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国名 | 大幹帝国 (だいかんていこく・대간 제국・デガンチェグク) |
---|---|
英名 | The Great Empire of Degan |
正字 | 大幹帝國 |
国旗 | ![]() |
国章 | ![]() |
党旗 | ![]() |
元首 | 世寧君朴京煕皇帝陛下 |
政体 | 議会制民主主義 |
首相 | 盧文鉉 |
首都 | 京城特別市 |
人種 | 幹国人82%石動人6%中夏人4%萬州人4%秋津人2%その他2% |
宗教 | 礼教65%基督教16%祆教5%その他14% |
国歌 | 愛国歌 |
国花 | 無窮花 |
国鳥 | 喜鵲 |
公用語 | 幹国語 |
標語 | 衛正斥邪(正義を守り、邪悪を斥けよう) |
建国 | フリューゲル暦1年10月3日(丹君伝説) |
創建 | フリューゲル暦434年6月14日 |
政策スライダー
民主的 | -◆----- | 独裁的 |
政治的左派 | ------◆ | 政治的右派 |
開放社会 | -◆----- | 閉鎖社会 |
自由経済 | -----◆- | 中央計画経済 |
常備軍 | ◆------ | 徴兵軍 |
タカ派 | ◆------ | ハト派 |
介入主義 | ◆------ | 孤立主義 |
525年12月、国教法廃止で開放社会に1スライド
526年8月、防衛隊石動駐留で介入主義に2スライド
532年2月、石動内戦介入で介入主義へ1スライド
国歌
【愛国歌】
一番
東海が乾き果て、百頭山が磨り減る時まで~ 丹君様のお護りくださる我が国、万歳
コーラス
無窮花(大幹の国花)、三千里、華麗な山河、~ 大幹人よ、大幹を永久に保全せよ。
二番
南山(京城にある山)の老松が鉄の鎧をまとったように、~ 風霜の変わらざるは、我等の気性なり。
コーラス
無窮花(大幹の国花)、三千里、華麗な山河、~ 大幹人よ、大幹を永久に保全せよ。
三番
広い秋の空が雲ひとつなく澄み渡り、~ 輝く月は、我等の精神、一片丹心(誠実な心)なり。
コーラス
無窮花(大幹の国花)、三千里、華麗な山河、~ 大幹人よ、大幹を永久に保全せよ。
四番
この気性(=2番で歌われたもの)とこの心(=3番で歌われたもの)で忠誠を尽くし、~ 辛くとも、楽しくとも、国を愛そう。
コーラス
無窮花(大幹の国花)、三千里、華麗な山河、~ 大幹人よ、大幹を永久に保全せよ。
メロディー http://www.youtube.com/watch?v=U1FiqIpYqS8&feature=player_embedded
歴代国王・皇帝
歴代 | 名前 | 御真影 | 廟号 | 年号 | 生没 | 在位期間 | 在位年数 |
初代 | 朴成秀 | ![]() | 太祖 | 無し | (384年~444年) | (434年~444年) | 10年 |
父、朴子春が率いていた龍鮮光復軍を継いで、各地の軍閥を平定し初代龍鮮国王に即位した。龍鮮労働党の龍鮮人民共和国の煽動や蔡洲独立に全力で対処していたが志半ばで病死。 | |||||||
諡号 | 康献至仁啓運応天肇統広勲永命聖文神武正義光徳大王 | ||||||
2代 | 朴安哲 | ![]() | 太宗 | 無し | (408年~491年) | (444年~484年) | 40年 |
即位後、議会開設運動に力を尽くし、憲法制定・議会政治の道を拓いた。啓蒙君主として立憲政治を尊重していたが、治世中に龍鮮戦争が勃発。譲位後もオセアニカ・アースガルド戦争を経験し、焼土となる祖国を見ながら崩御された。 | |||||||
諡号 | 昭敬正倫立極盛徳洪烈至誠大義格天熙運景命神暦弘功隆業顕文毅武聖睿達仁大王 | ||||||
3代 | 朴純徳 | ![]() | 高宗 | 光龍 | (445年~514年) | (484年~514年) | 30年 |
父君からの譲位後、皇帝に践祚。国号を大幹帝国へ改号した。戦中は連合側との和平を模索していたが叶わず、終戦の詔勅を発して、連合国への降伏を決断した。戦後まもなく全国を巡幸して復興に励む臣民を激励された。即位30周年奉祝式典で北幹のテロリストに狙撃され崩御 | |||||||
諡号 | 荘粛体健継極中正光大至聖広徳弘運章化経文緯武明仁哲孝成皇帝 | ||||||
4代 | 朴世成 | ![]() | 聖祖 | 天安 | (477年~568年) | (514年~568年) | 55年 |
55年の治世は和寧朝以来の幹国の君主で最長の在位期間を記録した。精力的に皇室外交や国内各地の巡幸を行い、臣民の尊敬を集めた。 | |||||||
諡号 | 荘順至行純徳英謨毅烈章義弘倫光仁敦禧体天建極聖功神化大成広運開泰基永堯明舜哲乾健坤寧配命垂統景暦洪休中和隆道粛荘彰勲正文宣武熙敬顕孝皇帝 | ||||||
5代 | 朴京煕 | [添付] | 世寧 | (500年~) | (568年~) |
歴代議政府総理大臣
歴代 | 名前 | 所属 | 身分 | 生没 | 在職期間 | 在職年数 | 概要 |
初代 | 李大尊 | 朝廷臣下 | 平民(のち両班) | (385年~474年) | (434年~455年) | 21年 | 太祖朴成秀陛下に従い、龍鮮統一を助けた建国の功臣であり、殖産興業の基礎を作った。諸外国との国交樹立や封建的制度の改革を行った忠臣。 |
