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帝国新報 ガトーヴィチ帝国政府公認の報道機関。新聞の発行が主業務。 | ||
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8月 03 (土曜日) 2013 | ||
【社会】首相肝煎りの公共工事 他1件 | 17:36 ガトーヴィチ民主帝国 | |
【社会】首相肝煎りの公共工事 帝国南東部の新規埋め立て地域。帝国内に存在する土木関係の企業の大半が集結し、急ピッチで埋め立て工事が進んでいる。現場の作業員らが口を揃えてこう言う、「ミチオリチェンコ様のおかげで助かった」と。 「国土改造計画」は、ミチオリチェンコ為政院総理大臣が就任すると同時に実行に移された。総理は就任前から計画を練り、党内外の実力者と会談し説得していた。就任するや否や、帝国議会に「国土改造計画関連法案」を提出。根回しの甲斐もあり賛成多数で可決された。 総理は、慢性的な経済成長鈍化の原因は、狭い国土に起因する都市の不足及び公共工事の不足にあると考えている。これらを一挙に解決する手段として、「国土拡張計画」を打ち出したのだ。 しかし実際のところ、都市が過密し、公共工事が不足しているという総理の主張には疑問符がつく。例えば国家社会主義を採用する龍鮮王国、大石動帝国二国の面積は、それぞれ約17.5万sq.Km、15.2万sq.Kmであるが、帝国以上のGDPを誇っている。また二国では、大規模な公共工事は特に行われていないようだ。ある専門家は「国土拡張計画は国庫を貧しくする亡国の事業だ」と非難している。 演説の最後に「それにつけても『帝国の発展に邁進せん』(標語)を忘れぬべきである」と付け加えるミチオリチェンコ総理。国土拡張計画が発展に繋がるかは、誰にもわからないが、一部の業種だけが儲かる発展はよろしくない。 【社会】ガトーヴィチ養殖業組合経営破綻 ガトーヴィチ養殖業組合は、先般の台風による養殖場の壊滅を理由に、経営破綻した。 立憲進歩党及び帝国発展党の支持団体である同組合は、政府の介入により再度建てられるものとみられる。産業相も「コリツォー県の養殖業は、帝国及びコリツォー県に莫大な利益をもたらすため必須だ。」と、資金面での介入を示唆している。 | ||
7月 11 (木曜日) 2013 | ||
【社会】成蘭国王黒石治通陛下が来瓦せらる | 17:54 ガトーヴィチ民主帝国 | |
【社会】成蘭国王黒石治通陛下が来瓦せらる 建国記念日を過ぎたの479年(Анна10年)1月21日、イヴァングラート国際空港の滑走路ににある国の政府専用機が着陸した。成蘭連邦王国国王黒石治通陛下が来瓦したのである。 外国王室の人間がガトーヴィチ帝国を訪れるのは今回が初めてであり、帝国政府は失礼のないよう周到な準備を行った。専用機から国王が降り立って全長200mに及ぶレッドーカーペットを渡られる間、帝国陸軍軍楽隊によって「威風堂々」が演奏され、カーペット両脇を埋め尽くす兵士らの拍手が鳴り止む事はなかった。 今回国王が来瓦した理由は、昨年の怪獣及びその討伐のためのミサイル発射により命を落としたガトーヴィチ帝国民の慰霊と、被災者らの慰問であった。国王は空港を出てそのまま北東部へと向かい、神社跡地の合葬場を訪れ、花束を捧げた。その後は遊園地跡地にある避難施設を慰問。日没に近くなるまで被災者に声を掛け、被災者の声を聞いた。中には罵声を浴びせる遺族もいたが、国王は目を背ける事なく罵声にも耳を傾けた。避難施設を去る国王の表情は名残惜しげであった。 翌日夜、君帝陛下は日中に帝都を見物した国王と晩餐会に臨まれた。侍従の話によれば、国王は、目の前にガトーヴィチ・成蘭両国の高級料理があるにも拘わらず、「被災地を思いますと・・・」と言ってなかなか召し上がろうとしなかったという。最終的には、陛下が「遠路をいらっしゃったのですから、召し上がらなくてはお体に障ります。」と強く述べられ、ようやく召し上がったそうだ。 23日の朝に国王は空港を発ち、帰国の途についた。 | ||
7月 10 (水曜日) 2013 | ||
【号外】またもや怪獣出現 | 21:29 ガトーヴィチ民主帝国 | |
