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帝国新報 ガトーヴィチ帝国政府公認の報道機関。新聞の発行が主業務。 | ||
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7月 04 (木曜日) 2019 | ||
【国際】843年事変まとめ/【政治】ガトーヴィチ民主帝国成立 | 13:19 ガトーヴィチ民主帝国 | |
【解説】843年事変まとめ 843年12月、帝国新報電 全世界的大規模通信障害の最中、普蘭合衆国がライン共和国に宣戦布告し、交戦開始前に講和撤回し、それに伴い普蘭とカルセドニー社会主義連邦共和国との関係が険悪化する椿事が起こった。この「843年事変」を解説しよう。 写真:議論のイメージ 1.普蘭とライン ストリーダへの締め付けを強める普蘭は、ラインにストリーダへの単発燃料輸出中止を水面下で要請したが、ラインはこれを黙殺し2回目の単発燃料輸出を行った。(普蘭人)これが、普蘭・ライン関係の悪化の始まりである。 ここで、ミルズ地域における軍事顧問団死傷事件が起こることとなる。 839年9月 普蘭がミルズと平和友好条約を締結。普蘭は、ミルズの要請を受け、王党派と共和派の軍事顧問団を派遣し、双方から平和的解決を模索した。(#) 839年11月 王党派の武装蜂起によりミルズ内戦が勃発 841年9月 ミルズ社民連・保守党会・共和派連立政権が成立、王党派の討伐を実行 841年12月 王党派の武装解除が完了 842年1月 連立政権が解消 842年7月 王党派が再度武装蜂起 842年10月 ラインが王党派反乱軍にSPPミサイルを発射 # ライン共和国観光者通信において普蘭外務省は「ミルズ内戦は一旦終結したと判断し、我々は両国間に平和条約を締結した」と述べているが、ミルズ内戦が本格化したのは839年11月以降である。また、ミルズ皇国は軍事顧問団の派遣要請ならびにその存在を否定している。 普蘭合衆国は、ラインのSPPミサイル発射によって、王党派の軍事顧問団に死傷者が出たと主張し、ラインに説明を求めた。しかし、ラインは王党派反乱軍に普蘭の軍事顧問団が含まれているとは知らなかったと主張した。これを不服とした普蘭は、843年8月中旬(30371期)にラインに宣戦布告し、講和条件として陸海空軍の放棄と賠償金1兆Vaを提示した。 幸いにも両国は、懸命な実務者協議によって、交戦開始前に白紙停戦した。ところが、この普蘭・ライン事変は思わぬところに波及することとなる。 2.普蘭とカルセドニー カルセドニー社会主義連邦共和国の<赤光>は、843年8月中旬の宣戦布告直後に、「普蘭の反乱軍(王党派)への顧問団の派遣は、普蘭・ミルズ平和友好条約第2条の内政に対する相互不干渉の原則に違反」しており、宣戦布告文の「本戦に関する仲裁及び我が国への非難を行う国家は同様に宣戦布告対象となることを心すべし」という文言が、「国際社会に対する恫喝」であると述べた。 一方普蘭は、カルセドニーが普蘭・ライン両交戦国への軍事物資輸出を通告したことに加え、ギルガルド、御岳山、ローレルの3国に対普蘭貿易の中止を要請した可能性が高いことから、カルセドニーが普蘭・カルセドニー平和友好条約に違反したとして、平和友好条約の更新停止、対カルセドニー貿易の中止、国交断絶を発表した。 一時、カルセドニーがWTCO条約前文と第二条への違反を理由として、普蘭のWTCO除名が提案されるほど、普蘭・カルセドニー関係は著しく悪化している。今年(843年)中に両国間協議が開催される予定であり、WTCO加盟国である我が国は、協議の動向に目が離せない。 【政治】ガトーヴィチ民主帝国成立 843年12月、帝国通信社電 843年9月、ガトーヴィチ民主帝国が成立した。 =その他ニュース= 【国際】カルセドニー<赤光>と普蘭ベルクマリ・タイムズの論争 今ぞ極まる 【国際】香麗民主帝国京城噴火 帝国政府は過去最大規模の支援を実施 【国際】全世界大規模通信障害から復旧も予断許さぬ状況 【今日の詩】「私と普蘭とカルセと」 引用:
