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普欧帝国宣伝部  普欧帝国の広報機関
1月 29 (日曜日) 2012
イスアード戦争に関する軍発表他2号 21:29   
(かなりの長文ですが御容赦頂きたい。なお、本記事の下に1号がありますので、先にそちらを御参照下さい。cruis)

軍情報部発表:今回の普欧帝国とイスアード教主国間の戦争をイスアード戦争と称する。



【軍事】イスアード戦争に関する軍発表③

フリューゲル暦392年5月7日、帝国はイスアード本土に対する上陸作戦「Geschichte(歴史)」を発動した。

本作戦は先行して降下した部隊がイスアード地上軍の行動を束縛し、その間に派遣軍主力の上陸を図るというものである。

先立って行われた降下作戦(Mondsichel作戦)は成功を収めており、上陸作戦は大した抵抗を受けることなく進展した。

しかしながら、普欧帝国陸軍初の上陸作戦となった本作戦は部隊運用や連携の面で多くの課題を残すこととなった。

上陸地点(6,10)の誤認や一部の海岸に多くの部隊が押し掛けるなど作戦遂行には少なくない混乱が伴っており、

派遣軍司令官のフリードリヒ大将は「我が軍の部隊で混雑する海岸に敵軍が本格的な反撃を行わなかったのは幸いである。」

とコメントしている。このため先行した降下部隊は重要な役割を果たしたと言えるだろう。

降下した第一降下猟兵師団、「ブランデンブルク」連隊、イシュトルード義勇軍はイスアード地上軍に対し遅滞戦闘を展開、

上陸軍への反撃を見事に防いでおり、戦闘終結後に第一降下猟兵師団長シュトゥデント少将、「ブランデンブルク」連隊長

ヒッペル中佐、イシュトルード義勇軍指揮官(本名機密)に騎士鉄十字勲章が授与される見通し。

上陸後、降下部隊は上陸軍に合流し、次なる作戦に備えた。上陸軍はイスアード西部(7,10)にてイスアード地上軍と戦闘を展開、

これを退けることに成功した。しかし、後の作戦行動に支障を及ぼす事態が発生する(子細は次の記事を参照)。



【軍事】イスアード戦争に関する軍発表④

フリューゲル暦392年5月中旬、ノイエクルス連邦軍はイスアード北部に対して再び陸地破壊弾の発射を断行した。

このため派遣軍は前方の進路を吹き飛ばされる形となり、派遣軍司令部は当初の予定を変更して南部への攻撃を決定、

橋頭保を確保するため(6,12)のイスアード地上軍を撃破した。今回のノイエクルス連邦軍の攻撃に関して、

フリードリヒ大将は以下のように語った。「事前に連絡を受けたため我が軍に被害はなかったものの、

同士討ちの可能性は常に存在する。共同作戦を展開しなかったことの弊害だ。」

なお、次の攻撃に際して派遣軍司令部は普欧本国に対しノイエクルス連邦軍司令部の連絡将校との情報共有を密にするよう

要請している。



【国際】戦後イスアードの統治に関して政府はノイエクルス連邦との協議を準備

フリューゲル暦392年5月某日のノイエクルス連邦政府構想案発表を受け、政府は戦後イスアードの統治に関して声明を発した。

イスアード戦争に関して我が国とノイエクルス連邦とは共同作戦を取れず、戦後統治に関しても2国間には何らかの対立が生じる

ことは必須と見られている。連邦政府はビスト人による政権発足を望まず、戦勝国と国際統治委員会の統治を構想案にまとめた。

これに対して政府は統治構想案発表とノイエクルス連邦政府との協議の場を設けると声明した。

また外務省関係者は以下のようにコメントしている。「我が国はイスアードに大規模な陸軍を派遣し当地での治安維持や軍政、

ゲリラ鎮圧の任に当たっている。しかしノイエクルス連邦は大規模な空爆こそ実施したものの、戦闘後の膨大な後始末や

占領地統治の多くは今のところ我が軍が負担している。最大の戦功国がノイエクルス連邦であることは明白であるが、

そうであるならば占領地域の統治に不可欠となる陸軍派遣が遅れているのはどういうことであろうか。

実効力のある無力化は結構であるが、その結果生じた被害の始末をしているのは我々だ。

こうしているうちにも我が軍の兵士は犠牲者の埋葬や負傷者の救済に尽力し、敵ゲリラによって出血を強いられているのだ。」

編集者注:5月下旬にノイエクルス連邦軍は陸軍派遣を決定、上陸は6~7月と見られる。



【国際】亡命ビスト人とイシュトルード義勇軍に関する外務省発表

フリューゲル暦392年3月に行政府は亡命者の存在を明らかにした。しかし、ノイエクルス連邦の攻撃後亡命希望者は急速に増加、

我が国が開戦まで1週間もない状態であるにも関わらず、亡命希望者の数は1万人前後に膨れ上がった。

警察と軍はあまりにも多い彼らの数にスパイ流入を警戒し、実際に複数名を検挙、受け入れ後も彼らに対する監視を実施した。

これに対し、亡命者側からイスアード戦争への協力が打診され、軍は疑念を抱きつつも国王陛下の後押しもあり受理を決定、

2千人程度から成るイシュトルード義勇軍が結成された。

義勇軍は軽度の戦闘訓練を受けたが、戦闘は主任務ではなく通訳や道案内など補助的な任務につくと考えられる。

外務省は亡命ビスト人の権利を保障することを表明しており、イシュトルード義勇軍も普欧帝国陸軍の一部隊と見なされる。

亡命ビスト人の中には過激な主張を行う者は少なく、ただ疲れ切った表情を見せている者が圧倒的に多い。

我々はここに戦争の悲劇を目撃すると共に、彼らの保護が我々に課せられた義務であることを認識した。
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イスアード戦争に関する軍発表他1号 16:52   
軍情報部発表:今回の普欧帝国とイスアード教主国間の戦争をイスアード戦争と称する。



