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帝国新報  ガトーヴィチ帝国政府公認の報道機関。新聞の発行が主業務。
5月 26 (日曜日) 2019
【帝室】フォンターン君帝陛下崩御 ―フリストフォル皇太子様即位― 【社説】揺らぐ君帝制・元号制 01:01  ガトーヴィチ民主帝国 
【帝室】フォンターン君帝陛下崩御 ―フリストフォル皇太子様即位―

837年-ソフィヤ22年-5月、帝国通信社電

 フォンターン君帝陛下は、ソフィヤ22年5月8日午後10時20分、ガトーヴィチ帝国医科大学附属病院にて崩御された。宝算103歳。フォンターン君帝陛下の崩御に伴い、83歳のフリストフォル皇太子様が新君帝に即位され、新元号はマリヤと定められた。



写真:フォンターン前君帝の棺



 ソフィヤ時代には、軍事衛星、防衛衛星が復旧し、毎期に砲弾製造が行われるなど、義理戦争(813年戦争)により大きく削がれた帝国の軍事力の復活に国力が注がれた。同時に、現代都市ガゾンスクの閉鎖により、ヘルトジブリール社会主義共和国と肩を並べる大工業国の地位を再度確立した。823年には建国400周年記念式典が催され、フリューゲル各国の来賓が訪瓦した。
フォンターン前君帝は、833年頃より(奇しくも第38回選挙で左派が大勝した時期と重なる。)体調を崩されるようになっていた。5月8日、侍医の尽力の甲斐なく、帝室の行末を案じつつ、崩御された。



【社説】揺らぐ君帝制・元号制

 ガルモーニナ為政院は、フォンターン前君帝の崩御に際し、公的文書において、国家元首としての立場を超えた神格化を助長する虞のある表現を改める政令を公布した。これを受け、本紙においても、フリストフォル君帝陛下並びにフォンターン前君帝への言及について、最低限の敬意を含む表現に改めた。更に、フォンターン前君帝の葬儀並びにフリストフォル君帝陛下の即位式については、史上初めて国ではなく君帝家が支出することとなった。この為、従来の荘厳な儀式は幾分簡素化せざるを得ず、伝統を重視する大学教授、ガトーヴィチ正教会、右派団体から批判された。

 帝国議会のおよそ1/5、41議席を有する第三党、ガトーヴィチ共産党は、極右帝国発展党のメタロヴァ為政院と君帝家が癒着した旧体制・反社会主義体制が813年戦争(義理戦争)を招いたとし、帝国発展党と君帝家の戦争責任の追及と、君帝廃位の必要性を主張し、国民の支持拡大を広げている。

 国民の元号離れも進んでいる。我が国の元号は、皇后の名前から取る事が慣例となっているが、「皇后の名前が時代の名前になるのは如何なものか」「花子元年のようなものを使いたくない」という声が、若年層を中心に広がっている。

 400年余りの歴史を誇るリーソフ王朝は、左派優位議会に押され、タチヤナ時代(キスラロート君帝時代、ガトーヴィチ宗から正教への改宗を急速に進めた、政治的・宗教的混乱の時代)以来の危機にあると言えよう。

(文責:И. Н. アチェスタノフ)
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5月 01 (水曜日) 2019
【衝撃】第38回帝国議会議員選挙 右派総崩れ/【政治】「民衆主権の政治」ガルモーニナ新首相 00:59  ガトーヴィチ民主帝国 
【衝撃】第38回帝国議会議員選挙 右派総崩れ

ソフィア18年-833年-3月に実施された、第38回帝国議会議員選挙の結果は次の通り。(星印は政権与党)

労働党(中道左派)71議席(+31)☆

社会民主党(左派)42議席(+12)☆

ガトーヴィチ共産党(極左)41議席(+33)

帝国発展党(極右)24議席(+11)

正教保守党(宗教)14議席(-11)

立憲進歩党(中道右派)8議席(-77)

ローシャジェフ政権は、813年戦争の戦後復興が評価されたが、後半10年間の無策が批判された。鉄鋼レート問題を提起して国際的地位の向上を図ったが、問題が長期化し、議論の主導権をカルセドニー社会主義連邦共和国に譲った為、目的は達成されなかった。又、フリューゲルを揺るがすレゴリス帝国によるセニオリス共和国併合未遂事件に関して、何の外交的影響力を行使することもできなかった。更に短期的にはセニオリス併合を推進したレゴリス保守党の分解、中期的には昭栄国の大統領制移行、長期的には813年戦争以降の社会主義国家の伸長が、右派の退潮を加速させた。ここをもって、立憲進歩党、正教保守党は大敗北を喫し、労働党と社会民主党の左派連立政権が誕生、ガトーヴィチ共産党が大躍進したのである。「協調路線と独自性の列車」を走らせると豪語したローシャジェフ首相の最期は、あっけなかった。



【政治】「民衆主権の政治」ガルモーニナ新首相

第750回帝国議会(臨時会)は23日、労働党のレーヴァ=クラソーチナヴナ=ガルモーニナ代表(58)を首班指名し、氏は25日、フォンターン君帝陛下によって第39代為政院総理大臣に任命された。

ガルモーニナ氏は、施政方針演説で次のように語った。

「過去には、君帝陛下の権威を利用して国家の体面のみを守り、国民の生命を蔑ろにする政権が数多く存在した。(中略)私は、774年の五月革命に発揮された民衆の力の強さを信じている。第38回選挙の左派圧勝は、民衆が変革を求めていることの証左である。民衆主権の政治改革を断乎進めていく。」

写真:レーヴァ=クラソーチナヴナ=ガルモーニナ:オリガ18年-775年-、イヴァングラート市生まれ。イヴァングラート帝国大学法学部卒。813年戦争で夫を亡くし、政界に進出。832年より労働党代表。両親は、774年の五月革命(156年続いた右派政権が学生運動により崩壊した事件)の籠城戦中に学生結婚。



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【国際】「セニオリス併合未遂に我が国の関与はなかった」トラハト週刊誌報道に対して、報道官
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