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石動和寧日報  旧龍鮮日報、石動移民後、在石和寧人向け新聞として再出発
2月 24 (日曜日) 2013
【警務院】 密入国の天理教主を逮捕 08:39   
456年(今上王12年)2月2日、友好国であった大石動帝国が復興した。

現在、石動政府が置かれている菜良島には以前「天理教国」という国家が存在した。

現石動政府の発表によれば、天理教国の実態は武装した信者による「簒奪政権」とされている。

三代皇帝近江宮陛下の指揮する石動軍と天理教国の教庁自衛隊の内戦の末、天理教国は降伏し、「石動第二帝国」が建国された。

教主の中山薫子は信者を率いて、石動を脱出し行方不明とされていたが、457年(今上王13年)

9月7日、京城から40㎞の仁河市にて、「怪しい集団がいる。」という通報を受けた京城本庁の

機動隊が出動し、集団23人を不法入国と銃火器類所持の疑いで逮捕した。(写真は京城本庁機動隊)

その後、取り調べにより集団は石動より逃亡した天理教徒であり、その指導者は教主の中山薫子で

あることが判明した。

尹首相は記者会見で「対応を石動第二帝国政府と協議したい。また、新生石動と改めて国交を結びたい。」と述べた。

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【社会】万国祆教統一神霊協会のゾロアスター教徒が15万人越え。

【国際】普欧帝国ヴィルヘルム2世陛下脳血管障害により、皇太子殿下への譲位へ。

【国際】レゴリス内戦終結。

【国際】龍鮮労働党・龍鮮民衆党、FSIに参加。

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龍鮮日報 第六号 457年(今上王13年)9月15日発行
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Referer  (67)
2月 10 (日曜日) 2013
【特集】龍鮮と華夏の歴史について 11:17   
華夏人難民の問題が取り上げられる昨今、改めて我が国と華夏の歴史関係について紐解いてみようと思う。今回は京城大学歴史学部の文相憲(ムン・サンホン)教授を招いて特集記事を掲載した。

記者「本日はよろしくお願い致します。」

文教授「はい、こちらこそお願いします。」

記者「我が龍鮮王国と華夏の歴史関係についてご教授お願いします。」

文教授「まず、龍鮮の始まりはフリューゲル元年10月3日の丹君王即位です。」

記者「創天節(建国記念日)ですね。」

文教授「その後、丹君王死後その三人の部下『李賢』が『香句麗』を、『呉福明』が『南幹』を、『尹哲』が『和寧』をそれぞれ建国し、龍鮮は三国に分かれます。」

記者「三国時代の始まりですね。」

文教授「その通り。三国の力関係は、香句麗>南幹>和寧という状態でした。」

記者「一番弱体な和寧がどうして龍鮮を統一できたのですか?」

文教授「そこで華夏との関わりが生じる訳です。当時の華夏大陸は南夏王国が治めていました。」

記者「('‥)が治めていた国ですね。」

文教授「和寧国2代国王・尹白波は南夏国王に朝貢し臣下の礼をとりました。そして、軍事援助を要請しました。」

記者「和寧は外国の力を借りて龍鮮を統一したということですか?」

文教授「そうです。南夏軍の援護により和寧は45年に龍鮮を統一しました。しかし、援助を受けた代わりに和寧は南夏の属国になってしまいました。」

記者「毎年巨額の貢物を贈っていたとか。」

文教授「さらに、和寧は南夏の命令で73年戦争(ノイエクルス自由国とシュトゥルム公国・南夏王国間の戦争)に軍を派遣しなければなりませんでした。」

記者「73年戦争で南夏王国は滅亡しましたよね。」

文教授「南夏の後ろ盾を無くし、貢物と戦争で疲弊した和寧王朝は145年に崔建に取って代わられます。」

記者「香麗王朝ですね。」

文教授「華夏大陸では南夏王国崩壊後、檬古族や萬洲族など北方民族の侵入で混乱があったこともあり、香麗は華夏族へ配慮を考えずに独自の外交を展開できました。しかし、華夏族は再び強大化すると香麗に朝貢を求めてきました。4代国王・元宗はこれを拒否し、攻め寄せてきた華夏軍を緑鴨江で撃退します。」

記者「鄭明燁将軍の活躍した戦いでしたね。」

文教授「そうです。しかし、華夏と香麗の国力の差は大きく、5代国王・功宗は華夏に臣下の礼をとり、朝貢しこの関係は、280年に秋津皇国に併合されるまで続きます。」

記者「秋津皇国統治時代の我が国はどのような状況でしたか?」

文教授「秋津政府による投資でインフラ・産業が整備され龍鮮は発展しました。」

記者「秋津皇国滅亡後はどうなりまでぃたか?」

文教授「華夏族の中夏民国に直接支配されました。」

記者「華夏人の統治はどのようなものでしたか?」

文教授「秋津人と違い、華夏人は龍鮮から一方的に搾取するばかりでした。そして、387年の中夏民国滅亡後、龍鮮は軍閥が割拠し乱世になりました。」

記者「そして、乱世の龍鮮を統一したのが太祖国王(朴成秀先王)ですね。」

文教授「そうです。今までの内容をまとめますと、歴史的に龍鮮は華夏の属国であったことは紛れもない事実です。しかし、今や我が国は華夏人を助ける立場まで発展しました。龍鮮はこれからも大きく発展することでしょう。」

記者「ええ、龍鮮王国万歳!国王陛下万歳!」



文教授&記者 愛国歌を斉唱する。

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龍鮮日報 第五号 455年(今上王11年)5月15日発行
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Referer  (2)
2月 02 (土曜日) 2013
龍鮮統一宣言署名他 08:30   
【龍鮮統一宣言署名】

蔡洲共和国・龍鮮人民共和国との会談において、蔡洲共和国の案に我が国と龍鮮人民共和国が合意、李大尊議政府総理大臣が署名した。これに伴い、龍鮮人民共和国は解体され、龍鮮労働党は帰国し、蔡洲共和国は蔡洲特別自治道へ移行することになる。また、宣言に対する批准について議政府は454年1月10日の閣議において「宣言批准は455年11月の両班院勅選と常民院民選後に議会で行う。」との決定を下した。

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【釜海市に海賊襲来】

453年(今上王9年)12月、和寧地方・釜海市(11,15)に海賊が襲来し、金品と食糧を略奪した。警官隊と市民の自警団により撃退されたが、警察官17人・市民24人が犠牲となった。一方海賊側は22人の死者を出した。事件後の調査で市民の証言や海賊の所持品などから海賊はオストマルク人である疑いが強くなった。警務院はオストマルク民主連邦政府に捜査協力を打診したが、市民の間では「海賊は共産国家の尖兵だ。」との噂が広がっている。

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龍鮮日報 第四号 454年(今上王10年)1月15日発行
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