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山王新聞  石動民間紙最大手。民意に根差した報道を心がけます。
10月 17 (金曜日) 2014
【速報】出家していた足利直女史、敷倉県敷倉市で蜂起。南朝へ迎合か。 13:13   




(写真左:義勇軍に参加した真言宗門徒。 右:義勇軍に加わった陸軍戦車兵ら)



 556年1月23日、盤南寺比丘尼直麗(本名足利直。元管領)は、陸軍の一部兵力および真言宗門徒を糾合し、敷倉県で武装蜂起の挙に出た。



 足利直元管領は、高野翼統合参謀総長との事実上の政争に敗れ、549年2月22日に盤南寺に於いて出家していたが、「この度の政府の無策による経済衰亡と、社会保障削減による臣民困窮に見かね、もはや北朝に義なしと断じ、陸軍と門徒らに同志を募り、此度の義挙に至った」としている。

 直元管領のもとに集まった兵力は、陸軍将兵およそ4万、真言宗門徒およそ20万、他にも政府に不満を持つ平民らの合力も合わせると、その総数は少なくとも30万には登るという。

 南朝側は今回の挙兵に対する驚きと感嘆の意を顕にし、「北朝逆臣が妹、これ英傑なり。蓋し正統皇軍の戦列に名を加え、その大義末代まで語り継ぐべきか」との声明を発表した。



 事態を受け公方府は、ただちに陸軍第一・第三師団、中央即応部隊群、直参親衛軍などによる即時鎮圧を開始すると発表した。
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10月 02 (木曜日) 2014
【投書】ドクツの対エルツ外交の不可解ぶり、ドクツは説明すべき。 19:43   
(忠実女学院経済学部国際政治学科教授、橘実雄)



 553年6月、多くの凄惨な流血をもたらしたエルツの擾乱は帝国軍の勝利により無事集結した。まことに喜ばしい事である。外務省による同国への渡航規制も折をみて順次解除されることであろう。

 しかし、この一連の事件に於いて一点、注視すべき点がある。それはドクツ第三帝国のエルツに対する強硬政策の、唐突な雪解けである。

 ご存知のとおり同国は540年代から突如エルツに対する外交態度を硬化させ、遂には国交断絶に至った。しかし不可解な事に、それについてドクツ側の明確な理由は何一つ、ドクツ政府からは明らかにされていないのである。

 そして今回の内乱を経ての、唐突な国交再開とクンツ・シュパング外務大臣の「霧は晴れた」宣言である。今回に至っても、ドクツ政府から国交再開の旨は発表されているものの、その明確な理由ははっきり言って説明されていない。

 私はこの問題を、ひどく重大に受け止めたい。外交は国家の「挙動」である。「挙動」を起こす理由が理解できない、という状態を「挙動不審」という。私としても、世界に冠たる正義と自由の国家とも言うべき(暗殺と政争の横行する軍事独裁政権の我が国など足元にもおよばない)ドクツ第三帝国が「挙動不審」な国家であるなどとは思いたくない。どんな場合であれ物事には「経緯」がある。幾千万の国民の運命を担う国家の舵取りたる「外交」であればそれは尚更のはず。自由と正義を愛する先進国であり、その王道ゆえに多くの友邦をもっているドクツには、その「経緯」を説明する義務があるはずだ。
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9月 21 (日曜日) 2014
吉備秋津義勇軍敗退。【特集】東方地域の地理 23:21   
 大幹帝国防衛隊の見事な奇襲攻撃でで吉備秋津義勇軍は敗退し、秋津丘州南部の鹿仔島市までの撤退を余儀なくされた模様である。

 …と書いたところで、東方地域の地理や歴史に堪能でない海外の――特に新興国の読者諸兄には一体なんのことやらさっぱりわからないであろう。事実この石動南北動乱に於ける海外報道には幾つか石動と秋津が同じ地域であるかのように報じている報道も見受けられた。そこで今回は「秋津」「石動」「幹半島」などの東方地域の地理についてまとめてみよう。





 上の地図を見ていただくと、東方地域には巨大な大陸とその東の列島、さらにその南東に諸島が存在することがわかるだろう。

 まず大陸についてだが、この大陸にはかつて「中夏民国」という国家が存在した。かの国は共産革命を経て中夏人民共和国となった後、旧龍鮮王国(現大幹帝国)で起こった内乱「龍鮮戦争」に介入したためノイエクルス自由国の宣戦布告を受け崩壊した。

