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大明國報  
6月 27 (月曜日) 2016
660年までの主要ニュース 22:43   
【経済】レゴリス帝国による和寧第二帝国に於ける石油資源開発ODA協定締結

657年4月3日、レゴリス帝国の提案による石油資源開発ODA協定が締結された。

国際社会では石油産出国が不足しており、秋津海・東中夏海の石油資源に対する注目が高まっていた。



レゴリス帝国による和寧第二帝国に於ける石油資源開発ODA協定



第1条

 レゴリス帝国並びに和寧第二帝国は下記の条項を履行する義務を負うものとする。

第2条

 レゴリス帝国は和寧第二帝国へ資金10兆Va及び鋼鉄2000万トンを援助する。

第3条

 和寧第二帝国は第2条によるレゴリス帝国からの援助物資の到着を確認次第、

速やかに深海探査船を4隻建造し、海底油田の探査を行うものとする。 

 第1項

  和寧第二帝国は深海探査船を4隻建造した後、その隻数を維持する。座礁などによって使用不可になった場合は余剰援助分を用いて代替船を建造する。

 第2項

  深海探査船建造後に発生する余剰援助分は深海探査船が座礁などによって使用不可になった際に代替船の調達に用いるものであり、この他の用途に用いることを認めない。

第4条

 海底油田が発見され次第、レゴリス帝国は油田整備の為に資金9兆Va及び建材4500万トンを援助する。

 第1項

  和寧第二帝国は第4条によるレゴリス帝国からの援助物資の到着を確認次第、速やかに油田整備を行い、油田Lvを10にするものとする。

 第2項

  初回以降の油田整備については、油田Lvが5以上の海底油田が発見された場合に限るものとする。尚、油田Lvに応じて援助物資の量は変動するものとする。

第5条

 本協定が有効である限り、和寧第二帝国はレゴリス帝国に対して、石油輸出先の優先的顧客としての権利を認めるものとする。

第6条

 本協定の有効期限は最初の油田が発見されてから20年とする。



【訃報】尚徳君枖原陛下崩御、「光祖」と追尊

658年10月9日、尚徳君朴枖原(パク・ヨウォン)皇帝陛下が急性の胃ガンにより崩御なされた。

陛下は、大和寧帝国崩壊後脱出に成功した皇族の中で一番皇統に近く臣下より即位を懇願された。

天朝開闢以来はじめての「女帝」に異論も噴出したが、永年の友邦石動の女系文化の影響もあり、当時の皇族最長老の承和君殿下(故人)の英断により即位された。

以来、石動社会との交流行事や和寧文化イベントに積極的に携わり、在石動和寧人の心の支柱として尊敬を集められた。



648年の「偽萬和動乱」では萬州・和寧民主共和国征伐の勅令を発し、遂に祖国回復へ導かれた。

その後は国土復興を鼓舞し、和寧同胞のみならず、多くの萬州人・中夏人・檬古人・越楠人が陛下の徳を慕って帰順することとなった。



和寧国民及び、東方同胞はこの悲しみを乗り越え、泰平の世を建設せねばならない。



皇太姫永華公主殿下即位、新元号は「洪楽」





658年10月16日、皇太姫永華公主殿下が即位なされた。

新元号は「洪楽」(楽しさが洪れる世)となった。



【慶祝】大明帝國建国



いざなみ条約失効により中夏・萬州・檬古自治区の処遇が和寧第二帝国政府に一任されることとなった。

全自治区では「和寧順民」の旗を掲げる民衆が行進を行い、和寧による併合を嘆願していた。



洪楽君陛下は勅令で住民投票を指示された。

結果、圧倒的な支持により中夏・萬州・檬古は和寧へ併合された。



洪楽君陛下は慶事に際して、新国号の制定をお命じになられた。

新国号は地球時代の「明王朝」に倣い、「大明」に決定された。



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4月 18 (月曜日) 2016
石動・スコッチランド同盟、偽萬和征伐を断行! 和寧国民軍編成成る。 22:38   
信頼できる情報筋と民団による調査の結果、我が民族の故郷幹半島及び中夏大陸を支配する萬州・和寧民主共和国(「偽萬和」)は軍閥・マフィアの集合体であることが判明した。















