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社会主義のお話
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- Re: 社会主義のお話 (ヴェールヌイ社会主義共和国, 2015/5/8 22:43)
- Re: 社会主義のお話 (ヴェールヌイ社会主義共和国, 2015/5/11 0:47)
- Re: 社会主義のお話 (ヴェールヌイ社会主義共和国, 2015/8/2 18:53)
- Re: 社会主義のお話 (ヴェールヌイ社会主義共和国, 2015/10/25 13:48)
- Re: 社会主義のお話 (ヴェールヌイ社会主義共和国, 2015/12/5 23:05)
ギンツブルク「議長同志!先進国入りおめでとうございます!」
スヴィトラーナ「あーらギンツブルク同志ぃ~♪ごきげんうるわしくてございますわぁ~♪おーほっほっほっ♪」
ギンツブルク「胡散臭い貴族階級みたいになってますよ議長。なんすか、うるわしくてございますって」
スヴィトラーナ「細かいことはいーの!あ~あたしってなんて優秀なのかしら♪この勢いで任期を倍の30年にしたって誰も文句いわないんじゃないかしら♪」
ギンツブルク「いや支持に乗じてそんなこと許してたら民主主義が聞いて呆れますから」
スヴィトラーナ「うるっさいわね!あんたみたいな役人は党の指示に従って言われた仕事をしてればいいのよ!うかれてんじゃないわ!」
ギンツブルク「え逆ギレ?!しかもなんで僕がうかれてたことになってるんですか!?」
スヴィトラーナ「あなた、たしか所属は化学工業省だったわね。工業力回復の目処はたったのかしら?」
ギンツブルク「ぁぁ、その件で直談判しにきたんですよ。軽工業だけで毎期4兆近く捻出せよってのはちょっと政府の要求が過大すぎるので、そんなに国内の生産と消費だけで維持費を賄いたいなら維持費の方を落としてください。だいたい目指してる所がおかしいんですよ、鎖国でもするんですか?燃料輸出ももっと絞らないとだめになりますよ?だいたいFENAはどうするんです?あっちに国力落とせとか言っといて、こっちは軽工業でゴリ押しするために規模拡大で燃料浪費じゃ話になりませんよ」
スヴィトラーナ「はぁぁぁぁぁぁ?????あいつらは今まで散々暴利を貪ってきた資本主義の豚でしょ!?必要な富を自力で人民に分配しつづけようとしている共和国とは事情が全然違うわよ!!維持費を落とせとか国家と人民と社会主義とあたしの敵だわ!!エネミーすぎるわ!!銃殺よ!銃殺!!!えーへー!!」
ギンツブルク「さっきそこで衛兵・・・っていうか警護官の方に会いましたけど、議長が事あるごとに「えーへー!!」とかいってしょうもないことで呼びつけるから行かなくなったって言ってましたよ」
スヴィトラーナ「どうりで最近呼んでもすぐ来てくれないわけだわ・・・」
ギンツブルク「狼少年かよ、セキュリティーもそれでいいのか」
・・・・・・
ギンツブルク「議長同志のお気持ちはわかりましたけど、いかに偉大な人物であろうとも、生身の人間が一生の間になしえることには限度というものがあります」
スヴィトラーナ「なに?あたしが偉大って話?」
ギンツブルク「そこしか耳に入ってないのかよ!たとえばマルクスがそうです。彼は信念の人だったんでしょう。自らの信念が実を結ぶ光景が見たかったに違いありません。しかし、仮に『資本論』の分析が完全に正しくて、マルクスの予想に従って世界史が進展したとしても、その時間的スケールは、少なくとも数十年以上の単位で考えるべきものだったんです」
スヴィトラーナ「あなたは考え方が軟弱過ぎるのよ!あたしはまさしく今を生きて、純粋社会主義建設の大業を成さんとするの!マルクスなんて関係なーい!」
ギンツブルク「マルクスがお手本とか言ってたの誰だよ!だからそんなんで成功した社会主義はこの世に存在しないでしょーが!少なくとも、イギリスのフェビアン主義者たちは、それくらいの感覚をもっていましたよ」
スヴィトラーナ「え、エビアン?」
ギンツブルク「それはフランスのミネルウォーターです。フェビアン主義、フェビアン協会というのは現実主義的な社会主義団体ですよ。革命主義と対比した場合は、所謂『改良主義』と称されるものですね」
スヴィトラーナ「しまったこういう流れか・・・」
社会主義のお話
ゆりかごから墓場まで!イギリスの社会帝国主義(前編)
ギンツブルク「パリコミューンと同じ時期、労働運動の先進地であったイギリスでは、「労働者の政府」が成立することもなければ、「労働を開放する大胆な戦士」が活躍することもありませんでした」
スヴィトラーナ「ジョンブルどもは臆病だったのね」
ギンツブルク「そういうこといわない!けして臆病だとかいう問題ではなくてですね、まずは当時の時代背景をおさらいします。まず参政権を得た熟練労働者達が全国組織を結成し、自由党との選挙協力を行いました。これが1868年です。彼らはマルクス流の革命ではなくて、既存体制下の議会において勢力を延ばそうとしたわけです。また、ロンドンで慈善組織協会(COS)が設立され、労働問題への公的介入を反対するブルジョワ層の組織的な抵抗がはじまったのは、翌1869年のことでした。あ、ちなみにですけど、非熟練労働者も含んだ労働組合がはじめて結成されたのは、その20年後の1889年になるまで待つことになります。マルクスは既に死んでます。さっき時間的スケールの話をした意味が少しはおわかりになられました?」