私が片手で指示しても | ||
6月 14 (金曜日) 2019 | ||
【政治】民主帝国法成立 再来年1月に国号変更へ/【政治】混迷するミルズ内戦 | 22:58 ガトーヴィチ民主帝国 | |
【政治】民主帝国法成立 再来年1月に国号変更へ 840年-マリヤ4年-7月、帝国新報電 ガルモーニナ為政院は840年-マリヤ4年-1月、民主帝国法案を帝国議会に上程し、同法案は、与党である労働党および社会民主党、ならびにガトーヴィチ共産党の賛成多数で可決、成立した。民主帝国法が示す、ガトーヴィチの新国家像は、どのようなものであろうか。 写真:民主帝国法成立後、演説を行うガルモーニナ為政院総理大臣 1. 格差社会から平等社会へ! 我が国は、427年の建国以来、資本主義を標榜し、過去にはEDTO(資本主義市場経済相互援助条約機構)に加盟して社会主義との対決姿勢を示した。しかし、400年余りの資本主義体制は、常に富める者と貧しき者、地位ある者と地位なき者の格差を抱えており、抜本的な改革を必要としていた。 新国家においては、厚生労働省の下部組織として「監督庁」と「斡旋庁」が設置される。「監督庁」は、各業種全企業執行部の上に立つ組織であり、社員のライフステージに応じた昇給制度や、終身雇用制度の実施状況を監督する。「斡旋庁」は、ХР(Хорошая Работа)式職業適性検査の結果に基づき、無職の国民を、最も適性があると思われる国営企業に斡旋する。こうして、ХР検査の受講を希望した国民は安定した職を得て、誰もが生きる喜びを享受することができるのである。このような社会主義風の新しい経済体制の構築は、昨年滅亡したヴェールヌイ社会主義共和国より招聘せる官僚らを中心に行われることが期待される。 2. 労働者の鑑としてのリーソフ家 我が国では、427年の建国以来、リーソフ家(君帝家)の人間が国家元首を務めてきた。ある時は大スラーヴ主義の権化となり、ある時はナショナリズムの象徴となったことの是非はさておき、新国家においても、リーソフ家が国家元首である事に変わりはない。 しかし、新国家において、リーソフ家が国費で旧時代的な儀式を執り行ったり、よもや政治的な権力を握ったりすることはない。リーソフ家は、農業、製造業、サービス業など、日々さまざまな形の労働に従事することにより、新国家のガトーヴィチ人労働者の「模範」となるのである。なお、君帝制と同時に帝国の独自性を象徴してきた元号は、リーソフ家の行事においてのみ用いられ、公文書や、帝国新報においては使用されないことが決定している。 3. 外交に生ずる変化 ガトーヴィチ帝国が結んでいた条約ならびに二国間関係は維持される。今後は、民主帝政の先達である香麗民主帝国や、フリューゲルを席巻する社会主義国群との関係が緊密なものとなるだろう。 【政治】混迷するミルズ内戦 840年-マリヤ4年-9月、帝国新報電 王党派の武装蜂起により内戦状態に陥ったミルズ地域は、普蘭合衆国が王党派指示を表明して20万人規模の派兵を示唆し、中夏人民共和国が革命勢力を支援する用意があると表明し、周辺海域を航行していたローレル船が沈没するなど、誠に混迷を極めている。政体変更期にある我が国は、ミルズ内戦に対して不干渉を続けているが、外政省の調査によりミルズ地域の情勢が判明した後の、ガルモーニナ為政院の対応が注目される。 | ||
