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普欧帝国宣伝部  普欧帝国の広報機関
2月 05 (日曜日) 2012
汎ルジタニアピクニック 00:10   
【社会】汎ルジタニアピクニック

フリューゲル暦392年12月1日、ルジタニア自由国の国民が同国国境を無断で越境し国外脱出する事件が発生した。

本事件は同日のルジタニア国境開放とほぼ同時に起こっており、同国国民の政府に対する鬱積の程が伺える。

事件発生からおよそ半年が経過したにも関わらず、未だ同国国民の脱出は続いており既に2~3千万人が脱出したと見られ、

行政府内では「もはや国家消滅も有り得るのではないか」との見方が広まりつつある。

ケーニヒスベルク大学歴史学部のデルブリュック教授は本事件に関して以下のコメントを発表している。

「ルジタニア自由国は我が国の建国が成った頃から既に鎖国状態が続いており、同国国民はいわば飼い殺しの状態にあった。

同国政府の統治は余りにも悪く、公務員の給料さえ支払いが滞っている状態である。このような状態で国家体制が保てたのは

同国が鎖国状態にあったからに他ならない。だが、そのような状況下で国境開放が行われたらどうなるか。

国外脱出を図る者が現れるのは至極真っ当な出来事であろう。しかし、同国政府がそのような愚を犯すとは思えない。

私はルジタニア内外でこの国境開放、いやもっと包括的な意味での解放が行われる下地が出来ていたのではないかと見ている。

詳細は今後明らかとなるだろうが、少なからずルジタニア国民や周辺国の人間が関わっていたことは間違いあるまい。

私はこの事件を汎ルジタニアピクニックと呼ぼうと思っている。」
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1月 31 (火曜日) 2012
【緊急】イスアード戦争終結他 16:39   
(イスアード戦争関連の記事は本記事の下にもあります。cruis)



【国際】イスアード戦争終結

フリューゲル暦392年8月28日、イスアード政府首脳の逃亡を受け、我が国は戦闘行為の中止を宣言した。

同政府の消滅によりイスアードは現在無政府状態であり、イスアード地上軍やゲリラの活動も下火となっている。

このため派遣軍司令官のフリードリヒ大将は戦闘中止命令を発令、本国の承認を受け住民保護、治安維持に当たった。

普欧帝国政府はイスアード政府の消滅を受けて亡命ビスト人政権との講和条約締結を求め、同政権を承認、

同政権のアフメド・カースム首相は我が国との講和条約に調印し、ここに普欧帝国とイスアード教主国の戦争は終結した。

ノイエクルス連邦政府の対応は今のところ不明であるものの、既に交渉相手となるイスアード旧政府が消滅したため

アフメド政権と講和を結ぶのではないかと思われる。



【国際】亡命ビスト人政権に関する外務省発表

フリューゲル暦392年8月23日、我が国が承認した亡命ビスト人政権に関する公的な説明が外務省より発表された。

亡命ビスト人政権の主要メンバーは4月のMondsichel作戦により政治犯収容所から解放された人物が多い。

彼らは議会政治の名を借り奢侈に耽る旧イスアード政府の打倒を企てたために収容された人々である。

亡命ビスト人政権は首相のアフメド・カースム氏以下14名から成り、「正統なるイスアード政府によるイスアード統治」を掲げている。
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1月 30 (月曜日) 2012
イスアード戦争に関する軍発表他3号 19:17   
(例によって長文ですが御容赦頂きたい。なお、本記事の下に1号、2号がありますので、先にそちらを御参照下さい。cruis)



