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石動和寧日報  旧龍鮮日報、石動移民後、在石和寧人向け新聞として再出発
5月 06 (月曜日) 2013
【国際】秋津列島混乱極まる 10:24   
469年(今上25年)6月、秋津列島を統一した大東亜秋津皇国の順京天皇が崩御された。順京天皇は秋津君主国の政務官で君主国が崩壊した後、民衆を束ねて秋津列島を統一し天皇に即位した人物で、中夏民国に亡命している秋津皇室とは血縁関係はない。(大東亜秋津皇国が中夏民国に公開した情報)

順京天皇の崩御により、秋津列島は再び分裂状態に陥り大東亜秋津皇国政府は一地方政権に転落してしまった。

呉首相は緊急閣議で「領海防衛・離島防衛・海上警備」の強化を決定し、東海に海洋警察と海軍を展開した。



また、旧秋津領で龍鮮統一戦争の過程で我が国に併合された対島、弐岐の防衛のために陸軍離島防衛隊の増強が行われた。



新国家建設から半年での内乱に在龍鮮秋津人社会では不安が高まっている。

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龍鮮日報 第十三号 469年(今上25年)6月15日発行
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Referer  (6)
5月 04 (土曜日) 2013
【国際】秋津列島に新国家樹立 09:48   
【大東亜秋津皇国建国】

468年(今上24年)11月 秋津列島に大東亜秋津皇国が建国された。466年(今上22年)3月の秋津君主国崩壊から、2年を経て秋津列島に再び主権国家が成立したことになる。

同国政府は旧秋津の外交協定・条約を継承するとしている。呉首相は外交儀礼として祝辞を送り、人道支援を行ったが、国交樹立については留保する方針を示した。

また、中夏民国に存在する秋津皇国亡命政府の龍鮮支部は「我々こそが正当な秋津政府である。」と主張している。

我が国には崩壊の際に亡命した秋津人が約100万人居住しており、大東亜秋津皇国政府は帰国支援を要請しているが金完仁内務大臣は記者会見で「国家情報の開示など新政府の詳細が明らかにならない限り、帰国者の安全を確保できない。」と述べ、否定的な見解を示した。

