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トルキー社会主義共和国(Socialist Republic of Turkey) | |
正式名称 | 上に同じ |
国旗 | ![]() |
首都 | アンカラ |
最大都市 | イスタンベル |
元首 | 内閣総理大臣 |
政治体制 | 社会主義共和制 |
公用語 | トルキー語 |
通貨 | トルキーリア |
概要
トルキー社会主義共和国(Socialist Republic of Turkey)とは637年8月に民主化し、トルキー臨時社会主義連合から国号を変更した社会主義国家。
日本語の漢語表記では土耳木とされることが多く、一文字表記では土となる。
それぞれの民族名などはトルキー語より由来するため国際共通語とは少々ずれる可能性あり。
国旗
現在の国旗は国号の変更を記念して、637年10月初旬に真っ赤な臨時国旗から変更されたものである。
赤は労働党、革命の際流れた血、革命的思想、社会主義、情熱を表し、
中央には社会主義の象徴である鎌と槌を
左上にはイスラムのシンボルたる三日月と五芒星を配している
産業構造
生産のために必要な各種生産施設(工場や社屋など)や、農業や居住のため必要な土地や建物などの不動産は全て国が所有することとなっている。
新たに社屋の建設や耕地の拡大など土地の改変を行う際には現地の地方自治体に届け出をし役人の現地調査を受けて認められる必要がある。市町村役所や県庁が調査した記録は国にも集計され、管理がなされている。
また動産においても各種大型機械などの生産活動に必要な大掛かりな物については同様に国への届け出が必要である。こちらは通しの型式番号と機械の大まかな種別、現在の管理者・所在地の3種類のデータが管理され、管理者が公共機関である場合には点検の記録まで厳密に集計がなされていることもある。
国民の収入などについては扱いがやや煩雑となっている。まず営利法人の場合は直接に給料を支給せず、一月に一回毎にその期間の収入・支出を届け出、その届出を元に国が企業より資金を徴収する。その後国は徴収された額から各種税金を差し引き、その上で国民の収入を部門毎(独身、核家族など家族形態による分類が多い)に一定額に定め、分配する形で国民に支給する。この際特別な事情がなくその月に一定時間以上労働活動に従事していなかった者は支給対象から外されその月の収入を受け取ることができない。
次に個人事業主の場合は一月に一回ごとその期間の収入・支出を届け出、その届出を元にして国が求めた資金を納付する。残った売上げはその個人の判断にとされ、結果個人事業主には被雇用者よりもやや多額な現金の管理が委ねられることとなる。
こうして受け取った現金は国民が良心に基づいて自由に用いていいとされ、各種商品の購入や預貯金などに回すことができる。
負傷や再就職の失敗などの特別な事情があり労働活動に従事できなかった者に関しては届け出を行うことで一定額の現金支給を受けることが可能であるが、一般的な健康な国民が受けられる支給額に比べると微々たるものであるのが現状である。
これらの手続きや届け出の多くは現地の地方自治体を通じて行われるため、多量の届け出に対応するために地方自治体の担当部署や経済省労働収支局は人員が特に膨れ上がっている。また柔軟性の乏しい縦割り行政を生んでいるとの指摘も根強い。
教育や福祉、インフラなどの各種公共のサービスについては国の負担の元で無償で提供されることが定められている。
国家構造
かつてはトルキー労働党による一党独裁制を憲法によって定めていたが、現在では議会が設置され選挙も行われるなど民主的な政治が行われている。
そのため現在では社会主義共和制を導入していると言える。
民主制が導入され、国会・内閣・裁判所による三権分立が行われているが、相互に抑制均衡するはずの三権が中央にやや寄っていたり、名目上は独立しているとされる司法が実際には党の出身者で占められていたりなど、完全に権力が分立しているとは言いがたい。
またかつての独裁時代からの名残から国内には「革命の有志が国民を主導する」という風潮が残っており、その風潮から多少の国民の不利益は見逃されてしまうことがあるため、完全に国民主権であるとは言いがたい。
