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21: 2019-05-03 (金) 20:26:54 sellafie | 現: 2019-06-13 (木) 21:37:42 sellafie | ||
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CDXによる計画通り、764年に共同管理区域セビーリャは長期凍結期間を終了した。凍結期間の間からセビーリャ政策を主導していたコーデクス主義系のテクノクラートたちは、それまでのコーデクス的教育の成果を引き継いでそのままセビーリャをコーデクス主義のユートピアにしようと目論み、セビーリャ人の中からコーデクス共和国公務員試験の問題を通じて優秀者を選抜し、彼らを官僚としてセビーリャ自治政府を発足させた。自治政府の統治は予想以上に安定し、1年後には一時的にではあるがセビーリャの幸福度は世界一に達するに至った。768年に起こったユリウス事変ではセビーリャ防衛のためロムレーはレゴリスと共にセビーリャ防衛のためユリウスに宣戦し、セビーリャ近海でのユリウス上陸部隊の撃破や連合軍によるユリウス本土での殲滅戦などでロムレー空軍が作戦行動に当たった。この際の警察予備隊増員の許可を皮切りに、その後もセビーリャ地域の自治は段階的に拡大が続き、784年の自治20周年では司法府の独立や出入域管理の緩和により相当程度の自治権を与えるに至った。 | CDXによる計画通り、764年に共同管理区域セビーリャは長期凍結期間を終了した。凍結期間の間からセビーリャ政策を主導していたコーデクス主義系のテクノクラートたちは、それまでのコーデクス的教育の成果を引き継いでそのままセビーリャをコーデクス主義のユートピアにしようと目論み、セビーリャ人の中からコーデクス共和国公務員試験の問題を通じて優秀者を選抜し、彼らを官僚としてセビーリャ自治政府を発足させた。自治政府の統治は予想以上に安定し、1年後には一時的にではあるがセビーリャの幸福度は世界一に達するに至った。768年に起こったユリウス事変ではセビーリャ防衛のためロムレーはレゴリスと共にセビーリャ防衛のためユリウスに宣戦し、セビーリャ近海でのユリウス上陸部隊の撃破や連合軍によるユリウス本土での殲滅戦などでロムレー空軍が作戦行動に当たった。この際の警察予備隊増員の許可を皮切りに、その後もセビーリャ地域の自治は段階的に拡大が続き、784年の自治20周年では司法府の独立や出入域管理の緩和により相当程度の自治権を与えるに至った。 | ||
***790-800年代 観光バブルの時代 [#yc9ac3d9] | ***790-800年代 観光バブルの時代 [#yc9ac3d9] | ||
- | ヴェニス島が急速に観光開発を進める中で、628年以来世界最大の観光大国の地位を維持しつつも長らくその規模は横ばいにあったロムレーでもこの観光需要の拡大に乗らない手はないという考えが一部の観光業者の中で広まっていた。観光局はこれに対して消極的ではあったが、ヴェニス社への投資を通じていち早くこの動向をつかんでいたクレディ・ロムレー社がロムレー国内の観光開発への投資を進めたことで、この年代には一世紀半ぶりのロムレー国内での観光業拡大が進んだ。 | + | ヴェニス島が急速に観光開発を進める中で、628年以来世界最大の観光大国の地位を維持しつつも長らくその規模は横ばいにあったロムレーでもこの観光需要の拡大に乗らない手はないという考えが一部の観光業者の中で広まっていた。観光局はこれに対して消極的ではあったが、ヴェニス社への投資を通じていち早くこの動向をつかんでいたクレディ・ロムレー社がロムレー国内の観光開発への投資を進めたことで、この年代には一世紀半ぶりのロムレー国内での観光業拡大が進んだ。しかし、この観光業の拡大は過当競争を招き、ロムレーにおいてもヴェニス島においても観光業の利益率を大幅に低下させた。そのため、800年代後半には監査委員会のイジドール・コルネイユを中心に経営の整理が進められ、809年までにロムレーの観光業規模は780年代前半の水準に戻った。 |
