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名称 | 神聖アンティクリスト教 |
組織 | 神聖アンティクリスト教団 |
旗 | |
代表 | ベラリオン・アルミルス 師(本名 アリサ・フォルシウス) |
本拠 | ルージェノワール王国 |
結成 | 西暦1870年 |
概要
神聖アンティクリスト教国及び神聖アンティクリスト教団とはいかなるものか
(ナナハ・ユリューナによる内存在[インナーマテリアル]に基づく福音書:第三章より)
彼らは何を思ってこの紅き旗の下へと集ったのだろう
理由なんて無い、否、理由があっても表現することなど出来ないのだ
ボキャブラリーのキャパシティを超越した感情の枠を超越した
人智を超越した思念、意識世界を溢れた眩しい感情が我々自身から今沸々と湧き上がってくるのである
愛する者の冷えた掌を握り締め何とか熱を感じようとするその努力、むろん彼らはそれが物理的に無意味である事は十分に承知しているのだ
我々を見ていてはくれない空虚な神、何とか神にすがろうとする空しい信心、むろん彼らは、そろそろ気づいても良い時期なのである
そもそもそれは無意味であったのだ
我々は我々の信じるものを信じるほかなく、信じられるものしか信じられないのである
これは宗教と言うべきなのだろうか?いや、宗教、科学といった人間が設けたに過ぎない枠組みなど、もはや用を成さないのである
客観すらも主観の一部分に過ぎないのだから
第三者とは我ら人間が自らの主観において創造した新たな人格のうちの一つに過ぎない
我々を支配する、我々が創造した新たな人格
多くの場合それは我々を超越している
すなわち神である
それは神である
我々人間が理想とした存在、すなわちそれは神ではなかったのだろうか
少なくとも我々の定義においてはそれは紛れも無く神なのである
少々無茶が過ぎると嘲笑するかもしれない
これは神への挑戦だと罵るかもしれない
しかし今、この世界に存在するという妄想の神は
我々にとって、空虚なものとしか映っていないのではないだろうか?
貴方とて、例外ではないでしょう
あなたはその妄想の神を、何時まで理想としているのですか?
今我々人類は新たな局面を迎えたのです
我々は今、神を創造した!
同時に我々の意識は、神そのものとなった!
さあ、神を信じよ
さあ、神へ祈るのだ
「おお神よ、我々を導き給え」
―どうだろう、今、神は人間に試されているのである
これは困難を極めるかもしれない
だが、これを可能にするのが神なのである
さあ進歩の時がやってきた
我々は我々を信じ、至高天を実現しなければならない!
歴史
神聖アンティクリスト教国及び神聖アンティクリスト教団はいかなる道を歩んだか
(ナナハ・ユリューナによる外宇宙[アウタースペース]伝記:第一章より)
神聖アンティクリスト教団の宗教としての歴史は非常に浅い。教団は、地球時代におけるいわゆる近代・現代といった混沌とした世界の中で生まれ、ニヒリズムを代表とした新たな哲学の局面や芸術における世紀末思想や未来派といったムーブメント、蔓延するデカダン主義、幾多の戦乱と、ファシズム・共産主義の失敗、資本主義の破滅、社会民主主義の堕落、保守主義の分裂といった数々の歴史的事件の影響を強く受けつつ、着実にその勢力を拡大してきた。
既存の宗教、精神的運動、あらゆる倫理や道徳から常にネガティブなものとして否定されてきた人間のルサンチマン、ヘドニズム、退廃思想、さらには有史以来、常に目を背けられ続けてきた劣情すなわち、リビドー、それに関連する倒錯的嗜好やホモセクシュアリティーですらも人間の真実であるものとして認識し、対してポジティブなものであるとされる数々の要素とともに、人間そのものとして包含したその思想傾向は、人間自らがつくりあげた「無価値な価値観」による重い枷をはめられた、これを理解し得ない政治的、思想的権力によって、邪悪で、醜悪で、根本的に穢れ、否定されるべきものとして、激しく拒絶され、忌避され、弾圧を受け続けていた。
その原因の一つには、この教団が明確に既存の概念や規範に対する反発と抵抗の意志を明確に示していたという事が挙げられ、これを外すことは出来ないだろう。何しろこの教団の名称は「神聖アンティクリスト教団」である。アンティクリストとはすなわち、「Anti-Christ」にほかならない。ただし、教義の上では、人間が思い描く全ての理想的な思念の産物=神であつと定義されており、この意味でChrist=神なのであり、またそのほかの神も同様であるから、この名称に含まれる「Anti」の対象はChristのみではないということが分かる。ともかく、このような教義上の姿勢は、世界中の、既存の宗教や価値観に固執するあらゆる勢力、権力には到底受け入れられるものではなかったのである。
この弾圧の動きは、2080年に地球北米地域のある国で起こった「殉血の宴(Bloody Sabbath)事件」を発端としてさらに強められる事となった。この「宴」は本来、信者が集まり(このときは約20万人以上が一堂に会していた)自らの身体を自分自身の手を以って傷つけ、滴り流れ落ちる鮮血を眺め、味わう事によって生と死という非常に似通った二つの世界の差異について深く思索を巡らせ、人間という生物が持つ神秘性、絶対性を見出し、自己という存在を強く認識しようという宗教的行事の一つに過ぎなかったのだが、これを誤解、あるいは曲解したある国の権力者はこの行事を、既存の倫理に反した邪悪なものとして否定し、次々に勢力を拡大する(このとき信者数は全世界で2500万を超えていた)教団を世界から排除すべきであると強く主張していた。