util
パスワード紛失新規登録
関連リンク
メインメニュー
ホーム 旧貿箱掲示板 貿箱ヘッドライン XOOPS検索 貿箱Wiki 貿箱フォーラム 各国報道機関 Write Blog Preference New Blog Links |
オンライン状況
404 人のユーザが現在オンラインです。 (79 人のユーザが 各国報道機関 を参照しています。)登録ユーザ: 0
ゲスト: 404
もっと...
Sort by Vote Ranking
大明國報 | ||
---|---|---|
3月 31 (火曜日) 2015 | ||
【防衛】統一龍鮮軍、ノ連本土へ反攻。出征式 | 22:38 | |
幹国防衛隊と香麗人民軍によって組織されている統一龍鮮軍は6月15日にノ連本土反攻出征式を敢行した。 既に龍鮮軍はノ連北部への上陸に成功している。 【防衛】燕海君陛下、大領帥に御任官 6月14日、燕海君陛下は幹国防衛隊の大領帥に御任官なされた。 今までは防衛隊の最高指揮官は総理大臣で、その下に陸海空の幕僚長たる領帥が共同で作戦立案にあたるという体制であったが、陛下は防衛隊の統帥権が皇帝の下に有った旧皇軍の体制を取り入れることで、防衛官の士気向上にも繫がると仰せられ、鄭総理に大領帥位創設の勅旨を伝えられ、内閣と議会の賛意の下、大領帥位に御付きになられました。 (近いうちに大領帥御服姿の燕海君を描きます。) | ||
3月 30 (月曜日) 2015 | ||
南北和平成立、龍鮮半島統一準備政府樹立ほか | 23:14 | |
584年3月21日、石動陸軍中央即応部隊群特殊作戦大隊は香麗民主連邦主席崔恵徳以下、連邦・香麗労働党指導部は全滅し、対幹穏健派で反崔氏派の尹長燁内務次官・労働党書記率いる和睦統一派の官僚・軍人が連邦政府・労働党・人民軍を掌握した。 22日、尹書記は民族平和統一委員会を設立し委員長に就任。 人民軍に停戦を指示し、事前の連絡通りに幹国政府に和平を打診した。 これを受けて、23日に京城にて鄭俊雄総理と尹長燁委員長の会談が行われ、以下の合意が交わされた。 1.大幹帝国と香麗民主連邦は早期に統一への共同準備政府を発足させる。 2.新政府は南北旧政府統治地域において1国2制度を採用する。 3.新政府は石動への宣戦を撤回し、白紙講和を締結する。 世寧君陛下、洛水君殿下の無事を確認 3月10日に香麗の特殊部隊によって拉致された世寧君皇帝陛下と洛水君皇太子殿下の無事が23日、確認された。 幹国政府は、緊急事態として11日に、レゴリス帝国滞在中の燕海君皇太孫殿下に即位を誓願し、ご了承を賜り、六代皇帝に践祚なされていた。 25日の皇族会議により、世寧君陛下・洛水君殿下は正式に燕海君殿下に譲位なされ太上皇帝になられた。 また、新元号は「紹和」と改元された。 龍鮮半島統一準備政府樹立 4月1日、京城市にて龍鮮半島統一準備政府が樹立された。 統一準備政府は、大幹帝国政府と香麗民主連邦政府の連合政権で、燕海君皇帝陛下と尹長燁委員長が共同元首を務める。 | ||
3月 26 (木曜日) 2015 | ||
【維新】防衛隊有志「木槿会」率いる部隊が慮文鉉政権を打倒! | 21:49 | |
583年(世寧24年)3月2日、防衛隊内部の秘密政治結社「木槿会(むくげ会/무궁화회)」率いる部隊は、乱暴な外交によって幹国の国際的信用を地に落とし、友邦石動との友情を引き裂いた國賊盧文鉉政権打倒に決起した。 我が木槿会は水源市を制圧し、慮内閣関係者を全て拘束することに成功した。 全国の防衛隊・警察機構も我々の決起に賛意を表明し、無血維新は成し遂げられた。 【政治】木槿会会長鄭俊雄航空幕僚長、首相就任 3月4日、盧文鉉内閣打倒に成功した木槿会は新首相に会長の鄭俊雄航空幕僚長領帥を擁立した。 鄭領帥は、第6代首相鄭会昌閣下の孫にあたり、長年に渡り航空防衛隊として防空体制の構築に努める一方、防衛隊内の政治結社「木槿会」を主宰して、北幹打倒・反共統一・国防充実を訴えてきた。 畏くも皇帝陛下は木槿会の決起をお認めになられ、「一致団結して国難に対処せよ。」と仰せられた。 【司法】特別裁判により、慮前首相に終身刑判決 3月5日、特別裁判により、慮前首相は「避難民もろとも韓江大橋を爆破して逃走した罪」により終身刑判決が下された。 | ||
3月 24 (火曜日) 2015 | ||
【速報】防衛隊の一部部隊がクーデター、盧文鉉首相を拘束か | 00:27 | |