***810年代 短い大戦の時代 [#j04e88f8] | ***810年代 短い大戦の時代 [#j04e88f8] | ||
+ | 伝統的に民族主義を理解しないロムレー人はこの時期にはガトーヴィチ帝国のスラヴ主義などを白眼視していたが、809年に設立されたエルドラード条約機構(ロムレーでは通例ETOと略する)は、保護主義を掲げるセニオリス共和国とスラヴ主義を掲げるガトーヴィチ・ヴォルネスクによる勢力であり、当然のことながら路烈同盟にとっては協調の余地がない存在であった。セニオリス共和国が812年にヴェニス島に侵攻すると、同地に滞在するレゴリス市民にも犠牲が出ることになったが、これに対してセニオリス共和国はレゴリス帝国への謝罪を拒否、レゴリス帝国とその友好国はセニオリス共和国に宣戦し、ETOもセニオリス防衛のため参戦したため数百年ぶりのフリューゲルにおける大規模戦争である813年戦争が開戦した。この戦争ではカルセドニー(反社会主義を掲げるセニオリスに敵視されていた)の支援などもありこの規模の大戦としては珍しく半年ほどで停戦、ETOの解散とETO諸国の軍備制限を約したディースブルク講和条約が結ばれた。 | ||
***820年代 戦間期 [#s1f40a63] | ***820年代 戦間期 [#s1f40a63] | ||
+ | 813年戦争に勝利した後、共和国はこれまでもそうだったように平穏を享受し、旧ETO諸国もガトーヴィチはWTCOに、セニオリスはFENAに加盟し国際社会に復帰した。しかし、この時期に起こった普蘭・中夏によるセニオリス領海での衛星レーザー試射実験、セビーリャにおける評議会派主導の内政の停滞は、後の三重苦の遠因となっていくことになる。 | ||
***830年代 三重苦の時代 [#hb7d3b2f] | ***830年代 三重苦の時代 [#hb7d3b2f] | ||
+ | 829年5月に開会されたFENA総会において、レゴリス帝国はセニオリス共和国の正規加盟国昇格に待ったをかけた。そして信じがたいことに、かつてセニオリス領海にレーザーを試射した普蘭がセニオリスを擁護しレゴリスに反論したことにより繰り広げられた論戦、セニオリスの外交的失策などから、レゴリスとセニオリスは831年9月28日に何の予告もなく(なお、共和国外交局は820年代にレゴリス側から対セニオリス政策について意見を求められたことがあるが、その際には慎重を期すよう返答していた)突如レゴリスがセニオリスを併合する条約に調印した。これにより突如として外交的に信頼のおけない地域に対して路烈安保の条文上防衛義務を負う(セビーリャではリアライン条約に基づけば防衛は努力義務に過ぎない)ことにより、議会は恐慌状態となった(併合危機)。さらに833年ごろにはセビーリャ地域の情勢が一時悪化(セビーリャインフラ危機)、統治委員会が非常事態宣言を発する事態となった。この事件により、レゴリスと密接に連携して安全を確保し、同時にセビーリャ地域の安定化を進めるというロムレーの長らくの外交政策は大きく動揺した。この時期の混乱をよく示しているのが併合条約に関してレゴリスに対して加普と共同で送った質問状であり、これは「それが安全保障上受忍しがたいリスクを含む場合、共和国はレゴリスの意志に忠実であるとは限らず、むしろレゴリスの意志を変更させようと試みることがありうる」ことを示し、さらにはサンディカリストやアナーキストが勢力を拡大するなど政変の兆しを見せた。結局、レゴリス帝国が併合を撤回したことにより危機は回避され、セニオリスの政変に対し共同で介入する部隊を派遣する展開となったが、ここではロムレー軍は「自国や同盟国の人命がかかっていない初の戦争」であることと併合危機以降の政治的混乱により大いに士気が乱れ、これまでの戦争と比しても挙げられた戦果は限定的なものであった。併合危機・セビーリャインフラ危機で混乱していた共和国はこの失態によりさらに動揺したが、結局責任追及はサンディカリストとアナーキストをさらに台頭させる結果につながることが恐れられ、諸々が不徹底なまま830年代後半には元の平穏な情勢に戻ったとされる。 | ||
*政治 [#caae92de] | *政治 [#caae92de] | ||
中央議会に政府機関としては最も大きく権限が与えられている議会主義体制国家。他のフリューゲル諸国(主にレゴリス帝国)への留学者が学んできた各国の国制からも一定の影響を受け、民主主義の体裁を保っている。 | 中央議会に政府機関としては最も大きく権限が与えられている議会主義体制国家。他のフリューゲル諸国(主にレゴリス帝国)への留学者が学んできた各国の国制からも一定の影響を受け、民主主義の体裁を保っている。 | ||
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****カルヴィニスト共和派 [#ua146e4b] | ****カルヴィニスト共和派 [#ua146e4b] | ||