 その大陸の東に位置する半島がかの「幹半島(龍鮮半島)」である。知ってのとおり同半島は元々龍鮮王国という一つの国が支配していたが、大幹帝国への帝政移行後、オセアニカ・アースガルド戦争に敗れ、半島北部に「香麗民主連邦」領の回復を約束させられ、現在の分断状態に至っている。

 その東に位置する列島が「秋津列島」である。この列島には元々「秋津皇国」なる国が存在した。5世紀中頃に再興したかの国は一度当時の石動第二帝国に領有化され「秋津皇王領秋津州」となったが、本国である石動の指令を無視し軍拡を繰り返したため国内は荒廃し、業を煮やした石動政府に主権を放棄され「大秋津帝国」として独立するもまもなく滅亡。現在は本州南部の一部を「南秋津諸藩連合」が、南部の一島「丘州」を「吉備秋津義勇軍」が支配しているが、いまだ本州の多くが無主地として残り、激しい内乱が繰り返されている模様である。

 さらにその東南にあるのが我が石動第三帝国である。知ってのとおり石動には本州・浄土島・嘉川島・菜良島の四島から成り、うち浄土島は正統吉備皇国(石動南朝)に実効支配され、菜良島は第二帝政期に帝都が置かれていたが、原発のメルトダウンにより全域が汚染土壌となり立ち入り不可能となったのである。
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9月 20 (土曜日) 2014
吉備秋津義勇軍「海上有得銭徴収」を宣言。丘州近海を航行する船舶を拿捕か。 22:25   
【画像】吉備秋津義勇軍海上部隊



 551年8月16日、「南朝(正統吉備皇国)」発表によると、秋津丘州の吉備秋津義勇軍は「海上有得銭徴収」を宣言。「正統吉備による聖戦継続のため、丘州近海を航行する船舶はその国籍を問わず拿捕し、その積載品目を徴収せしめるものである」と発表した。さらに義勇軍は「すでに大幹帝国船籍の油槽船一隻・シベリア船籍のコンテナ船一隻を拿捕した」と発表した。二隻の消息と乗組員の安否についてはいまだ明かしていない。
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9月 10 (水曜日) 2014
首都警、高野参謀総長暗殺事件の首謀者として畠山一泰陸軍中将を逮捕。 11:18   
(写真)畠山陸軍中将



 549年11月17日、首都圏治安警察機構は、「独自の捜査」の結果、件の暗殺事件の首謀者が畠山一泰陸軍中将であったことを明かし、同人物を殺人教唆罪・内乱罪・国家反逆罪などの罪で逮捕したと報じた。警視庁筋のある捜査官はこう語る

「首都警の介入は明らかにおかしい。室満京市内の殺人事件などの刑事事件は本来俺達のヤマだ。公方府の捜査権移譲令が無ければあの連中に証拠物件はビタ一文やらなかったが、奴らはお上のお達しにかこつけて容疑者を持って行きやがった。大方自白剤のお注射でお医者さんごっこでもやったのだろう」

 畠山一泰陸軍中将は南北動乱初期に楠木雅茂ら南朝軍に惨敗を期し美作市占領を許してしまったものの、人望には厚くその後の美作決戦や帝都奪還作戦で活躍し、名将と讃えられる人物であった。

 同時に彼は文治政治を標榜する足利直元管領の立場に同調し、上杉重義元管領らと並び直派の筆頭と目されていた。多くの関係者は今回の事件を「高野翼参謀総長の醜い政争」と見ている。とある捜査官はさらにこう語る。

「おしゃべり薬でこうも簡単に犯人が分かっちまうんだから、上杉管領を暗殺した直参親衛軍の男にもお注射してもらう訳にはいかんのかね?その男が本当の事を言っても連中が困らなければの話だが」

 畠山中将はすでに18日に簡易軍事裁判で銃殺刑が決定。12月15日執行される予定であるという。



【国際】五国協商およびレゴリス帝国、日ノ本に再宣戦か。
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9月 07 (日曜日) 2014
【速報】上杉重義管領自宅前にて暗殺。後任に今川範邦副管領。 01:28   
(写真)事件直後の上杉重義邸の様子。



 先の高野翼参謀総長のクーデターにより失脚させられた足利直元管領に代わり第二代管領に就任した直管領の秘書長上杉重義氏であったが、549年4月23日早朝、自宅前で公用車に乗車中、暗殺者の銃撃によりこの世を去った。2月22日就任の上杉管領の任期はわずか二ヶ月であった。

