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フリュー通信  帝国連邦のあらゆる国の報道を提供いたします。
12月 16 (火曜日) 2014
パラベラム通信第21号『チャーチル氏、銃撃さる』 01:34   
561年 3月24日 



チャーチル首相の忘れ形見であり革新派の代表を務める『サー・ロザリンド・グレッグ・フォーミーリアー・チャーチル』氏が銃撃された。この銃撃には3基もの重機関銃が使用され、防弾仕様の車両に乗っていたチャーチル氏は左腕を失う重症を負い、同乗していた運転手含める4名は死亡した。



『ライシャワ市』における代表銃撃事件は左派のポートランドリベラル派軍人らによる犯行であることが判明。革新派の間に衝撃が走った。後任は強硬派であり、ドライズ連邦総統であるドライズ社会党総統である『ハルヴェルト・ヴァイス・フォン・ゲトラルス』氏が代表に就任、辛うじて革新派は空中分解を免れた。ゲトラルス氏はミッドガルド帝国軍による衛星兵器の使用を今後は一切行わないように、要請した。また、各革新派構成国において強権的な『戒厳令』を実施、戦争遂行における平和的デモ、批判活動に大規模な取り締まりが行われる事となった。



561年 6月20日



『レフェールニーヤルテット・ディアト・フェリアート王国』が成立



ファシズム勢力の拡大を図っていたゲトラルス氏は代表就任を機に更なるファシズム勢力の拡大を図り、もとよりファシズム的な志向と独立機運が高まっていた、カントリーサイド南部を『レフェールニーヤルテット・ディアト・フェリアート王国』として独立させるよう大評議会に要請。

受け入れられない場合はゲトラルス氏が代表を辞任すると強気な態度で挑んだ。

最終的にレフェディアート王国の独立が承認され、新たに革新派に加わった。



564年 12月30日



『限定戦線協議』が行われる。



『サー・バーナード・アローニ・フロスト・モントメリー』元帥ら革新派上層部と『セルヴィナ・アンドロポフ・ユリスキー』元帥ら保守派上層部らがフィルデリア首都『ケリャニャ』において『限定戦線協議』と呼ばれる都市部に対しての長距離砲、及び重迫撃砲等の重火砲兵器の使用を禁止する協定が結ばれた。ミッドガルド帝国による衛星兵器攻撃は実質の所ミッドガルドが宣伝するほどの効果は上げられなかったものの、今後も無制限に使用されれば大規模な被害を受けることは想像に難しくなく、保守派としてはこれらの手段の使用を確実に封じておく必要があった、一方で革新派も保守派の長距離砲がフィルデリア首都を射程内にとらえている事をユリスキー元帥が仄めかすと、応じざる負えなくなってしまった。事実であるなら重大な問題である、事実でないとしても締結しない場合フィルデリア=ランドハルトの反発が予想された(フィルデリアが被害を被ることになるため。)為に、協定締結が両者の同意の上行われた。



写真はフィルデリア首都を射程内に捉えて配備されていると言われている列車砲10両の内の一両『ユリスキー』
name: @Guest  Comment:
11月 09 (日曜日) 2014
パラベラム通信第20号『戦線進展せずか?』 21:09   
559年 12月

革新派は各支持国家(ポートランド=カントリーサイド連合王国、DLLF(ドライズ=ラーロルシャーシーユープ=ルクスブルグ=フレン複合体)、ルバニア王国、フィルデリア=ランドハルト連合王国)の構成地域の中から独立の声が高まっていた各地方、DLLFが管理していた『ドライズ地域』、『フレン地域』、『ルクスブルグ地域』、さらにポートランド=カントリーサイド領である『ルーミニア地域』、『ブルゴーア地域』をそれぞれ『ドライズ連邦』、『ルクスブルグ共和国』、『フレン大共和国』、『ルーミニア王国』、『プルゴーア王国』の独立と可能な限りで自治権を承認した。



