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山王新聞  石動民間紙最大手。民意に根差した報道を心がけます。
2月 24 (金曜日) 2017
足利教子将軍暗殺さる。各地で騒乱状態。 13:28   
 銀鉱山落盤による経済恐慌を危惧した政府が取引市場と全貿易をストップ、急遽外交活動を停止しておよそ二十年。時あたかも石動史の巨星、足利滿子大御所殿下は682年に薨去され、彼女の置き文により足利持子四代様軍は683年、次女、嗣子様に将軍位を譲られた。足利嗣子五代将軍である。しかし萬和を平定された猛将である嗣子様をしても、石動の危機的状況を好転させることはできず、何ら解決策を視ないまま、政府は外交・貿易活動の再開を行った。ほどなく嗣子将軍は肝硬変により薨去されたが、嗣子将軍は将軍継嗣についてなんら御遺志を示されておられなかった。継嗣問題で紛糾した重臣たちはくじ引きで次期将軍を決定。嗣子前将軍の妹に当たる宗蓮院門跡、天台座主義念様が六代将軍に決した。695年に将軍に就任された義念様は還俗し足利教子将軍と名乗られたが、元来の神経質な性質が祟り、重臣に次々と将軍不敬や謀反の疑いを掛けて排除し、政権は恐怖に包まれた。時に700年3月11日、教子将軍と重臣を邸宅に招いた赤松満介陸軍卿らは、邸内に於いて教子将軍を斬殺。抵抗しようとした山名煕子親衛軍総大将、京極高量内務次官らが殺害され、正親町三条実子外務省外交政策局長が負傷するという事件が起こった。

 赤松氏一同は混乱に乗じ手勢の陸軍一部部隊に守られ播淡道に下向。ここで3月21日、本来将軍家嫡流となる身でありながら不本意な置き文によって嫡流の地位を嗣子前将軍に奪われた、亡き持子将軍の遺児、足利視子様を「正統なる六代将軍」として擁立。皇帝家の将軍宣下を仰ぐと共に、各地の軍を糾合した。これを受けた細川勝子管領兼統合参謀総長は3月23日、教子将軍の遺児、足利尚子様を七代将軍として将軍宣下を下すよう直衣宮九代皇帝を恫喝。幼い尚子七代将軍を頂き、偽将討伐の軍を糾合した。しかしこの混乱に乗じ、3月25日、旧南朝家の熊野宮王が、石動八代皇帝を名乗り、北畠雅子陸軍大佐に奉じられ嘉川道にて挙兵。中央の混乱状態は各地の争乱を誘発し、中央政府の権威は失墜。バラマキ政策によって国庫は尽き、通貨は紙切れと化し、在地勢力の発行通貨が流通。石動は各地の勢力が群雄割拠する戦国時代と化してしまった。

 もはや帝国軍および警察その他準軍事組織の統率もほぼ壊滅した現在、地方では軍が在地勢力として独立し、他の勢力との抗争を繰り返し、戦禍を拡大している。中央に於いても将軍の権威が完全に失墜した現在、この騒乱を抑える事は到底できないと見られており、戦々恐々とする市民は我先にと国外へ逃亡しており、諸外国への難民流入が懸念されるものと思われる。
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4月 10 (日曜日) 2016
【政治】民評院選挙を控え民一、自由で総裁選 21:02   
【政治】民評院選挙を控え民一、自由で総裁選

 事実上の政権参画政党の決定となる第六回民評院選挙を控え、民評院の二大政党である全国民衆一揆・自由党は4月に相次いで総裁選・代表選を行った。これにより民衆一揆では山本太平氏(写真左)が代表に、自由党では有村弘行氏(写真右)が代表に選出された。法改正によって民事閣僚のトップとなる「副管領」にはおそらくこの二人のどちらかが就くものと思われる。民衆一揆新代表、山元議員は「今回民選議員が閣僚として政府に参画できるようになったのは大変喜ばしい事ですが、これは武家政権によるアメとムチの一環にすぎません。政治が人民のためにあるというのなら、政治は我々平民が行うべきです。我々はこれからも真の自由の為に公方府の矛盾を徹底的に糾していく事でしょう。偽りの自由を騙る自由党に敗れてはなりません」と述べ、依然武家政権への批判を行うと共に、自由党と徹底的に戦う姿勢を示した。一方で自由党の有村新総裁は「将軍様は実に現実的な法案を認められたと思います。今回の法改正で三つの身分が協力して政治に参画する制度が確立されましたからね。今回の総選挙、良識ある我が党が勝ち抜き、国民の皆さんの代表として公方府に参加できるよう頑張ろうではありませんか。批判と揚げ足取りしかできない、およそ現実性というものを考えてない民衆一揆の人たちに政権は任せられませんからね」と、法改正を指示する姿勢を見せながら、民衆一揆に対する徹底抗戦の構えを見せた。