 翌24日昼、直参親衛軍直参行軍親衛上士の男性(25)が、暗殺の際使ったという軍用拳銃を持参し警視庁本庁へ自主した。

 男性は「足利直殿と親しい仲であった上杉秘書殿の管領就任はまたも我ら行軍の華たる直参親衛軍を貶める結果になるという個人的考えから暗殺に至った。決して誰の指示も受けていない」と抑揚のない声で供述したとのことである。

 後任には元副管領の今川範邦氏が就任する予定であるという。今回の暗殺事件で確実に足利直元管領に息のかかった人物が政界より放逐されていく図式が伺い知れる。



【国際】エルツに巨大隕石落下。政府は鋼鉄を援助。

【国際】成蘭連邦王国、王太子妃を公募か。
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9月 03 (水曜日) 2014
高野翼参謀総長カウンタークーデターか。屈して要求飲む将軍殿下 22:43   
 548年10月16日、参謀総長罷免の報を受けた高野翼統合参謀総長兼直参親衛軍総大将は、親衛軍を糾合し全部隊を帝都に展開。宮城・陸軍省・海軍省・内務省・警視庁などの主要施設を制圧した上で戒厳令を敷き、公方府庁舎を包囲した。







(写真)帝都に展開する親衛軍戦車。





 公方府を包囲した高野翼統合参謀総長は公方府庁舎内に取り残された足利尊子将軍殿下・直管領らに「自身の統合参謀総長職解任の取り消し並びに足利直管領の管領罷免および永久公職追放」を要求。両人は熟考の末已むなく合意し、満足した高野翼参謀総長は戒厳令を解除、クーデターは終了した。

 脱出した直管領は「稚拙な武力恫喝とはいえ約定は約定。尼そぎにでもして仏門に入ろうかと思う」と青い顔で述べた。

 やむを得ない状況であったとは言え、現政権が軍事クーデターに屈してしまった事は、現政権すなわち将軍殿下の権威の深刻な失墜ともいえよう。



(※甘そぎは石動の女性出家者の一般的な髪型。明確な定義はないが所謂ショートカットであり、秋津僧尼のような剃髪ではない。)
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8月 27 (水曜日) 2014
週間当世、「足利冬美女史が将軍殿下の隠し子であった」の報。他 22:53   
 「週間当世」547年8月12日号にこの様な記事が掲載された。



「足利直管領の長女冬美女史、実は尊子将軍の娘だった!?「実の父」語る・・・」



 当の記事によると、直管領のご嫡女であらせられる足利冬美女史(現在陸軍少尉)は実は直管領閣下の実の娘ではなく、その実の父は元幹国海防隊の石動人一兵卒、実の母は他でもない足利尊子将軍殿下であるという。該当記事が情報提供者とする「元幹国海防隊一士の幹国系石動人E氏」は、「幹国海防隊でアマテラス(現あまてらす)に勤務した際彼女と知り合った。やがて彼女が懐妊してしまい気づいた頃には幹国民法で堕胎罪とみなされる時期に入っており出産せざるをえなかったが、当時足利家当主として存命の足利佳代閣下(元陸軍参謀総長)に「平民出の者を武家の長者たる足利氏の正婿にすること能わず」と言われ認知されず、男手一つで育てることになった。その後第三帝政の頃に、既に既婚であった直管領が不憫だと言って養子に引き取ってくれた。その子が冬美である」と述べている。

 足利尊子将軍殿下、足利直管領はこれを即座に否定し、管領は発売翌日にも「かかる雑誌の殿下に関するかような風評流布はもはや国家転覆の企図ありと断じ非常事態法を適用、出版元たる豪胆社に一ヶ月の出版停止処分、並びに「週間当世」編集部員を全員解雇せしむると共に、該当記事筆者を内乱罪で無期懲役に処し投獄せるものである」と発表した。

 一方、この二日後の14日、南朝は興味深い発表を行った。

「北朝簒奪の北闕より男子一名亡命の由。彼北朝赤新聞の取り沙汰したる足利冬美実父たるか」

との事である。北朝公方府に暗殺される事を恐れ、南朝の支配する浄土島への亡命を図った模様である。果たしてことの真偽は如何なるものであろう。



【国際】レゴリス帝国ディトリッヒ総統辞職か。

【国際】ポーレタリア首長国、PTO脱退。一連のPTO機能不全が問題か。
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8月 19 (火曜日) 2014
エーリカ海防一尉ほか海防官・技術者団、大幹より来石。他 12:05   
【社会】空母建造・運用技術支援のため大幹海防官・技術者団、空母丹君とともに来石。「美しすぎるパイロット」に話題騒然

