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ヴェールヌイの報道 ヴェールヌイ社会主義共和国メディアの報道を集約して紹介 | ||
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11月 27 (金曜日) 2015 | ||
【社会】グムラク市、瓦・ヴァダーコイ市と姉妹都市提携 ほか | 00:04 ヴェールヌイ社会主義共和国 | |
【ガトーヴィチとの関係強化・世界初の姉妹都市提携も】 共和国とガトーヴィチ帝国との友好関係が強化されつつある。ガトーヴィチ帝国といえば、共和国人民にとって、同系民族国家として親しみをもって関心をよせる外国の一つである。使用言語も、細部に違いはあるが、最も近しい。制度は違えど、それぞれに世界でも特色ある経済を指向しており、成蘭連邦を最重要友好国として処遇している点など、価値観を一にしている部分も多い。しかし、双方の歴史の中で、両国が直接交流する機会には恵まれなかった。しかし近年、ガトーヴィチの高速鉄道計画においてヴェールヌイ鉄道のサプサンが採用されたことを皮切りに、624年からは銀輸出を通じて交易関係を有するようになった。また国際政治においても、そろってENECオブザーバー国として席を共にしている。共和国は、治安上の懸念から、外国人の往来について諸外国に比べても厳格かつ積極的でない国のひとつだが、政府は623年11月から、ガトーヴィチを三ヵ国目の査証免除国に指定して、ガトーヴィチ国民による観光や、官民の交流を奨励する立場を鮮明にした。 官民交流促進の成果が最も現れたのは、共和国最古の湾港を有する工業都市"グムラク"だ。グムラク市では、国の査証免除指定をきっかけとして、自治体独自による交流促進を企画した。ガトーヴィチ帝国の地方自治体にアプローチを重ねた結果、"国内最大の湾港を有し、国内でも歴史ある工業都市"という共通点のあるヴァダーコイ市がこれに応え、両市は姉妹都市として提携することで合意。624年5月15日、ヴァダーコイ市で姉妹都市提携に係る協定の調印と記念式典が執り行われ、両市は公式に提携を発表した。式にはヴィタリー・アトラソフ市長が出席、ヴァダーコイ市のフョードル・シュームノヴィチ・ニリシーチン市長と並んで協定書に署名した。地方自治体が独自に国を跨いで友好関係を促進することを表明して、姉妹都市提携を行うのはフリューゲルでは初のことになる。今後両市は、姉妹都市として、市民や各種団体など多様な単位で、経済・技術・学術・文化・スポーツなど幅広い分野で交流推進を支援することになる。また数年おきに相互訪問を実施するほか、両市の市民が観光で特典を得られるような枠組み作りについても検討されるという。 グムラクのヴィタリー・アトラソフ市長は記者会見で「国単位では色々なことがあるが、地方や市民主体の交流はそうしたことに左右されず、両国人民の相互理解、友好関係を発展させることができる。市の国際性を向上することにもつながる。こうした取り組みが更に広がるよう、グムラクとヴァダーコイで手を取り合っていきたい」と述べた。[労働党機関紙・労働者の勝利] 【労働党内のシェレスト・スヴィトラーナ対立】 労働党機関紙「労働者の勝利」は625年1月の紙面において、シェレスト首相が労働党の中央委員会で演説し、党内の親ENEC層を非難したと伝えた。記事では、現在の国際情勢が不均等、不平等に溢れていると指摘した上で、これを是正する立場を明確にすべき共和国が「党の一部にある現実錯誤的な一派」により「現状に屈服して妥協を積み重ねている」とし「国際協調の美名の元に、帝国主義国が自己の利益を最大化する手助けをすることは、社会主義共和国にあってはならない犯罪行為だ」としている。シェレスト首相が指した「党の一部」とは、スヴィトラーナ元首相を中心とした所謂スヴィトラーナ派であることは間違いなく、今回の演説は、未だに強く残るスヴィトラーナ元首相の影響力を排除し、党内での基盤を固めたいシェレスト首相の思惑がみてとれる。