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公方府公報 石動第三帝国公方府公式報道 | ||
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6月 30 (火曜日) 2015 | ||
598年までの主要ニュース | 18:12 | |
【国際】スコッチランド、カーク・メイ議長訪石。将軍殿下と首脳会談。 596年3月1日、スコッチランド共産主義者同盟のカーク・メイ革命評議会議長閣下が訪石され、将軍殿下と首脳会談を行われた。カーク・メイ議長と将軍殿下のご会談は終始穏やかに行われ、両国に於いて経済関係強化や国際情勢安定化の為の積極的協力が為されることが確認された。会談を終えられ将軍殿下は、「カーク・メイ議長は非常に聡明でいらっしゃり、国家元首としての風格を十分に感じました。我が国と利害の一致する点も非常に多く、同国との有友好関係構築は我が国の国益にも叶う事業であると存じます」と述べられた。保守系新聞の記者より「反共主義的であった我国が社会主義国家と関係を深めることについては如何お考えでしょうか」という質問があったが、将軍殿下は「我国に反共などという国是は存在致しません。確かに武家や軍部には反共的な思想を持つ人間はまだ多く居ることでしょうが、我が国が関係を持つべき友好国に求めるのは国際平和・人道主義の希求と、文明的な為政による民衆の幸福であり、そこに社会主義であるとか全体主義であるといったイデオロギーは関わりのないことです」と淡々と述べられた。 カーク・メイ議長は二日目は大工重工笠岡工場、山岡帝国大学、内務省建設土木局のインフラ整備事業などを視察された他、石動社会主義革命統一戦線本部を訪問された。社革統の大杉英太委員長は「スコッチランドに於ける民衆革命を成功に導いたカーク・メイ議長と相見えることが出来るとは光栄の極み。今後も石動に於ける社会主義啓蒙のため邁進していきたい」と興奮気味に語った。宮中晩餐会では皇帝陛下に熱心に社会主義ついてご説明された。陛下が「朕は実権が無いものだから今まで漢籍やら国学やら有職故実やらばかり習わされてきたが、その、社会主義というものについて非常に分かりやすく講義頂いて、大変刺激的であった。中々面白そうであるな、その社会主義というものは。のう、勧修寺?」と勧修寺明子宮内卿を振り返り仰られると、勧修寺宮内卿は苦笑いをしながら相槌を打つという一幕も見受けられた。 三日目には議長は最後の挨拶として将軍殿下・皇帝陛下と会談され、無事三日間の滞在は終了した。将軍殿下は黒ワインの返礼として議長に、将軍家お抱えの菓子職人のみが現在その味を正しく継承しているという、地球時代の京都から続く幻の銘菓「八ツ橋」を贈答された。石動に海外の元首としては初めて訪れた「社会主義国家の首班」メイ議長は、多くの人びとに別れを惜しまれつつ、山岡国際空港を後にされた。 【政治】佐々木外務卿、金融法違反で警視庁が逮捕要求。将軍殿下罷免により即日逮捕。 597年5月3日、警視庁公安部は、「寺社・公家などに金融法から逸脱した高利子で不当に金銭を貸し付けている疑いがある」として、佐々木道興外務卿の逮捕状を発給した。逮捕状を受けて将軍殿下は佐々木外務卿を即日罷免。現役外務卿が即日逮捕されるに至った。警視庁によると佐々木容疑者は、資金難に苦しむ寺社や、資産運用の行き詰まりに苦しむ公家に「私的に」金銭を貸し付け、その後寺社や公家に金融法を逸脱した法外な利子を要求したり、担保に預かった公家の名器や寺社の宝物などを売り飛ばすなどと脅迫した疑いがもたれており、実際に多くの名品を海外のオークションに売り飛ばしてしまったとの情報もあるという。 一方でとある武家筋は「佐々木殿がその様なことをされていたのは武家内での公然の秘密だったので、今更逮捕だなんだと騒ぎ立てるのも奇妙な話だ。ところで佐々木殿は将軍殿下をも恐れぬ歯に衣着せぬ辛口が知られており、殿下がノ連との国交正常化交渉について佐々木殿に相談したところ、「貴女には無理ですよ」などと言って取り合わなかったという。やはり背景には殿下と佐々木殿の不和や今後の我が国の方針があったのではないだろうか」と訳知り顔で語った。 佐々木外務卿の後任には洞院公子外務次官が着任した。 【国際】大蔵省貿易局長、対成蘭の燃料対価未払について追求恐れ黙殺か。 598年7月に発覚した対成蘭燃料輸出の対価未払問題について、山岡府特別検断警察は、大蔵省貿易管理局長の斎藤孝之容疑者(56)を官吏法違反・公文書偽造・国家損害罪などの罪で逮捕した。特検の調べによると斎藤容疑者は、対価の未払状態が3年間継続されていた頃にようやく事態に気付いたものの、自身への政府の追求を恐れて成蘭の貿易担当官と密かにコンタクトを取り、お互いに対価の未払状態を政府から隠し通すという形で合意し、自身の職権をフルに活用してさも成蘭から対価が支払われていたかのように偽造していたとの事である。この事件は貿易管理局部局員の密告により明るみになり、斎藤容疑者も容疑を認めている。「支払われていたはずの貿易対価」は大蔵省主計局の協力者がインフラ維持費や社会保障費への充当として処理しており、今後は芋づる式に大蔵省・外務省などから逮捕者が続出するものと思われる。 【国際】ノイエクルスとの国交正常化交渉成功。 【国際】洞院外務卿、他国の見返りや返済を求めない新興国支援に苦言。「支援漬けにして新興国の経済的自立を阻害する恐れがある」 | ||
