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現: 2014-04-22 (火) 00:35:42 knt ソース
Deleted an attach file: 18947.png at 2014-04-21 (月) 22:02:56 at 2014-04-22 (火) 00:30:44
Line 1: Line 1:
 +|~国名|>|オストマルク帝国&br;Kaisertum Ostmark|
 +|~国旗|>|&ref(flag_1.png);|
 +|~国歌|>|オストマルク皇帝讃歌(Ostmarkische Kaiserhymne)|
 +|~首都|>|クヴェルン|
 +|~皇帝|>|ヨーゼフ・アウグスト・フォン・ミュールハウゼン|
 +|~国家宰相|>|アロイス・フォン・シュトラウス|
 +|~公用語|>|オスト語|
 +|~通貨|>|オストマルク・シリング|
 +|~主産業|>|工業|
 +|~建国年|331年2月(第一帝政)|508年4月(第二帝政)|
 +----
 +*概要 [#mde93408]
 +''オストマルク帝国''は、オストマルク社会主義連邦共和国の崩壊後、508年4月に皇帝ヨーゼフの即位によって再び成立した、ミュールハウゼン家が皇帝として君臨する立憲君主制国家である。
 +**国名 [#x2a3a1bd]
 +オストマルクとは、旧世界においてドイツ語で「東の辺境」を意味する歴史・地理的な用語であり、主にオーストリア地域を指して使用されることが多かったと考えられている。この名称は、かつてカロリング朝フランク王国のカール大帝によって東方のアヴァール人およびスラヴ人に対する防御陣地としてオストマルク(東部辺境区)が設置されたことが始まりである。
 +漢字では''墺東馬''または''墺太馬''などと表記され、略称は''墺''。
 +
 +**国歌 [#c17e9d4d]
 +''オストマルク皇帝讃歌(Ostmarkische Kaiserhymne)''
 +[[http://www.youtube.com/watch?v=8llhDc6c5ko]]
 ++Gott erhalte, Gott beschütze!
 +Unsern Kaiser, unser Land!
 +Mächtig durch des Glaubens Stütze,
 +Führt er uns mit weiser Hand!
 +Laßt uns seiner Väter Krone
 +Schirmen wider jeden Feind!
 +Innig bleibt mit Mülhausens Throne
 +Ostmarks Geschick vereint!
 +Innig bleibt mit Mülhausens Throne
 +Ostmarks Geschick vereint!
 ++Fromm und bieder, wahr und offen
 +Laßt für Recht und Pflicht uns stehn;
 +Laßt, wenns gilt, mit frohem Hoffen
 +Mutvoll in den Kampf uns gehn
 +Eingedenk der Lorbeerreiser
 +Die das Heer so oft sich wand
 +Gut und Blut für unsern Kaiser,
 +Gut und Blut fürs Vaterland!
 +Gut und Blut für unsern Kaiser,
 +Gut und Blut fürs Vaterland!
 ++Was der Bürger Fleiß geschaffen
 +Schütze treu des Kaisers Kraft;
 +Mit des Geistes heitren Waffen
 +Siege Kunst und Wissenschaft!
 +Segen sei dem Land beschieden
 +Und sein Ruhm dem Segen gleich;
 +Gottes Sonne strahl' in Frieden
 +Auf ein glücklich Ostmark!
 +Gottes Sonne strahl' in Frieden
 +Auf ein glücklich Ostmark!
 ++Laßt uns fest zusammenhalten,
 +In der Eintracht liegt die Macht;
 +Mit vereinter Kräfte Walten
 +Wird das Schwere leicht vollbracht,
 +Laßt uns Eins durch Brüderbande
 +Gleichem Ziel entgegengehn
 +Heil dem Kaiser, Heil dem Lande,
 +Ostmark wird ewig stehn!
 +Heil dem Kaiser, Heil dem Lande,
 +Ostmark wird ewig stehn!