【号外】またもや怪獣出現 478年(Анна9年)11月2日、帝国北西部に突如として怪獣が出現し、昨年の巨大隕石に匹敵する惨事となった。怪獣は北西部沿岸地区の長閑な農村を悉く荒らし、帝国が為す術もないのを嘲笑うかの如くニュータウン密集区域に入らんとしたが、成蘭連邦王国の総攻撃により討伐がなされた。 【号外】成蘭の総攻撃に賛否両論 今回の惨事は成蘭のミサイル発射によって無事収束したが、このミサイルは近隣のニュータウンに少なからぬ影響を与えた。帝国政府は成蘭からミサイル発射の意志が伝えられるや直ちに怪獣所在地の近隣住民に遊園地以東への避難を要請、住民の大多数はそれに従った。しかしながら、身体の障害を理由に遠地へと避難することができない帝国民、事の重大さの認識が甘かった帝国民は残留し、その一部が成蘭のミサイルによって命を落とした。悲しむべきは、帝国政府の指示に従って遊園地内に避難した帝国民、神の御加護の下助からんとして神社へと非難した帝国民の間にも、ミサイルによる死者が出たことであろう。「自国は自国で守る」が大原則のフリューゲル世界に帝国がある以上、自衛の為にも帝国軍の強化が望まれよう。 【政治】第六回帝国議会選挙結果発表せらる 478年(Анна9年)2月15日、第六回帝国議会選挙が行われ、3日後の18日に開票が行われた。結果は以下の通り。 立憲進歩党72議席(+5)、帝国発展党59議席(+15)、国民党46議席(-17)、ガトーヴィチ共産党17議席(-2)、ゾロアスターの勝利5議席(-1)、無所属2議席(±0) 一昨年の津浪、昨年の巨大隕石による不安が帝国を覆う中行われた選挙は、帝国土防災計画を謳う帝国発展党が議席を増やした。また立憲進歩党は、被災地支援を確実に行い僅かながら議席を伸ばした。 選挙結果を受け第一党の立憲進歩党は帝都党本部で党大会を開き、新総裁にミハイル・ヴァシーリエヴィチ・ミチオリチェンコ氏を選出。4月1日の通常帝国議会において連立与党の賛成多数でミチオリチェンコ氏を第6代為政院総理大臣に指名した。 | ||
7月 01 (月曜日) 2013 | ||
【号外】巨大隕石衝突す | 14:29 ガトーヴィチ民主帝国 | |
【号外】巨大隕石衝突す 477年(Анна8年)5月9日午前3時、突如巨大隕石が帝国南部に衝突し、筆舌に尽くしがたい甚大な被害を生んだ。 巨大隕石の落下点は(7,15)にある森であった。しかしながら、一般的な巨大隕石は街7つ分の大きさを持つために、落下点近辺にあった軍事工場もろとも水没してしまった。帝国の軍事的躍進に欠かせぬ工場が海の藻屑と化したのは甚だ無念である。更に恐るべきは、衝突時に発生した凄まじい衝撃波である。帝国唯一の港湾であり貿易の要であったВодакой港や、開業目前のポートタワー、海岸近くの長閑な農村風景、これらすべてが砂塵となってしまった。こうして帝国において一、二を争う港附近の繁栄都市は、一瞬にして壊滅したのであった。 隕石による死者は現時点で20万人。半年前の津浪の死者70万人に比べて被害が小さかった(無論甚大ではあるが)のは、衝突が深夜であり港や工場にいた労働者が少なかったからではないかとみられる。 衝突時、帝国全土が震度5弱を超える揺れに襲われ、帝都では多くのビルでひび割れが確認された他、コリツォー州では貧困層の住宅が軒並み倒壊。原子力発電所・火力発電所は、耐震化が十二分になされていたため問題が発生しなかった。復興に不可欠な電気が安定供給されることで、復興は迅速に行われるだろう。 【号外】本災害における帝国政府の対応 衝突後1時間30分経った午前4時半頃には気象庁が緊急会見を開き,情報の詳細な伝達に努めた.当時は帝国民皆何が起こったのか見当もついていなかったため,この会見は帝国民に現状の安堵、そして真実の恐怖を与えるものとなった. それから30分後の午前5時には首相官邸に巨大隕石復興対策本部を設置し,午前5時半までに全閣僚が集合,プチェーリン総理大臣を復興に関する最高権限を持つ本部長に任命し,建設省を中心に復興計画に当たる方針で基本的に一致,一時閉会したのが午前5時50頃であった. 【社会】被災地における駐留軍の活躍/各国より支援賜る 現在被災地では,成蘭駐留軍による被災者支援活動が大々的に行われている. 駐留軍に救出されたというГさん(仮名)は弊社の取材に,"家の下敷きになっていた私を,大丈夫だよと助けてくれたのは駐留軍でした(さよならの向こう側)""と応えた. 駐留軍と増援部隊の動員数は合わせて10万人(成蘭発表)とのこと. またタヂカラオ国より1兆Va、石材1000万トン、建材1億トンの援助を賜った。 【政治】議会選また1年延長 プチェーリン首相は巨大隕石衝突を受け、昨年の津波被害を鑑みて1年先延ばしされていた議会選について、更に1年先延ばす事を提議し、与党の賛成多数で可決された。議会選の投票日(予定)は478年(Анна9年)2月15日。 (今後復興関連号外は本記事に掲載す) | ||
