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大明國報 | ||
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2月 09 (土曜日) 2013 | ||
華夏難民受け入れ | 09:19 | |
454年年末から隣国、華夏人民共和国の統治状況悪化により1千万人以上が国外脱出する事態となった。 すでに華夏東北部(萬州地方)より数十万人が龍華国境線の緑鴨江(りょくおうこう)を渡り我が国に亡命 している。陛下は議政府に華夏人の保護を命じられ、軍、警察主導で仮設住宅が設置された。 外交院は普欧帝国と連携して問題に対処する方針を示した。 また、難民に紛れて諜報員・工作員が入国することを防ぐため、国境線には陸軍4個師団と警察機動隊2 万人が配置された。 李大尊議政府総理大臣は華夏人民共和国政府の再建後も、難民の受け入れを続けると宣言した。 【国政】常民院選挙は今年11月に予定通り実施 【社会】万国祆教統一神霊協会の信者10万人越え | ||
1月 14 (月曜日) 2013 | ||
政府の福祉政策 世界終末論 | 09:15 | |
【国立丹君記念公園・京城家族遊園地建設】 議政府は普欧帝国の提言を受けて臣民の幸福度向上のため福祉政策を打ち出しました。 民族の心の故郷である百頭山麓の丹君廟に「国立丹君記念公園」を建設し、龍鮮建国の地を歴史公園として整備しました。 また京城に我が国初の遊園地である「京城家族遊園地」を建設し、娯楽施設を充実しました。しかし、伝統的礼教(儒教)価値観を重んじる礼学者からは「先進国の価値観に押されて、龍鮮の精神文化を汚染しかねない遊園地には断固反対である。」と強く反発されています。 【年金・社会保障制度導入】 議政府は退職高齢者に対する年金制度を導入しました。これは普欧帝国に留学経験があり、先進国の社会制度に精通する祖国貢献党党首の尹明策副首相により提唱され、退職者は平均月収の3分の2の年金を支給されることになりました。 【世界終末論】 友好国である天津飯帝国・大神連邦王国が相次いで滅亡したことにより世界各地で終末論が囁かれ、我が国でも社会不安が高まっていました。李大尊議政府総理大臣は「ウリナラは丹君様に守られている、滅びることはない。また、この手の終末論には何の根拠もない。」と終末論を否定し、公の場での終末論流布の取り締まりを指示しました。 また、国王陛下の命により両国の難民の保護が始められ、京城・太邱・釜海・壌平などの都市に難民居住区が設けられました。 | ||
12月 29 (土曜日) 2012 | ||
龍鮮王国憲法発布 内閣制度への移行 | 07:40 | |
朴安哲王4年(448年)3月1日 龍鮮王国憲法が発布されました。 本憲法はかつて近隣に存在した君主権の強い秋津皇国憲法を参考に制定されました。憲法は以下の十章にて構成されます。 第一章 国体 第二章 王室 第三章 王国議会 第四章 内閣制 第五章 臣民権利義務 第六章 国軍 第七章 司法 第八章 会計 第九章 地方自治 第十章 改正補足 また、香麗王朝の官制度であった議政制度を廃止し諸国に倣った内閣制度が導入され、首相は議会より指名され国王陛下により任命されることとなりました。議会選挙までは李大尊領議政が臨時首相を務めます。 王国議会は勅選の両班院と民選の常民院の二院制となりました。常民院選挙は朴安哲王11年(455年)11月に行われます。 | ||
12月 08 (土曜日) 2012 | ||
朴成秀国王陛下崩御 蔡洲問題 | 08:39 | |
444年4月17日 我が龍鮮王国の至尊なる朴成秀国王陛下が崩御された。享年60廟号は「太祖」と追尊されました。「戦乱の龍鮮半島を統一された英雄は龍鮮の未来に思いを馳せながら、がんによる無念な死を遂げられました。陛下の最後のお言葉は「余の愛する大龍鮮国が永遠に他国に支配されず、平和を保ち、栄えることを望む。」でした。龍鮮は和寧王朝~香麗王朝~秋津植民地時代~中夏植民地時代と他国に従属・支配されていました。陛下は「龍鮮の属国の歴史を終わらせる。」と述べ、統一戦争では他国の力を借りず独力で統一されました。この偉大な功績を龍鮮人は永遠に忘れないでしょう。朴成秀国王陛下万歳! 蔡洲独立問題 太祖陛下が統一された龍鮮は統一10年を迎えない内に、再び分裂してしまいました。蔡洲島が蔡洲共和国として独立を宣言したのです。そもそも、蔡洲島は香麗王朝4代元宗時代の215年、元宗の命を受けた鄭明燁(チョン・ミョンヨプ)将軍により征服された我が国固有の領土であります。 蔡洲共和国は王国政府の圧政に抵抗し、独立をしたと主張しています。議政府は帰属を求めましたが、蔡洲共和国の提示した帰属の条件は、 ①民主化 ②龍鮮労働党の追放措置の解除 ③蔡洲島の高度な自治 であり、現在議政府を挙げて検討されています。 | ||
11月 26 (月曜日) 2012 | ||
首都「京城」再建と統一10周年に向けて | 20:07 | |
441年12月 龍鮮王国首都「京城」が再建されました。京城はフリューゲルに龍鮮民族が定住した時代より我が国の首都であり民族の誇りでありました、387年の中夏民国滅亡後無政府状態となった龍鮮はいくつもの国に分かれ内乱となり京城も荒れ果ててしまっていました。 朴成秀(パク・ソンス)国王陛下が龍鮮を統一され、平和を取戻し、ついに京城が再建されました。これは、龍鮮の新時代の幕開けであります。 444年6月には統一10周年を迎えます。陛下は10周年に向けて世界に冠たる国家の建設を臣民に約束なされました。 普欧帝国へ ウラン鉱山が開発され我が国が燃料生産国へと成長できたのは普欧帝国のご支援のおかげであります。あらためて感謝を表明します。 国際 共産国家・オストマルク民主連邦の建国に警戒し李策明(イ・チェクミョン)率いる龍鮮労働党に国外追放処分を下しました。 | ||
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