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【在龍秋津人インタビュー】

本紙の崔智賢記者は我が国に亡命した秋津人の山本氏(仮名)に対してインタビューを実施した。

崔記者「本日はインタビューに協力ありがとうございます。よろしくお願いします。」

山本氏「こちらこそよろしくお願いします。」

崔記者「まず、龍鮮での暮らしはいかがですか?」

山本氏「最初は言葉や文化の違いに苦労しましたが、今ではすっかり慣れました。龍鮮語も上達しましたし、ハングルも書けるようになりました。」

崔記者「確かに上手な龍鮮語ですね。ちなみに職業は何をなされているのですか?」

山本氏「元々板前でしたので京城で秋津料理店を経営しています。崔さんも今度是非いらして下さい。」

崔記者「はい、喜んで行かせて頂きます。では、本題に入りましょう。大東亜秋津皇国の建国についてどう思われますか?」

山本氏「秋津が再建したことは嬉しいですし、私も復興のために協力できればと思っています。」

崔記者「秋津へ帰りたいと思いますか?」

山本氏「秋津君主国が崩壊した後、私たちの家族は必死の思いで脱出しました。それに、今は龍鮮で平和に暮らせているので帰りたいとは思いません。」

崔記者「龍鮮の秋津人社会の反応はどのようなものですか?」

山本氏「秋津再建の報に大変喜んでいます。帰国を希望する人と望まない人は半分半分というところです。」

崔記者「龍鮮政府は秋津人帰還を支援するべきと思いますか?」

山本氏「安全が確保されるまではしばらく様子を見るべきだと思います。」

崔記者「分かりました。今日はお忙しい中協力していただいてありがとうございました。」

山本氏「こちらこそありがとうございました。」

崔記者「안녕히 계세요. (アンニョンヒ ケセヨ /さようなら・残る人に向かって言う)」

山本氏「안녕히 가십시오. (アンニョンヒ カシプシオ /さようなら・去る人に向かって言う)」

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【社会】統一協会の祆教徒50万人越え

【国際】スオミ王国に対する公開質疑、龍鮮主導で進行

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龍鮮日報 第十二号 469年(今上王25年)3月15日発行
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4月 20 (土曜日) 2013
【国際】秋津君主国滅亡他 12:44   
466年(今上王22年)3月、龍鮮の隣国である秋津君主国が崩壊した。事実関係を調査した外交院と軍務院は原因を政府高官の内紛や巨大災害、暴動の発生などが複合した結果としている。秋津皇王と皇王家、華族、高官は中夏民国に逃れ秋津皇国亡命政権を樹立した。

また、100万人という未曾有の規模の秋津人難民が尚慶道、幹羅道、蔡洲特別自治道に上陸し半島南部は大混乱に陥った。釜海市では暴徒と化した秋津人と市民が衝突し、釜海市民421人・秋津人1102人もの死者が出る惨事となった。呉首相は尚慶道、幹羅道、蔡洲特別自治道に戒厳令を布告、軍・警察が出動し鎮静化と治安回復に努めた。

保護された秋津人は102万5375人(軍務院発表)に及び、居住地確保は難航を極めたが10月にほぼ完了した。

議政府は亡命した秋津人に龍鮮社会への同化・適応を勧めると同時に、秋津民族の文化などを保護・重視していく方針を示した。



【アクアマリン王国の留学生受け入れ、同国への農業・工業技術者派遣】

呉首相はアクアマリン王国を「将来有望な国家」と高評価し交流深化を深める方針を発表。

資金・商品・建材などの援助を実施。また、留学生の受け入れと同国への技術者派遣を表明した。

農業・建築・インフラ・電気・機械・鉱業・造船・鉄鋼・紡績などの技術者1200人が龍鮮を出発アクアマリン王国での任に就いた。

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【国際】帝政フリュー、スティン皇女陛下熱病に倒れる。駐フリュー大使「ドライズ地方をめぐる深刻な国内情勢の中、心労がたたったのだろう。」

【国際】聖マズダー教国とスオミ王国に宗教対立。国内の祆教徒はマズダー支持、礼教徒はスオミ支持を表明。

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龍鮮日報 第十一号 466年(今上王22年)11月15日発行
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4月 14 (日曜日) 2013
第三回常民院選挙実施 呉勇邦新政権成立 09:16   
465年(今上王21年)11月、第三回龍鮮王国常民院議会選挙が実施された。結果は以下の通りである。



【常民院議席内訳】

与党

進歩会       79議席(10増)

龍鮮民衆党     74議席(31増)



野党

祖国貢献党    70議席(38減)

忠誠党      20議席(変化なし)

龍鮮ファシスト党 19議席(1減)

龍鮮労働党    17議席(5増)

香麗護国党    9議席(1減)

無所属      12議席(6減)



華夏内戦や聖マズダー内戦と紛争が絶えない国際情勢の中、タカ派の政権与党祖国貢献党は大きく議席を減らし、代わって平和主義を訴える龍鮮民衆党が大きく議席を伸ばした。

進歩会の呉勇邦(オ・ユンパン)代表と龍鮮民衆党の高奉粛(コ・ポンシュク)書記長(463年に金秀徳前書記長と交代した。)は連立政権成立で合意し、呉勇邦新首相が誕生した。

尹明策前首相は「民意と天命を受けた結果であり、真摯に受け止めこれからは野党として国家と国民の為に貢献していきたい。」と述べた。

しかし、ある祖国貢献党幹部は「進歩会は貢献党を裏切って民衆党と組んだ。」と語り、政界の新たな火種となっている。

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【新政権の外交方針は】

民衆党の高奉粛副首相は「中夏民国や秋津君主国、神桜皇国をはじめした東方諸国との関係を重視し、近隣諸国との友好善隣を深めていく。」と語り、東方共同体を推進していく方針を示した。

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【呉首相 東シベリア共和国の外交姿勢を批判】

呉首相は成蘭連邦王国、中夏民国に対して不誠実な対応を続ける東シベリア共和国を「蛮夷の国」と強く批判した。彼の国は以前にも普欧帝国との間でウラン鉱開発において不誠実な行動に出た過去があり、その時は国王陛下の勅旨により龍鮮最高の鉱山技師団を派遣することで解決したことは周知の通りである。

呉首相は「鉱山技師は東シベリア人は真面目であると評価しているが、政府首脳は不真面目であると評価せざるをえない。彼の国の政府は文明国の手で一から教育すべきであろう。」と述べた。

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【国際】帝政フリュー・ドライズ共和国内乱、ドライズ・レーテの成立で一応の終結か?

