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セビーリャ公共通信  
5月 03 (金曜日) 2019
833年9月「セビーリャ」ーインフラ危機ー 19:02  セビーリャ自治政府 



【号外】非常事態宣言下る。


833年9月中旬、セビーリャ統治委員会より非常事態宣言が発せられた。
現在、インフラのが原因で幸福度が低くなっており、暴動、住民の逃亡が起きており危機的状況にある。急死したアントニオ行政長官に代わり職務を代行している、セレドニオ・ボニージャ・ヒロン行政副長官は治安とインフラの回復を試みている。

アントニオ行政長官死去。享年93歳


墓地アントニオ行政長官が833年8月14日、脳卒中のため中部新首都で亡くなった。享年は93歳。アントニオ行政長官は、は740年生まれの52歳でセビーリャ大学卒業後、共同管理区域開発部に入省、多くの都市開発を手がけた。792年の行政長官就任後は、国土開発に加え、貿易による経済拡大に尽力した。また、自治50周年記念式典を開催し各国の要人を招くなど積極的な外国との交流も行っていた。その一方で高齢のため、晩年は執務に影響が出ているとの指摘が絶えず、政府内外から不満の声が噴出していた。一か月前に脳卒中で倒れて以降、昏睡状態が続いていたが、14日になり容体が急変し亡くなった。
834年1月の試験までは、セレドニオ・ボニージャ・ヒロン行政副長官が職務を代行する。


荒れる国土、市民の不満高まる。国内政治に動きも。


国会近年、災害からの復旧やインフラ更新の遅れなどの問題が顕著になっている。
814年以降、アントニオ行政長官率いる評議会派はCDX-Sシステム中心の社会を目指し、経済や官僚制の改革を進めてきたが、行政の沈滞化による経済の停滞を招いた。さらに、アントニオ行政長官の健康状態の悪化が重なり行政の機能不全と市民生活への影響が顕著になってきた。784年には世界最高を誇った幸福度は徐々に低下し、現在一部で混乱状態に陥っている。
この状況に対し、議会派の有力者として知られるサルバドール・レンテリア・ラサロ氏は8月20日セビーリャ自治下初の政治政党「自由党」の結成を発表。行政長官就任と議会選挙での過半数獲得を目指すとしており、セビーリャ政治の活性化が予想される。



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1月 07 (月曜日) 2019
814年「セビーリャ」―自治五十周年記念式典、厳かに開催される― 00:12  セビーリャ自治政府 





自治五十周年記念式典、厳かに開催される


音楽隊 「セビーリャ自治政府の設置と権限委任に関する宣言」の布告によるセビーリャ地域の自治権拡大からちょうど50年にあたる814年4月、中部新首都にてセビーリャ自治開始五十年の記念式典が開催され、警察予備隊のパレードとアントニオ長官による演説のほか、花火の打ち上げなどが行われた。式典にはロムレー本国からカンタン・リシャール・オクレール統治委員会委員長とペラジー・マリエル・レオンティーヌ・モランロムレー安全保障局長が、外国からの来賓としては、カルセドニー社会主義連邦共和国からペレト・サードオニクス外交委員長、普蘭合衆国からレラ・サンドロット臨時首相、ヘルトジブリール社会主義共和国からクラミー・ラッツェル議長、レゴリス帝国から足柄小織総統が出席するなど、これまでにセビーリャ地域では前例のない国際的な式典となった。

花火 警察予備隊のパレードでは各地の駐屯地から普通科部隊、砲科部隊に加えなどの隊員9000人が参加し、行政長官がこれを観閲した。ロムレー本国軍に準拠した赤いスイス風の制服に身を包んだ音楽隊によるパフォーマンスの場面では、その動きに大きな歓声が上がった。警察予備隊は創設から今年で49年を迎え28万人の隊員を擁している。768年のユリウス戦役など危機に直面する場面もあったが、大きな事件や戦争もなく平和な時代を過ごした。アントニオ行政長官は訓示にて「我々のコーデクス主義建設の歴史的偉業は隊員諸君なくしてなしえなかった。平和と繁栄は自らの手で守らなければならない。」と隊員を激励した。パレードには首都市民など約15万人が集まり盛り上がりを見せた。
 また、アントニオ長官による演説では今後のコーデクス主義建設に関して新しい方針が示された。(後半の記事で詳細に解説)午後には人民宮殿で祝賀会が行われ行政長官をはじめ学者や財界人、文化人などが参加した。