 534年の石幹首脳会談で触れられた「海防官派遣による空母建造支援」がついに実行に移された。546年2月12日に大幹を出港した李順臣提督率いる海防官・技術者一団は2月26日に猫窓鎮守府へ、次いで29日に水嶋鎮守府へ入港。来賓艦として連合艦隊旗艦あまてらすがこれをエスコートした。

 今回派遣された海防官の中でもインターネットを中心に特に話題となっているのはエーリカ・諸葛・クルッチュマン海防一尉である。派遣決定当初から「かわいい」「美しすぎる」「天使」などとネット掲示板などで話題になり、早くもファンが形成され「EMT(エーリカ・マジ・天使)」などのスラングが流行するまでに至った。国内の検索ワードランキングでも2週間連続でダントツトップを収め、さらにイラスト投稿ソーシャルサイト「Pixuv」では、彼女を描いたイラストが溢れかえったという。

 訪石団上陸の際はエーリカ海防一尉のファンが数千人以上集まり、式典会場は大混乱に陥った。

「とんだ一日だ。まああんな娘さんが来られたら一目見たいと思うのも無理はないだろうが」とある憲兵少尉

 憲兵隊や親衛隊の警護のもとようやく海軍省へたどり着いた一行は海軍省において尊子将軍殿下、名和長政海軍卿、伊坂三依連合艦隊司令長官と懇談した。記者の質問に対しエーリカ一尉は



「あんまりものすごい歓迎にびっくりしちゃったよー。国に帰ったら自慢しちゃおっと!そうそう、石動には「大学芋」っていう超あまい芋のお菓子があるんだってね。この後伊坂元帥に連れてってもらうんだー。楽しみ!」

と、芋好きで知られるエーリカ一尉らしい朗らかなコメントを頂いた。







写真:海軍省に到着し一息つかれるエーリカ海防一尉殿





【文化】可塑川書店、仁川芸術文化芸術大学卒業生五名をスカウト。



 今回可塑川書店がスカウトした卒業生は、アニメイラストレーション学科卒が、全世俊さん・金泰亨さんの二名、漫画学科卒が梁慶日さん・金輝玄さん・林達泳さんの三名である。

 全世俊さんは可塑川が帝都アニメーションに制作を依頼したアニメ版「コードエアズ 謀反のルルイア」の作画スタッフに、金泰亨さんは大幹SOFTMAX社と可塑川エンターテイメントとの間で共同制作が決定したゲーム「マグナカーテ」のキャラクターデザインへの起用が決定している。

 また漫画学科卒の梁慶日さんは可塑川の「少年エイブ」にてファンタジー作品「新暗行御使」を、金輝玄さんと林達泳さんの二人はそれぞれ原作・作画を担当し可塑川の新雑誌「コミックヴァルキュリエ」にてバトル漫画「フリーズド」を連載する予定となっている。幹国出身の優秀な作家による新たな流れに注目が集まる。
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Referer  (61)
防衛隊まさかの惨敗。副岡から完全撤退。 14:41   


(退却しようとする防衛隊将校に対し、少弐頼久)



 (丘州副岡市、国際部:吉田兼世)



 541年1月15日、吉備秋津義勇軍との丘州会戦における惨敗の結果、大幹帝国防衛隊丘州征伐師は、ついに丘州からの撤退を決断した。最新鋭装備を有し、歩兵戦術を極めた精鋭大幹帝国防衛隊が、よもや刀で武装した集団に惨敗しようとは、誰が予測できたであろう。



 また、防衛隊惨敗の要因となったのは秋津のサムライたちの活躍だけではない。武装した副岡市民の頑強な抵抗もその一因と言える。



 現在の副岡は中夏系秋津人武器商人らの重要な拠点となっており、そこに住まう副岡市民は老人から子供に至るまでが日常的に重火器類で武装していたのである。



(写真:一般的な副岡市民)



 こうした結果、秋津義勇軍は今回の戦闘結果を「敵の首級3000に対し我が方の死者74名」という異様な数字で締めくくった。



 正統吉備皇国(南朝)政府は、今回の戦闘を、現在の南朝の年号が「応叡」である事から「応叡の外寇」と命名し、「是証左本朝王道之義也。祝着々々。(これは我らが王道を歩んでいる事の証左と言えよう。めでたいめでたい)」と、まるで今回の戦闘が自分たちの手柄であるかのような声明を発した。



 一方の第三帝国(北朝)政府は、今回の戦闘を「丘州会戦」と呼称していたが、友軍の予想外の大敗に騒然とし、「南朝との戦いに散った偉大なる防衛隊勇士のご冥福を祈るとともに、一刻も早く人の皮を被った化物である南朝どもを征討しなければならない」との声明を発した。
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