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公方府公報 石動第三帝国公方府公式報道 | ||
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5月 31 (日曜日) 2015 | ||
成蘭国王・王妃両陛下奉迎特集他 | 03:38 | |
593念8月10日早朝、成蘭連邦王国黒石治家国王・ルティーナ・エルツ・ルーシェベルギアス王妃両陛下が竜駕は我が石動第三帝国山岡府室満京市北区の山岡国際空港へ到着された。国王・王妃両陛下を奉迎するため多くの帝国臣民が集まり、空港は黒山の人だかりに溢れかえった。 国王・皇后両陛下奉迎日程 10日 早朝 山岡国際空港到着。近衛兵警護のもと成蘭大使館の車で移動。 小楽園離宮到着。安息さる。 小楽園にて陸軍近衛軍、並びに親衛軍の奉迎行軍を閲兵さる。 昼 立法会議民評院にご臨席。法案採択をご観覧。 足利晶子征夷大将軍と会談。 夜 宮城へ移動。真備宮皇帝陛下、後真備宮太上皇帝陛下とご会談。 宮中御陪食ご臨席。 小楽園離宮へ移動。 11日 早朝 參社県へ移動。 參社皇太神宮参拝、南北動乱全国戦没者慰霊塔へ献花さる。 昼 山岡府室満京市へ移動。 奉還町能楽堂で石動能をご鑑賞。演目は「絃上(げんじょう)」 夜 小楽園離宮へ移動。 12日 朝 帝国国立博物館ご見学。 昼 宮城へ移動。皇帝家、将軍と歌会遊ばさる。 夜 山岡国際空港をご出発。 小楽園における近衛軍、親衛軍による奉迎行軍は陛下のご体調を鑑み短時間で終えられたものの、近衛軍は伝統的な狩衣、親衛軍は伝統的な大鎧を身にまとい騎乗し、その威風堂々とした姿で陛下を歓迎した。上空では航空宇宙軍教導隊による曲芸飛行が行われ、上空に飛行機雲で「ようこそ」の字を描くなどして、会場から喝采を浴びた。 昼には両陛下は立法会議民評院へご臨席遊ばされ、法案採択をご観覧された。この日民評院では社会労農党が提案した労働基準法改正決議が執り行われており、「サービス残業違法化、労組弾圧に対する罰則明文化」などを盛り込んだ改正案は満場一致で可決された。閉会に当たり社会労農党の福山瑞穂会長は「恐れ多くも両陛下に本採択をご観覧頂いたのは誠に恐悦です。立法会議法により本決議は評定院に委ねられますが、よもや将軍殿下と武家の方々も、治家国王陛下の御前で採択された本決議を棄却することはできないでありましょう」と述べ、議場は喝采に包まれた。 閉会後陛下は足利晶子征夷大将軍殿下と会談され、晶子将軍殿下は「親善の印」として陛下に足利氏伝来の名物茶器の一つと、黄金の太刀ひと振りを献上された。またその後両陛下は宮城へ移動され後真備宮皇帝陛下・真備宮太上皇帝陛下と会談を行われた。上皇陛下から「娘(衵宮王太子妃殿下)はそちらでよろしくやっておりますでしょうか?粗相などございませんか?」と衵宮様を気遣う様子をお見せになると、治家陛下が「治信と大変仲睦まじくしていただいております。あまりにも仲睦まじいので私達も思わず嫉妬してしまうほどです」と破顔ぎみに語られ、場を和ませられるなどの一幕もあったとの事。 会談後両陛下は宮中御陪食に臨席なされ、上級武家・公家や高級官吏、財界の名士、文化人などと広く交流された。 二日目に両陛下は參社県へ移動され、參社皇太神宮参拝と同時に、同敷地内にある「南北動乱全国戦没者慰霊塔」に献花された。同慰霊塔は約50年間もの南北動乱期に犠牲になったとされるおよそ600万人の平民、兵士、武家たちの慰霊の為に建てられた塔である。慰霊塔を前にして治家陛下は「石動南北動乱の凄惨さを痛烈に思い知らされる。今後この素晴らしい石動の平和、ひいてはフリューゲルの平和が続くことを心から願いたい」と仰せになった。 両陛下は昼には帝都にお戻りになり、奉還町能楽堂にて石動能をご鑑賞になった。演目は「絃上(げんじょう)」であった。