5月 26 (日曜日) 2019 | ||
【帝室】フォンターン君帝陛下崩御 ―フリストフォル皇太子様即位― 【社説】揺らぐ君帝制・元号制 | 01:01 ガトーヴィチ民主帝国 | |
【帝室】フォンターン君帝陛下崩御 ―フリストフォル皇太子様即位― 837年-ソフィヤ22年-5月、帝国通信社電 フォンターン君帝陛下は、ソフィヤ22年5月8日午後10時20分、ガトーヴィチ帝国医科大学附属病院にて崩御された。宝算103歳。フォンターン君帝陛下の崩御に伴い、83歳のフリストフォル皇太子様が新君帝に即位され、新元号はマリヤと定められた。 写真:フォンターン前君帝の棺 ソフィヤ時代には、軍事衛星、防衛衛星が復旧し、毎期に砲弾製造が行われるなど、義理戦争(813年戦争)により大きく削がれた帝国の軍事力の復活に国力が注がれた。同時に、現代都市ガゾンスクの閉鎖により、ヘルトジブリール社会主義共和国と肩を並べる大工業国の地位を再度確立した。823年には建国400周年記念式典が催され、フリューゲル各国の来賓が訪瓦した。 フォンターン前君帝は、833年頃より(奇しくも第38回選挙で左派が大勝した時期と重なる。)体調を崩されるようになっていた。5月8日、侍医の尽力の甲斐なく、帝室の行末を案じつつ、崩御された。 【社説】揺らぐ君帝制・元号制 ガルモーニナ為政院は、フォンターン前君帝の崩御に際し、公的文書において、国家元首としての立場を超えた神格化を助長する虞のある表現を改める政令を公布した。これを受け、本紙においても、フリストフォル君帝陛下並びにフォンターン前君帝への言及について、最低限の敬意を含む表現に改めた。更に、フォンターン前君帝の葬儀並びにフリストフォル君帝陛下の即位式については、史上初めて国ではなく君帝家が支出することとなった。この為、従来の荘厳な儀式は幾分簡素化せざるを得ず、伝統を重視する大学教授、ガトーヴィチ正教会、右派団体から批判された。 帝国議会のおよそ1/5、41議席を有する第三党、ガトーヴィチ共産党は、極右帝国発展党のメタロヴァ為政院と君帝家が癒着した旧体制・反社会主義体制が813年戦争(義理戦争)を招いたとし、帝国発展党と君帝家の戦争責任の追及と、君帝廃位の必要性を主張し、国民の支持拡大を広げている。 国民の元号離れも進んでいる。我が国の元号は、皇后の名前から取る事が慣例となっているが、「皇后の名前が時代の名前になるのは如何なものか」「花子元年のようなものを使いたくない」という声が、若年層を中心に広がっている。 400年余りの歴史を誇るリーソフ王朝は、左派優位議会に押され、タチヤナ時代(キスラロート君帝時代、ガトーヴィチ宗から正教への改宗を急速に進めた、政治的・宗教的混乱の時代)以来の危機にあると言えよう。 (文責:И. Н. アチェスタノフ) | ||
5月 01 (水曜日) 2019 | ||
【衝撃】第38回帝国議会議員選挙 右派総崩れ/【政治】「民衆主権の政治」ガルモーニナ新首相 | 00:59 ガトーヴィチ民主帝国 | |
