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龍鮮王朝秘史外伝「香麗の逆襲(고려의역습)」

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿.1 .2 .3 .4 | 投稿日時 2013/12/15 10:42
ゲスト    投稿数: 0

香麗民主連邦中心で書いていきたいと思います。
歴史上の裏設定や裏記録ですので、外交上に一切の影響を与えないものとします。

投票数:0 平均点:0.00
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿.1 | 投稿日時 2013/12/15 11:29 | 最終変更
ゲスト    投稿数: 0

第1章「敗戦」
477年はフリューゲル全体に「赤い嵐」が吹き荒れた暗黒の一年であった。
全ての始まりは477年5月30日のフリュー帝国帝都モルクグラードで起きた共産主義者らによる武力革命である。幼帝クルキアマイト・ロッフェレテシア・ミディアートはポートランド大公国へ亡命、フリュー・ソビエトが再興する。ここから赤い嵐は世界へと広がっていく

477年7月10日、龍鮮の隣国中夏民国首都安京の天杏門広場に集結した中夏共産党員は朱禁城を占拠、民国軍との内戦に突入。年末に中夏人民共和国成立、隣国の地に再び赤旗が翻った

無政府主義者によるロザリア共同体成立

スオミ王国共産主義者蜂起

成蘭連邦王国成蘭共産党支持拡大
大川茂登夫成蘭共産党委員長「世界各国では共産主義への共鳴が続いている。成蘭もこの革命の潮流に続き、革命を達成しようではないか」

中夏人民共和国スオミ共産主義者を支援スオミ王国宣戦布告

そして、赤い嵐は龍鮮半島を襲った。

龍鮮労働党過激派は議会主義を唱える主流派を離れ、香麗共産党を組織、中夏人民共和国の支援を受けて477年12月3日、武装蜂起香麗民主連邦の成立を宣言した。
龍鮮戦争は共産主義陣営とそれに立ち向かう反共陣営の代理戦争へ発展。
中夏人民共和国は香麗を助けて半島に侵攻

普欧帝国による和平交渉に対し金成日委員長は「暴君朴安哲とファシスト姜英哲を東海に叩き落とすまで人民軍は攻勢を止めることはない!」と言い放った。
金成日以下香麗共産党幹部は「普欧をはじめとする先進各国は総じて腰抜けばかりだ、人民軍に仇なす勢力は石動以外にはいないだろう。」と考えていた。

しかし、彼らの自信は普欧とならぶ超大国「ノイエクルス連邦」の参戦により崩壊する。
ノ連の宣戦布告に狼狽した中夏人民共和国首脳は我先に国外逃亡し、政府は崩壊した。
龍鮮王国と同盟国たちは勇気ある北進を続け、478年12月8日、古代龍鮮建国の聖地である百頭山に太極旗を掲揚し勝利を宣言した。

前後して、スオミ王国の共産主義暴動は鎮圧され、成蘭共産党の党勢は減退、フリュー・ソビエトはミディアート皇帝率いるフリュー国家連合との和平に合意する。

龍鮮戦争という暴風雨の後に赤い嵐はフリューゲルを去った

・・・と龍鮮市民は確信していた。

投票数:0 平均点:0.00
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2013/12/15 11:53
ゲスト    投稿数: 0

第2章「脱出」
人民軍の京城制圧の折に、慶福宮の玉座に座り、支配者を気取る程の威勢を誇っていた金成日委員長は惨めな姿で革命の意志を捨て去り普欧帝国へと亡命していった。
他の幹部たちは各地に潜伏し勢力の回復を図っていた。

478年12月10日、幹中国境
人民軍兵士「崔同志、我々は龍鮮に留まらず、萬州へ逃げるのですか!?」
崔承朝「同志よ我々は逃げるのではない。現状では我々は王国に勝つことはできない。貴重な戦力を浪費するより、萬州の地で温存する方が得策だろう。」
人民軍兵士「萬州で軍備を整え、国土反攻を目指すのですね。」
崔承朝「そういうことだが狙いはそれだけではない。この萬州という地は、中夏中央政府崩壊後、軍閥が乱立しているが特に旧共産党系の軍閥は人民共和国崩壊の原因となった龍鮮王国に恨みを持っている者も多い、奴らの戦力を利用して国土反攻の尖兵にするのだ。」

萬州に逃れた崔承朝一派は萬州軍閥と手を結び、国境を越えて亡命してきた赤系龍鮮人たちを吸収しながら勢力拡大を進めていく。

投票数:0 平均点:0.00
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2014/9/28 13:00 | 最終変更
ゲスト    投稿数: 0

第3章「血筋」
龍鮮戦争、彼らの呼称では「丁巳闘争」に敗れた香麗民主連邦の残党は大きく3つに分かれていた。

普欧帝国に逃れた金成日率いる「普欧派」
龍鮮国内に留まる李憲永率いる「残置派」
そして、萬州に逃れた崔承朝率いる「萬州派」である。

480年1月、崔承朝は3万人の香麗人民軍と1万人の旧中夏人民軍を配下に収める有力な軍閥の領袖となっていた。

下士官A「おい、崔同志の出自についての噂を知ってるか?」
下士官B「ああ、崔同志は『香麗王朝』の王族の末裔だ・」
A「(Bの口を塞ぎながら小声で)声が大きい! しかも、崔同志だけではなく、『萬州派』の指導部の偉いさん方はみんな香麗王朝の両班(貴族階級)の末裔だとか。」
B「もし事実だとしたら変な話だ。何で王族や貴族の血筋が共産主義革命の指導者なんだ?」
A「さあ?何でだろうな?」

