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6: 2017-01-20 (金) 01:18:37 sony ソース 7: 2017-04-12 (水) 03:54:52 sony ソース
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ヴェールヌイは、外国の資本主義経済を問題視せず、国家間の対等と尊重の立場から、革命を煽動したり、社会主義制度の過度な輸出攻勢に反対している。よって「社会主義経済圏」に対する期待や構築に係る意識は皆無である。一方で、自国の社会主義体制を防衛する観点から、資本主義国と経済的な依存を深める事は避けられている。こうした制約の中で、国民が不満を感じることなく、民主的に社会主義制度が維持される為には、豊かで高いレベルの自給自足体制を確立するしかないという必然があった。結果として、進んだインフラを備え、国家主導による教育も含めた高福祉を実現しながら、原資も含めて国内経済のみで完結させることに成功しており、世界最高水準の完全自給自足経済を有する国家となっている。 ヴェールヌイは、外国の資本主義経済を問題視せず、国家間の対等と尊重の立場から、革命を煽動したり、社会主義制度の過度な輸出攻勢に反対している。よって「社会主義経済圏」に対する期待や構築に係る意識は皆無である。一方で、自国の社会主義体制を防衛する観点から、資本主義国と経済的な依存を深める事は避けられている。こうした制約の中で、国民が不満を感じることなく、民主的に社会主義制度が維持される為には、豊かで高いレベルの自給自足体制を確立するしかないという必然があった。結果として、進んだインフラを備え、国家主導による教育も含めた高福祉を実現しながら、原資も含めて国内経済のみで完結させることに成功しており、世界最高水準の完全自給自足経済を有する国家となっている。
-体制を確立したのは、580年台後半。590年3月の世界的な軽工業の生産力低下(いわゆる軽工業ショック)により、工業生産力が著しく低下したが、軽工業単一の体制を維持したまま、工業の拡充と効率化を推し進めた結果、5年後の595年3月には軽工業ショック前の水準を回復。多くの軽工業国が重工業や先端工業への転換ないし併用を模索、実施したが、ヴェールヌイは既存の経済構造を改編することなく事態を乗り切ることに成功している。+体制を確立したのは、580年台後半。590年3月の世界的な軽工業の生産力低下(いわゆる軽工業ショック)により、工業生産力が著しく低下したが、軽工業単一の体制を維持したまま、工業の拡充と効率化を推し進めた結果、5年後の595年3月には軽工業ショック前の水準を回復。多くの軽工業国が重工業や先端工業への転換ないし併用を模索、実施したが、ヴェールヌイは既存の経済構造を改編することなく事態を乗り切ることに成功している。体制確立から軽工業ショック、また現在(700年代前半)に至るまで単一軽工業国として世界最大の商品生産高を記録している。
604年1月に発表された外国の民間シンクタンクによる投資信頼性評価(ノホ・ヘレコ政治研究所格付け報告書)では、その経済体制上の制約から、指標においては凡庸な結果が示されるも、寸評において「極めて安定した国内完結経済であり、指標の低さは問題にすべきでない」と特筆された。 604年1月に発表された外国の民間シンクタンクによる投資信頼性評価(ノホ・ヘレコ政治研究所格付け報告書)では、その経済体制上の制約から、指標においては凡庸な結果が示されるも、寸評において「極めて安定した国内完結経済であり、指標の低さは問題にすべきでない」と特筆された。
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建国50周年(614年7月)には創建以来初となる[[軍事パレード:https://www.youtube.com/watch?v=0ucQbw3n2jI]]を挙行し、その整備状況を内外に示した。641年10月のサンサルバシオン条約機構発足以降、国家人民軍は社会主義集団安全保障体制の一翼を担う事になったが、最低限度の自国防衛組織としての性格は堅持している。 建国50周年(614年7月)には創建以来初となる[[軍事パレード:https://www.youtube.com/watch?v=0ucQbw3n2jI]]を挙行し、その整備状況を内外に示した。641年10月のサンサルバシオン条約機構発足以降、国家人民軍は社会主義集団安全保障体制の一翼を担う事になったが、最低限度の自国防衛組織としての性格は堅持している。
