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現: 2012-01-29 (日) 23:14:42 e11061017 ソース
Line 1: Line 1:
 +[[国家一覧]]
 +|国名|イスアード教主国|
 +|英語国名|Is-ard Caliphate|
 +|正式国名|هسشقیپا دشاهی|
 +|国旗|#ref(flag.png)|
 +|国歌|アースアリマリク|
 +|国標|我らの神と我らが祖国に栄光あれ|
 +|国花|グロリオサ|
 +|首都|バルダード特別行政区|
 +|最大都市|カルビオラ|
 +|教主|イスカンダル3世|
 +|宰相兼元老院議長|カシュクール・セイフ|
 +|政治体制|立憲君主制|
 +|通貨|ルード(R)|
 +|主産業|農業|
 +|公用語|イスアード語・ロット語・ルージュ語(準公用語)|
 +|建国|380年1月31日|
 +|民族|イスアード人(ビスト人)76%、イドリース人9%、ルージェ人6%、エルテ人5%、キブリス人3%、その他(スピリックス系・ハーメリア系・神州系など)1%|
 +|インターネット国別コードトップレベルドメイン|.Is|
 +
 +
 +**国名 [#g9de18f8]
 +国名はイスアード王家から取ってつけられたものである。~
 +憲政以前の正式名称は「神聖なるイスアード人の国家」であった。
 +----
 +
 +**国歌 [#ne4e9ef1]
 +
 +
 +----
 +
 +**歴史 [#rekisi]
 +|紀元前50世紀ごろ|ビスト地方に人が住み始める。北方系の遊牧民と南方系の漁民の混血が現在のビスト人(現:イスアード人)の起源であるという説が有力視されている。|
 +|紀元前3000年ごろ|クルチュ王国が建国される。最盛期にはフレイ・ビスト地方でも強国に数えられるほどの実力を備えるようになった|
 +|紀元前2500年ごろ|アディルカーン2世の時代には文化も成熟し、当時としては最先端の技術が発達した。|
 +|紀元前5世紀ごろ|文明は突然途絶え、当時使われていたクルチュ文字は現在も未解読である。|
 +|紀元前2世紀ごろ|東方系騎馬民族ゼン族の進入によって征服王朝が建国される(バッサラム朝)。バッサラム朝では多数派ビスト人に対する迫害が苛烈を極め、モルシュの乱を始めとするビスト人の反乱が頻発した。|
 +|100年|エルタロト人による圧迫によってバッサラム朝は崩壊。ゼン族は駆逐されたが、同時にエルタロトの植民政策によってビスト人もこの土地を追われることになった(故地放逐)。ビスト人はエルタロト本国に強制移住される。|
 +|113年|古代クルチュの多神教を基に[[イシュトルード教]]が開かれる。|
 +|177年|ジャワーフ王の時代のダ・ハレイヤによって他の土着信仰と共にイシュトルードも弾圧されることとなり、これが後に世襲君主制に対する敵対意識へとつながる。国王の恐怖政治の始まりによって革命勃発。|
 +|181年|教主クライシュ1世を指導者とする革命勢力が王権打倒。イスアード教主国成立。|
 +|189年|旧王党派が反乱を起こすが3日で鎮圧される。|
 +|288年|三賢君の一人イスカンダル1世即位。憲法制定の詔勅が発布される。|
 +|308年|南部で紛争が勃発。211人の犠牲。|
 +|309年|イスカンダル1世崩御。|
 +|333年|宰相アル・ワッハーブによってイスカンダル1世の一族が粛清される。|
 +|381年|憲法制定に付き立憲政治始まる。|
 +
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 +--関連する歴史項目
 +---
 +---
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 +----
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 +**政治 [#e3eb1134]
 +-憲法~
 +イスアード教主国基本律が最高峰点として存在している。~
 +議会政治を模範としたものであり、実質教主はほとんど政治的権限を持たない。~
 +行政権は元老院にあり、元老院の代表者集団が内閣を主催する。
 +
 +***政府首脳陣 [#q5a13f81]
 +|首相|カシュクール・セイフ|
 +|第一副宰相|ユスフ・フサイン|
 +|内務大臣兼宗教大臣兼第二副宰相|アブド・アッラフマーン|
 +|外務大臣|カイジャール・ハールーン|
 +|司法大臣|ウダイ・バットゥータ|
