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交戦勢力
結果 | 政府側の勝利 | |
エルツ政府側 | エルツ反乱軍側 | |
指揮官 | ||
フリードリヒ2世 | エヴゲニー・ベリヤ | |
ヨーゼフ・フォン・ベネディクト | アント・ハウゼン | |
ターニャ・ディブリーグ | ヴィリー・ホーネッカー | |
ヨハンナ・フォン・シャルンホルスト | セルヴィナ・アンドロポフ・ユリスキー | |
戦力 | ||
エルツ帝国軍 60万 | エルツ革命軍4万(100万?) | |
レゴリス帝国軍 55万 | エデレス義勇軍300万 | |
エーラーン教皇国軍 32万 | 香麗連邦義勇軍15万 | |
犠牲 | ||
エルツ軍111,874 | 革命軍24,190 | |
レゴリス軍189 | エデレス義勇軍120万 | |
エーラーン軍2781 | 香麗連邦義勇軍2万 |
主な流れ
551年12月11日。エルツ帝国中央部に巨大隕石落下。隕石落下地点付近にあった帝国軍参謀本部が消滅。
549年3月にも巨大隕石が同国西部に落下しており、加えて小型の隕石群が首都近郊に落ちたことにより帝国政府が沈黙。
一時帝国内は巨大隕石が巻き起こした粉塵で一日中太陽の光が差さない日もあった。国内では世界滅亡や帝国滅亡が噂されるようになる。
551年12月14日。これに乗じエルツ共産党工作員がエルツ帝国帝都広場などの各地にて災害の原因は帝政にあるとのうわさを流す。また各地で工作員によるデモ行進が開始されパニック状態になった国民はこれに従う。
551年12月15日。事態を重く見たクライシス少尉以下第二師団第八小隊はデモ隊に対し落ち着くこと、そして解散することを要求した。共産党工作員は無警戒のこの小隊隊員全員をうち殺しなおも首都へ向け行進を続ける。
551年12月16日。デモ隊に向け帝国軍兵士が発砲。怒れるデモ隊が帝都へ押し込み、国中で暴動が発生した。しかし発砲した兵士は共産党工作員だったことが判明している。
552年1月2日。帝都が反乱軍の手に落ちる。帝国軍はデモ隊と交戦状態に入るが敵味方に紛れた共産党員の工作により苦戦を強いられる。帝国軍は防衛線の構築もままならないまま離散。基地に集結することができないものも多くいた。
552年2月1日。南部に撤退した帝国軍主力部隊により南部にて絶対防衛線が構築される。3日には帝国議事堂が反乱軍に占拠される。6日に混乱を鎮めるためアルドラド軍の空挺団が国内の空港を制圧するも13日には王宮が包囲され上太皇自ら近衛騎士団を率いて反乱軍との戦いに入る。20日にはエーラーン教皇国軍20万人が到着して、それまで反乱軍に呼応しようとする民衆の鎮撫にあたっていた駐屯部隊8万人と合流し、反乱軍鎮圧を開始。22日にはレゴリス軍がエルツヘ到着した。遅れて4月っともなると各国の軍隊が続々とエルツヘ到着し戦況を盛り返す。4月28日に帝国議事堂を反乱軍の手から2か月ぶりに奪還する。
4月20日には、一転攻勢に関して皇帝フリードリヒより重火砲の使用許可が下り、帝国軍が本格的な反攻に移る。
9月5日に帝国軍は最終攻勢と称し大攻勢を開始するも10日にもエデレス・フリューの義勇軍が大聖堂に到着し攻勢は頓挫しただ突出部を作るだけに終わった。10月にはエデレス・フリューの義勇軍150万が帝国軍の裏に回り帝国軍突出部の包囲をもくろむ。11月2日には帝国軍と接触し交戦状態に入る。バルツァー少将率いる第8師団が果敢な抵抗で義勇軍の構成を遅らせるも、スナイゼル中将率いる第14師団が防衛線を突破され11月16日に八個師団合わせて11万4千名が包囲される。
包囲された師団は幾度も包囲網突破を試みるも、数の差には勝てず、12月24日包囲された帝国軍の八個師団が玉砕をする。
この時バルツァー少将以下第八師団将兵1万2千名は奇跡ともいえる脱出劇を行っており包囲網を12月27日脱出している。
時をさかのぼり12月18日にはレゴリス軍3個軍が、東部での包囲網突破を図り上陸するも、間に合わなかった。
しかし東部から義勇軍を包囲することで義勇軍の補給線を立つことに成功。これ以降反乱軍側は守勢に回ることとなる。
2月になると反乱軍の抵抗も弱くなり帝国軍が最終攻勢に入る。2月2日よりレゴリス軍による本格爆撃が開始、続く19日にはレゴリス軍2個軍が東南部に上陸。反乱軍に詰みの一手を放った。
553年4月4日。エデレス・フリューより派遣されていた義勇軍とエルツ帝国軍との間で停戦が結ばれ、翌日大聖堂に最後まで籠城し抵抗していた共産党員が降伏し戦争は終結した。
(レゴリス側、エーラーン側、エデレス・フリュー側、大幹帝国側にて何か問題点がありましたら修正をお願いします)