党の最高幹部会議であるところの中央委員会でこのような演説を行ったことは、党の各派に対して絶大な牽制効果が期待できる。一方で、国政を担う労働党の内部不和が取り沙汰されるのははじめてのことであり、これを表面化、既成事実化させた本演説は、シェレスト首相やその指示層にとって諸刃の剣だろう。建国以来続く労働党単独政権に対する倦怠感はサロート政権時代から高まっているが、現実として人民議会の過半数を保ち続けるに至っているのは、野党の能力不足もさることながら、スヴィトラーナ支持によるところが大きい。スヴィトラーナ氏は自身も人民議会議員を務める傍ら、現在でも議会選の度に地方遊説を続けて労働党の議席維持に貢献している。地元バイウリェーニャと、氏の政権時代に急速発展したウミェールイ・カニェーク(都市圏ごとの有権者数で国内最大)のスヴィトラーナ人気から転じた労働党支持基盤は無視できまい。ゆえに、反スヴィトラーナは党そのものの首を絞めかねない。次回議会選への影響も避けられないだろう。記事において(名指ししているわけではないので当然だが)当のスヴィトラーナ氏の動静については伝えられていない。[ブルースター紙] シェレスト政権は、これまでの労働党政権と比較しても、FENA(主に成蘭)やENECをはじめ、共和国を取り巻く外交関係について、遥かに多くの不満を有し、これを隠さない。618年にフランドルでテークサット人20名を拘束したと報じられたことは、以前ではあれば考えられないことだ。一方で、テークサットに対して食料決済による燃料供与に応じるなど、同国安定化にむけた支援は継続している。SEACOMを通じたコーデクス、ガトーヴィチへの銀供給も、これらの国々における需要を支えるために計画されたものであるなど、ENEC関係国に対する支援や経済関係は以前にも増している。カルセドニーの財政状況に即した商品供与や、ヘルトジブリールにおける哨戒等も、新興国の自立を前提とした既存の支援策を踏襲、継続している状況にある。新興国協調に非積極的とされるシェレスト首相だが、現在のところこれらを転換するには至っていない。今回の演説にしても、実際の外交関係に対するものではなく、自身の基盤を強化を目的とした党内への牽制とアピールが主目的と見るのが自然だ。諸外国に対して自身の立場を表明したいのであれば、人民議会か、政府談話を通じて行うことが当然であり、今回の中央委員会での演説は、シェレスト首相が予想以上に党内を掌握できていないことを示すもので、政府運営もそうした現実に引きずられているのではないだろうか。[スヴァボーダ紙] | ||
11月 09 (月曜日) 2015 | ||
【大型地震に本島南部を中心に被害】ほか | 21:33 ヴェールヌイ社会主義共和国 | |
【大型地震発生-本島南部を中心に被害】 620年11月下旬に大規模な地震が発生。ナシェノヤェネバ、カニェーク周辺の本島南部を中心とした人口を有する16区画の広い範囲に被害が及んだ。地震災害はこれまでにも散発的に発生しているが、今回のものは600年代に入り最大の被害規模となった。被害の発生を受け政府は、消防、人民警察、国家人民軍による救出作業を実施。また成蘭連邦からの救助隊派遣の申出に対して、これを受け入れるよう指示し、救助活動の主力となる国家人民軍地上軍第3軍管区及び第4軍管区の司令部に対して、成蘭隊の被災地での円滑な活動を補佐するよう命令した。[労働党機関紙・労働者の勝利] 【長年の二大外交懸念解消】 共和国が長年抱えていた外交上の懸案であったレゲロとフランドルの問題が、ここにきて一挙に解消された。後者は放棄失踪という、共和国にとって不本意な結末であったが、国際の不安定要素が除去されたことは歓迎できるものだろう。フランドルの運営放棄をうけ、共和国の全ての軍と在留邦人は帰国となり、数十年の長きにわたる任務を終えた。