政治将校「貴様ら何の話をしている!」
A「は、はい同志。他愛ないただの世間話であります。」
B「そうです。同志の耳に入れるような話では・・・」
将校「何故、『陛下』の秘密を知っているのだ!」
A「(陛下?)我々の小隊の者が本部の清掃をしていた時に小耳に挟んだそうで、我が小隊のみならず、第四中隊全体に広まっております。」
将校「そうか。」
パーン、パーン(銃声)
将校「(無線)第四中隊の兵士を全員粛清せよ。奴らは龍鮮ファシストのスパイである。」

~萬州派本部~
崔承朝「我々の大業が成る前に、秘密が露見するのは困る。」
幹部一同「申し訳ありません。『国王陛下』」
崔「この場では『陛下』と呼んで良いが、公の場では『同志』と呼ぶようにな。」

崔(役立たずの共産主義者どもめ。余は絶対に玉座を取り戻す! 半島の正当な君主はこの私だ!)

投票数:1 平均点:10.00
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2014/11/3 11:30 | 最終変更
ゲスト    投稿数: 0

第四章「香麗」
かつて龍鮮半島には「香麗王朝」という国があった。
初代国王の崔建(太祖大王)や四代の崔仁星(元宗大王)は民を慈しむ名君であったが、後期になると腐敗し特権階級の両班が庶民から収奪する頑迷な封建国家へと変貌していた。

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香麗王朝最長の34年間の治世を治めた仁宗は、萬州人・蔡洲人を奴隷として酷使し、自国の庶民をも白丁(ペクチョン)と蔑視する悪政を敷いた。

仁宗は対外的には小中夏思想を振りかざして、反秋津政策(丘州への度重なる襲撃)を行い、遂には秋津皇国との戦争を招いた。

暴君仁宗は心ある者のクーデターにより討たれ、新たに即位した理宗は秋津皇国への併合を受け入れ、半島は秋津皇国の領土になった。

秋津領となった後の半島が秋津人たちの技術と教育、新たな支配者の下で近代化を志向した香麗人たちの努力によって発展したことは周知の通りである。

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投票数:0 平均点:0.00
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2014/11/24 12:33 | 最終変更
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第五章「偽装」
併合後、香麗王朝の王室である崔家は「王公家」という秋津皇室に準じた待遇とされ、支配階級の両班たちも「和寧貴族」として爵位が贈られたのである。

しかし、プライドが高く秋津人を格下に見ていた両班たちは陰でコロール人と結託して反秋運動を起こすなど総督府を困らせていた。
一方、庶民は解放者である秋津に忠義を尽くし、秋津本土を乗っ取ったコロール人(コロール社会主義共和国連邦)に対する義勇軍には多くの市民が参加した。

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秋津皇国最大版図(大東方共栄圏)

時が流れ、秋津皇国が大陸から撤退し鎖国すると秋津の威光に保護されてきた崔王家は、秋津を裏切り私兵を使って香麗半島から秋津人を追放し、香麗国再興を目論んだ。

しかし、中夏民国軍の龍鮮半島進駐により崔王家の計画は頓挫。地下潜伏を余儀なくされた。

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中夏民国が倒れると、崔王家は再び香麗復活を目指したが、京畿道周辺しか抑えられず、やがて朴成秀の咸州軍が南下すると、京州黄氏や多くの下級両班が寝返り、玉璽も失ったのである。
また、庶民からの収奪で甘い汁を吸ってきた上級両班もその地位をはく奪された。

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↑軍閥割拠時代(主要軍閥)
赤:咸州軍閥(朴成秀)
濃青:平州軍閥(張明伯)
桃:海州軍閥(金泰愚)
黄緑:源州軍閥(韓純煥)
薄青:京州軍閥(崔王家・旧香麗両班)
紫:忠州軍閥(安孝徳)
緑:慶州軍閥(李時明)
黄:羅州軍閥(成英権)

しかし、権力欲と支配欲の権化である崔家と元両班は諦めなかった。
龍鮮王国建国初期の混乱期、李策明を中心に共産主義運動が広まったが、彼らはこれに目を付けたのである。

崔善敬(崔承朝の父)
「我らが憎き朴成秀から玉璽と玉座を取り戻すためには共産主義者を利用するしかない。」

両班A
「龍鮮労働党は支持者は多くとも、資金と武器がありません。我々がそれを調達し、反乱を起こさせ陰で操るということですね。」

崔善敬
「左様、簒奪者の朴も共産主義者も香麗朝の敵に他ならん。これを潰し合わせるのだ。」

両班B
「故事に曰く『夷を以て、夷を制す。』外交智略の基本でございますな。」

442年6月、幹羅道輝州
李策明
「龍鮮には巨大な害虫が巣食っている!特権階級の両班どもを討て!自由の為に戦うのだ!」
黄鵬
「はるか遠くオストマルク国では自由を求める人民が立ち上がり革命に成功した!龍鮮人民も立ち上がる時だ!」
労働党員
「革命万歳!」

・・・
崔善敬
「その打倒すべき両班のために貴様らは戦うのだ。精々暴れるが良い。」
崔承朝
「父上、私は労働党に入党し内部から操ろうと思います。」
崔善敬
「よいか承朝、潜入する以上お前はアカになり切らねばならん。決して両班だと悟られるな。」
崔承朝
「心得ております。」

後の香麗民主連邦初代大統領、崔承朝はこの時19歳。彼の狡猾な性格は父と両班たちの遺伝子を強く引き継いでいた。

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