'''「古き良き国制―神の下に自由な国民による自由な共和国」''' | '''「古き良き国制―神の下に自由な国民による自由な共和国」''' | ||
- | 共和国において存在する党派としては最も古い派閥であり、ほぼ恒常的な最大派閥(ただし建国期を除いて単独過半数の規模であったことは一度もない)。個々人によってカルヴァン主義と共和主義のどちらに重きを置くかは差があり、人によってはこの二つを分けるが、分けようとすると曖昧さを残す結果になるので大体の場合仕方なく一緒くたに扱われる。実際、中央議会において最も極端な共和主義者でもカルヴァン主義の精神を賞賛するし、最も極端なカルヴィニストでも共和主義を支持している。 | + | 共和国において存在する党派としては最も古い派閥であり、830年代に至るまでの間はほぼ恒常的な最大派閥(ただし建国期を除いて単独過半数の規模であったことは一度もない)で、現在は第二派閥。個々人によってカルヴァン主義と共和主義のどちらに重きを置くかは差があり、人によってはこの二つを分けるが、分けようとすると曖昧さを残す結果になるので大体の場合仕方なく一緒くたに扱われる。実際、中央議会において最も極端な共和主義者でもカルヴァン主義の精神を賞賛するし、最も極端なカルヴィニストでも共和主義を支持している。 |
「古き良き国制」の支持者であり、要するにロムレーにおける保守主義である。都市商人層から農民、軍人から公務員まで、支持層は幅広い。外国観としてはイデオロギー的な相対主義者で、他国にはその国の事情に合わせた国制があると考えており、社会主義国家も保守主義国家も彼らの目からすると主権国家という国際社会における対等なアクターである。実際の外交においては全くのオフェンシブ・リアリストで、伝統的な親レゴリス政策の担い手。 | 「古き良き国制」の支持者であり、要するにロムレーにおける保守主義である。都市商人層から農民、軍人から公務員まで、支持層は幅広い。外国観としてはイデオロギー的な相対主義者で、他国にはその国の事情に合わせた国制があると考えており、社会主義国家も保守主義国家も彼らの目からすると主権国家という国際社会における対等なアクターである。実際の外交においては全くのオフェンシブ・リアリストで、伝統的な親レゴリス政策の担い手。 | ||
|経済|平等|---◆---|市場| | |経済|平等|---◆---|市場| | ||
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****自由思想派 [#r6895a17] | ****自由思想派 [#r6895a17] | ||
'''「自由の避難所―いかなる考えにも寛容であれ」''' | '''「自由の避難所―いかなる考えにも寛容であれ」''' | ||
- | カルヴァン主義共和派と双璧を成し、それにほぼ拮抗する勢力を持つ第二勢力。力点をどこに置くかは人によって異なるものの、政治的には表現・信仰・精神の自由の擁護、経済的には穏健主義の範囲内での自由放任と自由貿易を掲げる、一般的な古典的自由主義者。特に宗教的寛容・信仰の自由の精神を背景としていることが多いため、単に自由主義者というよりもリベルタンと表現され、ロムレー人のカトリックや非カルヴァン派プロテスタントは概ねここに位置する。支持層は都市商人、学生、知識人、公務員(特に中央政府)、宗教的少数派。支持層が都市の知識層中心のため、教育を重視する傾向があり、とりわけ高等教育を(社会自由派以上に)かなり重視する。 | + | 830年代まではカルヴァン主義共和派と双璧を成し、それにほぼ拮抗する勢力を持ってきたが、三重苦の危機以降はロムレーの最大党派。力点をどこに置くかは人によって異なるものの、政治的には表現・信仰・精神の自由の擁護、経済的には穏健主義の範囲内での自由放任と自由貿易を掲げる、一般的な古典的自由主義者。特に宗教的寛容・信仰の自由の精神を背景としていることが多いため、単に自由主義者というよりもリベルタンと表現され、ロムレー人のカトリックや非カルヴァン派プロテスタントは概ねここに位置する。支持層は都市商人、学生、知識人、公務員(特に中央政府)、宗教的少数派。支持層が都市の知識層中心のため、教育を重視する傾向があり、とりわけ高等教育を(社会自由派以上に)かなり重視する。 |