その「偽萬和」は身の程知らずにも石動第三帝国に対し国交と我が皇帝陛下の「帰還」を要求した。

民団は直ちに石動政府に連絡し、萬和の実態・皇帝陛下の御意志を伝えた。

また、「偽萬和」国内で解放闘争を展開していた和寧解放統一戦線義勇軍の命がけの連絡により「偽萬和」の正体は明らかとなった。



石動第三帝国・スコッチランド共産主義者同盟は寛大な勧告を行ったが、「偽萬和」はこれを拒否した。



 萬州・和寧民主共和国(以下萬和政府と称す)は平和裏の統一国家とは名ばかりの軍閥による諸地域武力侵略により形成された国土であり、この支配下にある和寧人・中夏人・萬州人は同国政府による抑圧下にある。これは同国支配地域における抵抗運動を続ける和寧解放統一戦線義勇軍の訴えからも明らかであり、石蘇同盟はかかる事態を看過することは国際的道義に悖る行為であると認識し、同地域住民の幸福と安寧の為にも萬州・和寧民主共和国に対し以下の要求を行う。この要求を萬和政府がフリューゲル歴648年2月初旬までに承引しない場合、石蘇同盟は同地域を武力を以て抑圧から解放することも辞さない。



一、萬和政府は和寧地域の主権を放棄し、在石動和寧国民団により同地域に大和寧帝国正統後継政府を建設することを承引すべし。

二、萬和政府は和寧地域を除く実行支配地域を萬州人居留地域・中夏人居留地域に分割し、それぞれ別個の自治政府を建設する。

三、二の要求に於いて建設された自治政府は石蘇同盟ならびに大和寧帝国後継政府三国から十年間の軍政指導を受ける。十年後の進退については大和寧帝国後継政府に一任される。



本声明は647年10月5日、石動第三帝国山岡府室満京市中央区公方府にて採択、公示された。



スコッチランド共産主義同盟



革命評議会常任幹部会議長チャールズ・スペンサー・ブラウン



石動第三帝国



源正二位征夷大将軍足利左馬滿子(花押)






事ここに至り、遂に石蘇同盟は軍閥国家「偽萬和」に対し宣戦を布告した。



石蘇同盟二国は在石動和寧国民団並びに和寧解放戦線義勇軍の告発により、現在萬州・和寧地域を実効支配する萬州・和寧民主共和国(以下、萬和政府と呼称)が武力により諸地域を併合し諸民族弾圧を行っているという事実を察知するに至った。然るに我が石蘇同盟二国は当問題の平和的かつ理想的解決のために、民族自決の精神に則り、国際定道義に外れぬ様に、萬和政府に対し三か条の勧告を行ったが、遺憾ながら萬和政府は既に明らかになっている事実を認めようとせず、かの勧告を拒絶した。ここに於いて我が石蘇同盟二国は、当問題の解決の為には、諸民族を弾圧し民衆の抑圧を改めようとせぬ萬和政府を武力により打倒する他、手段は残されていないと確信するに至った。よって我が石蘇同盟石動第三帝国・スコッチランド共産主義同盟二国は、萬和政府に対し、フリューゲル歴648年1月8日を以て宣戦を布告する。また勝敗が目に見えて明らかであることから、石蘇同盟は本戦争の講和条件として、以下を提示する。萬和政府が以下の条件を承引して初めて、戦闘は停止する。



一、萬和政府は和寧地域の主権を放棄し、在石動和寧国民団により同地域に大和寧帝国正統後継政府を建設することを承引すべし。

二、萬和政府は和寧地域を除く実行支配地域を萬州人居留地域・中夏人居留地域に分割し、それぞれ別個の自治政府を建設。これを以て萬和政府は解体とする。

三、二の要求に於いて建設された自治政府は石蘇同盟ならびに大和寧帝国後継政府三国から十年間の軍政指導を受ける。十年後の進退については大和寧帝国後継政府に一任される。



 また本戦争は民衆を抑圧する悪辣なる萬和政府の打倒こそがその本意である。よって我が石蘇同盟軍は萬和政府実効支配地域に於いて、以下の施設以外への攻撃は行わないことを明言する。