 +
 +*歴史 [#j4010604]
 +|>|~オストマルク帝国(第一帝政)|
 +|331年2月|''オストマルク帝国''が建国される|
 +|332年12月|カアルハセヤ帝国との定期貿易|
 +|339年10月|オストマルク帝国が崩壊|
 +|339年~442年|政情不安、内戦の続く暗黒時代|
 +|>|~オストマルク民主連邦|
 +|442年6月|フランツ・ビュッヒャーら共産主義者による''オストマルク6月革命''を経て民主連邦が成立|
 +|442年10月|龍鮮王国より国外追放の処分を受けた李策明を中心とする龍鮮労働党員の亡命を受け入れ|
 +|443年1月|龍鮮人民共和国臨時政府が成立|
 +|443年4月|''第一次五カ年計画''が始動|
 +|448年6月|フランツ・ビュッヒャー初代書記長死去|
 +|453年|初のミサイル発射実験に成功|
 +|454年9月|成蘭・オストマルク相互不可侵条約締結|
 +|455年12月|''アースガルド事変'':ミッドガルド帝国による宣戦布告を受けるも即時撤回される|
 +|458年5月|オストマルク民主連邦が崩壊|
 +|>|~オストマルク社会主義連邦共和国|
 +|494年8月|ギュンター・クライスキーの指導のもとオストマルク社会主義連邦共和国が成立|
 +|497年6月|国土西部に巨大隕石が落下、壊滅状態に|
 +|505年6月|反革命軍によって首都クヴェルン陥落、ウダペストが臨時首都に|
 +|506年1月|クヴェルン奪還、再び首都となる|
 +|507年5月|ギュンター・クライスキー書記長によって''民主化改革''始まる|
 +|507年9月|''9月クーデター'':民主化改革に反対するグループ「国家非常事態委員会」によるクーデター未遂事件|
 +|508年3月|自由選挙において共産党大敗、社会主義政権は36年の空白を挟む66年の歴史に幕を下ろす|
 +|>|~オストマルク帝国(第二帝政)|
 +|508年4月|皇帝ヨーゼフが即位、''帝政復古''が成立|
 +|510年2月|国内初の宇宙基地となるイストチニ宇宙基地が竣工|
 +|510年9月|朴京煕親王殿下、大幹帝国より長期留学のため来墺|
 +|511年10月|''クラーシェ戦争'':クラーシェ誓約者同盟による宣戦布告を受ける|
 +|512年1月|皇帝ヨーゼフの意志により停戦受諾、退位のうえ新帝マリア・エリーザベト即位|
 +|512年5月|クラーシェ誓約者同盟のイタリン共和帝国に対する宣戦を受けて停戦を破棄、戦争再開|
 +|512年8月|クラーシェ誓約者同盟の無条件降伏によって停戦|
 +|513年7月|ドクツ第三帝国・首都ヴェルリンにおいて五カ国会談開催|
 +|514年4月|''タールウィル平和条約''発効、クラーシェ戦争終戦|
 +|518年4月|帝政復古10周年に合わせ気象衛星「''レントラー1号''」の打ち上げが実施されるも失敗に終わる|
 +|519年7月|大幹帝国より朴世成皇帝陛下・伊勢宮皇后陛下が訪墺|
 +|519年10月|''ポツダム条約機構''(''PTO'')加盟|
 +|522年7月|女帝マリア・エリーザベト退位、先帝ヨーゼフが皇帝復位|
 +|523年12月|気象衛星「''フォアシュピール1号''」打ち上げ成功|
 +
 +**概略 [#m60e44e2]
 +フリューゲル暦3世紀から4世紀にかけて、ヴィルヘルム提督率いる移民船団が現在のオストマルクに入植を始めたことがオストマルクの歴史の始まりとされる。当初、彼らは最初期の入植地であるヴィルヘルムスブルクを中心に活動範囲を広げた。4世紀初頭、フリードリヒ大公の時代には新拠点となるクヴェルンの街が建設された。同じ時期にはフンガリアなど周辺の諸民族を支配下に置くことに成功し、331年2月にオストマルク帝国(第一帝政)が正式に建国された。
 +
 +339年10月から442年6月に至るまでは史料が極めて乏しい時代であり、国内の歴史家によって研究が続けられているものの未だその全貌は明らかになっていない。
