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ヴェールヌイの報道 ヴェールヌイ社会主義共和国メディアの報道を集約して紹介 | ||
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5月 28 (木曜日) 2015 | ||
【第19号594年3月】燃料危機 国内動揺隠せず | 21:26 ヴェールヌイ社会主義共和国 | |
【燃料危機 国内動揺隠せず】 593年8月に国内ウラン鉱2つが同時に失われた"事故"に、政府は、燃料生産力が回復するまで全ての開発計画を撤回すると表明し、共和国国土は建国以来初めての静寂に包まられているが、人々の間には大きな動揺が広がっている。労働党書記長選を翌年に控え、レゲロに対する全面的な資本投入も決定し、一部開始された直後だったうえ、世界的に燃料需給問題が取り沙汰される中での事故発生に「最悪のタイミングだった」と政府関係者はうなだれている。生産能力回復が何時になるのか、その目処も立たない中、政府は各国への謝罪と、燃料や資金確保交渉に追われた。現在はヴェールリズセ共和国、ノホ・ヘレコ連邦、スコッチランド共産主義同盟の3カ国から燃料支援を受けている他、成蘭国立銀行への資金借款を申請しており、燃料及び商品枯渇後の資金の緩やかな減少に備えているといった状況であり、事態が長期化すれば、先の人民議会声明にて発せられた"統制強化"も現実味を帯びてくるだろう。 事態の長期化は、共和国が燃料輸出していた各国及び支援国に対する潜在的な補償債務を膨れ上がらせることになっているとの見方もある。先の人民議会において、労働党は「共和国の信用を少しでも取り戻そうというのなら、たとえ何十年かかろうとも補填事業は絶対に必要。何もなかったかのように振る舞うことは絶対に許されないし、それは我々が我々たる所以を放棄することになる」との見解を示している。 現在の状況に続き、予想される復興事業と将来の補填ともなれば、国内経済の減退は不可避であり、労働党の支持率低下も免れないだろう。この状況に、労働党が「事実上の国家元首選」と謳った次期書記長選も、もはやその意義が疑問視されるほどであり、党の一部からは既に、議会での議席数減少後の党運営を見据えた選挙にすべきとの声もあがっている。 ・政府、ヴェールヌイ公共放送(国際版)で公式に謝罪と経緯説明を行うことを表明。 ・旧スコッチ王族、貴族がフランドルに亡命。「当然のことであるし必要もなかったが、フランドル駐留部隊には静観するように命じている。車列に敬礼する兵もいたそうだ」(軍作戦総局) | ||
5月 25 (月曜日) 2015 | ||
【政府声明】593年8月のウラン鉱喪失について【号外】 | 19:51 ヴェールヌイ社会主義共和国 | |
(本記事は随時追記されます) 我が国のウラン鉱消失について(593年9月上旬発表) 1.21373期593年8月下旬、我が国において2つのウラン鉱が消失いたしました。 2.本事象により、我が国の燃料輸出能力は失われました。 3.我が国は、契約各国に与える悪影響並びに国際的信用の観点から、輸出を最大限維持する為の方策を検討いたしましたが、我が国自身が燃料輸出国である中、近年の燃料需要の高まりからも、輸出継続の為の燃料調達源を新たに我が国自身が確保することは困難であり、また実施に足る財源も存在しないのが現状です。 4.燃料備蓄を喪失すれば、我が国の社会の安定が著しく脅かされるものであり、我が国は、我が国の国体を保全することを第一義と考えなくてはならない責任から、誠に遺憾ながら、本声明の発表後、関係する全交易を停止いたします。 5.停止されるのは次の定期輸出となります。アジノーチカ共和国/ストリーダ王国/成蘭連邦王国への燃料輸出(各2億トン)ティユリア連合王国への商品輸出(5兆Va相当) 6.