この絃上は「地球の平安時代の太政大臣、藤原師長が自分より巧みな琵琶の名手を求めて唐に旅立とうとするが、入唐前に宿泊した港町の老夫婦(実は師長の入唐を思いとどまらせようとした村上天皇と梨壷女御)の琵琶と琴があまりにも見事なことに衝撃を受け、自分のうぬぼれを恥じ入唐を思いとどまる」というあらすじである。当然感情移入の対象となる主人公は自らの自惚れを恥じる師長であるため、接伴委員長の勧修寺明子宮内卿は「両陛下をお迎えする演目としては相応しくない。下手をすれば不敬に当たる。別の演目にすべきだ」と再三主張していたが、石動能協会会長の山田禅亜弥氏は「体調の思わしくない成蘭王を『人生はまだまだこれからですぞ、どうか御健勝であらせられよ』と励ます意図がある。不敬にはあたらない」と言い、演目の変更を頑なに拒否していた。果たして治家陛下は「大変良い演目だった。石動の思い出がまた一つ増えた」とお喜びであらせられた。 三日目、両陛下は第三帝国国立博物館をご見学された。当日の国立博物館は無論貸切とされ、同館の収蔵する国宝や重要文化財を全て展示し尽くすという歓待ぶりであった(これにより向こう3ヶ月は国立博物館の常設展示から国宝が消えるとの事)。 昼に及び両陛下は宮城で皇帝家のお方々と歌会を嗜まれた。詩題は「五月雨」であった。 皇帝陛下御製「五月雨の 明けし天(あめ)にぞ 陽(ひ)と望月(もちづき) ニ王並びて 地(つち)安んぜん」 (詩意:五月雨の明けし空には、太陽と月という二人の王が君臨し、地上を安寧たらしめるのだ) 上皇陛下御製「五月雨が 肥やす土にて 稲(さ)は実り 民恵まるる 天神(あまつかみ)かな」 (詩意:五月雨によって肥えた土により稲は実る。これは天神によるすばらしい民への恵みだ) 成蘭国王陛下御製「五月雨が 恵し水の せせらぎよ 我らの大地 豊かなるかな」 (詩意:五月雨の雨水が川を伝い、石動と成蘭の大地に豊かな作物、恩恵をもたらすだろうなあ。) 成蘭王室と石動皇帝家が歌会を行うのは衵宮殿下ご婚礼以来であり、双方実に見事な句を読まれた。 三日間の滞在を終えた両陛下は、臣民に見送られながら万感の念で我が国を後にさるるのであった。 【政治】佐貫大島荘、嘉川道に編入。 594年2月、公方府は佐貫大島荘の荘園登録の取消しと、同地の嘉川道としての編入を発表した。嘉川道知事には晶子将軍殿下の妹にあたられる、尊子将軍殿下の次女、足利基子様が就任された。突然の荘園編入について一部メディアでは「旧南朝勢力の押さえ込み」などの憶測が飛び交っているが、公方府は「長押宮親王殿下ご同意の上の処置」としている。 | ||
5月 11 (月曜日) 2015 | ||
足利滿子様、エーラーン救世軍大学校へご留学 | 19:28 | |
591年4月より、足利晶子将軍殿下のご長女、山岡府立旭川高校を3月に卒業された足利滿子様が、エーラーン教皇国の救世軍大学校へ入学していたことが、公方府によって明らかになった。 滿子様は昨年夏ごろから救世軍大学校への願書を提出しており、旭川高校校長が救世軍大学校へ調査書を送付した所、滿子様のご才覚を鑑みた救世軍大学校より、無試験での入学が認められたとの事である。 滿子様はすでに大学レベルの英語を習得しておられる他、入学に備えエーラーン語の日常会話も習得されており、進学先での言語も特に問題ないものと思われる。 滿子様は3月中旬にも入学準備のためエーラーンへ入国し、4月1日、救世軍大学校陸軍科へ入学された。また滿子様のお供として、細川勝男統合参謀総長の孫にあたる、細川之子関南軍集団司令の長女、細川元子氏が共に入国、同大学へ入学した(彼女は普通に入学試験を受けた模様)。 入学にあたり滿子様は「まさか試験もなしに入学させていただけるとは思わなかった。将軍家の名に恥じぬようしっかりと修学して帰国したい」と述べられた。 また晶子将軍殿下は「滿子はゆくゆくは私の跡を嗣ぐことになりますし、先進国たるエーラーンで色々な事を勉強してもらいたいと思い、今回の留学を許しました。少々寂しい気もしますが、しっかり勉強して帰って欲しいです」と仰せられた。 | ||