583年3月2日、防衛隊の一部部隊がクーデターを起こしたとの情報が入った。 北幹軍が臨時首都の水源に迫る中、政府は突然の味方による攻撃に情報は錯綜状態にあり、盧首相が拘束されたという報告も上がり、真偽の確認と対策を急いでいる。 | ||
3月 19 (木曜日) 2015 | ||
【速報】北幹軍南進 | 22:32 | |
582年6月3日、北幹(香麗民主連邦)の香麗人民軍が突如南進を開始した。 現在、防衛隊は石動へ向けて移動を開始しており、国境守護帥以外の戦力はなく守護帥約8万に対し、人民軍は80万以上の兵力を動員していると見られる。 慮総理テレビ演説(抜粋) 「南北軍事境界線には、要塞群が幾重にも建設されており、北幹軍が京城にたどり着くことはありません。市民のみなさんには冷静な行動をお願いします。」 | ||
3月 18 (水曜日) 2015 | ||
【防衛】対石動宣戦布告 | 23:10 | |
世寧23年[582年]4月18日、議政府情報部は「南丘州薩眞沖における海上防衛隊護衛艦『対島』沈没事件に関する報告書」を盧文鉉総理に提出した。 同日の閣議後、盧総理は「長年に渡り友好を深めてきた石動は我が国を裏切り卑劣な暴挙に出た。」と強く非難し、事件は石動軍と反乱軍による攻撃であるものと公表した。 (記者会見を行う総理) 4月19日、盧総理は常民院に対石動宣戦布告を発議、賛成162・反対134・棄権4にて可決され、皇帝陛下に報告された。 畏くも陛下は「永年の友邦と訣別せざるを得なくなったこと誠に遺憾。と仰せられるも、立憲主義に従い宣戦に同意なされ「開戦までに平和解決の道を模索せよ。」と仰せられた。 (582年4月 議政府発表) | ||
3月 16 (月曜日) 2015 | ||
【防衛】石動近海で海上防衛隊駆逐艦が沈没 | 22:53 | |
581年12月7日、秋津丘州自治政府胤子島近海で丘州海上保安隊・丘州海上警察と合同で警備活動に従事していた幹国海上防衛隊蔡洲鎮守府所属「対島」が所属不明の潜水艦の攻撃を受けて沈没した。 任務中の海上防衛官219名全員が殉職した。 同地域は吉備秋津義勇軍の残党が支配する琉宮国に近く、琉宮の吉備秋津義勇軍は石動・吉備の和平後も琉宮国政府を傀儡として支配していた。 応援要請を受けて現場に急行した丘州自治政府海上保安隊の報告によれば使用された魚雷から反乱部隊の石動守護帥か石動海軍の攻撃である可能性が強いということだった。 (攻撃に使用された魚雷は幹国海上防衛隊装備のもので、海防隊以外では石動・丘州にしか輸出されていない。) 政府は議政府情報部に調査を命じ、事実関係の確認を急いでいる。 | ||
3月 15 (日曜日) 2015 | ||
【防衛】石動守護帥撤収命令を拒否。議政府「文民統制違反にして重大な国家反逆」ほか | 00:48 | |
581年7月7日、帝国防衛隊石動守護帥の鄭俊樹陸防一将・李純臣海防一将以下幹部防衛官らは幕僚会議の結果、石動からの撤収命令を拒否することを宣言した。 盧文鉉総理は「文民統制違反にして重大な国家反逆行為である。」と激怒、また同帥集団の保護を表明した石動第三帝国政府についても「逆賊に加担することは幹国に対する明確な敵対行為である。」と激しく非難した。 (581年7月 議政府官房発表) 【国際】政府、石動に対する最後通牒を提出 7月9日、盧文鉉総理は常民院に「石動第三帝国に対する最後通牒」を提出した。 「我が幹帝国政府は石動第三帝国に対して以下の要求を行う。 1.反乱軍である石動守護帥の拘束及び送還。 2.経済相互援助会議脱退の撤回。 3.オセアニカ条約機構脱退の撤回。 特に、反乱軍を保護することは幹国への明確な敵対行為であり、重大な脅威である。 今から8期後の20948期までに以上の要求が満たされない場合、石動との全外交関係を断絶、宣戦を布告する。」 最後通牒案は賛成155・反対143・棄権2で可決された。 【防衛】防衛隊総司令部、全石動守護帥防衛官に投降命令メールを送信 7月10日、防衛隊総司令部は石動守護帥に投降命令文のFAXを送信。全防衛官に以下のメールを送信した。 石動守護帥防衛官게告함 (石動守護帥防衛官に告ぐ) 一 지금이라도 늦지 않으니帰国하라 (一 今からでも遅くないから帰国せよ) 二 抵抗하기者은전체逆賊이니射殺하기 (二 抵抗する者は逆賊であるから射殺する) 三 너들의부모형제國賊이되므로皆울고있다고거야 (三 お前たちの父母兄弟は國賊となるので皆泣いておるぞ) 七月十日 帝国防衛隊総司令部 (581年7月 衛務院発表) | ||
(1)  | ||
PopnupBlog V3 Denali created by Bluemoon inc. |