 +
 +442年6月にはオストマルク6月革命が成立し、共産主義者フランツ・ビュッヒャーを最高指導者とする社会主義政権が誕生した。それ以降66年に亘って共産主義の赤い嵐がオストマルクの地を席巻するも、5世紀中頃から6世紀初頭にかけて反革命・帝政復古運動が全国的に拡大し、ギュンター・クライスキー政権は民主化改革を余儀なくされた。それを足掛かりとして、なし崩し的に社会主義政権は崩壊する。
 +
 +そうして508年4月、オストマルク帝国は約169年ぶりの復活を遂げることとなった。
 +
 +*外交関係 [#iedc2112]
 +|~国名|~関係|~備考|
 +|エーラーン教皇国|良好|クラーシェ戦争における連合国、燃料の定期輸出先|
 +|成蘭連邦王国|普通| |
 +|大幹帝国|良好|社会主義時代からの友好国|
 +|ガトーヴィチ帝国|普通| |
 +|エデレス・フリュー連合|普通| |
 +|アリア連邦|普通| |
 +|スオミ王国|普通| |
 +|ドクツ第三帝国|親密|言語・民族系統等に共通点が多く、親近感を持つ/ポツダム条約|
 +|イタリン共和帝国|良好|両国とも文化大国であり、さらなる関係強化に期待/ポツダム条約|
 +|ストリーダ王国|親密|ポツダム条約|
 +|ポーレタリア首長連合|良好|ポツダム条約|
 +|エルツ帝国連邦|普通| |
 +
 +**条約 [#d37e649b]
 +|~条約名|~締結年|
 +|ドクツ第三帝国、オストマルク帝国、ポーレタリア首長連合、ストリーダ王国及びイタリン共和帝国間の友好、協力及び相互援助条約(ポツダム条約)|519年10月締結|
 +
 +**定期貿易 [#ud0cde57]
 +|~相手国|~輸入品目|~⇔|~輸出品目|
 +|エーラーン教皇国|資金50000億Va|⇔|燃料50000万ガロン|
 +|ドクツ第三帝国|資金10000億Va|⇔|食料100000万トン|
 +|イタリン共和帝国|資金80000億Va|⇔|商品200000億Va相当|
 +
 +*政治 [#g2296b0a]
 +第一帝政においては皇帝を君主とする絶対君主制が布かれていたが、第二帝政では近代的な立憲君主制と議院内閣制を採用した。背景として、帝政復古が自由選挙を通して国民の意志によって実現したという事実がある。
 +
 +立法機関として帝国議会が存在する。帝国議会は上下両院からなる二院制で、上院は帝国を構成する帝冠領諸邦の領邦議会によって選出された議員からなる。下院は360人の議員からなり、下院議員は男子普通選挙によって選出される。下院では比例代表制を採用している。
 +行政府の長として国家宰相が置かれており、国家宰相は皇帝によって任命される。
 +
 +**政党・議席数 [#y5b558d7]
 +|~政党名|~下院|
 +|''オストマルク国民党''|186|
 +|オストマルク社会民主党|72|
 +|統一オストマルク|48|
 +|キリスト教民主同盟|40|
 +|フンガリア労働党|14|
 +
 +**歴代皇帝 [#weddd6f3]
 +***第一帝政 [#za44153e]
 +|~在位期間|~生没年|~名前|
 +|331年2月~(339年10月)|302年5月~(不詳)|''フリードリヒ1世'':フリードリヒ・カール・フォン・ミュールハウゼン|
 +
 +***第二帝政 [#y8bd56f9]
 +|~在位期間|~生没年|~名前|
 +|508年4月~512年1月|492年10月~|''ヨーゼフ1世'':ヨーゼフ・アウグスト・フォン・ミュールハウゼン|
 +|512年1月~522年7月|497年6月~|''マリア・エリーザベト1世'':マリア・エリーザベト・フォン・ミュールハウゼン|
 +|522年7月~|492年10月~|''ヨーゼフ1世''(復位):ヨーゼフ・アウグスト・フォン・ミュールハウゼン|
 +
