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公方府公報 石動第三帝国公方府公式報道 | ||
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2月 24 (日曜日) 2013 | ||
行方不明の中山薫子教主、龍鮮王国より引渡し完了他。 | 11:45 | |
皇紀44年(普歴457年)9月7日、行方不明であった中山薫子教主他23名が龍鮮王国で密入国、銃器所持などの容疑で逮捕され、本日15日、無事我が国へ身柄を送還された。龍鮮日報によると、中山教主は9月7日、京城から40㎞の仁河市にて、「怪しい集団がいる。」と通報され、通報を受けた京城本庁の機動隊により不法入国と銃火器類所持の疑いで逮捕された。 二国間の協議により中山薫子容疑者は内乱罪、大逆罪の容疑で本日15日、龍鮮王国警務院から無事身柄を引き渡された。 中山薫子容疑者の身柄引き渡しを報じる菜良島ローカル民放。 今回の事態を受け暫定政府臨時総統の赤松雅彦陸軍大将は「とにかく危険人物の所在が判明して良かった。龍鮮王国側の迅速な対応には深く感謝したい」と述べた。 中山薫子容疑者他天理教幹部46名の臨時裁判は1年後開廷される見通しだという。 天理教、新教主を発表。天理教存続狙う 7日の中山薫子容疑者逮捕の報を受け、天理教教庁は13日、薫子容疑者の弟に当たる中山信氏を新教主として発表した。新教主の中山信氏は「姉の様な暴挙に出ることなく、信仰心によってのみ天理教を復興したい」と述べた。現在天理教は天理教国建国、特に帝国陸海軍への抗戦を行った主要人物が多数検挙されており、ほぼ壊滅状態となっている。今後の天理教の動向が注目される。 | ||
2月 23 (土曜日) 2013 | ||
我が党、菜良島奪還作戦の全貌明かす。 | 14:41 | |
我が党及び帝国陸海軍による暫定統治機構による、菜良島奪還作戦の全貌が明らかになった。 周知の通り、有報の崩壊に伴う収入定価と恐慌、田中藤次前総統の様々な失策により、第石動帝国は崩壊した。帝国は荒廃し、多くの臣民は帝国を離れていった、そんな中、帝国領内においてただ一つ平和な島があった。若内県菜良島である。この島では未だに農耕による自給自足生活が行われており、帝国本土の大恐慌をあまり深刻に受けなかった。そこにある宗教団体が目をつけた。帝都でも多くの信者を誇っていた天理教である。同教は地球時代の日本の幕末の頃に起源を持つかなり歴史の古い宗教だが、記紀神話の流れを汲む石動神道を否定しているとして、黒住教や金光教とは違い内務省神道局(後の神祇院)から神道の1教派とは認められず、冷遇されていた。しかし帝国の崩壊とともに政府の権威が無くなった時、教主の急死とともに若くして天理教の教主となった中山薫子女史は、この菜良島に目をつけたのだ。 まず天理教は同島に本部施設を移すとともに、同島への布教を開始した。しかし土着信仰が深く根付いていた同島での布教は成功しなかった。これに憤慨した中山教主は、安価で扱いやすいオストマルク製自動小銃を大量購入し、失業軍人を中心とした信者に支給し、「教庁自衛隊」を組織。天理教国を名乗り武力による菜良島の実効支配を開始したのだ。 この事態を受け、第三皇女近江宮殿下(現皇帝陛下)は、陸海軍残存兵力による菜良島奪還作戦の敢行を決意した。 作戦には帝国海軍の輸送艦サルタヒコと海軍陸戦隊1個師団6000名、陸軍の輸送船月華丸、花咲丸、石動丸の三隻と陸軍3個師団36000名が参加した。 皇紀43年(普歴456年)1月13日午前3時深夜、作戦は決行された。生駒海岸、大台ヶ原海岸から陸海軍が一斉に上陸。海軍を持たない教庁自衛隊は完全に虚を突かれる形となった。 市街地に展開する帝国陸軍兵士。 教庁自衛隊と陸海軍残存兵力の戦力差はほぼ互角であったが、元近衛師団などを中心に再編成された陸海軍は練度が高く、教庁自衛隊には手も足も出なかった様だ。さらに陸海軍が中心部へと侵攻していくとともに、陸海軍が第三皇女殿下を奉じている事実が教庁自衛隊にも知れ渡り、多くの部隊が第三皇女殿下に銃を向けることを厭わしく思い、陸海軍側への協力を申し出た。 そして遂に2月2日、23日に及ぶ攻防の末、天理教国は完全降伏を宣言した。第三皇女殿下は菜良市で三代皇帝を名乗られ、石動第二帝国の建国を宣言されたのだった。中山薫子教主は一時陸海軍により捕縛されていたが、一週間後団体幹部とともに脱走、現在は行方不明となっている。 菜良島民の前に初めて龍顔を表された三代皇帝近江宮陛下。 現在、暫定政府要職には陸海軍軍人とともに、義勇兵として作戦に参加した我が党党員が参加している。我が党としては目下、統治機構の整備、商工業の殖産に努める事を目標としている。即位の際、皇帝陛下は次のように述べられた「朕は先帝、母上とは違う。必ずや第二帝国を豊かな国にしてみせる。もう二度と祖国が失われる事があってはならない」 | ||
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