6月 08 (月曜日) 2015 | ||
滿子さま、救世軍大学校ご卒業。 | 01:00 | |
595年3月、エーラーン教皇国救世軍大学校へ留学されていた征夷大将軍嫡子、足利滿子さまが、救世軍大学校陸軍科を無事ご卒業され、3月末日に帰国されたと公方府が報じた。 滿子さまは救世軍大学校において、留学生として初めて首席でのご卒業を果たされ、特に機甲部隊の運用について熱心に研究されていた模様である。 滿子様は卒業後3月末日には我が国へ帰国し、4月1日を以て陸軍帝都鎮護軍第一機甲師団へ陸軍少尉として任官された。 歴代将軍である尊子殿下・晶子殿下がともに大幹帝国防衛大学校へ留学したのに対し、次期将軍有力候補とされる滿子さまはエーラーン教皇国への異例のご留学と相成った。これについて晶子将軍殿下は「南北動乱を克服し先進国への道を我国は、大国からあらゆる事物を学ばなかればなりません。滿子の留学は我が石動の大きな転換期となったと思います」と仰られた。 | ||
5月 31 (日曜日) 2015 | ||
成蘭国王・王妃両陛下奉迎特集他 | 03:38 | |
593念8月10日早朝、成蘭連邦王国黒石治家国王・ルティーナ・エルツ・ルーシェベルギアス王妃両陛下が竜駕は我が石動第三帝国山岡府室満京市北区の山岡国際空港へ到着された。国王・王妃両陛下を奉迎するため多くの帝国臣民が集まり、空港は黒山の人だかりに溢れかえった。 国王・皇后両陛下奉迎日程 10日 早朝 山岡国際空港到着。近衛兵警護のもと成蘭大使館の車で移動。 小楽園離宮到着。安息さる。 小楽園にて陸軍近衛軍、並びに親衛軍の奉迎行軍を閲兵さる。 昼 立法会議民評院にご臨席。法案採択をご観覧。 足利晶子征夷大将軍と会談。 夜 宮城へ移動。真備宮皇帝陛下、後真備宮太上皇帝陛下とご会談。 宮中御陪食ご臨席。 小楽園離宮へ移動。 11日 早朝 參社県へ移動。 參社皇太神宮参拝、南北動乱全国戦没者慰霊塔へ献花さる。 昼 山岡府室満京市へ移動。 奉還町能楽堂で石動能をご鑑賞。演目は「絃上(げんじょう)」 夜 小楽園離宮へ移動。 12日 朝 帝国国立博物館ご見学。 昼 宮城へ移動。皇帝家、将軍と歌会遊ばさる。 夜 山岡国際空港をご出発。 小楽園における近衛軍、親衛軍による奉迎行軍は陛下のご体調を鑑み短時間で終えられたものの、近衛軍は伝統的な狩衣、親衛軍は伝統的な大鎧を身にまとい騎乗し、その威風堂々とした姿で陛下を歓迎した。上空では航空宇宙軍教導隊による曲芸飛行が行われ、上空に飛行機雲で「ようこそ」の字を描くなどして、会場から喝采を浴びた。 昼には両陛下は立法会議民評院へご臨席遊ばされ、法案採択をご観覧された。この日民評院では社会労農党が提案した労働基準法改正決議が執り行われており、「サービス残業違法化、労組弾圧に対する罰則明文化」などを盛り込んだ改正案は満場一致で可決された。閉会に当たり社会労農党の福山瑞穂会長は「恐れ多くも両陛下に本採択をご観覧頂いたのは誠に恐悦です。立法会議法により本決議は評定院に委ねられますが、よもや将軍殿下と武家の方々も、治家国王陛下の御前で採択された本決議を棄却することはできないでありましょう」と述べ、議場は喝采に包まれた。 閉会後陛下は足利晶子征夷大将軍殿下と会談され、晶子将軍殿下は「親善の印」として陛下に足利氏伝来の名物茶器の一つと、黄金の太刀ひと振りを献上された。またその後両陛下は宮城へ移動され後真備宮皇帝陛下・真備宮太上皇帝陛下と会談を行われた。上皇陛下から「娘(衵宮王太子妃殿下)はそちらでよろしくやっておりますでしょうか?粗相などございませんか?」と衵宮様を気遣う様子をお見せになると、治家陛下が「治信と大変仲睦まじくしていただいております。あまりにも仲睦まじいので私達も思わず嫉妬してしまうほどです」と破顔ぎみに語られ、場を和ませられるなどの一幕もあったとの事。 会談後両陛下は宮中御陪食に臨席なされ、上級武家・公家や高級官吏、財界の名士、文化人などと広く交流された。 二日目に両陛下は參社県へ移動され、參社皇太神宮参拝と同時に、同敷地内にある「南北動乱全国戦没者慰霊塔」に献花された。同慰霊塔は約50年間もの南北動乱期に犠牲になったとされるおよそ600万人の平民、兵士、武家たちの慰霊の為に建てられた塔である。慰霊塔を前にして治家陛下は「石動南北動乱の凄惨さを痛烈に思い知らされる。今後この素晴らしい石動の平和、ひいてはフリューゲルの平和が続くことを心から願いたい」と仰せになった。 両陛下は昼には帝都にお戻りになり、奉還町能楽堂にて石動能をご鑑賞になった。演目は「絃上(げんじょう)」であった。