5月 06 (水曜日) 2015 | ||
首都警解体、立法会議成立 | 18:11 | |
590年4月21日、首都圏治安警察機構法の失効が宣言され、首都圏治安警察機構は解体された。これにより商業における交易・流通を阻害していた首都警の厳しい監察はなくなり、590年5月上旬の商業採算高は89100億Vaと、4月下旬の33450億Vaを大きく上回った。 また5月11日、ついに石動における140年ぶりの議会である「立法会議」が成立した。民選の民評院議員の選出のため、5月25日に統一地方選挙が開催された。石動民族140年ぶりの選挙ということもあって選挙合戦は大いに白熱し、多数の新興政党が勃興した。選挙戦を勝ち抜き民評院第一党(議院内閣制ではないため、与党にはならない)となったのは保守左派の「全国民衆一揆」である。代表の鈴木寛治氏は「この石動民族の歴史的瞬間に立ち会えたことを大きく誇りに思う。民評院はまだまだ形だけの議会で民主主義とは程遠いが、いつか石動にも真の民主主義が建設されるよう努力していきたい」と述べた。 一方で立法会議の成立に伴い、公方府の最高諮問機関であった国家社会主義石動労働者党は解党され、石動国家社会主義者同盟などの分派政党が残留するに至った。石動国家社会主義者同盟の南一機総統は、「そもそも我が石動民族が140年間にも渡り全体主義的体制を維持してきたのは、第一帝政期の民主主義政権による無策の反省が根底にあったはずだ。石動民族はまたも同じ過ちを繰り返そうとしているのではないか」と苦言を呈した。 今回民評院において議席を獲得した各政党(括弧内は議席数。括弧の後は党首と思想) ・全国民衆一揆(140)鈴木寛治代表。保守左派。 征夷大将軍の象徴化と立憲君主制への緩やかな回帰を主張。平民からの支持が根強い。党名の「一揆」は暴動ではなく、盟約による党の結束を意味するとしている。 ・自由党(92)鶴山一哉総裁。保守右派。 将軍大権を支持するも管領の民選化と海外貿易促進、国際問題への積極的介入を主張。財界からの支持が根強い。 ・社会労働党(66)福山瑞穂会長。社会民主主義・左派。 征夷大将軍の緩やかな撤廃と皇帝の象徴化、議院内閣制の導入、社会保障の拡充、身分制度の撤廃などを主張。一部の平民から支持を得る。 ・石動国家社会主義者同盟(29)南一機総統。国家社会主義・極右。 武家特権の廃止と総統専制国家の復活、秘密警察復活による全国民の管理、外国人の入国制限、財産分配と国民皆労働などを主張。立法会議の成立を以て解消された国家社会主義石動労働者党の極右派グループにより結党された。平民の若年層から支持を得ている。 ・全石動社会主義革命統一戦線(12)大杉英太党委員長。社会主義・極左。 将軍・皇帝の即時撤廃、あらゆる身分制の撤廃、全企業の国営化、労働者と農民による新国家の建設を主張。学生を中心に支持されている。 ・救済党(7)田中萼蓮座主。仏教。 仏教の唯一国教化と他国への布教、国家仏教の促進による国家の鎮護を主張。仏教系政党。 ・惟神の道の同胞(4)岩尾宗忠会司。神道。 神道の唯一国教化と他国への布教を主張。神道系政党。 ※お知らせ 国家社会主義石動労働者党の解党に伴い、機関紙である「国家主義と臣民」は公方府へ移管され「公方府公報」となりました。 | ||
5月 05 (火曜日) 2015 | ||
ラングラード=カルス帝国との安保成立 他 | 11:17 | |