移民も政治的な参画を行おうとした場合には大抵ここにくるのだが、彼らに関してはロムレーの政治風土に面食らったあと、仕方なく移民にも比較的寛容なこの派閥の下に入るという流れが多い。ロムレー社会は総じて移民にあまり優しくなく、移民受け入れ人数も少ないので、移民による党派の結成という手はとれず、ここに来るしかないのである。 | 移民も政治的な参画を行おうとした場合には大抵ここにくるのだが、彼らに関してはロムレーの政治風土に面食らったあと、仕方なく移民にも比較的寛容なこの派閥の下に入るという流れが多い。ロムレー社会は総じて移民にあまり優しくなく、移民受け入れ人数も少ないので、移民による党派の結成という手はとれず、ここに来るしかないのである。 | ||
- | 外交的には主要党派のなかではイデオロギー的な視点を持ち込むことに比較的肯定的な党派である。といっても、議会制民主主義が肯定され、実際に複数政党制が運用されていれば、彼らはそれ以上は求めてはこない。 | + | 主要党派のなかでは比較的外交にイデオロギー的な視点を持ち込むことに肯定的な党派である。といっても、議会制民主主義が肯定され、実際に複数政党制が運用されていれば、彼らはそれ以上は求めてはこない。基本的にはディフェンシブ・リアリストで、他国に対する積極的介入を好まない傾向にある。 |
|経済|平等|----◆--|市場| | |経済|平等|----◆--|市場| | ||
|外交|国家|---◆---|世界| | |外交|国家|---◆---|世界| | ||
Line 201: | Line 204: | ||
実は古き良き国制は実態としてはこれに近い。というより、実態がそうであるからこそ復古的であると名乗れている。 | 実は古き良き国制は実態としてはこれに近い。というより、実態がそうであるからこそ復古的であると名乗れている。 | ||
議会における議席は、主にロムレーやサン=トゥルミエール近郊の保守的な農村コミューヌと周辺離島の人工的に作られた計画的コミューヌからのもの。明らかに前者は反動主義、後者は無政府主義であって思想的風土が異なっており水と油にしか見えないが、彼ら自身に少数派である自覚が強いので共闘関係にある。特に前者の影響で市民権については割と排他的で、リバタリアンの割に非ロムレー人の権利に制限的な態度が特徴。 | 議会における議席は、主にロムレーやサン=トゥルミエール近郊の保守的な農村コミューヌと周辺離島の人工的に作られた計画的コミューヌからのもの。明らかに前者は反動主義、後者は無政府主義であって思想的風土が異なっており水と油にしか見えないが、彼ら自身に少数派である自覚が強いので共闘関係にある。特に前者の影響で市民権については割と排他的で、リバタリアンの割に非ロムレー人の権利に制限的な態度が特徴。 | ||
+ | 三重苦の危機の際にサンディカリストと並んで一時的に存在感を示したが、その後は沈静化した。しかしその際に当選した何人かの議員はそれ以降も議席を守っている。 | ||
|経済|平等|------◆|市場| | |経済|平等|------◆|市場| | ||
|外交|国家|---◆---|世界| | |外交|国家|---◆---|世界| | ||
Line 216: | Line 220: | ||
'''「組合による再分配―自由を損なわない平等」''' | '''「組合による再分配―自由を損なわない平等」''' | ||
自営業中心のロムレーではあるが、労働組合や職能組合、協同組合のようなものは比較的多くの産業に存在する。そのため、再分配に関心を寄せると、その手段としては国有化よりも各種組合中心の経済が構想されやすい。なお、マルクス主義はロムレーではほとんど忘れられており、急進社会主義としては彼らが中心である。外交政策における影響力は皆無に等しいが、カルセドニー開国後はその社会主義からの影響をかなり受けている。 | 自営業中心のロムレーではあるが、労働組合や職能組合、協同組合のようなものは比較的多くの産業に存在する。そのため、再分配に関心を寄せると、その手段としては国有化よりも各種組合中心の経済が構想されやすい。なお、マルクス主義はロムレーではほとんど忘れられており、急進社会主義としては彼らが中心である。外交政策における影響力は皆無に等しいが、カルセドニー開国後はその社会主義からの影響をかなり受けている。 | ||
- | 組合の類の本部(あるいは事務的な中心地)が置かれることの多いポワンクールに支持者は集中しており、議席も専らポワンクールから送られる。とはいえ、その支持者はそれなりに各地に散らばっている。 | + | 組合の類の本部(あるいは事務的な中心地)が置かれることの多いポワンクールに支持者は集中していたが、三重苦の危機の際に躍進し、現在ではサンディカリスト議員は各地に存在する。 |