【衝撃】第38回帝国議会議員選挙 右派総崩れ ソフィア18年-833年-3月に実施された、第38回帝国議会議員選挙の結果は次の通り。(星印は政権与党) 労働党(中道左派)71議席(+31)☆ 社会民主党(左派)42議席(+12)☆ ガトーヴィチ共産党(極左)41議席(+33) 帝国発展党(極右)24議席(+11) 正教保守党(宗教)14議席(-11) 立憲進歩党(中道右派)8議席(-77) ローシャジェフ政権は、813年戦争の戦後復興が評価されたが、後半10年間の無策が批判された。鉄鋼レート問題を提起して国際的地位の向上を図ったが、問題が長期化し、議論の主導権をカルセドニー社会主義連邦共和国に譲った為、目的は達成されなかった。又、フリューゲルを揺るがすレゴリス帝国によるセニオリス共和国併合未遂事件に関して、何の外交的影響力を行使することもできなかった。更に短期的にはセニオリス併合を推進したレゴリス保守党の分解、中期的には昭栄国の大統領制移行、長期的には813年戦争以降の社会主義国家の伸長が、右派の退潮を加速させた。ここをもって、立憲進歩党、正教保守党は大敗北を喫し、労働党と社会民主党の左派連立政権が誕生、ガトーヴィチ共産党が大躍進したのである。「協調路線と独自性の列車」を走らせると豪語したローシャジェフ首相の最期は、あっけなかった。 【政治】「民衆主権の政治」ガルモーニナ新首相 第750回帝国議会(臨時会)は23日、労働党のレーヴァ=クラソーチナヴナ=ガルモーニナ代表(58)を首班指名し、氏は25日、フォンターン君帝陛下によって第39代為政院総理大臣に任命された。 ガルモーニナ氏は、施政方針演説で次のように語った。 「過去には、君帝陛下の権威を利用して国家の体面のみを守り、国民の生命を蔑ろにする政権が数多く存在した。(中略)私は、774年の五月革命に発揮された民衆の力の強さを信じている。第38回選挙の左派圧勝は、民衆が変革を求めていることの証左である。民衆主権の政治改革を断乎進めていく。」 写真:レーヴァ=クラソーチナヴナ=ガルモーニナ:オリガ18年-775年-、イヴァングラート市生まれ。イヴァングラート帝国大学法学部卒。813年戦争で夫を亡くし、政界に進出。832年より労働党代表。両親は、774年の五月革命(156年続いた右派政権が学生運動により崩壊した事件)の籠城戦中に学生結婚。 その他ニュース 【国際】「セニオリス併合未遂に我が国の関与はなかった」トラハト週刊誌報道に対して、報道官 | ||
4月 04 (木曜日) 2019 | ||
【慶祝】ガトーヴィチ帝国建国400周年記念式典挙行さる | 21:39 ガトーヴィチ民主帝国 | |
. 【慶祝】ガトーヴィチ帝国建国400周年記念式典挙行さる ソフィア9年-フリューゲル歴827年-1月16日、悠久の歴史と伝統と数々の勝利に輝くガトーヴィチ帝国は、建国400周年を迎えた。これに伴い、西イヴァングラート県にある帝居前のジュラーブリ広場(鶴の広場)において、ガトーヴィチ帝国建国400周年記念式典・記念軍事パレードが挙行された。 写真:記念軍事パレードの様子 <式次第> 1.ファンファーレ「歴史」演奏 2.フォンターン君帝陛下の瓦都美地帝国建国四百周年に関する勅語、君帝院大学附属小学校児童による花束贈呈 3.ローシャジェフ為政院総理大臣のガトーヴィチ帝国建国400周年祝辞 4.ガトーヴィチ帝国歌「栄えよ、ガトーヴィチ!」演奏 5.軍事パレード 6.帝国民大行進 記念式典及び記念軍事パレードは青空の下、遅滞なく執り行われた。 フリューゲル諸邦の来賓は次の通り。 