【軍事】イスアード戦争に関する軍発表⑤

フリューゲル暦392年6月6日、悪天候の回復を受けて派遣軍はイスアード南部への進撃作戦「Ackerbau(耕作)」を開始、

派遣軍は南部最大の都市サバランを目指すにあたって山岳部を避け海上機動を展開、イスアード地上軍の背後に回った。

背後を取られたイスアード地上軍は狼狽しつつも的確に反撃、我が軍は足止めを受けるも予備として温存されていた装甲部隊と

近衛砲兵連隊の猛攻により防衛線の突破に成功した。突破後の急速な浸透と航空攻撃による指揮系統の破壊により

イスアードの南部防衛部隊は組織的戦闘力を喪失、各所で孤立し我が軍に各個撃破された。

10日には派遣軍はサバランと中部の都市カルビオラを結ぶ連絡道路の遮断に成功し、

イスアード地上軍残党は連絡路を絶たれ各地で孤立することとなった。



【軍事】イスアード戦争に関する軍発表⑥

道路遮断の後、派遣軍はすぐさまサバランへの攻撃を開始、目的はイスアード現政府首脳部の身柄確保である。

サバランは我が軍による半包囲を受けており、派遣軍司令官のフリードリヒ大将はサバラン守備隊の脱出を期待していたものの、

同守備隊はあくまで死守の構えを見せており、やむなく派遣軍は市街戦に突入した。

派遣軍は市街戦突入と同時に特殊部隊「ブランデンブルク」連隊とイシュトルード義勇軍の一部をイスアード大本営への奇襲に

投入することで政府首脳の拘束を狙ったものの、大本営は既にもぬけの殻であった。

このためサバラン市街戦は完全に空振りとなり各部隊は撤収を命じられたが、守備隊の頑強な抵抗により戦況は混乱しており、

近接戦闘で我が軍は思わぬ損害を被る結果となった。特に「ブランデンブルク」連隊は連隊長ヒッペル中佐が戦死するなど

敵中に突入しただけあって損害も大きかった。しかしこの戦闘でサバラン守備隊も壊滅しており、同日中にサバランは

我が軍の占領するところとなった。なお、サバラン守備隊は兵士の部隊章からイスアード最強を誇る近衛師団を中心に編成

されていたことが判明している。



【軍事】派遣軍兵士とノイエクルス連邦軍兵士との交歓に関する記者のレポート

編集部注:これは現地の戦場記者から送られてきた記事を掲載したものである。



(本写真はあくまでイメージです。現地で撮影されたものではありません。)

6月のイスアード南部に対する攻撃の後、派遣軍はイスアード中部における掃討戦のため北上、

旧バルダード特別行政区でノイエクルス連邦軍のイシュトバーン師団と接触した。同地は既に彼らの制圧下にあり、

ゲリラによる襲撃もなかったことから派遣軍司令部は消耗した部隊の補給と再編を同地で行った。

Mondsichel作戦とサラバンでの戦闘で消耗した「ブランデンブルク」連隊等は同地で休養に入り、

イシュトバーン師団の兵士と我が軍の兵士が交歓する光景が随所で見られた。双方の兵士はタバコなどの嗜好品の交換や

トランプ等に興じており、総じて穏やかな雰囲気である。その中で記者が興味を抱いたのはそれぞれの糧食の試食であった。

我が軍の糧食は複数種存在するが、その中でも我が軍の兵士に好評なのが戦闘糧食Ⅲ型である。

一方、イシュトバーン師団の兵士に好評だったのはⅤ型であった。この違いはどこから来るのだろうか。

Ⅲ型とⅤ型の内容物を比較してみたい。左側から項目、Ⅲ型内容物、Ⅴ型内容物である。

缶詰パン ライ麦パン 乾パン(白パン)

メイン1  野菜とジャガイモとソーセージのシチュー ハンバーグのえんどう豆添え

メイン2  えんどう豆とジャガイモのシチュー 鶏肉のトマトソース煮込み

冷肉   豚肉と脂のソーセージ 野兎のパテ

これ以外の内容物は共通であり、以下の品目が含まれる。

副菜   ザワークラウト

飲料物  オレンジ、グレープフルーツ、アップルジュース、コーヒー

その他食品 バター、マーガリン、チーズ、各種ジャム、蜂蜜、チョコレート、穀物ビスケット、ガム、キャンディ、各種栄養剤

なお、食器やマッチなどの備品は割愛した。

おおよその傾向としてイシュトバーン師団の兵士は脂っこい食事を好んでいないようである。これはノイエクルス自由国が

温帯に属しており、寒冷気候に属する我が国とは食生活が異なることから生じた嗜好の差ではないだろうか。

なお、ノイエクルス連邦軍の糧食は民生品が多く、品質保存や調理の利便性は極めて良好であり、味も悪くなかった。

しかし、味に関しては我が軍の糧食の方に軍配が上がると感じるのは記者の舌が普欧人のそれだからであろうか。
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【緊急】教主イスカンダル氏、我が国に亡命 02:39   
(イスアード戦争関連の記事は本記事の下にあります。cruis)



【国際】教主イスカンダル氏、我が国に亡命

フリューゲル暦392年5月25日、悪天候による作戦中止に苛立っていた政府に衝撃の知らせが舞い込んだ。

教主イスカンダル氏が我が国に亡命するため派遣軍に投降したのである!

