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2012
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2010
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ビスト・ガルジャーラ イスアード王国国営放送。 | ||
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11月 12 (水曜日) 2008 | ||
号外 総合面 | 15:26 | |
偉大なるラヴィル国民の指導者ラウル・クローベル大総統閣下が194年6月12日午前2時11分テルシス総合病院にて逝去なされた。享年75歳。 我らラヴィル人を発展に導き、強力な指導力の下、諸外国との関係改善に努め、国力の充実を積極的に行い、常に国民の為の政策を心がけておられた閣下は、16年の政治生命を形で天寿を全うする形で閉じられた。 クローベル閣下は生前から後継者を指名されておられていたそうで、御遺言によりレオン・アメル・ラヴィル元国王の嫡孫エドワード・ユイ・アルティス(15)を元首とした君主制国家を復活させることとなった。 大総統閣下は本来君主制は意思には消極的であり、ラヴィル人のアイデンティティの源流となる王家は国民統合に非常に有用であるとして、自らの死後は王政復古を強く熱望しておられた。 エドワード氏は葬儀の後、王の称号を越える皇帝の称号を用いることを発表。国号を神聖アルティス帝国とし、民主政を採用し、共和政時代から続く独裁強権主義を50年以内に改めることを宣言した。 | ||
9月 01 (月曜日) 2008 | ||
国民日報選挙速報 | 12:29 | |
==大総統選速報== フリューゲル暦182年5月に行われた第二回大総統選挙で現職のラウル・クローベル氏が対立候補のラヴィル自由党シェーン・ホワイト上院議員を破り再選を果たした。 | ||
8月 07 (木曜日) 2008 | ||
国民日報第五号 | 01:27 | |
(国際) ==ノイエクルス自由国戒厳令== ~高まる独裁への不安~ フリューゲル暦178年2月10日、ノイエクルス自由国政府は立法府権限を行政府に委譲する修正クレディウス法と与党以外の政党を事実上非合法化するアルフォンソ=サンティス法を可決したと発表。アルフォンソ大統領は同日、これを祖国の団結のためとテレビ演説を行った。 自由と民主主義を謳う彼の国がこのような強権的政治を行ったことは同じく民主政治を国是とする我がラヴィルにも大きな衝撃と困惑を与えた。 我が国の政府総裁ラウル・クローベル首相は「これはノイエクルスにおけるファシズムの萌芽ではないか」と危機感と焦燥感をあらわにした。 ==ノイエクルス・ユーフォリア間、関係なお悪化== ノイエクルス国内政治の強権化と同時進行して、ノイエクルス・ユーフォリア間の政治的関係も悪化している。冷え切った両国の関係はもはや国交断絶状態といっても差し支えなく、我がラヴィル王国はもはや中立的立場を捨て、大きな選択を迫られている。 (国内) ==フィリップ陛下暗殺== ~35歳、若すぎる死~ フリューゲル暦178年2月13日午後4時13分、国王フィリップ陛下が急逝なされた。 フィリップ国王陛下は同日午前11時51分、訪問先のブロンベルク総合講堂において数発の銃弾を浴び、その場に倒れこまれた。 その後ブロンベルク大学病院に搬送されたが治療の甲斐なく手術前に死亡が確認された。享年35歳。 国王陛下は160年の王政復古以来18年間王位についておられ、政治には直接かかわらなかったものの、誰よりも国民から愛され、年を経るにつれ人格者として慕われるようになっていった。 国家元首である国王陛下には現在王子がおらず、国家非常事態法に基づき、新国家体制決定までは首相のクロ-ベル氏が摂政として国家元首を代行する。 犯人はユーフォリア系移民、アルベルト・ジョンソン容疑者(31)。 公安当局は現在背後関係を調査中。 各界からのコメント ・クローベル首相 「あれほどの人格者がこうもあっけなく…、人間の運命とはわからないものです。」 ・ジンネマン国防相 「誰よりも我が国のことを、そして国際平和を考えておられたお方であった。」 | ||
6月 29 (日曜日) 2008 | ||
国民日報第4号 | 00:58 | |
