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公方府公報 石動第三帝国公方府公式報道 | ||
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6月 03 (金曜日) 2016 | ||
655年までの主要ニュース | 01:42 | |
【国際】慶祝萬和解放 本州に突如出現した萬州・和寧民主共和国は647年、我が国に対し国交の樹立と、大和寧帝国皇帝家嫡流の朴枖原陛下の引き渡しを迫った。国内に事実上の旧大和寧帝国亡命政府である「和寧国民団」を保護していた我が国は、国交を拒絶すると共に、朴枖原陛下本人の意思を尊重し引き渡しを拒否した。また同時に公方府は和寧国民団から萬和政府が和寧・中夏・萬州人を弾圧する軍閥政権であるという報告を受け、さらに和寧地域で抵抗運動を続ける和寧解放統一戦線義勇軍の救援要請を受けた。ここに於いて公方府は友邦スコッチランドと協議を行った結果、同年十月一日に「和寧地域解放」「萬和政府解体と民族別の自治区制定」「自治区の軍政指導」の三か条の要求を萬和政府に対し行った。萬和政府はこれを拒否し、遂に翌648年一月一日、石蘇同盟二国による萬和政府に対する宣戦布告が成され、指揮系統統一のために同盟統合軍総司令部が設置された。萬和軍への攻撃は同年三月二十日を以て開始され、勇猛なる石蘇同盟二軍の空爆は的確に行われ、早くも四月一日には萬和軍の全軍事施設が無力化された。しかしこれに対し萬和政府は全土塹壕化によるゲリラ戦を宣言。石蘇同盟軍は萬和上陸による直接解放を決断するに至った。上陸軍のうち我が国からは精鋭陸軍近衛第一師団、帝都鎮護軍第一師団、直参親衛軍第三師団、中央即応部隊群特殊作戦大隊に加え、旧大和寧帝国軍石動守護師を母体とする陸軍本土防衛団や、和寧国民団の志願者による和寧国民軍も加わった。上陸部隊は七月十日、中夏大陸西部から上陸し、敵首都に対し破竹の進撃を開始。戦力と呼べるものもなく士気も低下していた萬和政府首脳陣はわれさきにと逃亡しようとし、萬和軍に捕縛され、萬和軍が降伏を申し入れる形となった。 こうして648年8月19日、和寧半島と中夏大陸の間に位置する「黄海」海上に繰り出した我らが海軍の誇る原子力空母いざなみ甲板上で、萬和政府・石蘇同盟間に於ける講和が成立。三か条の要求にも示されていた「和寧地域解放」「萬和政府解体と民族別の自治区制定」「自治区の軍政指導」を萬和政府が承引したことにより萬和政府は即日解体され萬州自治政府・中夏自治政府に分割され、半島には和寧第二帝国が光復するに至った。また中夏・萬州地域の軍政及び和寧第二帝国に対する助言を石蘇同盟統合軍最高総司令部が行うことが定められた。石蘇両国の推薦により、最高総司令官には上陸作戦に於ける軍功輝かしき、我らが将軍殿下の次女に当たり給う統合参謀本部作戦部長の足利嗣子陸軍参謀大佐(写真)が就任され、副司令官としてスコッチランドから人民革命陸軍のアーサー・プランス上級大将が就任した。 【社会】丹生市、播淡道最後の現代都市化。残りの計画地2か所に。 650年二月、第三帝国に於ける現代都市候補地の一つであった播淡道丹生市が現代都市化された。これにより公方府が指定している残りの現代都市候補地は二ヵ所となった。播淡道丹生市は播淡同北部の一大観光地域に隣接するニュータウンで、同地の現代都市化により、巨大な人工島である播淡道は第三帝国を支える一大商圏と言うべき要衝となったと言える。 【国際】石江相互安保締結。石動に仇成すもの最早なし。 650年八月、エルツ帝国スカイクラッドにおいて、我が国及びエルツ帝国の間で、石江相互安全保障条約(エルツ側呼称:エルツ帝国と石動第三帝国間における相互安全保障条約)が締結された。これにより我が石動第三帝国は高い軍事力を誇る列強エルツ帝国との事実上の軍事同盟を勝ち取るに至った。南北動乱終結以来防衛力拡張に励んできた我が石動と、帝国として比類なき兵力を誇るエルツ帝国が安保条約を結んだ今、我ら二国を容易く害する事の出来る不埒な蛮国はこの地上から消え去ったと言えよう。 これについて将軍殿下は「ここに於いて帝国の安全は保障されました。しかし我が帝国はこの安寧にあぐらをかいていてはならないわ。