2代 | 尹明策 | 祖国貢献党 | 両班 | (396年~480年) | (455年~465年) | 10年 | 改革派官僚出身で龍鮮・蔡洲統一を成し遂げ、高度経済成長を実現。近代的な政治体制を作り上げた元勲。 |
3代 | 呉勇邦 | 進歩会 | 平民 | (401年~484年) | (465年~475年) | 10年 | スオミ王国への国際公開質疑を主導するなど国際平和に貢献。龍鮮王国を援助大国に押し上げ、安定成長を実現。 |
4代 | 姜英哲 | 愛国行動党 | 両班 | (429年~492年) | (475年~492年) | 18年 | 国家社会主義者で石動と協調し東方の秩序維持に努め、龍鮮戦争では共産主義から祖国を守り抜いた。オセアニカ・アースガルド戦争では卑劣な侵略者に屈せず幹国と友邦の為に戦ったが敗戦。志半ばで自決。 |
代行 | 金幸徳 | 愛国行動党 | 両班 | (430年~) | (492年~500年) | 8年 | 姜英哲の腹心の部下。姜首相自決後、首相代行として戦後復興に尽力。本人はあくまで姜英哲の代理であると強調し、正式な首相就任は断っている。工業化政策を推進し、戦前以上の国力まで成長させたが、財政破たんの責任を取り辞職。 |
5代 | 李沢相 | 愛国行動党 | 平民 | (455年~) | (500年~506年) | 6年 | 親ノ連外交の徹底と工業化政策の継続を主張。連共主義を掲げオストマルクとの関係強化を図る。パルシア政府からの収賄が発覚。猛批判により辞任・逮捕。 |
6代 | 鄭会昌 | 愛国行動党 | 両班 | (457年~) | (506年~530年) | 24年 | 前首相のパルシアとの癒着を徹底批判。外交ではCAME発展に努力し、石動再建を支援した。内政では国教法を廃止して信仰の自由を回復した。 |
7代 | 朴永成 | 愛国行動党 | 平民 | (483年~) | (530年~551年) | 21年 | 国家社会主義政党の党首でありながら、民主化容認派。安定した内政と外交を展開し、来るべき民主化を準備し独裁体制を徐々に軟化させた。 |
8代 | 丁純憲 | 国民民主連合 | 平民 | (506年~) | (551年~568年) | 17年 | はじめは愛国行動党体制内での民権活動に従事し挙国政治連盟枠の常民院議員に任命される。朴内閣の民主化路線移行後「国民民主連合」を組織した。丘州征伐では優れてリーダーシップを発揮。各国首脳と積極的に会談し、国際スポーツ大会を成功に導いた。天安君陛下崩御に殉じ総辞職。 |
9代 | 中川英憲 | 国民民主連合 | 平民 | (510年~) | (568年~573年) | 5年 | 秋津系幹国人初の首相。幹国名への改名をせず秋津名のまま政治活動を続け、清廉な性格から幹国人の支持も獲得し、副首相として入閣し遂に首班指名を受けた。石動・吉備間の和平仲介や国際災害支援など外交にも積極的だったが、大吉備建国と内戦再燃を招いた責任を取り辞職。 |
10代 | 丁純憲 | 国民民主連合 | 平民 | (506年~) | (573年~576年) | 3年 | 民主活動家で首相としての実績もあった彼なら、左右両陣営をまとめられるという政府高官・大物議員の判断によって挙国一致内閣の首班に担ぎ上げられた。ノ連・石動間の対立を受けて総辞職。 |
11代 | 尹阜善 | 両班院研究会 | 両班 | (514年~) | (576年~578年) | 2年 | 名門両班で正一七公の筆頭。幹国のフィクサーとも称される。ノ連・石動間の対立仲裁のため、表に出て首相を買って出たが、失敗総辞職した。 |
12代 | 盧文鉉 | 大幹社会党 | 平民 | (508年~) | (578年~) | 元弁護士で学生時代から左翼運動に傾倒していた。ノ連共産党への支持は崇拝とも言えるレベル。日系民族が嫌いで日頃、石動人・秋津人をチョッパリと罵っている。 |
国名
大幹帝國(ハングル表記は대간제국)
天安君陛下が「外交の場で『大』を名乗ることは非礼で羞恥すべきことである。」と仰せられたため、
外国との会談や通信では「大」を付けず「幹帝国」又は「幹国」と名乗ることが慣わしとなった。
歴史
357年 | 秋津皇国領にて中夏民国が独立。中夏民国龍鮮省となる。 |
375年 | 龍鮮半島各地で独立運動が起こる。朴子春が龍鮮北部と萬州を拠点に挙兵する。 |
387年 | 中夏民国滅亡。龍鮮半島で大乱が起こる。 |
410年 | 朴成秀が龍鮮光復軍を建軍する。 |
434年6月 | 朴成秀が半島統一。龍鮮王国成立。 |
442年6月 | 龍鮮労働党が反乱を起こす(壬午共乱) |
443年1月 | 共産主義者、李策明がオストマルク民主連邦で龍鮮人民共和国を建国する。 |
443年8月 | 蔡洲島が独立を宣言する(癸未蔡乱) |
444年4月 | 朴成秀国王崩御 安哲世子即位 |
445年11月 | 朴安哲国王 10年後に議会開設する詔書を発布。議政府は憲法制定のため、研究を開始。 |
447年1月 | ゾロアスター教公認 |
448年3月 | 龍鮮王国憲法制定・内閣制度導入 |
455年11月 | 龍鮮王国議会 両班院勅選・常民院民選実施 |
456年3月 | 龍鮮・蔡洲統一 |
460年11月 | 第二回常民院選挙 |