地域区分
地方自治法の定めるところにより10の県という広域行政区間と、2つの特別行政州から構成され、700年5月の改正によりそれ以下に市区町村という下位の地方公共団体が設置されるようになった。
下位の地方公共団体が存在しなかったのは旧世界において移民計画発動直前、一部の富を持った者が他の国民を支配するため勝手に地方公共団体を設置し、大きな混乱に陥れたことに対する反省や、それを封じ込めるための処置だった。
県にはそれぞれ30~80議席の小規模な県議会が存在し、県議会とそこから選出された県知事によって政治されることとなっている。
特別行政州はアンカラ、イスタンベルの2つで、それぞれ100議席の州議会を持ち、県より高い自治権を持っている。
特別行政州の首長は州知事であり、内閣によって直接指名される。
県議会・州議会の任期は5年、もしくは内閣が解散命令、もしくは裁判所が違憲・法律違反判断に基いて解散命令を下した時までである。
地方議会の解散は議会の解散と同時に行われるか、任期満了で各県や特別行政州が同時に行うのが通例となっている。
選挙は比例代表制によって行われ、国会に比べかなり簡素なものとなっている。
市区町村の設置は県に認められ、設置の際には県知事の発議を県議会が3分の2以上で可決し、さらに地方院の過半数の承認を得る必要がある。
市区町村の設置は必ずしも必要ではなく、地域によっては県が最も下位の地方行政機関となっていることも多い。
市区町村には必ず民主主義に基いて選出された10議席以上の議会と住民の直接選挙によって選ばれた首長が存在することになっており、運営はこの二元代表制を中心に行われることとなっている。
市区町村議会や首長の任期や選挙等は上位の県が決定することができ、国が定める地方自治の本旨に反しない限りはこの県の定めたものが適用される。
アンカラ特別行政州
首都アンカラを中心とした地域を管轄する自治体。
議会、中央省庁、最高裁判所といった国の主要機関が集中した国家の要とも言える地域であり、社会主義の象徴として大規模な都市計画に基づき建設されたトルキー国内最大の計画都市である。
多くの組織の本部などが集中する地域でもあり、帝政期や内戦期を通じてトルキー国内の重要な都市に位置づけられていた。それゆえに内戦期には特に激しい戦闘が勃発した都市となり、長い動乱の内に史跡はほぼ全てが失われている。
イスタンベル特別行政州
トルキー国内最大の都市であるイスタンベルを中心とした地域を管轄する自治体。
国の主要機関は存在しないものの、トルキーの貿易において重要な位置にする海運の要所である。
帝政期の史跡も含めた伝統的な町並みが多く残される一方で、中心街は再開発により先進的なビル街に生まれ変わっている。
トルキー正教会の中心的都市でもあり、東方正教会の宗教施設が各地に見られることも特徴である。
ギリシヤ人が最も多く居住する地域だが、トルキー人が最多数派を占めるためギリシヤ語が見られることは多くない。その他にはクルディア人も居住している。
ブルシ県
県都はブルシ。ブルシはトルキー第四の都市である。
山麓に位置し、イスタンベル・アンカラからの交通の便が良いことから冬には多くのスキー客が訪れる。
緑のブルシと呼ばれるほど公園や緑地が多い町並みが特徴。環境への意識が高く、緑の党の重要な強力な基盤の一つともなっている。
アンタリア県
県都はアンタリア。
地中海性気候の代表的な地域。夏は乾燥した南風が吹き込み、冬も北部の山脈に北風が遮られ暖かい。
国内有数の避寒地。見晴らしの良い海岸には高級住宅街も存在し、この地域に別荘を持つことは憧れとも言われる。
コンヤ県
県都はコンヤ。
著名なイスラム教の施設が多く存在する宗教色の濃い街。
政教分離が徹底されて久しいトルキーにおいてもある種敬服を持たれ、中心部では今も厳かな雰囲気が街を包んでいる。
気候区分的にはステップ気候に位置する。夏場の乾燥により、地元女性が肌を守るためヒジャブなどを着用することも雰囲気の形成につながっていると言われる。
アンカラとの交通の便が大きく改善されたことで、郊外はアンカラ都市圏のニュータウンとしての開発が模索されている。
カイサリ県
県都はカイサリ。