【国際】FSI第2回大会行われる。龍鮮労働党と龍鮮民衆党の党幹部が同大会に出席するため出国

【文化】国際野球大会に「香麗球軍」が出場

【宗教】統一協会の信者が30万人を超えるも、礼教徒の祆教批判が高まる

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龍鮮日報 第十号 465年(今上王21年)11月15日発行
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3月 31 (日曜日) 2013
国王陛下御即位20周年奉祝の礼を464年4月に実施 10:59   
宮内院は464年(今上王20年)4月に朴安哲国王陛下の御即位20周年を記念する奉祝の礼を執り行うことを発表した。(写真は宮内院儀礼部による式典の練習の様子。)

陛下は先王、太祖大王(朴成秀陛下)の長子であらせられ、先王陛下と共に龍鮮統一戦争を戦い祖国を統一へと導き、統一後も先王陛下を支え続けました。

444年の先王陛下崩御の後、その御遺志を受け継いで政務に励み、447年のゾロアスター教公認、448年の憲法制定、455年の議会開設、456年の龍鮮・蔡洲統一などの偉業を成し遂げました。

また、陛下は国際平和の実現にも御尽力なされ、天津飯帝国や大神連邦王国の難民を受け入れ、東シベリア共和国への鉱山技師団派遣を実現されました。

我々国民は奉祝の礼において、陛下の仁徳に改めて感謝し、陛下に尽くさなければならない。

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【国際】中夏民国・成蘭連邦王国が御即位20周年へ祝電

【社会】万国祆教統一神霊協会、中夏民国を批判し聖マズダー教国を支持するデモを各地で実施

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龍鮮日報 第九号 463年(今上王19年)7月15日発行
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3月 16 (土曜日) 2013
第二回常民院議会選挙実施 12:30   
460年(今上王16年)11月、第二回龍鮮王国常民院議会選挙が実施された。結果は以下の通りである。



【常民院議席内訳】



与党

祖国貢献党    108議席(1増)

進歩会       69議席(5増)

野党

龍鮮民衆党    43議席(2増)

忠誠党       20議席(3減)

龍鮮ファシスト党 20議席(2増)

龍鮮労働党    12議席(7減)

香麗護国党    10議席(変化なし)

無所属       18議席(変化なし)



進歩会や龍鮮民衆党のような改革派が議席を伸ばした一方、オストマルク民主連邦の崩壊により、党勢を落とした龍鮮労働党は7議席を失い、代わりに急進的な龍鮮ファシスト党が2議席増やした形となった。

選挙の結果、尹内閣が引き続き政権を担うこととなった。尹首相は「今後とも龍鮮国民の為に奉仕し続ける所存である。」と語った。

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【婦人参政権問題】

現行の憲法では、被選挙権は25歳以上の男子、選挙権は20歳以上の男子にのみ与えられるとしているが、このことに一部の市民団体が「先進国では婦人参政権は当たり前のものである。龍鮮は未だ民主的とは言い難い。」と反発している。

伝統的な礼教的価値観では、「女性は男性の後ろで支え、表に出るべきではない。」とされており、礼学者だけではなく、一般の国民の間でも婦人参政権は懐疑的に見られている。

(中の人より・龍鮮日報は保守的な新聞であるため、婦人参政権に否定的な立場である設定です。)