スヴィトラーナ「ふんっ、時代が違いすぎるわよ!」
ギンツブルク「ともあれ、パリコミューンと同時期のイギリスでは革命的な動きは起こらず、労働者層は既存の議会制度の枠内で活動を始め、ブルジョワ層は慈善活動による問題解決を求めていたのです」
スヴィトラーナ「パリコミューンの話はこの前いやんなるほど聞いたからいいわよもう。あたしも少しは認識を改めたから」
ギンツブルク「まぁあの時は色々言いましたけど、パリコミューンという政体は、少なくとも設立当初に限れば、一種の革命的な様相を呈していた、と言えなくもありません。しかしそれは、あくまで外国との戦争で自国皇帝が敗北した危機的な状況に際して、首都のみで発生した例外的な事態だったということです。逆に言えば、パリコミューンを後押しした社会主義勢力は、敗戦による混乱を巧妙に利用したということになるんでしょうね」
スヴィトラーナ「もうこれ完全に悪者ですもんね」
ギンツブルク「マルクスが他界した1883年、ロンドンにおいて「新生活同士会」なる社会主義団体が生まれましたが、この団体の趣意は近代的な社会主義というより、むしろユートピア型の共産主義に近かいものでした。そこで翌年に、いわゆる現実主義者達によって、この新生活同士会から枝分かれする形で、新しい組織が結成されました。これがフェビアン協会です」
スヴィトラーナ「エビアン協会」
ギンツブルク「フェビアンです。古代ローマの名将ファビウスににあやかって名付けられたそうですよ」
スヴィトラーナ「名将エビウス」
ギンツブルク「そろそろその地球の水から離れようか。ちなみに名将ファビウスとは、第二次ポエニ戦争(紀元前三世紀末)の際に、カルタゴ軍との本格決戦を延ばし延ばしにし、粘り強い持久戦に持ち込んで勝利した人物です」
スヴィトラーナ「ボルビック」
ギンツブルク「フェビアン協会の方針もまた、ファビウスの戦法にあやかり、マルクス流の急変革命を延ばし延ばしにしながら、粘り強い持久戦の中で社会を改革しようということだったわけですね」
スヴィトラーナ「クリスタルガイザー」
ギンツブルク「その態度は、浸透主義や慚進主義、あるいは改良主義と称されるわけです」
スヴィトラーナ「無視すんなし(´;ω;`)」
知識人の支持を得た浸透主義
ギンツブルク「フェビアン協会は、社会主義知識人が結成した団体であって、労働者階級の中から生まれたものではなく、また政党とは違って自ら議会に代表を送り込むことを目的にした団体でもありませんでした。自分たちの持つ理論や思想を、支配層の間に浸透させる目的で設立したものだったのです」
スヴィトラーナ「なんだか高慢な考えですこと」
ギンツブルク「そう思われます?日本では誤解されがちなんですけど、これはけして上位意識があるとかではなくてですね、むしろヨーロッパ型の民主化政策を体現したものだと言えるんです」
スヴィトラーナ「どういうことかしら?」
ギンツブルク「つまりですね、世襲支配者が独占していた権利を全ての人に分け与えるように、富裕層が独占する富を社会全体に再分配するように、あらゆる民主化は、常に上から下へと向かうものだという考え方です」
スヴィトラーナ「ちょっとその考え方は悠長なんじゃない?」
ギンツブルク「実際、同世代のマルクス主義者は、フェビアン協会の浸透主義に対してかなり否定的でした。マルクス本人は他界してますけど、マルクス主義者たちは、マルクスの思想を忠実に踏襲するという形で、非革命的な浸透主義に異を唱えたのです」
スヴィトラーナ「そうなるわよねぇ。だって、社会主義の実行=社会構造の根本的な変革が大前提でしょう?論理的に矛盾してるのよ」
ギンツブルク「一理あります。言ってしまえば、マルクス主義の立場は、まずブルジョワジーの支配を打倒することが先決で、社会主義の浸透や確立は、革命のあとでも構わないってことでもあるんです」
スヴィトラーナ「もちろん、支配を打倒する労働者階級に、はじめから社会主義の理念が備わっているに越したことはないんだけど」
ギンツブルク「それが理想ですね。しかしながら、社会主義的な体制は、ただ単に既存秩序を暴力的に破壊すれば必ず成立するといった代物ではないのも事実です。極端な話、労働者階級が社会主義を理解する前に政治権力だけを奪取したところで、その行き着く先は予測不能なものでしかないでしょう。論理的に、労働者階級が真に社会主義の担い手になるためには、当人たちが社会主義を良く知っておかないと無理です」
スヴィトラーナ「パリコミューンでも、教育をうけていない労働者は第一インターナショナルの指導についていけてなかったんだから、当然ね。ちなみに我が共和国も、外交においては反革命路線の浸透主義に近い感じよ?」
ギンツブルク「現実の社会主義の解説してる時に箱庭の話やめてください」
スヴィトラーナ「箱庭いうな、せめてフリューゲルっていえ」
ギンツブルク「まぁとにかく、革命主義か、浸透主義か、そういったイデオロギー論争はこの際置いておきます。事実の確認が先決ですからね」
スヴィトラーナ「そうね。社会主義運動って、盛んになればなるほど、やれ路線だ方針だって内部対立ばかりになるのよねぇ。政争ばかり起きて、内輪の争いに勝った勢力が正統な社会主義として幅を利かせるのよ。やんなっちゃうわ」