この絃上は「地球の平安時代の太政大臣、藤原師長が自分より巧みな琵琶の名手を求めて唐に旅立とうとするが、入唐前に宿泊した港町の老夫婦(実は師長の入唐を思いとどまらせようとした村上天皇と梨壷女御)の琵琶と琴があまりにも見事なことに衝撃を受け、自分のうぬぼれを恥じ入唐を思いとどまる」というあらすじである。当然感情移入の対象となる主人公は自らの自惚れを恥じる師長であるため、接伴委員長の勧修寺明子宮内卿は「両陛下をお迎えする演目としては相応しくない。下手をすれば不敬に当たる。別の演目にすべきだ」と再三主張していたが、石動能協会会長の山田禅亜弥氏は「体調の思わしくない成蘭王を『人生はまだまだこれからですぞ、どうか御健勝であらせられよ』と励ます意図がある。不敬にはあたらない」と言い、演目の変更を頑なに拒否していた。果たして治家陛下は「大変良い演目だった。石動の思い出がまた一つ増えた」とお喜びであらせられた。 三日目、両陛下は第三帝国国立博物館をご見学された。当日の国立博物館は無論貸切とされ、同館の収蔵する国宝や重要文化財を全て展示し尽くすという歓待ぶりであった(これにより向こう3ヶ月は国立博物館の常設展示から国宝が消えるとの事)。 昼に及び両陛下は宮城で皇帝家のお方々と歌会を嗜まれた。詩題は「五月雨」であった。 皇帝陛下御製「五月雨の 明けし天(あめ)にぞ 陽(ひ)と望月(もちづき) ニ王並びて 地(つち)安んぜん」 (詩意:五月雨の明けし空には、太陽と月という二人の王が君臨し、地上を安寧たらしめるのだ) 上皇陛下御製「五月雨が 肥やす土にて 稲(さ)は実り 民恵まるる 天神(あまつかみ)かな」 (詩意:五月雨によって肥えた土により稲は実る。これは天神によるすばらしい民への恵みだ) 成蘭国王陛下御製「五月雨が 恵し水の せせらぎよ 我らの大地 豊かなるかな」 (詩意:五月雨の雨水が川を伝い、石動と成蘭の大地に豊かな作物、恩恵をもたらすだろうなあ。) 成蘭王室と石動皇帝家が歌会を行うのは衵宮殿下ご婚礼以来であり、双方実に見事な句を読まれた。 三日間の滞在を終えた両陛下は、臣民に見送られながら万感の念で我が国を後にさるるのであった。 【政治】佐貫大島荘、嘉川道に編入。 594年2月、公方府は佐貫大島荘の荘園登録の取消しと、同地の嘉川道としての編入を発表した。嘉川道知事には晶子将軍殿下の妹にあたられる、尊子将軍殿下の次女、足利基子様が就任された。突然の荘園編入について一部メディアでは「旧南朝勢力の押さえ込み」などの憶測が飛び交っているが、公方府は「長押宮親王殿下ご同意の上の処置」としている。 | ||
5月 11 (月曜日) 2015 | ||
足利滿子様、エーラーン救世軍大学校へご留学 | 19:28 | |
591年4月より、足利晶子将軍殿下のご長女、山岡府立旭川高校を3月に卒業された足利滿子様が、エーラーン教皇国の救世軍大学校へ入学していたことが、公方府によって明らかになった。 滿子様は昨年夏ごろから救世軍大学校への願書を提出しており、旭川高校校長が救世軍大学校へ調査書を送付した所、滿子様のご才覚を鑑みた救世軍大学校より、無試験での入学が認められたとの事である。 滿子様はすでに大学レベルの英語を習得しておられる他、入学に備えエーラーン語の日常会話も習得されており、進学先での言語も特に問題ないものと思われる。 滿子様は3月中旬にも入学準備のためエーラーンへ入国し、4月1日、救世軍大学校陸軍科へ入学された。また滿子様のお供として、細川勝男統合参謀総長の孫にあたる、細川之子関南軍集団司令の長女、細川元子氏が共に入国、同大学へ入学した(彼女は普通に入学試験を受けた模様)。 入学にあたり滿子様は「まさか試験もなしに入学させていただけるとは思わなかった。将軍家の名に恥じぬようしっかりと修学して帰国したい」と述べられた。 また晶子将軍殿下は「滿子はゆくゆくは私の跡を嗣ぐことになりますし、先進国たるエーラーンで色々な事を勉強してもらいたいと思い、今回の留学を許しました。少々寂しい気もしますが、しっかり勉強して帰って欲しいです」と仰せられた。 | ||
5月 06 (水曜日) 2015 | ||
首都警解体、立法会議成立 | 18:11 | |
590年4月21日、首都圏治安警察機構法の失効が宣言され、首都圏治安警察機構は解体された。これにより商業における交易・流通を阻害していた首都警の厳しい監察はなくなり、590年5月上旬の商業採算高は89100億Vaと、4月下旬の33450億Vaを大きく上回った。 また5月11日、ついに石動における140年ぶりの議会である「立法会議」が成立した。民選の民評院議員の選出のため、5月25日に統一地方選挙が開催された。石動民族140年ぶりの選挙ということもあって選挙合戦は大いに白熱し、多数の新興政党が勃興した。選挙戦を勝ち抜き民評院第一党(議院内閣制ではないため、与党にはならない)となったのは保守左派の「全国民衆一揆」である。代表の鈴木寛治氏は「この石動民族の歴史的瞬間に立ち会えたことを大きく誇りに思う。民評院はまだまだ形だけの議会で民主主義とは程遠いが、いつか石動にも真の民主主義が建設されるよう努力していきたい」と述べた。 