この交換条件として革新派首脳部は各国に保守派との戦争への協力を求め、各国はそれを承諾した。





写真はプルゴーア王国首都『ソファヴェナ』において新設される『プルゴーア国民軍』の様子
name: @Guest  Comment:
10月 31 (金曜日) 2014
パラベラム通信第19号『ルーチ市の奇跡』 00:38   




画像はルーチ市包囲に於ける強固に抵抗するピウツカ所属の志願兵。





558年2月30日



革新派ポートランド=カントリーサイド領であるダンツフ港にレゴリス帝国軍、軍2個規模が到着。

これは革新派にとって待ち望んでいた事であった。



しかしおそらく革新派、保守派、両派にとって最も大きな出来事は557年11月25日に落下した『巨大隕石』であろう。ライシャワ構成地区の一つであり実質上の最前線都市であった『ルーチ市』は労兵赤軍5個軍団(約50万程度)に半包囲され激しい市街戦に突入していた、この『ルーチ市攻防戦は』555年の6月から実施されており、約2年もの間激しい戦闘を繰り広げていた。

この戦闘に参加していたのは革新派王国近衛第2騎兵師団、王国第2騎兵師団などの精鋭部隊と20万もの王国突撃軍『ピウツカ』(ルーチ市等からの緊急徴兵軍)であり、ピウツカに至っては5万近くにまでその規模を削られていた。

ルーチ市が陥落すればライシャワにおける猛烈な市街戦は不可避であり、革新派の命運も尽きていたとも言われるが、落下した巨大隕石により労兵赤軍の補給は途絶、また予備軍として備えてあった30万以上の将兵と10万以上の火砲が喪失したと言われ、さらにルーチ市からの撤退を余儀なくされたものの赤軍が撤退に転じる前にシコルスカ元帥率いる『王立近衛第一師団』が一日30キロもの快速で進撃し(この時赤軍はルーチ市包囲強化の為に戦力を南下していた。)フィルデリア=ランドハルト連合王国領まで到達し、これによってフィルデリア=ランドハルトも革新派を支持し挙兵したため、ルーチ市包囲に参加していた100万近い将兵が降伏または全滅される形となった。労兵赤軍の規模は現在1000万近くであり、全体としては大きな損害ではないと言われるものの赤軍上層部が受けたショックは大きなものであった。



現在は、フィルデリア=ランドハルト領を挟む形で両軍対決しており、今後もフィルデリア=ランドハルトが主な主戦場になるのではないか?と予想されている。



【人物】チャーチル首相の忘れ形見である『サー・ロザリンド・グレッグ・フォーミーリアー・チャーチル』氏は少女ではなく少年?! 一部議員の間で広まる噂。



【人物】革新派エデレス軍モントメリー元帥、ジールオール元帥。早くも作戦方針でレゴリス総司令官ターニャ・ディブリーク陸軍上級大将と対立か?

代表議会は調整役としてロリュー・アレックス大将を参謀総長として選抜した模様。



name: @Guest  Comment:
10月 06 (月曜日) 2014
パラベラム通信第18号『王都ライシャワ無血開城』 13:04   
554年2月10日



王都ライシャワにおいて近衛騎兵師団による武装蜂起が行われた。

反乱の首謀者ポートランド=カントリーサイド王国軍元帥『ヴィディ・ピウスツキ』は、王女、大公の二重王国を再興する為と宣言し、翌日の11日には王都ライシャワに進軍した。

この時の反乱軍戦力は、近衛騎兵名誉旅団『カルメル近衛騎兵旅団』を有する精強な軍団であったものの其の規模は僅かに2万人程度であり、王国軍最大規模の師団とはいえその総戦力は『王立近衛第一師団』のみであった。

しかし、王国軍の陸相であり王国軍元帥を務める『ゴードン・フレウィストン』陸軍元帥は王国軍同士の衝突を忌避し、また王国首脳陣と交渉を求めたピウスツキ元帥との交渉の後に王国首脳陣が王国再興の為と称した戦いを支持し、改革派の立場に立ち保守派に宣戦したため、この武装蜂起の目的は達成されてしまった。