トルキー人とクルディア人の混合地域だが、街中の多くはトルキー語が使用されている。
トルキー中部に位置し東西をつなぐ商業都市。
内陸のため気候は寒暖の差が大きくやや厳しい。
マラテヤ県
県都はマラテヤ。
トルキー人とクルディア人が概ね半々となっているが、使用される言語はトルキー語が主流である。
農業が経済の主となっており、杏の生産が盛んであり、特に乾燥杏は国内生産のほとんどをこの県が担っている。
カリス県
県都はカリス。
トルキー人とアルミニア人の混合地域。近年は両民族の居住地域がより明確に別れつつある。
北部の高地に位置するため気温の年較差・日較差が共に大きい。
気候区分的には湿潤大陸性気候に位置する。
ムシュ県
県都はムシュ。高地に位置する県であり、高地地中海性気候に位置するため夏は高温乾燥で、冬は冷え込み降雪が多い。
クルディア人が主流派である。都市部ではトルキー語とクルディア語の共存が進んでいるが、クルディア語のみが使用され続ける地域も存在している。
エリジラム県
県都はエリジラム。
クルディア人とアルミニア人の混合地域。クルディア人は南部、アルミニア人は北部と概ね居住地域が別れている。
このためにトルキーの中でも特にトルキー語の勢力が弱く、多少政情も不安定な傾向にある地域となっている。
県都付近はいざ知らず、農村部などに出てしまうとトルキー語がほとんど通じない場合もある。
海抜1000メートル超の高地に位置し、典型的な厳しい湿潤大陸性気候となっている。
年表
631年8月 | 革命政権樹立 |
634年6月頃 | 大フリューゲル帝国(後に共同管理区域クイーンズ)から宣戦布告 政府は「通り魔」と表現。 |
634年9月 | 「通り魔」の実態をようやく把握。政府の外交・情報収集努力のなさが浮き彫りに |
636年11月 | 労働党が将来的な民主化などを盛り込んだ講和条例を各党と締結。長きに渡る混乱が終わり、民主政へ |
637年8月 | 議会の設置により民主化。これに伴い国号もトルキー臨時社会主義連合からトルキー社会主義共和国に変更。 |
637年9月 | 民主化に伴う国内初の選挙の結果が発表。 |
638年1月 | 連合が社会民主党・緑の党が脱退する形で解体される。 |
639年5月 | 改憲や定数増加など抜本的な改革案を賛成198反対2で可決。 |
641年10月 | サンサルバシオン条約機構が設置される。 |
650年頃 | 国家機能停止期間(凍結期間) |
(不明) | 定数増加などの改革案を賛成多数で可決。 |
660年11月 | 長年非正規のみとなっていた軍隊が正規軍を編成し復活。実質的な再軍備。 |
673年3月 | トルキー初の人工衛星「オスマン」の打ち上げに成功 |
673年6月 | 国内外における石材の採掘や取引を終了。後継は鋼鉄へ |
673年12月 | 民族党の選挙への出馬を禁止。非健全社会主義的な政策を掲げたため |
674年1月 | アイクル首相の辞任のためイノニュ新首相が就任 |
675年7月 | 二院制の導入などの憲法改正案を全会一致で可決。行政改革の要 |
675年8月 | 観測衛星「メスィフ」の打ち上げに成功 |
681年5月 | 首都アンカラ付近に巨大隕石が落下。死者・行方不明者は1000万人以上。 |
687年3月 | イノニュ首相の辞任によりクルディア系のユセフ・シャヒーン元アンカラ州知事が就任。 |
687年9月 | 南部の農村地帯に巨大隕石が落下。死者・行方不明者は約230万人。 |
700年5月 | 市区町村の設置を定める地方自治法改正案が成立。13年に渡る議論がついに終結。 |
713年1月 | トルキー第四共和政の父、メフメト・セキ元首相が逝去。95歳。晩年は執筆活動に励む。 |
715年1月 | ユセフ・シャヒーン首相が高齢のため辞任し、ファルク・ウラス前軍部大臣が首相に就任。 |
729年頃 | 持続可能な経済を建設しようとする永続国家計画に基づく長期鎖国に突入。 |
731年6月 | 鎖国が諸外国の信頼を損ねたとしてウラス首相に対する第四共和政初の内閣不信任決議が可決される。 |
第20回人民院選挙の結果に基づきデスタン新首相の社緑連立政権が発足。労働党は初の下野。 | |