464年4月 | 国王陛下御即位20周年奉祝の礼 |
465年11月 | 第三回常民院選挙、政権交代(呉勇邦・進歩会代表) |
470年11月 | 第四回常民院選挙 |
471年1月 | 呉内閣、宇宙開発振興を閣議決定。憂陵島宇宙センター建設 |
471年7月中旬 | 気象衛星「太陽(태양)1号」が憂陵島宇宙センターから打ち上げられ、軌道投入成功。我が国初の人工衛星 |
471年9月中旬 | 龍鮮陸軍航空隊の精鋭部隊、神桜皇国に出現した怪獣を撃破 |
474年4月 | 国王陛下御即位30周年奉祝の礼 |
474年7月 | 李大尊初代議政府総理大臣逝去 |
475年11月中旬 | 第五回常民院選挙、愛国行動党大勝・姜英哲総統首相就任 |
477年11月 | 龍鮮労働党が党内対立により分裂、急進派が香麗共産党の結党を宣言 |
477年12月3日 | 香麗共産党が武装蜂起(龍鮮戦争/丁巳共乱) |
478年1月11日 | 香麗共産党、香麗民主連邦の建国を宣言 |
478年2月1日 | 中夏人民共和国、香麗側に立って参戦 |
478年2月10日 | 大石動帝国、王国側に立って参戦 |
478年6月5日 | エルジア共和国、王国側に立って参戦 |
478年8月10日 | ノイエクルス連邦、王国側に立って参戦 |
478年12月8日 | 香麗民主連邦壊滅、龍鮮戦争終結 |
480年10月 | 全権委任法可決、愛国行動党以外の全ての政党解散 |
482年6月 | 観測衛星「地鎮(도시)1号」打ち上げ |
484年4月 | 朴安哲陛下退位、朴純徳世子即位 |
484年4月 | 大幹帝国建国 |
485年3月 | 姜英哲内閣、CAME加盟を表明 |
485年8月 | CAME(オセアニカ経済協定)に加盟 |
487年5月 | 正教公認 シオン総主教庁より大主教派遣 |
489年9月 | 朴純徳皇帝陛下、アクアマリン王国マリマリア少女王陛下と会談 |
490年1月 | 巨大隕石落下、尚慶道民300万人死亡 |
490年5月 | 大幹帝国陸軍、幹中国境の治安維持のため萬州に進駐。匪賊掃討戦開始。 |
490年6月 | 親幹軍閥の張乍霖を首班とした萬州連合自治政府を天奉で樹立 |
491年1月 | 反ノイエクルス連合との戦争に突入(オセアニカ・アースガルド戦争/庚午洋乱) |
491年5月 | ミッドガルド軍・ラインハッカーI作戦によって約6分の1が焦土化 |
491年7月 | 朴安哲先王陛下崩御 |
492年12月1日 | 皇帝陛下詔勅により、大幹帝国事実上の降伏 |
492年12月1日 | 姜英哲首相自決 |
495年11月 | 国教法制定 |
496年3月 | 国教法に反発した祆教徒が反乱(丁丑祆乱) |
497年5月 | 陸上防衛隊・警務院機動隊・反祆義兵隊により不逞祆教徒の反乱が鎮圧される |
497年8月 | 映画「永遠の1年」が公開され、全土で500万人以上を動員する |
500年4月 | 帝国政府財政破綻、金幸徳内閣総辞職、李沢相内閣成立 |
500年10月 | 建国500年「創天節」を全土で祝う、幹国半千年の歴史万歳! |
502年10月 | パルシア帝国に内政顧問団を派遣 |
503年1月 | 朴純徳皇帝陛下・朴世成皇太子殿下、エルジア共和国をご訪問 |
503年11月 | 朴純徳皇帝・尹珠希皇后両陛下、ガトーヴィチ帝国をご訪問、同国君帝陛下と会談される |
505年4月 | 元ドクツ警察長官ハインリヒ・ハイデンが幹羅道蔡洲島に不法上陸。拘束後、ドクツ第三帝国へ送還 |
505年6月 | オストマルク国内で発生した騒擾に対し、航空防衛隊を派遣し援護を行うが国際世論の批判を受け撤退 |
506年3月 | 李沢相総理、パルシア政府との癒着や巨額援助の責任を通級され辞任、その後逮捕 |
506年3月 | 鄭会昌内閣成立 |
510年6月 | 気象衛星「太陽(태양)2号」打ち上げ成功 |
510年9月 | 朴京煕親王殿下、オストマルク帝国へ長期留学 |
512年1月 | 観測衛星「地鎮(도시)2号」打ち上げ成功 |
514年4月 | 朴純徳皇帝、香麗民主連邦軍に暗殺される 廟号「高宗」 |
519年7月 | 朴世成皇帝・伊勢宮皇后両陛下、オストマルク帝国をご訪問 |
522年11月 | 石動亡命政府の神凪宮皇帝陛下が食道ガンにより崩御 高野直総統殉死 |
523年6月 | 石動亡命政府を支援し石動本州へ防衛隊派遣 |
524年8月 | ストリーダ王国建国20周年式典に朴世成皇帝・伊勢宮皇后両陛下が出席 |
525年12月 | 国教法廃止 |
526年8月 | 在石動防衛隊基地建設 |
530年10月 | 鄭会昌首相退任、朴永成内閣成立 |
532年11月 | 石動南北動乱(幹国呼称:壬子石征)において白善花陸防次佐率いる歩兵第一師団が帝都奪還に貢献 |
533年10月 | 石動第三帝国へ50兆Vaの無利子・無期限借款 |
534年6月 | 王朝創建100周年 |
537年5月 | 石動より島津カゲフミ先生・缶野浩先生・やもり先生・高槁良作先生・山瀬公敏先生が仁河芸術文化大学の教授に赴任 |
538年7月 | オストマルク帝国崩壊、朴京煕皇太子殿下・ルイーゼ・フォン・ロンベルク妃殿下が御帰国 |
540年3月 | 吉備南朝軍の攻撃により「石動守護帥」三軒屋部隊が壊滅 |