派遣軍司令部は来週の攻撃で何としても氏の身柄を確保しようと焦っており、そんな中で氏がいきなり現れたため仰天したものの、

司令官フリードリヒ大将は落ち着き払った態度でこれに対応した。参謀の一人は影武者ではないかと勘繰ったが、

所持品や身体的特徴が完全に一致し、また保護していた全てのビスト人が本物であると述べ、実際に本人と確認された。

イスカンダル氏はフリードリヒ大将に普欧帝国への亡命を希望する旨を伝え、また信徒の保護を重ねて哀願した。

フリードリヒ大将は既にイシュトルード教徒の保護に努めている旨を丁重に伝え、麾下部隊にイスカンダル氏の厳重保護を命令、

26日未明に氏は我が軍の輸送機で帝国本土に飛び立った。この日、氏の奪還に燃えるイスアード地上軍が開戦以来初となる

猛攻を派遣軍に仕掛けており、あと少し離陸のタイミングが遅れていたら氏の命は危なかったであろう。

帝国本土に降り立ったイスカンダル氏は既に亡命していたビスト人の熱烈な歓迎を受け、

緊張する軍の調査官に対して氏は「落ち着いて下さい。」と柔和な笑みを浮かべ取調べに応じた。

審査の後、氏の亡命は正式に受理され、受理を知らされた氏は感謝する旨を調査官に述べ、すぐに亡命ビスト人の滞在先を訪問、

亡命ビスト人の最大の受け入れ先であるケーニヒスベルク練兵場の仮設キャンプではまたも熱烈な歓迎を受けた。

この仮設キャンプは急造のため生活設備の不足や慢性的な物資欠乏が問題となっており、イスカンダル氏はこの状況に心を痛め、

翌日の国王ヴィルヘルム2世陛下や政府首脳部との会談で仮設キャンプの状態改善を希望した。

ヴィルヘルム2世陛下は快く氏の要請に応じ、ベートマン宰相に改善を図るよう指示、

宰相は「陛下、議会に無断で指示を下されるのはお止め下さい」と苦言を呈し、議会にいくつか議題を提出するよう指示を飛ばした。

イスカンダル氏は陛下と政府の対応に感謝する意を表明、その後、陛下との会食に臨まれた。

会談後、氏は戦前に訪問を予定していた際に謁見を希望していた前国王カール2世陛下と初めて対面した。

氏は「このような形で貴方の元を訪れることになってしまったのは悲しむべきことです。」と述べるも、しかし陛下は凛として応えた。

「どのような形であれ、こうして貴方とお会いできたことは僥倖と言う他にありません。私たちのなすべきことは一つです。」

この御言葉に氏は明るい表情を浮かべ、「貴方とお会いできて良かった。共にビスト人と普欧人の平和のために尽くしましょう」と

改めて決意を固めた。戦争の終わりは近いのかもしれない。
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1月 29 (日曜日) 2012
イスアード戦争に関する軍発表他2号 21:29   
(かなりの長文ですが御容赦頂きたい。なお、本記事の下に1号がありますので、先にそちらを御参照下さい。cruis)