740年1月 | デスタン首相が突然死。初の規定の選挙後混乱の収束のため無所属の元軍人であるテミルジ氏が任命される。 |
743年12月 | 選挙出馬の認可範囲を拡大する他の憲法改正案が可決される。 |
746年7月 | テミルジ首相の辞任と人民院解散による選挙により、再度労働党単独政権が発足する。 |
755年9月 | 労働党員の汚職事件を受け「国民の信頼を回復する」とした選挙に労働党が敗北。 |
社会民主党の閣外協力を受け民社-社民-緑-自由の四党による連立政権が発足する。 | |
757年11月 | 緑の党が連立より離脱。アル首相は「今一度国民の応援をいただきたい」と解散に踏み切る。 |
759年1月 | 社会民主党が連立より離脱し、アル首相への内閣不信任決議が可決される。 |
第30回人民院選挙の結果に基づきトゥルナゴル首相が再選され、労働党単独政権が再発足する。 | |
764年3月 | トゥルナゴル首相の辞任のため、エリジェ新首相が就任する。 |
777年7月 | エリジェ首相の辞任のため、アクス前幹事長が首相に就任する。 |
780年4月 | 共和人民党との政策における対立を抱え解散した選挙に労働党が敗北。 |
選挙の結果によりギュルセル首相率いる共和-社民-緑連立政権が発足する。 | |
791年11月 | ギュルセル首相の辞任のため、バラミール新首相が就任。 |
814年7月 | バラミール首相の死去のため、第45回人民院選挙の結果に基づきアクス新首相が就任。 |
選挙の結果現政権は過半数を維持も、第一党は入れ替わり。83年振りに社会民主党から首相が選出される。 | |
823年3月 | 緑の党の連立離脱表明によりアクス首相は人民院を解散。第48回人民院選挙が実施される。 |
選挙の結果現政権は敗北。エルドアン氏率いる43年振りの労働党単独政権が発足する。 | |
823年8月 | 開国に伴う諸手続きが完了。約100年振りに外交活動が全面的に再開される。 |
825年5月 | 高密度都市地域に巨大隕石が落下。死者行方不明者は約1000万人に及ぶ惨事。 |
選挙関連 |
636年11月初旬講和条例
(一部意訳)
1.政府は各党の活動を承認し、これを弾圧してはならない
2.両者は636年11月初旬より一切の戦闘活動を停止する
2-1.ただし以下の場合両者は戦闘活動を再開することができる
2-1-1.両者がこの条約に反する何らかの行動をした場合
2-1-2.各党の側に何らかの抗争があるなど、分裂状態に陥った場合
3.政府は憲法改正、議会制の導入などを確約する
3-1.各党はこの確約に全面的に賛成し、支援する
4.政府は速やかにトルキー労働者評議会をトルキー労働党として再編する
5.政府は超長期的に正規の軍隊を構成する
国家元首
- 一党独裁時代
代 トルキー労働者評議会議長 所属政党 1 631年8月~637年9月 メフメト・セキ トルキー労働者評議会 - 637年9月に選挙によって内閣総理大臣の設置。労働者評議会議長の事実上の廃止。なお正式な廃止は639年5月
代 内閣総理大臣 所属政党 1 637年9月~661年2月 メフメト・セキ トルキー労働党 2 661年2月~674年1月 イブラヒーム・アイクル トルキー労働党 3 674年1月~687年3月 ハムゼ・イノニュ トルキー労働党 4 687年3月~715年1月 ユセフ・シャヒーン トルキー労働党 5 715年1月~731年6月 ファルク・ウラス トルキー労働党 6 731年6月~740年1月 ジェマル・デスタン 社会民主党 7 740年1月~746年7月 ハシム・テミルジ 無所属 8 746年7月~755年9月 アイシェ・トゥルナゴル トルキー労働党 9 755年9月~759年1月 イドリース・アル トルキー民主社会同盟 10 759年1月~764年3月 アイシェ・トゥルナゴル トルキー労働党 11 764年3月~777年7月 ジェウデト・エリジェ トルキー労働党 12 777年7月~780年4月 アッバス・アクス トルキー労働党 13 780年4月~791年11月 ジャフェル・ギュルセル 共和人民党 14 791年11月~814年7月 デニズ・バラミール 共和人民党 15 814年7月~823年3月 カスム・アクス 社会民主党 16 823年3月~ アフメト・エルドアン トルキー労働党