ポートランド=カントリーサイド王国が改革派支持に回ったことで、チャーチル首相の忘れ形見である『サー・ロザリンド・グレッグ・フォーミーリアー・チャーチル』を初めとする改革派はその勢力を大きく伸ばしたものの、保守派はエルツ内戦で勇名を馳せた『セルヴィナ・アンドロポフ・ユリスキー』元帥率いるフリュー軍と、フリュー労兵評議会勢力を味方に付けており、改革派はモルクグラードを離れることとなった。

一方でルバニア王国もまた改革派支持に回りつつあり、保守派は四面楚歌の状況に陥っていると言っても差し支えない。



保守派の代表であり連合議会副議長である『グロンスター・チェンバレン』は民主主義を護るために戦うと連合議会において宣言、保守派勢力の結束力の強さをアピールするのが狙いともみられる。







写真は『ロキョーコー事変』を勇敢に戦った『ポートランド=カントリーサイド第7公国近衛騎兵師団』の様子。(王国においては師団名などを変えない場合も多く、特に勇敢な、精強な部隊などはその名誉として師団等を引き継ぐようである。)
name: @Guest  Comment:
9月 29 (月曜日) 2014
パラベラム通信第17号『義勇軍、帝国軍との本格的な消耗戦へ突入か?』 00:54   
帝国軍との戦闘においてケールン大聖堂方面の第二地域軍はその規模を20万人規模にまで損耗し、事実上の壊滅状態に陥ったものの辛うじて戦線を維持している。



また、北部攻勢を試みた第三地域軍は一部帝国軍の包囲殲滅には成功したものの最も損害が多く、現存している兵員数は10万人以下にまで低下したものの、巧みな遅滞戦術により第二地域軍との共同戦線構築に成功した。



またセルヴィナ・アンドロポフ・ユリスキー元帥直轄の第一地域軍は東部から上陸してきたレゴリス帝国軍三個軍との戦闘を開始している。水際阻止を当初から諦め大聖堂、及び港方面までの広域戦線を構築、強力な火砲を誇る、赤軍義勇軍砲兵軍における阻止砲撃により敵軍を大規模な消耗戦へと引きこむのが狙いのようだ。また、第四地域軍は南部での広域な戦線維持を端から放棄し、その戦線を東部港近辺まで後退させた。第一、第四地域軍はほとんど損害を受けておらず、其の規模は約100万人にも及び、第三、第二地域軍の大きな損害を受けても尚、その力を維持しているようだ。



セルヴィナ・アンドロポフ・ユリスキー元帥は第二、第三地域軍の壊滅的な被害を省みて、戦略を砲兵中心による砲撃戦線ドクトリンへと移行させたようだ。

強固な臨時要塞を築きつつある大聖堂方面及び、上陸に備えられて構築されている強固な防衛ラインは敵国軍の戦意と戦力を確実に削り取る。とユリスキー元帥は語った。
name: @Guest  Comment:
6月 08 (日曜日) 2014
パラベラム通信第15号『統一政府の思惑か?』 17:26   
4月8日



ルバニア王国の保護領であるサザンベルク公国に対してヴォルネスク統一政府軍は『ロキョーコー鉄道を爆破されたとして西進を開始した。』

統一政府軍はミッドガルド軍の強力な火力支援を受けており、まるで爆破事件がその日その時に起こることを予期していたかのような手際により急速に進撃を開始した。





『奴等は未だに軍事力で全てを正当化出来ると思い込んでいる。ここまで杜撰でお粗末な外交は未だかつて見たことがない。奴等は野獣だ、それも無限大の服従を求めてやまない侵略志向者だ。平和主義者などと恥知らずな主張ができるのもその賜物だろう』とチャーチル連合国首相は辛辣に統一政府の手腕を批判した。