軍情報部発表:今回の普欧帝国とイスアード教主国間の戦争をイスアード戦争と称する。



【軍事】イスアード戦争に関する軍発表③

フリューゲル暦392年5月7日、帝国はイスアード本土に対する上陸作戦「Geschichte(歴史)」を発動した。

本作戦は先行して降下した部隊がイスアード地上軍の行動を束縛し、その間に派遣軍主力の上陸を図るというものである。

先立って行われた降下作戦(Mondsichel作戦)は成功を収めており、上陸作戦は大した抵抗を受けることなく進展した。

しかしながら、普欧帝国陸軍初の上陸作戦となった本作戦は部隊運用や連携の面で多くの課題を残すこととなった。

上陸地点(6,10)の誤認や一部の海岸に多くの部隊が押し掛けるなど作戦遂行には少なくない混乱が伴っており、

派遣軍司令官のフリードリヒ大将は「我が軍の部隊で混雑する海岸に敵軍が本格的な反撃を行わなかったのは幸いである。」

とコメントしている。このため先行した降下部隊は重要な役割を果たしたと言えるだろう。

降下した第一降下猟兵師団、「ブランデンブルク」連隊、イシュトルード義勇軍はイスアード地上軍に対し遅滞戦闘を展開、

上陸軍への反撃を見事に防いでおり、戦闘終結後に第一降下猟兵師団長シュトゥデント少将、「ブランデンブルク」連隊長

ヒッペル中佐、イシュトルード義勇軍指揮官(本名機密)に騎士鉄十字勲章が授与される見通し。

上陸後、降下部隊は上陸軍に合流し、次なる作戦に備えた。上陸軍はイスアード西部(7,10)にてイスアード地上軍と戦闘を展開、

これを退けることに成功した。しかし、後の作戦行動に支障を及ぼす事態が発生する(子細は次の記事を参照)。



【軍事】イスアード戦争に関する軍発表④

フリューゲル暦392年5月中旬、ノイエクルス連邦軍はイスアード北部に対して再び陸地破壊弾の発射を断行した。

このため派遣軍は前方の進路を吹き飛ばされる形となり、派遣軍司令部は当初の予定を変更して南部への攻撃を決定、

橋頭保を確保するため(6,12)のイスアード地上軍を撃破した。今回のノイエクルス連邦軍の攻撃に関して、

フリードリヒ大将は以下のように語った。「事前に連絡を受けたため我が軍に被害はなかったものの、

同士討ちの可能性は常に存在する。共同作戦を展開しなかったことの弊害だ。」

なお、次の攻撃に際して派遣軍司令部は普欧本国に対しノイエクルス連邦軍司令部の連絡将校との情報共有を密にするよう

要請している。



【国際】戦後イスアードの統治に関して政府はノイエクルス連邦との協議を準備

フリューゲル暦392年5月某日のノイエクルス連邦政府構想案発表を受け、政府は戦後イスアードの統治に関して声明を発した。

イスアード戦争に関して我が国とノイエクルス連邦とは共同作戦を取れず、戦後統治に関しても2国間には何らかの対立が生じる

ことは必須と見られている。連邦政府はビスト人による政権発足を望まず、戦勝国と国際統治委員会の統治を構想案にまとめた。

これに対して政府は統治構想案発表とノイエクルス連邦政府との協議の場を設けると声明した。

また外務省関係者は以下のようにコメントしている。「我が国はイスアードに大規模な陸軍を派遣し当地での治安維持や軍政、

ゲリラ鎮圧の任に当たっている。しかしノイエクルス連邦は大規模な空爆こそ実施したものの、戦闘後の膨大な後始末や

占領地統治の多くは今のところ我が軍が負担している。最大の戦功国がノイエクルス連邦であることは明白であるが、

そうであるならば占領地域の統治に不可欠となる陸軍派遣が遅れているのはどういうことであろうか。

実効力のある無力化は結構であるが、その結果生じた被害の始末をしているのは我々だ。

こうしているうちにも我が軍の兵士は犠牲者の埋葬や負傷者の救済に尽力し、敵ゲリラによって出血を強いられているのだ。」

編集者注:5月下旬にノイエクルス連邦軍は陸軍派遣を決定、上陸は6~7月と見られる。



【国際】亡命ビスト人とイシュトルード義勇軍に関する外務省発表

フリューゲル暦392年3月に行政府は亡命者の存在を明らかにした。しかし、ノイエクルス連邦の攻撃後亡命希望者は急速に増加、

我が国が開戦まで1週間もない状態であるにも関わらず、亡命希望者の数は1万人前後に膨れ上がった。

警察と軍はあまりにも多い彼らの数にスパイ流入を警戒し、実際に複数名を検挙、受け入れ後も彼らに対する監視を実施した。

これに対し、亡命者側からイスアード戦争への協力が打診され、軍は疑念を抱きつつも国王陛下の後押しもあり受理を決定、

2千人程度から成るイシュトルード義勇軍が結成された。

義勇軍は軽度の戦闘訓練を受けたが、戦闘は主任務ではなく通訳や道案内など補助的な任務につくと考えられる。

外務省は亡命ビスト人の権利を保障することを表明しており、イシュトルード義勇軍も普欧帝国陸軍の一部隊と見なされる。

亡命ビスト人の中には過激な主張を行う者は少なく、ただ疲れ切った表情を見せている者が圧倒的に多い。

我々はここに戦争の悲劇を目撃すると共に、彼らの保護が我々に課せられた義務であることを認識した。
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イスアード戦争に関する軍発表他1号 16:52   
軍情報部発表:今回の普欧帝国とイスアード教主国間の戦争をイスアード戦争と称する。