現在の政権はトルキー労働党による単独政権である。
政治
憲法により三権分立を定めているが、前述の通り権力の偏りや党出身者による権力の牛耳りなどが存在するために十分に三権分立が機能しているとはいえない。
政策スライダー | |||
民主的 | --◆---- | 独裁的 | 民主制を導入している |
政治的左派 | ◆------ | 政治的右派 | 革命的思想こそ最良である |
開放社会 | -----◆- | 閉鎖社会 | 自由を謳う似非自由主義を警戒せよ |
自由経済 | ------◆ | 中央計画経済 | 社会主義経済を導入している |
常備軍 | ----◆-- | 徴兵軍 | 徴兵制度は国防の要だ |
タカ派 | ----◆-- | ハト派 | フリューゲルは平和にあるべきである |
介入主義 | -----◆- | 孤立主義 | 国家と国際社会の関係は常に複雑だ |
立法
憲法により議会が国の唯一の立法機関とされている。
議会は内閣総理大臣を任命することができ、内閣不信任決議を行うこともできるが、この決議に強制力はない。
そのため内閣はこの決議が行われた場合は議会を解散し選挙することで総辞職を回避することも可能であり、「議会が実質的に内閣を結成するための踏み台と化している」という批判もある。
問題を起こした裁判官を罷免させるか否かを判断する弾劾裁判を行うことも可能である。
これによって罷免させられた裁判官は今後永久に公務員の地位に就くことを禁止され、この権利が回復されることはない。
選挙においては憲法により「社会主義経済体制に反対する政党(743年改正)」の出馬は認めておらず、これにより資本主義の他、サンディカリスム、アナキズム、ファシズムなどといった政党の出馬を制限している。
議会は人民院と地方院からなる二院制であり、地方院は少数民族や地方関連の法案を話し合う場とされている。両院の構造やシステムには特段の差異はない。
675年7月までは人民院からなる一院制であった。
両院での議決に差異が生じた場合は両院評議会が設置されその可否が問われることとなる。基本的に話し合われる内容は少数民族や地方の関連があるかどうかであり、慣例においてはそれらに関連があると判断された場合は地方院の議決がそのまま通され、そうでない場合には人民院の議決がそのまま通されている。
一方で関連する事項が多岐に渡る、あるいは国家構造そのものに関連した場合に両院の議決が食い違い、審議不十分として否決とされたこともある。
人民院
人民院は定数400の比較的小規模な議会である。
639年5月までは定数が200だった。
657年前後までは定数が300だった。
任期は5年もしくは当時の国家元首が解散宣言した時までである。
選挙は県や特別行政州をそれぞれ1区とした大選挙区制によって行われる。
その選挙制度からそれぞれの区からは一度で10~50人もの当選者が出ることとなるため、各区では同じ政党の候補者が何人も乱立することが一般的となっている。
- 842年3月の第52回人民院選挙の結果
政党名 議席 トルキー労働党 202 社会民主党 96 緑の党 40 共産党 38 共和人民党 17 公正党 5 無所属 2 定数 400
地方院
地方院は定数264の小規模な議会である。
任期は10年であり、選挙は5年ごとに半数ずつ行われる。
主に少数民族や地方の声を代弁する機関として設置された。
一般の法案に対する議決権は存在するが、人民院と異なる議決を行った場合でも人民院の議決がそのまま通されるなど権限はかなり弱い。
しかし少数民族や地方に関連する法案に対しては地方院の議決が優先され、これらに関してだけは強力な権限を持つ。
選挙においては10の県からそれぞれ12人、2つの特別州からそれぞれ6人ずつ比例代表制で選出される。
1つの選挙区から一度に20人以上の同党の当選者が出ることもある人民院の選挙とは異なり、比較的落ち着いた選挙戦が繰り広げられると言われている。
第一回の選挙は半数のみの選挙が行われた。
- 845年7月の第36回地方院選挙の結果
