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10月 06 (月曜日) 2014
パラベラム通信第18号『王都ライシャワ無血開城』 13:04   
554年2月10日



王都ライシャワにおいて近衛騎兵師団による武装蜂起が行われた。

反乱の首謀者ポートランド=カントリーサイド王国軍元帥『ヴィディ・ピウスツキ』は、王女、大公の二重王国を再興する為と宣言し、翌日の11日には王都ライシャワに進軍した。

この時の反乱軍戦力は、近衛騎兵名誉旅団『カルメル近衛騎兵旅団』を有する精強な軍団であったものの其の規模は僅かに2万人程度であり、王国軍最大規模の師団とはいえその総戦力は『王立近衛第一師団』のみであった。

しかし、王国軍の陸相であり王国軍元帥を務める『ゴードン・フレウィストン』陸軍元帥は王国軍同士の衝突を忌避し、また王国首脳陣と交渉を求めたピウスツキ元帥との交渉の後に王国首脳陣が王国再興の為と称した戦いを支持し、改革派の立場に立ち保守派に宣戦したため、この武装蜂起の目的は達成されてしまった。



ポートランド=カントリーサイド王国が改革派支持に回ったことで、チャーチル首相の忘れ形見である『サー・ロザリンド・グレッグ・フォーミーリアー・チャーチル』を初めとする改革派はその勢力を大きく伸ばしたものの、保守派はエルツ内戦で勇名を馳せた『セルヴィナ・アンドロポフ・ユリスキー』元帥率いるフリュー軍と、フリュー労兵評議会勢力を味方に付けており、改革派はモルクグラードを離れることとなった。

一方でルバニア王国もまた改革派支持に回りつつあり、保守派は四面楚歌の状況に陥っていると言っても差し支えない。



保守派の代表であり連合議会副議長である『グロンスター・チェンバレン』は民主主義を護るために戦うと連合議会において宣言、保守派勢力の結束力の強さをアピールするのが狙いともみられる。







写真は『ロキョーコー事変』を勇敢に戦った『ポートランド=カントリーサイド第7公国近衛騎兵師団』の様子。(王国においては師団名などを変えない場合も多く、特に勇敢な、精強な部隊などはその名誉として師団等を引き継ぐようである。)
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