 +**国家宰相(第二帝政) [#p47ac3ac]
 +|~在任期間|~生没年|~名前|
 +|508年4月~512年1月|467年6月~|クレメンス・フォン・ブンゲルト候爵|
 +|512年1月~|469年2月~|アロイス・フォン・シュトラウス伯爵|
 +
 +**主要閣僚 [#yd197d26]
 +|~役職|~名前|
 +|国家宰相|アロイス・フォン・シュトラウス伯爵|
 +|外務大臣|ジークムント・フォン・ブルックナー伯爵|
 +|財務大臣|ヨハン・ゴットリープ・フォン・ヴァグナー伯爵|
 +|国防大臣|クリストフ・フォン・マーラー男爵|
 +
 +**行政機関 [#jedcfd15]
 +|~省庁名|~概要|
 +|宮内省|(準備中)|
 +|宰相府|(準備中)|
 +|内務省|(準備中)|
 +|外務省|(準備中)|
 +|財務省|(準備中)|
 +|国防省|(準備中)|
 +|司法省|(準備中)|
 +|産業・エネルギー省|(準備中)|
 +|農業省|(準備中)|
 +|運輸省|(準備中)|
 +|情報・通信省|(準備中)|
 +|保健・社会開発省|(準備中)|
 +|教育・芸術・文化省|(準備中)|
 +|科学・研究省|(準備中)|
 +|宇宙局|(準備中)|
 +|観光局|(準備中)|
 +
 +*勲章等 [#xc91efa2]
 +**金羊毛勲章 [#d780b04a]
 +オストマルク帝国の最高勲章。金羊毛騎士団をその母体とする。
 +
 +*軍事 [#ca836073]
 +オストマルク帝国軍は、陸軍・海軍・空軍の3軍種からなる。社会主義時代にはこの他に防空軍・戦略ロケット軍が存在し5軍種であったが、それぞれ空軍と陸軍に編入され現在の3軍種となった。
 +軍の統帥権は皇帝が持つが、皇帝はこれを国家宰相に委任する権限を持つ。
 +
 +**徴兵制度 [#ub308fb9]
 +帝国軍では徴兵制度を採用しており、18-27歳の男性が1年間の兵役に就く。良心的兵役拒否も認められており、代替条件として社会福祉活動を行うことが義務とされる。
 +
 +**兵器 [#f207b0d2]
 +***陸上兵器 [#u433eb23]
 +-主力戦車:''S-01''
 +&ref(s-01.jpg,mw:200,mh:133);
 +-主力戦車:''S-20''
 +&ref(s-20.jpg,mw:200,mh:129);
 +-歩兵戦闘車:''SPZ-2''
 +&ref(spz-2.jpg,mw:200,mh:128);
 +***海上兵器 [#qec133a3]
 +-戦艦:''シュレーゲル級''(アドミラル・レーマン)
 +&ref(admiral-lehmann.jpg,mw:200,mh:126);
 +-航空母艦:''ミュールハウゼン級''
 +&ref(muelhausen.jpg,mw:200,mh:127);
 +-ミサイル駆逐艦:''クーネルスドルフ級''
 +&ref(kunersdorf.jpg,mw:200,mh:135);
 +***航空兵器 [#m740d450]
 +-戦闘機:Re-10''「クラーニヒ」''
 +&ref(re-10.jpg,mw:200,mh:128);
 +-戦闘機:KiG-21''「シュヴァルベ」''
 +&ref(kig-21.jpg,mw:200,mh:133);
 +-戦略爆撃機:Mu-90''「ヴァイサー・シュヴァン」''
 +&ref(mu-90.jpg,mw:200,mh:127);
 +
 +*科学技術 [#d0d8fe37]
 +**宇宙開発 [#bd9ee1b1]
 +&ref(kosmodrom.jpg,mw:200,mh:133);
 +510年になってラドリア海沿岸に「ツィストリア宇宙基地」、内陸に「イストチニ宇宙基地」の二つの宇宙基地が建設され、本格的に宇宙開発に関する研究が始まった。帝国政府は、同年6月に人工衛星の軌道投入に成功した大幹帝国に視察団を派遣するなど、同国の宇宙技術を自国での研究に際し参考としている。