政党名 第36期 第35期 合計 トルキー労働党 64 69 133 社会民主党 31 28 59 チューリップ同盟 28 緑の党 8 8 16 緑のクルディア 6 6 12 共産主義戦線 19 共産党 6 4 10 革命的マルクス主義研究会 5 4 9 自由と正義の会 17 共和人民党 4 6 10 クルディア民主主義党 3 3 6 公正党 1 0 1 アルミニア民族共同体 4 4 8 定数 132 132 264
行政
憲法により行政権は内閣に属するとされている。
内閣は議会から任命を受けた内閣総理大臣によって組閣され、議会の信任に基づき内閣を組閣することとなっている。
内閣の構成などに特に規定はないが、内閣総理大臣がその他の国務大臣の地位を兼任することは禁止されている。
これは万が一の際の混乱を防ぐためののほか、1人の人物に過剰に権力が集中することを防ぐための処置である。
内閣は議会の召集・解散を行うことが出来る他、最高裁判所の裁判官を任命することができる。
議会が解散中に緊急の必要が生じた場合は臨時で法律に変わるものとして緊急閣令を下すことが出来、この閣令は議会の開会次第失効、または法案化される。
内閣に属するとされる行政機関の主要なものとして以下が在る。
- 財務省
- 総務省
- 法務省
- 経済省
- 産業省
- 文化省
- 科学省
- 軍務省
- 外務省
- 国土省
また内閣から独立した機関として会計検査院が存在する。検査権限は内閣に属する組織のみならず国会や最高裁判所にも及んでおり、行政機関の中では独特な地位を持っている。
司法
憲法により司法権は最高裁判所と法律によって定められた下級裁判所に属するとされる。
議会の定めた法律や内閣の命令が憲法に違反していないか審査することが出来、違反していたと判断された場合それぞれ迅速に解散や総辞職をしなければならないとされる。
しかし憲法には司法は独立といった表記をされておらず、特定の政治団体に属する人物の裁判官への就任や指名を規制する法律もないため、各裁判所は様々な党の出身者がひしめき合っている。
通常の裁判は三審制によって行われ、最高裁判所の判断は行政機関の異議などによっても覆すことはできない。
政治政党
憲法によって「社会主義経済体制に反対する政党」は選挙への出馬を認められていないが、そういった政党であっても政党自体の存在は認められている。
それらの政党は反体制的な活動かロビー活動などの間接的な政治活動を行うことを余儀なくされる。
743年に憲法が改正され、従来の「健全な社会主義を構築することに賛同しない政党」からやや寛容と言える現在の規定となった。
トルキー労働党 | Türkiye İşçi Partisi/TİP |
シンボルカラーは赤。国内においては中道左派とされる。 初期は強力な独裁を志向していたが、諸外国を視察するにつれ民主主義を志向する政党へと変化し現在に至っている。 建国時から636年11月以前の名称は「トルキー労働者評議会(Türkiye İşçi Konseyi/TİK)」。 内戦による分裂状態をまとめ上げた実績を持つトルキーにおける社会主義の中心的な政党。社会主義経済と民主主義政治の堅持を志向し、そのためには暴力や階級闘争も厭わないとするやや硬派な主張を行っている。その来歴から党員数は国内で最大を誇る。 党内には健全な社会主義経済のため民主主義政治の安定を優先する右派、社会主義と民主主義はどちらも不可分なものとし優越をつけない中道派、民主主義政治による社会主義経済の不安定化を警戒する左派の3つの派閥が存在する。 | |
社会民主党 | Sosyal Demokrat Partisi/SDP |
シンボルカラーは橙もしくは赤。報道などでは橙とされることが多い。国内においては中道とされる。 内戦においては政治体制を巡り労働者評議会と対立した。 社会民主主義を掲げ、独裁や暴力革命、階級闘争を否定する。民主主義の土台の上に社会主義経済が成り立つとして民主主義との衝突を生む可能性のある経済政策に反対するが、一方で公共事業の整備や産業改革など社会主義経済の維持・発展には協力的であり、また社会主義経済の過度な不安定化に繋がる民主化についても忌避する傾向がある。国防の強化など軍事・外交政策についても労働党と見解が似る部分がある。党員数は国内では二番目に大きい。 党内では社会主義経済の発展を重視する経済派と民主主義のさらなる促進を図る民主派といったやや主張の傾向が異なる派閥が存在し、無派閥議員の多い中でも存在感を持ち党内の均衡を保っている。 | |