公国軍は旧式の装備とままならない予算の制約上抵抗らしい抵抗もかなわず撤退。







写真は対戦車砲で反撃するポートランド=カントリーサイド第7公国近衛騎兵師団の歩兵。
name: @Guest  Comment:
5月 29 (木曜日) 2014
パラベラム通信第14号『ウィンティアに置ける完勝』 14:23   
532年5月5日



素早く予備戦力とフィルデリア=ランドハルト国境に集結させた同盟軍は(近衛軍2万、フリュー軍赤軍28万、ルバニア王立軍2万、約32万人)セルヴィナ・アンドロポフ・ユリスキー フリュー赤軍陸軍元帥の指揮の元フィルデリア=ランドハルト地方に侵攻した。初戦においてアルバート・フォン・ウーフー准将の指揮する、『ヴェアヴォルフ戦車師団』はセミョフ・オルヴァ・ロンヌイ赤軍中将の指揮する『トチェス重騎兵旅団』と共同し臨時政府の置かれるフィルデリア=ランドハルト首都『ケリャニャ』まで迫った。

一方で北部のウィンティア方面から突破を試みた狙撃師団、重戦車師団から構成される赤軍20万もの軍集団は5月8日の時点で早くも侵攻を阻まれることとなるウィンティア地方は海に面しておりエデレス海軍による苛烈な沿岸砲撃に晒されたのである。

この沿岸砲撃にはエデレス海軍の誇る戦艦 HMS インヴィンシブル級『インヴィンシブル』、2番艦の『インコンパラブル』さらに大型軽巡洋艦 HMS リベンジ級『リベンジ』、戦艦 HMS ユナイテッド・ステーツ級『ユナイテッド・ステーツ』の現存戦力の動員可能な主力艦を全て動員した大規模な物であった。同盟軍側には対処出来るだけの海軍戦力が存在しなかった。



さらに5月時期でも豪雪地帯であるフィルデリア=ランドハルト地方の特異な気候がさらに赤軍にとって不利に働いた。特にウィンティア地方はインフラが劣悪であり整備された道路は極めて少なかった、重戦車や大型の火砲を有する赤軍は一本道の道路を細々と進軍するほか無かった。



20万の赤軍軍集団に対して連合軍は僅かに3万人規模しか配備されておらず(フィルデリア=ランドハルト貴族軍1万、エデレス軍1万、フリュー白軍1万。これはモルクグラード方面の戦力移動が遅れたためと首都『ケリャニャ』方面の防衛を再優先した結果であった)またもや圧倒的に不利な戦いを強いられた。



しかしスキー兵による襲撃や、重戦車、超重戦車をカモフラージュした待ち伏せ戦法によって赤軍軍集団は混乱の極みに突き落とされる。さらに夜間にはエデレス海軍によって絶え間なく砲撃が行われ、シェルショックに陥る将兵が続出した。

さらにウィンティア方面を指揮する『ナー・クレメンテア・ピートニス・クレベア・ニコレー・プレンタ・カーワイー元帥』フィルデリア=ランドハルト第二護国卿はゲリラ戦術を得意とし、やっとの思いで村を占領した赤軍部隊は民兵に返り討ちにあう羽目となったのである。とはいえ、戦力に乏しいウィンティア方面軍はついに反攻に出ることはなかった。











同年5月15日にはモルクグラード地方から連合軍10万人(フリュー白軍4万、エデレス軍4万、フリュー傭兵軍2万)がウィンティア地方の赤軍軍集団を攻撃、5月30日に降伏。(赤軍兵10万人が捕虜となる)

6月4日には首都『ケリャニャ』方面の同盟軍も包囲を警戒して撤退。(ケリャニャ方面の同盟軍戦力は約近衛軍2万、フリュー軍赤軍28万、ルバニア王立軍2万、約32万人、フィルデリア=ランドハルト国境に集結させたほぼ全戦力)ケリャニャ方面は赤軍と王立軍の秩序のとれた集中攻撃により崩壊の危機があったものの北部のウィンティア地方の赤軍が敗北すると同時にその脅威は消え去った。