ギンツブルク「議長がその認識でいてくれて安心しました。まったくその通りなんですよ。浸透主義と革命主義の対立にしても、どちらかが一方的に正しいとか、他方が根本的に間違っているわけではありません。ただ、歴史的事実として、フェビアン協会の浸透主義が、イギリスでは多くの知識人の賛同を獲得していくことになります」
つづく
ギンツブルク「どのように支持を獲得していったかと申しますとですね、まず劇作家のバーナード・ショーがフェビアン協会に参加したり、あとは協会の頭脳となるシドニー・ウェッブの参加も大きいですね。このシドニー・ウェッブと結婚したビアトリス・ポター・ウェップの働きもなかなか無視できません。あ、似た名前で同じ時代の人に、ピーターラビットの原作者であるビアトリクス・ポターという人がいますけど、これと混同しないように注意が必要ですよ。この二人は名前も時代も境遇も似てるんですけど、生き方は正反対でして―」
スヴィトラーナ「(なんか話が脱線しそうな上に長そう・・・)あ、あたし用事があるからそろそろお暇したいんだけど」
ギンツブルク「えー、これ面白い話なんですよ?」
スヴィトラーナ「じゃあできるだけ巻でお願いできるかしら」
ギンツブルク「どれも大事な話なんです!」
スヴィトラーナ「とにかく!フェビアン協会が知識人に受け入れられて、そうした人たちが参加していったってのはわかったから、その先の話をしてちょうだいよ。イギリス、つまりあの大英帝国での話なのよね?歴史を見れば、この先も帝国主義の権化みたいな国でしょ?マルクス主義や、それに類する革命主義でなくたって、社会主義的なものを標榜するなら反帝国主義はついてまわる話のはずじゃない?それが不思議なのよ」
ギンツブルク「・・・わかりました。じゃあフェビアン協会の浸透主義の妥協的側面に触れていくことにしましょう」
社会主義のお話
ゆりかごから墓場まで!イギリスの社会帝国主義(後編)
ギンツブルク「フェビアン協会を最も強く非難したのは、チャリティーやボランティアの推進者達でした。実際、慈善組織協会の中心人物であったヘレン・ボザンケの夫であるバーナード・ボザンケは、フェビアン協会を猛烈に排撃していたんです。ボザンケ夫妻は、貧困を基本的に本人の責任と見なし、公的な福祉制度は怠惰を助長すると主張したわけです」
スヴィトラーナ「まぁそういうこともあるでしょうけど、社会主義的な見方をさせてもらうと、構造的な貧困というのは、富の正当な配分を妨げる制度的な歪みに起因しているのよ。これを是正してから、はじめて本人の責任問題にできると思うんだけど」
ギンツブルク「あれ、議長同志がそれらしいことを言ってる(唖然」
スヴィトラーナ「(#^ω^)どういう意味かしら?だてに唯一社会主義国の元首やってないわよ」
ギンツブルク「お見逸れそらしど!」
スヴィトラーナ「いいわよもう。それでそれで?」
ギンツブルク「はい、議長同志が仰ったように、フェビアン協会で大きな働きを成したウェッブ夫妻も、貧困は制度の歪みに起因する問題だと考えていました。だからこそ公的な手続きを通した社会主義の慚進的改良を目指したのですフェビアン協会の浸透主義は、たしかに一定の慚進的成果をもたらしました。それでも、革命を否定する改良路線が同時代の支配層の思惑と重なっていたことは、厳然たる事実でした」
スヴィトラーナ「たまたま支配層にとっても都合がよかったってことね」
ギンツブルク「だからこそ、フェビアン協会は迫害されることもなく、自国の政治の中に浸透してよくことが出来たのです。結局のところ、迫害を受けなくてすみ、支配層にとっても都合の良い慚進路線というのは、一種の妥協策に違いはありません。問題は―」
スヴィトラーナ「何と妥協したか、ね」
帝国主義との妥協
ギンツブルク「1880年代のイギリスは、すでに帝国主義の時代に入り込んでいました。諸外国から経済面で追い上げられる中、自国の支配する市場領域の拡大を求めて、海外植民地の獲得へと舵を切っていったのです。フェビアン協会は、この趨勢の内部に留まり続けました。実際に、フェビアン主義が浸透していったのは、自由党の帝国主義派だったりするのです」
スヴィトラーナ「既存体制下の議会に影響を及ぼし続けるためには、仕方のないことなのかもしれないけど、それでも帝国主義に肩入れするのは本末転倒よ!」
ギンツブルク「その代表格は、自治相や植民地相を歴任したジョセフ・チェンバレンです。この政治家は、2つのことで歴史に名を残しました。一つは『チェンバレン通達』で、もう一つはボーア戦争(南ア戦争)です。フェビアン協会設立の二年後である1886年、自由党の第三次グラッドストン内閣の自治相であったチェンバレンは、救貧委員と地方自治体に向けた通達を発し、非熟練失業者に雇用機会を与える公共事業を促進するよう求めたんです。チェンバレン通達は、その実効性はともかくとして、貧困や失業を公的な施策によって解決しようとする試みでした」
スヴィトラーナ「まぁ、たしかに社会主義的(ソシアル)な考え方と言えなくもないわね」
ギンツブルク「はい、自由競争による経済発展や私的な慈善活動に頼むではなく、あくまで公的な手続きを通した社会政策が模索されたわけですからね。この種の施策は、1890年の労働者階級住居法、1891年の初等教育の無償化、1897年には労働者災害補償法といった具合に継承されてゆくのです」
労働者も支持した社会帝国主義