一、ミサイル基地ないし防衛施設等の軍事施設。

二、上記に偽装した可能性のある森林。

三、軍事工場。

四、議事堂等萬和政府の中枢機関。



宣戦布告 23329期(現実時間4月15日11時24分)



戦闘開始 23337期(現実時間4月16日16時00分)



スコッチランド共産主義同盟



 革命評議会常任幹部会議長

 

 チャールズ・スペンサー・ブラウン



 外務人民委員



 エレン・ベーカー



石動第三帝国



 皇帝



 烏帽子宮(御璽)




和寧民団は広く義勇兵を募り、20万人の和寧国民軍が編成された。









和寧国民軍の指揮は文武両道に通じる皇太姫・永華公主殿下が取られることとなり、我が軍の士気は大いに高まった。





(皇太姫・朴永華公主殿下)
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10月 15 (木曜日) 2015
和寧国政府より最終放送 00:58   
全和寧国民並びに諸国の友人たちに最後の放送を行う。



和寧政府は10数年に渡る国土再建の努力も空しく、ここに解体を宣言しなければならない。



遡ること、610年春、我が忠勇なる皇軍は京城を中夏軍より奪還した。



その後、北進した皇軍は壌平で中夏軍を打ち破り、610年末には寧夏国境まで押し戻すことに成功した。



更に、少数民族と民主化を求める市民の暴動により中夏共産党政府は崩壊寸前にまで追い込まれた。



しかし、進退窮まった中夏軍は611年1月、世界有数のウラン鉱脈を有する和寧本土から収奪した核燃料を用いた水素爆弾を数発使用、皇軍は壊滅状態に陥った。



核攻撃後、燕海君・有子妃両陛下、鄭俊雄首相以下、政府・軍中枢は行方不明となった。



生き残った政府は和寧全土を制圧したが、10数年に渡る戦火と核攻撃による被害、放射能汚染で荒れ果てた国土の再建は難航を極めた。



また、北方より侵入した中夏人・萬州人・檬古人系匪賊、南方より襲来した秋津人海賊、この機に生じて暴動を起こした共産主義者の活動によって治安は完全に崩壊した。



政府は、残存艦船を総動員して国民の脱出に努め、管理下の資源と共に、友好国(石動、レゴリス、スコッチランド、ガトーヴィチなど)へ輸送を行った。



今、我々は最後の難民船を見送り、無人となった廃墟の京城にいる。



我々はこの放送が、世界に向けて届いているかどうかも知ることができない。



最早、この国に残されたものは廃墟と放射能と盗賊だけになってしまった。



我々は、国土・国民を守り抜くことができず、皇祖への忠節と国民への責任を果たすことが出来なかった。



今、我々は全ての責任を取って自決し、和寧民族先祖へ懺悔の旅に出なければならない。



いつの日か、生き延びた同胞が偉大な祖国を取り戻さんことを。



和寧万歳 皇尊万歳 



大和寧帝國行政代表 李風伯内務次官



616年11月日付も知れず
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8月 31 (月曜日) 2015
【議政府発表】甲寅夏寇終結近し・情報公開 10:24   
594年(紹和10年)7月より大和寧帝国は燕海君陛下の勅令により鎖国・情報発信を停止した。

この15年間の情報を公開する。



594年(紹和10年)5月1日、鄭俊雄総理は旧北幹勢力のテロや隣国中夏に対する防衛のため、「統一龍鮮・ノイエクルス間における講和条約」の第6条「地域における平和秩序維持のため、香麗民主連邦はその軍備を大韓帝国に認められた規模と同規模まで縮小する。」に基づく防衛力制限の見直しを発表。



594年(紹和10年)5月8日、鄭俊雄首相の「防衛力見直し構想」に抗議する「自由と民主主義のための青年緊急行動」 Youth Emergency Action for Liberal Democracys(YEALDs)が結成。以降、帝国議事堂前で抗議活動を展開。