ヴェニス株式会社最高経営責任者 ローザ・エメリッヒ様 旧ヴォルネスク・スラヴ共和国外務大臣 セミョーン・D・ティモフ閣下 御岳山大社共和国外務副大臣 星川晃閣下 カズカズ共和国議会議長 ラノテクス・ミリア閣下 カタルシア王国外交統括官 エドモン・ガスケ閣下 カルセドニー社会主義連邦共和国外交委員長 ペレト・サードオニクス閣下 ギルガルド社会主義共和国ギルガルド共産党書記長 ゲオルギー・トハチェフスキー閣下 ストリーダ王国首相 マグダレナ・ローゼッカー閣下 セニオリス共和国大統領 シルウァ・イェールシュテット大閣下 タヂカラオ国大統領 シャリル・T・パージング閣下 トラハト=ラシュハ連合王国首相 ベンヤミン・ヴァイス閣下 トルキー社会主義共和国外務大臣 ピナル・シャヒーン閣下 冰州連合第二副議長 ヤン・ゲーゼ閣下 並びに 在瓦冰州大使 ハラルド・リンドベルイ閣下 フェネグリーク帝国外務大臣 アイス・フェイ閣下 普蘭合衆国首相 ヒコジロウ・ノダ閣下 ヘルトジブリール社会主義共和国国家評議会議長 クラミー・ラッツェル閣下 レゴリス帝国総統 リーゼロッテ・ヴェルトミュラー閣下 ローレル共和国副大統領 オリヴィア・リューネス閣下 ロムレー湖畔共和国外交局長 ジェレミー・レジス・ノエ・アラン閣下 又、中夏人民共和国代表より民族問題の専門家、陳宝満様が、遠泳してご参加。 【慶祝】ガトーヴィチ400年の歩み ソフィア9年-827年-1月、帝国新報 ガトーヴィチ帝国はフリューゲル歴427年1月16日、イヴァン=イヴァノヴィチ=リーソフを君主として建国を宣言し、432年にイヴァンを初代君帝に推戴した。まもなく絶対君主制から立憲君主制へ移行。経済面では燃料輸出で得た外貨によって工業化を推進し、外交面では成蘭連邦王国と安全保障条約を締結して強固な同盟関係を構築した。519年に建国から百年足らずで先進国入りすると、五国協商(ミッドガルド帝国、成蘭連邦王国、ティユリア王国、昭栄国)の一角として対日ノ本戦争と日ノ本懲罰戦争に勝利、その後の瓦辺戦争にも勝利した。国体純化法施行と半世紀以上の鎖国によって大スラーヴ主義を標榜する一大帝国に生まれ変わると、スラヴ連合を結成しヴォルネスク解放戦争でヴォルネスク・スラヴ共和国の独立を実現させた。その後帝国は大スラーヴ主義の展開を停止し、エルドラード条約機構への加盟を以って社会主義勢力との対決姿勢を顕にしたが、ヴェニス株式会社の軍事問題に端を発する813年戦争にて敗戦、現在は鉄鋼レートに関する問題の解決に尽力し、ディースブルク(講和条約)体制の下で世界平和に貢献している。 かくも輝かしい歴史を有する帝国は、近年フリューゲルにおける存在感を益々大きくしている。帝国の未来は明るく、建国500周年を迎える頃には更なる発展を遂げていることだろう。 | ||
3月 03 (日曜日) 2019 | ||
【社会】ヴォルネスク解放100周年記念式典挙行さる | 00:01 ガトーヴィチ民主帝国 | |
【社会】ヴォルネスク解放100周年記念式典挙行さる ソフィア8年-823年-5月、帝国新報電 ソフィア6年-821年-5月15日、西イヴァングラート県帝居前のジュラーブリ広場にて、ヴォルネスク解放100周年記念式典が挙行された。ヴォルネスク解放戦争は、当時全盛を極めていた大スラーヴ主義に基づき、非スラヴ人によるスラヴ人支配の打破を目指した戦争である。721年5月15日は、停戦合意に伴いヴォルネスク人による独立国家の建設が確定的となった記念すべき日である。 記念式典においてローシャジェフ首相は「ヴォルネスク解放戦争は我が国栄光の歴史の重要な一部分であり。ヴォルネスク・スラヴ共和国と我が国は一蓮托生である。」と述べて過去の賞賛とヴォルネスクへのラヴ・コールを送る一方で、「好戦的な大スラーヴ主義は過去のものであり、今、全フリューゲルのスラヴ民族は、経済同盟や軍事同盟の枠を超えて、平和的に連合するべき時にある。」と語り、スラヴ世界の再編への決意をにじませた。 写真:ガトーヴィチ帝国旗とヴォルネスク・スラヴ共和国旗 | ||