【軍事】イスアード戦争に関する軍発表①

フリューゲル暦392年4月20日、帝国はイスアードに対し初の攻撃作戦「Mondsichel(三日月)」を発動した。

本作戦はイスアード(9,10)地点に存在する政治犯収容所の囚人救出と(10,9)地点のミサイル基地破壊が目的である。

普欧帝国イスアード派遣軍(以下派遣軍と表記)は攻撃に先立ち空軍機による攻撃目標周辺住民への避難勧告ビラ散布を実施、

帝国本土から発進した大型爆撃機12機が4万トン相当のビラを投下した。爆撃機機長の一人ディライ中尉は以下のように語った。

「我々は夜明け前にザームラント某所の飛行場を発進しました。編隊は組まず、各機は単独でイスアードに進路を取りました。

先にイスアードに向かった艦隊は無線封鎖を厳命されていたため、誘導を行えず、本土からの誘導電波と天測が頼りでした。

2度の空中給油の後、被発見を避けるため超低空を飛行し、払暁にイスアード本土に進入しました。

海岸線を越えてから目標地点に到達するまでのおよそ40分は皆緊張していましたね。

しかし迎撃機も対空砲火も無く、そのまま我々はビラ散布を実施して帝国本土に無事帰還しました。

我々の隊は未帰還を一機も出さずに安堵したのですが、後に飛び立つ攻撃隊はもう奇襲が成立しないので彼らが心配です。」

ビラ散布の2日後、「Mondsichel」作戦が発動され艦隊から飛び立った攻撃機による航空攻撃が開始された。

述べ100機以上の攻撃機とヘリがイスアード本土に出撃、政治犯収容所とミサイル基地に向かった。

攻撃隊は約60発の爆弾、ミサイルを政治犯収容所の外壁、警備員詰所、武器倉庫、監視塔、そしてミサイル基地に投下した。

また爆撃により制圧された地区にヘリが進出し空挺降下が行われた。降下したのは我が軍の降下猟兵、

特殊部隊「ブランデンブルク」連隊、亡命者有志から成るイシュトルード義勇軍(詳細は後述)である。

降下部隊はイスアード本土のレジスタンスと合流、周辺地域の制圧に乗り出し、収容所囚人の保護に努めた。

降下部隊は周辺に展開していたイスアード地上軍と激しい戦闘を展開、戦闘は航空優勢を確保した我が軍有利に進んだ。

戦闘開始から13時間後にイスアード軍部隊は後退したものの、その際に壮絶な焦土作戦を展開、

官民問わずあらゆる施設を焼き払い、多くの人々が家を失った。またイスアード軍による周辺住民への略奪、暴行が確認された。

なお、攻撃に際する誤爆も少なからず発生し、(8, 10)の森に投下された爆弾により森林火災が発生、一帯が壊滅している。

我が軍の損害は現時点で確認されたもので地上部隊が戦死36名(うち10名は降下時の事故による)負傷100名程度。

航空隊はヘリ2機と攻撃機2機を失った。ヘリは降下時の損失1機と戦闘損失1機、攻撃機は戦闘損失1機、

母艦収容後修理不可能にて海中投棄された1機であり、パイロットはヘリ2機の4名が全員死亡、

戦闘損失の攻撃機のパイロット1名は脱出に成功しレジスタンスと合流、その日のうちにヘリで母艦に帰還した。



【軍事】イスアード戦争に関する軍発表②

フリューゲル暦392年4月24日、帝国は「Mondsichel」作戦に続き「Gericht(審判)」作戦を発動した。

本作戦はイスアード(7,15)地点に存在する軍需工場の破壊を目的としており、イスアードの継戦能力破壊を狙ったものである。

攻撃は普欧帝国本土から発射されたSPPミサイルによって行われ、正確な着弾により周辺地域への被害は一切無かった。

周辺地域には畜産場と建材工場が存在し、これらの施設は軍事上の価値が低く(建材工場は戦後復興に重要である)、

無用な破壊を避けるため高価なSPPミサイルによる攻撃が実施されたのである。軍情報部宣伝課の担当者は、

「長距離ミサイル攻撃における我が国のミサイルの優秀さが証明された。」と述べている。



【国際】ヴィルヘルム2世、イスアード戦争の正統性を議会で演説

「Gericht」作戦終了後、国王ヴィルヘルム2世陛下は議会にてイスアード戦争の正統性を訴える演説を行った。

「国民に選ばれし議員諸君、我々はイスアードとの戦争を望むところ意見を同じくしてこの場に集った。

かの国に対する我が国の戦争遂行が極めて正統なるものであることは論を俟たない。

何故なら、我々はかの国の不実なる政府の排除を目的とし、善良なるビスト人によるイスアード再建を目指しているからだ!

かの政府はこれまで我が国の誠意を悉く踏み躙り、また守るべきものであるはずの民を扇動して己の延命を図る卑劣漢である!

かの政府はこう発言した。「民間人の大量虐殺を行う国に正義などあるはずがない。」(共同通信392年4月付)と。

これは矛盾した発言である。かの政府こそ勝ち目のない戦争を延々と続け、無辜の民を悲劇に巻き込まんと画策しているのだ!

かような政府の掲げる正義に何の価値があろうか!

民間人の被害を最小限に抑えるよう行動している我が軍の方がより正義に近しいのは明白である。

またイスアード政府と同じくイスアード軍の退廃ぶりも目に余るものである。

彼らが三日月作戦の際に民間人に振るった暴虐は筆舌に尽くしがたい。我が国の戦場記者が収めた多くの写真、映像は、

彼らの政府と同じく、民の守護者たるべき軍の堕落した姿を世界に示すものである。

かような政府と軍を打倒し、善良なるビスト人による新政権成立とイスアードの再建を目指す我が国の正義が正統なる

ものであることは何人たりとも論駁できないのである!

そして、我々が最終的な目的は、普欧と新イスアードの間に国交を持ち、かつての互恵関係を復活させることだ。

恐らくイスアード政府は我らが新政権の傀儡化を目論んでいると何の根拠もなく喧伝するであろう。

だがもし、そのような喧伝が為されたとして、どれほどの国が彼らの言葉に頷くであろうか?

