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2012
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石動和寧日報 旧龍鮮日報、石動移民後、在石和寧人向け新聞として再出発 | ||
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5月 03 (火曜日) 2016 | ||
和寧解放!和寧第二帝国復僻なる! | 23:03 | |
石蘇同盟軍は的確な空爆によって「偽萬和」の軍事拠点のみを破壊し、防空体制を完全に破壊せしめた。 しかし、「偽萬和」は全土塹壕化と称して徹底抗戦を宣言、和寧国民軍・石蘇同盟軍は上陸作戦を展開した。 また、「偽萬和」政府に対しゲリラ戦を展開していた和寧解放統一戦線義勇軍と合流に成功、在石和寧と本土同胞の再会を涙を流して喜び合った。 (和寧解放統一戦線義勇軍) そして、「偽萬和」内部でクーデターが発生、国外逃亡を図ろうとした朱義清議長以下政府首脳が拘束され、同盟軍との停戦に応じた。 いざなみ講和会議http://tanstafl.sakura.ne.jp/modules/d3forum/index.php?topic_id=547#post_id9890 いざなみ講和会議の結果、「偽萬和」は解体され萬州・中夏それぞれの自治政府に移行、幹半島には和寧第二帝国として復僻を果たした。 【英雄】伊坂元帥の転生か!霊将李舜姫提督 (李舜姫提督) 今戦役において大活躍し祖国解放に貢献した英雄を紹介する。 李舜姫提督は海軍兵学校を首席卒業し石動海軍軍人として忠実に任務に務めていた。 故国の危機に提督は本土反攻戦に志願、「偽萬和」艦隊を文字通り殲滅し、上陸作戦を成功へ導いた。 新生和寧第二帝国政府は新国家の海軍に提督の移籍を要請し、石動政府との間で協議が行われている。 | ||
4月 12 (火曜日) 2016 | ||
萬州・和寧民主共和国の正体とは | 23:02 | |
638年7月5日、我々和寧民族の故郷である幹半島に新政権が出現した。 「萬州・和寧民主共和国」(萬和国)である。 634年に旧中夏の東北部、萬州を統一して成立した萬州民主共和国は638年7月に旧和寧の民衆の支持を受けて統合を宣言し「萬州・和寧民主共和国」となった。 616年10月に和寧本土を放棄して以来、石動に移住した旧和寧国民は「在石動和寧国民団」(和寧民団)を結成し朴枖原陛下を中心にまとまり石動社会と協調しつつ幹文化の維持に努めてきた。 故国に出現した新政権に対し、民団や弊紙は接触を試みたが萬和国は外国人の入国を極端に制限する鎖国主義を取っており、同胞であるはずの在石和寧人の我々は入国を拒否されていた。 進む開発の裏で暴動の嵐 近年、萬和国は諸国の支援によって港湾やウラン鉱を整え、燃料輸出で急速な経済成長を遂げている。 しかし、同国では連日のように暴動が発生し、人民が蜂起しており、軍事力で鎮圧している。 それでも抑えられず、同国は外国勢力の支援を受けて反乱を鎮圧している。 萬和政権の正体 萬和国では厳しい報道管制が敷かれているため詳細な情報は不明だが、ある中夏人事情通によると萬和国の首脳は、旧中夏人民共和国や旧香麗民主連邦政府・軍関係者、マフィア、匪賊、海賊であるという。 フリューゲル暦22987期638年7月5日、萬州民主共和国国民評議会は旧和寧国民の要請を受けて、幹半島の安定のため編入を承認。ここに萬州・和寧民主共和国として改めて一歩を踏み出すことを宣言する。 萬州・和寧民主共和国国民評議会議長 朱義清 我々、幹民族は東方の平和と安定に尽くす萬州民主共和国に運命を委ね、共に歩んでいくことを宣言する。 京畿道自治委員会委員長 全三成 建国宣言に登場する朱義清氏は元中夏軍人、全三成氏は暴力団頭領とされている。 在石和寧同胞と国際社会は、萬和政権の正体を見極める必要があるだろう。 | ||
5月 28 (木曜日) 2015 | ||
【慶祝】燕海君皇帝、有子・アルヴィドソン女史、正式な婚礼の儀へ | 22:15 | |