540年10月 | 庚申東征(丘州征伐作戦)開始、旧秋津領丘州辛津・宗方・副岡の三地点へ上陸 |
541年1月 | 副岡会戦で大敗、丘州から撤退 |
542年11月 | SOFTMAX Interactiveが「鋼鉄の心(철의하트)」を発売 |
545年11月15日~29日 | 海賊一斉掃討作戦「乙丑寇征」成功により丘州海賊・ヴォルネスク海賊を幹国領海・経済水域から殲滅 |
546年2月12日 | 海防隊・和寧造船の海防官・技術者が空母艦隊創設支援のため石動へ派遣 |
548年4月12日 | 朴永成総理、民主化・憲法改正を宣言 議会制民主主義へ回帰 |
548年4月26日 | 大幹帝国憲法改正国民投票により改正承認 |
548年4月27日 | 天安君陛下、改正憲法を公布なされる |
549年3月1日 | 全権委任法廃止、結党・結社の自由回復 |
551年6月5日 | 第五回常民院選挙において国民民主連合が大勝 |
551年6月6日 | 丁純憲国民民主連合代表、第8代議政府総理大臣に就任 |
551年8月16日 | 尚慶石油のタンカーが丘州吉備秋津義勇軍に拿捕される |
551年8月18日 | 議政府情報部・外事警察、丘州派遣 |
551年8月23日 | 副岡丘賊軍本部に拘留中の幹国人・シベリア人の無事を確認 |
551年8月24日 | 丁内閣、乗組員奪還及び丘賊平定を閣議決定 吉備丘賊征伐司令部を設置、白善花将補を総司令に任命 |
地理
百頭山(13,1)
龍鮮族の先祖のフリューゲル移民団が上陸し、丹君が即位した龍鮮発祥の地。~ 丹君廟や丹君神宮、国立丹君記念公園などの宗教施設が充実
緑鴨江
中夏大陸との国境を流れる大きな河川。
京城(8,9)
大幹帝国の首都。政治・経済・文化が一極集中している。
仁河(7,8)
工業都市であり、幹国最大規模の貿易港と「仁河国際空港」を有する。
釜海(11,16)
港湾都市で観光名所も多い。
太邱(12,14)
幹国南部の最大の都市。
壌平(7,5)
幹国北部最大の都市。三国時代に香句麗の都が置かれていた。 現在は香麗民主連邦の首都である。
興咸(14,4)
戦前は東北部の一大工業都市。初代国王朴成秀の生まれた龍鮮王朝発祥の地。~ 冷麺が有名。 現在は農村となっている。
蔡洲島(4,18)
蔡洲特別自治道として高度な自治が与えられている。現在は蔡洲自治政府の崩壊により、幹羅道蔡洲郡となっている。
リゾート地として有名。
特産物はミカン。
対島(12,19)
元々は秋津領の島だったが、龍鮮統一戦争の過程で龍鮮に併合された。
島の秋津人は現在は幹国人と同化している。
弐岐(14,20)
対島と同じく秋津領の島だったが、龍鮮統一戦争の過程で龍鮮に併合された。
特産物は弐岐牛。
民族
幹民族(和寧民族・龍鮮民族・香麗民族とも称す)が大半を占めるが、中夏民族や秋津民族、萬洲民族(旧中夏民国東北部の民族)の流入も見られる。大石動帝国滅亡により石動民族が流入した。
蔡洲民族は龍鮮民族と秋津民族の混血と考えられている。
民族の一覧 |
政治制度
和寧王朝・香麗王朝からの伝統的な国王中心の前時代的な封建王朝体制が敷かれていた。
科挙という公務員試験に合格した官僚と古くからの両班(貴族)が国王の政治を支える王朝国家だったが、先進国に倣った政治体制を目指す若手政治家による働きかけによって445年11月、朴安哲国王は10年後に議会を開設する詔書を発布。憲法の制定を命じた。
448年3月、憲法制定・内閣制へ移行。
被選挙権は25歳以上の男子、選挙権は20歳以上の男子に認められており、女性は政治に参加する権限はない。(伝統的礼教価値観より。)
↑について女性運動家による「婦人参政権運動」が展開されているが未だ実現していない。
皇室
皇室の先祖は咸州朴氏という一族と公称しているが、実際は萬州民族出身である。
初代国王、朴成秀の父で当時半島を支配していた中夏民国に対し独立運動を展開した朴子春は「察喇覚羅子春」という萬州名も持っていた。
皇帝が幹民族ではないことは朴王朝の正統性に関わる問題であるため、秘密を知る者は限られている。
朴子春の率いた独立運動勢力は子の朴成秀に継がれ、「龍鮮光復軍」として組織化され龍鮮統一の原動力となった。
皇室は歴代の国王・皇帝が質素な生活に努め、定期的に国内を巡幸しているため国民から深く敬愛されている。
呼称
「朴〇〇皇帝陛下」「〇〇君皇帝陛下」「今上皇帝陛下」など様々な呼称がされていたが、諱を呼ぶことは失礼にあたるとして、548年より「〇〇君皇帝陛下」に統一されることとなった。
爵位
和寧王朝時代に確立された「九品十八階」という爵位によって両班の家格が定められている。
国家と皇室に対して何らかの功績があった者が新たに叙位を受ける他、既に叙位されている両班が昇位することがある。
位階 | 家数 | 概要 |
正一品 | 7家 | 最高位の両班で、特に古い家柄であるか、優れた功績があった者のみ叙位を受ける |
従一品 | 12家 | |
正二品 | 17家 | |
従二品 | 21家 | |
正三品 | 22家 | |
従三品 | 24家 | |
正四品 | 24家 | |
従四品 | 27家 | |
正五品 | 35家 | |
従五品 | 39家 | |
正六品 | 46家 | |
従六品 | 47家 | |
正七品 | 50家 | |
従七品 | 52家 | |
正八品 | 61家 | |