 また両党は他の政党に連立などの働きかけも行ており、この連立如何が勝敗を大きく左右するものとみられている。
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【社会】山名氏新当主に満之親衛大将ほか 16:55   
【社会】山名氏新当主、満之親衛大将に決定。山名グループ新会長に就任。



 山名時善前当主亡きあと、山名グループ新会長たる新当主の座をめぐり紛糾していた山名氏の一族会議が646年12月、ついに決着した。新当主は直参親衛軍副司令官、山名満之親衛大将に決定した。この決定には後継者候補からは漏れたものの、山名氏においてかなりの発言力を持つ山名氏浄親衛軍総大将の意向がかなり反映されているとみられている。また今回の新当主争いに煕子親衛中将が敗れたことにより、山名氏女系化の勅許を請う件も沙汰やみとなった。山名氏行直参親衛大佐や山名建設社長の垣屋依忠氏などの煕子派と目される人々は内々にこの山名女系化の勅許を請い後継者争いを有利に進めようと画策していたが、二条基子宮内卿が「宮中は山名氏の内紛に介入する積りはないし、勅許は山名氏内で方針が定まってから検討する」という意向を示し、画策は失敗に終わっていた。

 翌647年1月山名グループ新会長に就任した山名時善親衛大将(写真)はスーツ姿で記者会見に応じ「当家の信任を受けられたことをうれしく思う。我が山名グループは今や石動経済を背負って立つが如き存在である。石動の益々の発展の為にも我が山名は滅私奉公の精神で石動経済の成長に寄与していきたい」と述べた。ただし、同グループは石動有数の企業グループであると同時に、国有地の不正な買い上げや天下りの温床などの黒い噂がしばしば囁かれており、こうした内情が今回の新当主就任を期に取り払われるのか否かが注目されている。



【国際】直衣宮皇女殿下、グロリアーナ学園へ御留学



 646年4月、直衣宮第一皇女殿下(写真)がエルツ帝国グロリアーナ学園へ入学された。宮内省によると留学は本人の希望とのことで、直衣宮殿下と親密である滿子将軍の強い後押しがあったものと見られている。殿下は3月上旬に播淡道立生駒高校の卒業式を終えられるとすぐに二八式戦略爆撃機改造の征夷大将軍専用超音速護送機「御翼」でエルツ入りし、4月にグロリアーナ学園アイリーン大聖堂で入学式を終え、同学園の貴族区画へ入られた。飛鳥井雅頼駐エルツ大使によると、殿下は歴史学の地球ヨーロッパ中世史の専攻を希望している模様であるという。
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4月 05 (火曜日) 2016
山名時善司法卿死去。後継者指名で揺れる山名グループ。 01:59   
 646年2月21日、山名グループ会長を務める山名氏現当主、山名時善司法卿が死去した事が明らかになった。死因は肺がんであったという。将軍殿下は司法卿後任に上杉憲隆文部卿の三男にあたる上杉憲貞警視庁副総監を指名された。

 一方で、山名氏の有する一大企業グループ、山名グループは次期会長をめぐり大きく揺れている。次期会長候補としては、時善氏長女の直参親衛軍軍師長、山名煕子親衛中将(写真左)と、前々当主であり時善氏の兄にあたる故・師良氏の長男、親衛軍副司令官の山名滿之親衛大将(写真右)の二人の名が挙がっている。しかし時善氏は一族の次期当主をどちらにするかの遺志・遺言を残さず死去しており、次期会長の座は山名氏と山名グループ各社社長などからなる一族会議によって決定するものと見られている。
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9月 25 (金曜日) 2015
【特集】経済破綻。戦犯は誰か。 19:23   
 昨今帝国は燃料・食糧供給及び財政に於ける破綻をきたし、遂に613年5月には燃料が欠乏するに至り、指数101を誇る社会保障は71まで引き下げられた。これを受け我が国は成蘭・タヂカラオ・レゴリス・ストリーダなどから経済支援を受けたが、依然として財政状況は改善されず、刻々と資金が浪費されている。ここに614年1月、立法会議評定院は緊急に経済諮問委員会を招集したところ、6期ごとの決済が8兆4630億Vaの赤字であった事が判明した。これらの原因として一色大蔵卿は大和寧帝国凋落による著しい商品不足に伴い、大和寧帝国への送金・輸出は変更せず諸外国からの商品輸入を増加させた事による輸入高の増大、また大和寧帝国凋落による燃料・食糧輸入体制の破綻を挙げた。