==ノイエクルス自由国 南瓜連邦に対し併合要求== ~南瓜政府は断固拒否の姿勢~ フリューゲル暦171年8月11日、かねてよりノイエクルスが要求していた南瓜連邦合併案は南瓜政府側の拒否姿勢によって決裂した。 南瓜側は「合併の必要性がない」とし、ノイエクルス側は「何の発展もなく自堕落な腐敗した国家」として緊迫した空気が両国間に流れていた。 ノイエクルス政府は南瓜政府が拒絶した場合は実力行使も辞さない姿勢を示している。 既にノイエクルス政府は軍拡を始めており、派遣軍の準備もなされているという。 我がラヴィル政府はノイエクルスと今後友好的関係を構築していくことを国策としているため、本件に関して首相はノーコメントである。 しかし、野党の共産党、社民党、自由国民会議、国民党は一斉に非難声明を出しており、明確な態度を示せない政府を強く批判している。 | ||
5月 23 (金曜日) 2008 | ||
国民日報 第三号 | 23:44 | |
==資源輸出制限法成立== ラヴィル王国国民議会は資源輸出制限法を採決し、今後長期間他国への資源輸出を行わない方針を採った。 国家社会主義ラヴィル労働者党のウラジーミル・プーチン首相の「外国へ恵んでやる資源は我が国には無い。」と発言したのがきっかけで今回の制定に踏み切った。ITOはこれに対し強い抗議を表明している。 ○プーチン首相のコメント 我が国は外国に頼らずともやっていけるほど工業化が進んでおり、工業製品はすべて自国生産が可能である。また、資源もそれを支える分は生産可能である。しかし他国へ輸出するほどの余裕は無く、また我が国の軍拡の妨げになることから、今後は外国への輸出は意大幅に控えることになるというわけである。 | ||
4月 22 (火曜日) 2008 | ||
第二号 | 01:38 | |
==共産党政権崩壊== ラヴィル連邦各地にて多発していた大規模暴動はついにガレットグラードの議長府(旧王宮)にまで押しかけた民衆の抗議の声に発展した。 共産党一党独裁体制は周辺諸国からも非難の声が上がっており、経済制裁を行う国も現れ、経済状況は王政時代末期を下回る結果となった。ドラングフォルト議長の経済政策失敗も重なり、共産党は無産階級からも支持を失うことになった。 議長は自由主義将校率いる軍部によって捕縛され、残る共産党政治局常務委員もほとんどが拘束されたが、ギュスターヴ・ユジーヌ国防委員長の消息が不明となっている。 さまざまな要因が重なり、民衆による市民革命という形で国内初の社会主義政権はあっけなく幕を閉じた。 ==自由政府国内に凱旋== ブリュノール共和国に亡命していたラヴィル自由政府は4月24日正午ガレットグラード空港にて多くの民衆の完成を受けながら帰還した。 政府首班のフィリップ・ド・ノール総裁は王宮に入り、故レオン前国王をはじめとする革命の犠牲となった人々に対し、弔意を表した。 フィリップ総裁は同時に王政への復帰を宣言。ラヴィル王族の縁戚である自身が王位に付くことにした。 近日中に組閣がなされる予定だが、自由政府樹立の功労者であるダイク・ハル・キース氏が首相に任命される見通しである。 | ||
4月 20 (日曜日) 2008 | ||
改訂版第一号 | 01:53 | |
==ラヴィル連邦にて大規模暴動== ラヴィル社会主義共和国連邦にて今年10月ごろから大規模な暴動が発生している。原因は世界各国からの経済制裁によりエネルギー資源が大いに不足していること、無理な軍拡によって経済が下降していることが挙げられる。 政府は暴動に加わった者はすべて処罰すると発表。暴動の沈静化を図ったが事態は収まらず、11月12日には治安当局によってデモ集会の主催者2人を現行犯逮捕され、その場で銃殺刑にされた。 この事実について党中央は治安当局の対応について「反革命派の取締のために反動派を処刑したにすぎない」と極めて肯定的な見解を示した。 ==自由国民政府樹立== 共産党のこうした横暴を受け、自由党をはじめとした反共勢力が連立してブリュノール共和国・ラクールでラヴィル自由国民政府樹立を宣言した。 総裁には旧貴族で現在生存している貴族階級では最も上位のフィリップ・ド・ノール侯爵(17)が就任。 また、副総裁として旧首相であった故シャール・ハル・キース氏の実弟で元国防大臣のダイク・ハル・キース氏(34)が就任。 今回の大規模暴動についてノール総裁の声明では 「社会主義独裁政権は必ず短命で終わる。今更国民を弾圧下におく必要などあるものか」と共産党政権打倒に強い意欲を示した。 | ||
4月 15 (火曜日) 2008 | ||
ラヴィル国 外交再開 | 23:44 | |