従八品 | 74家 | |
正九品 | 104家 | |
従九品 | 125家 |
主要な両班
慶州尹氏 |
位階:正一品・公爵 |
現当主:尹阜善 |
和寧王朝王室の子孫で、第2代議政府総理大臣の尹明策、その長子、尹昌均府院君、孫娘で光龍君皇帝の皇后、尹珠希を輩出した大名門。現当主の尹阜善は大幹赤十字社の社長を務めている。 |
咸州李氏 |
位階:正一品・公爵 |
現当主:李忠徳 |
初代議政府総理大臣、李大尊を創始者とする。李は北方の貧農出身であったが、太祖の統一事業への貢献や初代議政府総理大臣としての活躍が評価され正三品に叙され、姜英哲政権時代に正一品に昇格した。現当主の李忠徳は両班院議員及び幹国・ガトーヴィチ友好議連会長を務めている。 |
京州黄氏 |
位階:正一品・公爵 |
現当主:黄明一 |
香麗王朝時代に領議政などの高官を多く輩出した名門両班。秋津皇国統治時代は総督府中枢院顧問や皇国貴族院議員を輩出した。独立後の内乱期は京畿道を本拠地とする軍閥として活動し、太祖の軍が南進すると領地を献上したため正一品の地位を保つことが出来た。現当主の黄明一は両班院議長を務めている。 |
輝州姜氏 |
位階:正一品・公爵 |
現当主:姜明守 |
香麗王朝の両班の末裔で、当時の位階は従六品。姜卓一が半島統一戦争で太祖に従い武功を挙げた為、正三品に昇格。更に卓一の子、姜英哲第4代首相の功労が評価され、死後正一品に昇格した。現当主の姜明守は常民院議員で愛国行動党総統を務めている。 |
麗州金氏 |
位階:正一品・公爵 |
現当主:金健煕 |
物産・金融・保険・工業など幅広く事業を手掛ける五星財閥の創業者一族。初代の金秉喆は龍鮮戦争中の物資調達で巨富を築き、オセアニカ・アースガルド戦争後の復興事業と高度経済成長期に更なる成長を遂げ、幹国の国富の3分の1を支配するようになった。高額納税や公共投資、福祉事業への貢献が評価され正一品に叙せられた。現当主の金健煕は個人資産50兆Vaの大富豪。 |
眈羅高氏 |
位階:正一品・公爵 |
現当主:高龍福 |
眈羅国(蔡洲島)の王家の末裔。香麗王朝時代は冷遇されていたが、秋津皇国統治時代に貴族院議員を輩出する。半島独立後は蔡洲独立を目指していたが、本土の軍閥に敗れ、一時秋津に避難。太祖の統一後は正一品叙勲の代わりに蔡洲独立派の封じ込めを行った。蔡洲特別自治道の廃止後は代々、幹羅道蔡洲郡知事を歴任している。現当主の高龍福は蔡洲共和国時代からの隆盛を誇る先端工業を支配して巨富を築いた。 |
平州鄭氏 |
位階:正一品・公爵 |
現当主:鄭俊雄 |
和寧王朝時代から続く由緒ある両班で、文尊武卑の傾向が多い両班の中では珍しく国防意識が強い家風。第6代首相の鄭会昌も正一品の名門でありながら従軍経験があり、政界転身後も強い国防意識のある政治を行った。現当主の鄭俊雄は航空防衛隊一将を務めている。 |
上記の正一品7家は「正一七公」と呼ばれ、幹国の政治・経済・国防に強い影響力を有している。
歴代内閣
歴代内閣については大幹帝国歴代内閣を参照
各省庁の業務及び内部部局・外局
省庁名 | 担当業務 | 内部部局 | 外局 |
議政府 | 首相執務機関 | 秘書室・司書室・管理局・情報部・広報室・人事部・会計部 | 国家公安委員会・開発統合局 |
外務院 | 各国との外交。各国大使館・公使館との連絡業務等。 | 外交政策局・東方地域局・国際協力局・国際法局 | 経済相互援助会議事務局・在外国民支援局 |
内務院 | 国内の地方行政・建設土木・郵便業務・通信業務の統括を担当。 | 地方局・建設土木局・社会局・観光局・郵政局・電信局・電波局 | 運輸庁・鉄道庁・厚生庁・労働庁 |
蔵務院 | 税収、国家財政担当。 | 主計局・主税局・関税局・理財局・証券局・銀行局 | なし |
衛務院 | 帝国防衛隊の衛政担当。 | 衛務局・人事局・衛需局・兵器行政局・艦船行政局・医務局・整備局・燃料局・兵務局・会計局・衛生局・法務局・技術研究局・建築局・地図院 | 帝国防衛隊高等衛法会議・陸上防衛隊総司令部・海上防衛隊総司令部・航空防衛隊総司令部・オセアニカ条約機構事務局・慰問部・防衛大学校 |
司法院 | 刑務所管理、司法行政等を担当。 | 刑務所局・地裁局 | なし |
文部院 | 教育・文化・学術行政を担当。 | 初等中等教育局・教育推進担当局・高等教育局・体育局 | 文化財庁・科学技術庁 |
農工院 | 農業・漁業・工業・鉱業の行政を担当。 | 食料局・生産局・経営局・農村局・工業振興局・鉱山開発局 | 林野庁・水産庁・石油開発庁 |
通商院 | 商業の奨励・統制と貿易管理を担当。 | 商務局 | 特許庁・交易管理庁 |
警務院 | 警察・保安行政を担当。 | 警務局・人事局・艦船局・装備局・会計局 | 警察庁・海洋警察庁・警察大学校 |
宮内院 | 皇室行政と国家祭祀行事を担当。 | 内侍府・掌楽府・宗秩府・内医府・大膳府・図書府・宗廟府・諸陵府・総務局 | 近衛帥総司令部・学習院 |
法制局 | 法令案の審査・立案や法制の調査を所掌事務とする国家機関。 | 法令審議会・立法審議会・調査局 | なし |
会計検査局 | 予算の運営を検査・監視する国家機関。 | 調査局 | なし |
思想の分類
保守
幹国の保守主義は儒教的価値観が根底にある。彼らの多くは外国の思想や宗教に寛容ではない。
