ガータ・ベルンダ第二帝政
フリューゲル暦554年1月、正式に鎖国解除を宣言し国際社会の表舞台に立った国家。
ガータ・ベルンダ帝政記
前史・近代史・現代史から成る。
前史
かつてはフリューゲルの原住民による帝政国家であり、一時期は地域大国として認識されていた時期もあったが、夷狄と呼ばれる北方・東方の騎馬民族に脅かされていた。
第一帝政期の皇帝直属軍は当初騎馬民族相手に勝利を重ねていたが、最後の大会戦と目されていた戦い(ミティリーニ会戦)で大敗を喫し、その後は敗退に敗退を重ねた。
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| | ミティリーニ会戦 |
年月日 | 紀元前7年 | 結果 | 夷狄の圧勝 | 交戦勢力 | ガータ・ベルンダ第一帝政 | 夷狄(騎馬民族による大連合) | 指揮官 | 帝国側 | 夷狄側 | 帝国皇帝フェルディナンド7世 | ブルック部族長 | 戦力 | 34,000 重装歩兵 | 15,000 重装歩兵 | 9,000 軽装歩兵 | 17,000 軽装歩兵 | 5,000 重装騎兵 | 11,000 弓騎兵 | 48,000 総計 | 43,000 総計 | 損害 | 26,000 死傷 | 5,400 死傷 | 15,000 捕虜 | 0 捕虜 |
- 帝国軍
軽装歩兵の数と騎兵の数は夷狄に劣っていたが、主力である重装歩兵が夷狄の二倍はあり、戦力的には非常に余裕があった。
布陣は皇帝率いる重装歩兵を中央に置き、その前面に傭兵を主力とする軽装歩兵、右翼は帝国諸侯の重装歩兵、左翼には強制徴用した農民兵を固める配置にしたため、左翼が崩れやすい懸念はあったが
作戦の本質は重厚な戦列による敵の中央突破にあり、その農民兵が崩されるのは織り込み済みであった。また、帝国首脳部からすれば農民兵は捨て駒に過ぎなかった。
- 夷狄軍
夷狄軍の布陣は帝国軍とさほど変わらず、中央に重装歩兵、その前面に軽装歩兵を置いたが、騎兵戦力のみは異なり、弓騎兵3000を左翼に、残りの7000を右翼に配置した。
敵の左翼が手薄であると見抜いていたブルック部族長は左翼の騎兵による敵騎兵部隊の誘引作戦を計画。また右翼騎兵には敵の農民兵を早期殲滅させ、敵の横腹から騎兵戦力を突入させることで敵の布陣を突き崩す事を目的とした。
- 戦闘経過
戦闘開始と同時に帝国軍の歩兵部隊は夷狄軍の歩兵部隊に向かって前進したが、前進と後退を繰り返し、接敵が当初の予定より大幅に遅れていたため、夷狄軍の動きが不審であると判断した皇帝フェルディナンド7世は全軍に進軍停止を命令、敵の動きを注視するように全軍に通達したが、その時にはすでに諸侯軍騎兵部隊の一部が敵の誘引作戦に引っ掛かり帝国軍の騎兵部隊と歩兵部隊は分断されていた。また夷狄軍右翼が帝国軍左翼を優勢戦力で圧倒し、これを壊走させることに成功していたが、この情報は本隊には伝わっていなかった。
左翼壊滅の報を受け取っていなかったフェルディナンド7世は右翼部隊があてにならないと判断、当初の作戦を修正し、左翼と連携し突出した敵歩兵を半包囲することを試みたが、左翼の壊滅、それに伴う敵騎兵部隊の自軍左側への突撃により本隊が壊乱。壊滅の危機を感じ取ったフェルディナンド7世は後退を命令したが、敵歩兵部隊が急速に前進してきたことで帝国軍中央が突破される結果となり、帝国軍は四方八方から分断されかけたものの、帝国重装歩兵だけは整然と陣列を整えつつ後退した。
しかし前方を敵歩兵部隊、左・後方を敵騎兵部隊に囲まれていたため、フェルディナンド7世は右側からの戦域脱出を命令したが、敵左翼に布陣していた弓騎兵3000が諸侯軍の騎兵部隊を誘引作戦で壊滅させたことで全方位から帝国軍は包囲されることとなり、逃げることも突破することも出来ない内に壊滅した(戦いの最中、味方同士で押し合いになり、押しつぶされた帝国軍兵士の数だけでも数千人に昇ったという)
フェルディナンド7世は数名の兵士とともに脱出することに成功したが、主力を失ったことでこの会戦後の帝国の劣勢は覆す事は実質不可能となった。