 +518年4月には帝政復古10周年に合わせてアインハイトロケットによる気象衛星「レントラー1号」の打ち上げが実施されたが、発射後に空中分解し地上に落下した。
 +その後523年12月にはアインハイトロケットを改良し新たに開発された「モナルヒ」ロケットによって気象衛星「フォアシュピール1号」の打ち上げが行われ、見事成功を収めた。
 +***運用中の人工衛星 [#g741cdb9]
 +|~気象衛星|フォアシュピール|
 +
 +*経済・産業 [#j9657aa1]
 +建国当初から農業が主要産業として重要な位置を占めてきたが、PTO加盟後からは工業化を推進してきたため現在では工業が最大の主要産業となった。
 +また、社会主義政権の崩壊によって帝国内における自由な渡航が認められるようになったため、帝都クヴェルンやラドリア海沿岸では観光産業も盛んになりつつある。
 +
 +**有力企業 [#r7ca6a5b]
 +-''ガスプロム''
 +国内最大のエネルギー企業。社会主義時代のガス工業省が改組され成立した。
 +-''ルフトフロッテ・オストマルク航空''
 +国内最大の航空会社で、ナショナルフラッグキャリア。
 +-''ロイエンタール・エアロスペース(Re)''
 +航空機や各種エンジンの製造会社。帝国空軍に軍用機を供給しており、業界では「''キルシュ・グライナー社(KiG)''」に並ぶ有力企業。社会主義時代にはロイエンタール設計局として知られた。
 +現在では宇宙船やロケットの研究開発および製造も手がける。
 +-''オストマルク鉄道''
 +オストマルク帝国が100%出資する鉄道会社。国内最大の路線網を有し、一般には「国鉄」と呼ばれる。
 +-''オストマルク・テレコム''
 +クヴェルンに本社を置く電気通信業者。インターネットサービスに力を入れており、オストマルクでは単に「テレコム」と言った場合同社のことを指すほどの知名度を誇る。
 +
 +**著名ブランド [#t5a5d5df]
 +-''バルシュミーデ''
 +クヴェルンに本社を置くピアノ製造会社。創業者はシュテファン・バルシュミーデ。
 +全工程を手作業で製造していることで知られており、品質に定評がある。オストマルク帝室御用達のブランドでもある。
 +-''LAG''
 +音響機器メーカー。マイクロフォンやヘッドフォンなどを製造する。
 +-''ゼメル''
 +クヴェルンにある洋菓子店。帝室御用達として知られ、名物はザッハトルテ。
 +-''ファルスキー''
 +クリスタル・ガラスの製造会社。シャンデリアなどの他、ビーズやボタンなどアクセサリーの製造も手がける。
 +-''イリーネ・オトマイヤー''
 +若年層に人気のファッションブランド。「伝統と革新の融合」をコンセプトとした独自のスタイルで男女を問わず人気を博している。
 +
 +*文化 [#e7ffd2f4]
 +
 +**食文化/主菜 [#g2bc22ba]
 +地球時代から豊かな食文化が維持されてきた。
 +-''ターフェルシュピッツ'':Tafelspitz
 +&ref(tafelspitz.jpg,mw:200,mh:150);
 +牛肉の煮込み料理で、オストマルクの肉料理の代表格。皇帝フリードリヒ1世の好物としても知られている。
 +
 +**食文化/デザート・菓子類 [#f5c25f59]
 +甘味が非常に好まれており、オストマルク料理のレシピのうち半分はデザートが占めると言われる程である。
 +オストマルク人は伝統的に甘味好きが多く、辛味好きが多い幹民族(大幹帝国の主要民族)とは対照的といえる。
 +近年では幹国との交流の深まりによって一部では辛味が見直される傾向もあり、キムチパフェなど甘味と辛味を融合させた食品も新たに開発されているが一般に浸透しているとは言いがたい。
 +-''ザッハトルテ'':Sachertorte