国民民主連合をはじめとする新しい保守派はストリーダ王国の政治を理想としている。
保守の代表的人物
丁純憲、中川英憲
右翼
保守の中でも権威主義的・独裁主義的な人物を右翼と呼ぶ。
幹国のファシスト、右翼は石動国家社会主義の影響を受けている。
右翼の代表的人物
高桜誠
国民社会主義
私有財産制を維持しながら社会主義的な政策を行う資本主義と共産主義の良いとこ取りの経済体制を取る。
愛国行動党長期一党独裁の中で幹国民は国民社会主義を教科書で習い、現在でも多くの人々が国民社会主義を信奉している。
国民社会主義の代表的人物
姜英哲、鄭会昌
革新
左翼
宗教
政党
国民民主連合 | 結党…549年 | 中道右派・保守主義 |
全方位外交が党是で、CAME圏以外との交流も図る姿勢。549年の全権委任法廃止により民権派の丁純憲を中心に結党された。党員のほとんどが鄭会昌政権時の愛国教育を受けて育ったため、保守的。民主主義と愛国主義の両立を目指し、過激思想を除き、あらゆる思想弾圧に反対している。 |
愛国行動党 | 結党…474年 | 極右・国家社会主義 |
親ノイエクルスの国家社会主義政党。中夏民国(当時)の台頭や国内の共産主義者の増長、隣国石動での国家社会主義君主制成立に影響を受け、ファシスト系・右翼系の政治団体が結集して建党された。480年以来一党独裁体制を続けている。強硬的な反共主義が特徴。551年、常民院選挙敗北により下野。姜明守が党首になってから再び全体主義国家建設を主張するようになったため公安の監視対象となっている。 |
大幹社会党 | 結党…549年 | 左派・社会民主主義 |
社会民主主義政党で外交的には協調主義と平和主義を主張している。党の構成員は様々で、社会民主主義者から隠れ共産主義者・北幹シンパなどが所属しており、公安の監視対象となっている。 |
挙国政治連盟 | 結党…480年 | 極右・国家社会主義 |
与党、愛国行動党隷下の翼賛政党。行動党以外の政党は全て解散させられ、挙国政治連盟にまとめられた。旧世界の大日本帝国の「大政翼賛会」を模範にしている。挙国政治連盟議員枠が与えられているが、議員は基本的に愛国行動党に意見することはできない。549年解散。 |
政治団体
太極会 | 結社…455年 | 右翼・大東方主義 |
455年に右翼・保守の人士によって創設された政治団体。日系民族の「八紘一宇」精神の龍鮮における体現を掲げ、「大東方主義」を提唱している。愛国行動党とは友好関係にある他、世界各地に地下組織を持ち、情報収集と政治工作に従事している。 |
非合法団体
香麗統一労農戦線 | 結社…492年 | 左翼・崔承朝主義 |
香麗民主連邦シンパの共産主義者による地下政治団体。戦後の混乱の最中、北から派遣された工作員と共産主義者により創設され、警察と激しい抗争を繰り広げたが一時壊滅。現在は公安の追跡を逃れながら農村部への浸透を図っている。 |
食文化
キムチ(김치)
幹国を代表する国民食。刺激的な辛味が特徴。白菜などの野菜と、塩・唐辛子、魚介塩辛、ニンニクなどを主に使用した漬物である。
参鶏湯(サムゲタン/삼계탕)
チキンスープの一種。鶏肉と、香麗人参、鹿茸、ファンギ(牙なおぎ)などの漢方ともち米、くるみ、松の実、ニンニクなどを入れて煮込んだ料理であり、薬膳料理や補身料理(ポシン料理・滋養食)ともされている。
チヂミ(찌짐)
「幹国風お好み焼き」と呼ばれる。
冷麺(ネンミョン/냉면)
蕎麦粉を主原料とし、つなぎとしてでんぷんや小麦粉を入れて練り、穴の開いたシリンダー状の容器で麺状に押し出してそのまま熱湯に落としてゆで、ゆで上がった麺(ネンミョンサリという)をすぐに冷水で冷やしてつくる。
建築
幹屋 (ハンオク/한옥)
伝統的な龍鮮の建築様式を使用した従来型の家屋の、大幹帝国での呼び名である。これに対して現代の様式で立てられた家を洋屋 (ヤンオク) と呼ぶこともある。山を背にして、前は水と向き合うように南向きで建てるという、風水の「背山臨水」の原則が守られるのが通常であるが、建て主の四柱推命や職業、持病などにより、建築家が任意に調整することもある。また風の通り道や水の位置、山と平野との距離や方向、すなわち風水地理の理論に基づき、家の目的と居住者の性向により、配置がアレンジされて建てられることもある。
寒い冬はオンドルで床を暖めてすごし、夏は板の間で涼しくすごすことができる。龍鮮の伝統的な建築様式は、いくつかの王朝の時代を経て変遷してきており、現在最も好まれるのは崔氏香麗の様式が主であり、部分的に統一和寧時代の様式によることもある。
帝国議事堂(旧秋津皇国和寧総督府庁舎)
310年に当時の龍鮮半島を統治していた秋津皇国によって建築された総督府庁舎で当時の秋津の最高の技術をもって設計された。
357年の秋津皇国大陸撤退後は新たに進駐した中夏民国軍が使用していたが、387年に中夏民国が内戦で泰湾島に逃れ、龍鮮が無政府状態になり軍閥が割拠する乱世になった折、戦火に巻き込まれて一部損壊する。
448年の内閣制度移行・議会制確立時、当時の龍鮮王国政府に新たな議事堂を建設する財力がなかったため、旧和寧総督府を改築して議事堂として使えるようにした。
龍鮮戦争・オセアニカ・アースガルド戦争の戦火でも完全には破壊されず、現在も大幹帝国両班院・常民院の議事堂として使用され続けている。
建築概要
階数:5階建/構造:鉄筋コンクリート造