本事態の責任の全ては我が国にあるものであり、契約各国に対しまして心からお詫び申し上げます。 7.上記の各国に対しましては、能力の回復が図られ次第、速やかに規定の輸出を再開するものですが、またその際に契約の破棄がありましても異論ありません。係る輸出停止によって発生した損害についての補填を希望される場合、我が国は真摯に対応させていただきますとともに、個別に協議させていただきます。 ヴェールヌイ社会主義共和国 閣僚評議会 我が国の安定を保護することについて(593年9月上旬発表) 全ての定期輸出を遮断し、なおも我が国の安定を図りうるだけの燃料(統計局報告では6期15億t規模だが現段階では正確性に欠く)を継続的に輸入することは困難であり、完全な枯渇はこれを許容しなければならないと認識する。我が国従来の自主経済体制は、燃料が供給される場合において、収支は微増、商品は微減していたものであって、燃料枯渇後は国家資産金の消耗が加速度的に進むものと考えられ、これの枯渇をもって我が国の体制に危機的状況が発生するものと予想される。既に数か国と燃料の調達に関し交渉を行っており、一部合意に至っているも、正常稼働を担保するだけの確保は依然としてその目処が立たないものであり、各国に与える負担と、これによる我が国の抱えることになるであろう補償義務の増大は、将来に自給が再開できたとて、国家の運営に与えるダメージは甚大でありつづけもので、目的であるところの国体維持を困難なものとすると考えられる。よって我が国は、燃料の完全な枯渇を許容してなお社会の安定を維持しうる手段を講じなければならないという結論に達し、現在合意に至った燃料輸入の範疇による断続的な工業・商業可動による資金減のペース抑制ならびに燃料消費の大幅縮減、さらに大規模な資金借款等の手段を複合的に用い、この時局を乗り切ることとした。生産設備等の物理的削減は、本計画が目指すところの資金減のペース抑制そのものに悪影響を与えるばかりか、自給再開後の復興処置を更に遅延させる要因となりうるため(さらには、将来発生する火山活動によって設備資本の被害は避けられないものであり、これをさらに悪化させる)、これを行わないが、燃料使用の大幅削減を達する為、国内のあらゆる活動に対する強い統制処置を実施するものである。このため、人民議会権限によるところの要決議事項の政府への移譲を時限的に実施し、統制の円滑化を図ることで、ヴェールヌイの各党は合意に至った。現政府の責任の追求並びに予定されていた労働党における時期書記長選(予定どおり実施される)の結果は、この時限的な統制処置に影響を与えないものとするものであり、労働党は、無用な混乱を避けるため選挙後も現状の政府を継続することで各党と合意した。これら全ての処置は憲法に違反しない範疇のあらゆる特例処置を用いて、各種統計の正確な計算並びに各国との交渉の推移如何により、必要な部分においてのみ実施される。(要約・場合により警察国家化します) ヴェールヌイ社会主義共和国 人民議会声明 | ||
5月 23 (土曜日) 2015 | ||
【第18号593年5月】労働党書記長選はじまる | 17:35 ヴェールヌイ社会主義共和国 | |
【労働党書記長選はじまる】 オベルタス・スヴィトラーナ書記長が、594年6月で就任から3期15年の任期満了を迎えることから、次期書記長選に向けた準備が進んでいる。この15年間のスヴィトラーナ政権下における経済・外交政策の成功は、人民議会におけるヴェールヌイ労働党の単独過半数維持に大きく寄与している。直近の人民議会選挙においても更なる議席の拡大が期待されており、共和国における労働党指導の輝かしい歴史は継続されるであろうことから、これまでに引き続き、この書記長選は次期国家元首選ともいうべき性格を持つ。現時点で、現政権で外務大臣を務めるヴァシリー・サロート氏、15年前の書記長選において現職に敗れたマクシム・シチェドリン氏の2名が立候補を表明している。 