ギンツブルク「1899年から1902年にかけての第二次ボーア戦争は、イギリスの帝国主義政策を極めて明確に象徴する出来事でした。そして、この戦争を画策し、南アフリカをイギリスの手中に収めたのは、第三次ソールズベリー内閣で植民地相を務めたチェンバレンなのです。その態度は、露骨に帝国主義的でありました」
スヴィトラーナ「チェンバレンの中で、社会主義と帝国主義に矛盾はなかったのかしら」
ギンツブルク「彼の中では矛盾はなかったようです。むしろ完全に同居していたと言って良いでしょう」
スヴィトラーナ「どうやったら同居できるのよ・・・」
ギンツブルク「単純です。社会政策の為の財源を確保するには、植民地支配による収益が不可欠だというわけです」
スヴィトラーナ「ひぇぇ」
ギンツブルク「このチェンバレン流の政策は、後に『社会帝国主義』と形容されるようになります。そして、フェビアン協会もまた(少なくとも結果的な事実だけを見る場合)その路線を共有していたのです。フェビアン協会の1900年に出されたマニフェストでは第二次ボーア戦争を支持する立場をとっていますし」
スヴィトラーナ「帝国主義に魂を売るなんて!社会主義の風上にも置けない奴らね!」
ギンツブルク「しかし悲しきかな、当時のイギリスでは、労働者たちの圧倒的多数もまた、愛国心と直結する帝国主義を熱烈に支持していたんです」
スヴィトラーナ「\(^0^)/オワタ」
ギンツブルク「まぁ前にも似たような話をしましたけど、民衆参加型の選挙では、率直な愛国心のごとく誰もが容易に理解できる旗印が、しばしば最も効果的な集票戦略になるわけですよ」
スヴィトラーナ「容易に理解できる旗印かぁ。その短絡的な否定も、また然りね」
ギンツブルク「そこに福祉的な公共サービスの向上が追加されれば、大衆的な支持はさらに加速します」
スヴィトラーナ「帝国主義ハイスラでボコるわ・・」
ギンツブルク「かくして、20世紀の敷居を跨ぐ頃のイギリスでは、帝国主義的な植民地支配を土台としながらも、国内的には社会主義的な福祉政策が進められてゆくことになったのです」
スヴィトラーナ「ぐぬぬ・・・けど、民主主義は大切よ。最も正当な統治は国民が選んだ公権力であって、それは社会主義においても変わることないわ。けど・・・難しい問題ね・・・」
ギンツブルク「いずれにせよ、労働者の政治活動が社会主義運動に先行したイギリスでは、革命型の政党が入り込む余地が非常に小さかったということで、なのにも関わらず、社会主義型の福祉政策が浸透する余地は非常に大きかったということです」
スヴィトラーナ「皮肉な結果ということなのね」
ギンツブルク「周知の通り、その後のイギリスは、紆余曲折を経ることにはなりますが、「ゆりかごから墓場まで」を標語とする福祉国家へと向かってゆくことになるのです」
・・・・
スヴィトラーナ「あーもー!なんだかムシャクシャしてきたわ!」
ギンツブルク「そんなわけで議長同志、共和国も維持費を確保するために植民地獲得に動きますか?」
スヴィトラーナ「ばーか言いなさい!平和と平等こそ、共和国の信頼の根幹よ!絶対に負けてなるもんですか。帝国主義は断固反対!ただの一国も、不当な抑圧を受けさせてはいけないの!」
ギンツブルク「ですよね!だから維持費下げてもらってもいいですか?」
スヴィトラーナ「ああああああ!!!」
社会帝国主義編 おわり
社会主義のお話
社会民主主義と共産主義の復活
590年台初頭、格差是正や労働者目線を是とする時の潮流は、反共主義のエルツ帝国で、左派的議論を許容するまでになり、帝国政府公認の新聞に「労働者」「平等」の文言が並んだ。そんな帝国内部でも、元来、革新派大学とされていたエルトウェルプ大学は、ヴェールヌイ社会主義共和国で教鞭を執っていたステパーシン氏を客員教授として招聘し、社会主義を歴史と科学的見地に基いて分析していた。
ステパーシン「ぇー・・・つまりは、20世紀の半ば、社会民主主義という語は、主に「穏健社会主義」や「中道左派」といった意味で用いられるようになったわけですね。これ自体は間違いではないのですが、東西冷戦という時代の中で、東側陣営に与しない社会主義思想が――えーこれは主に西側諸国の内部において、という意味ですけれどもー、社会民主主義と総称されるようになったということです。実際、旧東ドイツで共産党系の「ドイツ統一社会党(SED)」が政権を独占していた頃、旧西ドイツでは、1966年から16年に亘って「ドイツ社会民主党(SPD)」が政権与党の一角を占め続けていました。言うまでもありませんが、名前がいくら似ていたとしても、東の社会主義政党と西の社会民主主義政党は異質の勢力でありますから、両者の間に同盟関係があったわけではありません。」
学生「先生!ひとつよろしいですか。先生は今、東の社会主義政党と西の社会民主主義政党は異質の勢力だとのことですが、たしか先生は、社会主義の本質は「生産活動の統制と組織化」だと仰られていましたよね」
ステパーシン「その通り、より誤解がないように言うならば「国民が選んだ公権力による正統な統治によって、生産活動を人々の生活を豊かな方向に統制すること」ということです」
学生「では、西の社会民主主義は、その社会主義の本質から乖離しているということなのでしょうか?」
【複雑な用語法】