シェレスト首相は軍民合同の帰還報告式典において、「時の政府に不手際、決断力不足があった。その結果、フランドルに関わる多くの事柄について、ここにいる将兵や国民の皆さまに苦労をかけたことに、政府と労働党のトップとしてお詫びしなければならないと思う」と述べ、苦労を労った一方「フランドルの最後は実にフランドルらしいものだった。無責任、不誠実、不道徳の極だ。私の言葉を、逃亡したフランドルの為政者が聴いているならば、フランドルと中身を一とする国が今後発生した場合には、国際法に基づいて強制敗戦国になるということをよく心得よ。我々はフランドルに対して情け容赦という言葉を知らない」と強い調子でフランドルを批判、今後もフランドルについては強い姿勢で臨むことを表明した。[労働党機関紙・労働者の勝利] レゲロは長年に渡り国内経済の不安定に悩まされ、暫定評議会による統治が続いていたが、共和国による援助を元手として、産出資源を銀とする鉱山転換を図った。転換にあたっては、当初レゲロの工業化も視野にストリーダ、ガトーヴィチ、ベルサリエーレの先端工業国3ヵ国に対して視察を実施している。特に、国交のないベルサリエーレに対して視察を要望したのは異例で"レゲロ開発の想定規模がベルサリエーレの現状に限りなく近かった(政府筋)"ことが背景にあったと見られる。しかし、少なくとも現在の状況を見るに、レゲロ工業化は断念されたものとみて間違いない。レゲロ産の銀は既に共和国の商船によりコーデクス共和国に輸出されており、その規模からみて自己消費されるとは考えられず、またされるにしても限定的なものに留まるはずだ。発展余地が多く、資源の新規需要が見込める新興国市場、とりわけ交渉ルートあるENEC加盟国向けに販路を創出することは難しくなく、手っ取り早い上に双方の利益に適うという判断が働いたのだろう。[ブルースター紙] 619年には、共和国の全面的な監視のもと、臨時評議会による運営で、レゲロ全土において歴史上初の普通選挙が実施された。この選挙によって選出された全国の代議員により人民議会が組織された。この選挙で人民議会の最大派閥となったのは、グシェ・ボトラークをはじめとした旧エルノーク派が率いる「人民労働党」であり、圧倒的大勝であった。人民労働党はミサイル演習事件以前から、旧レゲロ体制を率いた独裁政党だ。レゲロ国民が、その結末はどうあれど、終身大統領として独裁政治を敷いたエルノークに、レゲロ最盛期を築いた強い指導者としての羨望を未だに有していることが浮き彫りとなったのである。事実、ボトラークの人民労働党はエルノークの名誉回復決議に強い意欲を示している。また、内閣にあたる閣僚評議会を組織すると同時に、国家指導機関として「国家中央評議会」を設置することを提唱するなど、再び一党優位体制を構築しようという意思を隠そうともしなかった。共和国の関係者は大いに失望しただろう。しかし、自国の監視下で行われた選挙の結果、紛うことないレゲロの民意が示された以上、これに介入することは難しいものだったかもしれない。共和国にとって都合が悪かったのは、人民労働党が基本的にヴェールヌイ支持で、レゲロの主権回復が成った後にも、一定の影響力を保持し続ける事を望んでいたことだった。結果として調印に至ったSEACOMは、レゲロからすれば、少々の出費で交渉を含めた経済的な庇護を受けられ、自身は内政と政治基盤を固めることに専念できるという思惑があってのものだろう。まずSEACOMそのものが、共和国の相互対等の外交方針に逆行したものであるし、もしレゲロの先祖返りを助けるようなことがあるなら、民主主義擁護の姿勢をも否定している。シェレスト首相と労働党は、ヴェールヌイがこれまで曲りなりにも守ってきた平和と対等の原理原則をどう考えているのだろうか。[スヴァボーダ紙] | ||
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