2月 12 (火曜日) 2019 | ||
【社会】軍事・防衛衛星 打上げ成功 【社会】現代都市ガゾンスク再閉鎖 | 01:28 ガトーヴィチ民主帝国 | |
【社会】軍事・防衛衛星 打上げ成功 ソフィヤ5年-820年-1月、イヴァングラート通信社電 軍部省は1月、軍事衛星並びに防衛衛星の打上げに成功したと発表した。軍事衛星並びに防衛衛星は813年戦争時に有志連合によって破壊されて以来、再打上げの計画が進行していた。ディースブルク条約の軍事制限条項によりイレギュラーを打ち上げる事こそ叶わないが、帝国の宇宙事業の復活を象徴する出来事であると言える。 画像:人工衛星 【社会】現代都市ガゾンスク再閉鎖 ソフィヤ5年-820年-2月、イヴァングラート通信社電 2月、青天の霹靂、現代都市ガゾンスク(7,8)は武装官僚による接収を受け、即日閉鎖された。現代都市ガゾンスクは547年に閉鎖された後、再建されたが、第二次高効率工業国行動計画に基づき273年ぶりに閉鎖された。 ガゾンスク閉鎖により、工業特化率は615%に急上昇、史上最高値を記録して世界二位となった。 写真:現代都市レ◯プ!更地と化したガゾンスク その他ニュース 【国際】カルセドニー200周年記念式典間近 【国際】御岳山 与党過半数獲得 | ||
1月 19 (土曜日) 2019 | ||
【帝室】ウスピェフ君帝陛下崩御 | 23:02 ガトーヴィチ民主帝国 | |
【帝室】ウスピェフ君帝陛下崩御 ―フォンターン皇太子殿下御即位― ソフィヤ元年-816年-5月、帝国通信社電 畏くもウスピェフ君帝陛下に於かせられては、4月28日午後3時34分、ガトーヴィチ帝国医科大学附属病院にて崩御有らせられた。宝算101歳。ウスピェフ君帝陛下の崩御に伴い、宝算82歳に有らせられるフォンターン皇太子殿下が新君帝に践祚遊ばされた。 畏くもウスピェフ先帝陛下の御代には、社会主義陣営に対抗する意図からエルドラード条約機構へ加盟したが、セニオリス=VSS戦争への有志連合参戦に伴い、集団的自衛権を行使して義理戦争(813年戦争)を開戦するに至り、誠にフリューゲルに於いて繁栄を謳歌するの困難なるを知った。帝国は史上初めて事実上の敗戦を喫し、主要国への賠償と半世紀以上の軍備制限を約した。この苦難の時代に、畏くもウスピェフ先帝陛下に於かせられては、空襲に怯ゆる帝国民に激励の玉音を賜わせ給い、終戦後も、森羅万象の化身の帝国民の御救済に御力を尽くさせ給うたのだ。 タクマン宮内相は28日午後6時からの記者会見に臨み、新元号を「ソフィヤ」とし、翌日改元すると発表した。新元号は、慣例に倣い、畏れ多くも皇后陛下の御名より採用し奉った。麗しくもフォンターン君帝陛下は5月1日、即位式に行幸有らせられ、第二十代君帝に御即位遊ばされた。ウスピェフ先帝陛下の御大葬は、5月10日に畏く挙行された。 写真:ウスピェフ先帝陛下御大葬 その他ニュース 【国際】くまモンの乱鎮圧 熊勝利に賭けて頽るる人あまた 【投書】冰州連合の洗練されたる国家運営を見習はん | ||
1月 13 (日曜日) 2019 | ||
【経済】第二次高効率工業国行動計画を院議決定 他 | 16:23 ガトーヴィチ民主帝国 | |