6月 26 (水曜日) 2013 | ||
【政治】瓦成新安保締結 | 23:03 ガトーヴィチ民主帝国 | |
【政治】瓦成新安保締結せらる プチェーリン首相は474年3月29日、成蘭連邦王国における原川首相との首脳会談に臨み、その席上瓦成安保新条約を批准した。瓦成新安保は帝国議会で可決されており、残すは批准のみとなっていた。 旧安保からの変更点は、(1)怪獣討伐に限った防衛義務から他国の軍事攻撃を含んだ包括的な防衛義務に拡大(2)ガトーヴィチ側に拠出金年3兆Vaの義務である。(2)については野党勢力の他連立与党帝国発展党の一部議員からも批判が出たが、与党立憲進歩党は「国防全体を担っていただく以上資金面での協力は必要」と一蹴。条約案は賛成103票、反対97票の僅差で可決されていた。 | ||
6月 09 (日曜日) 2013 | ||
【国際】成蘭 外交縮小も安保維持 | 16:50 ガトーヴィチ民主帝国 | |
4739 【国際】成蘭 外交縮小も安保維持 成蘭連邦加盟国会議は外交凍結法案を全会一致で可決した。成蘭側の資料に依れば、(1)秋津問題解決をめどに他国との外交を原則停止(2)現行の条約は維持し貿易や物資の緊急支援及びガトーヴィチ関連については継続(以下省略)ということであり、外務省が危惧していた"安保に基づく駐留軍の撤退"は免れた格好だ。 その他の記事 【国際】普欧帝国南部で数十万人が犠牲となる地震が発生。政府は同盟国の不幸に哀悼の意を表す。 【社会】"スオミ王国に先を越された" 政府の経済政策に不満募らす帝国民 | ||
5月 25 (土曜日) 2013 | ||
【社会】君帝陛下の御大葬行はる | 00:32 ガトーヴィチ民主帝国 | |
4711 【社会】君帝陛下の御大葬行はる(470年1月) 470年1月8日、帝居のジュラーブリャ広場にて、イヴァン君帝陛下の御大葬が行われた。当日は、広場への入場を政府首脳と外国の貴賓、SPのみに限り、一般の帝国民には入場を許可しなかった。これは、広場に不埒な輩が乱入して騒ぎを起こし、外国の貴賓から白い目で見られないようにするための措置であった。その代わりに、当初予定されていなかった「神柩車(*1)の帝都一周」が、帝都の各地に集まった帝国民らのために追加された。 参列した外国の貴賓は以下の通り。(参列の旨を伝えられた順に並べてある)成蘭連邦王国より黒石治通国王及び延岡首相、普欧帝国よりヴィルヘルム国王、中華民国より王賢之大総統夫妻、龍鮮王国より朴安哲国王及び呉首相、レゴリス帝国よりヴェルトミュラー総統、スオミ王国よりカレル国王及びイナリ副宰相、石動第二帝国より石動近江宮皇帝及び赤松総統、アクアマリン王国よりリフィル・フィオーネ特使。 また、上記の国々、神聖ローマ帝国からお悔やみの言葉を頂いている。 さらに言えば、陛下が罹患なさった際、多くの国から陛下の御快癒を願う言葉も頂いた。成蘭連邦王国からはかの国の名産たる食肉が贈られた。ある政府関係者がそれを用いたステーキを持って病室の陛下の前にに参上したところ、陛下は召しあがり、「大変おいしい。果たして、我が国はこれ程美味な食肉はあろうか?」と反語調で厳しく問いかけたという。関係者は弊社の取材に「病にあってもガトーヴィチの行く末を案じられる御姿を拝見し、陛下を君主に戴いている我々は大変幸せであると感じました」と述べた。 陛下のお体が入った棺は、帝都をくまなく一周したのち、帝都郊外の墳墓に納められた。墳墓には君帝家の方々が御臨席されたと思われるが、取材許可は下りなかったため、詳細は不明である。 *1 君帝家の方々がお亡くなりになった時は、「霊」ではなく「神」を用いる。 <<お詫びと訂正>> ×ヴィルヘルム国王→○ヴィルヘルム皇帝、です。 普欧帝国の関係者の方々に、この場を借りて謝罪します。 <<お詫びと訂正>> ×延岡首相→○延岡首相特使 成蘭連邦王国の関係者の方々に、この場を借りて謝罪します。 | ||