緑の党 | Yeşillik |
シンボルカラーは緑。国内では中道右派とされることがあるが、当てはまりにくい部分も多い。 アンカラ大学の環境問題について研究するグループが元となった政党であり、識者を交え政治政党となった現在においても複数の専門家集団を有するアカデミックな政党である。環境への影響が大きい産業開発の反対だけでなく、農業・漁業の拡大、科学・教育分野への投資の増加といった主張も行い、更には多文化主義に基づく異文化保護や平和主義、草の根民主主義といった独特な主張も行っている。一方で社会主義そのものに関しては消極的か無関心であると言われることがある。 他の政党とはやや異なる方向性のイデオロギーを持つことから、大きな政治的な流動がある中でも比較的安定した勢力を保つことが多く、地味ながら無視できない影響力を有している。 | |
共和人民党 | Cumhuriyet Halk Partisi/CHP |
シンボルカラーは紫。国内では中道右派とされることが多い。 760年に従来までの「トルキー民主社会同盟(Türkiye Demokratik Sosyalist İttifak/TDSİ)」と「自由党(Özgürlük Partisi/ÖP)」他小規模な地域政党2党が合併し誕生した政党。 社会主義経済下における個人の自由や権利を拡大させることを主眼とし、さらなる民主化の促進をその弊害も厭わずに行うことを主張する民主社会主義政党。社会主義経済の体制に民主主義の理念を組み込むことを提唱しており、生産計画策定の過程に労働者の直接の意見をより大きく取り入れることも模索している。党員数は国内では3番目であるが、上位との開きは大きく中堅政党として扱われる。 | |
公正党 | Adalet Partisi/AP |
シンボルカラーは青。国内では右派とされることが多い。 820年代の党勢を失っていく共和人民党より離脱した議員らが835年に形成した政党。 社会主義経済体制は民主主義の土台がなければ成り立たないとし、時に現状の体制を批判し真の民主主義の実現を強く求める社会自由主義政党。個人の良心と社会正義に基づいた体制を実現させることで国民全体が真に幸福な国家が完成されるとして個人の権利拡大も前面に押し出している。 | |
共産党 | Komünizm Partisi/KP |
シンボルカラーは赤。報道においては労働党を薄めの赤としこちらを濃い赤にすることが多い。国内では左派~極左とされる。 636年11月以降の労働党の急激な民主化への舵取りに反発した党員らが離脱し結成された。 社会主義経済の堅持を望み、民主主義政治による社会主義経済体制の不安定化を強く警戒する非常に社会主義色の強い政党である。農業・工業をトルキーの国是と位置づけ、農工業の地位向上や開発促進や、社会主義経済体制の強化のため生産計画の厳守や産業の集団化などを主張する。 党内では従来の過剰な民主化を批判し社会主義の理念を忘れないよう主張する守旧派の他に、財産の共有化や憲法の社会主義色の強化など体制の中央集権化を主張する急進派が、743年に政治参加が合法化されたことに伴い共産党に合流し派閥を形成している。 |
その他の政党 |
選挙への出馬を認められていない政党 |
かつて存在した政党 |
地理
国土の多くがケッペンの気候区分における地中海性気候に属するが、山岳部では気温が下がり高地地中海性気候や亜寒帯湿潤気候となる地域も存在する。冬には山岳部では降雪も見られる。
多くの地域において耐乾性の強い硬葉樹林が多く見られるが、冬の寒さが厳しい山岳部では針葉樹林がよく見られる。
旧世界時代にその原産地だったチューリップはフリューゲルにおいても栽培が続けられており、トルキーの主要輸出作物の一角をも担っている。
その他気候を生かしたオリーブやコルクガシ、オレンジなど加工向けや嗜好品向けの作物の栽培が多い。
主食の小麦は内陸部のやや乾燥する地域においての栽培が特に多い。沿岸部・内陸部共に小麦のほとんどは冬に栽培される。