我々が建国以来、公正なる外交と取引を行ってきたのは多くの国が知る所であるし、

開戦直前の我が国とイスアードのやりとりからして、我が国の誠実なることは全世界の知る所である。

私が先ほど述べた最終目標もまた私個人の見解ではなく、国民の総意である。我々の真意が疑われるようなことは、

これからの国際情勢においていかなる事態が生じたとしても、我が国に敵対する国家を除いて有り得ないと確信する。」

この演説に対して議員は拍手喝采で応え、新国王に対する疑念もたちまちのうちに吹き飛んだ。



【国際】ヴィルヘルム2世、ノイエクルス連邦軍の作戦行動を非難

陛下は先の演説に続いて昨今のノイエクルス連邦軍の作戦行動に対して非難声明を発した。

「以前、私はノイエクルス自由国とは反イスアードで我が国と一致するところ大であると考えていた。

しかし残念ながら、かの国の戦争方針は我が国と相容れるものではなく、共同戦線を張ることは不可能である。

我が国はイスアードの戦後復興を考慮し、攻撃目標の選定や手段に関して慎重に慎重を期してきた。

だが、今回のノイエクルス自由国による陸地破壊弾発射はイスアードの再建に悪影響を与えるものである。

我が国がノイエクルス連邦軍司令部から受け取った文章には、神殿の破壊が作戦目標に含まれると記述されていた。

私はかの国が宗教政治の禁止などをイスアードに通告したことは承知しているし、それが間違いであるとは思わない。

しかしながら、神殿への攻撃に際してイスアード北東部の大部分が破壊されてしまったことは非常に残念である。

領土は国家の一要素を成す重大なものであると同時に、破壊された地域はイスアードの建国以来、住民が家を建て、

尊重されるべき伝統文化を形成してきた地域である。今回のノイエクルス連邦軍の作戦により、かような破壊が生じたことは

極めて遺憾であり、私は全普欧人を代表してノイエクルス自由国の作戦行動に抗議するものである。

また5月初旬のノイエクルス連邦軍の攻撃により観光都市に被害が生じ、第三国の人々が死亡したことは非常に問題である。

我が国は連絡将校を派遣し、観光都市への攻撃を控えるよう提案していただけに、この攻撃には失望を覚えるものである。」

編集部注:記事作成後、政府はノイエクルス連邦軍司令部より文章を受け取ったと発表。

14125:ノイエクルス連邦司令部 > イスアード観光地において渡航禁止勧告と退去命令に従った第三国人に被害が出ている事例は報告されておりません。 (ノイエクルス自由国)

政府は本文章を受け、砲撃を受けた観光都市(6,7)への調査団派遣を決定、戦闘終結後に本格的な検証を始めるとした。
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イスアードより亡命者来航、審査の後亡命受け入れへ他 02:17   
【国際】イスアードより亡命者来航、審査の後亡命受け入れへ

フリューゲル暦392年3月19日、宣戦布告の興奮冷めやらぬ3月中旬、行政府はイスアードからの亡命者の存在を明らかにした。

行政府の発表によると、亡命者アセミール・ジャッタフ氏(仮名)は12日未明イスアードを軽飛行機により脱出、

帝国近海にて不時着水したところを我が哨戒艇により救助された。ジャッタフ氏は亡命を希望する旨を哨戒艇艇長に申し入れ、

数時間後に到着したヘリでケーニヒスベルクに到着、軍の調査及び各関係部署の審査の後に亡命が認められた。

ジャッタフ氏は取調官と記者団にイスアード現政権の実態を暴露している。以下はその一部を記したものである。

ジャッタフ氏「カシュクール・セイフ元老院議長をはじめ、イスアードの政治指導部は腐敗しきっており、

改革を志した憂国の士は政治犯収容所に入れられるか、異端信仰の汚名を着せられ過酷な刑罰を科せられている。

私は下級官吏として彼らが行ってきた犯罪的所業を目の当たりにしてきた男だ。」

記者「では貴方はイスアードの現状を改めんとして我が国を頼ったと?」

ジャッタフ氏「亡命理由の半分はそうだ。しかし、私はノイエクルス、南瓜、普欧の武力解決を当てにして来たのではない。

そのような行為は多くの悲劇を生むだけだ。私はそれを最小限にするために来たのだ。鍵は普欧が握っている。」

記者「それは一体何なのでしょうか?」

ジャッタフ氏「教主イスカンダル陛下と多くのイシュトルード教徒は政府によって歪められた情報しか知らされていない。

政府は自らの外交の失敗を全イシュトルード教徒に押し付けるつもりなのだ。

だが、もはや開戦まで時間はないし、止めることもできないだろう。となれば少しでも早く戦争を終わらせるための準備が必要だ。

私はイスカンダル陛下と普欧の国王カール2世陛下(編集者注:ジャッタフ氏はカール2世陛下の退位をまだ知らなかった。)が

その鍵を握っていると見ている。私はイスアードと普欧を繋ぐ架け橋となるために来たのだ。そのためには命も惜しくはない。」



【国際】普欧帝国陸軍参謀本部、ノイエクルス連邦軍、南瓜共和国軍との共同作戦を断念

3月某日、普欧帝国陸軍参謀本部はノイエクルス連邦軍司令部に連絡将校を派遣した。

派遣の目的は対イスアード戦争における共同作戦の提案であり、3国の効率的な作戦の実施と協力を狙っていた。

しかしながら、詳しい内容は機密指定となるため発表されなかったものの、

参謀本部はノイエクルス連邦軍、南瓜共和国軍との共同作戦を断念すると発表した。

担当官は「我が国とノイエクルス連邦の作戦方針が相容れないものであったため」と説明している。

イスアードの戦力が余りにも過小であるとはいえ、今後の情勢に早くも暗雲が立ち込め始めたと言えるのではないだろうか。
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1月 28 (土曜日) 2012
【緊急会見】対イスアード宣戦布告他 03:20   
【国際】対イスアード宣戦布告

フリューゲル暦392年1月28日、普欧帝国はイスアード教主国に宣戦を布告した。戦闘開始は3月下旬となる。

以下は新たに即位した国王ヴィルヘルム2世陛下の対イスアード宣戦を行う異例の即位演説の一部である。

「昨今のイスアードは他国に対する冒涜的態度のみならず、ノイエクルス連邦への信徒を利用した自爆テロの可能性を

我が国に示唆した。我々は、かの国が秘密裏に送付した文章をその証拠としてここに示す。

14105:国家外交団 >(秘) ここで我が国が融和的な態度を示せば国内の信徒が自爆テロを起こすことも予想されますので。 (イスアード教主国)

私はイシュトルード教徒がこのような愚かな行為に走る狂信者ではないと確信している。

邪悪なるイスアード政府は信徒を利用し、他国を恫喝して己の醜い欲望を満たさんと画策する卑劣漢である!