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また皇帝一家と帝国諸侯による農民に対する苛烈な搾取が原因で、全土で農民蜂起が発生し、農民が騎馬民族を解放者として迎え入れたことで退路を断たれた各地の帝国軍も騎馬民族に降伏し、戦況は一気に夷狄の優位へと転じ、遂には帝都が陥落。
皇帝一家は夷狄と農民によって暴行された末、処刑される結果となったが、西方貴族による臨時政府が成立したことで全土喪失を避ける事に成功した(カルディツァの屈辱)
近代史
50年もの間、夷狄との一進一退の戦いを繰り広げたが、フリューゲルから入植したオーストリア系地球人の助力により、帝国軍は急速に近代化。
高度に機械化された帝国戦車部隊が夷狄の騎馬部隊を蹴散らし、フリューゲル暦66年には帝都カルディツァを奪還した(帝都開放。この時、解放記念門が建てられた)。帝都奪還後は夷狄との戦いが一段落したことで情勢が安定するかに見えたが、戦後処理を巡り、共和主義者と帝政主義者の間で武力衝突が発生した(カルディツァの兵乱、共和主義者が帝政主義者の拠点を襲撃した)
共和派と帝政派による内戦は当初、共和主義派が戦局を優位に進めていたが、騎馬民族との戦いを終えた帝国戦車部隊が帝政派に味方したことで共和主義派は敗北したが、帝政派と共和派は帝政派が共和派に議会設立を約束することでそれ以上の戦いを避ける事に合意。
帝政派は第二帝政の成立を帝都で宣言し、初代皇帝には処刑された皇帝一家の末裔(血族)であるフォイエルバッハ家のループレヒト・ウィズ・フォイエルバッハ(ループレヒト1世、Ruprecht I,在位:フリューゲル暦67年 -108年。ループレヒト大帝 )が即位した。
現代史
フリューゲル暦108年~549年の間、帝国の安定期が続いていたが、国内経済の停滞とフリューゲル諸国との技術差が明るみに出ると皇帝の権威は失墜。期せずして第15代皇帝にして初めての女性皇帝として即位したメヒティルト・ウィズ・フォイエルバッハ(メヒティルトI世、Mechthild I,在位:フリューゲル550年 - 現在)が歳若いこと、女性であることから帝国諸侯も中央の命令に従わなくなり、再び混迷期に突入するのではないかと一時緊張状態となったが、メヒティルトI世がフリューゲル暦554年に発布した鎖国解除令により、国内経済が好転。以降、民衆、とりわけ資本家・労働者階級の支持を得たメヒティルトI世による安定した治世が続いている。
政治
皇帝
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| | 歴代皇帝 |
代 | 名前 | 在位期間 | 初代 | ループレヒト・ウィズ・フォイエルバッハ(Ruprecht I Wiz Feuerbach) | フリューゲル暦67年 -108年 | 第二代 | アルブレヒト・ウィズ・フォイエルバッハ(Albrecht II Wiz Feuerbach) | フリューゲル暦108年 -145年 | 第三代 | マティアス・ウィズ・フォイエルバッハ(Matthias V Wiz Feuerbach) | フリューゲル暦145年 -189年 | 第四代 | マクシミリアン・ウィズ・フォイエルバッハ(Maximilian IV Wiz Feuerbach) | フリューゲル暦189年 -226年 | 第五代 | ハインリヒ・ウィズ・フォイエルバッハ(Heinrich III Wiz Feuerbach) | フリューゲル暦226年 -274年 | 第六代 | ルドルフ・ウィズ・フォイエルバッハ(Rudolf II Wiz Feuerbach) | フリューゲル暦274年 -301年 | 第七代 | フリードリヒ・ウィズ・フォイエルバッハ(Friedrich VI Wiz Feuerbach) | フリューゲル暦301年 -339年 | 第八代 | ルートヴィヒ・ウィズ・フォイエルバッハ(LudwigIV Wiz Feuerbach) | フリューゲル暦339年 -377年 | 第九代 | アルブレヒト・ウィズ・フォイエルバッハ(Ruprecht Wiz Feuerbach) | フリューゲル暦377年 -404年 | 第十代 | カール・ウィズ・フォイエルバッハ(Karl VII Wiz Feuerbach) | フリューゲル暦404年 -437年 | 第十一代 | ギュンター・ウィズ・フォイエルバッハ(Gunther I Wiz Feuerbach) | フリューゲル暦437年 -444年 | 第十二代 | ヴェンツェル・ウィズ・フォイエルバッハ(Wenzel III Wiz Feuerbach) | フリューゲル暦444年 -473年 | 第十三代 | ヨープスト・ウィズ・フォイエルバッハ(Jobst I Wiz Feuerbach) | フリューゲル暦473年 -502年 | 第十四代 | ジギスムント・ウィズ・フォイエルバッハ(Sigismund II Wiz Feuerbach) | フリューゲル暦502年 -550年 | 第十五代 | メヒティルト・ウィズ・フォイエルバッハ(Mechthild I Wiz Feuerbach) | フリューゲル暦550年 -現在 |
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帝国の最高権力者にして国家元首である存在。第一帝政期はファウルシュティヒ(Faulstich)家の長子が代々皇帝位を継いでいたが、第一帝政期第51代皇帝フェルディナンド・ウィズ・ファウルシュテイヒ(フェルディナンドVII世、Ferdinando VII,在位:紀元前42年 -7年)が夷狄に殺害され、皇帝一家も殺害されたためファウルシュテイヒ朝は断絶した。
フォイエルバッハ朝はフェルディナンド7世の従兄、第一帝政期には大公位に在った人物の孫にあたるループレヒトI世の直系により代々皇帝位が世襲されてきた。
帝国議会
貴族・富裕層・聖職者・軍人が主体の貴族派閥と労働者・農民・左派進歩的知識人が主体の革新派閥の二大派閥が議席の殆どを占めている。貴族院(定数55)と公議院(定数368)の二院制。ただし選挙が実施されるのは公議院のみで、貴族院は世襲貴族の議員により構成される。
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| | 各派閥の特徴 |
- 貴族派閥
- 特徴:帝国内務大臣ホルスト・フォン・シュトルホーフェン(爵位は公爵)率いる派閥。議会ばかりではなく帝国の各省庁にも一定の影響力があり、テオバルト・フォン・アイヒロート宰相の政治を妨害することで自らの特権(貴族は爵位と領地、富裕層・聖職者は免税、軍人は膨大な軍事費)を保っている。介入主義的傾向にあり、軍拡には肯定的。
- 革新派閥
- 特徴:帝国宰相テオバルト・フォン・アイヒロート(爵位は騎士)率いる派閥。元は兵乱に敗れた共和主義者が組織した派閥であり、皇帝の存在を認めようとしない過激な者までいる。共産主義者もいたが、アイヒロートによって粛清された。孤立主義的傾向にあり、軍拡には否定的。
- 中立派閥
- 特徴:帝国国防大臣ダヴィド・ド・デュパール(爵位は侯爵)率いる派閥。派閥闘争を避ける穏健な者が多い。貴族派閥と革新派閥の勢力均衡を保っている。介入主義でもなければ孤立主義的でもない。軍備は程々にあればよいと主張している。
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帝国政府
帝国政府は宰相以下各省の大臣によって構成され、宰相は公議院第一党の党首が皇帝によって任命される。
各省の大臣は宰相が指名し、皇帝がこれを認可することで初めて帝国政府が組織される。
閣僚は議員、若しくは帝国議会と皇帝の承認を得た民間人でなければならず、国防省の傘下機関である国防三部・鉄道局の長が軍人である以外に、例外は認められていない。
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| | メヒティルトI世下・第一期内閣:フリューゲル暦550年 - 現在 |
- 宰相:テオバルト・フォン・アイヒロート(Theobald von Eichrodt,革新派閥・騎士)
- 外務大臣:ベネディクト・ヴィア・ホーエンベルク(Benedict via Hohenberg, 中立派閥・大公)
- 内務大臣:ホルスト・フォン・シュトルホーフェン(Holst von Storhofen,貴族派閥・公爵)
- 国防大臣:ダヴィド・ド・デュパール(David de Dieupart, 中立派閥・侯爵)