【社会】万国祆教統一神霊協会の祆教徒が20万人を超える。

【国際】華夏人民共和国、元フリュー皇帝クルキアマイト・S・ミディアートを国内で保護。

【国際】レゴリス帝国ヴェルトミュラー総統、国家社会主義レゴリス労働者党の解党を宣言。

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龍鮮日報 第八号 461年(今上王17年)1月15日発行
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3月 01 (金曜日) 2013
【特集】 遣東シベリア鉱山技師団の活躍 13:51   
458年(今上王14年)6月、普欧帝国との外交問題にまで発展した東シベリア共和国のウラン探査問題はウラン鉱山の発見により解決された。

我が国は458年(今上王14年)4月に国王陛下の意向を受けた尹明策総理の決断により、東シベリアに対して5兆Vaの資金援助と技術顧問団の派遣を行っている。

顧問団には太邱工業大学の白成博(ペク・ソンバク)教授や和寧鉱業の金賢秀(キム・ヒョンス)技術主任らが参加し、150人のチームとなっていた。

顧問団は東シベリアの作業員に懇切丁寧な指導を行い、東シベリア人と共に汗を流して働き、遂にウラン鉱山発見に貢献することができた。

本紙の取材に対し、金主任は「東シベリアの鉱業の発展に貢献できて光栄です。」と語り、白教授は「東シベリア人は真面目でこの国の将来に希望が持てる。」と語った。

尹総理は6月9日の記者会見で「龍鮮と東シベリアの友好の懸け橋となった顧問団を誇りに思う。」と述べ、顧問団への勲章授与を宮内院と調整する意向を示した。

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【国際】オストマルク民主連邦崩壊。原因は未だ不明。

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龍鮮日報 第七号 458年(今上王14年)7月5日発行
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2月 24 (日曜日) 2013
【警務院】 密入国の天理教主を逮捕 08:39   
456年(今上王12年)2月2日、友好国であった大石動帝国が復興した。

現在、石動政府が置かれている菜良島には以前「天理教国」という国家が存在した。

現石動政府の発表によれば、天理教国の実態は武装した信者による「簒奪政権」とされている。

三代皇帝近江宮陛下の指揮する石動軍と天理教国の教庁自衛隊の内戦の末、天理教国は降伏し、「石動第二帝国」が建国された。

教主の中山薫子は信者を率いて、石動を脱出し行方不明とされていたが、457年(今上王13年)

9月7日、京城から40㎞の仁河市にて、「怪しい集団がいる。」という通報を受けた京城本庁の

機動隊が出動し、集団23人を不法入国と銃火器類所持の疑いで逮捕した。(写真は京城本庁機動隊)

その後、取り調べにより集団は石動より逃亡した天理教徒であり、その指導者は教主の中山薫子で

あることが判明した。

尹首相は記者会見で「対応を石動第二帝国政府と協議したい。また、新生石動と改めて国交を結びたい。」と述べた。

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【社会】万国祆教統一神霊協会のゾロアスター教徒が15万人越え。

【国際】普欧帝国ヴィルヘルム2世陛下脳血管障害により、皇太子殿下への譲位へ。

【国際】レゴリス内戦終結。

【国際】龍鮮労働党・龍鮮民衆党、FSIに参加。

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龍鮮日報 第六号 457年(今上王13年)9月15日発行
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Referer  (67)
2月 10 (日曜日) 2013
【特集】龍鮮と華夏の歴史について 11:17   
華夏人難民の問題が取り上げられる昨今、改めて我が国と華夏の歴史関係について紐解いてみようと思う。今回は京城大学歴史学部の文相憲(ムン・サンホン)教授を招いて特集記事を掲載した。