589年7月11日、石動第三帝国によるラングラード=カルス帝国に於ける安全保障条約が調印された。本条約は石動第三帝国によるラングラード=カルスに対する安全保証を定めた条約である。 「石動第三帝国によるラングラード=カルス帝国に於ける安全保障条約 本条約は石動第三帝国によるラングラード=カルス帝国に於ける安全保障について定めた条約である。本条約は石動第三帝国皇帝陛下、ラングラード=カルス帝国皇帝陛下の相互同意によって成立せるものである。右が証左として両国全権委員は各々本条約に調印す。 第一条 石動第三帝国はラングラード=カルス帝国が第三国から宣戦布告を被った際、直ちに第三国に対し宣戦布告を行う義務を負う。 (1) ラングラード=カルス帝国が第三国に対し宣戦布告を行った際はこの限りではない。 第二条 石動第三帝国はラングラード=カルス帝国に4万人以上16万人以下の地上戦力を派遣しなければならない。 (1) 石動第三帝国はラングラード=カルス帝国が駐屯地建設に要する建材・資金を提供せねばならない。駐屯地の維持費はラングラード=カルス帝国が負担するものとする。 (2) ラングラード=カルス帝国に派遣された石動第三帝国地上戦力部隊はラングラード=カルス帝国に於ける怪獣・反乱軍への攻撃、災害時の協力を任とし、その他の行動は厳に慎む。 第三条 石動第三帝国はラングラード=カルス帝国に怪獣・反乱軍・海賊船が発生した際、対応可能な限りこの攻撃、撃滅に当たらねばならない。 (1) 石動第三帝国がラングラード=カルス帝国領内に怪獣・反乱軍・海賊船のいずれかを発見した場合、石動第三帝国はラングラード=カルス帝国の承認を得ずとも怪獣・反乱軍・海賊船への攻撃が可能とする。 (2) 攻撃の際石動第三帝国はラングラード=カルス帝国の領土ないし領海上にあるラングラード=カルス帝国国民ないし船舶へ被害を出さないためにも、SPPミサイルないし衛星レーザー以外の兵器の使用を禁止する。 (3) 第三条の(1)はラングラード=カルス帝国が自国軍事力による怪獣・反乱軍鎮圧が可能と判断した時点で直ちに無期限に失効する。 第四条 本条約は締約国たる石動第三帝国並びにラングラード=カルス帝国のどちらか一方が破棄を通告した時点で失効する。」 ラングラード=カルス帝国は建国当初我国による無償鉱山開発援助が行われており、今回の安保締結により両国間の関係は一層高まったと公方府は発表している。 安保条約に基づきラングラード=カルス帝国にはラングラード=カルス派遣軍として陸軍第十四師団・第二十一師団・第八機甲師団、親衛軍第六親衛機甲師団クマソタケル・第十親衛降下猟兵団エウカシから成る、総勢4万の混成派遣軍が派遣された。 【政治】首都警解体決定。新たな立法機関「立法会議」設立。 590年4月17日、晶子将軍殿下は緊急会見を開き、首都圏治安警察機構の廃止と新たな立法機関である「立法会議」の設立を宣言された。 「立法会議」は上院たる評定院と下院たる民評院から成る二院制議会の形をとっており、評定院は15の有力武家の当主・前当主・次期当主から成る氏族会議だが、民評院は完全な民選議会となる模様である。「管領弾劾権などの強い権限が評定院にしか与えられていない」「民評院は評定院の法案可決を覆せないが評定院は民評院の可決を却下できる」など、かなりの面で評定院の権限が強く、民評院の権限が制限されているが、有識者らは「そもそも民選議員が政治に参画するなどというのは第一帝政以降じつに140年ぶりで、武断政治・独裁政治の支配する石動において実に画期的な事件である」と評している。 発表に当たり晶子将軍殿下は「もはや南北動乱は実質交戦も法的な交戦状態もすでに解消され、晴れて我が国は海内一統となりました。戦時下の秩序維持に於いて首都警の功績は大変なものでしたが、もはや我が国は戦時下にはなく、もはや戦後でもありません。今後は発展を阻害するあらゆる旧例や慣例を撤廃し、石動の持続可能な発展を模索する事でしょう」と仰られた。 | ||
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