594年(紹和10年)6月20日、世論はYEALDsに同調。鄭俊雄総理は防衛力見直しを撤回。



594年(紹和10年)7月2日、香麗労働党残党が石動軍により殺害された崔朝恵主席の子、崔崇徳を擁立して武装蜂起。

同日、緑鴨江を越えて中夏人民共和国人民救済軍が侵入。

燕海君陛下、有子皇后陛下との婚礼を中止。



594年(紹和10年)7月10日、幹半島北部が人民救済軍に制圧される。

燕海君陛下、勅令を発し全権を掌握し戦争指導。

本戦役を「甲寅夏寇」と呼称。



594年(紹和10年)7月16日、大和寧帝国政府は蔡洲島に撤退。

中夏軍、幹半島を占領。



594年(紹和10年)7月20日、燕海君陛下、防衛隊法の改正を指示。「皇立防衛軍」に改組。大領帥に就任。



609年(紹和25年)10月4日、皇立防衛軍工作部隊、中夏国内における反政府暴動扇動に成功。



609年(紹和25年)12月1日、皇立防衛軍、釜海・仁河に奇襲上陸。反攻開始。



燕海君陛下は「和寧光復の日は近い。」と勅語を発せられた。



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4月 13 (月曜日) 2015
【慶賀】大和寧帝国建国他 20:40   
586年9月7日、南北境界の開成にて大幹帝国議政府総理大臣鄭俊雄と香麗民主連邦尹長燁民族平和統一委員長の署名により大幹帝国・香麗民主連邦統一宣言及び大和寧帝国建国宣言が採択された。



大幹帝国・香麗民主連邦統一宣言及び大和寧帝国建国宣言



 本宣言は大幹帝国と香麗民主連邦間における統一の条件を定め、幹半島両政府間の和解を国際的に明言するものである。両政府はそれぞれ民族同胞を代表し、平和的合意の上での締結であることを示すため、大幹帝国から議政府総理大臣鄭俊雄、香麗民主連邦から民族平和統一委員長尹長燁が全権委員として出席し、本宣言に署名、国民と国際社会へ公表するものである。



第一条 大幹帝国と香麗民主連邦の各政府は解体され、大和寧帝国を建国し、統一される。



第二条 大和寧帝国は南北両政府の外交関係を継承する。



第三条 大和寧帝国は幹帝国皇室朴氏を皇帝と戴き、統治を総覧する。



宣言採択から1週間後の14日、正式に南北政府が統合され、燕海君幹国皇帝陛下が統一和寧の皇帝になられた。



和寧(ファリョン)とは幹半島最初の統一国家の国名に由来し、「平和で安寧のある国」を意味する。

まさに、新統一国家の国名に相応しい名前である。




南北両政府の外交関係は和寧政府に継承される他、香麗民主連邦とノイエクルス連邦間の講和条約に基づく人民軍の軍縮は統一和寧防衛隊が受け継ぐ。



【国際】オセアニカ経済協定失効、連邦商務省は大幹帝国に貿易割当枠を付与。

旧大幹帝国政府は585年をもってオセアニカ経済協定の不更新を宣言した。

これに伴い、ノイエクルス連邦は幹国に貿易割当枠を付与した。



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Referer  (1)
3月 31 (火曜日) 2015
【防衛】統一龍鮮軍、ノ連本土へ反攻。出征式 22:38   
幹国防衛隊と香麗人民軍によって組織されている統一龍鮮軍は6月15日にノ連本土反攻出征式を敢行した。





既に龍鮮軍はノ連北部への上陸に成功している。



【防衛】燕海君陛下、大領帥に御任官

6月14日、燕海君陛下は幹国防衛隊の大領帥に御任官なされた。

今までは防衛隊の最高指揮官は総理大臣で、その下に陸海空の幕僚長たる領帥が共同で作戦立案にあたるという体制であったが、陛下は防衛隊の統帥権が皇帝の下に有った旧皇軍の体制を取り入れることで、防衛官の士気向上にも繫がると仰せられ、鄭総理に大領帥位創設の勅旨を伝えられ、内閣と議会の賛意の下、大領帥位に御付きになられました。



(近いうちに大領帥御服姿の燕海君を描きます。)