紹和10年(594年)3月5日、燕海君皇帝陛下(47)と事実婚状態にあった有子・アルヴィドソン女史()が本年7月中旬に正式な婚礼の儀を挙げられることが明らかになった。 陛下と女史は、レゴリス帝国大学政治学部の御学友で、卒業後は暫定的に帝国大学政治学部教授のエミーリエ・レゴリス女史の元で助教として研究活動を続けておられた。 その後、584年の北幹動乱により先帝陛下、先皇太子殿下が拉致された際に、鄭俊雄維新政権の要請を受けて帰国し皇位を継承された。 北幹との戦争や、ノイエクルスの干渉戦争、戦後復興の陣頭指揮を執られた陛下は「形式に拘って臣民に負担を強いることは忍びない。婚礼はなくとも愛は示すことができる。」と正式な婚礼を執り行うことはなかった。 しかし、復興も進み、石動第三帝国の協力で「高度工業国家建設計画」が成功した現在、「『両陛下』が正式な婚礼をされていないことは、礼儀の国和寧らしくない。」との政府・市井・礼学者の声を受けて、婚礼の儀実施を決意された。 ※出席希望国は大和寧帝国の通信欄まで 【政治】和寧労働党党大会に燕海君陛下が御出座し 594年4月24日に開催された和寧労働党党大会に燕海君陛下が御出座しになられた。 和寧労働党は旧香麗労働党穏健派(非崔氏派)と大幹社会党右派(非盧文鉉派)が統合して成立した党で、与党の皇道政党・維新に対する最大の野党勢力である。 一方、同党は成立の過程で主流派の崔一族や盧文鉉派を潰滅させた際、燕海君陛下の勅命を受けて行動していた太極会の高桜誠会長の協力を受けていた。 今回は燕海君陛下のサプライズで、労働歌斉唱の後突如観衆の中から登場し、登壇した陛下の姿に驚きの声が上がった。 陛下は「和寧の労働者は皇国を支える一番の功労者である。」と勅語を発せられ、労働党員は「人民を労わる聖天子陛下万歳!」と返した。 【治安】旧「香麗民主連邦」勢力蜂起 旧北幹勢力による暴動・テロが頻発している。 北幹勢力は、崔一族の生き残り、崔崇徳を擁立して北幹再建を目論んでいるほか、隣国の中夏人民共和国の支援を受けているとされている。 ターン21357:大和寧帝國で発生した大規模な暴動を軍が鎮圧し政府の権威が回復しました。この暴動で1029890億Vaの経済的損失が発生しました。 ターン21370:石動第三帝国が大和寧帝國(12,6)地点に向けて15発のSPPミサイル発射を行いました。(有効6発/怪獣命中5発/怪獣無効0発/防衛0発/無効9発) ターン21370:-(12, 6)の反乱軍に命中、規模が減少しました。 【国際】佐貫荘(旧吉備皇国自治領)、嘉川道として石動政府施政下へ 【国際】スコッチランド王国で社会主義革命 龍鮮日報 紹和10年(594年)4月号 | ||
5月 04 (月曜日) 2015 | ||
【社会】統一から4年 ほか | 22:12 | |
紹和6年(590年)、大和寧帝國は祖国統一から4年を迎えた。 統一前の旧北幹地域は崔氏政権による圧政によって人民は貧困に苦しんでいた。 (人民を虐げる旧北幹労働党) しかし、至尊なる皇帝陛下の威光の下、同地は復興を遂げ、北和寧同胞は旧南幹国民同様の生活水準にまで達した。 (南幹と変わらぬ北幹の街並み) 【政治】全土統一選挙実施 旧大幹帝国時代、584年の木槿会の維新以来、鄭俊雄首相率いる維新政府が南和寧地域を統治してきた。 586年の統一宣言後は皇帝陛下の下、鄭俊雄首相が南和寧政府代表、尹明燁委員長が北和寧政府代表を務める一国二制度が続いていた。 しかし、北和寧地域の再建が進み、南北間の経済格差縮小を受けて南北政府・議会は統一に合意した。 また、香麗労働党は和寧労働党と改称し、木槿会は皇道政党・維新として政党化された。 590年2月27日に実施された選挙の投票率は85.7%と統一和寧国民の意識の高さが伺える。 全土統一選挙結果 (490年と表記されていますが、590年の誤りです。) (南北統一に伴い、議席は500に拡大された) 皇道政党・維新、愛国派連合、和寧国家社会党の右派間で連立合意が成立し、29日、鄭俊雄代表が統一和寧首相に就任した。 【文化】鄭俊雄首相、「壌平万博」開催計画を発表 3月3日、鄭俊雄首相は「第三回フリューゲル商工博覧会壌平大会」開催計画を明らかにした。 万博構想自体は、「フリューゲル五輪」と並ぶ国民民主連合の丁純憲元首相が提唱した全フリューゲル的文化事業だったが、石動情勢悪化や社会党政権成立とその後の戦乱のために頓挫していた。 (実行に移せたのは「仁河スポーツ大会」のみ) 鄭首相は、「今回の博覧会を和寧復興と全フリューゲル平和の象徴と位置付けたい。」と語った。 また、かつてルーシェベルギアス公国(現成蘭連邦王国領)で二回開催された「フリューゲル商工博覧会」の伝統を受け継ぎ「第三回」と号した。 政府は国内外に広く協賛を呼び掛ける方針。 【国際】アルドラド帝国国土荒廃問題 皇帝陛下「彼の国の為政者は愚劣の極み。民が不憫でならぬ。」 --------------------------------------------------------------------- | ||
4月 08 (水曜日) 2015 | ||
龍鮮半島統一準備政府解散他 | 02:30 | |
香麗民主連邦とノイエクルス連邦間で批准された講和条約に従い、龍鮮半島統一準備政府は解体された。 統一政府の下に組織されていた「統一龍鮮軍」も解散され、旧人民軍は北幹地域まで撤収し、幹国防衛隊も北幹地域から撤退した。 【講和条約】 第1条 ノイエクルス連邦及び香麗民主連邦は互いにおける戦争状態が終結したことを宣言する。 第2条 両国政府は互いに戦争被害に対する賠償請求権を放棄する。 第3条 龍鮮半島統一準備政府は解散し、香麗民主連邦及び大韓帝国はそれぞれの主権を回復する。 第4条 香麗民主連邦が軍事占領下においた全ての大幹帝国領土は大韓帝国に帰属する。 第5条 香麗民主連邦軍は武装解除の上、遅滞なく大韓帝国領域から撤退する。 第6条 地域における平和秩序維持のため、香麗民主連邦はその軍備を大韓帝国に認められた規模と同規模まで縮小する。 第7条 香麗民主連邦による侵略行為をきっかけとして損なわれた大韓帝国財産は全て香麗民主連邦により弁済される。 第8条 ノイエクルス連邦は統一交渉が平和的かつ大韓帝国の外交政策に変更が生じない限りにおいて香麗民主連邦と大韓帝国の統一に向けた意思を尊重する。 第9条 本講和条約は批准されなければならない。批准書は可能な限り速やかに京城において交換されるものとする。 【防衛】燕海君大領帥陛下、旧北幹人民軍人を大粛清? 585年6月某日、旧北幹人民軍人3万人以上が処刑されたとの情報が入った。 北幹人民軍系の将校らは統一龍鮮軍組織後の光復戦争において、ノイエクルスへ向けて香麗政府が保有していた化学兵器の使用を計画し、防衛隊系将校らがこれに気付き未然に防止したという事件があった。 この時、大領帥陛下は戦線の足並みを乱す北幹人に激怒なされたと言われている。 風説では北幹軍人の処刑は燕海君陛下の勅令と噂されているが真偽は定かではない。 【国際】石動第三帝国、孝寧院陛下・足利尊子前将軍殿下ご薨去 585年8月21日、孝寧君太上皇婿陛下が胃ガンによりご薨去、25日、足利尊子前将軍殿下が原因不明の腫瘍によりご薨去された。 考寧院陛下は今上皇帝燕海君陛下の従祖伯父にあたり、幹国皇室の咸州朴氏の最長老でもあらせられた。 石動に行かれた後も幹国皇室と石動皇室の親善の架け橋として御活躍なされていました。 また、足利将軍殿下は在幹石動人を率いて北条政権から祖国を取り戻し、南北朝の動乱を幹国と共に戦い抜いた女傑として我が国では、高野直元総統と並び讃えられる石動人であった。 幹国政府は七日間の服喪を発表し、また、皇族会議は足利尊子大君殿下に正一品の位階の授与を決定された。 9月下旬の御大喪の礼には幹国皇帝・咸州朴氏当主として燕海君陛下が鄭俊雄首相、高桜誠太極会長を伴い参列なされます。 --------------------------------------------------------------------------------------------------------- | ||
3月 22 (日曜日) 2015 | ||
【防衛】精鋭防衛隊、北幹軍に果敢な反撃 | 12:22 | |