ステパーシン「なるほど。これはよく聞いてくれていないとできない質問だ。嬉しいですよ。実を言うと、社会主義と社会民主主義の区別というのは、古いものではないのです。むしろ19世紀の末頃までは差が曖昧で、同義語のように使われていました。例をあげるなら、1898年、獄中のレーニンらを主軸にロシアで創立された組織は「社会民主労働党」という名前を冠していたというものがあります。しかし、その「社会民主」というのは、戦後のスウェーデンで発展した「社会民主労働党(SAP)」や旧西ドイツの「社会民主党(SPD)」と同じ意図を持つものでは無かった・・・そしてみなさんも周知のように、レーニンらの側は、やがて「共産党」を名乗るようになります。これはつまり、レーニンの主張が変わったのではなくて、旗印の用語法が大きく変わった、ということなのです」
学生「用語法の問題なのですね。ではなぜレーニンたちは初めから「共産」を用いなかったのでしょう?マルクスエンゲルスの「共産党宣言」は1848年の時点で著しているはずですよね。・・・ということはまてよ、1848年には共産党宣言が出ていて、そのマルクス主義者だったレーニンは、先生が今おっしゃった1898年、つまり50年後にもなって社会民主労働党で、その20年後には共産党の指導者になっているってことですよね・・・?用語法が変わったとの事ですけど、つまりどういうことなんですか」
ステパーシン「そう、レーニンは共産党宣言から70年後にもなって共産党を旗揚げし、おまけに共産主義は社会主義の高次元段階とまで言い出すわけですね。これには歴史的事情があったんです。まず第一に、1948年頃には社会主義と共産主義の区別が明確に意識されていなかったということがあります。両者とも、自由競争経済やブルジョワ支配に異義を唱え、労働者の立場に立つという点で、時流に抗する主張を共有していたからです。そんな中で、マルクスやエンゲルスが共産党宣言、つまり共産主義という言葉を選んだのは、社会主義を掲げるフーリエ派に対抗し、自分たちを区別するために過ぎなかった。(第五回空想的社会主義者たちを参照)要するに、共産主義が社会主義より次元が高いとか低いとかいう話ではないわけです。
ちなみに元来の社会主義と共産主義の区別については第六回共産主義ってなんぞや?を読んでくださいね。社会主義と共産主義の弁別が徐々に進んでいきますと、現実的な社会変革を目指すのならば「共産」という言葉はむしろ使えなくなってきます。事実、共産党宣言が出版されて以後しばらくは、共産を掲げる政治勢力が発展することはなかったわけです。こうした中で、レーニンもはじめは「社会民主労働党」に参加し、彼のみならず、19世紀後半の左派の主流は、いずれも「社会」あるいは「労働」を名乗る勢力になりました。
ただし、多くの左派勢力が、社会や労働の看板を共有していたからといって、その陣営の思想が一枚岩になったわけではありませんね。細かな対立を度外視しても、マルクス流の革命主義とフェビアン教会型の改良主義(議会主義)が、相容れ難い2大潮流として同居していたわけです。このような状況が長続きするわけもなく、原則論を貫こうとする革命派が袂を分かち独立していく際に、社会や労働とは別名の看板を見つける必要が生まれたわけです。それで掘り出されたのが、半世紀以上にも前に書かれた共産党宣言だったと。かつてマルクスとエンゲルスが、自らをフーリエ派の社会主義と区別するために「共産党」という名辞を選び、その70年後、レーニンはドイツの社会民主党やイギリスの労働党と区別するために、「共産党」を名乗った。このことからもわかるように、元来の理想郷願望としての共産主義以外の、近代社会主義としての共産主義という名は、政治的理由で無理やり使用されたに過ぎない」
【非民主国家で起こった革命】
学生「しかし先生、社会主義と共産主義の区別の話をされましたが、つまりそれだとレーニンは社会主義側ということですよね。世界初の社会主義国は、そのレーニンのソビエト連邦。いくら西側の社会民主主義だなんだといっても、私達が日常用いる共産主義を含めた社会主義の本流は、ソ連を中心とした東側ということになりませんか」
ステパーシン「たしかに、世界初の社会主義国を誕生させたのは、マルクス・レーニン主義の名の下で遂行されたロシア革命です。ですが、そのことは、マルクス・レーニン主義が社会主義の本家本元として広く認知されたことと同じではないのです。ロシア革命は、いかに大きな歴史的事実であれ、あくまでも一つの出来事であって、理論や思想の妥当性を判断する基準にはならないのではないでしょうか?もちろん、だからと言って、イギリスの労働党やドイツの社会民主党が正統であるということにもなりません。いずれにしても、マルクス主義的な革命は、英独仏などの国々では起こらず、ロマノフ王朝の世襲支配が続くロシアで実現したものだったという事実があります。いち早く労働問題が顕在化したイギリスでもなく、二月革命やパリコミューンを経験したフランスでもなく、そしてマルクスやエンゲルスの母国ドイツでもなく、前近代的な農村を多く抱えるロシアにおいて、近代資本主義の打倒を旨とする革命がはじまったのです。つまり、早くから社会主義的な運動が始まっていた国々では、マルクス主義型の革命思想が主流化することはなかったということです」
学生「それは英独仏で革命派が弾圧されたからなのではないですか」