一方で立法会議の成立に伴い、公方府の最高諮問機関であった国家社会主義石動労働者党は解党され、石動国家社会主義者同盟などの分派政党が残留するに至った。石動国家社会主義者同盟の南一機総統は、「そもそも我が石動民族が140年間にも渡り全体主義的体制を維持してきたのは、第一帝政期の民主主義政権による無策の反省が根底にあったはずだ。石動民族はまたも同じ過ちを繰り返そうとしているのではないか」と苦言を呈した。 今回民評院において議席を獲得した各政党(括弧内は議席数。括弧の後は党首と思想) ・全国民衆一揆(140)鈴木寛治代表。保守左派。 征夷大将軍の象徴化と立憲君主制への緩やかな回帰を主張。平民からの支持が根強い。党名の「一揆」は暴動ではなく、盟約による党の結束を意味するとしている。 ・自由党(92)鶴山一哉総裁。保守右派。 将軍大権を支持するも管領の民選化と海外貿易促進、国際問題への積極的介入を主張。財界からの支持が根強い。 ・社会労働党(66)福山瑞穂会長。社会民主主義・左派。 征夷大将軍の緩やかな撤廃と皇帝の象徴化、議院内閣制の導入、社会保障の拡充、身分制度の撤廃などを主張。一部の平民から支持を得る。 ・石動国家社会主義者同盟(29)南一機総統。国家社会主義・極右。 武家特権の廃止と総統専制国家の復活、秘密警察復活による全国民の管理、外国人の入国制限、財産分配と国民皆労働などを主張。立法会議の成立を以て解消された国家社会主義石動労働者党の極右派グループにより結党された。平民の若年層から支持を得ている。 ・全石動社会主義革命統一戦線(12)大杉英太党委員長。社会主義・極左。 将軍・皇帝の即時撤廃、あらゆる身分制の撤廃、全企業の国営化、労働者と農民による新国家の建設を主張。学生を中心に支持されている。 ・救済党(7)田中萼蓮座主。仏教。 仏教の唯一国教化と他国への布教、国家仏教の促進による国家の鎮護を主張。仏教系政党。 ・惟神の道の同胞(4)岩尾宗忠会司。神道。 神道の唯一国教化と他国への布教を主張。神道系政党。 ※お知らせ 国家社会主義石動労働者党の解党に伴い、機関紙である「国家主義と臣民」は公方府へ移管され「公方府公報」となりました。 | ||
5月 05 (火曜日) 2015 | ||
ラングラード=カルス帝国との安保成立 他 | 11:17 | |
589年7月11日、石動第三帝国によるラングラード=カルス帝国に於ける安全保障条約が調印された。本条約は石動第三帝国によるラングラード=カルスに対する安全保証を定めた条約である。 「石動第三帝国によるラングラード=カルス帝国に於ける安全保障条約 本条約は石動第三帝国によるラングラード=カルス帝国に於ける安全保障について定めた条約である。本条約は石動第三帝国皇帝陛下、ラングラード=カルス帝国皇帝陛下の相互同意によって成立せるものである。右が証左として両国全権委員は各々本条約に調印す。 第一条 石動第三帝国はラングラード=カルス帝国が第三国から宣戦布告を被った際、直ちに第三国に対し宣戦布告を行う義務を負う。 (1) ラングラード=カルス帝国が第三国に対し宣戦布告を行った際はこの限りではない。 第二条 石動第三帝国はラングラード=カルス帝国に4万人以上16万人以下の地上戦力を派遣しなければならない。 (1) 石動第三帝国はラングラード=カルス帝国が駐屯地建設に要する建材・資金を提供せねばならない。駐屯地の維持費はラングラード=カルス帝国が負担するものとする。 (2) ラングラード=カルス帝国に派遣された石動第三帝国地上戦力部隊はラングラード=カルス帝国に於ける怪獣・反乱軍への攻撃、災害時の協力を任とし、その他の行動は厳に慎む。 第三条 石動第三帝国はラングラード=カルス帝国に怪獣・反乱軍・海賊船が発生した際、対応可能な限りこの攻撃、撃滅に当たらねばならない。 (1) 石動第三帝国がラングラード=カルス帝国領内に怪獣・反乱軍・海賊船のいずれかを発見した場合、石動第三帝国はラングラード=カルス帝国の承認を得ずとも怪獣・反乱軍・海賊船への攻撃が可能とする。 (2) 攻撃の際石動第三帝国はラングラード=カルス帝国の領土ないし領海上にあるラングラード=カルス帝国国民ないし船舶へ被害を出さないためにも、SPPミサイルないし衛星レーザー以外の兵器の使用を禁止する。 (3) 第三条の(1)はラングラード=カルス帝国が自国軍事力による怪獣・反乱軍鎮圧が可能と判断した時点で直ちに無期限に失効する。 第四条 本条約は締約国たる石動第三帝国並びにラングラード=カルス帝国のどちらか一方が破棄を通告した時点で失効する。」 ラングラード=カルス帝国は建国当初我国による無償鉱山開発援助が行われており、今回の安保締結により両国間の関係は一層高まったと公方府は発表している。 安保条約に基づきラングラード=カルス帝国にはラングラード=カルス派遣軍として陸軍第十四師団・第二十一師団・第八機甲師団、親衛軍第六親衛機甲師団クマソタケル・第十親衛降下猟兵団エウカシから成る、総勢4万の混成派遣軍が派遣された。 