#region(軍種) #region(軍種)
-|&ref(HHA_army.png,mw:110,mh:108);|&ref(HHA_Navy.png,mw:110,mh:66);|&ref(HHA_AirForce.png,mw:110,mh:109);|&ref(HHA_StrategyForce.png,mw:110,mh:132);| +|&ref(HHA_army.png,mw:110,mh:108);|&ref(HHA_Navy.png,mw:110,mh:66);|&ref(HHA_AirForce.png,mw:110,mh:109);| 
-|CENTER:地上軍の国籍識別標|CENTER:国境軍旗(軍艦旗)|CENTER:防空軍の国籍識別標|CENTER:打撃投射軍の紋章+|CENTER:地上軍の国籍識別標|CENTER:国境軍旗(軍艦旗)|CENTER:防空軍の国籍識別標| 
-国家人民軍は、地上軍、防空軍、国境軍、打撃投射軍の四軍種からなる。 +国家人民軍は、地上軍、防空軍、国境軍の3軍種からなる。 
-地上軍は、その名の通り国家人民軍の陸上部門にあたり、敵上陸軍に対する防衛戦闘を主任務とし、攻勢に転じた場合の敵地着上陸や、必要に応じて国内治安維持を担う。+地上軍は、その名の通り国家人民軍の陸上部門にあたり、敵上陸軍に対する防衛戦闘を主任務とし、必要に応じて国内治安維持を担う。この為、人民警察(国土省直轄)は、有事には地上軍司令部の指揮下に入ることになっている。
防空軍は、諸外国の空軍に相当し、多数の軍用機を運用する他、地上施設による敵ミサイルからの防衛を担っている。 防空軍は、諸外国の空軍に相当し、多数の軍用機を運用する他、地上施設による敵ミサイルからの防衛を担っている。
国境軍は、艦艇の運用によって沿岸部を哨戒し、海賊や敵上陸艦艇を迎撃することが主任務である。島国における国境、すなわち領海警備を行うため、諸外国の沿岸警備隊に類する組織であるが、国軍唯一の水上部門という意味で、海軍とも見なされる。 国境軍は、艦艇の運用によって沿岸部を哨戒し、海賊や敵上陸艦艇を迎撃することが主任務である。島国における国境、すなわち領海警備を行うため、諸外国の沿岸警備隊に類する組織であるが、国軍唯一の水上部門という意味で、海軍とも見なされる。
-打撃投射軍は、ミサイルによる敵地直接攻撃を担う専門部隊であり、国家人民軍の中でも唯一攻勢的任務を主とする組織であるが、ゆえに運用に係る規定が、全軍の中で飛び抜けて多く制定されており、四軍の中で唯一、攻撃命令に議会の事前承認が必要となっている。(他軍種は閣僚評議会議長の決定により活動を行うことができる) 
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-***装備 [#c1ebf0b2]+***装備(軍事技術) [#c1ebf0b2]
装備の国産化、軍事資源の自給には積極的である。 装備の国産化、軍事資源の自給には積極的である。
-軍事関連物資を海外からの輸入に頼ることを避け、自国の実情や、時の情勢に即した装備体系(砲弾備蓄)を目指すという、防衛戦略上の理由とされる。このため、現在まで兵器輸入やライセンス生産、共同開発を他国と行っておらず、技術獲得が行えないまま国産開発を進めた結果、初期には列国の同世代兵器より性能面で劣っている面も散見された。現在は徐々に能力向上を行いつつある。国家人民軍への配備のみならず、輸出を意識してのコストパフォーマンスにも重きがおかれており、安価で大量導入が可能な点をセールスしている。輸出が可能と判断される友好国に対して、迅速・多量・安価に兵器を供給することを可能とすることも、独自の安全保障政策の一環である。 +軍事関連物資を海外からの輸入に頼ることを避け、自国の実情や、時の情勢に即した装備体系&font(Silver){(砲弾備蓄)};を目指すという、防衛戦略上の理由とされる。このため、現在まで兵器輸入やライセンス生産、共同開発を他国と行っておらず、自力開発&font(Silver){(全量国内生産砲弾による軍事訓練の実施)};を貫いている。国家人民軍への配備のみならず、輸出を意識してのコストパフォーマンスにも重きがおかれており、安価で大量導入が可能な点をセールスしている。輸出が可能と判断される友好国に対して、迅速・多量・安価に兵器を供給することを可能とすることも、独自の安全保障政策の一環とされた。 