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3月 30 (月曜日) 2015
南北和平成立、龍鮮半島統一準備政府樹立ほか 23:14   
584年3月21日、石動陸軍中央即応部隊群特殊作戦大隊は香麗民主連邦主席崔恵徳以下、連邦・香麗労働党指導部は全滅し、対幹穏健派で反崔氏派の尹長燁内務次官・労働党書記率いる和睦統一派の官僚・軍人が連邦政府・労働党・人民軍を掌握した。

22日、尹書記は民族平和統一委員会を設立し委員長に就任。

人民軍に停戦を指示し、事前の連絡通りに幹国政府に和平を打診した。



これを受けて、23日に京城にて鄭俊雄総理と尹長燁委員長の会談が行われ、以下の合意が交わされた。





1.大幹帝国と香麗民主連邦は早期に統一への共同準備政府を発足させる。

2.新政府は南北旧政府統治地域において1国2制度を採用する。

3.新政府は石動への宣戦を撤回し、白紙講和を締結する。



世寧君陛下、洛水君殿下の無事を確認

3月10日に香麗の特殊部隊によって拉致された世寧君皇帝陛下と洛水君皇太子殿下の無事が23日、確認された。



幹国政府は、緊急事態として11日に、レゴリス帝国滞在中の燕海君皇太孫殿下に即位を誓願し、ご了承を賜り、六代皇帝に践祚なされていた。



25日の皇族会議により、世寧君陛下・洛水君殿下は正式に燕海君殿下に譲位なされ太上皇帝になられた。

また、新元号は「紹和」と改元された。



龍鮮半島統一準備政府樹立

4月1日、京城市にて龍鮮半島統一準備政府が樹立された。



統一準備政府は、大幹帝国政府と香麗民主連邦政府の連合政権で、燕海君皇帝陛下と尹長燁委員長が共同元首を務める。









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3月 26 (木曜日) 2015
【維新】防衛隊有志「木槿会」率いる部隊が慮文鉉政権を打倒! 21:49   
583年(世寧24年)3月2日、防衛隊内部の秘密政治結社「木槿会(むくげ会/무궁화회)」率いる部隊は、乱暴な外交によって幹国の国際的信用を地に落とし、友邦石動との友情を引き裂いた國賊盧文鉉政権打倒に決起した。





我が木槿会は水源市を制圧し、慮内閣関係者を全て拘束することに成功した。

全国の防衛隊・警察機構も我々の決起に賛意を表明し、無血維新は成し遂げられた。







【政治】木槿会会長鄭俊雄航空幕僚長、首相就任

3月4日、盧文鉉内閣打倒に成功した木槿会は新首相に会長の鄭俊雄航空幕僚長領帥を擁立した。







鄭領帥は、第6代首相鄭会昌閣下の孫にあたり、長年に渡り航空防衛隊として防空体制の構築に努める一方、防衛隊内の政治結社「木槿会」を主宰して、北幹打倒・反共統一・国防充実を訴えてきた。



畏くも皇帝陛下は木槿会の決起をお認めになられ、「一致団結して国難に対処せよ。」と仰せられた。



【司法】特別裁判により、慮前首相に終身刑判決

3月5日、特別裁判により、慮前首相は「避難民もろとも韓江大橋を爆破して逃走した罪」により終身刑判決が下された。





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3月 24 (火曜日) 2015
【速報】防衛隊の一部部隊がクーデター、盧文鉉首相を拘束か 00:27   
583年3月2日、防衛隊の一部部隊がクーデターを起こしたとの情報が入った。

北幹軍が臨時首都の水源に迫る中、政府は突然の味方による攻撃に情報は錯綜状態にあり、盧首相が拘束されたという報告も上がり、真偽の確認と対策を急いでいる。
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Referer  (1)
3月 19 (木曜日) 2015
【速報】北幹軍南進 22:32   
582年6月3日、北幹(香麗民主連邦)の香麗人民軍が突如南進を開始した。

現在、防衛隊は石動へ向けて移動を開始しており、国境守護帥以外の戦力はなく守護帥約8万に対し、人民軍は80万以上の兵力を動員していると見られる。



慮総理テレビ演説(抜粋)

「南北軍事境界線には、要塞群が幾重にも建設されており、北幹軍が京城にたどり着くことはありません。市民のみなさんには冷静な行動をお願いします。」
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