【政治】首都警解体決定。新たな立法機関「立法会議」設立。 590年4月17日、晶子将軍殿下は緊急会見を開き、首都圏治安警察機構の廃止と新たな立法機関である「立法会議」の設立を宣言された。 「立法会議」は上院たる評定院と下院たる民評院から成る二院制議会の形をとっており、評定院は15の有力武家の当主・前当主・次期当主から成る氏族会議だが、民評院は完全な民選議会となる模様である。「管領弾劾権などの強い権限が評定院にしか与えられていない」「民評院は評定院の法案可決を覆せないが評定院は民評院の可決を却下できる」など、かなりの面で評定院の権限が強く、民評院の権限が制限されているが、有識者らは「そもそも民選議員が政治に参画するなどというのは第一帝政以降じつに140年ぶりで、武断政治・独裁政治の支配する石動において実に画期的な事件である」と評している。 発表に当たり晶子将軍殿下は「もはや南北動乱は実質交戦も法的な交戦状態もすでに解消され、晴れて我が国は海内一統となりました。戦時下の秩序維持に於いて首都警の功績は大変なものでしたが、もはや我が国は戦時下にはなく、もはや戦後でもありません。今後は発展を阻害するあらゆる旧例や慣例を撤廃し、石動の持続可能な発展を模索する事でしょう」と仰られた。 | ||
4月 30 (木曜日) 2015 | ||
【国際】海軍、ラングラード海賊討伐に出撃【寄稿】洞院公子外務次官 | 17:59 | |
【国際】海軍、ラングラード海賊討伐に出撃 589年5月中旬、我国はラングラード=カルス帝国が海賊討伐のために砲弾輸入を急募している旨の声明を確認した。我国が開発支援を行った石材産出国である同国の安全確保は急務と判断した我国は、同国政府の許可を得て海軍の空母いざなみを急行させ、海軍航空隊による同海域への空爆を敢行した。 以下はラングラード=カルス帝国政府の公式記録である。 ターン21219:石動第三帝国がラングラード=カルス帝国(16,16)地点に向けて68発のSPPミサイル発射を行いました。(有効1発/怪獣命中0発/怪獣無効0発/防衛0発/無効67発) ターン21219:-(16, 16)の海賊船に命中、規模が減少しました。 ================[↑フリューゲル暦 21219期589年 5月下旬↑]=================== 攻撃結果は、68発もの対艦ミサイルを使用し命中弾はわずか1発という無様な結果であった。幸い海賊は同国における金品・食料の強奪は行わず、そのまま逃げ去っていった模様である。 攻撃に参加したいざなみ艦長は「我がいざなみと精鋭航空隊に恐れをなして逃げ去ったのだ。南無八幡大菩薩」などと語っていたが、海軍軍令部では今回の件で露呈した海軍航空隊の練度不足を問題視する意見が支配的であり、伊坂三依名誉終身連合艦隊司令長官は「(航空隊の)実戦経験が無いというのは言い訳だ!一に訓練二に訓練、三四が訓練五に訓練だ!」と一括した。 空母いざなみは補給及び交流のために同国に一週間停泊したのち、我が国へ帰還した。 【寄稿】このフリュゲールで最もおぞましい国家とは 筆:外務省事務次官 洞院公子 読者諸兄は、「インフラ」と言われて何を想像されるだろうか。インフラとは「インフラストラクチャー(infrastructure)」の略称であり、国民の生活・経済活動の維持・発展のためには無くてはならない公共施設の事である。具体的に言ってしまうと、これは学校・病院・道路・港湾・工業用地・公営住宅・橋梁・鉄道路線・バス路線・上水道・下水道・電気・ガス・電話を指す。つまり「インフラ整備」とは、以上の施設の十分な施設や維持を意味するのである。 惑星フリューゲルにおいては、各国のインフラの整備状況は100を最大値とした統一指数によって数値化されている。我が石動第三帝国のインフラ整備指数は93であり、ごく一部の地域に下水道が行き渡っていない以外は、ほぼ完全に全土に上記の様なパイプラインが施設・維持されている。 フリューゲルの主要先進国を見てみれば、ほぼ全ての国家が90以上の数値を示しており、先進国らしい豊かで充実した文化的な国民生活が伺い知れる。ある一カ国を除けば。 その国家こそ、アルドラド帝国である。 同国のインフラ指数はなんと「0」である。つまり同国には、「学校・病院・道路・港湾・工業用地・公営住宅・橋梁・鉄道路線・バス路線・上水道・下水道・電気・ガス・電話」などの国民生活に必要な公共設備が一切整備されていないのである。人口1億人、商業人口7000万人を超える大国のインフラ指数が事もあろうに「0」とは、考えただけで身も毛もよだつ話であり、かの国の内情はまさに想像を絶する状況と言える。事実、同国の幸福度は26と、先進国中では抜きん出て低く、爆発寸前の国民の不満を、秘密警察によって辛うじて押さえつけているという劣悪な国民生活が想像できる。 さて、ここで平和と自由と正義を愛するフリューゲル万国の諸兄に問いたい。かように自国民を不当な環境に縛り付けて憚らぬ、人権意識の希薄な大国に、自国や自領域の貴重な財産を売り渡す事ができるであろうか。