5月 05 (日曜日) 2013 | ||
<<号外>>【社会】君帝陛下崩御さる | 17:23 ガトーヴィチ民主帝国 | |
. <<号外>> 【社会】君帝陛下崩御さる(469年6月06日) イヴァン・プチェーリン為政院総理大臣は、今日午前9時30分頃、首相官邸の記者会見室で緊急記者会見を開き、君帝陛下が崩御されたと述べた。会見の一部を掲載する。 「畏くも君帝陛下に於かせられましては、ソフィア皇后陛下、イヴァン皇太子殿下を始めとする君帝家の皆様が御見守りになる中、本日午前8時47分、ガトーヴィチ帝国医科大学附属病院の一室にて崩御あそばされました。……」 いつもいつも、会見時行儀の悪い座り方をしている記者らも、この重大な会見を前に、背筋を伸ばし座る外はなかった。 | ||
4月 29 (月曜日) 2013 | ||
【社会】君帝陛下御危篤 他 | 21:43 ガトーヴィチ民主帝国 | |
【社会】君帝陛下御危篤 イヴァン26年(468年)4月 宮内省は4月29日に緊急会見を開き、君帝陛下が御危篤にあると発表した。陛下は御年76歳。数々の御公務をされてきた陛下を御危篤に至らしめたものとは何か。 トルスキー宮内大臣の話によると、君帝陛下は4月27日の夕刻、皇后陛下及び侍従らと夕食を摂られている最中、突如フォークを落とし、呻き声を上げながら頭を抱え込まれた。侍従長がすぐさま救護班と救急車を呼び、陛下は直ちにガトーヴィチ医科大学附属病院へと運ばれたという。病名は今の所発表されていない。トルスキー氏は「君帝陛下の御容態は依然として予断を許さぬ状況となっております。ガトーヴィチ帝国民の皆様には、挙国一致、陛下の御快癒を祈念していただきとう存じます。」と述べた。 【社会】記帳所に押し寄せる帝国民 イヴァン26年(468年)5月 帝居のジュラーブリャ広場(鶴の広場)に設けられた記帳所は、陛下の御快癒を願う帝国民でごった返している。ラヴニーナ州から来たというドストエフスカヤさん(56)は記者の取材に応じ、「陛下なくしてガトーヴィチ帝国なし、と思います。4月の末に御危篤との情報が出てから、陛下の御快復を祈らない日はありません。」と語った。 | ||
4月 21 (日曜日) 2013 | ||
【政治】第五回帝国議会選挙、三つ巴に | 20:57 ガトーヴィチ民主帝国 | |
【政治】第五回帝国議会選挙結果、三つ巴に イヴァン25年(467年)2月 第五回帝国議会選挙の結果は次の通り。 立憲進歩党..........66議席(+41) 国民党.............63議席(+23) 帝国発展党..........44議席(-66) ガトーヴィチ共産党...19議席(+1) ゾロアスターの勝利...6議席(+1) 無所属.............2議席(-) 与党だった帝国発展党が失った議席を、立憲進歩党と国民党が分け合う形となった。国民党は過去最高の議席数を獲得し、立憲進歩党にあと一歩のところまで迫った。ただ、第一党の立憲進歩党は帝国発展党と連立する意向を示しており、国民党はまた野党になると見られる。帝国発展党内は、大幅な議席減に衝撃を受けてはいるものの、下野の可能性が無くなったことで、安心感が生まれている。 国民党に票を入れたという会社員のAさん(44歳)は弊社の取材に、「立憲進歩党は、党内の腐敗根絶が行われたとは思えないし、帝国発展党は政策を言うだけ言って何もしない。消去法で国民党に入れるしかないんですよね。どこの党でもいいので、閉塞感を破ってほしいです。」と答えた。 我が国のGDPは、若干の上昇が見られるものの、ほぼ横這いの状態である。議員らよ、「帝国の発展に邁進せよ」を忘れるなかれ。 【政治】新首相にプチェーリン氏選出さる イヴァン25年(467年)4月 第三十回ガトーヴィチ帝国議会は、為政院総理大臣に、立憲進歩党のイヴァン・プチェーリン氏を選出した。氏は64歳。立憲進歩党内では中道と見られる。 | ||
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