帝国の安全保障が盤石となった今こそ、帝国は国際社会の平和と安寧に寄与し、且つ又国際社会から異なる政体や政府を打倒しようとする野蛮な帝国主義的策動を排除し、これからはより多くの国家とともにその平和と安全を維持する方法を模索する事でしょう」と仰せられた。 【国際】ヴァノミス事変で我が国上光鄭三国に宣戦するも撤回。大戦回避。 650年十月、ウェールリズセ連邦・テークサット連合・コーデクス共和国のPDEC加盟国三国はトロピコ共和国並びにヴァノミス連邦へ宣戦布告を行った。 トロピコへの宣戦は同国の観光客虐殺を受けてのものであったが、一方でヴァノミスへの宣戦は事情を異にしていた。当初ヴァノミスは砲弾の輸出を広報するというヴォルテリア条約に違反した行動をとった。ウェ連はヴァノミスを激しく追及し、これに対しヴァノミスは連邦最高評議会謝罪声明で回答したが、ウェ連は誠意ある回答がなかったとし、ヴォルテリア条約批准国であるところのレゴリス帝国及びPDEC(ENEC四号議定書に調印した事実上の軍事同盟)三ヶ国は、ヴァノミスへの宣戦布告を行うに至った。 しかしこの行為は明らかに拙速かつ横暴なものであった。この宣戦は同じくヴォルテリア条約批准し、同条約に定められた連邦最高評議会顧問委員会構成国であるエルツ帝国並びにアルドラド帝国の一切与り知らぬ所で行われたものであった。すでに宣戦以前からウェ連がヴァノミスに対し激しい追及を行っていたことを受け、エルツ帝国は同顧問委員会を招集したが、ウェ連はこれに参加の意思を示しこそすれ、結局のところ顧問員会での協議を経ずして宣戦を強行したのであった。これは他国に対し条約順守を強要しながら、自身はその条約と守るべきプロセスを悉く無視し、本来問題発生に際しては連絡を密にし協力すべきであったエルツ帝国及びアルドラドに対するウェ連の、悪辣なる外交的侮蔑行為であったと言わざる負えない。またこのウェ連の拙速な行動に対し、制止するどころか何の疑いも持たず協力してしまったレゴリス帝国及びPDEC批准国のテークサット、コーデクスの外交姿勢も残念ながら至極遺憾なものであったと言わざるを得ない。 無論、このウェ連の容認しがたい暴挙に対する我が友邦エルツの対応は毅然としたものであった。エルツ帝国及びアルドラドは、ヴォルテリア条約に則りヴァノミスの防衛を宣言。アルドラドは烈上鄭光四か国に対し、エルツは不可侵条約に基づきレゴリスを除く三ヶ国に対し宣戦布告を行う格好となった。ここに宣戦の連鎖が始まった。エルツ・エーラーン間同盟条約に基づきエーラーンが、そして遂に石江同盟の適用により我が国が、上鄭光三国に対し宣戦を布告するに至ったのである。ここに於いてこの戦役は世界大戦と化した。 開戦が迫る中、我が第三帝国内では勝利が確信されていた。エルツ・エーラーン・石動の三国は全てのレゴリスとの不可侵条約を有しており、列強レゴリスの攻撃を受けることなく、ウェ連を膺懲できるという絶好の状態が約束されていたのだ。しかしここでレゴリス帝国が待ったをかけた。レゴリス及びPDEC批准国からの謝罪声明を条件に、双方が宣戦布告を取り下げるという提案がなされたのだ。和平の道が示された以上、侵略国家の汚名を着るわけにもゆかず、双方は宣戦の取り下げを行い、大戦は回避された。これにより、レゴリス及びPDEC批准国より謝罪声明がなされれば本問題はひとまず解決したとみてよいだろう。国際秩序と法秩序を無視し、友邦エルツの顔に泥を塗る恐るべき蛮行を犯したウェ連の「謝罪」は注目に値する。 (651年1月エルツテリア、国際部=三原安良) と書いたものの、現在すでにこの記事から5年もの月日が経過してしまった。ウェ連の「謝罪」の意志が確認できるのはいつになるのだろう。それとも彼らには「謝罪」の意志などなかったのであろうか。 (656年2月室満京市、各国語Web版記事のために追記) 【国際】スコッチ革命評議会で政変決定。王政復古。アルビオン連盟王国誕生 650年12月、友邦スコッチランド共産主義同盟革命評議会は、民衆の現政権への不満を理由に共産主義体制の放棄と王政復古を決定。スコッチランド王国として王政復古を成した。同国はさらに周辺諸地域を併合、アルビオン連盟王国を成立させるに至った。同国は共産主義同盟時代からの外交関係を継承するものとしており、これにより石蘇同盟は便宜上その名称を「石亜同盟」に改める事となった。また萬中両自治区にある同盟統合軍最高総司令部副司令官アーサー・プランス上級大将は解任され、後任としてダン・マッカートニー元帥が就任した。 