【候補者紹介(二名)】 ヴァシリー・サロート~グムラク出身。カニェーク芸術大学卒業。同大学名誉博士、ストレルカ名誉技師、労働党員、人民議会議員、現外務大臣、国家名誉勲章3級。大学卒業後は10.7工場(現ストレルカ時計工場)配置をうけ、外反全般やピンバックルのデザインで活躍。同工場の国家名誉勲章1級授与に貢献し、自身も3級を授与されている。当時タイル製造を手がけていたスヴィトラーナ書記長と労働者工作技術振興会議で知り合い、それ以来交流があった。スヴィトラーナ政権2期目(民主化後)に民間から外務大臣として抜擢を受け就任。3期目には自身も労働党からの信任を受け、スヴィトラーナ書記長の地元で影響力の強いバイウリェーニャから人民議会議員選に出馬し、民主農民党と共産党の候補に大差をつけて当選している。(この際文化自由連盟も共同推薦した)党内ではノルシュテイン派(穏健派)で、外務大臣として目立った功績はないが、繊細な人物として知られる。(国際的にはヴェールリズセとの協定締結で名前が唯一登場している)【主な主張】現在の経済政策の延長と洗練化を図り、より強固な自主経済体制を目指す。対外関係においては、共和国が現在抱えている対フランドルおよび対レゲロ問題の長期化に終止符をうち、早期解決を実現する。他方、外国の社会主義勢力に対しては、既存友好国と同様に、平和・平等・民主主義の理念に沿って冷静に対処するとした。ただし、黎明期に招致を受け、なし崩し的に加盟したFSIについては、現在の共和国の置かれた現状に基いて、改めて立場を再定義する必要性を認め、諸外国の理解を得ながら努力したいとした。 マクシム・シチェドリン~カニェーク(旧称クラヴィス)出身。サンサルバシオン総合高等専門学校(現サンサルバシオン政治大学)卒業。労働党員、工商行政管理総局責任局員。大学卒業後は党本部に勤務、党政治局員として指導実務の経験を積む。その後党政治局の推薦と閣僚評議会の信任により工商行政管理総局に党責任指導員として在籍。諸外国との貿易・外交について党政治局の立場から指導業務を行っていたが、完全民主化後は行政監督制度の撤廃に伴い、正式に工商行政管理総局の局員となる。579年の前書記長選に立候補、都市部では勝利するも、地方票で圧倒的大差がつき現職に破れている。これにより党専従職を離れることとなったが、功績と経験により民主化後は主要大規模官庁である工商行政管理総局の責任局員となり、名誉局員として各種調整、指導業務を続けている。対レゲロ向け交易支援事業で成果をあげている。【主な主張】経済の合理化を進め、現実に基づき、交易利益も考慮したハイブリット工業を模索する。レゲロの共和国経済組み入れも視野に、経済大国への道筋をつける。また唯一安定した社会主義国という立場・責任を国家として認識する必要性を唱え、間接的な革命支援を強化する為、主体的な外交を展開。FSIでの主導的地位を確立して、社会主義国との関係強化をより強め、相互発展と平和維持構造の構築を目指すとしている。 現職が支持するサロート氏の支持基盤は堅いと見られるが、自主経済の閉塞が危惧される昨今において、シチェドリン氏の掲げる経済大国へのビジョンは新鮮味があり愛国心を高揚させるもので、近年の諸外国における社会主義運動の高まりに対して現政権が積極行動しないことへの不満感も背景に、徐々に支持を拡大しつつある。結果は594年6月の投開票まで予断を許さないと見られる。 | ||
5月 21 (木曜日) 2015 | ||
【第17号593年1月】特集-成蘭王訪問 | 12:37 ヴェールヌイ社会主義共和国 | |