行政長官演説「自治50年とコーデクス主義」
中央指令経済体制構築に意欲


セビーリャの物流 アントニオ行政長官は、演説にて「コーデクス主義にそった50年間の経済政策により、セビーリャは世界有数の農業輸出国となり安定した社会と幸福な生活を手に入れた。」とこれまでの50年間の自治を高く評価した。その一方で、「ペドロ執権以降の我々の体制では、半ば市場経済的な生産・消費体制と人間の官僚主導主導による政治が行われており、CDX-Sの役割は補助的なものになっていた。しかし、真のコーデクス主義体制は科学者の評議会による政策議論と政府当局による中央指令経済をCDX-Sコンピュータによって有機的かつ完全に統御し、最適な社会を運営するものである。すなわち体制の核心はCDX-Sコンピュータでなければならず、現在の修正コーデクス主義体制は直ちに是正しなければならない。」と発言した。セビーリャ自治政府は、ホセ行政長官時代にはコーデクス主義に基づいた中央指令経済構築のため、CDX-Sコンピュータおよびプログラムの開発や生産能力の分析が行われてきたが計画は行き詰まり、783年以降、特にペドロ行政長官時代に「新方式」による経済政策がとられ、現在に至っている。この方式は市場原理を一部導入したものでコーデクス主義に反するとの批判が当初から根強くあったが、結果として資源の効率的利用が行われ輸出が伸びるなど一定の成果を出してきた。今回の行政長官の発言はより原理主義的なコーデクス主義体制を目指すことを提言したものであり、セビーリャ地域内でも意見が分かれることが予想される。また、以前計画がとん挫したことからもわかるように経済の統制と効率的運営の両立は大きな困難が伴う。セビーリャ政界ではより原理主義的なコーデクス主義を目指す評議会派と現在の市場経済と議会政治に加え、CDX-S を補助的なものとして位置付けることを主張する議会派に分かれている。アントニオ行政長官はこれまで中立的な立場での発言を続けてきたが、今回の発言で評議会派であるという立場を鮮明にした。今後のセビーリャ政局の動向が注目される。

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8月 28 (火曜日) 2018
792年セビーリャ公共通信 14:24  セビーリャ自治政府 



新行政長官にアントニオ・レオン・パレス氏。


 792年4月に行われた定例のセビーリャ公務員試験で、現職のペドロ氏を抑え、自治政府開発部のアントニオ・レオン・パレス氏が選出された。アントニオ氏は740年生まれの52歳でセビーリャ大学卒業後、共同管理区域開発部に入省、都市開発を担当した。特に近年の人口増加に伴う都市開発で強力な手腕を発揮し、高度なインフラを備えた機能的な都市設計が全土で高く評価された。アントニオ氏は行政長官就任にあたり人民宮殿での演説で、開発のさらなる進展に意欲を示した。



南西部埋め立て計画を発表。今年度中に開始の予定。


アントニオ行政長官は、792年5月に会見を開き南西部埋め立て計画を発表した。計画では南西部の海域を3万?埋め立て200~700万人の人口を確保することが予定されている。人口の80%は農業生産に従事し、更なる農業の増産が見込まれる。また、この計画では、人口増加により雇用の不足が予想されることから、2度に分けて実行され第一次計画では土地の造成と200万人模の都市開発が行われる。計画発表の背景には792年1月にセビーリャ統治委員会より発せられた、面積制限の緩和に関する通達がある。また、壮大な計画の一方で、数百万人分の雇用の確保という問題に新たに直面するため、この問題への対応はセビーリャ民族の命運を左右するだろう。自治政府開発部出身の同氏には、長年造成と都市開発に従事していたこともあり、その手腕の発揮に期待が寄せられている。