【軍事】イスアード戦争に関する軍発表①

フリューゲル暦392年4月20日、帝国はイスアードに対し初の攻撃作戦「Mondsichel(三日月)」を発動した。

本作戦はイスアード(9,10)地点に存在する政治犯収容所の囚人救出と(10,9)地点のミサイル基地破壊が目的である。

普欧帝国イスアード派遣軍(以下派遣軍と表記)は攻撃に先立ち空軍機による攻撃目標周辺住民への避難勧告ビラ散布を実施、

帝国本土から発進した大型爆撃機12機が4万トン相当のビラを投下した。爆撃機機長の一人ディライ中尉は以下のように語った。

「我々は夜明け前にザームラント某所の飛行場を発進しました。編隊は組まず、各機は単独でイスアードに進路を取りました。

先にイスアードに向かった艦隊は無線封鎖を厳命されていたため、誘導を行えず、本土からの誘導電波と天測が頼りでした。

2度の空中給油の後、被発見を避けるため超低空を飛行し、払暁にイスアード本土に進入しました。

海岸線を越えてから目標地点に到達するまでのおよそ40分は皆緊張していましたね。

しかし迎撃機も対空砲火も無く、そのまま我々はビラ散布を実施して帝国本土に無事帰還しました。

我々の隊は未帰還を一機も出さずに安堵したのですが、後に飛び立つ攻撃隊はもう奇襲が成立しないので彼らが心配です。」

ビラ散布の2日後、「Mondsichel」作戦が発動され艦隊から飛び立った攻撃機による航空攻撃が開始された。

述べ100機以上の攻撃機とヘリがイスアード本土に出撃、政治犯収容所とミサイル基地に向かった。

攻撃隊は約60発の爆弾、ミサイルを政治犯収容所の外壁、警備員詰所、武器倉庫、監視塔、そしてミサイル基地に投下した。

また爆撃により制圧された地区にヘリが進出し空挺降下が行われた。降下したのは我が軍の降下猟兵、

特殊部隊「ブランデンブルク」連隊、亡命者有志から成るイシュトルード義勇軍(詳細は後述)である。

降下部隊はイスアード本土のレジスタンスと合流、周辺地域の制圧に乗り出し、収容所囚人の保護に努めた。

降下部隊は周辺に展開していたイスアード地上軍と激しい戦闘を展開、戦闘は航空優勢を確保した我が軍有利に進んだ。

戦闘開始から13時間後にイスアード軍部隊は後退したものの、その際に壮絶な焦土作戦を展開、

官民問わずあらゆる施設を焼き払い、多くの人々が家を失った。またイスアード軍による周辺住民への略奪、暴行が確認された。

なお、攻撃に際する誤爆も少なからず発生し、(8, 10)の森に投下された爆弾により森林火災が発生、一帯が壊滅している。

我が軍の損害は現時点で確認されたもので地上部隊が戦死36名(うち10名は降下時の事故による)負傷100名程度。

航空隊はヘリ2機と攻撃機2機を失った。ヘリは降下時の損失1機と戦闘損失1機、攻撃機は戦闘損失1機、

母艦収容後修理不可能にて海中投棄された1機であり、パイロットはヘリ2機の4名が全員死亡、