ターン20977:大幹帝国が大幹帝国(8,9)地点に向けて10発のSPPミサイル発射を行いました。(有効10発/怪獣命中0発/怪獣無効0発/防衛0発/無効0発) ターン20977:-(8, 9)の首都に命中、規模が減少しました。 ターン20977:-(8, 9)の首都に命中、規模が減少しました。 ターン20977:-(8, 9)の首都に命中、規模が減少しました。 ターン20977:-(8, 9)の首都に命中、規模が減少しました。 ターン20977:-(8, 9)の首都に命中、規模が減少しました。 ターン20977:-(8, 9)の首都に命中、規模が減少しました。 ターン20977:-(8, 9)の首都に命中、規模が減少しました。 ターン20977:-(8, 9)の首都に命中、規模が減少しました。 ターン20977:-(8, 9)の首都に命中、規模が減少しました。 ターン20977:-(8, 9)の首都に命中、規模が減少しました。 ターン20977:今期の工業生産高:75170億Va,今期の商業売上高1760億Va ================[↑フリューゲル暦 20977期582年 9月初旬↑]=================== 北幹軍は9月7日、京城に大規模な空襲を仕掛け、航空防衛隊奮戦するも多大な被害を受けた。 北幹軍の9月7日京城空襲は航空防衛隊の反撃によって阻止された。 石動へ向かった防衛隊は9月12日に釜海港へ帰投したが、北幹工作員と共産主義者のテロによって司令官の南兎命陸防次将が戦死し、幕僚防衛官多数が死傷したため、京城への移動が進んでいなかった。 9月12日に石動戦線から帰投した防衛隊は漸次、京城へ向かって帰投しつつあり、反撃体制の確立は近いものとみられる。 政府報道官は記者会見で「南北境界の要塞線は鉄壁であり問題ない。京城市民は安心して生業に勤めましょう。」と述べた。 (12月現在の戦線 黒:南北境界線 赤:北幹軍進出線 青:水源) 12月に入ると北幹空軍の襲来は激化の一途を辿り、前線から伝わる噂によれば、要塞線は陥落間近と言われ、苦戦を強いられている模様である。 戦争開始から半年を経た現在も、防衛隊は敵の猛攻を斥け、果敢な反撃を行っている。 一部、北幹軍に占領された地域も存在するも、奪回の時は近い。 政府は京城を放棄し、水源への遷都の用意を進めている。 政府は断固として京城を死守すると宣言した。 また、皇室・両班は水源への避難を終えており、一部政府機能も空襲とテロに備えるため漸次、水源へ移動している。 ------------------------------------------------------------------------- 龍鮮日報 第七十四号 世寧23年(582年)12月5日発行 有事検閲済み | ||
3月 19 (木曜日) 2015 | ||
【国際】盧文鉉首相の暴走外交に反抗を! | 22:25 | |
582年4月20日、幹国は石動第三帝国に対し宣戦布告した。 これに対し、保守の重鎮、太極会会長の高桜誠氏は「慮政権は幹国の国際的信用を地に落とし、友邦石動と遠く離れる結果を招いた。」と強く批判。また、首相官邸前では連日、反戦・反慮政権デモが行われている。 龍鮮日報が行ったアンケートの結果は、「慮政権を支持する。」が24%、「支持しない。」が68%であった。 国民の大半は伝統的な友好国である石動との戦争を望んでおらず、国際社会と民意を無視した暴走外交に反抗の意志を示している。 【防衛】防衛隊、釜海へ集結 慮首相の動員命令により、国境守護帥以外の陸防部隊の大半が釜海港に集結している。海防・空防の部隊も石動攻撃の準備の為、蔡洲島へ移動している。 ---------------------------------------------------------------------- 龍鮮日報 第七十三号 世寧23年(582年)4月25日発行 | ||
3月 11 (水曜日) 2015 | ||
【防衛】防衛隊石動守護帥の撤収を指示ほか | 23:33 | |
