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12月 28 (日曜日) 2014 | ||
パラベラム通信第23号『アーデンヘリュカ大公戦死等』 | 01:33 | |
567年 8月28日 『クルキアマイトグラード』における約3ヶ月間もの戦いは最終的にミハイル・ヤキィエーヤ氏の忘れ形見である『ヴィスリワ・ヤキィエーヤ』率いる『評議会直属旅団『8月5日』』を内包する『ヤキィエーヤ軍』、『赤軍騎兵旅団『トチェス重騎兵旅団』』を内包する『赤軍第6親衛装甲軍』、など赤軍の代表的であり精鋭戦力が投入され、侵攻してきた革新派軍を迎え撃った。 戦力比では赤軍が劣勢であったものの、7月にはさらに白軍1個軍(白軍においては1師団規模が1個軍相当)が投入され、また『限定戦線協議』のせいで重火砲における市街の制圧が困難であり、次第に革新派軍は追い詰められ、8月には赤軍方面軍が南部から『クルキアマイトグラード』を包囲しようと試みていたため、革新派軍は止む無く撤退。友軍の撤退のために殿として『革新派ポートランド・カントリーサイド近衛軍『第1近衛軍』』が奮戦し、友軍の撤退を成功させるも、軍司令官であり『ポートランド=カントリーサイド連合王国 大公』であるクルキアマイト・アーデンヘリュカ元帥が戦死。『近衛騎兵名誉旅団『カルメル近衛騎兵旅団』』も敗北し、最終的に近衛軍はその戦力を5万人近くにまで減少させていた(白作戦開始時の戦力は約20万人) 『奴等が望んだ通り『この戦争も』ノイエクルスとなった。ノイエクルスで奴等が勝てなかったように、此処(フリュー)においても奴等は同じ結果を得たわけだ。そして我々は『エルツ』での借りを返した』(ユリスキー元帥談 567年 9月10日 ポートランド=カントリーサイド連合王国王女 ミフチェッカ・フォン・クロンヴォル・ヴァンリュトヒュツカが自殺。 これはさらに革新派の統制を崩した結果となった。噂によれば王女陛下と大公陛下は極めて親密な間柄であり一節では――――検閲済み――――。 ともあれ、これによりさらに革新派は追い詰められつつあるのは確かなようである。 567年 10月10日 ヴィスリワ・ヤキィエーヤ氏による『対ファシズム宣言』 ミハイル・ヤキィエーヤ氏がそうであったように娘のヴィスリワ氏も同様に『血の通った政治』を望んでいた。少女の、いや彼女の宣言による影響は意外にも大きく、革新派の知識層の中には声高に強権的な政策批判を掲げる人も少なく無いようだ。 『銃がなくても生きることは出来るが、パンがなくては生きられない』(初代フリュー・ソビエトにおけるミハイル・ヤキィエーヤ氏の言葉 567年 11月31日 ミディアート家旧皇族を中心とする帝国の再興を! 近年の長きに渡る混乱の中で古き良き平温であった帝政時代への回帰を求める声が日々高くなってきている。またミディアート家の家系が存続していることが判明し、その期待は更に高まっているようだ。 『裕福になることは出来ても血や家系を買うことは出来ない』(とあるDLLF幹部の言葉 | ||
12月 23 (火曜日) 2014 | ||
パラベラム通信第22号『広がる動揺、戦線の移行等』 | 01:55 | |
565年 5月11日 『ロンベルク事件』 戦略会議における席において爆発物による暗殺未遂が発生、この事件はドライズ国防軍『ベルロア・フォン・ロンベルク大将』らによる左派軍人によって計画、実行サれたことが後日判明した。 暗殺目標とされていたゲトラルス氏は幸いにも軽傷で難を逃れ、ロンベルク大将を除く4名の高級将校は即日銃殺に処され、ロンベルク大将はとあるポートランド貴族の介入からポートランドへと追放されるだけの特例処置に収まった。 この事件は揺らいでいた革新派の結束をさらに乱れさせた。 