==ラヴィル王国で無血共産主義革命== 共産党は劣勢を跳ね除け一気に形勢逆転し、見事革命に成功した。 国王・軍事政権関係者及びその他の王族には人民の名の下に監禁・処刑が行われた。 新国家の名称はラヴィル社会主義共和国連邦であり、国家元首である初代最高評議会議長はドラングフォルト同志が就任する。 以下共産党新議長ドラングフォルト同志の声明 我らラヴィル共産党は長年の悲願であった共産主義革命の日の目を見ることができた。 共産党は時代遅れの君主制及び人民を圧政下に置く軍事政権そして何よりも労働者の敵である資本主義を打倒することができた。 これによって多くの人民が救われたことだろう。 そして全世界に散らばるわれらの同志たちにも我ら共産主義の正義を示すことができた。 背後から敵を倒したことにより国力の大幅なダウンは防ぐことができた。これからは全フリューゲルに世界革命を起こすことに専念する。 全フリューゲルに労働者による世界の建設を!ウラー! ==外交再開 及び ラヴィル中央通信社再開へ== 以上の革命を受け我ら人民の親愛なるドラングフォルト同志は一部の国に対して外交を再開した。 対象となる国はユーフォリア公国、ルジタニア自由国、ブリュノール共和国の3国。共産党中央委員会はノイエクルス自由国は我ら共産主義国に対して敵対的立場をとっている非近代的国家でありわが国と外交する資格はないと表明している。 外務省に代わって外務委員会が設立された。初代委員長は前中央委員会議長ルーデンドルフ同志。 | ||
4月 12 (土曜日) 2008 | ||
重要発表 | 20:51 | |
==ラヴィル王国政府 鎖国を発表== ラヴィル王国政府は今後国際社会とは一線を画し、諸外国の情勢には感知しない方針を明らかにした。 外務省発表によると今後いかなる国の外交申請があろうとも我が国は一切関知しないとのこと。 同時にすべての国との外交関係を遮断するので外務省は廃止となる見通し。 王国政府は異国船討払令を発布し、領海内のすべての外国船を排除するとの意向を示した。 今回このような決定を下したのは我が国と外交関係を結んだ国が次々と滅亡するという不幸な連鎖が起こっていると、宮廷の呪術師 ニコライ・ラスプーチン師が発言したことが発端。 これによって当社の国外向け報道もこれをもって廃止となる。 また、外務省は外国の邦人を引き上げるようにと命じ、自由党の臨時政府もラヴィル国内に帰還する模様。 | ||
4月 10 (木曜日) 2008 | ||
政治・国際面 | 20:47 | |
==ベゴニア攻撃始まる== 軍事政権は以前から呼びかけていた共産党への降伏勧告期限を今月12日の正午に打ち切り、すでに配置済みであったナポリ空軍基地・第2航空師団を共産党の本拠地ベゴニアに向けての出撃命令を発した。 続いて第二陣の陸軍空挺部隊・機甲師団・戦車軍団から成る陸軍第五軍(司令:ノア・エドワード・パーシバル中将)が軍事境界線のベゴニア川を越え、ベゴニア行政区に侵攻を開始した。 さらに第六軍(司令:ルシアン・ニナ・カイテル少将)が援軍として追随した。 陸軍は2軍あわせて総勢20万人。双方向からの進撃に備え、海軍も海岸部から上陸すべくすでに東岸を海上封鎖している。これには海外共産党からの支援を打ち切らせる狙いもある。 先遣部隊はすでに共産党ゲリラ部隊と交戦状態に入っており、主力と合流すればベゴニア市街地での戦闘が予定されるだろう。 (写真)ベゴニアに向けて飛び立つラヴィル王国製爆撃機LK-01と戦闘機CL-31 ==広がる王国領 ついにシヴィール地方南部へ== 王国国土省は王国領がついにシヴィール地方南部海岸及びクリベルト列島に到達したと発表した。 ラヴィル王国の土地整理法では国民が開拓した土地はどの国の領土でもなかった場合その個人の所有を認め、王国領として領有宣言されなければならない、とある。 しかし、それより南部は大日本帝國領であり、領域があいまいのままでは両国間で様々な不都合が生じることが予想される。今後は両国間での領土設定交渉が必要となってくるであろう。 ==地下から再び巨大卵== 我が国では建国当初に全長10mの怪獣の巨大卵が発見されたが、今度は王国西部地方にて全長29mの卵が発見された。 今回も専門家は怪獣のものであると断定。住民の安全のために近日中に政府の調査団及び軍の処理部隊が処分する模様。 また、同時に西部行幸に訪れていたレオン国王陛下は怪獣の卵をご覧になって、終始興味深そうに眺めておられた。 (写真)怪獣の卵について専門家にたずねる国王陛下(右) 左はクラウス前国王 | ||
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