 市民の間では滿子将軍の治世を批判する声も高いが、経済政治評論家の宮沢哲也氏はそうした評価は真っ当ではないとしている。「和寧帝国の凋落は晶子将軍の治世から既に始まっていました。これは明らかに晶子将軍政権の見通しの甘さと危機感の欠如がもたらした問題であり、そのツケを払わされている滿子将軍にこの責任を押し付けるのは酷でしょう」

 一方で市民や武家の間では、依然として対和寧支援を行っている政権への批判の声も高い。現在我が国は大和寧帝国へ銀3万7000トン・資金9兆5000億Vaを定期輸送しているが、これに対する適正な対価である39兆1000億Va分の対価は現状支払われているとは言い難い。すでに同国では北方のウラン鉱山が崩壊しており、燃料・食糧不足が頻発している。このため我が国は幾度となく食料・燃料の無償支援を送付しているが、この物資も同国が処理している定期輸送により我が国に送り返されていしまうという。支援反対派の急先鋒である土岐康之統合参謀総長は、「いくら友邦といえど破綻を来しているのは我が国も同じだ。これ以上同国に貴重な資源を送り、無為に送金を続けていれば今度は我が国が荒廃してしまうだろう」と語る。

 そして遂に評定院に於いて土岐統参総長を中心とする支援反対派は、滿子将軍の腹心たる細川之子管領の弾劾を発議した。立法会議に於いて評定院にのみ権限が与えられている管領弾劾発議が実施されるのは今回が初めてだった。滿子将軍はじめ今川・赤松など親将軍家・保守派諸家の宿将達は反対票を投じたものの、土岐統参総長を中心とする斯波・山名・渋川などの反細川派諸家の賛成票には勝らず、45票中賛成20、反対16、棄権9により細川之子管領の弾劾が可決。滿子将軍により泣く泣く罷免が申し渡される結果となった。新管領は未だ未定である。

 ここに本紙は、細川之子元管領に対する独占取材に成功した。以下はその内容である。





細川之子元管領。やや自暴自棄になっているのか、本社記者の取材にも笑顔で対応してくれた。







―この度は取材をお受けいただき誠に有難うございます。本日はよろしくお願いします。

「こちらこそ宜しく。」

―単刀直入にお聞きします。閣下は弾劾決議により罷免に追いやられた原因を如何にお考えでしょう。

「土岐統参総長や山名司法卿、斯波厚生卿など私に良い感情を持っていない武家は沢山いるもの。今回の件は彼らが私を罷免に追いやる好機だったみたいね」

―閣下の反対派の人々は対和寧支援中止・対和寧取引停止で意見が一致していると聞きます。つまり閣下はこれらに反対という訳で?

「いくら我が国が困窮していると言っても、みすみす友邦を見捨てる事は出来ないわ。きっと将軍殿下も同じ考えよ。彼らは恐らく和寧を見限る事で和寧へ輸出していた銀を他国により高値で売りつけたいんでしょう。でも残念ながらこれは財政復興の道筋としては一番の近道だわ。対和寧取引のうち送金だけでも停止すれば、我が国の赤字決済は一挙に解決するし…」

―市井でも、対和寧取引打ち切るべしという声が支配的な様ですね。反和寧デモも幾度か起こっていますし。

「第三帝政初頭なら考えられない話だわ。今から91年前まで私たち石動人は和寧に暮らし、和寧に護られていたのよ。36年前に終結した南北動乱にしても、当時の大幹帝国の参戦がなければ私たち北朝は南朝にここまで優位に立つことは出来なかったかもしれないわ」