580年11月12日、盧文鉉首相は「OTO脱退を表明した石動第三帝国は既に同盟国ではない。守ってやる義理は無い。」と発言し、石動守護帥に対して撤収を指示した。 石動守護帥総司令の朴俊樹陸防一将は「命令に従い撤収に取り掛かる。」と宣言したが、守護帥の防衛官の中には困惑も広がっている。 特に石動動乱において幾多の活躍を繰り広げてきたエーリカ・チェガル(諸葛)・クレッチュマン海防佐補は「この命令だけは聞けません。」と発言し、李純臣海防一将から訓告を受けた。 【国際】石動第三帝国への商品輸出停止。経済制裁開始 商工院交易管理庁は11月を以てCAME諸国による石動第三帝国への共同声明に基づき、石動への商品輸出を停止した。また、民間企業に対しても石動との取引を禁止する措置への遵守を命じた。 【防衛】盧首相「石動・レゲロへの防衛力行使も辞さず。」 盧文鉉首相は17日の常民院本会議場にて「幹国と友邦(ノ連邦)に対する脅威には防衛力をもって対処することも辞さなければならない。」と述べ、防衛隊に対し有事体制に対応できる準備を命じた。 陸上防衛隊の安秀一幕僚長は「防衛隊は石動諸島の地理を隅々まで把握している。またレゲロについても議政府情報部の報告によれば軍備は小規模で訓練は不十分と見られ、精鋭防衛隊の敵ではない。」と発言し、衛務院報道官も記者会見で「幹国は戦争を望まないが、脅威が迫ればこれを排除する。」と宣言した。 【社会】創正学会の田城聖会長死去 580年10月2日、新宗教創正学会の田城聖会長か死去した。 創正学会は正教や礼教、仏教、幹国の伝統信仰を複合した教義を掲げ現在では約500万人の信徒を有し、公正党を通して政界にも一定の影響力を誇っている。 また、石動・秋津・中夏・神桜・昭栄・成蘭・ノ連邦・レゴリス・ストリーダ・ティユリア・クシミニャール・ガトーヴィチ・アリア・タヂカラオに支部があり、世界全体で約800万人~1000万人の信徒を有しているとされる。(公称は1200万人) 新会長には青年部を率いる成中作氏が就任した。 【宣伝】卓論 900Va 「幹国は石動との絆を失ってはならない。」寄稿 高桜誠太極会総裁・在幹利権を認めない市民の会会長 --------------------------------------------------------------------------- 龍鮮日報 第七十二号 世寧21年(580年)11月18日発行 | ||
3月 10 (火曜日) 2015 | ||
【政治】政権交代!盧文鉉社会党委員長、首相就任 | 01:22 | |
578年10月9日、尹阜善内閣はノイエクルス連邦と石動第三帝国の和解に向けた協議が決裂したことを受けて総辞職し、首相は常民院を解散した。 今回の総選挙は伝統的な友好国であるノイエクルスと石動のどちらを支持するのか、CAME体制の是非が問われ、左右両陣営が入り乱れる幹国政治史上最も激し選挙戦が繰り広げられた。 (イメージ映像) 親ノイエクルスの右派団体と左派団体が共闘する場面も見られ、今回のCAME内紛は従来の左右対立的な政治観では推し量れない問題であった。 【編集部解説】 幹国の右派と左派の種類と特徴 右派 伝統右翼:礼教的価値観と皇室への忠誠を第一としている。 対外的には親ノイエクルス・親石動で、今回の問題では両国の和解を目指すべきだと主張していた。 革新右翼:ファシズム・国家社会主義を掲げる。 対外的には親石動で、今回の問題では石動に同調し、CAME脱退を主張していた。 伝統保守:体制維持を掲げている。 対外的には親ノイエクルスで、今回の問題では石動からの撤兵と経済制裁を主張していた。 行動保守:体制改革を掲げている。 対外的には親石動で、今回の問題では石動に同調し、CAME脱退を主張していた。 左派 穏健共産主義:緩やかな社会改革を掲げ、北幹やレゲロのような急進的な共産国には反対している。 対外的には親ノイエクルスで、CAME体制維持を主張していた。 過激共産主義:急進的な革命を掲げ、北幹との和解、急進共産国との国交開設を要求している。 対外的には、反ノイエクルス・反石動で、以前からCAME脱退を主張していた。 社会民主主義:穏健共産主義者とほぼ同じ主張。 民主社会主義:強硬な反共主義を掲げ、右翼団体との共闘が多い。 対外的には親石動で、石動擁護とCAME脱退を主張していた。 選挙結果 尹首相退陣後、国民民主連合は解散し、新党が複数誕生した。 【各党の党首と主張】 国民民主党(丁純憲代表):国民民主連合主流派。