写真は解任されたロンベルク大将のライシャワ追放の様子(実質はかなり丁重な扱いであった) 566年 5月11日 『白作戦』攻勢が開始される。 ゲトラルス初めとする革新派上層部において発案された大規模攻勢『白作戦』が開始され、革新派はモルクグラード北部を構成する『クルキアマイトグラード』に突入したことを発表した。 革新派ポートランド・カントリーサイド近衛軍『第1近衛軍』、ドライズ武装第1親衛軍師団『ゲトラルス』、武装第2親衛師団『ブロンベル』、フレン第一老近衛騎兵師団『ラ・ロパトネーズ』 などの革新派主力が最前線へと投入され側面、予備兵力としてミッドガルド軍、レゴリス軍が投入された。 ミッドガルド、レゴリスの新鋭軍が前線への投入へ消極的だったのは革新派首脳陣が遠征軍消耗による両国の厭戦感情が起き上がるのを極力防ぎたいためであった。 | ||
12月 16 (火曜日) 2014 | ||
パラベラム通信第21号『チャーチル氏、銃撃さる』 | 01:34 | |
561年 3月24日 チャーチル首相の忘れ形見であり革新派の代表を務める『サー・ロザリンド・グレッグ・フォーミーリアー・チャーチル』氏が銃撃された。この銃撃には3基もの重機関銃が使用され、防弾仕様の車両に乗っていたチャーチル氏は左腕を失う重症を負い、同乗していた運転手含める4名は死亡した。 『ライシャワ市』における代表銃撃事件は左派のポートランドリベラル派軍人らによる犯行であることが判明。革新派の間に衝撃が走った。後任は強硬派であり、ドライズ連邦総統であるドライズ社会党総統である『ハルヴェルト・ヴァイス・フォン・ゲトラルス』氏が代表に就任、辛うじて革新派は空中分解を免れた。ゲトラルス氏はミッドガルド帝国軍による衛星兵器の使用を今後は一切行わないように、要請した。また、各革新派構成国において強権的な『戒厳令』を実施、戦争遂行における平和的デモ、批判活動に大規模な取り締まりが行われる事となった。 561年 6月20日 『レフェールニーヤルテット・ディアト・フェリアート王国』が成立 ファシズム勢力の拡大を図っていたゲトラルス氏は代表就任を機に更なるファシズム勢力の拡大を図り、もとよりファシズム的な志向と独立機運が高まっていた、カントリーサイド南部を『レフェールニーヤルテット・ディアト・フェリアート王国』として独立させるよう大評議会に要請。 受け入れられない場合はゲトラルス氏が代表を辞任すると強気な態度で挑んだ。 最終的にレフェディアート王国の独立が承認され、新たに革新派に加わった。 564年 12月30日 『限定戦線協議』が行われる。 『サー・バーナード・アローニ・フロスト・モントメリー』元帥ら革新派上層部と『セルヴィナ・アンドロポフ・ユリスキー』元帥ら保守派上層部らがフィルデリア首都『ケリャニャ』において『限定戦線協議』と呼ばれる都市部に対しての長距離砲、及び重迫撃砲等の重火砲兵器の使用を禁止する協定が結ばれた。ミッドガルド帝国による衛星兵器攻撃は実質の所ミッドガルドが宣伝するほどの効果は上げられなかったものの、今後も無制限に使用されれば大規模な被害を受けることは想像に難しくなく、保守派としてはこれらの手段の使用を確実に封じておく必要があった、一方で革新派も保守派の長距離砲がフィルデリア首都を射程内にとらえている事をユリスキー元帥が仄めかすと、応じざる負えなくなってしまった。事実であるなら重大な問題である、事実でないとしても締結しない場合フィルデリア=ランドハルトの反発が予想された(フィルデリアが被害を被ることになるため。)為に、協定締結が両者の同意の上行われた。 写真はフィルデリア首都を射程内に捉えて配備されていると言われている列車砲10両の内の一両『ユリスキー』 | ||
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