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龍鮮戦争とは478年に勃発した龍鮮における内戦。
北部の共産主義政府と南部の資本主義政府による内戦だが、周辺国の介入を招き、事実上の代理戦争となった。

龍鮮戦争
北側呼称:祖国解放戦争
南龍鮮側呼称:共匪掃討戦役
中夏側呼称:抗石援香戦争
www.epochtimes.jp_m37607.jpg
京城市内を空爆する北龍鮮軍
交戦期間
477年12月3日~478年12月8日
開戦理由
香麗民主連邦政府の樹立宣言(北龍鮮成立)と南龍鮮側の鎮圧行動開始
結果
龍鮮王国側(龍鮮連合)の勝利、中夏人民共和国香麗民主連邦崩壊
場所
龍鮮半島全土、紅海上及び東海上
交戦勢力
香麗民主連邦, 068.png香麗民主連邦
中夏人民共和国, 106.png 中夏人民志願軍(中夏人民共和国)
フリュー・ソビエト, 113.pngフリュー・ソビエト義勇軍(フリュー・ソビエト)
成蘭連邦王国, 125.png成蘭共産党青年団(成蘭連邦王国)
龍鮮王国, 112.png龍鮮王国
大石動帝国, 081.png大石動帝国(大石動帝国領秋津州)
エルジア共和国, 104.pngエルジア共和国
ノイエクルス連邦, 108.pngノイエクルス連邦
ファルケン反共義勇軍, 142px-Non_Hammer_and_sickle_svg.pngファルケン反共義勇軍
戦力
約230万(北側発表)約190万
指揮官
香麗民主連邦, 068.png金成日
中夏人民共和国, 106.png宋英恵
中夏人民共和国, 106.png王浪士
龍鮮王国, 112.png朴安哲
龍鮮王国, 112.png姜英哲
大石動帝国, 081.png高野直
エルジア共和国, 104.pngジャン・ルイ
ノイエクルス連邦, 108.pngバスコ・ブエンディア
ファルケン反共義勇軍, 142px-Non_Hammer_and_sickle_svg.pngフェルディナント・ファルケンベルク

背景 anchor.png

477年11月頃から、世界各地で起こる共産主義革命について、龍鮮労働党は議会主義路線を掲げる右派と暴力革命路線を掲げる左派とに分裂し、内部ゲバルトが活発化。左派は独自に私兵を募集する等、行動が過激化する一方であった。
龍鮮王国政府はそのような状況を見逃す事はなく、別件逮捕等で対処を行っていたが、12月に入ると中夏共産党から支援が実施され急速に勢力を拡大。龍鮮労働党左派は各地で住民を取り込みつつ香麗共産党を名乗り、12月3日鏡咸道興咸市にて武装蜂起を行った。

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経過 anchor.png

当初は地元警察が対応していたが、暴動の規模が大きくなるにつれて警察では対処出来なくなり、地方軍が鎮圧に動き出す。
香麗共産党は478年1月11日、香麗民主連邦政府の樹立を宣言した。直前に共産主義政府を樹立していた中夏人民共和国はこれをいち早く承認し、15日には龍鮮王国との国交を断絶し、16日に香麗民主連邦(北龍鮮)との外交関係を樹立した。
中夏政府は北龍鮮政府に財政・技術・物資の面で多大な援助を行ったが、戦線は1月末にはこう着状態に陥った。
2月1日に中龍国境緑鴨江を40万~60万の兵力(中夏発表では70万)が渡河した。中夏政府はこれらは全て義勇軍だと説明したが、戦闘機や戦車など、正規軍にしかそろえられない装備を多く所有していたため、当初から正規軍による軍事介入と国際的に見られていた。
わずか数時間で南龍鮮の国境防衛部隊は殲滅され、2月5日に香麗共産党軍と合流に成功した。2月10日、南龍鮮政府は石動政府に援軍を要請し、石動側は5万の兵を派遣する事を即日決定した。2月26日に平原の戦いで南龍鮮軍は敗退し、壌平郊外に共産軍先遣隊が展開することとなり、市街地は共産軍の砲撃に悩まされる。2月27日には石動軍が到着し、海上から砲撃支援などが実施される。3月3日には壌平市街地は完全に共産軍に包囲される事となり、壌平市司令官は市内を脱出。同日午後には共産軍が沿岸地域をほぼ全域を抑える。
3月15日に石動政府は秋津本島から徴兵した兵4万を増派することを発表し、21日までに石動軍陸海空合計10万人の兵力が龍鮮に到着した。同日壌平市は防衛軍の善戦虚しく陥落し、北緯38度線以北は完全に共産軍に占領された。
3月22日、共産軍は38度線より戦車部隊を先導し南下前進を開始したが、元秋津軍士官だった南龍鮮の白善仁大佐指揮下第1歩兵師団によって2日間防衛に成功。さらに24日には石動軍はさらに5万人の増派を行い戦力の増強を実施。しかし人海戦術を取る共産軍は徐々に南龍鮮側防衛軍の戦力をすり減らしつつ南下を続行し、25日早朝には京城市街地より13キロ地点にまで陣営を構築を許す結果となった。既に火砲の狙撃範囲となったため、占領地域から京城市街地は鉄の暴風に晒される事となり、南龍鮮側は脱走兵が続出する等士気が大幅に低下していった。27日に石動海軍は巡航ミサイルを京城包囲をする共産軍に向けて発射するも、ほとんど効果はあげられず、一方共産軍は首都京城5キロ地点に到達。3月31日、ノ連議会は中夏人民共和国を非難する決議を採択し本問題について協議を開始。31日正午、京城市街地に共産軍が突入。国王は午前中に市内から軍用機で脱出し、残された市民200万人は戦火にさらされる事となった。