―南北朝時代には旧大幹からの支援や無利子融資もありましたね。

「ここで取引停止や送金停止でもしようものなら、石動は恩知らずも良いところじゃ無いかしら?」

―しかし閣下が罷免された今ではそうなる可能性が強いと…。

「でしょうね…。管領の任命は将軍に権のあることだけど、私のように将軍殿下に近しい人を管領に付けても元の木阿弥でしょうし、評定院諸家の内々の競技で次の管領候補が決まるんでしょう」

―こうしてみると前将軍晶子様が制度化させた立法会議が仇となっている様にも見受けられますね。

「大きな国難に直面して、一丸となって将軍に仕えるべき武家達の心が一つになっていないのよ。評定院のあるべき姿ではないわ」

―なるほど。本日は貴重なお話をありがとうございました。ちなみに閣下は、今後はどのように過ごされるのですか?

「こうみえても軍人だし、できることなら統参本部に戻りたいけど…統参総長があの人じゃね…。大方地方で部隊指揮でもしていると思うわ(苦笑)」

―なるほど、有難うございました。どうかご健勝で。

「ありがとう。では」

(614年3月4日、細川元管領自宅にて)



【国際】ラングラード連邦共和国隕石落下で同国駐屯の陸軍第14・第27師団、第5機甲師団と親衛軍第4親衛機甲師団、第9親衛降下猟兵団が壊滅。同地で慰霊際。
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8月 19 (水曜日) 2015
国立競技場、総工費予算が50兆Vaであると発覚。民評院激しく追及 18:07   
 607年11月3日、第二回国際スポーツ大会準備委員会の中間報告で、山岡府新室満京市東区城道に建設予定の国立競技場の総工費が50兆Vaであることが発覚した。民評院議員らはは当初の予算(20兆Va)を大幅に超過しているとして、議員450名のうち320名の署名を集め皇帝陛下臨席の上での諮問委員会召集を陛下に上申。陛下がこれをお認めになり、将軍殿下はじめ公方府全閣僚並びに準備委員会への臨時諮問委員会が11月18日に開催された。

 諮問委員会で準備委員長の今川管領は「競技場案選考時の推定総工費は確かに20兆Vaだった。文部省に建設を移管したところ、何故か文部省が要求した総工費が50兆Vaになっていた」と答弁。これに対し児島孝徳文部卿は「人件費や業者発注費などを適正に算出した結果、総工費は50兆Vaとなった。これは競技場選考委員会の見通しが甘かったという他ない」と主張。これに対し国立競技場選考委員長の建築家、安藤忠道氏は「まったくもって予算が30兆も増えている事が理解できない。児島閣下はそう仰っているが、文部省は絶対に予算を水増ししている」と激しく反論した。

 諮問委員会が紛糾する中、晶子将軍殿下は「すでに建設予定地の城道(12,12)の住民に立ち退いて頂いた以上、競技場建設案を白紙に戻すわけにはいきません。今一度総工費などを適正に算出し、文部省が予算を50兆Vaに設定していた事についてもよくよく追及していく所存です」と述べられ、ひとまず諮問委員会は終了した。諮問委員会に臨席した皇帝陛下は「まったくもって滑稽なものを見せて頂いた。国威発揚のためにも国際大会の開催は結構だが、努々世界に恥をさらす様な真似だけは避けてほしいものだ」と嘲笑気味に仰られた。

 今回の騒動を受け、国際競技場設計案をデザインした山岡府在住のエーラーン人建築家ザハ・ダナイファード氏は取材に対し「私は20兆Vaという既定の予算で建設できるスタジアムを提案したつもりです。今回このような事態になってしまった事は理解に苦しみます」とコメントした。

(写真:ダナイファード氏の設計案)
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3月 02 (月曜日) 2015
政府、嘉川と停戦合意。嘉川臨時政府、フランドル・フランセーズの極秘文書を本紙に公開。 15:25   
 578年6月20日、石動第三帝国は嘉川島全土を掌握した南朝側の親北朝派である嘉川島臨時政府との停戦に合意した。現在嘉川島では全土を掌握した反政府グループの大多数が各々軍閥として分裂し臨時政府の停戦命令に従わず収奪を繰り返しており、政府は国際法に基づき嘉川島が空爆可能な人口に回復するまで嘉川島の人口増加支援などを行う方針であるとしている。今後の南北両統の皇帝がどうなるかについては明らかにされていないが、恐らく大方は北朝に優位な条件で決着がつくものと見られている。



