳で死去。セレドニオ副長官が職務を代行した。
・セレドニオ副長官(833-)
アントニオ行政長官の死去を受け、セレドニオ副長官が職務を代行した。穏健な議会派である同氏は早期の治安回復とインフラの復旧にあたるため、内紛の中断を呼びかけ危機からの脱出を試みている。
文化
住民のほとんどがスペイン系住民でスペイン語を話し、スペイン的な文化を持っている。セビーリャ自由共和国時代まではカトリック的な価値観が支配的であったが、現在は教会解体などでそれらが否定されつつある。また、現在では戦後に流入したコーデクス共和国の文化、思想が支持を集めており、セビーリャ元来のカトリック的文化とコーデクス文化の融合が進んでいる。
宗教
セビーリャは自由共和国時代までは国民のほとんどがカトリック教徒であり、そのほかにごく少数のイスラム教徒が暮らしていたが、連合国の指示により教会の解体が行われた後は幸福の女神や聖樹あるいはCDXに対する崇拝とキリスト教の融合を図る取り組みが行われている。
外国との関係
リアライン条約第六条にのっとり、セビーリャの外交上の代表権は統治委員会が保持している。セビーリャ住民の本国への渡航に際して、30日以下の短期の滞在の場合、リアライン条約第六条の特例として行われている事前の申請についても免除され、通常の外国人のロムレー湖畔共和国入国手続きと同等の手続きによって入国申請を行うことができる。また、各国に所在する利益代表部は、業務上必要な場合、その利益代表部の名簿にないセビーリャ住民の当該国への渡航認可を統治委員会に要請することができる。この要請が認可された場合、リアライン条約第六条の特例として当該住民は一度のみ当該国への往来と一週間以下の滞在を認められる。
リアライン条約第六条に基づく外国人のセビーリャへの入域申請手続きについて、その申請には現状では統治委員会の窓口(セビーリャ域内にアクセスすることは当然不可能なので、事実上本国所在の窓口のみ)に直接来庁することを必要としているが、短期の滞在である場合に限り、各国に現存する利益代表部(つまり、在カルセドニー、在ストリーダ、在ヘルトジブリール、在バルバロッサ、在レゴリスの5つのセビーリャ利益代表部)に開設される窓口を通して統治委員会に申請することが認められている。
自治政府は、通商上の目的のため第三国に利益代表部を置くことが、セビーリャ自治政府の設置と権限委任に関する宣言によって許可されている。
利益代表部がある国
設 置 日 | 国 名 |
---|---|
764年 8月下旬 | カルセドニー社会主義連邦共和国 |
765年 3月下旬 | ストリーダ王国 |
765年 4月初旬 | ヘルトジブリール社会主義共和国 |
765年 5月下旬 | バルバロッサ王国 |
765年 10月初旬 | レゴリス帝国 |
775年 6月初旬 | 普藍共和国 |
燃料生産統計
794年燃料生産消費統計(自治政府統計部) | 備考 |
---|---|
794年6月時点での燃料6期あたりの平均産出量は16億6341万ガロンであった。産業の発展に伴い燃料の域内消費量は増加したもののいまだ余剰が多いことが明らかとなった。これは以前の統計に致命的な誤りがあり、産出量が過少に見積もられていたことが原因である。 |
数量 | 合計 | |
---|---|---|
域 内 | ||
域内消費燃料 | 47340 | |
余剰燃料 | 39001 | 86341 |
輸 出 | ||
カルセドニー社会主義連邦共和国 | 20000 | |
ヘルトジブリール社会主義共和国 | 30000 | |
レゴリス帝国 | 30000 | 80000 |
合計 | 166341 | 166341 |
765年 |
764年暫定 |
農業
農業は鉱業と並んでセビーリャの基幹産業の一つである。現在セビーリャ農業の中心である北東部半島地区における巨大共同農場は、共同管理区域セビーリャ時代の第一次五カ年計画によってその大部分が建設された。この農場は、セビーリャ農業公社によって運営され、1700万人の定員のうち1243万4000人が働いており稼働率は約73%に達した(786年11月下旬時点)。また、畜産飼料としての消費が多いなどいくつかの課題がある。
農業生産統計
統計局は従来の農業生産量と消費量を計算で導き出し計画・予測する方針を改め、食料在庫量の変動から輸出可能な量を見積もる方式を採用した。新たに採用された方式では、住民の消費量と飼料としての消費量は算出できず、長期的な予測・計画が困難であるが、食料の余剰生産量と輸出できる食料の量を見積もることは可能である。
800年5月域内の余剰生産食料の使途に関する統計(自治政府統計部) | 備考 | |
---|---|---|
数量 | 合計 | |
域 内 | ||
域内消費食糧 | 2175792 | |
大樹生産量 | 427767 | 2603559 |
輸 出 | ||
カルセドニー社会主義連邦共和国 | 350000 | |
トラハト=ラシュハ連合王国 | 200000 | |
ストリーダ王国 | 150000 | |
ヘルトジブリール社会主義共和国 | 300000 | |
レゴリス帝国 | 600000 | |
普藍共和国 | 300000 | 19000000 |
輸出可能量 | 703559 |
797年 |
793年 |
農業統計に関する補足
農業生産の産出について、共同管理地域時代以来あくまで生産量、消費量の公式を求め生産量を正確に計画する方式の確立を目指し、それに基づいた計画経済と輸出を目指してきたが、実際の農業経済では生産や消費にあまりにも多くの要素が介在しており、正確な算出が非常に困難であった。また、正確な算出方式を発見できるまで、食料の輸出を凍結していたため、大量の食糧が海に投棄される状況が続いていた。この状況をうけ、ホセ行政長官は780年以降この方針を転換し、2期の食料在庫量の差から聖樹(大樹)による生産を引き、余剰生産食料を算出、これに大樹生産量の平均値を加えて6期あたりの余剰生産量とする新方式を導入した。この方式の導入によって輸出を拡大させることができた。輸出部門がこの方式を導入する一方で、統計部としてはあくまで従来の方式での算出を公式なものとし、新方式での算出について公開を行わなかった。
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