ステパーシン「たしかに、革命派が大なり小なり弾圧されたという歴史的事実はあります。しかしながら、ロマノフ王朝下のロシアが、英独仏よりマルクス主義に寛大であったわけではありませんよ。むしろ1917年以前のロシアは、英独仏よりも非民主的な世襲支配国だったのですから。ただし、革命派からすれば、第一次世界大戦で苦悶し、国民の求心力を失いつつあった当時のロシア帝国政府は、非常に倒しやすい相手だったということが言えます。国民が社会主義を求めた国ではなく、一部の社会主義者が政権奪取に成功した国において、世界で初めて社会主義を看板とする国家が誕生することになった・・・それだけのことです」
ドイツ系社会主義国が爆誕してたので今回は急遽ドイツ編です
ギンツブルク「サロートさんも退任ですか・・・って、スヴィトラーナ同志はいつまで政治に首突っ込み続けるつもりなんですかねぇ・・・」
スヴィトラーナ「新首相のシェレストって奴、私昔から嫌いなのよね。他人行儀だし、なーんか周りを見下してるところがあるっていうか・・・新興国と仲良くやってくれるか心配だわ。まだまだ私も頑張らないとってことよ!」
ギンツブルク「ぇぇぇ・・・はやく引退してくださいよ。何年経ってると思ってんですか・・・婚活してるっていう噂も聞きましたが」
スヴィトラーナ「このあたくしが婚活なんてする必要があると思ってるの?」
ギンツブルク「そうですねぇ、共和国は民主主義の国ですから誰にも選ぶ権利というものがあるので、同志は厳しいものがあったかもしれないですねぇ」
スヴィトラーナ「オマエコロス!!!!民主化なんてしなけりゃよかったわ!!!!」
ギンツブルク「なにを仰います。社会主義の必須要件が民主主義のはずなのに、実際はそうじゃない国ばかりですから、共和国は経済体制を除いては、やっぱり東側の社会主義国というより、西側の社会民主主義国に限りなく近いんでしょうねぇ」
スヴィトラーナ「ぅー・・・けどさぁ、うちは別としても、やっぱり議会政治の中で本来の(資本主義打倒の為の)社会主義を実現することは不可能だと思うのよね。社会主義革命と民主化がはじめから一緒に来れば良いのにね」
ギンツブルク「一緒に来たからって本来の社会主義が実現できると?現実はそうでもないですよ」
スヴィトラーナ「あら?過去にそんな例あったかしら?」
社会主義のお話
ドイツの社会民主主義
ギンツブルク「あー・・・タイトルに出ちゃってますから言いますけど、今回はドイツのお話です。そーいえば、貿箱ってドイツ系の国多いですよね。タイムリーにドイツ系社会主義国も建国されたところですけど、仲良くできそうですか?」
スヴィトラーナ「どうかしらねぇ。ドイツ系が多いのは「世界一ぃぃぃぃ!!!」ってことなんでしょ。あたし達も東独モチーフ多いんだから他人事じゃないってのー。それで、ドイツは社会主義と民主化が同時に来たの?」
ギンツブルク「ドイツといえば、マルクスやエンゲルスの母国でもあるわけですけど、ドイツの左派は、マルクス主義よりもむしろ社会民主主義を発展させたんです」
民主化の遅れた国
ギンツブルク「ドイツ諸邦が一つの国家として統合され、ベルリンに中央政府が誕生したのは、明治維新より遅く、1871年のことでした」
スヴィトラーナ「あら、そんなものなのね。意外だわ」
ギンツブルク「まぁ、そこで成立したドイツ第二帝国は、多くの君主邦の連合体に過ぎませんでしたけどね。バイエルン王国やバーデン大公国、アンハルト公国やヴァルデック侯国などが、それぞれ個別の君主邦であり続けたまま、プロイセン王国の主導で連邦国家を結成したわけです。近代的な統一国家の成立が遅かったドイツは、イギリスやフランスと比べて、民主化の進展も後発でした」
スヴィトラーナ「で、1871年の中央政府誕生で議会政治になったってわけなんでしょ?」
ギンツブルク「ところがどっこい、1871年の憲法で設けられた帝国議会は、男子普通選挙を通じて構成されてこそいましたが、権限は与えられていませんでした。しかも、議員報酬の制度がなかったので、無給でも困らない富裕層ばかりが代議士になり、一般庶民は被選挙権を奪われているも同然の状態だったんです。しかも、帝国内の各邦政府が任命した代表者からなる連邦参議院の方が、選挙で構成される帝国議会よりも大きな権限を与えられていました」
スヴィトラーナ「腰砕けな内容なのね」
ギンツブルク「それどころか、連邦参議院の上には皇帝と帝国宰相が君臨していましたから、完全に君主統治です」
スヴィトラーナ「社会主義運動不可避だわ!!」
同時期に発生した民主化と社会主義運動
ギンツブルク「統一期のドイツにも、社会主義運動は存在していたんですけど、その構成員は労働者や労働組合員ではなく、むしろ知的エリート層でした。社会主義運動が労働運動に先行したパターンです」
スヴィトラーナ「あら、イギリスと対照的ね感じなのね」
ギンツブルク「その一方で、この社会主義運動とは別に、民主主義運動も登場していました。英仏よりも近代国家の形成が遅れたドイツでは、民主化運動と社会主義運動が一緒にやってきたわけなんです」
スヴィトラーナ「ふーん・・・ん・・・ひょっとして戦前の日本も少し似てる?」
ギンツブルク「いずれにしても、些細な点を無視して、あえてまとめてしまうと、社会主義運動と民主主義運動が一緒にやってきたドイツで発展したのが、社会民主主義だということなんですね」
スヴィトラーナ「ちょっ、それはさすがに強引すぎるでしょ!!私も少しは知ってるのよ。ドイツの社会民主党は、別に民主的な議会政治を目指していたわけでもないし、よくある社会主義の一派だったじゃない。それに、民主主義と社会民主主義は、違う系列で生まれてきたものでしょ?だから単純に合体するわけないでしょーよ!!」