家畜は乾燥を好む羊やヤギが飼育される。
文化
特徴的なものとして料理が挙げられ、かつて旧世界において様々な地方との交流があったことからそれぞれの特色を活かした郷土料理が誕生し、それが新世界においても嗜まれている。
一方で独自の文化から生まれた料理も根付き、その代表例としてケバブが挙げられる。
トルキー文化の代表としてよく挙げられることが多く、トルキーの一種の象徴的な存在にもなっている。
またイスラム教国家でありながら、トルキーでの宗教事情が非常に世俗化したものであるということから、飲酒は自由に行われている。
国民
トルキー人が全体の76%を占め、次いでクルディア人、アルミニア人、ギリシヤ人が少数民族として22%を占め残りは他国からの移民となっている。
特にクルディア人はトルキー内においてトルキー人に次ぐ多数派を構成しており、その構成は全体の18%であるとも言われる。
宗教
社会主義国家であるが、信仰の自由は存在している。
イスラム教スンニ派を国教とし、その他の少数宗教も認めている。
イスラム教が96.2%、トルキー正教会が1.1%、その他が2.7%となっている。
そのうちイスラム教の宗派は83%がスンニ派で、13%がアレヴィー派、残りの4%はその他の宗派である。
トルキーにおける宗教形態は非常に世俗的なものとなっており、戒律を全て厳格に守る信者らは少ない。
また政治の場では憲法によって厳格な政教分離が定められており、トルキーの政治家において宗教の話題は重大なタブーとなっている。
軍事
おおよそ150万人ほど存在する非正規軍の他、660年11月からは正規軍もある程度のペースで編成されている。
成人した男子には3年ほどの兵役の義務が与えられており、この期間の経験を経ることで正式に軍隊へ加入するということも可能である。
良心的兵役拒否は認められていないが、徴兵検査の基準が厳しいために検査不合格となる者が多く、維持費の増大が防がれている。
万が一の場合には主に兵役を満了した男子を中心に再徴兵することが認められている。
諸国との関係
外交使節を送った/送られた国のみ。順は特に意味はなし。必ずしも政府の公式見解とは一致しない。
国名 | 備考 |
カルセドニー社会主義連邦共和国 | 同じ社会主義国家。国交樹立時はカルセドニー島共和国。建国の際多大な支援を送ってくれた国。 |
ヘルトジブリール社会主義共和国 | 同じ社会主義国家。SSpact加盟国。 |
ヴェールヌイ社会主義共和国 | 同じ社会主義国家。SSpact加盟国。 |
ヨリクシ共和国 | 現在長期の鎖国中である。 |
レゴリス帝国 | - |
西岸州独立連合共和国 | かつての植民地であり、様々な問題を乗り越えながら別々の国家となった修正資本主義国家。現在長期の鎖国中である。SSpact加盟国。 |
ストリーダ王国 | - |
ガトーヴィチ帝国 | - |
ロムレー湖畔共和国 | - |
ローレル共和国 | - |
タヂカラオ国 | - |
トラハト=ラシュハ連合王国 | - |
ギルガルド社会主義共和国 | 同じ社会主義国家。SSpact加盟国。 |
カドレン共和国 | - |
ライン共和国 | - |
ミルズ皇国 | - |
- かつて存在した国家
国名 備考 セビージャ北部臨時政府 旧セビーリャ自由共和国。現セビーリャ自治政府。現在は大規模な集約農業が行われ、フリューゲルの食料事情を支える地域の1つとなっている。 フランク連邦 - 成蘭連邦王国 - ボアーズィチィ合州国 国交樹立時はボアーズィチィ帝国。同じイスラーム国家。 フリスラーン帝国 建国の際多大な支援を送ってくれた国。 アルビオン連盟王国 スコッチランド時代に国交があり、建国の際多額の支援を送ってくれた。王政復古後関係は急速に悪化した。 北海社会主義共和国 同じ社会主義国家。 サバルタン国 - テークサット連合 同じイスラーム国家。 コーデクス共和国 - 蒼鋼国 - シャムレー民主共和国 同じ社会主義国家。 ラシニア社会共和国 修正資本主義を採用する国家。 中夏人民共和国 同じ社会主義国家。 冰州連合 -
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