将軍殿下は「友邦の平和的政変を歓迎します。スコッチランド、もといアルビオンが石動の友人としてより良い国となることを願っているわ」と仰せになられた。 【社会】山名満之氏、山名建設の耐震偽装により国家損害罪で逮捕。山名家新当主は煕子親衛中将に 652年2月、山名煕子親衛中将は山名建設の耐震偽造建築を裏付ける資料を警視庁に提出。凡そ60以上の地方の大型ショッピングモール、官庁舎、学校などで同社が耐震偽装を行っている事が明らかとなった。これを受け警視庁は、国家損害罪の罪で山名建設社長の山名時憲陸軍少将、山名グループ会長山名満之親衛大将以下30名の関係者を逮捕した。山名氏はこれを受け次期当主及び山名グループ会長として山名煕子親衛中将を指名した。これに対し逮捕が不服として山名氏浄親衛軍総大将が親衛軍による武装蜂起を企てたが、統参本部情報部の調査により未然に阻止され、氏浄総大将は国家反逆罪により親衛軍中央軍法会議に於いて銃殺刑が言い渡された。 また一連の騒動を受け山名グループ株は急落。将軍家及び赤松氏の介入により、山名不動産の不動産資産の三分の一が将軍家へ譲渡され、山名不動産は赤松グループへ買収され、赤松大石動不動産として再スタートすることとなった。 【政治】滿子将軍殿下御出家。将軍位返上。四代将軍に陸軍少将足利持子様。 653年10月10日、偉大なる守護者、7世紀の領導星、民族の最高領袖、我が帝国と我が臣民の偉大なる大将軍、足利滿子将軍殿下が、天竜寺において御出家を遂げられた。滿子殿下は御出家を以て将軍位を皇帝陛下へ御返上なされ、大御所殿下となられた。畏くも皇帝陛下は四代将軍として陸軍参謀本部作戦本部長、陸軍少将の足利氏長女、足利持子様を四代将軍に指名された。御出家について滿子大御所殿下は、「次期指導者を育てるために将軍位から身を引いたまでよ。勿論政治から身を引くつもりは毛頭無いから、安心してちょうだい」と、その煌びやかな法体で朗らかに語られた。 (写真1=御出家を遂げられた大御所殿下)(写真2=持子将軍殿下) 【政治】大御所殿下、斯波義将管領罷免。後任に細川元子陸軍中将 654年1月、滿子大御所殿下は大御所特権により持子将軍殿下に斯波義将管領の罷免を指示された。罷免理由として大御所殿下は「義将の経済政策は愚策ばかりで、石動の発展の妨げになっていたわ。一方で有村副管領の政策は非常によかったわね。彼が提案したニュータウン廃止政策によって帝国の維持費は驚くほど下がり、帝国はさらなる発展を志向することが出来るようになったのだから。足を引っ張っていた義将には田舎で養生してもらいましょう」と仰せになられた。斯波管領の後任として大御所殿下は細川之子統合参謀総長の妹に当たる細川元子陸軍中将(写真)を指名された。大御所殿下は「彼女なら管領を任せても安心だと思うわ。有村と共に持子をしっかり支えてやって欲しいわね」と仰せになられた。 【社会】洞院公子外務卿逝去 654年7月12日、南北朝時代から外務官僚としてその辣腕を発揮し、さらに当公方府広報においてわかりより時局解説記事を投書した洞院公子外務卿が逝去した。南北朝時代の「生き字引」と呼ぶに相応しいベテラン官僚の彼女の死に多くの政府関係者や文化人は悲嘆の意をあらわにし、閣僚の身としては異例の国葬が行われた。また彼女の遺作となった最新著書『身勝手な新興先進国たち~フリューゲルの産業体制を圧迫する新興商業国~』は全国書店月間売上ランキング一位を記録した。 【軍事】戦略攻撃衛星「ショウレンゲ」打ち上げ成功 655年5月3日、航空宇宙軍は、いわゆる「イレギュラー」に分類される機能を持つ戦略攻撃衛星「ショウレンゲ」の打ち上げに成功したと発表した。ショウレンゲは対衛星レーザーと対地上レーザーを装備しており、宇宙攻撃と対地攻撃の双方を任としている。名称は華厳経第四十五巻阿僧祇品第三十に於ける命数法「青蓮華」(10の2218388550399401452619230609408乗)からとられている。 ここに於いて大御所殿下は「イレギュラー打ち上げの成功により我が国の軍事技術は世界に知らしめられたわね。我が帝国の臣民を害すかもしれない敵国の軍事衛星を叩き落とすこのショウレンゲがあれば、我が帝国の護りは盤石そのものだわ」と満足げに語られた。 | ||
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