|経済|平等|◆------|市場| | |経済|平等|◆------|市場| | ||
|外交|国家|------◆|世界| | |外交|国家|------◆|世界| | ||
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|社会|伝統|------◆|進歩| | |社会|伝統|------◆|進歩| | ||
**外交 [#c56d20a2] | **外交 [#c56d20a2] | ||
- | 観光立国政策を進める上で特定の国への経済的依存を避けて偏ることなく観光客を誘致しているため、外交利害のうえでは国際貿易関係からきわめて自由である。 | + | 経済面では特定の国に偏ることなく観光客を誘致する観光立国を振興しており、国際貿易体制からは自由であり、自国が経済共同体や資源産出国機構に加盟し拘束されることを避ける一方で、国際分業体制については擁護する立場で、保護主義を警戒する。 |
- | 一方で、イデオロギー的な拘束も弱く、民族主義などの極端な右派を除くと民主社会主義から伝統保守主義までどのようなイデオロギーも問題としない。 | + | イデオロギー的な拘束に関しても比較的弱く、民主社会主義から伝統保守主義までどのようなイデオロギーも問題としないが、民族主義に関しては理解不可能なものとされ、明確に敵対的態度をとる。 |
- | 結果、伝統的な外交政策ではもっぱら安全保障上の理由による対レゴリス安保が軸であり、そのうえでソサエティ諸国との協調を重んじてきた。 | + | 伝統的にレゴリス帝国との安保体制による安全保障を主軸とした外交を展開しており、現在までそれは維持されている。しかしながら、これは「レゴリス自身がリスク要因とはならない、少なくともレゴリスがリスクをとるのは別のリスクに対処するため」という理解に基づくものであり、セニオリス併合危機以来それが疑問視されるようになってしまった現在、共和国の外交政策に関するコンセンサスは失われつつある。 |
- | しかし近年はコーデクス主義の伸張に伴い、他国、とりわけ新興国との学術交流を拡大し、フリューゲル全体の学問の発展を図ることも一つの外交目標といえるようになっている。 | + | |
***国交のある国家(樹立順) [#d0ef7cf3] | ***国交のある国家(樹立順) [#d0ef7cf3] | ||
※各国への論評は中央議会における評価意見の大勢であり、公的な効果を持つものではない。 | ※各国への論評は中央議会における評価意見の大勢であり、公的な効果を持つものではない。 | ||
国名に%%打ち消し線%%のある場合はかつて国交があったが現在はないことを意味している。 | 国名に%%打ち消し線%%のある場合はかつて国交があったが現在はないことを意味している。 | ||
- | -%%エーラーン教皇国%%(滅亡) | + | -エーラーン教皇国 |
- | 宗教の浮沈も帝国の浮沈も分からぬものだ。大国といえども、かような最期を遂げることがありうるらしい。 | + | 火を拝するものが、灰のなかからよみがえった。さて、この不死鳥はかつての繁栄の高みに飛び立てるだろうか? |
-%%フランドル共和国%%(滅亡) | -%%フランドル共和国%%(滅亡) | ||
どうも政治経済共に混迷している地域であったらしく、最終的には崩壊してしまったが、建国期の共和国に援助物資を提供してくれた国でもある。…厳しい情勢な中で援助をしてくれたことに、なおのこと感謝するのが筋であろう。 | どうも政治経済共に混迷している地域であったらしく、最終的には崩壊してしまったが、建国期の共和国に援助物資を提供してくれた国でもある。…厳しい情勢な中で援助をしてくれたことに、なおのこと感謝するのが筋であろう。 | ||
Line 251: | Line 254: | ||
これまでの争乱が排外主義によるものなればこそ、それは国家の団結を強める求心力たりえた。しかしひとたび民族主義が現れれば、この国はどうやっても維持することはできなくなるのだ。 | これまでの争乱が排外主義によるものなればこそ、それは国家の団結を強める求心力たりえた。しかしひとたび民族主義が現れれば、この国はどうやっても維持することはできなくなるのだ。 | ||
-レゴリス帝国 | -レゴリス帝国 | ||