【成蘭王 黒石治家第五代国王陛下、共和国訪問】 かねてより外遊予定が報じられていた成蘭連邦王国第五代国王である黒石治家陛下が、去る592年8月19日に共和国に到着、21日まで滞在し、共和国各所を訪問した。 成蘭国内では、今回の諸国歴訪が現国王の最後の外国歴訪になるだろうとし「とりわけ両国の関係が深い国・思い出深い国」が選択されたと報じている。国王・王妃両陛下は、ティユリア連合王国、ガトーヴィチ帝国、石動第三帝国、レゴリス帝国の四カ国を訪問、我が共和国は各国歴訪最終の五カ国目となる。訪問対象国中、対成蘭関係の歴史は共和国が最も短く、また唯一王室外交を伴わないものである。共和国政府は、首都周辺の工場の稼働停止を指示したほか、期間中の各地訪問に全てスヴィトラーナ議長同志が帯同するなど、かつてない歓迎体制となった。 [19日-首都サンサルバシオン] 初日、首都サンサルバシオンに到着した両陛下は、共和国元首であるスヴィトラーナ議長同志の出迎えを受け、歓迎式典に参加。国家人民軍地上軍衛兵連隊の儀仗兵らを閲兵した。長い海外歴訪の最終段であることから、両陛下の体調に配慮し、市内観光は控えられ、歓迎式典後は共和国宮殿に直行した。共和国宮殿までの沿道には、多くの人民が集まり、両国旗を振りながら「共和国と成蘭連邦の友好万歳」「信頼と平和の純粋社会主義万歳」を叫んだ。共和国宮殿では、スヴィトラーナ議長同志と短い懇談を行ったほか、政府主催の晩餐会が執り行われた。 [晩餐会の乾杯前のスピーチにて] スヴィトラーナ議長「本来ならば黒石陛下にスピーチいただかなくてはならないところですが、無理をおして最後に共和国を訪問されておられる中、このうえ陛下をここに立たせるようなことがあれば、わたくしは成蘭人民に「なんと不敬なやつだ」と言われてしまうでしょう。(会場に笑いが漏れる)わたくしは長話が嫌いですので、はやく乾杯させていただきたいところなのですけれど、内務大臣によれば、それこそ不敬にも、わたくしよりもこの席で乾杯の音頭をとるに相応しい人物がいると言って聞かないものですから、その方にこの場をお譲りしたいと思います。シベリア友好協会会長として、ヴェールヌイ・シベリア両人民の友好促進に貢献されておられるセルゲイ・イリザロフ同志です。イリザロフ同志、焦っても党の作った原稿はありませんから、観念して出てきてください」 イリザロフ会長「えー、このような形でお呼び出しを受けるとは思ってはおりませんでしたので困惑しておりますが、精一杯挨拶をさせていただきます。さて、私の父はシベリア共和国の最後の産業大臣であるドミトリ・イリザロフでございます。ちょうど今から約27年前に、祖国が突然失われたということは今にも記憶に新しく、そして今も望郷の念で胸がいっぱいであります。シベリア人はFENA圏を含めて、様々な国に散らばってしまいました。私が普段勤めております友好協会はそのシベリア人のネットワークを可能な限り維持することを目的としています。今回、シベリア共和国の友好国であった成蘭国王陛下の各国訪問は、世界にいるシベリア人の結びつきを再び強固なものすると確信しております。それでは成蘭連邦王国、我々シベリア人の第二の祖国であるヴェールヌイのさらなる繁栄を祈り、乾杯!」 [20日-グムラク] 訪問二日目は、両陛下はグムラクの工場群及び港湾一帯を視察した。グムラクは共和国最初期に造成された工業地帯であると同時に、初の貿易港設置地帯である。共和国が、その歴史上初めて定期交易の契約を行ったのが成蘭であり、これはグムラクが貿易港として発達を遂げる原動力となった意味で、縁のある地域だと言えるだろう。この燃料輸出は、同国で燃料需要が減少してからも、黎明期の貧弱な共和国経済に与える影響に配慮する形で継続された。後に、共和国はFENA準加盟国となり、幾度の輸出量やレートの改定を経て、両国にとっての意味合いも変化を遂げているが、その枠は途切れること無く現在も維持され続けている。スヴィトラーナ議長同志は、両陛下を案内しながら「このグムラクで、両国経済の歴史を思い起こすと、今まさに成蘭で燃料需要が高まっている中、私たちが輸出量を拡大することもせず、恩に報いることが出来ない事を大変心苦しく思っています」と述べ、対して黒石陛下は「ヴェールヌイの経済発展モデルは国際社会の範たるものそのものであり、ヴェールヌイ、成蘭がともに健全な経済成長を継続することを願うばかりである」と述べ、共和国の社会主義自主経済体制に理解を示した。 [21日-ノヴィ・ノヴォシビルスク(シベリア人自治区)] 最終日、両陛下はベイクラント島シベリア人自治区を訪問した。これは共和国側の提案に含まれていなかったもので、成蘭側の強い希望により実現したものであった。自治区内の中核市であるノヴィ・ノヴォシビルスク郊外にある「シベリア共和国の原子力災害犠牲者の碑」(シベリア追悼碑)を訪れた黒石陛下は「シベリアを襲った原子力災害の被災者に対し心からお見舞い申し上げる。例え、シベリアが国家ではなくなったとしても、彼らが我々にとって素晴らしい友人であることには変わりない」と述べ、追悼碑に献花した。続き、共和国政府名による献花、黙とうが執り行われた後、スヴィトラーナ議長同志による追悼の文朗読と演説が行われた。 「祖国を失った全てのシベリア人と、全ての犠牲者に哀悼の意を表します。いまより27年前、565年6月にシベリア共和国は失われました。共和国建国一周年まで一ヶ月という時のことで、わたくしがちょうど9歳の時です。建国間もない当時、共和国全土は貧しい農村のみが存在するばかりで、物資も、それを扱う知識も不足しておりました。いくつかの国々から支援を受けましたが、その中でも一番早く、そして多くの物資援助と、国際協力隊の派遣によって各種のノウハウを私たちに与えたのは、シベリア共和国でありました。共和国全土が貧しいものでしたが、わたくしの故郷であるバイウリェーニャは、全国で一番に貧しい村でした。村の皆が「社会主義による組織的農業を打ち立てよう!」のスローガンのもと日夜努力していましたから、幼かったわたくしも、外で手伝いをすることが多かったものです。冬はとても寒いので、凍えて動けなくなったこともありました。ある日、協力隊の若い青年が、そんなわたしに手袋をくれました。幼い私は、恥ずかしくなって「ありがとう」のひとつも言わず、ただそれを受け取った記憶があります。それからしばらくしたある日、協力隊が私たちの村から引き上げることになりました。撤収式で、その青年を見つけた私は、彼に駆け寄ってお別れの花を手渡しました。彼は「おじょうちゃん、強く生きて、よく家を手伝うんだよ。みんなで助け合えば、いつかきっといい国になる。だから頑張るんだよ」と・・・鮮明に覚えています。彼を含め、協力隊の殆どの方が泣いていた理由をちゃんと理解できるようになったのは、もっと先になってからのことでした。時に、ヴェールヌイはシベリアの血を吸い、その骸の上に立っていると、皮肉をこめて仰られる方がいます。わたくしは、これは皮肉ではなく、誠にその通りだと思うのです。シベリアは、共和国の体を流れる血の源流なのですから。そして、いまこの場に、成蘭連邦王国の黒石陛下がおられますことも、とても大きな象徴的意味合いを感じずにはいられません。シベリア共和国の消滅がなければ、共和国と成蘭連邦の国交締結はもっと遅いものであったでしょうし、現在のような友好関係が築かれることも無かったかもしれません。両国友好は、シベリア共和国が我々に残した最大の財産であり、これを一層、維持発展させることが、亡きシベリアへの最大の鎮魂になると、そう信じております」 [帰国~両国友好を再確認] 全日程を終えた両陛下は、首都サンサルバシオンに戻り、帰国の途に就いた。黒石陛下は帰国前のコメントで「政治思想や体制が異なるとしても、両国が平和友好の精神を忘れなければ関係はより一層プラスの方向に親密になることでしょう」と述べた。スヴィトラーナ議長同志は「退任を2年後に控えるわたくしにとっても、おそらくこれが最後の大きな仕事だったのだと思います。いずれ王国を旅行しにいきます」と応えた。今回の成蘭王による諸国歴訪は、共和国にとっては、初の国家元首相当の訪問受け入れの経験となり、また成蘭連邦との友好親善はもちろん、消滅から間もなく30年を迎えようというシベリアの記憶を呼び起こす大変意義深いものであった。 (本記事は成蘭連邦王国並びに旧シベリア共和国によって実際にコメントを取得し、また全文の校正を受けている/写真は成蘭王到着を待つ成蘭旗を持った儀仗兵と歓迎の為沿道詰めかけた市民ら) | ||
