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ヴェールヌイの報道  ヴェールヌイ社会主義共和国メディアの報道を集約して紹介
8月 19 (水曜日) 2015
第二回国際スポーツ大会開催 関連記事 20:33  ヴェールヌイ社会主義共和国 
石動帝国は、609年3月下旬に同国の山岡にて第二回国際スポーツ大会を開催することを発表し、参加と協賛を募っている。国際スポーツ大会は、565年の大幹帝国(当時)仁河大会以来、約44年ぶりの開催決定となった。共和国政府は「国際スポーツ大会は、世界の友情と連帯、平和でより良い世界を築く上で意義深いものであり、普遍的価値がある」と開催を歓迎する表明を行っており、選手団を組織することとしている。国交のない石動への渡航は原則禁止されているものの、本大会に関連する選手、報道関係者には特別に渡航許可を出すこととしており、また石動側もビザを発給するとしている。企業や組合の協賛は認められなかった。(労働党機関紙【労働者の勝利】)

(前略)国際スポーツ大会の第一回大会が開催された565年は、共和国建国1周年の最黎明期であり、シベリア共和国が滅亡した年にあたる。当時の政府は、ヴェールヌイ・シベリア合同選手団を組織してこの大会に参加している。結果は金2枚(100m走・4×100mリレー)、銀1枚(ボート)、銅2枚(ボクシング・体操)で、最貧国としては奇跡的好成績であったといえるだろう。その原動力は、当然のことながらシベリア人であった。メダル獲得の中でいえば、100m走、リレー(4人中2人)、ボクシングが、我が国に派遣されていた国際協力隊員や難民出のシベリア人だった。純粋にヴェールヌイ出身者の選手によってメダルを獲得できたのはボートと体操だけだったということだ。その経験から44年、共和国の国民生活は当時とは比較にならないほど豊かなものとなったが、いまだスポーツ分野では後進国と言わざるを得ない状況だ。監督すべき内務省や文化省にはスペーツを奨励する姿勢が見受けられないことは問題だろう。現在の法体系では、スポーツはあくまで娯楽として位置付けられており、能力があっても、国民がスポーツで生計を立てることは現実的に不可能だ。今回の代表選手団の組織も、企業所や商業組合から出場可能者を募る形で行われており、人材の発掘、育成の観点が欠如している。本大会への参加を機に、国がスポーツ分野振興の必要性を認識することを願うばかりだ。(オチョートベイクラント紙)

フリューゲル暦21890期608年1月中旬
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