CAME体制維持・石動制裁反対 愛国派連合(姜明守・金孝一共同代表):CAME体制反対・石動制裁反対 大幹社会党(盧文鉉中央執行委員長):&font(Red){CAME体制維持・石動制裁}; 公正党(朴武法代表):&font(Red){CAME体制維持・石動制裁}; 社会民主党(李陽香書記長):国民民主連合社会民主主義派。&font(Red){CAME体制維持・石動制裁}; 平和革命党(高三成代表):国民民主連合穏健共産主義派。&font(Red){CAME体制維持・石動制裁}; 社会革新連合(金友元代表):&font(Red){CAME体制維持・石動制裁}; 皇民党(朴英司総裁):国民民主連合伝統右派。&font(Red){CAME体制維持・石動制裁}; 祆教民主党(韓玉侏代表):CAME体制維持・石動制裁反対 急進改革同盟(呉祥賢主席):CAME体制反対・石動制裁反対 民主社会党(金忠一総裁):国民民主連合民主社会主義派。CAME体制反対・石動制裁反対 11月2日の開票後、最大政党に躍り出た大幹社会党は「CAME体制維持・石動制裁」の主張を中心に連立協議を重ね、11月9日盧文鉉委員長が第12代議政府総理大臣に就任した。 【政治】盧文鉉首相施政方針 慮文鉉首相は11月10日の施政方針演説で以下の方針を示した。 ・CAME体制維持徹底 ・対石動経済制裁 ・対レゲロ武力制裁検討 ・域外貿易見直し これに対し、愛国派連合や急進改革同盟の一部議員は「ノイエクルスへの事大主義、幹国の自主性が無い。」と批判している。 ----------------------------------------------------------------------------------------- 龍鮮日報 第七十一号 世寧19年(578年)11月5日発行 | ||
2月 17 (火曜日) 2015 | ||
【政治】挙国一致内閣総辞職! 尹阜善公爵に大命降下 | 00:56 | |
576年6月14日、丁純憲挙国一致内閣が総辞職した。 丁内閣は石動内乱における「北朝三皇族拉致事件」を無事解決し、内乱鎮撫の目途を付けることが出来た。その後も挙国一致体制は石動本土の南朝勢力を根絶するまで継続する方針であったが、石動~ノイエクルス間の交易紛争から、石動政府がノイエクルス自由国大使のペルソナノングラータ通達するに至った事態を受けて各党が対立状態に陥り、体制瓦解が表面化した。 ・CAME体制維持しながらも域外との交流も図ろうとする国民民主連合 ・CAME遵守で幹石枢軸時代からの関係を重視する愛国派連合(愛国行動党・幹民族統一党) ・脱CAME・反ノイエクルス・反石動の大幹社会党 上記の三派の対立により挙国一致連立体制が崩壊した結果、常民院の勢力は571年6月の状態に戻った。 丁首相の後任の第11代議政府総理大臣には皇帝陛下の大命降下により両班院議員の尹阜善公爵が選出された。 第一党で過半数を確保している国民民主連合であったが、連合内部は親ノイエクルス派と親石動派、CAME派と脱CAME派の対立で一枚岩ではなく首相選出は難航を極めた。 そこで、元老の丁純憲氏と中川英憲氏は両班院議員の尹阜善公爵を担ぎ上げることで「国内各論の融和」を図ることを企図したと見られる。 【編集部解説】 「大命降下」 皇帝陛下の勅命による首相任命。過去の例は初代議政府総理大臣の李大尊と大戦後自決した姜英哲元総理の代行の金幸徳の2名。 「元老」 元首相・元両班院、常民院議長・元大法院長から構成される、国政の助言者。 尹首相は所信表明で「ノイエクルスと石動は共に先の大戦の戦友であり、大切な同盟国であり最高の友好国であります。幹国が間に立って円満な解決と凋落著しいCAMEの中興を期すために全力を尽くす所存です。」と述べた。 【宣伝】卓論「CAMEと幹石枢軸は車の両輪」900Va 「CAMEと石動との同盟は幹国にとって欠かせないもので、両方を維持する必要がある。」 --------------------------------------------------------------------------------------------------------------- 龍鮮日報 第七十号 世寧17年(572年)6月15日発行 | ||
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