-&font(Gray){(砲弾輸出レートが超安価に設定されているのはこれを反映しており、新興国の中では既に最大の生産能力を有している)};+&font(Gray){(砲弾輸出レートが超安価に設定されているのはこれを反映しており、世界有数の砲弾生産能力を有している)};
|CENTER:国家人民軍の装備と輸出概要| |CENTER:国家人民軍の装備と輸出概要|
|&ref(装備品リスト608年版.pdf);| |&ref(装備品リスト608年版.pdf);|
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-''実績と問題点'' -''実績と問題点''
-606年5月に最小構成タイプとなるラードゥガA1が初飛行し、超小型の実証観測衛星の軌道投入に成功した。しかし610年から612年にかけて行われた中型構成のラードゥガA2は打ち上げに四度にわたり失敗。度重なる失敗による費用増加に加え、基本設計そのものの欠陥が指摘され、新規の打ち上げ計画が凍結された。建国50周年を間近に控えた614年3月には、A2の改善型となるA2Mが打ち上げられ、悲願であった迎撃衛星の軌道投入に成功した。大型構成となるA3は、620年に打ち上げに二度失敗。その後設計の見直しが行われ、2年後の622年2月には軍事衛星を搭載した改善型A3Mが打ち上げに成功、626年3月には防衛衛星の軌道投入にも成功た。このように、A1が初回成功、その後も衛星保守機材の打ち上げで安定した運用実績を積み重ねている事に比べ、拡大構成型のA2、A3は幾度も失敗している。この事から、素体となるA1部分の一段目と二段目ロケットよりも、増設される補助ブースターとその切離し装置等、またはペイロード増による姿勢制御系に問題を抱えているのではないかと予想される。予算上の都合から各モジュールごとの検証実験を十分に経ずして、はじめから打ち上げ本番に臨むことも少なくなかった。失敗すれば一度に全ての部品を喪失する為、問題の未然防止や改善の為の検証をより困難なものにしている。結果として、作り直す建造費も重なって、少ない予算を浪費せざるを得ない悪循環を生んだ。+606年5月に最小構成タイプとなるラードゥガA1が初飛行し、小型の実証観測衛星の軌道投入に成功した。しかし610年から612年にかけて行われた中型構成のラードゥガA2は打ち上げに四度にわたり失敗。度重なる失敗による費用増加に加え、基本設計そのものの欠陥が指摘され、新規の打ち上げ計画が暫く凍結された。建国50周年を間近に控えた614年3月に、A2の改善型となるA2Mが打ち上げられ、悲願であった迎撃衛星の軌道投入に成功した。大型構成となるA3は、620年に打ち上げに二度失敗。その後設計の見直しが行われ、2年後の622年2月には軍事衛星を搭載した改善型A3Mが打ち上げに成功、626年3月には防衛衛星の軌道投入にも成功した。このように、A1が初回成功、その後も衛星保守機材の打ち上げで安定した運用実績を積み重ねている事に比べ、拡大構成型のA2、A3は幾度も失敗している。この事から、素体となるA1部分の一段目と二段目ロケットよりも、増設される補助ブースターとその切離し装置等、またはペイロード増による姿勢制御系に問題を抱えているのではないかと予想される。予算上の都合から各モジュールごとの検証実験を十分に経ずして、はじめから打ち上げ本番に臨むことも少なくなかった。失敗すれば一度に全ての部品を喪失する為、問題の未然防止や改善の為の検証をより困難なものにしている。結果として、作り直す建造費も重なって、少ない予算を浪費せざるを得ない悪循環を生んだ。
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