戦闘損失の攻撃機のパイロット1名は脱出に成功しレジスタンスと合流、その日のうちにヘリで母艦に帰還した。



【軍事】イスアード戦争に関する軍発表②

フリューゲル暦392年4月24日、帝国は「Mondsichel」作戦に続き「Gericht(審判)」作戦を発動した。

本作戦はイスアード(7,15)地点に存在する軍需工場の破壊を目的としており、イスアードの継戦能力破壊を狙ったものである。

攻撃は普欧帝国本土から発射されたSPPミサイルによって行われ、正確な着弾により周辺地域への被害は一切無かった。

周辺地域には畜産場と建材工場が存在し、これらの施設は軍事上の価値が低く(建材工場は戦後復興に重要である)、

無用な破壊を避けるため高価なSPPミサイルによる攻撃が実施されたのである。軍情報部宣伝課の担当者は、

「長距離ミサイル攻撃における我が国のミサイルの優秀さが証明された。」と述べている。



【国際】ヴィルヘルム2世、イスアード戦争の正統性を議会で演説

「Gericht」作戦終了後、国王ヴィルヘルム2世陛下は議会にてイスアード戦争の正統性を訴える演説を行った。

「国民に選ばれし議員諸君、我々はイスアードとの戦争を望むところ意見を同じくしてこの場に集った。

かの国に対する我が国の戦争遂行が極めて正統なるものであることは論を俟たない。

何故なら、我々はかの国の不実なる政府の排除を目的とし、善良なるビスト人によるイスアード再建を目指しているからだ!

かの政府はこれまで我が国の誠意を悉く踏み躙り、また守るべきものであるはずの民を扇動して己の延命を図る卑劣漢である!

かの政府はこう発言した。「民間人の大量虐殺を行う国に正義などあるはずがない。」(共同通信392年4月付)と。

これは矛盾した発言である。かの政府こそ勝ち目のない戦争を延々と続け、無辜の民を悲劇に巻き込まんと画策しているのだ!

かような政府の掲げる正義に何の価値があろうか!

民間人の被害を最小限に抑えるよう行動している我が軍の方がより正義に近しいのは明白である。

またイスアード政府と同じくイスアード軍の退廃ぶりも目に余るものである。

彼らが三日月作戦の際に民間人に振るった暴虐は筆舌に尽くしがたい。我が国の戦場記者が収めた多くの写真、映像は、

彼らの政府と同じく、民の守護者たるべき軍の堕落した姿を世界に示すものである。

かような政府と軍を打倒し、善良なるビスト人による新政権成立とイスアードの再建を目指す我が国の正義が正統なる

ものであることは何人たりとも論駁できないのである!

そして、我々が最終的な目的は、普欧と新イスアードの間に国交を持ち、かつての互恵関係を復活させることだ。

恐らくイスアード政府は我らが新政権の傀儡化を目論んでいると何の根拠もなく喧伝するであろう。

だがもし、そのような喧伝が為されたとして、どれほどの国が彼らの言葉に頷くであろうか?