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年表 anchor.png

478年2月1日 人民志願軍が緑鴨江を渡河し龍鮮北部国境を越境。
478年2月10日 龍鮮政府の要請を受け、石動軍が近衛第一師団、第六・七師団、武装親衛隊第二師団派遣。龍鮮軍と人民志願軍が戦闘入り
478年 2月26日 香麗・中夏連合軍の人海戦術に龍鮮王国軍苦戦、壌平市まで退却。
478年2月27日 東海に戦艦アマテラスほか重巡2隻、軽巡6隻を派遣。香麗へのミサイル攻撃も予定。
478年 3月3日 戦線が壌平市郊外に到達。西部方面で紅海沿岸地域を南下開始。
478年 3月15日 石動政府、陸軍約5万に加え、秋津州軍4個師団を追加派遣。
478年 3月21日 香麗共産党軍及び人民志願軍は38度線以北のほぼ全域を制圧したと発表。
478年3月22日 龍鮮王国軍第一歩兵師団長白善仁(ペク・ソンイン)大佐、38度線で敵軍の撃退に成功。
478年3月24日 龍鮮へ陸軍第一~第四師団約五万を増派。派兵兵力は秋津州軍を含め約15万か。
478年3月25日 人民戦線軍が占領地域内から京城市内に集中砲撃開始。
478年3月27日 石動海軍戦艦アマテラス、共産軍砲兵展開予測地域に巡航ミサイル1発を発射。共産軍が京城近郊5キロ地点に到達。
478年3月31日 ノイエクルス連邦議会、中夏による龍鮮介入を非難。連邦最高評議会は非常閣議を招集。京城の戦い開始。龍鮮・石動連合軍、京城に突入した香麗・中夏共産軍を迎撃。龍鮮国王は太邱に避難。
478年4月1日 本国での戦争に関して蔡州道政府は南龍鮮政府支持を発表。
478年5月10日 龍鮮軍の白善仁准将が共産軍の太邱5月攻勢を全て撃退。
478年5月17日 香麗民主連邦軍が京城を無差別爆撃
478年5月20日 龍鮮政府は京城を放棄し太邱に転進
478年6月5日 成蘭連邦王国がノ連の外交姿勢を批判「外交姿勢に疑問を抱かざるを得ない」
478年6月21日 龍鮮・エルジア・大石動連合軍(以下龍鮮連合軍とする)が京城を制圧
478年6月23日 龍鮮連合軍が38度線まで進軍 エルジア空軍が制空権も確保
478年8月10日 ノイエクルス連邦軍が香麗民主連邦支配地域を一斉空爆
478年10月1日 香麗民主連邦軍はノイエクルス連邦の構成国である南瓜共和国に大量のミサイル発射
478年10月4日 龍鮮連合軍と香麗民主連邦軍が壌平で衝突 ここから16日までに至る激戦を「壌平会戦」と呼称
478年10月16日 壌平を龍鮮連合軍が奪還
478年10月18日 成蘭連邦王国加盟国会議は「ノイエクルスの武力的介入は事態の悪化にしかつながらない」との決議案を採択
478年10月20日 ノイエクルス連邦外務省は龍鮮からの難民到達を発表 終戦後の送還事業も明らかに
478年12月8日 龍鮮連合軍が緑鴨江に到達 百頭山に国旗を掲げ龍鮮統一を宣言 終戦