 +&ref(sachertorte.jpg,mw:200,mh:154);
 +チョコレートケーキの一種。ザッハトルテの名称は考案者の名を取ったもの。
 +オストマルクを代表する菓子の一つであり、高級菓子として有名。チョコレートの濃厚な味わいが特徴である。
 +-''カイザーシュマーレン'':Kaiserschmarrn
 +&ref(kaiserschmarrn.jpg,mw:200,mh:133);
 +柔らかいパンケーキを一口サイズに切り分けたもの。一般には砂糖を振りかけて供され、プラムソースなどと合わせて食する。
 +-''シュトゥルーデル'':Strudel
 +&ref(apfelstrudel.jpg,mw:200,mh:133);
 +巻き菓子の一種。Strudelという名称は渦を意味し、その名の通り薄い生地で具を何重にも巻いて焼き上げられる。
 +具にリンゴを用いたものは特にアプフェルシュトゥルーデル(Apfelstrudel)と呼ばれる。
 +-''パラチンケ'':Palatschinke
 +&ref(palatschinke.jpg,mw:296,mh:150);
 +クレープの一種。具の種類は多様で、ジャムやクリームなどを巻いてデザートとすることもあれば肉や野菜などを巻いて主菜とすることもある。
 +
 +**食文化/飲料 [#z547058a]
 +クヴェルンではコーヒー文化が特に根強く、市内に多くのカフェハウスが存在する。酒類ではワインやビールが特に好まれる。
 +-''アインシュペナー'':Einspänner
 +&ref(einspaenner.jpg,mw:200,mh:133);
 +コーヒーの上に生クリームを載せたもので、「クヴェルナー・カッフェー」として広く知られる。
 +
 +**音楽 [#m21788b5]
 +古くから豊かな音楽文化が存在し、首都クヴェルンは「音楽の都」と称される。
 +現在でも地球時代からのクラシック音楽が人気を保っており、音楽教育も特にクヴェルンにおいて盛んである。
 +-''クヴェルン帝立歌劇場''
 +クヴェルンにある歌劇場。第一帝政の初期、皇帝フリードリヒによって国の威信をかけて建設された。専属オーケストラは、クヴェルン・フィルハーモニー管弦楽団の母体であるクヴェルン帝立歌劇場管弦楽団。現在の総監督はフランツ・リヒター、音楽監督はヨハン・シュレーディンガー。
 +-''クヴェルン・フィルハーモニー管弦楽団''
 +クヴェルンに本拠を置く、フリューゲルでも屈指のオーケストラ。クヴェルン楽友協会で定期演奏会を行っているほか、元日に開催されるニューイヤーコンサートは人気のあまりチケットの入手が困難なことで有名である。
 +-''ザントベルク管弦楽団''
 +ザントベルクに本拠を置くオーケストラ。元々は大聖堂音楽教会として設立され、主に宗教儀式のために演奏を行っていたが、現在では世俗的なイベントであるザントベルク音楽祭などでも演奏を行っている。
 +-''クヴェルン帝立音楽大学''
 +音楽教育の最高峰。多種多様な専攻科が設置されており、数多くの作曲者、演奏者、指揮者、オペラ歌手を輩出してきた。入学にはオスト語の基礎能力が必須で、授業も全てオスト語で行われる。
 +
 +**観光名所 [#fe1fb2d3]
 +-''エーデルローゼ宮殿''
 +&ref(schloss-edelrose.jpg,mw:200,mh:133);
 +クヴェルンに位置するミュールハウゼン家の王宮。社会主義時代には共産党の中枢が置かれていた。
 +-''カイザー・フリードリヒ広場''
 +-''カイザー・フリードリヒ博物館''
 +-''キルヒホーフ美術館''
 +
 +**スポーツ [#db5fcafa]
 +-''サッカー''
 +-''ウィンタースポーツ''
 +
 +*国土 [#j6e9599e]
 +オストマルク帝国は、複数の領邦によって構成されるオストマルク帝冠領をその領土とする。