【経済】第二次高効率工業国行動計画を院議決定 アレクサンドラ11年-815年-4月、イヴァングラート通信社電 ローシャジェフ為政院は4月1日、第二次高効率工業国行動計画(高工II)を院議決定した。高工IIは、ナターシャ16年(591年)に発表された高効率工業国行動計画の第二弾であり、商業規模と農業規模の縮小と工業規模の拡大により、工業特化率600%と新時代の商品レート1:0.4の達成を目標としている。又、高工IIの実施に際しては他国からの融資を募ることとなった。 ローシャジェフ首相は同日午後の記者会見において「高工IIはここ一世紀の工農業国志向からの大転換である。これが実現されれば理想的な工業国像としてフリューゲル世界にアピールできるだろう。」と語った。 第一次高効率工業国行動計画の報道記事はここをクリック 【社会】現代都市ツェーントル閉鎖さる アレクサンドラ11年-815年-4月、イヴァングラート通信社電 3月31日、青天の霹靂、現代都市ツェーントル(12,9)は武装官僚による接収を受け、即日閉鎖された。現代都市の閉鎖はナターシャ17年-592年-のローシスク閉鎖以来223年振り。 写真:現代都市レ◯プ!工場と化したツェーントル(左から右) | ||
1月 07 (月曜日) 2019 | ||
【終戦】ディースブルク条約締結さる 【選挙】第37回選挙 中道右派勝利 【政治】「協調路線と独自性の列車」ローシャジェフ新首相 | 17:46 ガトーヴィチ民主帝国 | |
【平和】戦争終結 アレクサンドラ9年-813年-11月、イヴァングラート通信社電 ピチソートゥイ外政大臣はヘルトジブリール社会主義共和国首都ベルグシュロス郊外ディースブルク城において、義理戦争の講和条約に署名した。調印式はアレクサンドラ9年(813年)11月7日(29299期)に終了した。 ディースブルク講和条約はレゴリス帝国・ヘルトジブリール社会主義共和国への賠償と、凡そ50年にわたる軍備制限を課しており、帝国史上初の敗戦を証明するものとなった。 写真:調印式が行われたディースブルク城 【選挙】第37回選挙 中道右派勝利 アレクサンドラ10年-814年-5月、帝国新報電 メタロヴァ首相による帝国議会解散に伴う第37回ガトーヴィチ帝国議会議員選挙(定数200)の結果は次の通り。 立憲進歩党(中道右派) 85↑☆ 労働党(中道左派) 40↑ 社会民主党(左派) 28↑ 正教保守党(宗教) 25↓☆ 帝国発展党(極右) 13↓ ガトーヴィチ共産党(極左)08↑ 無所属 01 政治的な安定を求める声が強く、第一党で中道右派の立憲進歩党と、第四党で宗教系の正教保守党が与党となった。我が国の敗戦を招いた帝国発展党は、70議席減の大敗を喫した。 【政治】「協調路線と独自性の列車」ローシャジェフ新首相 同年5月、帝国新報電 第708回帝国議会(臨時会)は14日、立憲進歩党のローシャジェフ総裁(50)を首班指名し、氏はウスピェフ君帝陛下により、第38代為政院総理大臣に任命された。 ローシャジェフ新首相は第709回帝国議会(常会)において施政方針演説を行い。「賠償請求、軍備制限、戦後不況に襲われる我が国は、未曾有の国難にある。我が国は、義理戦争開戦に至ったことを反省し、国際協調路線をとる。しかしその線路を走るのは、独自性の列車だ。」と述べ、国際社会と協調しつつも帝国の独自性を発揮していく決意を示した。 写真:高速鉄道サプサン(ヴェールヌイ製) ニコライ=ルスラーノヴィチ=ローシャジェフ:751年、ドィーム県生。ドィーム工業大学を卒業後、技官として開発省に入省。794年に退官して政界に進出した。 | ||
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