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帝国新報  ガトーヴィチ帝国政府公認の報道機関。新聞の発行が主業務。
10月 15 (火曜日) 2013
【帝室】君帝陛下崩御遊ばす 17:47  ガトーヴィチ民主帝国 
【帝室】君帝陛下崩御遊ばす

 (3月24日、イヴァングラート電)ズボーロフ首相は23日午後9時頃、首相官邸の記者会見室で緊急記者会見を開き、君帝陛下が同日午後6時30分に崩御遊ばされた事を発表した。陛下は御年83歳。死因は御高齢ゆえの肺炎とみられる。首相は陛下崩御の報を受け、午後11時頃に全閣僚及び侍従長、専門家らが出席する緊急会議を招集。スヴャトホースト皇太子殿下の御即位に向けた準備、今後の諸行事の進行について確認した(下記参照)

 今日→即位式(非公開)、25日→新年号開始、翌月23日→御大葬

 また宮内庁は、今日の日出から御大葬前日の日没まで、帝居ジュリャーブリャ広場に弔問記帳所を設ける予定である。



【社会】新年号は「Ева」

 (3月24日、イヴァングラート電)ズボーロフ首相は今日未明、陛下崩御後2回目となる緊急記者会見を開き、新しい年号が「Ева」に決まった事を発表した。これは皇太子妃の名前から戴いたものであり、現在の年号「Анна」と同様の選定理由であった。新年号は翌25日から施行される予定。



【帝室】即位式行はる

 (25日、イヴァングラート電)スヴャトホースト皇太子殿下は24日、帝居における即位式に臨まれ、無事第3代ガトーヴィチ帝国君帝に御即位遊ばされた。{宮内省発表}



反転

484年に開かれた皇帝即位40周年の記念式典に出席していた皇太子の名前を使わなければいけないことに気づいてあわてて皇太子の名前を訂正した・・・



【帝室】御大葬行はる

 (24日、イヴァングラート電)4月23日、帝居ジュリャーブリャにて先帝陛下の御大葬が行われた。御大葬に参列した外国の賓客は以下の通り。

ティユリア連合王国 第一王女テオドラ妃殿下

タヂカラオ国 マルス=アテン=シャーマン大統領閣下

大幹帝国 朴純徳皇帝陛下

レゴリス帝国 リーゼロッテ・ヴェルトミュラー総統閣下

ファイアリヒ連邦共和国 クリストハルト・フィーグラー連邦評議会議長閣下

エルジア共和国 フレデリック首相閣下

シオン総主教庁イオアン・レヴィール府主教猊下

ノイエクルス連邦 駐ガトーヴィチ大使閣下

スオミ王国 王弟ユリウス親王殿下

コンポ共和国 ゲン外交官閣下

成蘭連邦王国からは弔意を頂戴した。陛下の御隠れを悼み、官公庁では半旗が掲げられたという。



また参列者の1人であるシオン総主教庁のイオアン・レヴィール府主教猊下は、帰途に本国が滅亡したという情報を聞き、舌を切って亡くなった。







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Referer  (1)
10月 02 (水曜日) 2013
【社説】大戦が政治にもたらせる影響 20:29  ガトーヴィチ民主帝国 
【社説】大戦が政治にもたらせる影響

 490年の大戦勃発から2年余りが経過した。戦争に関わった国々の大半が少なからぬ損害を被っている。特筆すべきはかつて普欧帝国と比肩する超大国であったノイエクルス共和国が、この2年で途上国並の水準にまで荒廃した点であろう。

 今次大戦は我が帝国の政治情勢に大きな影響を及ぼした。ミチオリチェンコ首相の後釜としてのうのうと政権を維持していたズボーロフ首相にとって大戦は思いもよらぬ災厄であったことだろう。なす術無く傍観を表明した首相は帝国発展党から「軟弱政権」と、国民党及びガトーヴィチ共産党から「戦犯政権」と非難された。更に帝国民の多くは(右派左派の違いこそあるものの)野党の論に同調したため、ズボーロフ政権の支持率は下落の一途を辿る事となった。

 首相は帝国民の支持率確保の為492年度の軍事費を80%増額。軍事訓練の回数を増やしたり、防衛施設を建設したりして軍備を充実させた。しかしこれは帝国発展党の政策を丸呑みした形であり、与党立憲進歩党は「物真似政党」という不名誉なあだ名をつけられてしまった。

 事態は着実に終戦へと向かっているが、世界にもたらされた影響は計り知れず、いつまでも人々の心を痛めることだろう。
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