- | 世界第三位の大国であり世界最大の商業国。早い段階から留学が可能になったこともあってロムレー人の最も主要な留学先であり、政治的・軍事的に大きな影響を受けてきた。現在でも親レゴリス政策は概ね誰の反対もなく一致して支持されている。 | + | 世界第三位になってしまった大国。早い段階から留学が可能になったこともあってロムレー人の最も主要な留学先であり、政治的・軍事的に大きな影響を受けてきたが、近年ではむしろレゴリス人のロムレー留学者も相当数存在する。 |
- | [[相互安全保障条約:http://tanstafl.sakura.ne.jp/modules/d3forum/index.php?topic_id=469]]を締結し、現在まで軍事同盟関係を維持している。共和国とレゴリスとの同盟は信義に基づくものであって、たとえレゴリスが超大国でなくなるとしても、それは問題ではない。 | + | [[相互安全保障条約:http://tanstafl.sakura.ne.jp/modules/d3forum/index.php?topic_id=469]]を締結し、現在まで軍事同盟関係を維持している。併合危機は同盟関係を大きく動揺させたが、現在でも対レゴリス協調は安定をもたらすと考えられている。 |
-%%成蘭連邦王国%%(滅亡) | -%%成蘭連邦王国%%(滅亡) | ||
安定していたはずの国での、震災を契機に発生した恐るべき混乱は、我々にとっても驚きであった。 | 安定していたはずの国での、震災を契機に発生した恐るべき混乱は、我々にとっても驚きであった。 | ||
Line 277: | Line 280: | ||
ENEC加盟国の中ではあまり共和国との交流の多くない国ではあったものの、セビーリャ作戦での協同など、実績がないわけではなかった。 | ENEC加盟国の中ではあまり共和国との交流の多くない国ではあったものの、セビーリャ作戦での協同など、実績がないわけではなかった。 | ||
-ガトーヴィチ帝国 | -ガトーヴィチ帝国 | ||
- | 特段ロムレー人とガトーヴィチ人が生まれながらにしての敵であるという定めはない。民族主義が退潮し、戦争も終わった今、かつてのENEC時代のような程よい距離感も回復できるのではないだろうか。 | + | スラヴ主義に中てられていた頃の面影はどこへやら、中道右派からさらに左へ傾斜を深めている。まあ民族主義者にならないなら好きにしておれば結構とは思うが。 |
-ヨリクシ共和国 | -ヨリクシ共和国 | ||
各地で積極的な災害救援活動や交流活動を行っている国であり、国際的に一定の存在感を持っている。カルセドニー革命と同時期に鎖国体制に移行した。 | 各地で積極的な災害救援活動や交流活動を行っている国であり、国際的に一定の存在感を持っている。カルセドニー革命と同時期に鎖国体制に移行した。 | ||
Line 302: | Line 305: | ||
-冰州連合 | -冰州連合 | ||
新興の小国。学術・文化的交流に対する積極的姿勢はロムレー国内でも評価されているが、一方でその積極性は外交面では先進諸国との摩擦を生んでおり、懸念すべきところでもある。 | 新興の小国。学術・文化的交流に対する積極的姿勢はロムレー国内でも評価されているが、一方でその積極性は外交面では先進諸国との摩擦を生んでおり、懸念すべきところでもある。 | ||
- | -エルトアニア帝国 | + | -%%エルトアニア帝国%%(滅亡) |
- | 最初の各国への国交打診をレゴリスとカルセドニーにだけしなかったという逸話で知られる専制君主国。とりあえず政情を安定させることには成功したようなので国交開設を留保する理由はなくなった。 | + | この国もまた、ひっそりと消えていった新星の一つ。 |
- | -セニオリス共和国 | + | -(セニオリス共和国) |
- | 813年戦争における交戦国。将来安定した関係を築けるかは今のところ未知数だ。ただ、条約を励行してETO諸国のうち最も早く軍縮を進めたことは国民の間でも相当程度の評価を受けている。 | + | 災いなるかな、いともたやすくレゴリス帝国の威信を霧散させた者よ。庶幾わくは、かの災いが国際秩序を揺るがすことのなからんことを。 |
-(セビーリャ自治政府) | -(セビーリャ自治政府) | ||
- | コーデクス主義者の手による、壮大な社会実験場。おおむね順調な経済発展を遂げ、フリューゲル有数の農業大国となった。少々発展しすぎた感もあるが。 | + | コーデクス主義者の手による、壮大な社会実験場。どうだろう、そろそろ実験を次の段階へ…そう、「独立国」をつくるという試みを始めてみてもよいのではないかね? |