我が国は善良なるイシュトルード教徒を救うため、かかる政府は断固たる手段を以って粉砕する決意を固めた。

これは私一個人の決断ではなく、全国民が公正なる選挙で示した民意によるものである。

普欧帝国とその気高い臣民は邪悪なイスアード政府を許しはしない!」

この布告がケーニヒスベルク練兵場の即位式典場にて宣言され、ラジオで帝国全土に発信された結果、

帝国は史上空前の騒ぎに包まれた。ある者は国王万歳を叫び、ある者は帝国万歳を叫び、またある者は憂鬱な顔を見せた。

国民の熱狂とは裏腹に翌日の帝国為替市場の数字は大きく混乱し、経済は数日間相当な打撃を被った。

ベートマン内閣は早くも失敗を犯すこととなったが、宰相は旧中央党政権から商工務相を務めるミュラー氏の手腕をもってしても

今回の経済混乱は避けられなかったとコメント、ミュラー氏の手腕には高い評価があるだけに一定の説得力があった。



【社会】王位継承に関する王族担当官の説明

王位継承序列1位のカール3世殿下は現在55歳で咽頭ガンを患っており、体力的に国王就任は不可能である。

このため、王位継承序列2位で前国王カール2世陛下の甥に当たるヴィルヘルム公の国王就任が決まった。

ヴィルヘルム公の父に当たり、カール2世陛下の弟にであるヴィルヘルム公(初代)は自動車事故で既に死亡しており、

カール3世殿下に嫡子がないためヴィルヘルム公が王位継承序列2位となる。



【軍事】イスアード派遣軍の司令官にノイハウゼン公フリードリヒ3世が就任

普欧陸軍参謀本部は対イスアード宣戦を受け対イスアード作戦計画を策定、国王陛下に上奏した。

派遣軍の司令官にはノイハウゼン公フリードリヒ3世が就任し派遣される陸海空軍の全てを統括する。

ノイハウゼン公は近衛擲弾兵師団長、第5軍管区長官を務めたベテランであり、国王陛下の信任も厚く、

異なる軍の統括にも十分な力量を有している。そのため今回の派遣軍司令官に抜擢された。
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【緊急会見】総選挙開票の子細他 01:13   
【社会】総選挙開票の子細

フリューゲル暦392年1月16日、イスアードを巡る国際情勢の急激な変動を受けて実施された総選挙の開票が行われた。

結果は驚くべきものであった。対イスアード強硬策を主張した進歩党は議席数を大幅に伸ばし206議席を獲得、

戦争遂行をも視野に入れた同党の強硬策が国民の支持を得たことは帝国の歴史において衝撃的な事態である。

かつての植民戦争の記憶から平和主義に則った外交を展開してきた我が国において、

このような結果が出たことは時代と世代の移り変わりを如実に示したものと言えるだろう。

逆に反戦を主張した社会民主党、共産党は議席数を減らす結果となり、同党指導部が受けた衝撃は計り知れない。

開票結果は以下の通り。

進歩党 206議席

中央党 103議席

キリスト教民主同盟 100議席

社会民主党 7議席

共産党 3議席

その他 31議席

この結果により、これまで政権の中心を担った中央党はその地位を大幅に低下させ、進歩党との連立を余儀無くされると思われる。



【政治】挙国一致内閣の成立

総選挙の翌日、進歩党と中央党は連立内閣の成立に合意し、組閣が行われた。

宰相にはビューロー侯爵に代わってベートマン・ホルヴェーク侯爵が就任、外相はヤゴー氏がツィンメルマン氏に交代した。

ベートマン・ホルヴェーク宰相は議会の就任演説にて以下の声明を発した。

「イスアードを取り巻く情勢は近日中に急展開を迎えるだろう。我が国はこれに備え、挙国一致内閣を組閣する。

ノイエクルス連邦の動向は17日現在不明であるが、イスアードがかの国の要求を拒否したため、

近日中に何らかの動きを見せると思われる。我が国は戦時体制への移行準備を行い、これに備えるものである。

植民戦争以来、我が国は武力行使を慎んできたが、しかし国民はイスアードに対し懲罰を求めている。

誠に遺憾ながら、武力行使も視野に入れて我が国は今後の推移を見守ることとする。普欧の正義に神の祝福あれ。」

なお、本演説から1週間足らずの間にノイエクルス連邦は対イスアード宣戦に踏み切った。



【政治】国王カール2世陛下、退位を表明

同じく総選挙の翌日、国王カール2世陛下はラジオにて以下の声明を発し、退位を表明した。

「親愛なる国民の諸君、私はこの度の選挙の結果を非常に憂いている。私が議会政治を導入せんとしたのは、

諸君らのエネルギーが普欧の発展に不可欠であり、この国をより良い方向へ導く舵取りとなると信じたためである。

しかし、今回の選挙で諸君らが戦をも望み、普欧の未来に影を落としかねない選択をしたのは私にとって深い悲しみである。

もはや私にはこの国を導いていくだけの力は残されていない。またこれまで大権を振るうことも望まなかった。

これは私一人の力量で国を動かしても良い結果とならないだろうと考えたからだ。

私は諸君らの舵取りこそ普欧を良き方向へ導くと信じた。確かにイスアードの取った行動は国際社会に悪影響を与えただろう。

しかし、だからといって我が国が武力を振るうことが国際社会にとって良いものとなるかは別の問題である。

私は無能と呼ばれるだろうし、臆病者と呼ばれるかもしれぬ。だが、私が父のように国を導く立場にあったならば、

決して他国との戦争は行わないだろう。だが、諸君は違う道を選んだ。私は君たちを止めることはできない。

私が大権を振るえばようやく実現した議会政治は台無しとなるだろう。それだけはできないのだ。

・・・これ以上この国の先を見ることは私にとって辛いことだ。まして玉座に座ってその日を迎えるなど!