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影響 anchor.png

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龍鮮王国 anchor.png

この戦争において北部龍鮮は南北両軍の激しい衝突とノイエクルス軍による空襲で著しく荒廃し、復興は難航を極めたが、卓越した戦争指導と復興指揮を行った姜英哲首相に対する国民の信頼は高まり、全権委任法可決、愛国行動党一党独裁が成立する。外交面では先進国の多くが「平和的交渉」を唱え、香麗の拡大を許したことが、龍鮮国民のFENA(普欧帝国陣営)・ATO(レゴリス帝国陣営)に対する不信感を強め、対して直接、軍を派遣し龍鮮国軍と共に戦った大石動帝国エルジア共和国ノイエクルス連邦への好感へとつながった。そして大石動帝国崩壊後の龍鮮外交はノイエクルス連邦への事大主義が支柱となっていく。
また、成人男性が多く死傷したことは、後のオセアニカ・アースガルド戦争時の兵員不足につながることになる。

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香麗民主連邦 anchor.png

敗戦後、香麗共産党の金成日委員長は普欧帝国へ亡命し、その後行方不明となっていたが崔承朝(現在の香麗民主連邦大統領)一派により暗殺されたことが発覚する。
香麗共産党の残党は龍鮮各地に潜伏しシンパを増やし、487年に大規模な暴動を起こすが鎮圧され壊滅した。
一方、約3万の人民軍部隊を率いて旧中夏人民共和国萬州に逃れ戦力を温存した崔承朝は萬州に跋扈する匪賊・軍閥と手を結び越境攻撃・盗賊行為を行わせた。
489年に大幹帝国軍は萬州に出兵、匪賊を掃討し萬州連合自治政府を建設する。崔承朝は兵力を温存するため、檬古まで退却し反攻の機を伺っていた。
そして、オセアニカ・アースガルド戦争が拡大し萬州駐留軍も前線に動員されると、崔承朝の香麗人民軍は檬古から萬州へ侵攻し萬州自治政府軍を打ち破り幹萬国境まで進んだ。
大幹帝国が連合に対し無条件降伏し、香麗民主連邦再独立が決定されると、この機に乗じて、緑鴨江を越えて幹国へ侵攻、疲弊した幹国軍は人民軍に敵わず、崔承朝は悠々と壌平を占領し、「香麗民主連邦建国準備委員会」を名乗り、ミッドガルド帝国を中心とする連合に承認を求めた。
龍鮮半島に上陸した連合軍は崔承朝を正当な指導者と認め、崔承朝は「香麗労働党」を組織した。対立候補を私兵を使って暗殺し公然と妨害を行った崔承朝は香麗民主連邦初代大統領に就任した。

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大石動帝国 anchor.png

大石動帝国にとってこの戦争は、天理教勢力から国土を取り戻した「菜良島奪還戦争」に次ぐ実戦だったが、民兵程度の天理教国軍と違い、石動軍に立ちはだかった敵は数十万の人海戦術を展開する大敵であった。
この戦争で得た経験は新兵器開発へと役立っていくことになる。
また、この戦争の勝利は政治的に石動・龍鮮国家社会主義勢力の中夏・香麗共産主義勢力に対する勝利を意味しており石動政府と石動国民に強い自信を与えた。

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エルジア共和国 anchor.png

龍鮮王国を除く参戦国の中では最大規模である30万もの兵力を派兵、龍鮮王国勝利に大きく貢献したエルジア共和国は戦後、太邱に駐屯地を建設し龍鮮の防衛に協力を惜しまなかった。エルジア軍の駐留はオセアニカ・アースガルド戦争中期まで続き、空軍士官として勤務していたジャン・ルイ元首相の戦死という悲劇を招いた。(一説によれば、ジャン・ルイ元首相暗殺を指示したのは香麗人民軍工作部隊を潜伏させていた崔承朝とも言われている。)

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ノイエクルス連邦 anchor.png

ノイエクルス連邦軍による爆撃は共産主義陣営の大軍の補給路を殲滅し、龍鮮連合軍の北進を助け香麗の敗北を決定付けたが、先進国の多くはノイエクルス連邦の行為を「帝国主義」と批判し反ノイエクルス感情を高め、オセアニカ・アースガルド戦争の遠因となった。

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世界全体 anchor.png

龍鮮戦争前、フリュー帝国(現貴族帝政ポートランド)・スオミ王国成蘭連邦王国中夏人民共和国とフリューゲル全体に広がった国際共産主義運動は龍鮮戦争の敗北によって衰退していった。
龍鮮一国の犠牲がフリューゲル全体を共産主義から救ったと言うことができる。


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最終更新: 2013-12-15 (日) 10:11:27 (JST) (1984d) by ryusen