 +&ref(18947.png);
 +
 +**主要諸邦 [#n2e2b986]
 +-''オストマルク大公国'':Erzherzogtum Ostmark
 +ミュールハウゼン家の当初からの領土であり、帝都クヴェルンを擁する帝国の中枢。地図上では首都の周辺。
 +社会主義政権の崩壊によって復活した豪奢な宮廷文化の中心でもある。
 +-''フンガリア王国'':Königreich Hungarn
 +フンガリア人が多数を占める。農業が盛んな地域で、ワインの名産地として知られる。首都はウダペスト。地図上では中央から東部、南東部にかけての広範囲を占める。
 +-''ヴェーレン王国'':Königreich Wöhren
 +西部のヴェーレン、東部のメーネンの2つの地域によって構成される。伝統産業としてガラス工芸が有名。首都はプレーデン。地図上では北西部に突き出した部分。
 +-''ランバルド=ヴェネディエン王国'':Königreich Lambardo-Venedien
 +ラドリア海北岸に位置し、イタリン系住民の多い地域。首都はマールラント。
 +観光都市ヴェネーディヒを擁する。
 +-''ガルツィア=ルドメリア王国'':Königreich Galzien und Ludomerien
 +北部から北東部にかけての地域。首都はロンベルク。
 +-''ボスゴヴィナ地方'':Bosgowina
 +南部の三角形のような形をした地域のうち大半を占めるが、海に面しているのは一部のみ。イスラムが広く信仰されている。首都はスラエヴォ。
 +
 +**主要都市 [#eca65bdf]
 +-''クヴェルン'':Kuweln(7,6)
 +&ref(std-kwl1.jpg,mw:200,mh:150);
 +首都にして最大都市であり、政治・経済・文化の中心。
 +社会主義時代には中心部に「カール・マルクス広場」があり「フランツ・ビュッヒャー廟」が置かれていたが、帝政復古ののち広場の名称は「カイザー・フリードリヒ広場」に戻され、霊廟も撤去された。
 +-''ウダペスト'':Udapest(11,7)
 +&ref(std-udp1.jpg,mw:200,mh:131);
 +フンガリア王国の首都でありクヴェルンに次ぐ国内第二の都市。
 +-''プレーデン'':Präden(6,2)
 +&ref(std-prd1.jpg,mw:200,mh:132);
 +北西部に位置するヴェーレン王国の首都。社会主義時代より工業が盛んである。
 +-''トリエスト'':Triest(7,11)
 +&ref(std-trs1.jpg,mw:200,mh:142);
 +ラドリア海に面する港湾都市で、海軍の軍港が置かれている。
 +
 +*交通 [#df2ac25b]
 +**航空 [#s00d1503]
 +&ref(flughafen-winterfeld.jpg,mw:200,mh:112);
 +ルフトフロッテ・オストマルク航空がナショナルフラッグキャリア。
 +帝都クヴェルンのヴィンターフェルト国際空港が最大の拠点で、各国の主要空港に航空路線が就航している。他にも、国内にはウダペスト等の主要都市に大規模な空港が存在する。
 +**鉄道 [#r27e904e]
 +&ref(eisenbahn-intercity.jpg,mw:200,mh:103);
 +主要都市を結ぶ幹線は全てオストマルク国鉄によって運営されている。特急列車に相当するものとして「インターシティ」を運行しており、主要都市間を高速で結んでいる。
 +主要都市には地下鉄(Uバーン)や近郊列車(Sバーン)、路面電車なども運行している。
 +
 +
 +*国民 [#mb902946]
 +多民族国家であり、建国時以来の支配民族であるオスト人はかつて全体の人口のおよそ24%を占めるのみであった。現在の民族構成は以下の通りである。
 +|~民族名|~割合|
 +|オスト人|39%|