 また今回、本紙は嘉川島臨時政府より非常に興味深い情報を提示された。同政府がフランドル・フランセーズ政府より受信した極秘通信を開示されたのである。その内容は以下のごとくである。



20823:最高議長代理>(秘)このままでは貴国は滅亡してしまう、技術者や石油、資金などの物資を我が国に出資していただき、(フランドル・フランセーズ共和政府)

20823:最高議長代理>(秘)後世の発展に役立てたいと考えるが、いかがだろうか、皇帝陛下や忠臣達もこのままでは再興叶わないだろう。(フランドル・フランセーズ共和政府)




これについて嘉川臨時政府の報道官は本紙記者に対し

「国交もないのに出資せよとは言語道断。そもそも協調組合主義などという珍妙な体制の国家に皇帝を語る資格は無い。呆れた蛮国である」

と、憤慨気味に語った。
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1月 27 (火曜日) 2015
新田秋穂陸軍卿、将軍宣下取り下げと公方府解体発表。尊子将軍ほか主要武家、これに反発か 22:58   
(敷倉県庁の会議室で緊急会議を開く武家・公方府職員ら=573年2月15日 敷倉県敷倉市)



 573年2月3日、新田秋穂陸軍卿兼統合首席参謀は、足利尊子征夷大将軍の将軍宣下取り下げと、公方府の解体を公布した。これは長押宮陛下ご裁許の事であると発表している。



 足利尊子将軍殿下は昨年6月20日より足利直元管領討伐のために敷倉市へ下向の後しばらく敷倉市に滞在しており、将軍はじめ主要武家は完全に虚を突かれた形となった。



 これに応じ主要武家配下の陸軍・親衛軍主力部隊は敷倉市・津山市の二大都市に集結し、「旧南朝奸臣勢力からの帝都奪還」を目標に作戦行動を開始する動きである。航空宇宙軍・海軍・陸軍近衛・自治体警察は事態を静観している。



 津山市で陸軍主力と合流した今川範邦管領は「石動統一のために今回の譲歩を決断された将軍殿下を、こともあろうに讒言で将軍の位から引きずり落とすとはとんでもない奴らだ。奴らこそ石動統一の弊害である」



 と憤慨気味に語った。



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12月 30 (火曜日) 2014
足利直管領、敷倉市で挙兵。敷倉市占拠し籠城戦か。 23:26   
(写真)市街地に立哨する直管領側の陸軍兵士。



 568年6月15日、突如足利直管領が敷倉県敷倉市で陸軍一部部隊およそ一個師団規模(約2万人か)を糾合し、「皇国義勇軍」を名乗り敷倉市を占拠した。すでに敷倉県警や駐留部隊若干が無力化されており、大変緊迫した状態となっている。

 足利直管領が「皇国義勇軍」を名乗り挙兵に及んだのは今回で二度目である。あれほど仲睦まじかった足利姉妹がこの様な骨肉の争いを繰り広げるとは、第三帝国再興当初、誰が思い至ったであろう。



 直管領は「姉上は妖狐高野翼に惑わされお心を病み、もはや昔の姉上では無くなってしまった。こうなった以上北朝に未来はない。長押宮陛下に於かれては、私に一刻も早く勅命を下して欲しい」と述べた。
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11月 05 (水曜日) 2014
足利直管領の秘書官長斎藤利継氏、斬殺さる。犯人未だ不明。 02:06   
【写真】現場を検証する警視庁捜査員ら。



 559年1月18日夜、山岡府室満京市北区奉還町の路上で人が死んでいるとの通報を受け急行した警官らは、足利直管領の秘書官長、斎藤利継氏氏の無残な惨殺死体を発見した。警視庁の発表によると、斎藤氏の遺体は背中から日本刀と思しき刃渡りの長い刃物で背後から一斬りされており、明らかに何らかの特殊技能を持った者による犯行であるという。



 これ以前から陸軍、公方府、各省庁などで、足利直管領に近しいとされている軍人・官僚らが次々と不祥事などを理由に免職されているという。こうした動きの裏には間違いなく、高野翼前参謀総長が亡くなった今、実質公方府を牛耳っている尊子将軍の意向があると見てよいだろう。彼女ら姉妹の和解はやはり表面上の物でしかなかったのであろうか。
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