- 陸軍次官:アルトゥール・フォン・クルツ(Arthur von Kurz, 陸軍大将・伯爵位)
- 空軍次官:アロイジウス・リューベナッハ(Aloysius Rubenach, 空軍大将・無爵位)
- 海軍次官:トラウゴット・フォン・ミュラー(Traugot von Muller, 海軍大将・騎士位)
- 鉄道局長:アルレット・シャミナード(Arlette Chaminade, 鉄道局准将・無爵位)
- 大蔵大臣:セバスティアン・シュヴェーズィヒ(Sebastian Schwesig,民間銀行元頭取・無爵位)
- 司法大臣:ユメル・ド・ラヴォワ(Humel de Lavoix,革新派閥・公爵)
- 教育保健大臣:ナターナエル・フォン・バルシュミーデ(Nathanael von Ballschmiede,中立派閥・子爵)
- 経済運輸大臣:ベンノ・フォン・ボーデヴィッヒ(Benno von Bodewig,貴族派閥・伯爵)
- 貴族院議長:イマヌエル・フォン・バルツァー(Immanuel von Balzer, 貴族派閥・男爵)
- 公議院議長:ホルガー・ベーレンス(Holger Behrens, 中立派閥・無爵位)
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地理
中央リオシア地方
帝都カルディツァ(11,13)を中心とする地方。経済都市カヴァラ(8,13)、国内最大級の採石場であるベレイア採石場(4,13)などがある。
北東には穀倉地帯であるキフィシア地方があり、南東には中央リオシア地方に次ぐ経済規模のレコスヴィーリャ地方がある。
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| | 帝都カルディツァ |
第一帝政期初代皇帝であるヴェルソワ・ウィズ・ファウルシュティヒ(ヴェルソワI世、Versoix I, 在位:紀元前621 -595年)が築いた巨大な城壁都市。
黒煉瓦の城壁が特徴で、黒煉瓦の城塞と呼ばれる。夷狄によって占領されていた時期もあったが、大過なく古代より受け継がれた文化遺産が保全されている。
第二帝政期の第五代皇帝ハインリヒ・ウィズ・フォイエルバッハ(ハインリヒIII世、Heinrich III, 在位:フリューゲル暦226年 -274年)によって近代化の改修工事が開始。その結果、帝国全土に張り巡らされた鉄道網の中心地となった他、路面鉄道が帝都全域に通うようになった。自家用車の交通量・飛行機の離発着数は帝国最大クラス。
数多の商店が立ち並ぶリースタル中央十字路を中心に、北はノヴィシュヴァーツ宮殿とその周辺に大貴族の邸宅、西は官庁街や企業オフィス。東はメイルレーン統合型リゾートやラー・ミモザ自然公園などのデートスポット、南は近衛機甲師団の駐屯地がある。
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| | 現代近郊都市ティラスポリ |
数多くの住宅地によって帝都の周囲に円状に形成されている都市。帝都カルディツァが中世風の荘厳な雰囲気を残しているのに対し、ティラスポリは完全に現代型の都市となっており、高層ビルやマンションが多く立ち並ぶ。帝都を防衛する機能もあり、有事の際にはバリゲートが都市の各地が張り巡らされ、敵部隊を阻む。
帝国最大の技術研究機関である帝国航空宇宙技術研究院(通称:帝技研、Aerospace Technology Institute of Galta Berunda Empire,ATI)、最高学府随一の名門イフシュリーズ大学(Ifshuris University)、軍人の登竜門ホーエンベルク士官学校(Hohenberg Military Academy)がこの都市にあるため、研究者と学生の数は帝国で最も多い。
また、自然遺産や貴重な文化遺産も多く、ラー・ミモザ自然公園の規模には劣るが、それなりの規模の自然公園やキリスト教カトリック系の聖堂や教会が多く築かれている。ティラスポリ大聖堂はシュテファン大聖堂をモデルとしているといわれている。
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