 +|フンガリア人|18%|
 +|ヴェーレン人|11%|
 +|その他|32%|
 +
 +**言語 [#lfd5af79]
 +オスト語が公用語とされ、広く通用している。しかしながら、オスト人以外が多数を占める地域では民族ごとの言語が使用されることもある。国内において、オスト語は異なる言語を母語とする民族同士の共通語としての機能も有している。
 +オスト語とドクツ語は方言程度の差異であり、意思疎通に大きな支障はないとされる。
 +
 +**宗教 [#pd491699]
 +当初は社会主義時代の宗教弾圧および宗教教育の不徹底の影響が大きく、国民の多くは無宗教であった。
 +しかしながら帝国政府のカトリック復権のための努力もあって、512年に国民に対して行われた宗教についての世論調査では63%がキリスト教カトリックの信徒であると回答した。南部ボスゴヴィナ地域の一部ではイスラムが信仰されている。
 +
 +*著名な人物(生まれ順) [#k30fcd68]
 +
 +**ミュールハウゼン家 [#j9d5342e]
 +-''ヨーゼフ・アウグスト・フォン・ミュールハウゼン''(492年~)
 +現在の皇帝。508年4月に15歳で即位した。
 +512年1月にクラーシェ誓約者同盟との外交問題の影響を受けて退位したが、522年7月には皇帝に復位した。
 +第二帝政における初代皇帝であり、国民の信頼も篤い。また大の甘党として知られ、甘味好きの多い国民からは大いに共感を呼ぶ。海外で生まれ育ったため即位直後はフランス語しか話せない状態にあったが、現在では流暢にオスト語を話せるようになった。
 +-''マリア・エリーザベト・フォン・ミュールハウゼン''(497年~)
 +前皇帝で、ヨーゼフの妹。512年1月にヨーゼフの退位を受けて14歳で皇帝となった。
 +オストマルク人女性の多分に漏れず、政治にはあまり関心を持たない。そのため、国家運営については宰相に丸投げという形を取っていた。兄と同じく甘党として知られている。522年7月に退位した。
 +-''カタリーナ・フォン・ミュールハウゼン''(499年~)
 +現オストマルク大公であり、ヨーゼフおよびマリア・エリーザベトの妹。517年に当時の皇帝マリア・エリーザベトにより大公位を授けられた。ミュールハウゼン家の伝統に倣いキリスト教カトリックを信仰している。
 +-''カール・ヨーゼフ・フォン・ミュールハウゼン''(519年~)
 +皇帝ヨーゼフの子で、現皇太子。
 +
 +**その他 [#bf1bc685]
 +-''フランツ・ビュッヒャー''(394年~448年)
 +オストマルクで初の社会主義革命を成功させた革命家。フンガリア出身。オスト語での名は偽名で、本名はナジ・フェレンツ。
 +-''ヨハン・シュレーディンガー''(461年~)
 +オストマルクを代表する指揮者で、クヴェルン帝立歌劇場の音楽監督を務める。
 +-''クレメンス・フォン・ブンゲルト''(467年~)
 +第二帝政における初代国家宰相。若き皇帝に代わり政治の実権を握っていた。クラーシェとの外交問題の影響を受けて罷免された。
 +-''朴京煕'':パク・キョンヒ(500年~)
 +オストマルク人ではないが、大幹帝国朴純徳皇帝の孫で長期留学に訪れている。510年9月時点では10歳ながら、学問や一般教養に秀でており神童として賞賛を受けている。514年、幹国皇帝の崩御によって皇太子となった。
  

  • オストマルク帝国 のバックアップ差分(No. All)
    • 現: 2014-04-22 (火) 00:35:42 knt
      • Deleted an attach file: 18947.png at 2014-04-21 (月) 22:02:56 at 2014-04-22 (火) 00:30:44

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