・・・私は普欧を戦争に導く政治を生み出した責任を取り退位する。後を継ぐのはあの甥だろう。

彼の方がこれからの普欧には向いているのかも知れぬ。だが、それがいつまでも続くことはないだろう。

神よ普欧を護りたまえ。我らにかかる暗雲をうち払い給え。」

なお、王位継承序列1位の皇太子殿下は咽頭ガンの末期症状を呈しており、王族担当官は即位は不可能であると述べている。

このため2位のヴィルヘルム殿下が即位すると見られる。カール2世陛下はケーニヒスベルク城にて隠遁されるとのこと。
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1月 26 (木曜日) 2012
【緊急会見】イスアード教主国と断交 18:06   
【国際】イスアード教主国と断交

「イスアードと断交せよ!」フィオーレ王国の発表は一夜にして帝国全土にこのような合言葉を作り出した。

先月の宣伝部発表から一週間足らずであるが、この間にフィ王国を巡る事態は急展開を見せた。

イスアードはフィ王国に対し銀の供給と引き換えに我が国と成蘭連邦王国へのフィ王国承認を取りなすと秘密外交を展開、

銀輸出国としての我が国と成蘭連邦王国への影響力を利用し搾取的な貿易を行わんと画策していたのである!

フィ王国は国際情勢の混乱を巻き起こした責任を取ると表明し6ヶ月後の国家解体を宣言していたためこれを拒否したが、

イスアードはこれに対し「了解した。我が国の世界ランクが上がるので早々に放棄してもらいたい。」と返答した。

このフィ王国の発表に際して帝国全土では反イスアード感情が爆発、イスアード大使館は怒りに燃える群衆に包囲され、

「イスアードとは断交だ!」「恥知らずのイスアードは帝国から出ていけ!」「世界の敵!全人類の敵!」と罵声が飛び交った。

間もなく駆け付けた警察により群衆は解散させられたものの、政府内も今回の事件は余りにも危険とする見解で占められていた。

そして騒擾事件の翌日、フィ王国に対する質問状の回答が送付され、イスアードの秘密外交が事実であることが確認された。

報告を受けたヤゴー外相、またイスアードと経済的繋がりの強い商工相は外交関係の調整に頭を抱えていたが、

遅れて会議室に姿を現した宰相ビューロー侯爵は紛糾していた会議を治め、こう言ったという。

「フィオーレ王国は引退を表明しているため、エスタニア共和国とは燃料交渉が見込める、問題は商品供給だが、

イスアード印の商品であればもう国民は買わんよ、それなら有っても無くても同じことじゃないか。

勿論、他国に銀供給を行ってくれるよう交渉を持ちかけるがね。」

「しかし、精密機器の輸入が途絶えれば・・・」という声には「なら代替品を作ればいいさ、普欧重工業は上手くやるよ」と答え、

「何より国王陛下とはイスアードと手を切る方針で一致したからね。私も決意した。あの国との関係は今の貿易を続ける以上に

我が国に災禍をもたらすだろう。商売は信用が第一だ。それに断交しなければ次の選挙で私たちの首は飛ぶだろうよ」

最後の一言が効いたのかは不明であるが、その後会議はスムーズに進行し、昨日未明にイスアードとの断交が決定、

在イスアード大使及び帝国に関係する者の全てに引き揚げが命じられた。



続報

イスアード側に断交を通知した大使は帰国後の記者会見で次のように述べている。

「実に不愉快な出来事であった。断交の通告後、彼らは我が国に取引を持ちかけたのだ。内容はこの通りだ

14107:政府外交使節 >(秘) 銀価格改定協議に応じると回答してもですかな? (イスアード教主国)

かような国と関係を結んでいては我が国の国際的な信用は失われるだろう。断交は間違っていない。」

また、かの国は我が国にこのような通知も行っている。

14107:政府外交使節 > もし貴国が模範的な外交ができる国であると自負するならば、通告から条約失効までの猶予期間があると我が国は確信しています。 (イスアード教主国)

これを受けたヤゴー外相は呆れ顔で記者団に語った。「相手に模範的な外交を求めるのであれば自国もまた模範的な外交を

心がけるべきだろう。不実な要求を行っておきながら、このような態度を取るとは厚顔無恥も甚だしい。

我が国は公正なる相手とは公正なる取引を約束するが、不実の国に与える温情は持ち合わせていない。」
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