記者「本日はよろしくお願い致します。」

文教授「はい、こちらこそお願いします。」

記者「我が龍鮮王国と華夏の歴史関係についてご教授お願いします。」

文教授「まず、龍鮮の始まりはフリューゲル元年10月3日の丹君王即位です。」

記者「創天節(建国記念日)ですね。」

文教授「その後、丹君王死後その三人の部下『李賢』が『香句麗』を、『呉福明』が『南幹』を、『尹哲』が『和寧』をそれぞれ建国し、龍鮮は三国に分かれます。」

記者「三国時代の始まりですね。」

文教授「その通り。三国の力関係は、香句麗>南幹>和寧という状態でした。」

記者「一番弱体な和寧がどうして龍鮮を統一できたのですか?」

文教授「そこで華夏との関わりが生じる訳です。当時の華夏大陸は南夏王国が治めていました。」

記者「('‥)が治めていた国ですね。」

文教授「和寧国2代国王・尹白波は南夏国王に朝貢し臣下の礼をとりました。そして、軍事援助を要請しました。」

記者「和寧は外国の力を借りて龍鮮を統一したということですか?」

文教授「そうです。南夏軍の援護により和寧は45年に龍鮮を統一しました。しかし、援助を受けた代わりに和寧は南夏の属国になってしまいました。」

記者「毎年巨額の貢物を贈っていたとか。」

文教授「さらに、和寧は南夏の命令で73年戦争(ノイエクルス自由国とシュトゥルム公国・南夏王国間の戦争)に軍を派遣しなければなりませんでした。」

記者「73年戦争で南夏王国は滅亡しましたよね。」

文教授「南夏の後ろ盾を無くし、貢物と戦争で疲弊した和寧王朝は145年に崔建に取って代わられます。」

記者「香麗王朝ですね。」

文教授「華夏大陸では南夏王国崩壊後、檬古族や萬洲族など北方民族の侵入で混乱があったこともあり、香麗は華夏族へ配慮を考えずに独自の外交を展開できました。しかし、華夏族は再び強大化すると香麗に朝貢を求めてきました。4代国王・元宗はこれを拒否し、攻め寄せてきた華夏軍を緑鴨江で撃退します。」

記者「鄭明燁将軍の活躍した戦いでしたね。」

文教授「そうです。しかし、華夏と香麗の国力の差は大きく、5代国王・功宗は華夏に臣下の礼をとり、朝貢しこの関係は、280年に秋津皇国に併合されるまで続きます。」

記者「秋津皇国統治時代の我が国はどのような状況でしたか?」

文教授「秋津政府による投資でインフラ・産業が整備され龍鮮は発展しました。」

記者「秋津皇国滅亡後はどうなりまでぃたか?」

文教授「華夏族の中夏民国に直接支配されました。」

記者「華夏人の統治はどのようなものでしたか?」

文教授「秋津人と違い、華夏人は龍鮮から一方的に搾取するばかりでした。そして、387年の中夏民国滅亡後、龍鮮は軍閥が割拠し乱世になりました。」

記者「そして、乱世の龍鮮を統一したのが太祖国王(朴成秀先王)ですね。」

文教授「そうです。今までの内容をまとめますと、歴史的に龍鮮は華夏の属国であったことは紛れもない事実です。しかし、今や我が国は華夏人を助ける立場まで発展しました。龍鮮はこれからも大きく発展することでしょう。」

記者「ええ、龍鮮王国万歳!国王陛下万歳!」



文教授&記者 愛国歌を斉唱する。

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龍鮮日報 第五号 455年(今上王11年)5月15日発行
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Referer  (2)
2月 02 (土曜日) 2013
龍鮮統一宣言署名他 08:30   
【龍鮮統一宣言署名】

蔡洲共和国・龍鮮人民共和国との会談において、蔡洲共和国の案に我が国と龍鮮人民共和国が合意、李大尊議政府総理大臣が署名した。これに伴い、龍鮮人民共和国は解体され、龍鮮労働党は帰国し、蔡洲共和国は蔡洲特別自治道へ移行することになる。また、宣言に対する批准について議政府は454年1月10日の閣議において「宣言批准は455年11月の両班院勅選と常民院民選後に議会で行う。」との決定を下した。

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【釜海市に海賊襲来】

453年(今上王9年)12月、和寧地方・釜海市(11,15)に海賊が襲来し、金品と食糧を略奪した。警官隊と市民の自警団により撃退されたが、警察官17人・市民24人が犠牲となった。一方海賊側は22人の死者を出した。事件後の調査で市民の証言や海賊の所持品などから海賊はオストマルク人である疑いが強くなった。警務院はオストマルク民主連邦政府に捜査協力を打診したが、市民の間では「海賊は共産国家の尖兵だ。」との噂が広がっている。

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龍鮮日報 第四号 454年(今上王10年)1月15日発行
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