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ヴェールヌイの報道 ヴェールヌイ社会主義共和国メディアの報道を集約して紹介 | ||
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11月 09 (月曜日) 2015 | ||
【大型地震に本島南部を中心に被害】ほか | 21:33 ヴェールヌイ社会主義共和国 | |
【大型地震発生-本島南部を中心に被害】 620年11月下旬に大規模な地震が発生。ナシェノヤェネバ、カニェーク周辺の本島南部を中心とした人口を有する16区画の広い範囲に被害が及んだ。地震災害はこれまでにも散発的に発生しているが、今回のものは600年代に入り最大の被害規模となった。被害の発生を受け政府は、消防、人民警察、国家人民軍による救出作業を実施。また成蘭連邦からの救助隊派遣の申出に対して、これを受け入れるよう指示し、救助活動の主力となる国家人民軍地上軍第3軍管区及び第4軍管区の司令部に対して、成蘭隊の被災地での円滑な活動を補佐するよう命令した。[労働党機関紙・労働者の勝利] 【長年の二大外交懸念解消】 共和国が長年抱えていた外交上の懸案であったレゲロとフランドルの問題が、ここにきて一挙に解消された。後者は放棄失踪という、共和国にとって不本意な結末であったが、国際の不安定要素が除去されたことは歓迎できるものだろう。フランドルの運営放棄をうけ、共和国の全ての軍と在留邦人は帰国となり、数十年の長きにわたる任務を終えた。シェレスト首相は軍民合同の帰還報告式典において、「時の政府に不手際、決断力不足があった。その結果、フランドルに関わる多くの事柄について、ここにいる将兵や国民の皆さまに苦労をかけたことに、政府と労働党のトップとしてお詫びしなければならないと思う」と述べ、苦労を労った一方「フランドルの最後は実にフランドルらしいものだった。無責任、不誠実、不道徳の極だ。私の言葉を、逃亡したフランドルの為政者が聴いているならば、フランドルと中身を一とする国が今後発生した場合には、国際法に基づいて強制敗戦国になるということをよく心得よ。我々はフランドルに対して情け容赦という言葉を知らない」と強い調子でフランドルを批判、今後もフランドルについては強い姿勢で臨むことを表明した。[労働党機関紙・労働者の勝利] レゲロは長年に渡り国内経済の不安定に悩まされ、暫定評議会による統治が続いていたが、共和国による援助を元手として、産出資源を銀とする鉱山転換を図った。転換にあたっては、当初レゲロの工業化も視野にストリーダ、ガトーヴィチ、ベルサリエーレの先端工業国3ヵ国に対して視察を実施している。特に、国交のないベルサリエーレに対して視察を要望したのは異例で"レゲロ開発の想定規模がベルサリエーレの現状に限りなく近かった(政府筋)"ことが背景にあったと見られる。しかし、少なくとも現在の状況を見るに、レゲロ工業化は断念されたものとみて間違いない。レゲロ産の銀は既に共和国の商船によりコーデクス共和国に輸出されており、その規模からみて自己消費されるとは考えられず、またされるにしても限定的なものに留まるはずだ。発展余地が多く、資源の新規需要が見込める新興国市場、とりわけ交渉ルートあるENEC加盟国向けに販路を創出することは難しくなく、手っ取り早い上に双方の利益に適うという判断が働いたのだろう。[ブルースター紙] 619年には、共和国の全面的な監視のもと、臨時評議会による運営で、レゲロ全土において歴史上初の普通選挙が実施された。この選挙によって選出された全国の代議員により人民議会が組織された。この選挙で人民議会の最大派閥となったのは、グシェ・ボトラークをはじめとした旧エルノーク派が率いる「人民労働党」であり、圧倒的大勝であった。人民労働党はミサイル演習事件以前から、旧レゲロ体制を率いた独裁政党だ。レゲロ国民が、その結末はどうあれど、終身大統領として独裁政治を敷いたエルノークに、レゲロ最盛期を築いた強い指導者としての羨望を未だに有していることが浮き彫りとなったのである。事実、ボトラークの人民労働党はエルノークの名誉回復決議に強い意欲を示している。また、内閣にあたる閣僚評議会を組織すると同時に、国家指導機関として「国家中央評議会」を設置することを提唱するなど、再び一党優位体制を構築しようという意思を隠そうともしなかった。共和国の関係者は大いに失望しただろう。しかし、自国の監視下で行われた選挙の結果、紛うことないレゲロの民意が示された以上、これに介入することは難しいものだったかもしれない。共和国にとって都合が悪かったのは、人民労働党が基本的にヴェールヌイ支持で、レゲロの主権回復が成った後にも、一定の影響力を保持し続ける事を望んでいたことだった。結果として調印に至ったSEACOMは、レゲロからすれば、少々の出費で交渉を含めた経済的な庇護を受けられ、自身は内政と政治基盤を固めることに専念できるという思惑があってのものだろう。まずSEACOMそのものが、共和国の相互対等の外交方針に逆行したものであるし、もしレゲロの先祖返りを助けるようなことがあるなら、民主主義擁護の姿勢をも否定している。シェレスト首相と労働党は、ヴェールヌイがこれまで曲りなりにも守ってきた平和と対等の原理原則をどう考えているのだろうか。[スヴァボーダ紙] | ||
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