建坪:2,134坪1合6勺(約7,055m²)/総延坪:9,619坪7合5勺(約31,800m²)
軒高:75尺(約22.7m)、中央塔高180尺(約54.5m)
室数:257室/大広間:210坪(約694m²)/大会議室106坪4合(約351m²)/様式:復興式
外壁体:花崗岩(京城東大門外産出)、内部壁間煉瓦積
龍鮮建国以前
和寧王朝・香麗王朝時代は京城などの主要都市を中心に貨幣経済が発達したが、殆どの地方では物々交換が基本であった。
秋津皇国による併合後、産業基盤や資本が成長したことで市場経済が発展していった。
しかし、秋津撤退後、復権した両班の専横と中夏民国への編入、中夏人の搾取により半島は疲弊し、中夏崩壊後の内戦期に産業基盤は破壊され、太祖率いる新国家の経済再建は困難を極めた。
建国~龍鮮戦争前
統一間もない龍鮮国は普欧帝国や天津飯帝国、大神帝国と言った大国のODAを得ることに成功し秋津統治時代のインフラや工場設備を再建していった。
また、普欧の技術・資本の導入により東方有数のウラン鉱脈のある太伯山脈が開発された。
重農主義政策が取られ、食糧・食肉の輸出が奨励された。
龍鮮戦争~姜英哲政権時代
オセアニカ・アースガルド戦争(総力戦と国土荒廃)
工業
・五星電子(오성전자/オソン電子)
幹国最大の総合家電・電子部品・電子製品メーカー
・五星家電
幹国の家電シェアの40%を占めているほか、CAME圏を中心に高い人気を博している。
・五星重工
民生:鉄道車両、建設・土木重機
防衛:戦車、装甲車、その他軍用車両
K1戦車・K2戦車を開発・製造している。
・五星建材
五星林業から回された木材を加工し建材を製造している。政府の厚い保護を受けている。
・五星化学
幹国の理化学産業をリードする。
・未来自動車(미래자동차/ミラエ自動車)
幹国最大手の自動車メーカー
・未来航空機
民間機・軍用機の設計・製造を独占している。
・帝国飛行機
旧秋津皇国の航空機製造技術を有する。
前身は秋津統治時代の三橋重工業和寧支社。(秋津撤退後、半島に帰化した秋津人支社長による創業)
・未来造船
民間船(旅客船・貨物船・タンカー・漁船)から軍用船(戦艦・巡洋艦・駆逐艦・潜水艦・哨戒艇その他艦船)の造船を行う重要企業。工程の機械化を推進している。
・和寧造船
戦前から造船業に携わってきた。丹君級空母を造船した。また、石動が誇る「戦艦アマテラス」を長期に渡ってメンテナンスしてきた。
未来造船と違い、職人の腕に頼る社風。
・未来鉄鋼
ノイエクルス連邦から輸入される鉄鉱石を製鉄し、鋼材を生産している。
・龍鮮彩衣
皇室・両班御用達の衣服メーカー。創業は香麗王朝時代まで遡る。
・耕心
超激辛ラーメンでロングセラー商品の「激辛ラーメン」を販売する食品メーカー
教育
和寧王朝・香麗王朝の文官偏重主義から、教育意識は高く、大幹帝国(龍鮮王朝)建国後は、旧秋津皇国が植民地支配時に遺した教育機関を基盤として教育重視の国策を採ってきた。
姜英哲政権時代に主要な大学の設備が完成し、人材も揃ってきたが、庚午護国戦争(オセアニカ・アースガルド戦争)で大打撃を受け、回復には戦後20年を要した。
学習院
皇族・両班のための教育機関として設立された。
幹国文化・礼学・政治学に力を入れている。
法学部 | 法学科 |
政治学科 | |
文学部 | 礼学科 |
史学科 | |
教育学科 | |
幹文化学科 | |
日系文化学科 | |
経済学部 | 経済学科 |
経営学科 | |
理学部 | 物理学科 |
数学科 | |
化学科 | |
生命科学科 |
軍事
大幹帝国陸軍・大幹帝国海軍が皇帝の統帥下に組織されていたが、オセアニカ・アースガルド戦争の敗戦後、戦勝国の要求により軍備を制限され、帝国軍は帝国防衛隊(陸上防衛隊・海上防衛隊・航空防衛隊)に縮小再編成された。
階級
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旧大幹帝国軍から防衛隊への改組に伴い、階級の「言い換え」が行われた。名称などは地球時代の日本国自衛隊を参考にしながら幹国軍の伝統を損なわれない形で決定された。
防衛隊の最高階級である「領帥」は定員1名と定められており(旧軍の元帥は定員なし)総司令官である「幕僚長」を務める。
戦前は「元帥」の上位に「大元帥」の階級があり、統帥権保持者の皇帝がその位にあらせられたが、防衛隊にその規定はない。
「大領帥」位創設について長く議論がなされている。
航空防衛隊
旧大幹帝国軍には空軍は存在せず、「陸軍航空隊」「海軍航空隊」がそれぞれに設置されていたが、戦中に運用を良くするため、両軍の航空隊を統合した「統合航空隊」が設けられたのが前身である。
秋津式の陸軍、石動式の海軍と違い、幹国独自色が強い部隊である。
編成 |
警察
名称 | 管轄地域 | 管轄署数 |
京城首都警察庁 | 京城特別市 | 25警察署 |
京畿道地方警察庁 | 京畿道全域 | 40警察署 |
江源道地方警察庁 | 江源道全域 | 17警察署 |
清忠道地方警察庁 | 清忠道全域 | 11警察署 |
幹羅道地方警察庁 | 幹羅道全域 | 9警察署 |
尚慶道地方警察庁 | 尚慶道全域 | 20警察署 |
蔡洲郡特別地方警察庁 | 蔡洲郡全域 | 5警察署 |
対島自治郡特別地方警察庁 | 対島自治郡全域 | 3警察署 |