残念ながら、我が国の答えは「No」である。 ここで589年4月下旬(21216期)のアルドラド帝国の鋼鉄購入申請に関する我国と同国の問答を見てみよう。 まずは経緯を確認しよう。ご存知のとおり我国は旧南朝である嘉川島を近江宮流皇帝家の荘園(佐貫大島荘)として認定する際、大国に同島の鋼鉄などの物資が流出することを危惧し、「鋼鉄輸出に本国の承認を要する」という条件を課したのである。 それからしばらくして、アルドラド帝国が我が国に鋼鉄輸出申請を行った。南北動乱や幹半島情勢への対応に追われて間もなかった当時の我国は、同国の国情をよく把握しておらず、「貯蔵資源の買い占めを防げばよい」という判断により同国に佐貫荘の鋼鉄貯蔵量の半数の輸入を許可した。 公開情報から同国の異様な国情を公方府が察知したのは、それから暫くしてからであった。将軍殿下はじめ公方府首脳陣は同国に鋼鉄輸出を許可してしまったことを大きな失態と判断し、以後、同国の申請は極めて慎重に判断しなければならないという点が公方府・外務省内で厳重に確認された。 そして589年4月、再びアルドラド帝国が我が国に鋼鉄購入申請を行った。 21216:アルドラド帝国外務省 > 佐貫大島荘より鋼鉄を輸入する交渉を行う許可を頂きたい。返答を待つ。 (アルドラド帝国) まず本申請には問題点がある。我国が「軍事目的での輸出を許可しない」という声明をすでに発していた時分に、同国の申請文はその使用用途を何ら明らかにしていないのである。ここでこの36期前にノホ・ヘレコ連邦が送付した極めて模範的な申請文を同時に紹介する。 21176:ノホ・ヘレコ連邦外務府 > 佐貫大島荘より鉄鋼4億トンを輸入したい。用途は防災都市の建設を中心に使いたいと思っている。 (ノホ・ヘレコ連邦) 21176:ノホ・ヘレコ連邦外務府 > そのため、貴国による鋼鉄輸出の審査を要請します。 (ノホ・ヘレコ連邦) さて、この様な外交プロトコールを満たしているとは言い難いアルドラドの申請文に不信感を抱いた我々外務省は、公方府にまずは同国に使用用途を問うよう提言した。 21216:第三帝国公方府 > 鋼鉄の使用目的を明らかにして頂きたい。 (石動第三帝国) これに対するアルドラドの回答はこうである。 21217:アルドラド帝国外務省 > 隕石災害によって失われた防災都市復興に向け最低でも1億6千万トンを輸入したい。 (アルドラド帝国) 一見すれば、極めてまっとうな輸入理由と言えるだろう。しかしよくよく思い出していただきたい。同国には防災都市以前にインフラが存在しないのである。なぜ同国は、劣悪な自国のインフラを放置し、すでに54hexにまで存在する防災都市をさらに増やそうとしているのだろうか。残念ながらインフラが国民の幸福の最低条件と理解している我々には理解不能であるし、鋼鉄購入のための方便と取られても仕方がない状況と言えまいか。よって我々外務省と討議した公方府は、以下のように回答した。 21217:第三帝国公方府 > 軍事目的でない点は了承したが、貴国の防災都市普及率は既に十分である様に感じるし、貴国が先進国でありながら国土の根幹たるイ (石動第三帝国) 21217:第三帝国公方府 > インフラ整備を全く行わず国民の幸福度が非常に低い点は極めて不審である。 (石動第三帝国) 21217:第三帝国公方府 > 以上の点からも貴国が必ずしも鋼鉄を軍事目的に使用しないとは我が国としては断じ難く、今回の貴国の購入申請を却下させて頂く。 (石動第三帝国) 我が国と同国は同盟関係にも経済協定関係にもなく、はっきり言って我国は同国の鋼鉄輸出申請を承認する義務を全く有していないのだ。よって我々は、本案件はこれで終了し、想定されるのはアルドラド帝国の「遺憾の意」程度だとばかり思っていた。しかし同国の対応は悪い意味で我々の予想を裏切った。 21218:アルドラド帝国外務省 > 我が国は貴国の要請に従い詳細な使用目的を提示したつもりであるが、その上で軍事目的に使用する可能性があるとし輸出を規制する (アルドラド帝国) 21218:アルドラド帝国外務省 > のであれば、先の要請自体に何の意味があったのだろうか?使用目的を問うた以上は答えによっては輸出を行う意志がある筈であり、 (アルドラド帝国) 21218:アルドラド帝国外務省 > 災害によって被害を被った都市の復興すら信用できないと返すのであれば、一体どのような回答であれば輸出を認めたのか、参考まで (アルドラド帝国) 21218:アルドラド帝国外務省 > にお聞きしたいところだ。 (アルドラド帝国) 驚いたことに、同国は我が国の指摘した矛盾点には一切触れず、逆に「使用目的を問うてきたのであれば輸出する意思があったはず」などと自身の思い込みを根拠に、言葉は悪いが「逆上してきた」といったところであろう。まるで「災害を被った我が国の輸出申請は承認されて当然だ」とでも言わんかのような口ぶりである。これに対する我が国の回答はこうだ。 21218:第三帝国公方府 > そもそも我国が軍事目的での輸出を制限している以上、使用用途は申請時に詳らかにすべきであり、我国はそれを促したに過ぎない。 (石動第三帝国) 21218:第三帝国公方府 > よって使用用途を問うた時点で我が国に輸出意思があるとするのは貴国の曲解である (石動第三帝国) 21218:第三帝国公方府 > 我が国としては電気・ガス・上下水道等の、国家に最低限必要なインフラの整備も行わず市街の防災都市化に傾倒する貴国の姿勢には (石動第三帝国) 21218:第三帝国公方府 > 極めて不信感があり、かかる状態の国家は到底鋼鉄輸出を承認できる信頼度を有しているとは言えず、今回の申請を却下させて頂いた (石動第三帝国) 21218:第三帝国公方府 > 次第である。我が国としてはこれ以上の回答は持ち合わせていない。 (石動第三帝国) 以上で我が国とアルドラドの問答は終わった。同国外務省が「残念でならないが、かの国の対応には不信を抱かざるをえない」などという声明文を発していたが、これについては「鏡を見よ」の一言に尽きるだろう。 ここで万国の読者諸兄に、今一度かの国の存在をよくよく思い返して頂きたい。残念なことにこの惑星フリューゲルには、インフラ皆無という劣悪な国土に国民を縛り付け、国民から搾取した札束をちらつかせて新興国の資源を買い占めていく、世にもおぞましい国家が存在するのである。もはやかの国の内情は、自由と人権を尊重しているはずであろう我らフリューゲル諸国民への果敢な挑戦とは言えまいか。貴方がたが資源を輸出したり、軍事的・経済的な庇護を受けている国家に住む人々の現状を、今一度思い起こして見るべきではないだろうか。 了 | ||
4月 25 (土曜日) 2015 | ||
【国際】石動・嘉川停戦条約調印。南北動乱法的にも収束。他 | 11:51 | |
587年1月20日、嘉川島自治政府は阿蘇直子太政大臣を、我国は今川範邦管領を全権とし、両国間に停戦条約を調印。嘉川島自治政府は解体され、嘉川島全土が近江宮流皇帝家の荘園となる取り決めがなされた。この条約の調印により、47年間にも及んだ南北動乱は法的にも収束が宣言されることとなった。 荘園は長押宮親王殿下に経営権が寄与されるが、議会制自治政府体制を敷いている模様である。また公方府は今回の停戦条約に「砲弾取引の全面禁止」「鋼鉄取引についての公方府の認可の必須」を盛り込み、特に軍事目的での鋼鉄輸出は基本的に認可しない方針を明らかにした。 現在公方府は防衛能力の積極的な拡充を図っており、公方府からすれば同島の鋼鉄が大国の軍拡に利用されることは非常に受け入れがたい状況なのではないかと言われている。 【国際】龍鮮半島統一。大和寧帝國成立。 586年9月7日、大幹帝国・香麗民主連邦間で「大幹帝国・香麗民主連邦統一宣言及び大和寧帝国建国宣言」の調印がなされ、ついに491年戦争以降分断状態にされていた龍鮮半島を大和寧帝國が統一するに至った。晶子将軍殿下は「由緒ある友邦たる龍鮮が実に一世紀ぶりに統一されたことはじつに喜ぶべきことだと思います。これからも同国との関係を深化させていきたいと思います」と述べられた。 【社会】巨大隕石落下。米子島ニュータウン、新見県北陸軍基地など消滅。 587年9月3日、本州新見県と米子島との間の米五海峡に巨大隕石が落下。陸軍基地1、ニュータウン2基、共同農場などが消滅した。消滅した陸軍基地には第五師団など連度の高い部隊が集結していたが、隕石により部隊そのものが消滅してしまい、陸軍にとっては非常に痛い結果となった。 また今回の被災を受けて大和寧帝國は我が国に建材1億5000万tの支援、防衛隊による救助部隊の派遣などを行った。 将軍殿下は「被災した方々と失った陸軍将兵を思うと誠に痛恨の思いです。すぐに防衛衛星を打ち上げる等して、この様な災害が起きないように対策をとらなければなりません」と述べられた。 | ||
4月 08 (水曜日) 2015 | ||
合同国葬粛々と行わる。4000万孝寧院・前将軍殿下に涙の別れ 他 | 23:54 | |
585年9月30日、孝寧院太上皇婿陛下並びに足利尊子前将軍殿下の合同国葬が行われた。葬儀には以下の方々が参列された。 ・わが国 真備宮太上皇帝陛下 三条秀員太上皇婿陛下 後真備宮皇帝陛下 広橋仲嗣婿陛下 その他皇族 足利晶子征夷大将軍殿下 公方府全閣僚級職員 細川勝男統合参謀総長 陸海宙親衛四軍指揮官相当官 その他武家・公家当主、四軍高級軍人 ・ノホ・ヘレコ連邦 アネエルテムエラ外務府長官閣下 ・嘉川島自治政府 長押宮親王殿下 ・ティユリア連合王国 ヘラクレイオス2世国王陛下 ・ストリーダ王国 エマ・ブレンケ副首相兼外相閣下 ・ベルサリエーレ王国 ヴィットリオ・サヴァアI世国王陛下 ・成蘭連邦王国 黒石治家国王陛下 ・エーラーン教皇国 ベフルーズ・スピタメネス枢機卿猊下 ・大幹帝国 燕海君皇帝陛下 鄭俊雄首相閣下 高桜誠太極会長 国葬は太上皇婿の葬儀としては異例ながら、ほぼ皇帝・太上皇帝崩御時の御大喪の礼と同じ形で行われ、後真備宮皇帝陛下による孝寧院陛下への御誄(おんるい)も披露された。以下はその全文である。 「後真備宮慎みて 皇考の神霊に白す。 