ギンツブルク「チッ・・・」
スヴィトラーナ「なんで舌打ちしたー!?」
ギンツブルク「いや、たしかにその通りなんですが、それでもですよ。当時のドイツでは、帝政や君主政治に対抗するという一点において、社会主義と民主主義が、社会民主主義の旗印のもとで共闘、あるいは混淆する余地を持っていたんですよ」
スヴィトラーナ「・・・そういうものなの?んー・・・まぁけど、皇帝や君主側からしてみれば、社会主義だろうが民主主義だろうが社会民主主義だろうが、ぜーんぶ同じ反体制思想ではあるから、そういうこともあるのかしらね」
ギンツブルク「そういうこともある、というより、そっちの方が多いですよ」
スヴィトラーナ「そうだっけ?」
ギンツブルク「ぇぇ、ドイツが例外というわけではけしてないんです。むしろ、いち早く市民革命を経験したイギリスやフランスの方が、世界的には希有な例外だといえるでしょう。アジアやアフリカや中南米を始めとして、世界中の大半の国では、後発的な近代化の中で、社会主義と民主主義が一緒くたに輸入されました。そういった国では、資本主義もまた、民主主義や社会主義と同時並行で輸入されることになりました。地球上に暮らす大部分の人間にとって、それが現実の歴史経験なんですよ」
スヴィトラーナ「まぁ言われてみればそうかも・・・ぇ、この場合ロシアはどうなるの」
ギンツブルク「あれもイギリスとフランスとは逆の意味で完全に例外中の例外、ただの特殊事例ですよ。民主化が国民的な高揚を見せる前に、一握りの社会主義者によって革命運動が持ち込まれた。で、市民革命も普通選挙も共和制も経験しなかったロシア帝国で、いきなり社会主義革命が勃発したと。まぁ民主化の過程を昇華するような形で社会主義革命が現実化したとでもいうんでしょうかね」
ドイツ社会主義労働者党
ギンツブルク「歴史上の出来事でイエバ、ドイツにおける社会民主主義は、1875年を転機に本格的に動き出しました。ラッサール派の全ドイツ労働者協会(ADAV)と、アイゼナハ派の社会民主主義労働者党(SDAP)とが、ゴータ市で合同大会を開き、両派が大同団結してドイツ社会主義労働者党(SAPD)を結成する綱領を採択しました。(ゴータ綱領)この政党は、1890年にドイツ社会民主党(SPD)に改称し、ドイツの政治の中で大きな役割を演じ続けることになるわけですね」
スヴィトラーナ「ぉーそれがSPDなんだぁ。・・・ところで私、ラッサール派とかアイゼナハ派とかよくわかんないんだけど、なんで一致できたわけなの?」
ギンツブルク「まずラッサール派ですが、これは革命路線に関してマルクスと対立したフェルディナント・ラッサールに影響をうけた人々の集団です。ラッサール本人は女性関係のもつれに起因する決闘で1864年に39歳で世を去りましたが・・・」
スヴィトラーナ「女性を巡って決闘なんてカッコイイわね」
ギンツブルク「(そこはありなのか)他方、アイゼナハ派の中心人物は、共にマルクス主義者のアウグスト・ベーベルとヴィルヘルフ・リープクネヒトでした。マルクス主義で考えると対立する両者でしたが、帝国宰相ビスマルクの反社会主義政策に対抗するという点で一致したんです」
スヴィトラーナ「細部は違えど、もっと大きな敵の敵は味方ってことよね。熱いものがあるわ」
ギンツブルク「(それもありなのか)マルクスは、没後に公刊された『ゴータ綱領批判』に見られる通りこの合同大会で採択された党綱領に極めて批判的でした。ゴータ綱領が、革命による刷新ではなく、合法的な手段を用いた自由な国家の実現を謳っていたからです」
スヴィトラーナ「それはわからなくもないわね。だって帝政ドイツは君主邦の連合体なんだから、その中で合法的な手段で運動するということは、既存体制への恭順だって言われたって仕方ないことじゃないかしら」
ギンツブルク「しかし、君主制や帝政の下にある国で運動するからこそ、いきなり革命主義を持ち出すことのほうが非現実的だとも言えちゃうわけなんですよね。普仏戦争を契機に、敗戦国フランスで君主制や帝政が歴史から姿をけした一方で、戦勝国の側では、プロイセン国王ヴィルヘルム一世が皇帝に就任し、帝政ドイツの歴史がはじまったという時代背景を、十分考慮してあげないといけません」
スヴィトラーナ「むむむ・・・」
ギンツブルク「実際、アイゼナハ派に属していたエドアルト・ベルンシュタインにしても、労働運動の先進地イギリスの事情を知るようになると、革命主義に疑問を抱くようになり、いわゆる修正主義の論陣を張るようになりました。民主的に組織された公権力こそが、資本主義的な搾取の源泉である民間の営利活動を厳しく統制し得るという理屈になったわけです。当初、この考え方は、ベーベルやカウツキーらによって非難されましたが、それでもベルンシュタイン流の現実路線は少しづつ、時に第一次世界大戦以後ということになりますが、大きな影響力を獲得していきました」
スヴィトラーナ「なるほど・・・ソ連が解体された今になっても、ヨーロッパの多くの国で政治勢力の一翼を力強く担ってるわけだものねぇ・・・」
つづく
社会主義のお話
社会主義≠革命路線
ギンツブルク「ともあれ、ドイツ社会主義労働者党は、早くも1877年の帝国議会選挙で、50万近くの得票(9%以上)を集め、397議席中12議席を獲得しました」