6月30日にはサー・ラインメーデ・グレッグ・フォーミーリアー・チャーチルの提案によりルバニア王国の王都『ルヴァンシュヴァ』への強襲上陸が行われた、『ルヴァンシュヴァの戦い』

この戦いにおいて今度は同盟軍が劣勢に立たされた、同盟軍2万(赤軍1万、ルバニア王立軍1万)に対して連合軍は10万人もの規模の戦力を投入した。(エデレス軍8万、フリュー白軍2万)



しかし同盟軍側は精鋭旅団の『8月5日』、ルバニア武装親衛師団『ツヴァイ・ルバニア』を有しておりその練度と装備は極めて優れていた。また、連合軍の強襲上陸を予想していた同盟軍はすでに上陸にたいして防衛戦を敷いていた。

同盟軍指揮官はルバニア国王『ブラード・ウェルブ・フォン・ヴィルガーズ』



対する連合軍指揮官はエデレス海軍卿『サー・アークディントン・エリーザベート・デイブリン』海軍元帥であった。



橋頭堡を確保することには成功した連合軍であったがその後は、被害を抑えつつ反撃する同盟軍に対して始終苦戦を強いられた。これはエデレス陸軍兵の練度不足、下士官を狙撃されることによる指揮系統の一時的な混乱(エデレス士官は勇敢すぎる傾向にあった)が主な要因であった。

7月2日からは海軍による援護砲撃が本格的に行われ始める。戦艦インヴィンシブルと2番艦インコンパラブルによる51.8cmの砲撃は効果的であり、軍都『ルヴァンシュヴァ』の防衛設備に壊滅的な損害を与えた。



しかし、一方で陸戦における劣勢は好転しなかった、7月4日には白軍新鋭旅団である機甲旅団『ニアコフ騎兵旅団』が4割もの戦力を失い実質『全滅状態』に陥り同日撤退。

さらに7月6日には近衛軍8万が増援として到着し一転して攻勢に転じた同盟軍により連合軍は撤退せざる負えなくなった。

この戦いにおいて連合軍は5万人もの死傷者を出し、同盟軍は民間人、正規軍含めて1万人に過ぎなかった。





撤退直前のアイアン岬ビーチ



両軍はここにきて両者とも決め手を失い、7月20日にはポートランド=カントリーサイド帝都である『ライシャワ』において両軍の首脳陣によって和平条約が結ばれた。



辛く長い内戦は終わりを告げた。

兵士諸君は家に帰るのだ。
name: @Guest  Comment:
5月 28 (水曜日) 2014
パラベラム通信第13号『モルクグラード半包囲へ』 02:29   
532年 4月28日



一ヶ月の歳月をかけた同盟軍の攻撃作戦は半分上手く行き、半分失敗したといえる。



アルバート・フォン・ウーフー准将の指揮する、『ヴェアヴォルフ戦車師団』はモルクグラード西部方面においてエデレス軍の構築する防衛線を突破、フィルデリア=ランドハルト地方への進出は果たせないものの後続の赤軍狙撃師団2個規模が到着し更に後続となる赤軍親衛軍がフィルデリア=ランドハルト地方への進出を図っているようだ。



モルクグラードをめぐる市街戦では両軍、非戦闘員含めて既に300万人以上が死傷、行方不明となっており、市街戦は激化。

超重戦車や重戦車を高度に偽装し、待ち伏せ攻撃に専念した連合軍が最終的に勝利を飾ったようだ。



また『レインボー旅団』と呼ばれるフリュー傭兵軍外人部隊による英雄的な活躍も目を惹く。彼等は僅かに6000名程度の規模であるもののモルクグラード攻防戦において大きな役割を果たした。赤軍が都市中心部に進出した際に彼等はロテニヒシュー記念広場周辺に防衛陣を敷いており、市街戦における防衛側の優位性を活かして赤軍の攻勢を4日間(貴族軍の反撃体制が整うまで)もの間止めることに成功している。(後にラーカンス貴族軍元帥によって、重要防衛地点の一つとして『ダグラスの家』と名付けられた。由来はフリュー傭兵軍レインボー旅団、旅団長の『ダグラス・デラノ・ヒューズヴェルト』准将から)