▲埋め立て準備の様子
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7月 20 (金曜日) 2018
785年セビーリャ公共通信 23:14  セビーリャ自治政府 



自治開始から20周年


 セビーリャの自治開始(=セビーリャ自治政府成立)から784年で20年を迎えた。これに合わせ、首都では警察予備隊によるパレードをはじめとした祝賀行事のほか、人民宮殿でホセ長官による演説が行われた。ホセ長官は演説で「コーデクス体制20年間で我々の生活水準は飛躍的に向上し、他に類を見ない安定した体制を実現した。いまや不幸な市民はいない。」と20年間の歩みについて総括した。セビーリャは一時世界で最も幸福な国になるなど、高い幸福率と発展を両立している。また、「私は20年間体制の成立からずっと政治に携わってきたが、セビーリャの将来のためにも世代交代が必要だ。」と行政長官の退任を示唆した。自治政府の閣僚、官僚は複数科目の統一試験によって選ばれ、最も高い点数をとったものが行政長官に任命するという体制を取っているが、ホセ長官はその天才的な頭脳で20年間他に圧倒的な差をつけてトップに立ち続けた。市民の支持も根強く、退任を惜しむ声がセビーリャ全土から上がった。同氏はその執政期間中に、コーデクス主義に基づいた執政を行い、セビーリャに安定と平和、幸福をもたらした。経済分野では、鉱産資源の輸出を中心にセビーリャ経済を発展させたほか、大規模農場の建設と穀物の輸出による経済の多角化に成功させた。さらに、社会保障、教育の分野でも多額の投資を行い、先進諸国と同等の幸福度、生活水準を実現した。



ペドロ氏が行政長官に選出される


 ホセ行政長官の退任を受け、785年に行われたセビーリャ公務員試験でペドロ・プリド・トルヒジョ前通商部部長が行政長官に選ばれた。

ペドロ新行政長官は試験結果に関して、「行政長官は長年の夢だった。セビーリャ市民のために頑張っていきたい。」と語った。また、「コーデクス体制による経済成長と人口の増加による農業生産・輸出の拡大を目指す。」と今後の方針について会見を行った。同氏は

セビーリャ中央大学政治経済学部卒業後、通商部に入り、貿易政策を行ってきた。レゴリス帝国との穀物輸出契約では交渉役を担った。



ユリウス戦役から17年


 768年10月、セビーリャ戦争終結後ちょうど100年続いた平和に突然終止符が打たれた。新興国ユリウス王国は報道にて、セビーリャ自治政府、カルセドニー社会主義連邦共和国に対して突然の宣戦布告を行った。1世紀近く平和な時代が続き、戦争の記憶がほとんどないセビーリャ市民はパニックに包まれた。65年に創設された武装警察の警察予備隊は、4万人の少ない人員に加え、迎撃用の大砲も不足しており戦闘経験は全くなかった。これをうけ統治委員会による特別措置により、警察予備隊を4万人から28万人規模に増員を決定。直ちに6か所の駐屯地設置と、志願兵の募集が行われた。この事件はセビーリャ人の忘れかけていた愛郷心を刺激し、突然の召集にもかかわらず募集を大きく超える35万人の志願兵の応募があった。直後11月にユリウス陸軍部隊を乗せた揚陸艦がセビーリャ近海に出現、増員された警察予備隊は、これを迎撃する態勢を整えていたが、実際に攻撃を行うことはなく、ロムレー軍の衛星攻撃によって撃破された。その後ユリウス王国は破壊され王族も逮捕されたが、戦後処理はいまだ続いており、王国からの謝罪や賠償については進んでいない。ユリウス戦役は、セビーリャに大きな衝撃を与え一つの転換点となった。17年経った今、改めてこの事件を問い直す時が来ているのではないだろうか。



【評論】コーデクス主義体制の成功
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