弐岐自治郡特別地方警察庁 | 弐岐自治郡全域 | 1警察署 |
国境警備隊 | 南北境界線 | 4駐屯署 |
躅島警備隊 | 躅島 | 1駐屯署 |
身分制度
龍鮮には香麗時代に確立された身分制度が存在する。龍鮮王国成立時に朴成秀国王により法的には撤廃されたが階層間差別は今なお存在し、社会問題となっている。
両班(ヤンバン) | 貴族階級で土地や財産を独占している。特権は法律で廃止されているが、絶大な権力を有する。常民や白丁を見下している。 |
常民(サンミン) | 労働に従事する平民階級。 |
白丁(ペクチョン) | 奴隷階級。法律により解放されているが、過酷な差別は今も続いている。 |
外交
大国に対しては事大主義で接している。
また、太祖国王時代(442年)に起きた龍鮮労働党による壬午共乱やその後の龍鮮人民共和国建国、
香麗共産党による龍鮮戦争(477年~478年)の経験から社会主義国家・左派国家を激しく嫌悪する傾向が見られる。
事大主義
事大の語源は『孟子』の「以小事大」(小を以って大に事(つか)える)である。
つまり、「小国である自国はその分を弁えて、自国よりも大国の利益のために尽くすべきである」という思想である。
和寧王朝が南夏王国の力を借りて半島を統一したことから、幹国人の間に事大主義の意識が芽生えた。
外交関係
国名 | 関係 | 国家評 |
ノイエクルス自由国 | 事大 | 龍鮮戦争の戦友。今や幹国最高の友好国である。 |
石動第三帝国 | 親密 | 幹国の最愛の親友は鮮やかに蘇った。しかし、現在南北朝に分かれて内戦中 |
エルジア共和国 | 親密 | 真の友情で結ばれた友好国。 |
ガトーヴィチ帝国 | 良好 | フリューゲルの一大工業国。今後の幹国の工業化政策の模範となる師の国。 |
オストマルク帝国 | 良好 | 幹国の新たな友好国である。 |
ファイアリヒ連邦共和国 | 普通 | 良識のある先進国の一つとして幹国人の尊敬を集めている |
成蘭連邦王国 | 普通 | 長き鎖国から目覚めた。 |
エデレス・フリュー連合 | 普通 | 彼の国では政変が起こるたび100万人以上の犠牲が出る。 |
神桜皇国 | 良好 | EC加盟国で東方の友好国の一つ |
スオミ王国 | 普通 | アクアマリンが滅びた今、スカンディナビア地域に属する彼の国には真の平和が訪れたと言える。 |
アドミラル王国 | 普通 | 難解な言語を操る国。 |
日ノ本帝国 | 普通 | 旧世界からの伝統なのか、両国民ともネットで悪口を言い合っているらしい |
ドクツ第三帝国 | 普通 | |
イタリン共和帝国 | 普通 | |
ストリーダ王国 | 普通 | 良識ある国家として高く評価されている |
佰愿諸島共和国 | 普通 | 秋津系国家。東方の新星。 |
エーラーン教皇国 | 憎悪 | 末代までの仇敵。千年後も恨み続ける。 |
レゴリス帝国 | 憎悪 | 末代までの仇敵。千年後も恨み続ける。 |
ティユリア連合王国 | 憎悪 | 末代までの仇敵。千年後も恨み続ける。 |
ミッドガルド帝国 | 憎悪 | 末代までの仇敵。千年後も恨み続ける。 |
現在は存在しない国
幹国皇室
朴世成(パク・セソン)
477年生まれ
大幹帝国4代皇帝、父である高宗光龍帝の遺訓に従い政治的発言を控えて中立の立場を守っている。
半島平和統一の夢を心に秘めており、先帝を殺害した北香麗を許すべきだと考えている。
聡明で清廉な人物
伊勢宮(いせのみや)
477年生まれ
石動帝国4代皇帝、神凪宮の妹で大幹帝国皇后。同い年の朴世成とは政略結婚ではなく恋愛結婚。
朴世成をも超える聡明さで、現在オストマルク帝国に留学している朴京煕の秀才は母親譲りと言われている。
優しい人物で公務に忙しい皇帝を献身的に支えている。
政治家
鄭会昌
457年生まれ
オセアニカ・アースガルド戦争では陸軍伍長としてアクアマリン戦線に出征、少尉で終戦を迎える
戦後、愛国行動党に入党し徐々に頭角を現し、当時の李沢相総理のシオン残党との関係に気付き政権打倒を果たした
首相として国内の安定に全力を注ぎ、他国との摩擦を避けることに腐心した
盧文鉉
508年生まれ
学生時代から左翼運動に傾倒した元弁護士。
ノ連共産党を狂信的に支持する一方、北幹については「ミッドガルドの尖兵」として嫌悪している。
先輩や仲間の左翼運動家に影響されて反日系思想を抱き、石動人や秋津人を差別している。
歴史通は地球時代の韓国大統領、盧武鉉にそっくりと指摘しているが、実は遠い子孫にあたる。
盧一族では先祖代々「我々の先祖は炊飯器のコンセントをさし間違えて故障させた。」という伝承だけが伝わっているが何のことか当人たちはさっぱり分からない。
「半島の法則」
幹国、又は龍鮮半島の勢力と手を組むと必ず悲惨な目に合うという噂が存在する
例
龍鮮人民共和国を支援したオストマルク民主連邦→滅亡
香麗民主連邦を支援した中夏人民共和国→滅亡
龍鮮王国を支援したノイエクルス連邦→国際世論の強い批判
龍鮮王国を支援した大石動帝国→秋津州との軋轢
大幹帝国に軍を駐留しているエルジア共和国→災害大国
大幹帝国の同盟国、大石動帝国→滅亡
石動から独立した大秋津帝国→滅亡
EC加盟国の神桜皇国→機能停止状態
幹国のCAME加盟を承認したノイエクルス連邦→巨大隕石落下
添付ファイル:



