モルクグラード戦では赤軍20万人に対して防衛側の連合戦力は僅かにフリュー白軍2万人、フィルデリア=ランドハルト貴族軍1万人、エデレス軍2万人であり、4倍もの戦力差が存在するものの彼らの目的は連合軍の目をモルクグラードに引き付けておくための陽動作戦であると予想できます。

西部方面に進出した同盟軍はフィルデリア=ランドハルト地方の確保に動員可能兵力を割く可能性が極めて高く、直ちに連合軍はフィルデリア=ランドハルト地方の防衛に全力を注ぐ必要があると断言します。                                   モルクグラード防衛戦を指揮したフィルデリア=ランドハルト国防卿『アルレンド・テイアトーラ・ミーシア・ラーカンス元帥』による連合首脳部に対する作戦報告者から一部を抜粋。





画像はモルクグラード攻防戦における赤軍の様子の一場面。

name: @Guest  Comment:
5月 27 (火曜日) 2014
パラベラム通信第12号『フリュー赤軍によるモルクグラード攻撃始まる』 15:02   
532年 3月30日



『同盟軍』の尖兵たる赤軍は旧都モルクグラードに侵攻、苛烈な砲撃により旧都の城塞一帯が破壊され、臨時議会が置かれる『連合議会本部』、さらに初代ミランダ王女とエーラーン代表との会談の舞台となった『冬宮殿』、さらに二重帝国時代に作られた『マズルカ』城も半壊した。

またその後の赤軍とエデレス軍、フリュー傭兵軍による苛烈な市街戦に突入、赤軍は数の優位性を生かせず撤退。一端は『連合軍』が優位に立つもののモルクグラード市民約40万人あまりが死傷または行方不明となっている。



『連合軍』はモルクグラード中心部にてさらなる防衛陣を敷き、同盟軍の猛攻に抵抗する模様だ。



写真は市街戦に備えてトーチカとして配備されるフリュー白軍の超重戦車『USE-02f ヴェンコ』
name: @Guest  Comment:
パラベラム通信第11号『議会派と国王派の軍事衝突間近か?ポートランド=カントリーサイドは中立の立場を表明』 09:40   
532年 3月22日



ケレンス参謀総長ら議会派勢力は国王派勢力の反対を押し退けエーラーン支持に回る為、『議会の優越性』を主張、半独裁的なスタンスを採る議会に対して国王派はついに軍事的手法による議会派勢力の排除を決定。ミランダII世王、ヴィルガーズ王、スターリナ労兵評議会議長を中心とする『同盟軍』が結成される。



コレに対して議会派はケレンス参謀総長が国防委員長、臨時政府陸海軍代表の座に付き、エデレス首相のサー・ラインメーデ・グレッグ・フォーミーリアー・チャーチルを臨時政府代表として据えた『臨時政府』をモルクグラード、ミディアート宮殿に構え臨戦体制を整えているようだ。



『同盟軍』にはフリュー軍赤軍、ルバニア王立軍、近衛軍で構成され『連合軍』はフリュー軍白軍、エデレス軍、フリュー傭兵軍、フィルデリア=ランドハルト貴族軍で構成されているようだ。



『同盟軍』は正規軍のみで約106万人、『連合軍』は正規軍のみで82万人であり『連合軍』は数的に不利な状況に立たされる可能性が高い。



またこの内戦に際してポートランド=カントリーサイド、DLLFは中立を表明。



総合的な質でも『同盟軍』は精鋭の近衛軍、ルバニア王立軍を抱えており、赤軍の強大な砲兵戦術と人海戦術は『連合軍』にとって大きな脅威となることは間違いないだろう。



チャーチルは臨時政府議会にて『我々は力の限り全力で戦う、決して降伏しない。』と臨時政府の抗戦意思を改めて宣言した。
name: @Guest  Comment:
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