***条約・国際機関等(締結順) [#w48b3133] | ***条約・国際機関等(締結順) [#w48b3133] | ||
-[[レゴリス帝国とロムレ-湖畔共和国との間に於ける相互協力並びに相互安全保障条約:http://tanstafl.sakura.ne.jp/modules/d3forum/index.php?topic_id=469]] | -[[レゴリス帝国とロムレ-湖畔共和国との間に於ける相互協力並びに相互安全保障条約:http://tanstafl.sakura.ne.jp/modules/d3forum/index.php?topic_id=469]] | ||
Line 477: | Line 480: | ||
しかしその実態は、資本家と近しいはずの自由思想派でありながらロムレーの最も主要な資本家である観光資本から徹底的な嫌悪を受け、ポワンクール派である自由思想派に属しながら最も支持層になりにくいはずの地方の保守的なコミューヌの農民から支持を集め、それでいて自らの大衆的な支持に反してポピュリズムをエリート主義的立場から警戒し、コーデクス主義の発展に対する楽天主義を乱開発の元凶として倦厭する一方で学術的コーデクス主義の凡そあらゆる研究領域に通暁し、しかも政治的コーデクス主義者と敵対しながら合理的規律派の主流派には一定の評価を受けており、さらにはセニオリス的ないわゆる「ダイエット主義」に近い経済観を持ちながら813年戦争ではセニオリスを初めとするETO諸国との戦争を指導するという矛盾の人。 | しかしその実態は、資本家と近しいはずの自由思想派でありながらロムレーの最も主要な資本家である観光資本から徹底的な嫌悪を受け、ポワンクール派である自由思想派に属しながら最も支持層になりにくいはずの地方の保守的なコミューヌの農民から支持を集め、それでいて自らの大衆的な支持に反してポピュリズムをエリート主義的立場から警戒し、コーデクス主義の発展に対する楽天主義を乱開発の元凶として倦厭する一方で学術的コーデクス主義の凡そあらゆる研究領域に通暁し、しかも政治的コーデクス主義者と敵対しながら合理的規律派の主流派には一定の評価を受けており、さらにはセニオリス的ないわゆる「ダイエット主義」に近い経済観を持ちながら813年戦争ではセニオリスを初めとするETO諸国との戦争を指導するという矛盾の人。 | ||
そんなこんなでとにかく毀誉褒貶の激しい人物であり、就任直後から「観光立国ロムレーの奇妙な死」「手の込んだ自殺」とも「ジャンベールの再来」「古き良き国制の再建者」とも評される。 | そんなこんなでとにかく毀誉褒貶の激しい人物であり、就任直後から「観光立国ロムレーの奇妙な死」「手の込んだ自殺」とも「ジャンベールの再来」「古き良き国制の再建者」とも評される。 | ||
+ | 三重苦の危機後、議論をひとまず落ち着かせた後、もはや自らの目標とする「効率的な経済」ではなく別の問題が争点になったことを見て834年に引退。 | ||
+ | ***リカルダ・ロブレド・サンドバル [#l93e95bc] | ||
+ | 中央議会第十三代議長。 | ||
+ | セビーリャ系一世で熱烈なコーデクス主義者である論理学者とロムレー人で計算機工学者を両親に持つセビーリャ系二世。三重苦の危機で主要党派が混乱する中、独自の主張で注目を集め議長に就いた。 | ||
+ | 生まれ育った環境からコーデクス主義に慣れ親しんでおり、そのままロムレー大学で経済物理学を学び修士号を取得。これを通じてレッセ・フェール的な思想傾向も持つようになり、その後クレディ・ロムレー社投資銀行部門に勤務し普藍やヴェニス島といった新興資本主義経済の急成長を間近で捉えたことによりその傾向を強める。 | ||
+ | 本人は自由思想派であると自認しているが、同じ自由思想派でありながらもコルネイユ前議長とは犬猿の仲である。文化的自由主義である自由思想派のメインストリームと異なり、自由放任経済を主唱するという点で異端児であり、一方でコーデクス主義者としても中央コンピューターへの集約化より分散的なネットワークを重視する変わり者でもある。 |
- ロムレー湖畔共和国 のバックアップ一覧
- ロムレー湖畔共和国 のバックアップの現在との差分(No. All)
- 1: 2016-04-11 (月) 00:30:56 sellafie
- 2: 2016-06-19 (日) 22:47:52 sellafie
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