我々が建国以来、公正なる外交と取引を行ってきたのは多くの国が知る所であるし、

開戦直前の我が国とイスアードのやりとりからして、我が国の誠実なることは全世界の知る所である。

私が先ほど述べた最終目標もまた私個人の見解ではなく、国民の総意である。我々の真意が疑われるようなことは、

これからの国際情勢においていかなる事態が生じたとしても、我が国に敵対する国家を除いて有り得ないと確信する。」

この演説に対して議員は拍手喝采で応え、新国王に対する疑念もたちまちのうちに吹き飛んだ。



【国際】ヴィルヘルム2世、ノイエクルス連邦軍の作戦行動を非難

陛下は先の演説に続いて昨今のノイエクルス連邦軍の作戦行動に対して非難声明を発した。

「以前、私はノイエクルス自由国とは反イスアードで我が国と一致するところ大であると考えていた。

しかし残念ながら、かの国の戦争方針は我が国と相容れるものではなく、共同戦線を張ることは不可能である。

我が国はイスアードの戦後復興を考慮し、攻撃目標の選定や手段に関して慎重に慎重を期してきた。

だが、今回のノイエクルス自由国による陸地破壊弾発射はイスアードの再建に悪影響を与えるものである。

我が国がノイエクルス連邦軍司令部から受け取った文章には、神殿の破壊が作戦目標に含まれると記述されていた。

私はかの国が宗教政治の禁止などをイスアードに通告したことは承知しているし、それが間違いであるとは思わない。

しかしながら、神殿への攻撃に際してイスアード北東部の大部分が破壊されてしまったことは非常に残念である。

領土は国家の一要素を成す重大なものであると同時に、破壊された地域はイスアードの建国以来、住民が家を建て、

尊重されるべき伝統文化を形成してきた地域である。今回のノイエクルス連邦軍の作戦により、かような破壊が生じたことは

極めて遺憾であり、私は全普欧人を代表してノイエクルス自由国の作戦行動に抗議するものである。

また5月初旬のノイエクルス連邦軍の攻撃により観光都市に被害が生じ、第三国の人々が死亡したことは非常に問題である。

我が国は連絡将校を派遣し、観光都市への攻撃を控えるよう提案していただけに、この攻撃には失望を覚えるものである。」

編集部注:記事作成後、政府はノイエクルス連邦軍司令部より文章を受け取ったと発表。

14125:ノイエクルス連邦司令部 > イスアード観光地において渡航禁止勧告と退去命令に従った第三国人に被害が出ている事例は報告されておりません。 (ノイエクルス自由国)

政府は本文章を受け、砲撃を受けた観光都市(6,7)への調査団派遣を決定、戦闘終結後に本格的な検証を始めるとした。
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イスアードより亡命者来航、審査の後亡命受け入れへ他 02:17   
【国際】イスアードより亡命者来航、審査の後亡命受け入れへ

フリューゲル暦392年3月19日、宣戦布告の興奮冷めやらぬ3月中旬、行政府はイスアードからの亡命者の存在を明らかにした。

行政府の発表によると、亡命者アセミール・ジャッタフ氏(仮名)は12日未明イスアードを軽飛行機により脱出、

帝国近海にて不時着水したところを我が哨戒艇により救助された。ジャッタフ氏は亡命を希望する旨を哨戒艇艇長に申し入れ、

数時間後に到着したヘリでケーニヒスベルクに到着、軍の調査及び各関係部署の審査の後に亡命が認められた。

ジャッタフ氏は取調官と記者団にイスアード現政権の実態を暴露している。以下はその一部を記したものである。

ジャッタフ氏「カシュクール・セイフ元老院議長をはじめ、イスアードの政治指導部は腐敗しきっており、

改革を志した憂国の士は政治犯収容所に入れられるか、異端信仰の汚名を着せられ過酷な刑罰を科せられている。

私は下級官吏として彼らが行ってきた犯罪的所業を目の当たりにしてきた男だ。」

記者「では貴方はイスアードの現状を改めんとして我が国を頼ったと?」

ジャッタフ氏「亡命理由の半分はそうだ。しかし、私はノイエクルス、南瓜、普欧の武力解決を当てにして来たのではない。

そのような行為は多くの悲劇を生むだけだ。私はそれを最小限にするために来たのだ。鍵は普欧が握っている。」

記者「それは一体何なのでしょうか?」

ジャッタフ氏「教主イスカンダル陛下と多くのイシュトルード教徒は政府によって歪められた情報しか知らされていない。

政府は自らの外交の失敗を全イシュトルード教徒に押し付けるつもりなのだ。

だが、もはや開戦まで時間はないし、止めることもできないだろう。となれば少しでも早く戦争を終わらせるための準備が必要だ。

私はイスカンダル陛下と普欧の国王カール2世陛下(編集者注:ジャッタフ氏はカール2世陛下の退位をまだ知らなかった。)が

その鍵を握っていると見ている。私はイスアードと普欧を繋ぐ架け橋となるために来たのだ。そのためには命も惜しくはない。」



【国際】普欧帝国陸軍参謀本部、ノイエクルス連邦軍、南瓜共和国軍との共同作戦を断念

3月某日、普欧帝国陸軍参謀本部はノイエクルス連邦軍司令部に連絡将校を派遣した。

派遣の目的は対イスアード戦争における共同作戦の提案であり、3国の効率的な作戦の実施と協力を狙っていた。

しかしながら、詳しい内容は機密指定となるため発表されなかったものの、

参謀本部はノイエクルス連邦軍、南瓜共和国軍との共同作戦を断念すると発表した。

担当官は「我が国とノイエクルス連邦の作戦方針が相容れないものであったため」と説明している。

イスアードの戦力が余りにも過小であるとはいえ、今後の情勢に早くも暗雲が立ち込め始めたと言えるのではないだろうか。
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