本朝四代帝が皇婿に在しまして幾十年、即ち地土(くにつち)無かりける時は民草を昌(うつく)しみ、地土に復したる時は社稷を憂い、覇道を却け王道を旨とし、皇統の護持と宗廟社稷の弥栄に其の御心身を捧げたるは、将に歴代皇婿が佳例たり。豈に民草其の薨(みう)せ給うを嘆かんや。豈に百官其の還らざるを哀れまんや。此れを惟い痛恨悲嘆の念甚だなり。嗚呼悲しい哉。」 国葬は粛々と行われ、多くの臣民が見守る中、孝寧院陛下の御遺体は御凌へ、尊子前将軍殿下の御遺体は火葬ののち足利氏の菩提寺である持統寺の墓碑へ運ばれ、埋葬された。 国葬には多くの帝国臣民が集まり孝寧院陛下・尊子前将軍殿下に最後の別れを告げた他、民放含む全局が中継を行い、全ての帝国臣民がそのご薨去を悼んだ。 晶子将軍殿下は「孝寧院陛下が波乱の人生の中で護られた我が石動の皇統を、我ら将軍家と4000万の帝国臣民は未来永劫護持していく事でしょう。また、我が母が築かれた将軍家の栄光を汚さずわが子、我が孫へと受け継がせて行ける様、これからも帝国のために最大限努力致します所存です」と、涙ながらに仰られた。 【国際】政府、フランドル調査団への参加を表明。 585年11月中旬、外務省はノホ・へレコ連邦主催のフランドル情勢調査団への参加を表明した。外務省は「そもそも同国は我が国と国交を開設したばかりで関わりも薄く、また同国に滞在中の邦人も確認しておらず、帝国臣民にとっても関心の薄い事案であるだろうが、嘉川自治政府より「大吉備帝国時代に我国が被った同国の不適切な言動の真相を究明したい」との要請により、此の度嘉川自治政府と合同で調査団を派遣する事を決定した」と発表した。帝国臣民の間では近年突然勃興した関わりの薄い農業国の不可解な問題に関わるべきではないとの意見が支配的であるが、嘉川自治政府が同国から不適切な言動を受けたという事情も捨て置けず、今回の調査団派遣に踏み切った模様である。 〇臣民の声 「****やこーに関わらんほうがええんじゃ。****取りが****になるんじゃ」67歳男性 農家 「嘉川同胞を侮蔑した蛮国フランドルを解放しよう。大石動帝国万歳」44歳男性 政治運動家 | ||
4月 07 (火曜日) 2015 | ||
南部大震災、孝寧院陛下・足利尊子前将軍殿下ご薨去他。 | 14:13 | |
【社会】南部大震災。90万人犠牲。造兵廠に深刻な被害。 585年7月15日、突如帝国本州南部を直下型大地震が襲った。震源は山岡府珠緒市で、新室満京市観測台はM7.6の揺れを観測した。この震災により山岡府・敷倉県・笠岡県・加賀県の四府県で、木造家屋倒壊・鉄橋崩落などの深刻な被害が生じ、死者・行方不明者は90万人に上るとされている。また今回の震災により鵺島・嘉川北部の陸軍造兵廠に深刻な被害が生じ、砲弾製造力が4500メガトンから2000メガトン代まで急落してしまった模様である。 孝寧院陛下・足利尊子前将軍殿下ご薨去他。 585年8月21日、孝寧君太上皇婿陛下が胃ガンによりご薨去された。陛下は故・神凪宮帝の皇婿、大幹帝国三代皇帝高宗陛下の従兄弟にあたり給うお方で、系統的にはかつての南朝皇帝家である近江宮流皇帝家の人物であらせられた。しかし、秩序を重んじる礼学者であらせられた陛下は後明日香宮廃帝の暴挙に大いに憤慨され、太上皇婿のお立場から北朝皇帝家となる柏宮流皇帝家の真備宮皇帝陛下をご推挙された。その後も南朝に拉致されながらも無事救出され、後真備宮陛下へ我らが皇統を護持された孝寧院陛下のご尽力を我々帝国臣民は忘れてはならない。 またその四日後の25日、足利尊子前将軍殿下がご薨去された。殿下は19日より背中に原因不明の腫瘍を煩い入院されており、愈々治療も間々ならぬ状態で腫瘍が肺と脊髄を圧迫し、ご薨去された。市井では「腫瘍というのは実は足利直と高野翼の顔をした人面疽で、夜毎尊子さまに恨み言を言っていたのだ」などという風説が実しやかに囁かれているが、公方府は「根も葉もない噂」と一蹴している。また、治療にあたった山岡帝国大学医学部の財前小次郎教授は、腫瘍の原因究明の為にも、腫瘍だけでもサンプルとして保管させて欲しいと公方府に請願したが、「事もあろうに前将軍殿下の腫れものをホルマリン漬けにして衆目に晒すとは何事。前将軍殿下への不敬であり到底取り合うことはできない」との見解を示し、財前教授は大学側から一ヶ月の謹慎処分が申し渡された。 晶子将軍殿下は「孝寧院様、そして母、尊子前将軍が亡くなったのは大変悲しい事です。我国が大きく変わってしまった様な印象すら受けます。我々は、第三帝政の発展の礎を築かれたお二人を同時に送り出すことにより、お二人に最大限の感謝と敬意を伝えるべきでしょう。よって我国は9月下旬、お二人の合同国葬を行うことを宣言します」と仰られた。合同国葬には皇帝皇婿両陛下・太上皇帝太上皇婿両陛下・将軍殿下・主要閣僚他軍人・武家・公家多数が出席される予定である。また他国出席者は奉迎するが、特に招待等は行わない模様である。 | ||
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