5月 10 (日曜日) 2015 | ||
【第16号591年3月】共和国宮殿落成/先進国入りも自立永続経済建設に課題 | 22:12 ヴェールヌイ社会主義共和国 | |
【共和国宮殿落成】 首都サンサルバシオン郊外、人民議会堂のほど近くで建設が進められていた「共和国宮殿」が591年3月に完成し、落成記念式が執り行われた。共和国宮殿は、当初は議長官邸として計画されていたが、外国の国家元首や政府の長などの国賓が我が国を訪問した場合の宿泊等にも対応できる迎賓館としての機能も付与されることとなり、後に再設計されたもの。設計変更は、成蘭連邦王国の黒石治家第五代国王が共和国訪問の意思を示したために急遽決定された。これまで共和国に外国元首が訪問した事例がなく、今回の成蘭国王訪問決定を機に、国賓への接遇を行える体制整備が図られることとなり、共和国宮殿の設計変更もこの一環だ。共和国宮殿の設計を担当した人民芸術家で設計士のミハイル・カレリン氏は、落成記念式において以下のように述べている。 「社会主義の先進国として、我が共和国が世界に恥じない姿を確立することは重要です。共和国宮殿は、議長同志の官邸と迎賓館として相応の機能と威容を誇りながらも、けして権威を必要以上に誇示し、威圧感を与えるようなものにならぬよう配慮しました。社会主義芸術の中心として、人民に親しまれる建造物になったと自負しております」 なお、共和国宮殿へのスヴィトラーナ議長の移動は、成蘭国王の訪問後に実施される予定となっている。これは「新しい状態で、一番最初に黒石閣下に使っていただければ良いのでは」との議長同志の意向によるもの。政府は、成蘭国王の訪問予定三日前から、首都近郊に位置する全ての工場に操業停止を指示するなど、受け入れ体制に万全を期している。(操業停止は排気を出来る限り減らす事と、より多くの首都圏近郊の人民を沿道での出迎えに動員する為の処置である) 【先進国入りも自立永続経済建設に課題山積】 先の世界的な軽工業における生産力低下は、直接的な商品供給不足のみならず、各種原材料と燃料市場にも大きな影響と負荷を与えている。外的要因を排除した自主経済を掲げる共和国も、その影響を免れないでいる。政府は「影響は軽微なもの。共和国の社会主義経済は今般の世界的変動に動じず、輝きを増している」と声明しているが、事態はけして楽観できるものではないだろう。政府方針では、現状の工業体制のまま規模拡大で国内の消費財を賄う方針だが、消費量そのものの見直しと、その指標になる国家維持費の縮減は避けられないのではないかという見方も強い。 またFENA諸国の構造改革に、共和国がどれだけ関与、貢献しうるのかという問題もある。政府は生産量低下直後のFENA総会において、成蘭やティユリアの過剰消費と、それにつきあう過剰生産の削減策をまず明らかにするべきとの立場を示し、暗に彼らの資本主義経済体制を非難しているが、それは、共和国がFENA諸国と可能な限り協調し、支援する責任を放棄するものではないだろう。その責任を果たす上で、私たちの社会主義経済体制に、私たち自身がいかなる要求を課すのか、その行末は未だ不透明である。共和国は590年10月に、国際経済指数上において、初の先進国入りを果たしているが、喜びの声も上がる一方で、こうした先行きへの不安感も、同時に広がっている。 写真:新しく完成した共和国宮殿(上)成蘭連邦王国旗(左下)共和国の軽工業(右下) | ||
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