スヴィトラーナ「ふーん、けど前回の話によれば、帝国議会より連邦参議院やら皇帝やら帝国宰相の方が権限が大きいんでしょ?そんなのすぐやられちゃわない?」
ギンツブルク「そうですね。ビスマルクは危機感を抱いて反社会主義色を強めることになりました。翌1878年には名前もストレートに「社会主義者法」なる社会主義労働者党を狙い撃ちにした弾圧立法が成されます。しかしながら、同党は以後四回の総選挙で伸び悩みを経験しながらも堅実に支持を広げ、1890年には20%に迫る得票率で一気に35議席を獲得しました。そんなわけで、弾圧的だった社会主義者法も、同年9月末には期限切れとなります。これを機に、ドイツ社会主義労働者党は、ドイツ社会民主党(SPD)に名前を変えて、更に発展を続けていくのです」
スヴィトラーナ「ほぇー・・・真面目な感じでドイツっぽいわね。めちゃくちゃ叩いてたマルクスや革命派からしたら、議会闘争派の発展はなんだか悔しかったでしょうね」
ギンツブルク「労働者の政治運動が英仏より遅れて始まったドイツでは、社会主義政党の統一化が先に実現し、この政党を中核にしながら労働者大衆の階級的連帯が事後的に形成されたわけで、その結果、労働組合が党と不可分な形で成長しました。労働者たちは、この相互扶助活動を通じて資本主義的な市場を経ない購買機会を構築すると同時に、ひとつの階級としての連帯を深めていけたのです」
スヴィトラーナ「なにそれ、超理想的じゃんか・・・」
ギンツブルク「そればかりじゃないですよー。SPDは、教育機関、研究施設、図書館、演劇や音楽やスポーツやチェスの同好会、読書会、自然愛好会、余暇クラブなどを用意しながら、がんがん労働者階級を取り込んでいきました。着実に基盤を固めた結果、1912年の議会選挙で、党員数自体は約100万人なのに、35%近い450万票を集め、120議席を獲得しました」
スヴィトラーナ「まさしく留まるところを知らないって感じね。けどさ、さっきもいったけど帝国議会って別にそんなに権限ないんでしょ?」
ギンツブルク「まぁたしかに、権限は小さいですし、一般労働者から代議士を全部出せたわけでもないんですけどね。それでも当時のドイツで、非革命型の社会民主主義が伸長した事実を、ここに確認できるというわけです」
非革命の現実
スヴィトラーナ「ふむ・・・そして東西冷戦下の西ドイツでも、再統一後のドイツでも、SPDの存在感は失われなかった事を考えると、やっぱりソビエト社会主義共和国連邦や、マルクス・レーニン主義といったものだけが、社会主義だとは到底言えないことの証左だわ!私たちももっと自信を持っていいのよね!」
ギンツブルク「それ以上自信家になってどうするつもりなんですかねぇ・・・」
スヴィトラーナ「ん、保衛省の地下で死にたいの?」
ギンツブルク「もうそんな権限もないでしょうに」
スヴィトラーナ「冗談よ。・・・けどねー・・・やっぱり・・・なんかこう、根本的なところで蟠りが解けないところがあるのよ」
ギンツブルク「なんとなく仰りたいことはわかります。議会闘争主義の限界を気にされているのでは?」
スヴィトラーナ「そうかもね。結局、既存体制下で票を集めて生き延びてる政党なんてのはさ、自分たちが生き残るために、既存の政治体制を死守しなくちゃいけなくなるのよ。それはたしかに、社会主義政党の勢力を確保しておくためには不可欠な戦略なのは理解できる。けど、結局のところ社会主義革命の延期や放棄であることには変わりないんだなぁって・・・」
ギンツブルク「選挙に出るっていうことは、そういうことですから。社会主義政党であれ共産主義政党であれ、何党だろうが選挙にでる以上は数としての票が全てというわけですね」
スヴィトラーナ「そういうことを考えているとね、革命派の立場もよくわかるだけに、悶々とするのよ」
ギンツブルク「ふむ・・ではどうでしょう。産業化が進んで、生活水準が高くて、政党や結社の自由が保障されていて、普通選挙の実施されている先進国で、労働者大衆が自ら率先して社会主義革命を起こすでしょうか?」
スヴィトラーナ「おそらく、起こさないでしょうね」
ギンツブルク「なぜでしょうか」
スヴィトラーナ「そのような国々では、労働者大衆の多くが、最低限度の衣食住を超えて、すでに失うものを手にしているからよ」
ギンツブルク「その通りです。逆説的にも、社会主義の理論や思想を学ぶ機会を有しているのは、ほとんどの場合、先進国に暮らして既存の世界秩序から多少なりとも既得権益を享受している人々であって、自らの生活を支える現体制を転覆させる革命なんて望まない人々ですよ。だからこそ、世界初の社会主義革命は、第一次世界大戦のドサクサの中で300年も前からロマノフ王朝が君臨するロシア帝国において開始されたわけですからね。ところが、ソビエト連邦は消滅しましたが、今回話しましたSPDや、フランスの社会党、イギリスの労働党が21世紀に入ってなお健在なところを見ると、何が正しい方法なのかなんてことを考えるだけ無駄なんじゃないですか」
スヴィトラーナ「ま、それもそうね!」
ギンツブルク「ぅぇ、悶々とするなんて言ってたわりに切り替え早いですね」
スヴィトラーナ「指導者はいつだって即断即決なのよギンツブルク同志!そもそも社会主義を完全に実現すること自体が不可能なんだから、その方法論で悩んだって仕方のないことだったのよ!つまりどうでもよかったんだわ!はースッキリした!」
ギンツブルク「ぇぇぇ、なんか違う・・・」