 +|軍務大臣兼軍最高司令部総長|ヤースィーン・アル・ザカート(陸軍元帥)|
 +|財務大臣|エドワード・フセイン|
 +|環境大臣|オサマ・エル・トレド|
 +|農務大臣|ジェイブ・ザルカウィー|
 +|工務大臣|アリー・ハッサン・クルスーム|
 +|労働大臣|オマル・デミテル・サーハー・アッ・ファーティー|
 +|衛生大臣|カーブース・クイタバ|
 +|農務大臣|カッザーフィー・ザイドゥーン|
 +|教育大臣|ロッシュ・ルジュド|
 +|建設大臣|アブドゥルアズィーズ・ブルハーヌッディーン・ラフサンジャーニー・タイミーヤ|
 +|鉄道及び交通大臣|ワトバーン・ハイヤーム|
 +|観光及び環境大臣|ホメイニー・ハッターブ|
 +|商務大臣|ガーズィー・ムズラク|
 +|宮廷大臣|アブド・アッバース|
 +
 +
 +----
 +
 +**主要報道機関 [#cbcdeb93]
 +***テレビ・ラジオ [#zdececb5]
 +-イスアード中央通信[[http://blog.livedoor.jp/e11061017/]]
 +-マフディーテレビ
 +-ジェフィルス放送
 +-ラジオメディカ
 +-王国通信社
 +-人民の声
 +
 +***新聞 [#r1cc8b00]
 +-イスアード中央通信
 +-御旗の紙面
 +-アーヤ・イーラッハー
 +-シュメール新聞
 +-中央新聞
 +
 +----
 +
 +**経済 [#u1a2bd8d]
 +絹と小麦以外の産業は持たなかったが、綿織物を生産するなど近年では軽工業が盛んである。
 +***イスアード四大財閥 [#e90bdf8f]
 +ムサファディー~
 +サファヴィー~
 +アッバース~
 +ポルー
 +
 +----
 +
 +**国土 [#dfb1ef2a]
 +***代表的な都市 [#yd79d508]
 +-バルダード特別行政区:首都機能が存在し、人口が密集する地域
 +--イシュティス大神殿:紀元前4000年頃に建造されたとされる神殿。
 +-サイフェリス県:遊牧が主産業の後進地域
 +--テルハート
 +-バシュロ県:国内最大の面積を誇る行政区画
 +--アドラ:国内最大の工業都市
 +--アルバジャ:西方の観光都市。多くの歴史的建造物がある。
 +-キリシュマ県:古代から栄えていた南方地域
 +--ロビリア:古代セージュ王国の将軍ロビィ・カーンが作った都市
 +--メディカ:古都。ジェリス遷都以前は王国の首都であった。
 +--サバラン:国内有数の農業地帯を抱える複合的産業都市
 +--カルビオラ:国内最大都市。サバランと連絡道路が建設されている。
 +-イスアード領東クライシュリア:エトラス川以東の広大な平原地帯
 +-イスアード領南リタエル土侯自治領:南部に存在する部族領。部族の影響力が強いため自治権が与えられている。
 +
 +***地理 [#aed9c352]
 +国土南部には最大の湖であるシャルナーク湖が存在する。シャルナーク湖は海と直接接する塩湖であるため、国土は若干半島状になっている。故に湖と言うよりは湾であるとするほうが正しいという議論もあるが現在のところ湖であるという結論に落ち着いている。またシャルナーク湖への入り口であるリタエル海峡(リタエル水路)は国際海峡とされており基本的に各国の船舶は自由に航行可能である。イスアードの貿易もシャルナーク湖沿岸の港湾から行われており、重要な航路である。さらに西方にはシプロス島を領有しており今後開発が進むと思われる。
 +
 +----
 +
 +**住民 [#l515d0a6]
 +イスアード人(ビスト人)76%、古イスアード人9%、ルージェ人6%、エルテ人5%、フェナス系3%、その他(スピリックス系・ハーメリア系・神州系など)1%~
 +イスアード本土にはイスアード人、南部に行くほどリタエル人が多くなっている。東部の砂漠地帯(エトラス地方)にはモナシア系住民も多数在住しているが、モナシア系遊牧民は遊牧関係の移動については越境の権利が与えられている。~
 +西方のシプロス島にはフェナス系の民族であるシプロス人と古イスアード人の二つの民族が存在する。宗教上の対立から紛争が絶えない地域であるが近年は収束に向かっている模様。
 +
 +----
 +
 +**文化 [#l4415922]
 +イシュトルードの教義が厳格に守られているため、宗教的な生活様式が根付いている。~
 +偶像崇拝が禁じられているため絵画や彫刻よりも文学や科学が前近代から発達してきた。~
 +近年は教主のスポーツ奨励勅令によりサッカーが盛んである。
  

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